第2章 成長と分配の好循環実現に向けた企業部門の課題(第2節)

[目次]  [戻る]  [次へ]

第2節 成長に向けた投資面の課題

前節では、長期的にみた企業の分配・投資スタンスの推移について確認し、近年、企業は国内設備投資に対して慎重なスタンスであったことを確認した。本節では、今後の投資スタンスの回復に向けて、中長期的な成長力の観点から注目される分野としてのIT投資と脱炭素関連投資の動向について確認し、特にIT投資をめぐる課題について、教育訓練やスタートアップ企業の役割に注目して分析している。

1 最近の設備投資の動き

(IT投資や脱炭素関連投資に前向きな企業が増加傾向)

前節では、やや長い目でみて、我が国企業部門の分配・投資動向について確認した。その結果、雇用者への賃金としての分配や、国内での付加価値創出の源泉となる投資活動への支出が伸び悩んでいることが分かった。ここからは、成長と分配の好循環に向けて、投資の拡大という観点から、企業部門の課題を整理する。

企業の投資行動における優先度をみると、2021年度には「情報化投資」と回答する企業の割合が一段と増加している(第2-2-1図)。かねてより、我が国企業はSociety5.01の実装に向けた取組を開始していたが、感染症の拡大を受けて、企業のテレワークが進捗したほかEC利用世帯が増えるなど、IT投資を加速する必要性が増している2

第2-2-1図 企業の投資行動における優先度
第2-2-1図 企業の投資行動における優先度 のグラフ

また、脱炭素関連投資に取り組む企業も増加すると見込まれる。現在、我が国は「2050年カーボンニュートラル3」を掲げ、補助金や規制強化などの政策対応により、企業部門の脱炭素関連投資を促進する成長戦略の検討が開始されている4。温室効果ガス排出量の削減に向けた検討は、世界的な潮流となっている。京都議定書(1997年)で温室効果ガス削減の数値目標が先進国で初めて設定された後、パリ協定(2015年)では、世界全体の平均気温の上昇を産業革命以前に比べて2℃よりも十分に低く保つとともに(2℃目標)、1.5℃に抑える努力を追求することが示され(1.5℃目標)、先進国だけでなく全ての国と地域を対象に削減目標の設定が推奨された。2021年11月に閉幕したCOP26は、同年夏の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による報告書において、パリ協定で定めた目標実現に向けて一刻も早い行動変化が必要であると結論付けられた直後の国際会議であり注目が集まったが、1.5℃目標が明記化されたほか、温暖化ガス排出枠の市場取引などパリ協定の実施ルールの具体化などの成果があった。今後、脱炭素に向けた動きが世界的に加速し、企業側の取組の優劣が、競争力に直結する可能性が高まっている。こうした国内外の潮流も踏まえ、脱炭素関連の投資は、すでに3割程度の企業が拡大する方針を掲げている(第2-2-2図)。投資の中身をみると、「再生可能エネルギー関連」や「省エネ設備」と回答する企業の割合が多くなっている。

IT投資と脱炭素関連投資は、近年、企業が力を入れてきた海外拠点への投資だけではなく、国内拠点での投資も相応に含むとみられる。いずれの投資活動についても、加速させていく取組が不可欠だが、2項以下では時系列データを用いて定量的な分析を行う観点から、データが相対的に充実しているIT投資について、人材への教育訓練投資との関係に着目して分析する。

第2-2-2図 脱炭素関連投資の動向
第2-2-2図 脱炭素関連投資の動向 のグラフ

(企業の期待成長率はおおむね維持)

今後の設備投資の動向をみる上で、投資意欲を支える一つである、企業からみた期待成長率の動向をみてみよう。我が国の企業業績は、2020年以降の感染症の影響で大きくマイナスとなる局面もあった。この下で、企業の設備投資と相関が高い、上場企業の「今後3年間の実質期待成長率」の前年差をみると、リーマンショック後(2009年1月時点)は-1.6%と、中長期的な成長見通しは下振れたが、感染症の拡大後(2021年1月時点)は、+0.4%と既に持ち直している(第2-2-3図)。企業の成長見通しが大きく下振れたリーマンショック後と異なり、今次局面では、企業の期待成長率は大きく腰折れしていない。

成長期待が腰折れしていない背景としては、感染症による景気への下押しが一時的であるとの見方や、デジタル化による非対面型サービスや、脱炭素関連を含めて新規需要が業績の拡大につながるといった見方が反映されている可能性がある。こうした企業の見方を背景に、企業業績の回復が進むにつれて、成長分野への投資が発現していくことが期待される5

第2-2-3図 期待成長率と設備投資の関係
第2-2-3図 期待成長率と設備投資の関係 のグラフ

2 デジタル化の鍵を握る人材への教育訓練投資

(教育訓練を伴うデジタル化への投資が生産性を押上げ)

Society5.0の実現に向けたデジタル化は感染症拡大以前から実施されていたが、我が国企業のデジタル化の取組が、企業の生産性上昇に十分結び付くような状況にあるのだろうか。特に、デジタル化の効果は企業間で一様ではなく、新技術を利用する従業員の質が、企業間の差を生んでいる可能性がある。実際、新技術の導入に当たり、人材への適切な教育訓練投資を行っている企業の方が、デジタル化による生産性向上の効果発現が大きくなる傾向を分析した先行研究が存在する6

こうした効果を確認するため、以下では経済産業省「企業活動基本調査」の個票データを用いて、教育訓練投資に、IT投資の効果を高める補完的な効果があるのか検証する。推計方法は、同統計を用いて、教育訓練投資が生産性に与える効果を検証した森川(2018)の手法にならっている。IT投資は、ソフトウェアのストック額(以下「ソフトウェアストック」という。)を用いる。また、教育訓練投資については、同調査で利用可能なOff-JT費用である「能力開発費」をストックに変換した値(以下「教育訓練ストック」という。)を用いる7

 先行研究と異なる新たな試みとして、ここでは、教育訓練投資ストックの伸び率別に企業を3グループ(以下「上位グループ」、「中位グループ」、「下位グループ」という。)に分け、各グループダミー変数とソフトウェアストックの交差項の回帰係数に着目することで、企業の教育訓練投資スタンス別に、IT投資が生産性に及ぼす影響を確認する。

推計結果をみると、上位グループでは、ソフトウェアストックの伸びが企業の生産性を押し上げることが確認された。他方、中位グループ・下位グループでは、ソフトウェアストックの伸びは統計的に有意に企業の生産性を押し上げていない(第2-2-4図)。本推計では、教育訓練ストック自体も説明変数に加えており、これも生産性を有意に押し上げる結果となっている。すなわち、人材への教育訓練投資は、それ自体が生産性を引上げると同時に、その支出の積極姿勢に応じてソフトウェア投資の効果を補完して、生産性を押し上げる可能性が確認された。

Society5.0に向けたイノベーションの進展は、資本財価格を下落させ、一部の労働を機械で代替する動きを促進し、労働分配率の低下につながる可能性も指摘されている8。こうした省人化は、企業の付加価値向上の観点から合理的な一面も認められる。もっとも、企業収益と同時に、雇用者の賃金も引上げていく観点からは、省人化に偏ることなく、新たな付加価値を生むビジネスを創出するためのIT利用を促進する必要があり、人材教育を通じて組織のITリテラシー向上が重要となっている。

第2-2-4図 教育訓練投資がIT投資を補完する効果
第2-2-4図 教育訓練投資がIT投資を補完する効果 のグラフ

(日本は諸外国対比で教育訓練投資の規模も少ない傾向)

上述の通り、教育訓練投資は、企業のデジタル化の効果を最大化する観点から、また経済の成長と分配の両面から重要であるが、我が国企業の人材教育には課題も指摘できる。

前節でみたとおり、我が国企業の教育訓練投資は、企業収益の改善との比較では抑制的に推移しており(前掲第2-1-3図)、教育訓練投資の量は諸外国対比で過少になっている可能性がある。OECD調査によれば、企業の教育訓練を受けた就業者の割合は、OECD諸国の中でも下位に位置しており、特にデジタル化が進んだ産業において低さが目立つ(第2-2-5図)9

企業側の意識調査をみても、AI、IoT、データサイエンス等の先端技術領域の社員の学び直しの方針について、「全社員対象での実施」や「会社選抜による特定社員向けの実施」等、企業として方針をもって社員の学び直しを促す企業の割合は、アメリカでは7割を超えているが、日本では2割強にとどまっている(第2-2-6図(1))。デジタル化に関する企業の人材教育に限定した調査でもアメリカ対比で大きな遅れがみられている。また、社員のITリテラシーの向上に関する施策状況についてみると、「社内研修・教育プランを実施している」「社外研修の受講を実施、推奨している」等、何らかの形で社員のIT学習の機会を設けている企業の割合は、アメリカでは9割弱に上るが、日本では4割強にとどまっている(第2-2-6図(2))。

第2-2-5図 企業の教育訓練を受けた就業者の割合
第2-2-5図 企業の教育訓練を受けた就業者の割合 のグラフ
第2-2-6図 企業のデジタル教育に関する日米比較
第2-2-6図 企業のデジタル教育に関する日米比較 のグラフ

このように、Society5.0に向けた取組や感染症の影響などにより産業構造が急激に変化する中にあっても、日本の企業の多くは、変化への対応の必要性や危機意識を共有しつつも、経営戦略に紐づいた人材戦略を効果的に実施できていないとの指摘もあり10、今後の改善が期待される。

(日本ではIT人材の不足感が強く、デジタル化の抑制要因に)

教育訓練が、それ自体に生産性を引上げる効果があるのみならず、IT投資の効果を高める側面がある点は本項で分析した通りである。これは、IT投資の質を高めることに注目した議論だが、そもそも我が国ではIT投資の量が諸外国対比で見劣りしているという指摘もある11。そして、その背景として、IT人材の不足が企業のIT投資規模の抑制につながっている可能性も懸念される。実際、企業へのアンケート調査ではIT人材の質・量ともにアメリカ対比で不足感が強くなっているほか、そもそも経営層が社員のITリテラシーレベルを正確に把握している企業の割合が少ない12(第2-2-7図)。これらを踏まえれば、IT投資の質・量の両面を向上させる観点から、教育訓練投資の充実によるIT人材の増強が望まれる。

第2-2-7図 IT人材の不足感と従業員のスキルの把握動向
第2-2-7図 IT人材の不足感と従業員のスキルの把握動向 のグラフ

(企業部門の人材戦略の見直しは投資家も重要視)

デジタル化に向けた教育訓練の問題は、企業だけでなく、大学等の教育機関や、自ら学び直しを積極的に行う必要がある働き手側のそれぞれに課題が指摘されており、国全体として多面的な施策を講じていく必要がある。ただし、日本企業が重視すべき中長期的な投資先に関する投資家アンケート調査によれば、6割以上の投資家が「人材投資」と回答しており、この割合は「IT投資」や「設備投資」よりも高く、日本の企業部門に対する人材教育への期待は高い(第2-2-8図)。今後、国全体として人材教育に注力していく中で、企業部門においても人材戦略の見直しが進んでいくことが期待される。

第2-2-8図 投資家が日本企業の中長期的な投資・財務戦略の中で重視するもの
第2-2-8図 投資家が日本企業の中長期的な投資・財務戦略の中で重視するもの のグラフ

3 スタートアップ企業の役割

(IT投資・教育訓練投資の効果は社齢の若い企業で大きい)

次に、我が国が効果的にデジタル化を進める上で、スタートアップ企業の支援にも焦点を当てる。社齢の若い企業は、一般に資金制約に直面しやすく、その分IT資産が過少になっている可能性があるほか、レガシーシステムからの移行コストも小さいため、IT投資の限界的な効果が大きい可能性がある13。また、前項で重要性を強調した教育訓練投資についても社齢ごとに効果に違いが生じるのであろうか。

こうした問題意識を踏まえ、前項で用いた森川(2018)を参考としたモデルを用いて、企業の社齢別にサンプルを3分割し(以下、社齢が若い方から順に、「若齢グループ」、「中齢グループ」、「高齢グループ」という。)、教育訓練ストックやソフトウェアストックが企業の生産性に与える効果の違いをみた。推計結果をみると、教育訓練ストック及びソフトウェアストックの係数はいずれも若齢グループで最も大きいことがわかる(第2-2-9図)。この結果は、スタートアップ企業も含めた社齢の若い企業の投資効果は、老舗企業に比べて大きい可能性を示唆している。

第2-2-9図 社齢別にみた無形資産投資の労働生産性押上げ効果
第2-2-9図 社齢別にみた無形資産投資の労働生産性押上げ効果 のグラフ

(日本はスタートアップを取り巻く環境に課題)

本項の分析結果や先行研究を踏まえると、既存のシステムに捉われずに、新規技術を取り込みながらイノベーションを起こす潜在能力が高いスタートアップ企業の存在は、Society5.0の実装に向けてますます重要になってくると考えられる。

もっとも、国際的にみると、GDPの規模対比でみたスタートアップ企業数は他のOECD諸国対比で少ない傾向があるほか(第2-2-10図(1))、ベンチャーキャピタル投資額の対GDP比の水準も低く(第2-2-10図(2))、スタートアップ企業による経済の活性化という観点から我が国は課題を抱えている14

第2-2-10図 スタートアップ企業数とベンチャーキャピタルの規模
第2-2-10図 スタートアップ企業数とベンチャーキャピタルの規模 のグラフ

我が国の開業率は、海外対比で低迷が続いてきたが15、感染症の拡大以降の動きをみると、2020年の春に大きく落ち込んだ新規開業数は、2021年入り後に急速に回復しており、足下では感染症拡大以前を大きく上回るペースとなっている(第2-2-11図)。こうした新たな成長の芽を、企業部門全体の生産性上昇に繋げていくためにも、挑戦が奨励される社会環境の整備をさらに進め、新たなビジネスや産業の創出を促進する重要性は一層高まっていると考えられる。

第2-2-11図 開業件数の推移
第2-2-11図 開業件数の推移 のグラフ

1 Society5.0は、「第5期科学技術基本計画(平成28年度~32年度〈令和2年度〉)」において、我が国が目指すべき未来社会の姿として提唱され、狩猟社会(Society1.0)、農耕社会(Society2.0)、工業社会(Society3.0)、情報社会(Society4.0)に続く、新たな社会を指す。より具体的には、IoTで全ての人とモノがつながることで、新たな価値の創造が可能になるほか、AI(人工知能)やロボット・自動走行といった新たな技術により、少子高齢化をはじめとする様々な課題の克服を目指すものである。
2 内閣府(2020)の第2章や第4章を参照。
3 「2050年カーボンニュートラル」とは、2050年までに、温室効果ガスの排出を全体として(二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの排出量から、吸収源対策などによる吸収量を差引いて)ゼロにすることを意味する。
4 例えば、2050年までのカーボンニュートラルを明記し、再生可能エネルギーの導入や企業の温室効果ガス排出量のオープンデータ化に向けた法整備等を目的に、地球温暖化対策推進法が2021年5月に一部改正された。
5 西岡(2021)は、感染拡大下で増加した37兆円の企業部門の現預金のうち、23兆円は投資機会がある(投資の期待収益率が資本コストを上回る)産業で保有されており、成長投資に活用する余地があることを指摘している。また、こうした状況は、投資機会が失われていたリーマンショック時とは大きく異なっているとしている。
6 例えば、内閣府(2018)では、独自に実施したアンケート調査の結果を用いたパネルデータを構築し、IoTやAIといった新技術の導入に際して、教育訓練を同時に実行した企業が、そうでない企業よりもIoTやAIを導入した際の生産性上昇効果が大きいことを示した。また、日本生産性本部(2020)においても、アンケート結果を集計し、ICTに関する社内研修を充実させている企業は、そうでない企業よりもICT導入後の生産性が高い傾向を報告している。
7 企業による教育訓練投資の費用は、普段の仕事をしながら企業内訓練を行うOJT費用と、普段の仕事から離れた訓練のためのOff-JT費用に大別される。企業活動基本調査における「能力開発費」は、「講師・指導員経費、教材費、外部施設使用料、研修参加費及び研修委託費、大学への派遣・留学関係費用、大学・大学院等への自費留学にあたっての授業料助成等」のOff-JT費用が含まれる。
8 Karabarbounis and Neiman (2013)、IMF(2017)、OECD(2018)などを参照。
9 我が国の企業による人材投資が過少な背景について、宮川(2018)は、IT革命が起きた1990年代後半期に金融危機が起き、人材育成投資をはじめとする無形資産投資を削らなければならなかったことを指摘している。また、加藤・永沼(2013)は、非製造業を中心とした非正規雇用の拡大や、新卒採用の抑制等を指摘している。
10 経済産業省が2020年9月に公表した「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究報告書~人材版伊藤レポート~」を参照。
11 例えば、内閣府(2020)の第4章2節では、日本のICT投資が、米英独対比で量として見劣りしている点を確認している。
12 我が国では、従業員のスキルレベルを管理するジョブディスクリプション(職務記述書)が浸透していないと言われる。また、米国証券取引所が2020年より、国際的な規則(ISO30414)に基づいた人的資本に関する情報開示を義務化するなど、人的資本の把握は企業の経営課題となりつつある。
13 日本の企業レベルデータを用いて分析したFukao et al. (2015)は、社齢の若い企業ほど、ICT投資による限界生産力が高いことを指摘している。また、DeStefano et al. (2020)は、英国におけるクラウドコンピューティング導入が企業の組織形態や生産性に与える影響を分析し、社齢の若い企業ほど、クラウドコンピューティングの導入により雇用者数や労働生産性を伸ばしていたことを実証した。Demmou and Franco (2021)は、一般に、情報の非対称性があり、担保化が難しい無形資産への投資のための資金調達は有形資産に比較して難しく、この傾向は特に新興企業や中小企業で大きい点を指摘している。
14 内閣府(2018)では、日本では家計の資産運用先として現預金割合が高く、リスクマネーの供給が少ないことに加えて、起業に対する尊敬度合いが低く、失敗に対する恐れが大きい傾向があることを指摘している。
15 内閣府政策統括官(2021)では、我が国の開業率が4%と、英国の13%やアメリカの8%と比べて見劣りしていることを指摘。
[目次]  [戻る]  [次へ]