第1節 今回の円高局面の特徴

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今回の円高がいかなる意味で厳しいかを探るには、為替レートの動きを眺めるだけでは不十分である。円高をもたらした背景を含め、輸出環境や景気動向などの経済環境を幅広く点検する必要がある。また、今回の特徴の一つに韓国ウォン(以下、ウォン)の大幅な減価があり、この点がいかなる意味を持つのかも検討する。

1 過去の円高局面との比較

輸出競争力の観点から為替レートを評価するには、実質実効為替レートを参照するのが一般的である。まず円ドルレート、円ユーロレート、実質実効為替レートなどの推移を振り返った上で、経済環境を含めて95年当時との対比をしてみよう。

(円ドルレートでは今回は95年に匹敵する円高)

85年9月のプラザ合意以降の円ドルレートの推移を振り返ると、バブル期の一時的な円安局面を挟んで、95年までは基本的には円高の流れが続いた(第2-1-1図(1))。この背景には、バブル崩壊後、経常黒字が拡大して需給面から円買い圧力が増大した一方、国内投資家が海外投資を引き揚げる動きが見られたことが挙げられる。また、94年末にはメキシコ通貨危機が発生した。こうしたなかで、95年4月には一時1ドル79.75円をつけたが、いったん反転するとその後は約3年にわたり円安基調となった。それ以降は、アジア通貨危機、LTCM危機を経た時期、イラク戦争後の時期に円高局面があったが、1ドル100円を割ることはなかった。最近の円高方向への転機は、2007年8月のパリバショックであるが、リーマンショックを経て一段と円高が進み、2010年10月に再び80円台をつける事態となっている。(その後、11月初旬に80円21銭まで達した後はやや円安方向に進み、12月初旬時点では84円台にまで戻している)。

一方、円ユーロレートを見ると、ユーロ導入時の99年には1ユーロ約130円であったが、いったんはユーロ安・円高が進み、2000年4月には90円台をつけた(第2-1-1図(2))。しかし、その後は一本調子のユーロ高・円安基調が続き2008年7月には1ユーロ169円台の史上最安値となった。リーマンショック後はその流れが反転し、ユーロ安・円高方向に振れているが、2010年10月時点でも110円前後であり、史上最高値(89円/ユーロ)には依然距離がある。(その後もユーロ高基調に変化は見られず、12月初旬時点で110円台を維持している)。

ドル、ユーロを始めとする様々な通貨との為替レートを貿易ウエイトで加重平均したものが名目実効為替レートである。また、輸出競争力の指標としては、これを各国の物価上昇率で調整した実質実効為替レートが有用である。ここでは、日本銀行・BISによる実効為替レートを示している。それによれば、長い目で見ると名目実効為替レートには上昇トレンドがあるが、実質実効為替レートは86年以降、そうしたトレンドが見られない。しかし、その実質実効為替レートでも、95年の円高は厳しいものだったことが分かる。以下では、95年の円高局面と現在の状況をやや仔細に比較してみよう。

(実質実効為替レートでは95年当時より円安、増価のスピードも相対的に緩慢)

まず名目実効為替レートを見ると、2010年10月の水準はほぼ95年の水準と比べてやや円高となっている(前掲第2-1-1図(3))。しかし、実質実効為替レートでは、2010年10月で104であり、95年の151と比べるとはるかに円安である。この間、我が国はデフレないしそれに近い状態の下で、海外諸国と比べて物価が相対的に低下し、結果として我が国企業の輸出市場における価格競争力が向上したことを意味する。

この点は、輸出採算レートを見ることでも確認できる。内閣府「企業行動に関するアンケート調査」によれば、95年の年初時点での輸出採算レート(対円ドルレート)は104.0円であった。それに対し、2010年の年初の採算レートは92.9円である。円ドルレートが同じ80円程度であっても、現在の方が採算レートとのかい離が小さく、採算性への悪影響も相対的に小さいことを意味する(第2-1-2図)。

しかし、景気への影響を考えると、水準に加えて円高のスピードも重要である。初期時点での為替レートが採算レートに近い場合でも、そこから急速に円高が進めば、輸出企業は円高への対応が出来ないまま収益が大きく圧縮されることになる。そこで、実質実効為替レートの増価率を比べてみよう。95年1月から4月の4か月間をとると、14.4%の増価であった。これに対し、2010年4月~10月の6か月間で9.7%である。もう少し長い期間、例えば3年前の水準からどの程度円高が進んだかを比べても、やはり今回の方が円高のスピードが遅い。

このように、水準、スピードのいずれを見ても、95年当時と比べて今回が特に厳しいということではなさそうである。それでは、輸出環境や景気動向などをあわせて見るとどのように評価できるだろうか。

(今回特に厳しい側面は内需の弱さ、対外資産等の目減り、政策対応の余地)

同じ程度の円高であっても、輸出を巡る環境いかんではその影響が増幅される可能性がある(第2-1-3表)。まず海外景気の状況であるが、95年当時は、アメリカなど一部先進国の経済が回復局面にあったものの、一時減速を示していた。今回は中国などの存在感が増しているが、その中国の景気の拡大テンポは鈍化している。アメリカの回復テンポも緩やかになっている。その意味では、95年当時と今回で大きな差はない。また輸出の円建て比率もほとんど変化していない。これらの点からは、今回、特に円高の輸出への影響が大きくなっている根拠は見出しにくい。

次に、マクロ経済の状況を比較してみよう。GDPに占める輸出依存度はほとんど変わっていない。もっとも、今回はこれまでの景気が外需と経済対策にけん引されてきており、GDP成長率への輸出の寄与度が大きかった。この点は、内需が比較的強かった95年当時とは状況が違う。景気動向の厳しさに関しては、今回はGDPギャップのマイナス幅が大きいことも指摘できる。また、当時と比べると、対外資産(対GDP比)が累積し、円高で目減りしやすくなっている。経常収支の黒字幅(対GDP比)もやや大きいが、今回は所得収支に支えられた面が強く、輸出依存度が同じでも海外からの所得の目減りによる影響は大きくなっていると考えられる。なお、株価(日経平均)は95年の円高局面では20,000円前後から15,000円付近まで約25%下落しており、当時の方が大きく落ち込んでいる。

政策対応の余地も今回は相対的に限られている。94年度の国・地方の構造財政赤字はGDPの5.5%程度であり、95年度はこれを約1%拡大する形で財政面からの景気下支えがなされている。今回はリーマンショックを経て2009年度には財政赤字がGDP比10%を超えたと見込まれるなど、財政状況の厳しさは増している。金融政策についても、当時は政策金利の引き下げ余地が十分残っていた。さらに、国際協調の余地という点でも今回は条件が厳しい。すなわち、95年当時は、ドルの急激な下落への懸念が国際的に共有される中で協調介入等が行われ、我が国でも合計5兆円規模の資金を投入したことなどから、結果として秋頃には円ドルレートで100円程度にまで戻った。今回はこれまでのところ単独での介入である。

以上から、円高の景気下押しへの懸念に関して、今回の方が厳しい側面として、内需の弱さ、対外資産・所得収支の増加、政策対応の余地の相対的な少なさ、といった点を挙げることができよう。

コラム2-1 円高と為替介入

2010年9月、2004年以来6年振りに外国為替平衡操作(為替介入)が実施された。その規模は2兆円であった。我が国の為替介入の傾向を見ると、円売りドル買いの介入が実施回数、金額ともに大きい。ここでは、これまでの円売りドル買い介入を中心に、財務省でデータが公表されている91年以降の動向を時系列的に振り返ってみよう(コラム2-1図)。

90年代前半にはすう勢的な円高が続いていたが、この間、93年から96年にかけて断続的に合計10兆円を超える介入が実施されている。このときは95年7月に日米協調介入が実施されたこともあり、100円台にまで円安に戻している。次の大規模な為替介入は、98年下期のロシア財政危機、LTCM破綻を受け、140円から100円台にまで円高が進んだことから、99年から2000年にかけて10兆円規模で実施された。その後、ITバブル崩壊等もあり一度は円安に転じたが、2001年9月の同時多発テロ発生に伴い一時的に急速な円高が進んだ際には、3兆円規模の短期間の介入が行われている。

次の為替介入は、イラク情勢の緊迫化、ワールドコム破綻に伴う米会計制度への不信感の高まり等を背景に進んだ円高ドル安への対応のために、2002年5月から6月まで実施された。さらに、2003年に入りイラク情勢のさらなる緊迫化、アメリカのドル安容認への転換の憶測などから再び円高が進むと、2003年1月から2004年3月までに断続的に合計35兆円の介入が行われた。これは結果として史上最大規模の介入となったが、円高の流れを止めることはできず、2005年1月には101円にまで円高が進行した。その後は、2010年に再開されるまで為替介入は実施されなかった。

2 今回の円高の背景

為替レートは長期的には購買力平価のすう勢に沿って動くとされるが、実際には購買力平価から大きくかい離することも少なくない。いいかえれば、実質(実効)為替レートが大きく変動し、それが実体経済に様々な影響を及ぼす。実質為替レートの変動要因としては、経常収支や対外資産(累積経常収支)の動向、内外金利差、投資家のリスク回避姿勢などがしばしば指摘される。この点を調べることで、今回の円高がなぜ厳しく感じられるのかを改めて考えてみよう。

(経常収支の動向と為替レートの関係は不明確)

まずは経常収支である。かつては、経常収支は貿易収支に占めるウエイトが高く、我が国の貿易収支黒字の拡大がアメリカをはじめとする貿易相手国の批判を招くとともに、黒字で稼いだ外貨が大量に円に転換されることで円高圧力が生じるというストーリーに一定の説得力があった。そこで経常収支、あるいは貿易収支のGDP比を為替レートの動きと重ねあわせて見ると、90年代までは経常収支と為替レートはラグを伴いつつ連動していたことが分かる。しかし2000年代に入ってからは、こうした関係は失われている(第2-1-4図(1))。実際、外国為替市場における実需のウエイトは相対的に低く、貿易などのフローが相場に及ぼす影響は弱いと考えられる。

そこで金融的な側面が重要となるが、経常収支黒字の累積は対外資産を増加させ、それがリスクプレミアムを高めることで自国通貨を増価させるというメカニズムが知られている。ただし、我が国の経常収支黒字はGDP比で数%程度の水準を維持していることから、対外資産の累積ペースは過去も現在もそれほど大きく変わらない(第2-1-4図(2))。したがって、対外資産の増加がすう勢的な円高圧力として働いてきた可能性はあるが、それによって時々の為替レートの動きを説明しようとするのは無理があろう。

なお、対外資産の増加が潜在的な円高圧力となるか否かについては、資産の中身によっても違うことにも注意が必要である。一般に、対外直接投資の場合、取得した資産は長期にわたり現地で利用されると想定され、外国為替市場への影響はほとんどないと考えられる。

(円高ドル安の背景の一つに日米金利差の縮小)

次に考えられるのは、内外金利差である。最近では、円金利がドル金利と比べて恒常的に低い水準にあるが、アメリカにおける金融緩和期待などからその差は縮小傾向にある。そのため、相対的にドルの魅力が低下し、円高になるというストーリーである。理論的にいえば、回帰的期待形成の下で、ドル金利の低下に伴って将来のドル高が期待されるよう、現在はドル安になるということである。

そこで日米金利差として両国の2年物国債の利回りをとると、ここ数年は円ドルレートと同じような動きをする局面が多い(第2-1-5図)。特に、2010年5月以降はすう勢的に日米金利差が縮小してきており、為替レートもおおむね円高傾向で推移している。したがって、この間、マーケット参加者は上記のようなストーリーに焦点を当てているといえよう。このストーリーで相場が動く場合、2年物円金利はゼロに近く低下余地が限られているため、円ドルレートはアメリカの金融政策スタンスで一方的に動かされる傾向が強くなる。

ただし、金利差が為替レートに常に大きく影響を及ぼすとは限らない。例えば、最近でも2009年春頃には、日米金利差がほぼ一定にもかかわらず、円安が進行する局面があった。さらに、対ドル円レートが日米金利差に沿って動いている場合でも、対ユーロ円レートなどでは金利差とは無関係の動きが見られるなど、必ずしも一貫性のある関係とはいえない点には注意が必要である。

(円とドルは2000年代においては「逃避通貨」)

そのほかに最近しばしば指摘される要因として、投資家のリスク回避姿勢の高まりが挙げられる。金融危機や財政危機などで世界的にリスクが高まると、相対的に安全といわれる円に資金が逃避してくるというストーリーである。世界的なリスクの高まりを示す指標として、VIX指数1に着目しよう。同指数は、リーマンショックで急上昇したが、その後は2010年春頃までは低下基調にあった。しかし、同年5月にギリシャ危機が生ずると再び上昇し、その後は緩やかに低下したが10月時点ではギリシャ危機前の水準に戻っていない(第2-1-6図)。

VIX指数と円ドルレートを重ねあわせると、必ずしも規則的な関係は見出せない。確かに、リーマンショックの際やギリシャ危機のときには指数が上昇するとともに円が増価したが、両者が連動しないケースも多い。VIX指数との連動性が高いのはむしろドルインデックス(主要6通貨で構成した指標)であり、VIX指数に振れがあるものの、両者の間には緩やかな関連性が見られる。なおここでは示さないが、名目実効為替レートの場合もドルインデックスと似た動きであった。結局、円とドルはリスク回避の際に買われる「逃避通貨」という点では同じであり、円ドルレートをリスク回避だけで説明するのは難しいといえよう。

世界的なリスクの高まりを示すもう一つの指標として、OECDの世界景気についての先行指数(CLI)をとろう。2000年代について、主要な通貨の名目実効為替レートとCLIとの相関を調べると、円と米ドル、さらにスイスフランが逆相関を示しており、景気の悪化が懸念される状況で買われるという意味での「逃避通貨」であるといえよう。ただし、これらの通貨は90年代にはCLIと順相関であり、ある通貨が「逃避通貨」であるかどうかは固定的なものではないことが分かる。

なお、ウォンとCLIの関係を見ると、円とは逆に2000年代に入り、強い正の相関関係に変化していることが確認できる。韓国は完全変動相場制に移行したのが97年末と遅かった。これに加え、アジア通貨危機後、金融システムの強化を進めたものの、サービス収支の赤字幅が大きく経常収支が不安定であることから、外貨繰りに懸念が生じやすい。また、韓国の経済規模が相対的に小さいこともあり、国際的な金融危機が発生した場合には、ウォンは下落しやすい傾向があると考えられる。2000年代における円とウォンの関係を見ると、両者には強い負の相関関係が確認された。

3 ウォン安の衝撃

近年のウォンの動向については、産業界を中心に我が国経済への影響を懸念する声が強い。この背景には、前述のように、リーマンショックの前後でウォンが対ドルで大幅に減価する一方、円は大幅に増価し、結果として円がウォンに対して二重に増価したことが挙げられる。そこで、我が国にとってのウォン安の影響を考えるため、購買力平価の動きや実効為替レートの変化におけるウォンの寄与を確認するとともに、ウォン安の影響がクローズアップされやすい背景を探ってみよう。

(2008年に大幅なウォン安が進んだが実質レートでは2000年時点の水準)

ウォンの対円レート、対米ドルレートの動きを、それぞれの購買力平価(生産者価格ベース)と対比しながら振り返ってみよう(第2-1-7図)。なお、ここでは、実勢相場と購買力平価の基準年を、アジア通貨危機の影響が一服した2000年とした。円-ウォンの購買力平価は、我が国におけるデフレ傾向を反映して、緩やかながら円高方向で推移している。ドル-ウォンの購買力平価は、リーマンショック後に幾分ウォン安となっている。

一方、実勢レートを見ると、ウォンは2005年頃から上昇を始め、2007年半ばには購買力平価より5割程度のウォン高となった。その後、この動きは逆転し、特にリーマンショックを契機に購買力平価よりウォン安の水準に達したが、2009年半ばには再び購買力平価の近辺に戻っている。対ドルでも、基本的な構図は対円と似ており、2007年まではウォン高、リーマンショックの前後で下落し、その後は再び増価しておおむね購買力平価の近くに戻っている。

2010年時点で実勢レートが購買力平価の水準に近いということは、二国間の相対価格の変化で調整した「実質レート」でも基準年である2000年の水準に戻ったことを意味する。しかし、企業の景況感にとっては水準に加え変化の方向とスピードが重要であり、特に2008年における変化が大きく、その後も2007年の水準には戻っていないことが、我が国企業のマインドに大きな悪影響を及ぼしていると考えられる。

(2008年における円の実効為替レートの増価にはウォンが大きく寄与)

ウォンは2008年中に大きく下落し、その後は相対的に小幅な動きであったことを見たが、こうしたウォンの変動は他の通貨との対比で我が国の輸出競争力にどの程度の影響を及ぼしたのだろうか。この点を、円の名目実効為替レートの変化を通貨別の寄与度に分解することで調べてみよう(第2-1-8図)。

ここでは、旧実効為替レート(16か国ベース)での通貨別ウエイトを用い、各年の1月から12月までの変化率を図示した。それによれば、2008年中に実効為替レートが大幅に増価しているが、予想されたように、ウォンの寄与が最も大きい。それに次いで、ドル(米ドルと、それにペッグされている香港ドルをあわせたもの)、ユーロが寄与している。また、2009年には実効為替レートは幾分減価したが、2010年(7月まで)にはそれ以上に増価した。ただし、2010年の増価にはユーロの寄与が最も大きい。ウォンは2009年の減価と2010年の増価がほぼ相殺されている。

なお、実効為替レートの算出で用いるウエイトを見ると、2000年代においては韓国の割合が高まっている。ここでは、上記の寄与度分解に用いた簡便な旧実効為替レート(16か国ベース)のウエイト、BISが公表している2種類のウエイトの推移を見てみよう。BISのウエイトは第三国市場も含めた輸出競争力を把握するようになっている。いずれのウエイトにおいても、我が国の競争相手として韓国のプレゼンスが増していることが分かる。

(一般機械、輸送用機械ではウォン安によって我が国の価格競争力が低下)

このようなウォン安、円高は、両国の輸出物価(契約通貨ベース)にどう影響したのだろうか。予想されるのは、ある程度のラグを伴いつつ、韓国の輸出物価が下落、我が国の輸出物価は上昇し、我が国にとって相対価格が不利になることである。両国の輸出物価全体を見れば、確かにそうなっている。しかし、品目別では動きが異なっている(第2-1-9図)。

汎用品のウエイトが高いと考えられる化学製品、繊維品では、いずれの品目においても、日韓の輸出物価は非常に似た動きをしていることが分かる。これらは品質等による差別化が図りにくい状況にあり、国際的な競争の中で価格が決定され、為替レートの変動を輸出価格に反映することが難しい。このため為替レートの変動を自国通貨建ての輸出価格に吸収せざるを得ない品目と考えられる。

一方、電子部品・デバイス、精密機器については、我が国の輸出物価が緩やかな下落、あるいは上昇を示しているのに対し、韓国の輸出物価は相対的に急激な下落を示している。為替レートの変動とは必ずしも対応した動きになっていない。この背景として、韓国における技術進歩がすう勢的に速いことが考えられる2。我が国は価格面で韓国に対し不利になっているが、ウォン安が主因というわけではなさそうである。

一般機械及び輸送用機械の動きを見ると、リーマンショックまでは、韓国の輸出物価が基調的に上昇を示していた。この要因として、化学製品、繊維品といった汎用品と同様、ウォン高が進んだことが考えられる。しかし、リーマンショック後にウォン安が進んだときには汎用品ほどには価格水準は落ち込んでいない。このことから、両業種については通貨安はウォン建てでの利益確保につながっていると推察される。この間、我が国の輸出物価は高止まりしていることから、我が国の方が価格競争の面で不利になっていることは確かである。

(我が国が得意としてきた分野で韓国の比較優位が改善)

以上のような為替レートや価格競争力といった点に加え、そもそも、国際貿易において韓国のプレゼンスが構造的に高まっていることが、ウォン安に対する産業界の強い懸念の背景にあると考えられる。具体的には、第一に、世界貿易に占める韓国のシェアが高まっていること、第二に、我が国の得意分野で韓国が比較優位を高めてきたことが指摘できる。

第一の点については、世界の輸入に占める日本、韓国のシェアを対比することで容易に理解できる(第2-1-10図(1))。図では、名目ベースのシェアに加え、為替レート変動の影響を除くため、実質ベースのシェアも試算している。これによれば、いずれの指標で見ても、我が国のシェアが頭打ちであるのに対し、韓国のシェアは2000年代を通じて高まっている。2009年における韓国のシェア上昇にはウォン安の影響が含まれている可能性があるが、それ以前からすう勢的に上昇してきていることに注意が必要である。

第二の点は、貿易特化指数(輸出入合計に対する純輸出の割合)を比べることで調べてみよう(第2-1-10図(2))。まず、鉄鋼、一般機械といった大括りの品目分類(HS2桁)では、2000年と2009年の対比で、科学光学機器や電気電子機器などで日本の比較優位の水準低下と韓国の上昇が同時に生じている。そこで、これらの品目をさらに細かい分類(HS4桁)で見ると、蓄電池、携帯電話などで日本の比較優位低下と韓国の上昇が顕著である。光ファイバー等や液晶デバイスでは、我が国の比較優位水準に変化はないが、韓国の比較優位水準が顕著に上昇している。

コラム2-2 国際通貨としての円の地位

円は国際通貨としてどのような位置づけにあるのだろうか。BIS、IMFデータを用いて、外為取引と外貨準備における各国通貨のシェアを調べることで、国際通貨としての円の地位の変遷について確認したい(コラム2-2図)。

世界の外為取引における通貨別シェアを見ると、ドルが89年から一貫して常に4割以上を占めており、外為取引において高いシェアを維持していることが分かる。ユーロ(98年以前は独マルクと仏フランの合算値)は通貨統合を経て国際通貨としての位置づけが高まっているといわれるが、同通貨のシェアは2割程度にとどまっている。一方、円のシェアはすう勢的に低下を続け2007年時点では1割未満にまで落ち込んでいる。

各国通貨当局の保有外貨に占める通貨別シェアでは、87年以降、ドルが一貫して5割を超えており、外貨準備としても依然として重要性が高い。この間、ユーロ(98年以前は独マルク、仏フラン及びECUの合算値)はその導入以降、急速に外貨準備における地位を高めてきた。円は91年をピークにシェア低下が続いており、2009年末にはピーク時の半分以下に落ち込んでいることが分かる。なお、図には示していないが、通貨当局を先進国と新興国に分けると、先進国ではドルのシェア上昇が著しいのに対し、新興国ではユーロのシェアが高まっている。円については先進国、新興国のいずれにおいてもシェアが低下している。

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