第2節 財政と貯蓄投資バランス
世界的な金融危機に伴う景気後退を受け、各国は大幅な財政出動を行った。そうした対策の効果もあって、世界の景気は依然足取りが脆弱ながらも改善の方向に進んでいる。こうしたことから、国際会議などでは財政健全化に向けた準備についての議論が始まっている。例えば、2009年9月のG20ピッツバーグ・サミットでは、「出口戦略を準備し、適切な時に、財政責任に対する我々のコミットメントを維持しつつ、例外的な政策支援を協力的かつ調和した方法で元に戻す」との文言が首脳宣言に盛り込まれた。本節では、日本と主要先進国の財政状況を比較しながら、景気動向の財政収支への影響、財政再建の景気への影響、財政部門を含めた内外の貯蓄投資バランスの状態を明らかにする。
1 財政の自動安定化機能
一般的には、景気が持ち直しを続ければ、税収増や失業給付等の歳出減が期待され、財政改善要因になると考えられている。しかし問題は、こうした景気循環による受動的な財政収支の改善にどの程度期待していいかということである。ここでは、OECDのデータベースから、日本、アメリカ、ユーロ圏の財政収支の動向について分析し、日本の特徴を抽出する。
(景気循環による受動的な財政収支改善は限定的)
まず、各地域の財政収支について、景気変動に伴う受動的な収支(循環的財政収支)と、裁量的な政策に伴う収支(構造的財政収支)に分けて比べてみよう。その結果、次のような点が指摘できる(第3-2-1図)。
第一に、各地域とも、財政赤字の大部分は裁量的政策によるものであり、景気が回復したとしてもそれによる受動的な収支改善効果は限定的である。すなわち、日本、アメリカ、ユーロ圏のいずれにおいても、財政赤字の大部分は構造的財政赤字であることが分かる。例えば、OECD予測による2009年の日本の財政赤字は7.4%程度(潜在GDP比、一般政府ベース)であるが、そのうちの6%ポイント強程度が裁量的財政政策による構造的財政赤字であると試算されている。したがって、今後、景気が持ち直しを続けても、それによって期待できる財政収支の改善は財政赤字全体に比して小さな割合にとどまると予想される。実際、2005年から2008年前後にかけて、各地域ともGDPギャップがプラスになるような景気拡大が続いたが、それによる循環的財政収支の改善は全体の財政赤字に比べると小規模なものとなっている。
第二に、特に日本は景気循環に伴う受動的な財政収支改善の程度が小さい。GDPギャップ(景気循環の代理変数)と循環的財政収支の相関関係を見ると、日本はユーロ圏に比べて相関が低く、アメリカと比べても幾分相関が低くなっている(第3-2-2図)。すなわち、今後、これらの地域が同程度のペースで景気回復を実現したとしても、日本はより積極的な財政健全化努力を行わなければ、財政赤字の縮小ペースは相対的に鈍い可能性が高い。
(日本は財政の自動安定化機能が働きにくい)
循環的財政収支の変動は、例えば、景気拡大期には税収増や失業給付減などの受動的な財政緊縮(収支改善)によって景気の過熱を防ぐ効果、景気後退期には税収減や失業給付増などによって財政が景気拡張的に働く効果を表していると解釈できる。こうしたことから、循環的財政収支の規模は、いわゆる財政の自動安定化機能の働き度合いを示しているとされる。そうすると、我が国では景気循環に伴う受動的な財政収支改善の程度が相対的に小さいということは、逆に、景気後退局面では、財政による景気の自動安定化機能が働きにくいことを意味する。それでは、なぜ日本では財政の自動安定化機能が働きにくいのだろうか。
財政の自動安定化機能を左右する要因としては、経済規模に占める政府部門の大きさ、あるいは税の累進構造や失業給付など社会保障の制度設計の違いなどがある。OECDの分析によれば、こうした国ごとの財政構造の違いを考慮すると、日本はアメリカや韓国等と並んで自動安定化機能の弱い国として分類される9。他方、高福祉高負担の北欧諸国などヨーロッパ諸国は概して自動安定化機能の強い国と分類されている。
確かに、一般政府の支出規模(名目GDP比)について、日本、アメリカ、ユーロ圏の3地域を比較すると、日本が37.1%と最も小さく、次いでアメリカが39.0%、ユーロ圏が最も大きく46.8%となっている(OECDデータによる2008年の値)。第3-2-2図で見たように、景気循環に伴う受動的な財政収支改善の程度が、日本はアメリカやユーロ圏と比べて小さいことと整合的である。また、政府の支出規模に加え、日本の場合、財政規模に比した税収の割合が低いことも自動安定化機能を弱めている要素になっていると考えられる。
(日本は個人所得税など累進的な税収弾性値が低い)
次に、税率の累進構造などを含めた財政の景気に対する感応度を調べてみよう。具体的には、OECDが循環的財政収支を算出するために用いている各国の税収等のGDPに対する弾性値を比較する(第3-2-3図)。その結果の要点は以下のとおりである。
第一に、日本は法人税収の弾性値こそアメリカやユーロ圏に比べて高いものの、個人所得税や社会保険料(アメリカでは社会保障税)などのGDP弾性値が低い。一般に、個人所得税や社会保険料は所得に対して累進的な構造を有する場合が多いことを考えれば、課税最低限の扱いや種々の特別措置などを含めた実質的な税の累進性が、日本はアメリカやユーロ圏に比して小さいことが示唆される。
第二に、失業給付などを含む経常支出のGDP弾性値もアメリカやユーロ圏に比べ日本は低い推計となっている。ただし、税や社会保険料に比べればその差は小さい。こうした結果、GDPの変動に伴う循環的な財政収支全体の変動は、日本はアメリカと同程度かやや小幅であり、ユーロ圏と比べれば明確に小さいものと試算されている。
以上のような日本の財政構造を踏まえれば、景気循環による受動的な財政収支の改善には限界があり、多くを期待することはできない。日本は債務残高のGDP比など財政状況が他国に比して悪いというだけでなく、財政構造的にも景気持ち直しによる収支改善を期待しにくい状態にある。また、景気改善とともに物価や賃金上昇率が高まれば、年金や医療給付費等の経費が連動して増加する面もあり、税収増による収支改善はある程度減殺されると見込まれる。財政健全化に当たっては、経済成長による果実を期待するだけでなく、意識的な財政収支の改善が求められる。
2 財政再建と景気
財政健全化に当たっては、それが景気に及ぼす影響を意識しつつ進める必要がある。現在のように大幅な需給ギャップを抱え、先行きの不確実性が高い状態では特にそうである。しかし、財政再建が常に景気にマイナスかどうかは自明ではない。ここでは、財政再建のための緊縮政策が必ずしも景気に悪影響を与えるとは限らず、むしろ、財政悪化時においては民間需要を拡大する可能性があるという、いわゆる非ケインズ効果について検討を行う。
(80年代半ばのデンマークなどで非ケインズ効果が観察)
非ケインズ効果とは、一般に、増税や歳出削減といった緊縮的な財政政策が経済環境や財政状況によっては景気にプラスの影響を与えることをいう。いくつかの先進国について、財政収支と家計最終消費支出の動きを眺めてみよう(第3-2-4図)。
80年代半ばのデンマークやベルギー、80年代後半のアイルランドやカナダにおいては、財政収支の積極的な改善が行われた。特に、デンマークとアイルランドの財政収支の改善幅は非常に大きい。このような財政緊縮が行われると、一般には、可処分所得の減少や消費者マインドの悪化などを通じて個人消費は増勢が鈍化するか減少に転ずると予想される。しかし、 これらの国では、当該期間の家計最終消費支出が大きく落ち込むことはなかった。以上のデ ータだけからはそれほど明確ではないが、より厳密な実証分析によれば、これらの国では緊 縮的な財政政策がむしろ民間消費を増加させ、非ケインズ効果が観察されたとする研究結果が得られている10。
また、その効果は、財政状況が悪化しているときほど強くなるとも指摘される。財政状態がそれほど悪くない時期には、財政支出が民間需要を刺激する、いわゆるケインズ効果が働きやすい一方、既に財政状態が悪化している場合には、非ケインズ効果が働きやすいと解釈されている。これは、財政状況があまりに悪いと、将来の大幅な増税や歳出削減が惹起される一方、その環境下において緊縮財政を行えば、逆に将来の大幅な増税等が回避されるという予想が生じ、現時点の消費はむしろ増加するなどと説明される。また、財政再建が大規模かつ持続的な場合にこうした効果が表れやすいとも指摘されている11。今後、世界各国が財政健全化に向けた準備を始めるに当たり、非ケインズ効果が表れやすい状況を確認することは一つの有益な情報となろう。
(財政悪化時には、政府消費の増加は民間消費の増加に結びつきにくい)
ここでは、先行研究にならい、可処分所得などの一般的な民間消費の決定要因に加え、増減税や社会保障移転、政府消費の増減といった財政政策が民間消費に与える影響について、OECD諸国を対象に財政状態が特に悪化した場合とそうでない場合を分けて推計する12。その上で、財政状態が悪い場合に非ケインズ効果が表れる傾向があるか否かを確認する。なお、この試算では入手可能な67年から2008年のOECD19か国のデータを用い、便宜的に、構造的財政赤字の対潜在GDP比が6%以上のとき(パネルデータ全体の1割に相当)を「財政悪化時」、それ以外を「通常時」と定義して、パネル分析を行った。試算結果を見ると、次のような点が指摘できる(第3-2-5図)。
第一に、増減税、移転支出、政府消費ともに、通常時と財政悪化時で係数の符号は変わらない。すなわち、財政悪化時であっても純粋な意味での非ケインズ効果は観察されない。例えば、増税が民間消費を増加させたり、追加的な財政支出が民間消費を減少させたりする効果はこの試算からは見られない。
第二に、増減税と移転支出については、通常時、財政悪化時のいずれにおいても、民間消費に与える効果が統計的にはゼロとみなすことができる。すなわち、いずれも効果を持たず、 その点では財政状態によって効果に差があるとはいえない。
第三に、政府消費の民間消費に与える影響については、符号こそ変わらないものの、通常時と財政悪化時ではその大きさが明確に異なっている。通常時では、政府消費の増加が民間 消費の増加につながる関係にある一方(政府消費1%の増加は民間消費0.1%程度の増加につながる)、財政悪化時にはその関係は見られない。すなわち、財政悪化時には、通常時に見られたような政府消費拡大によるケインズ効果は検出されなくなっている。逆にいえば、財政悪化時においては、財政再建の手段として政府消費を削減したとしても、民間消費を抑制する影響はほとんどないということになる。
政府消費は、同じ財政支出でも、年金給付のように最終的には民間主体の所得となる移転支出と異なり、公務員給与や現物社会給付、物件費など政府が直接支出主体となる支出項目である。この意味で、財政悪化時に更に政府消費を拡大する政策を行ったとしても、それによる民間消費の誘発効果はほとんど期待できず、逆に政府消費を削減したとしても、民間消費に悪影響を与える可能性は低いという結果は理解しやすい。もちろん、この試算はOECD19か国を対象にした推計であり、あくまで一般的な傾向を示す試算に過ぎない。しかし、リーマンショック後、日本を含め世界各国が「財政悪化時」に該当する可能性が高いことに鑑みれば、景気刺激策としての政府消費の拡大には慎重さが求められるとともに、財政再建のための政府消費削減には通常時よりも積極的に取り組んでもよいということを示唆している。
3 財政赤字のファイナンス
ここでは、日本を含め世界各国の財政赤字が拡大する中で、財政赤字はどのようにファイナンスされているのか、その傾向は今後も続くと見込んでもよいものなのか、といった論点について整理する。
(企業の貯蓄超過が財政赤字をファイナンス)
日本の部門別資金過不足(貯蓄投資バランス)を見てみると、90年代後半以降、財政赤字の継続から政府の資金不足が続く一方、それを家計と企業の資金余剰でファイナンスしている構図になる(第3-2-6図)。特に、企業が資金不足から資金余剰に転化したことが90年代後半以降の特徴であり、政府の財政赤字拡大を企業がファイナンスする要素が強まっている。しかし、この傾向は今後も続くと考えてよいものだろうか。
企業部門の貯蓄投資バランスを見ると、90年代前半は投資超過であったものの、90年代後半以降は貯蓄超過主体となっている(第3-2-7図)。その内訳を見てみると、2000年代に入り、純貯蓄が増加する一方、投資から固定資本減耗を差し引いた純投資(純固定資本形 成)が減少することで、貯蓄超過に転じ、資金の供給主体となった。この間、純貯蓄の源泉となる営業余剰はおおむね横ばいで推移する一方、企業の支出となる利払い費が顕著に減少した。すなわち、収入の増加による貯蓄増加ではなく、支出の減少による貯蓄増加であった。90年代後半以降、企業は金利低下の下で有利子負債の圧縮努力を行い、利払い負担の軽減に成功した。これが企業の貯蓄超過に大きく寄与したといえる。
こうしたことを踏まえると、金利の低下余地が限られる中、企業が更なる利払い負担の軽減に取り組んだとしても限界がある。さらに、今後、景気の持ち直しが続き、企業の設備投資意欲が回復してくれば、これまでのように企業の貯蓄超過が継続するとは言い切れないだろう。財政赤字のファイナンスを企業の貯蓄超過に依存する構造は今後弱まっていく可能性は高い。
(世界の貯蓄投資バランスは変化)
リーマンショック後、各国は揃って財政支出の拡大を行った。これは世界の貯蓄投資バランスから見て、大きな変化である。拡大した財政赤字のファイナンスは今後、世界的な課題となろう。世界全体の貯蓄投資バランスを見ると、次のような点が指摘できる(第3-2-8図)。
第一に、2000年前後から2008年にかけて、アメリカの貯蓄不足と、産油国や中国を中心とするアジア諸国の貯蓄超過がともに拡大することで、いわゆるグローバル・インバランスが拡大を続けた。国境を越えた資本移動が活発化した時期ともいえる。
第二に、しかしながら、国際通貨基金(IMF)の予測によれば、リーマンショックが起きた2008年から2010年頃にかけて、アメリカの貯蓄不足が急速に縮小する。同時に、世界経済の低成長やそれに伴う原油価格の低下から、産油国の貯蓄超過は大きく減少し、中国等の輸出国の経常黒字も縮小することが見込まれている。その結果、グローバル・インバランスは縮小に転じ、世界的な資金融通活動は縮小すると見込まれる。
第三に、2011年以降は、世界経済の回復基調を前提に、原油価格の上昇から再び産油国の貯蓄超過が拡大するとともに、輸出産業の回復等から中国の貯蓄超過が拡大基調に戻ると予想されている。しかし、アメリカの貯蓄不足(消費過剰)はリーマンショック以前の半分程度にしか戻らないと見込まれている。さらに、第3-2-8図で取り上げた国々の貯蓄投資バランスは、全体として貯蓄超過傾向で推移することになり、2000年代半ば頃までの貯蓄投資バランスとは逆の姿となっている。
(財政収支と長期金利の間に負の相関)
こうした世界の貯蓄投資バランスの変化は、各国の財政赤字のファイナンスにも影響を与える可能性がある。その一つが、長期金利を通じた影響である。ここでは、財政収支と長期金利の関係について、世界の貯蓄投資バランスが変化する2008年前後でどのように変化したかを考える。
世界的な景気安定化が見られた2004年前後から2007年前半にかけて、主要先進国の長期金利は、時々の振れはあるものの、おおむね安定的に推移してきた。例えば、日本、アメリカ、ユーロ圏の実質長期金利(10年債利回り)のばらつき度合いを標準偏差で見ると、2004年前後から緩やかな低下傾向で推移している。先進国の長期金利には収れん傾向が見られた時期といえる。しかしながら、アメリカや欧州を中心にサブプライムローン問題が顕在化した2007年後半以降、長期金利の収れん傾向は逆転し、再びばらつき度合いが拡大している(第3-2-9図)。各国の長期金利はグローバルな要因のみならず、各国固有の要因に左右される要素が再び高まってきた可能性がある。そういう要因の一つとして、各国の財政状況の違いが考えられる。
この点を確認するため、OECD諸国を対象に、財政収支と長期金利の関係をプロットしてみよう(第3-2-10図)。まず、80年から2008年の長期的な相関関係を見ると、財政収支と長期金利には明確な負の相関関係が観察される。すなわち、財政赤字が悪化している国及び時期ほど長期金利は上昇しやすい傾向が見られる。しかし、長期金利に収れん傾向が見られた2004年から2007年については、財政収支と長期金利に統計的に負の相関は見られない。この時期は自国の財政収支と長期金利の関係をあまり意識せず、財政赤字をファイナンスすることが可能であったともいえる。他方、2008年以降の3年間(2009年以降はOECDによる見通し)については、依然として統計的な意味での明確な相関はないものの、近似線は負の傾きとなっている。今回の世界的な景気悪化を受けて、財政収支と長期金利の関係は過去の平均的な負の相関に回帰し始めているようにも見える。国債市場の参加者は国ごとの財政リスクを再認識し始めた可能性があり、各国の政策当局が財政政策を行う際には、それが長期金利に与える影響を今まで以上に意識して取り組む必要があることを示唆している。