第4章 識者の意見
池上 清子
日本大学総合社会情報研究科教授、
前国連人口基金東京事務所長
「子どもが産める社会をつくることの責任」
今から約20年前の1994年、国際人口開発会議において、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康・権利)という考え方が提唱された。すなわち、子どもを産むか産まないか、いつ産むか、何人産むかは、個人やカップルが自由にかつ責任を持って決めることであるという考えである。以来、世界的には人権の一部と考えられている。そのための情報と手段を得る権利を誰もが有している。日本では残念ながら、この考え方がいまだ十分に浸透しているとは言えない。
オランダやデンマーク、スウェーデンといった国では、人工妊娠中絶が少ない。それらの国で共通しているのは、産む・産まないということについて、男性と女性がきちんとコミュニケーションをとることを重視していることだ。長いライフサイクルにおいて、子どもを産むということは大きなライフイベントであり、思春期においては性教育が重要であること、かつ、そのことを社会が認めるということが大切である。性教育というと、日本では中学校の女子生徒に避妊について教えることと考えられがちであるが、妊娠、出産、子育てをトータルに科学的に教えるべきだ。オランダでは理科の授業で妊娠・出産のプロセスのみならず、子どもの発達、人間関係などを含んだ、人間をトータルにみる、いわば、「人間学」を実施している。途上国を含めたグローバルヘルスの観点からも、「ケアの継続性」として、思春期から親になる準備(心を含めて)が重要であることが、国際社会で指摘されている。日本では、望まない妊娠の結果、子どもの虐待が増えている現実もある。生まれてくる子どもに対し愛情を持って受け入れられる環境(心理的、経済的)の下で、子育てを楽しめる社会を整えることが、必須である。
最近では子育ての大変さがクローズアップされ、子育てに対して良いイメージを持ちにくくなっている。子育てが人生の楽しいことの一つだと思え、子どもを育てることによって人間として幅の広い人格を備えることにつながる点にも着目したい。男性の育児休暇取得が会社から後ろ指を指されるような状況はあってはならない。社会全体が男女の働き方を見直すことが重要であり、正社員・非正規社員の区別なく、産休・育休を取得できる環境を整え、企業の社会的責任を果たすべきである。
子どもを産む・産まないは、個人の問題であるため、政府が口を出す問題ではない。しかし、産みたいと思っている人が、二人、三人と、希望する子ども数を産める環境を整えることは、一義的には人権を尊重する社会を構築することであり、また、結果として、政府ができる少子化対策にもつながるはずだ。
身近な地域社会や、民間企業、大学をはじめとする教育の場、自治体や政府の様々な関係者が、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの考え方をしっかり理解することが、「子どもが産める社会をつくる責任」を果たすことになるのではないか。