第4章 識者の意見
原 俊彦
札幌市立大学デザイン学部教授
「子どもを持つ権利を社会が保障することが必要」
いまの日本で起きている少子化の現状をどう捉えるべきか。この背景には、「人口転換」という大きな歴史的変化がある。人類社会は多産多死社会から、少産少死社会に変化してきた。これは、当初ヨーロッパだけの事象だと受け止められていたが、戦後日本でも起き、さらに東アジア全体に広がり、世界中で遅かれ早かれ起こるということがわかって来た。
具体的な現象としては死亡率が低下し、長寿化する。それに合わせるようにやや遅れて出生率も低下してゆき、生まれる子どもの数が少なくなる。このこと自体は特に問題ないのだが、結果的に何が起きるかというと、長寿化と少子化が進むため年齢構造が変化してゆき、高齢者だけが増加し続けることになり、扶養負荷、すなわち世代間の関係に変化が生じてくる。
さらにその後、人口転換の最後のほうでは出生力が人口置換水準を割り込むという現象が見られるようになってきた。これが起きると、ただ高齢化が進むだけでなく、高齢化が加速化する。それと同時に、最終的には人口が急速に減少するということが起きてくる。
では、なぜ出生率が低下してきたのか。「家族の再生産戦略」と呼んでいるのだが、日本の人口転換では、過去一貫して家族への資源配分の最適化が行われてきた。このこと自体は大きく変化していない。基本的に、平均寿命が延びるにつれ、女性は子どもの数を抑え、多産に伴う母子の生活(死亡)リスクを抑える傾向が見られた。ところが、これが2子(再生産水準の下限)まで進むと、それ以上は子どもの数を減らすことはできない。その後、さらに子どもと母親の健康や幸せといったことを考え、資源をよりよく投入するために、今度は結婚するタイミングを後ろにずらすということが起きてくる。少しでも遅い時期に結婚し、自分自身の学歴も高くして、より良い職場、よい良いパートナーに恵まれて、公私ともにさらに豊かな生活を目指すことになる。その結果、良いパートナーに恵まれない、あるいはチャンスを逸して生涯未婚で終わる、あるいは結婚するのだが遅くなり子どもができない、できても1子で終わるという現象も起きてくる。
したがって、現在の状態から、人口置換水準を回復するための基本条件としては、本人+子どもの選択リスクを低下させなければいけないということになる。具体的には早く結婚し早く子どもを産む場合も、十分、豊かになる可能性を社会が保障してあげることが必要になる。
また「就業と子育て」あるいは「子育てのみ」の場合と、「就業のみ」の場合の、女性や子どもの生活リスクをバランスさせる必要がある。そのための様々な支援策を講じてゆくべきだろう。
さらに、大事な点は、財政上の原資の問題で、そのためには社会保障システムを高齢者扶養から若年扶養へ、つまり家族形成期の人々を支援する方に大きくシフトさせる必要がある。理由は非常にはっきりしていて、出生力が再生産水準を切っている限り、社会システムの持続可能性は失われ、遠からず社会は崩壊してしまう(ので、高齢者中心の制度は維持できなくなる)。優先順位からみても子育て・家族形成にシフトする以外にないといえる。
結婚しない、産まないという自由が認められるのと同様、結婚する、子どもを産む(特に早い時期に)権利も社会が保障しなければいけない。再生産の自由を保障すること自体が、社会の存在意義でもある。子どもを産み育てることは個人だけの問題ではない。社会全体で支えていかなければならないという発想に立ち、女性が自らの自己実現を可能にすると同時に子どもも産める、そのことを社会が支える仕組みをつくる必要がある。
よく少子化対策について政府や自治体が婚活事業に乗り出すのはいかがなものかという議論があるが、現在と昔では状況が全然違う。特に地域で人口が減っているところでは結婚相手も滅多には見つからない。そういう状況の中で、個人の努力で、といってもなかなか難しいものがある。本人が結婚したいと思っているのであれば、それを行政が支援することは何も悪いことではないだろう。社会全体で個人の再生産する権利を保障してゆくようにしなければいけない。そう考えれば、できることは何でもやってあげましょうというのが正しい考え方ではないだろうか。