第3節 雇用面の動き

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80年代後半日本経済は高い成長率を記録するとともに,電気機械産業などで幾つかの企業は技術的に世界をリードする企業となった。この結果,長期的な経営を可能とするいわゆる日本的経営システムは,生産性の面で世界をリードするシステムであるといった認識までみられていた。ところが,バブル崩壊に伴って長期的に景気が低迷し,日本的経営システムについての認識も悲観的なものに変化してきている。なかでも,長期雇用慣行は企業の再編を進める上で阻害要因となっているとの指摘もある。

ここでは,これまでの雇用削減やいわゆる過剰雇用(企業が過剰と感じる雇用。景気,生産の動向等により変動する-もの)の実態をみるとともに,日本の長期雇用をめぐる環境にどのような変化がみられ,その結果企業にとっての長期雇用のメリットやデメリットがどのように変化しているのかといったことを中心に概観し,雇用削減に対する対処の仕方について検討することにする。

1 いわゆる過剰雇用の実態

(大幅に増加した企業の都合による失業)

近年,特に中高年のホワイトカラー層を中心に企業は雇用過剰感を高めているとみられ,失業者が大幅に増加している。成長率と失業率の変化の間は有意に負の相関(オーカンの法則)がみられるが,98年度は失業率の上昇幅が特に大きく,98年度の大幅なマイナス成長のほか,企業による雇用削減も失業率の上昇に影響を与えた可能性がある。(第2-3-1図)。総務庁「労働力調査特別調査」によると99年2月の完全失業者は313万人で,そのうち前の仕事をやめたため求職している離職失業者は216万人と前年と比べ51万人(30.9%)増加している。このうち,会社倒産・解雇・希望退職等の雇用削減に関わる失業の占める比率をみると,特に35~44歳や45~54歳で高くなっており,それぞれの年齢階層全体の44.8%,59.0%となっている(第2-3-2図)。

こうした雇用削滅によるものとみられる,定年以外の非自発的な失職率は,近年急上昇しており,99年は89年から92年の平均の3倍を超える2.93%を記録している(第2-3-3図)。ただし,この動向についてアメリカと比較すると最近日米の失業率がほぼ同水準になりつつある中で,アメリカの失職率は,%を超える水準で推移している。日本ではこれまでも非自発的な失職率が上昇してきたが,今後企業がいわゆる過剰雇用を更に削減したり経営をより収益重視にシフトさせていくことに伴って,非自発的な失職率が上昇していくことが懸念される。

(マクロ的にみたいわゆる過剰雇用の実態)

マクロ的にみたいわゆる過剰雇用は,どの程度の規模と考えられるであろうか。日銀短観の雇用人員判断D.I.から推計すると,99年3月末時点では228万人と景気の後退に伴って大幅に増加している(第2-3-4図)(1)。

業種別に雇用過剰感をみると,おおむね業種間の動きは似通っている。ところが,職種別労働者の過不足判断D.I.をみると,どの職種もより過剰となる傾向にあるが職種ごとに動きが異なっており,おおむね以下の四つに分類される。①雇用過剰感が景気循環に合わせて大きく変動しており現在過剰感が高まっている職種:単純工,技能工などの生産労働者,②雇用過剰感の変動幅が小さいが恒常的に過剰感が高い職種:事務,管理労働者,③雇用過剰感の変動幅が小さくおおむね過不足のない職種:運輸・通信,販売,サービス労働者,④雇用過剰感の変動幅が小さく傾向的に不足感の高い職種:専門・技術労働者,である(第2-3-5図)。

これに加えて雇用調整速度を職種別にみると,①の生産(ブルーカラー)労働者は高く,②③④のホワイトカラー労働者は低くなっている可能性がある(2)。

こうしたことから,ブルーカラー労働者は雇用過剰感が高いがこれは主として景気後退に伴って製造業や建設業の生産が大きく低下したことが影響しており,雇用調整も比較的早期に行われる可能性がある。他方でホワイトカラー労働者の中では,事務・管理労働者が景気循環にかかわらず傾向的に過剰感が強く,企業による雇用維持努力もあって,雇用調整が緩やかなものとなっており,ひとたび過剰感が高まると調整が長引く構造になっている。

したがって,今後経済が回復過程に入っても,事務・管理労働者については引き続き過剰感が存在し,職種の転換などの対策が困難な場合には,失業が長期にわたって発生してしまう可能性があろう。

2 長期雇用の比率を低下させる要因

以上にみたような,雇用削滅の急速な進展に伴って,日本の雇用制度の特徴とされてきた長期雇用が無くなるのではないかといった懸念が生じている。以下では,長期雇用を取り巻く環境のどの部分が変化してきているのがについて,概観する。

(90年代に入って高まった減収企業割合)

80年代と90年代の上場企業の売上高の伸びの分布をみると90年代に長期にわたって低成長が続いたことにより,売上の伸びが大幅に低下している。この結果80年代を通じて売上の伸びがマイナスであった企業の割合は10.8%にとどまっていたのに対し,90年代に入ると52.8%と大幅に増加している(第2-3-6図)。これは雇用の伸びにも影響を及ぼし,従業員数の伸びがマイナスとなっている企業も80年代は49.8%であったものが90年代には65.1%と大幅に増加している(第2-3-7図)。

(期待成長率の低下に伴って増加する一般労働者の雇用調整)

これに加えて,近年企業の期待成長率が大幅に低下し,雇用調整を更に進める要因となっている。90年代のほとんどを通じ,経済成長率の実績は企業の期待成長率を下回り続けてきた。そして企業の期待成長率は傾向的に低下を続け,99年初の調査では今後3年間の成長見通しでも0.8%と,ほとんどゼロ成長に近い状況にまで至っている。

こうした期待成長率の低下は雇用調整のありがたにも影響を与えている。例えば製造業においてはバブル崩壊後の局面ではパートタイム労働者を中心に雇用調整が行われてきた。そこで期待成長率が更に低下したため,過剰な雇用が発生してしまうと長期雇用(3)の割合が高い一般労働者に対しても雇用調整を行う必要が生じ,長期にわたって企業収益を圧迫するリスクが拡大している。94年以降,一般労働者の雇用が減少し,パートタイム労働者数はむしろ増加している背景にはこうした要因があるものと考えられる。

(賃金の企業間格差の拡大)

上場企業の従業員一人当たり賃金の伸びと分散について80年代と90年代を業種別に比較すると,90年代に賃金上昇率が低下しているだけでなく,そのばらつき(分散)も拡大している(第2-3-8図)。これを売上高でみると,80年代から90年代にかけて業種別の平均の伸びは低下しているものの,そのばらつき(分散)には大きな変化はみられていない。こうしたことから,同一業種であっても企業間の経営体力の格差が広がることに伴い賃金格差が拡大しているものとみられる。同一業種内における移動は調整コストが比較的小さいと考えられることから,同一業種内の賃金格差の拡大は今後労働移動が増加する可能性を示唆しているといえよう。

(賃金体系のフラット化)

次に,近年の賃金体系は年功型から能力・業績の部分を拡大した賃金制度に移行しつつある。年功型賃金体系の特性について賃金総額の観点がら考えてみよう。

年功型賃金体系とは,一般的には年齢や勤続年数に応じて賃金が増加する体系であり,これは,低年齢層に生産性よりも低い賃金を,高年齢層に対してはより高い賃金を払うシステムともみなせる。これを企業側からみると,高年齢層の高賃金は若年期に賃金が生産性を下回っていたことの反映であると考えられるものの,企業規模が拡大していて低年齢層雇用者が高年齢層の数を上回る場合には,人件費を削減する要因ともいえる。企業は人件費の滅少によって得たキャッシュフローを将来の拡大生産の原資として用いることができる。企業規模の拡大が将来にわたって続くであろうという見通しが存在し,がつ低年齢層が増加する状況ならばより一層年功型賃金体系を守ろうとする誘因が強くなるであろう。

男性一般労働者について,89年から97年にかけての企業の支払う賃金総額の変化を賃金水準要因,年齢階層別の雇用者数要因,賃金プロファイル要因に分けてみると,賃金水準の変化の寄与が大きいことに加えて高齢者層の雇用者が大幅に増加しており高齢者に対する賃金割合が高まっていることがうかがわれる(第2-3-9図)。また,労働分配率の推移をみると,成長率が高かったオイルショック前の高度経済成長期よりも,オイルショック後の安定成長期の方が上昇し,またバブル崩壊後の低成長期にかけて更に上昇している(4)。

前述の考え方に立てば年功型賃金のメリットは,企業が成長していて高年齢層よりも低年齢層が多く,かつ企業に今後とも成長し続ける期待が存在している場合に,より発揮されるであろう。しかしこうした条件はマクロ的にみても満たされなくなってきた。すなわち,ベビーブーム世代が高年齢層となり,年功型の賃金体系の下で処遇することが困難になってきた。こうしたことから,賃金体系のフラット化が今後一層進んでいくものとみられる。

次に年功型賃金体系と長期雇用との関係について考えると,年功型賃金体系は定着度を高める効果も考えられるなど,長期雇用と密接に関連している。したがって,年功型賃金体系のフラット化は,長期雇用の比率を低下させる要因となろう。一方労働者側からみると,勤続年数に依存した賃金体系からよりフラットな体系へと変化することに伴い,一転職により被る処遇面の低下幅が小さくなるものとみられる。この結果,現在の職業にとどまる動機が薄れ,従来以上に雇用者がより良い職業機会を探して移動する可能性があろう。

3 情報化と雇用の関係

(情報化による生産構造の変化)

近年のアメリカ経済が堅調に成長している一因として,積極的な情報化投資が挙げられている。特に情報化投資の設備投資の伸びに占める寄与は,最近急激に増加しアメリカの成長を直接牽引する極めて強い要因となっている。日本においても情報化投資の伸びは近年著しいが,ストックでは既に蓄積が大きいアメリカが先行している(5)。

96年のアメリカのパソコン国内出荷台数は日本の4倍弱であり,人口が2倍程度であるため,おおむね一人当たり2倍の投資を行っていることになる。したがって,情報化の日本経済に与える影響を占う上で,アメリカで起こったことを概観することが有意義なものと考えられよう。

(情報化の進展とマクロの雇用)

従来は,複雑な作業には大型コンピュータを用い,パソコンは単体でワープロや表計算のように比較的簡単な作業にしか用いられてこなかったが,近年,パソコンは,単体としての機能が高度化しているばかりでなく,LAN,インターネットを介してネットワークと接続することにより,相当複雑かつ高度な作業に使えるようになってきた。パソコンを利用するネットワークは,インターネットを用いた流通,広告など新たな産業分野の生成を促すとともに,企業内,企業間の情報共有,情報伝達に劇的な変化をもたらし,(製品開発,部品調達など)生産システムへも大きな影響をもたらしているものとみられる。

こうした情報化の進展がマクロの雇用にどのような影響を及ぼしているのかについて,日本とアメリカに与える影響をみてみよう。90年から97年にかけての日本とアメリカにおける労働力需要関数と生産関数を用いて,情報化による雇用創出効果と労働代替効果を計測すると,日米ともに情報化投資による代替効果が大きく現れており,日本では194万人,アメリカでは248万人となっている(第2-3-10表)。さらに情報化が新たな成長を促しそれが新たな雇用を生み出す効果(所得効果)を算出すると,日本では172万人にとどまっているのに対して,アメリカでは588万人と大幅に異なる。情報化による全体の効果でみると,日本では全体で22万人のマイナスの影響がみられるのに対して,アメリカでは340万人も増加する要因となり,雇用の増大の約3割が情報化に伴った産業の創出や所得の増大によるものであることが分かる。

また,近年の情報化の進展は労働から資本への代替を促し,その結果労働生産性の上昇がより早くなることが期待されるが,業種別の労働生産性の傾向をみるとこのような動きはみられない(第2-3-11図)。こうした動きの背景としては,企業における雇用保蔵のため情報化が労働生産性の上昇をもたらしにくい状況にあるものと推察される。

(アメリカにおける企業規模の縮小(ダウンサイジング))

このように情報化は既存の雇用を情報関連設備に代替させる効果を持つが,どういった分野の雇用により大きな影響を与えるのかを考えてみよう。アメリ力経済は91年以降長期にわたって景気拡大を続けているが,失業率についてみるとそうした動きとは異なっている。通常であれば景気回復局面に入ると直ちに失業率が低下するが,今回の局面においては91年から94年の3年にわたって景気の谷より失業率が高い期間が続いていた。このため景気回復局面の当初は「雇用なき回復」といった議論があった。この関連で議論されてきたのが,いわゆるダウンサイジングと呼ばれる企業規模の縮小や企業組織のフラット化といった現象である。

全米経営者協会の調査を基に,景気回復局面に入った91年以降の推移でみると,ダウンサイジング(雇用が純減となる)を行った企業の割合は91年で43.2%に達し,95年で27.3%,経済が大きく成長した98年でも21.9%を記録している。こうした雇用削減の影響を受けた就業者の割合も98年では5%程度にまで低下しているものの,94年までは10%近くが影響を受けている(第2-3-12表)。特に,中間管理層などのホワイトカラー層がこうした雇用削滅の中心となっており,雇用者全体の8%程度に過ぎない中間管理層が削減対象では16%に及んでいる。

中間管理層などのホワイトカラー層に雇用削減が集中している要因としては,こうした層が企業において情報の収集・整理と伝達をその主たる業務分野にしており,コンピュータによるネットワークの構築によってより代替されやすいことが影響しているものと考えられる(6)。

(日本における情報化と雇用の関係)

次に,日本における情報化が雇用に与えている影響について考えてみる。日本においても情報化とりわけコンピュータのネットワーク化の進展によって生産性が高まる一方で,ホワイトカラー層の雇用は影響を受けているものとみられる。例えば企業におけるLANの使われ方をみると,ホワイトカラー層が中心となってきた業務分野を中心に活用されていることがみてとれる(7)。

近年の雇用の動向を職種別にみると,ホワイトカラー構成比はバブル期までは上昇したが,バブル崩壊後は管理的職業従事者が滅少するなど,そのスピードが鈍化し,また企業の雇用過剰感でみても,同様にホワイトカラー層が構造的に高くなっている。また,今後3年間の雇用者数増減率見通しについて経済企画庁「企業行動アンケート調査」でみても,企画・管理部門が年平均マイナス3.3%で今後の雇用調整が生じる主たる職種となっている(8)。

(マイクロエレクトロニクスの導入時との差)

このように,90年代の情報化,なかでもパソコンによるオフィスの効率化においては日本はアメリカと比較して出遅れてきた。しかし80年代後半にみられたNC工作機械などの産業用ロボットの導入では,生産現場における労働代替効果にもかかわらず,諸外国に先駆けて導入が進んだ。この違いの要因は以下の二つと考えられる。

第一は,コスト削減に伴う需要の弾力性の違いである。産業用ロボットの主たるユーザーである機械産業は,生産性の高い機械を導入することで高い国際競争力を獲得し国内・世界を問わず大幅に需要が拡大し,それが更にロボットを含めた設備投資を拡大させるといった循環がみられたことである。この結果,生産労働者の配置転換は生じていたものの,企業規模が大幅に拡大したため,外部労働市場を通じた雇用調整は比較的小規模であった。ところが,90年代の情報化は,非貿易財産業も含めて需要の伸びが見込みにくい中で起きたために,労働コストを削減しても需要の拡大を通じた雇用の吸収が困難だった。こうした中で外部労働市場での労働移動が十分に行われてこなかったこともオフィスの効率化への対応の遅れの要因になった。第二は,ロボット化については,我が国では生産労働者について幅広い教育訓練や多能工化が進んでいること,職種別でなく企業別組合であることなどから,ロボット化への対応がとりやすかったのに対して,情報化は中高年のホワイトカラー層をはじめとする労働コストの削減や組織面の変化をもたらす可能性があるものの,労働コストの削減等にはこうした分野の雇用面の調整を伴うため,情報化の進展の遅れに影響した可能性がある。

4 求められる労働移動の迅速化

以上でみてきたとおり,企業は依然として過剰な雇用を抱えており,その調整が今後とも進むと見込まれる。特に職種別には,事務・管理労働者が構造的に過剰感が高く,こうした職種の雇用調整が進む可能性が高い。こうした雇用調整によって生じる労働移動が円滑に行われるかどうかが重要な課題である。

以下ではこうした労働移動がどの程度大きなコストを持つのかについて考えてみる。

(労働移動の動向)

労働移動の近年の動向について,就業者の入職,離職の動向を労働力特別調査をもとにみてみよう。景気が好調であった89年と景気後退局面の99年を比較すると,入職率は10.9%から11.3%に,離職率は9.0%から12.0%と,両者ともに過去と比べて上昇しており,労働移動が増加していることを示唆している(第2-3-13図)。

次に性別,年齢階層別に比較すると,男女ともに離職率は上昇しているが,男性の入職率の上昇幅が小さくなっている。また年齢階層別にみると離職率はどの年齢階層も上昇しているのに対して,入職率が年齢が高まるとともにその上昇幅が小さくなっている。こうしたことから,特に高年齢層の男性労働者については新規の就業機会の確保が困難であり,これが男性の高齢者層の失業率を高める要因になっているものと見込まれる。

労働移動の動向について職種別にみてみよう(第2-3-14表)。労働者はこれまでに蓄積した技能をできるだけ活かそうとして同じ職業を探し,また企業も経験者を採用しようとするため,労働市場は職業別に緩やかに分断されていると考えられる。まず,職種間の移動についてみると,同一職業への転職の割合は総じて高く全体の6割を占めている。なかでも,専門技術労働者やブルーカラーでは同一職種内での移動が特に高く全体の7割以上を占めており,事務労働者や運輸・通信労働者も同一職種内での移動の割合が平均を上回って高くなっている。離職期間をみると,事務労働者と保安職業従事者の平均離職期間が同一職種への転職を含めて長くなっている。次に離職率でみると,サービスや運輸・通信が高く,事務労働者が低くなっている。さらに,前職職種別の失業率をみると,前職がサービス業の失業率が離職率が高いことを受けて高くなっている。その一方で,事務労働者の失業率は平均に近い水準となっている。

(企業特殊的人的能力の重要性の変化)

ここで特に注目されるのは,事務労働者の動向である。事務労働者の離職率は平均を下回る低い水準にあり失業率は平均に近い水準にあるものの,ひとたび離職すると離職期間が長くなり,また他の職種への転換も相対的に困難である。こうした傾向がみられる要因としては,事務労働者の職業能力形成に企業特殊的な要素が強いことが影響している可能性がある。「企業特殊的な職業能力」とは,「特定の企業においては適用されるものの広範な企業で適用可能性が比較的低いような職業能力」である。こうした職業能力の蓄積は,他の企業で役立ちにくいので転職後の賃金の低下が大きくなるため,可能な限り企業に止まろうとする誘因が強くなり,雇用は長期化し離職率や失業率は低下すると考えられる。逆に一たび失業すると就職先をみつけるのが困難で,離職期間も長期化する。

量的な成長が重要な時代には,企業特殊的職業能力を重視しつつ,不採算部門があるような場合も柔軟な配置転換を行うことにより人材を企業内に囲い込むことは,従業員の企業への帰属意識の高揚を通じた生産性の向上や,柔軟な配置転換の背景になってきた。将来の需要の不確実性以上に,いかにシェアや生産の効率を上げるかが重要であった。こうした中で社員の命運を企業の存亡と密接に関連させておくことは,社員自らの退出障壁の構築を通じて,参入障壁として機能してきた一面もあった。しかし,①国際競争が激化し,また,②技術や需要動向などに関する不確実性が高まってきた状況の下では,企業特殊的能力はかつてほど貴重では無くなってきた。従業員にとっては,同時に普遍的な能力も身に付けないと転職可能性が低く雇用不安の背景になり,逆に,企業にとっても,事業の再編成を進めにくい要因になってきている。さらに,会社と従業員との関係をみても,外部労働市場での評価が低い従業員は会社に従属的になり勝ちで,組織の巨大化に伴って,会社人間になり勝ちとなり,社会人としての常識よりも会社の利害を優先する事例もみられた。バブル崩壊後の不良債権問題への取り組みの遅れの背景にも,こうした要因が関与していた可能性がある。さらに,前述の情報化によって情報の共有の在り方が変化している可能性が考えられる。企業内での情報の流通や共有が比較的容易になったことに加え,その方法も標準化が進むことから,企業情報を管理する職種の必要度は低下し,また企業特殊的な側面も薄らいでいくものと考えられる。

(労働移動に伴う賃金変化)

では,労働移動に伴って賃金はどのように変化するのであろうか。まず転職に要した期間別にみると,期間が短いほど前職よりも高い賃金を得る割合が高く,また低下する割合が低い。逆に転職期間が長期化すると賃金が低下する割合が高まる9。入職経路別に賃金の変動をみると(第2-3-15図),出向関係については転籍せずに出向する場合も多いことから,前職企業の賃金水準とほとんど変化しない。これに対して,前の会社の紹介では賃金の変動が大きく,賃金が上昇する場合も低下する場合もまちまちである。注目されるのは前の会社の紹介による転職者を97年と98年上期で比較すると,賃金が上昇しているへ割合が顕著に低下している点である。こうしたことから,景気の低迷に伴って,企業が優良な再就職先を提供することが困難な状況になっていることがうかがわれる。

5 変化する転職意識

(若年層に前向きにとらえられる失業)

失業に対する有職者のイメージは,若年層と高齢者層とでかなり異なる。日本労働研究機構「勤労生活に関する調査」によれば,全体の半数以上が「社会とのつながりを失う」と回答し,約3割が「生きていく値打ちを失う」と回答しており,失業はマイナスのイメージが強い(第2-3-16図)。特に雇用削減の対象の中心となっている中高齢者層はマイナスイメージが強くなっており,失業により受ける心理的な影響が大きいと考えられる。逆に,「人生をやり直すきっかけになる」というプラスイメージを持っている者も約6割とかなり多く,特に若年層の方がプラスイメージが強い。こうした若年層を中心にみられる考え方が,より労働者全般に広まってくるならば,転職に対する見方も変化してこよう。

(若年層で高まる転職希望率)

転職に関する意識についても若年層を中心に変化がみられる。「就業構造基本調査」より,有業者に占める転職希望者の割合をみると,傾向的に上昇しており,また年齢別には若年層で割合が高く上昇幅も大きい(第2-3-17図)。これをパート労働者と一般労働者に分けてみると,15から34歳までの若年層の一般労働者の転職意識が高まっている。

また,総務庁「世界青年意識調査」によると,日本では「職場に強い不満があれば,転職することもやむをえない」(45.7%)若しくは「不満があれば転職するほうが良い」(20.8%)といった,不満がある場合の転職を容認又は肯定する意見が7割弱となっている。また,同調査によれば若年層にとっての働く目的は,「収入を得ること」が58.9%で,「仕事を通じて自分を生がすこと」が28.9%となっており,先進国の中では仕事を通じて自己実現を図るといった役割がより強くみられている。

こうしたことから,若年層を中心に自分の能力を生かせる仕事を重視し,その結果より能力を発揮できる会社に転職を希望する層が増加しているものとみられ,近年の自発的失業の増加の背景には,こうした若年層を中心とする転職意識の高まりが影響しているものとみられる。

(変化する職業観)

今後現在の若年層が労働者の中心になり,失業や長期雇用に対する職業観が変化していくとすれば,積極的に転職を図ろうとする比率も上昇し,長期雇用慣行も変化していくものと考えられる。ただし,雇用削減の対象となる労働者が長期雇用を前提に働いてきた中高年齢層中心になっていることと,中高齢者層で失業のマイナスイメージが強いことを踏まえれば,現状の雇用削減による心理的なダメージはかなり大きいものとみられる。

(依然として高い企業の雇用維持志向)

その一方で,企業は雇用維持については,日本労働研究機構「リストラの実態に関する調査」によれば,「今後ともできる限り長期雇用慣行は維持」とする企業は全体の約60%と依然として高いものの,「従来よりは景気変動に対し正社貝の人員調整」(25%),「今後は長期雇用慣行の維持は困難」(11%)と長期雇用は変化するーとする企業割合も約36%となっている(第2-3-18図)。また,社会経済生産性本部「日本的人事制度の現状と課題」でも,「終身雇用制を維持していきたい」とする企業が過半数を占めている。

(企業のジレンマ)

しかしながら,経済同友会「第48回景気定点観測アンケート調査」によれば,企業内にはまだかなりの余剰労働力が存在しており,構造改革を推進するなかで,失業率が更に上昇することもやむを得ないとする企業が39%にのぼっている。経済企画庁「企業行動アンケート調査」で,バランスシート調整を図る上で障害となっている要因について回答をみると,23%の企業が縮小・整理部門等における雇用の流動化が困難としており,挙げられている項目の中で最も高い(第2-3-19図)。また,中小企業庁「企業経営実態調査(企業組織)」においても,経営が悪化した場合に最も実施しにくい事項として従業員の削減を挙げている企業が最も高く,中小企業では44%,大企業では49%と約半数に及んでいる(第2-3-20図)。また,企業は雇用を維持していくことが資本市場から否定的に評価されることを懸念している。

6 労働移動の増大の程度

(勤続年数1年未満が少ない日本)

では,今後長期雇用が無くなると考えられるのだろうか。平均勤続年数について諸外国と比較してみると,日本は諸外国よりも長く11年程度となっている(10)。これはアメリカと比較すると長いが,ドイツと比較すると大きな差はみられない。また,勤続年数が1年未満の短期の雇用をみると日本は約8%と極めて低いのに対して,アメリカは26%となっている。こうしたことから,短期間の雇用の割合が特にアメリカと比較して少ないことが,平均勤続年数の違いになって現れているものとみられる。その一方で,パートタイム労働者の比率は日本よりもアメリカの方がむしろ低い。こうした差が生じている要因としては,アメリカにおいては企業の開廃業率が高いこと等が入職・離職を活発にしているとみられることに加えて,生産労働者の雇用期間が比較的短期になっていることが影響しているものとみられる。

(残る長期雇用)

しかしながら,アメリカにおいても長期雇用は大きな部分を占めている。例えば45歳から54歳の男性で勤続年数が20年を超える労働者の割合は,日本の61.3%には及ばないものの27.1%にのぼっている(第2-3-21図)。先にみたとおり1年未満の雇用割合が26%も占めることを考慮すると,ある程度の期間以上勤務すると長期雇用になる割合は高い。

したがって,長期雇用は日本特有の雇用慣行であるとはいえず,日本の長期雇用割合の程度が諸外国に比べて高いということにすぎない。どの程度の期間勤務するかは,原則として企業と労働者間の自由活動にゆだねられるべきであるが,上述の諸要因から長期雇用の比率は今後低下していくと考えられる。しかし,長期雇用に対する支持が労使双方とも強いことに加えボーナスによる柔軟な賃金調整,現場に根ざした創意工夫,一般教育水準が高く柔軟な適応可能性を持つ労働者,自己実現のための就労,などといった日本の労働力の性格を背景に,我が国はアメリカより長期雇用のメリットが大きい状況にあり,長期雇用は結果的には引き続き大きな部分を占めるであろう。また,企業内部又は関連企業間の移動などでフレキシビリティを確保ずるという特性や,企業内や企業間のチームワークが重視されるという特性もかなり残ることになろう。雇用面からの企業の評価については,人員削減計画等が評価される例も一部にみられるが,長期雇用であることを否定的にとらえるのではなく,人的能力がいかに蓄積され,人材がいかに活用され,いかに優秀な人材をひきつけているかが重視されるべきであり,企業に囲い込まれた従業貝という状況から,市場に評価される従業員と,従業員に評価される企業という新しい関係に移行していくことが見込まれる。

(雇用調整の方向)

現下の景気局面は各種政策効果に下支えされて下げ止まり,おおむね横ばいで推移しているものの,依然として雇用過剰感は高く雇用調整圧力は高い。高い失業率の下で企業が雇用削減に踏み切れば,失業率は更に上昇するとともに雇用不安も増幅し,経済に対して悪影響を及ぼすものと考えられる。したがって,景気循環に応じて雇用を過度に調整する弊害は大きい。調整を先送りしてしまえば,生産性の低い分野が温存され,いずれより大幅・急速な調整を迫られることが懸念される。自律的な回復と長期的な成長を可能とするためには,企業においては長期的に必要となる雇用量を的確に判断し,必要な調整がある場合には,企業の分割,合併,再編も含め,幅広い観点から従業貝の活用法策を探るなど,現段階から着実に進めていくことを通じて調整の傷みを可能な限り緩和していくことが求められている。

7 労働移動の増大への対応

(労働移動の増大に対応した安定感のある労働市場)

このように雇用削減の圧力が強まっている中で,会社が潰れたり,解雇されても,真面目に働く限り能力相応の収入が期待できるような安心感のある労働市場を構築する必要がある。そのためには,能力と適性に応じた再就職の機会が容易にみつかるような,労働移動の増大に対応して十分に機能する労働市場にしていくことが必要である。労働移動が増大することによって,①一たび失敗した人でも再チャレンジが容易になる,②労働力人口が減少していく中で,女性や高齢者の労働力をより本格的な形で活用していける,③企業と従業員の関係が対等に近づくことを通じて,家庭生活や地域活動が充実する,ことも期待される。

その際,労働者の移動が妨げられるような制度的な制約は改善が必要であろう。政府としては,企業年金におけるポータビリティの構築に関する制度の整備等,労働移動に中立的な制度の整備について検討を行う必要があると考えられる。

(普遍的能力の蓄積)

国際競争力の強い商品には,人的資源に依存し,企業内あるいは企業間のチームワークによって,消費者の需要に即応し,かつ生産工程も簡略化された製品を柔軟に作り出す能力を背景にしているものが多い。また,資本設備に体化されるような技術進歩を活用する生産工程は,既に海外にかなり移転しており,国内に残された部分は,(失敗も含めた)経験の蓄積という形で,国内の人材に蓄積された技術を活用している部分が多い。このように考えると日本経済の発展の鍵は今後とも人的資源の活用にあるといえよう。しかし,人的能力の内容が企業特殊的なものから,普遍性のある能力にウェイトがシフトしていくことが,労働者の自己防衛上も,企業のリスク管理上も重要となる。こうした形での人材育成では労働者の自発的な取組が一層重要となるが,企業においても従業員の労働市場での評価を高めることは,企業の価値を高めることになるという視点が重要である。またこのような方向での環境整備のために,国はホワイトカラーについての学習支援システムを設定しその普及に努めている。

(企業活動の再編と企業内起業)

企業の中のいわゆる過剰雇用には,その企業が保有する他の経営資源とのミスマッチといった面もある。いわゆる過剰な労働力を活用していくためには,適性に応じた働き口がみつかるように労働市場が機能することと並んで,従業員の適性を熟知している企業が他の経営資源との新しい組合せを作り易いように環境を整備することも重要である。企業の再編や分割が容易に行えるような制度整備によって失業なき労働移動も促進していく必要がある。

(セーフティ・ネットの充実)

労働移動の増大に伴い,これまで企業が果たしてきた雇用安定機能については変化していくものと見込まれることから,より一層の公的なセーフティ・ネットの整備が必要である。その重点は,職業紹介機能の拡充,職業能力開発,新雇用先への助成,雇用創出策などに向けられる必要がある。

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