第3章 雇用をめぐる変化と課題 第2節
第2節 雇用をめぐる課題
1 雇用者に対する投資
我が国の労働生産性はリーマンショック以降、振れを伴いながらもプラス要因として寄与してきたが、労働生産性を上昇させるためには、定義的には資本装備率を引き上げる必要があり、物的にはソフトウェアを含む設備投資を増加させることが必要になるが、それを使う人に内在する資本、人的資本を引き上げるには、教育訓練投資が必要となる。
●企業による雇用者に対する人的投資は伸び悩み、就業者への推移する割合は低下
企業による従業員に対する教育訓練実施割合は、OFF-JT19、計画的OJT20問わず伸び悩んでおり、特に正社員以外に対して実施した事業所割合は正社員の半分程度となっている(第3-2-1図(1))。また、OFF-JTを受講した社員の割合をみると、正社員が正社員以外の割合をはるかに上回っている状況は同様であるが、受講比率は正社員で低下傾向がみられ、正社員以外も低水準で横ばいとなっている。企業の労働者1人当たり教育訓練費をみると、OFF-JTは2015年をピークにおおむね低下傾向にあり、一方の自己啓発支援はOFF-JTと比較して水準が低い上、2010年代半ば以降さらに低迷しており、企業による従業員に対する教育訓練投資は減少している(第3-2-1図(2)(3))21。
また、失業者から就業者へ推移する割合は、感染症の影響により大幅に下落している(第3-2-1図(4))。また、非労働力人口から就業者に推移する割合も感染症を機に低下に転じている(第3-2-1図(5))。現状は、日銀短観(2021年6月)でも既に雇用判断DIが不足超の業種も多い一方、感染症の影響や本人の就業希望職種と不足分野のミスマッチもあり、一旦離職すると新たに就業できる確率は低下している。就業希望者等をより成長性の高い分野へと円滑な移動を促進するためには、再就職につながる教育訓練やスキルアップのための学び直しの機会の提供を拡充することが一助と成り得る22。
●リカレント教育による人材育成も強化することが必要
この点、内閣府意識調査23にある設問(リカレント教育を実施、又は関心がある者を対象にしたリカレント教育に取り組む理由について)への回答をみると、「現在の仕事に活かすため」が58.5%と最も多いものの、「転職活動に備えるため」という回答も17.7%ある。さらに、間接的には転職につながり得る「今後のキャリアの選択肢を広げるため」、「資格取得のため」といった選択肢には、各々40.6%、30.3%が理由として選んでいる(第3-2-2図(1))。他方、阻害要因としては、「仕事が忙しくて余裕がない」、「費用がかかりすぎる」といった回答が最も多くなっている(第3-2-2図(2))。
こうした自己啓発・学び直しを行っている者には、一般教育訓練給付金、2014年10月から開始された専門実践教育訓練給付金及び2019年10月から開始された特定一般教育訓練給付金という支援制度がある。2015年度以降の受給者数は増加傾向にあり、2019年度は16.3万人となった(第3-2-2図(3))。需要増がみられる分野への円滑な労働移動を通じ、経済全体の成長力向上につなげることも重要であり、リカレント教育はその一助と成り得る。先に述べたように、時間的余裕や費用面がリカレント教育の阻害要因となっているため、ここで紹介した一般教育訓練給付金等の支援制度や働き方改革等により、リカレント教育の普及を後押しする必要がある。
なお、年代・目的に応じた効果的な人材育成に向けて、リカレント教育等を強化するにあたっては、従来型の教育訓練や資格取得支援のみならず、イノベーションの担い手である博士号や修士号取得の促進を通じた高度人材の育成及び就業の促進のほか、ライフステージに応じたリカレント教育機会の積極的な提供についても取り組んでいく方針が示されている24。
●職業を軸とした人材再配置を促進するための環境整備が必要
低下している失業や非労働力から就業への割合を高めるためには、マクロの面では経済活動水準を高めることは言うまでもないが、ミクロの面からは、雇主と雇用者の双方に職業に関する必要な情報が提供されることが有効と考えられており、その一環として、我が国においても、2020年3月より日本版O-NETが開設され、職業を「ジョブ」「タスク」「スキル」等の観点から分析し、労働市場の共通言語・共通基準としてデータベース化する取組が始まっている。
しかし、我が国の雇用者の多くは、職ではなく会社という組織に就職する形を取ってきており、会社単位の職業特性が強く、職業情報が共通言語化されていないことが多い。こうしたことが、最適な人材の再配置を阻害する要因の一つとなっていると考えられる。職業のタスクへの細分化が十分進んでいないため、それに紐づく知識やスキルの同定も困難であり、まずはこうした課題を解決する必要がある。そのためには、ハローワークや人材仲介事業者等が有する職業情報の総合的な収集と整理が不可欠であり、あわせて、雇用する企業側のニーズを踏まえれば、産業界の参加も必要であろう。
なお、上述した日本版O-NETに関しては、2019年6月以降、厚生労働省において、具体的な運用の詳細について検討が続けられており25、今後とも民間との連携を推進していくことが必要である。
2 就業促進に向けた社会保障制度の見直し
●就業意欲の高い高齢者の就業を促進
生産年齢人口が減少する下においても、高齢期の就業率が上昇することで労働力は増加してきた。高齢者に関しては、潜在的な労働力として期待できるところが引き続き大きい。健康寿命は上昇を続けており、男性は2001年の69.4歳から2016年で72.1歳、女性は72.7歳から74.8歳となっている。また、高齢者層の就職意欲は高く、内閣府が2020年1月に実施した「高齢者の経済生活に関する調査結果」26によると、60歳以上の男女のうち、65歳を超えても働きたい(働きたかった)とする者は約6割存在している(第3-2-3図(1))。
高齢者の就業状況を2018年と2020年で比較すると、就業率はいずれの年齢階層においてもほぼ変化していないが、該当人口の増加により、追加的な労働者数は、65~69歳及び70~74歳の階層での増加が顕著である。就業しているが就業時間の延長等を希望する追加的な就労希望者は17万人から24万人へ、また、失業者や潜在的には働くことを希望している非労働力状態の者は23万人から28万人と、合わせて12万人増加している。(第3-2-3図(2))。なお、こうした就業希望状況を踏まえ、高齢者の65~69歳の2020年の就業率49.6%が、60~64歳の就業率71.0%まで上昇したと仮定した場合の65歳以上全体の就業率を試算すると27、30.0%と実際の就業率25.1%から5%ポイント程度上昇する。また、2021年以降2030年までの高齢就業者数について、65歳以上高齢者の就業率が2010年~2020年のトレンドで上昇し、上で求めた就業率に達した後は横ばいで推移すると仮定し、将来人口推計値28をかけ合わせることで試算すると、2020年と比べた高齢者の就業者増加余地は2027年以降、200万人程度となる(第3-2-3図(3))29。需要増がみられる分野への円滑な労働移動を通じ、経済全体の成長力向上につなげることも重要であり、リカレント教育はその一助と成り得る。先に述べたように、時間的余裕や費用面がリカレント教育の阻害要因となっているため、ここで紹介した一般教育訓練給付金等の支援制度や働き方改革等により、リカレント教育の普及を後押しする必要がある。
就業意欲の高い高齢者の就労を実現するため、高齢者の雇用・就業機会の確保に取り組む企業への支援や求職者支援等の施策の充実を図ってきているが、これと同時に、年金給付の在り方及び就労所得と年金受給要件が課題になる。現行制度下では、60歳代前半において賃金(総報酬月額相当額)と老齢厚生年金の合計額が28万円を上回る場合、賃金2に対して年金1の支給停止が発生し、賃金が47万円を上回る場合には賃金1に対して年金1を支給停止することとされている。また、65歳以上においては、老齢厚生年金と賃金(総報酬月額相当額)の合計額が現役世代の平均月収相当の47万円を上回る場合に賃金2に対し年金1の支給停止が発生する。厚生労働省の2019年度末の推計による在職老齢年金受給権者の所得分布をみると、60歳代前半では10万円未満の階級から所得が高くなるにつれ、徐々に分布割合が高まり、26~28万円の階級割合で7.2%と最も高くなっており、それ以降の所得階級で、徐々に減少している。また、65歳以上では10万円未満の階級から所得が高くなるにつれ、徐々に分布割合が高まり、20~22万円及び22~24万円の階級割合で7.0%と最も高くなっており、それ以降の所得階級で、徐々に減少している(第3-2-4図(1)(2))。
この点に関連して、2020年5月に「年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する法律」が成立し、2022年4月以降は60~64歳に関しても、支給停止が開始される賃金(総報酬月額相当額)と老齢厚生年金の合計額の基準を65歳以上と同じく、47万円に引き上げることとされ、高齢者の就業意欲に応える改正が行われている。あわせて、繰り下げ受給の上限年齢を現行70歳から75歳に引き上げ、年金受給開始時期の選択肢は60歳から75歳の間に拡大された。これらの措置により、今後年金制度が高齢者の就労に対してより中立的になることが期待される。
●女性の就業の促進と社会保険の見直し
高齢者に次いで潜在的労働力が期待されるのは女性である。前節でも触れたとおり、女性の就業は、世帯主の配偶者の場合、非正規雇用が多い。正規雇用の女性が結婚や出産等で一旦離職し、1年以内に再就職した場合、再び正規雇用として就業する割合は約5割であり、男性の割合を下回っている。また、非正規雇用として就業していた場合、離職後に正規雇用として就業できる割合は2割弱と低い(第3-2-5図(1))。こうした状況は、それまでの就業経験で身に付けた人的資本を十分に活かしきれないおそれがあるほか、本人自身の職業スキル向上に対するインセンティブを損なう可能性が高い。
こうした就業姿勢と社会保険制度は無関係ではない。我が国の社会保険制度の対象者は、公的医療保険では、健康保険法の適用事業所等に雇用される者、当該者に扶養されている者、前二者以外の者(適用事業所等に雇用されていない者であり、自営業者等の国民健康保険の適用対象者)に大別され、このうち健康保険法の適用事業所等に雇用される者及び自営業者等の国民健康保険の適用対象者に対して保険料が課される。国民年金においては、第1号被保険者(自営業者、学生など)、第2号被保険者(会社員、公務員など)、第3号被保険者(第2号被保険者の被扶養配偶者)に大別され、このうち第1号及び第2号被保険者に対して保険料が課される。
このほか、6割程度の企業においては、配偶者手当が支給されているが、納税者本人が配偶者控除を受けられなくなる配偶者の給与収入103万円や、配偶者特別控除額について満額での適用が受けられなくなる150万円といった税制上の基準額が配偶者手当の支給基準として援用されていることも、就業調整を行うインセンティブとなっているとみられる(第3-2-5図(2)、(3))。
こうした中、世帯主の配偶者の続柄にある女性の週当たり就業時間をみると、2020年の数字であり、感染拡大による影響を受けていることには留意が必要であるが、他の続柄と比較して15~29時間の階級が23.1%と最も多くなっており、いわゆるパートタイム労働として就業している者が多いことが推測される(第3-2-5図(4))。
以上のような状況を踏まえ、前節でみた人口及び世帯構造の変化に対応し、社会保障の充実を図りつつ、配偶者の就業インセンティブを阻害しないよう制度改正が段階的に施行されている。先述した「年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する法律」により、短時間労働者であっても要件を満たす場合には社会保険の被保険者となるよう、適用対象が段階的に拡大されている(第3-2-6図)。2022年10月には勤務先の企業規模要件が従業員数500人超から100人超となり、厚生労働省の推計によると、対象者が約45万人増加するとされている。また、2024年10月には従業員数50人超の企業に拡大され、対象者は更に20万人増加することが見込まれる。
このように社会保険の被保険者対象が拡大することで、年収が親や配偶者の健康保険の扶養の対象である130万円未満の者であっても、月額賃金8.8万円以上(年収換算約106万円以上)等の一定の要件を満たす場合は、新たに社会保険の加入対象となる。厚生年金保険や健康保険といった社会保険に加入すれば、本人に新たに保険料負担は生じるものの、個人が全額負担する国民年金や国民健康保険に加入している時と異なり、厚生年金保険や健康保険はその保険料の半分を務め先が負担するため、将来受け取る年金額がより充実するほか、傷病手当金や出産手当金などを受給できるといったメリットがある。また、感染拡大を契機として、労働者に対する求職者支援制度30や生活困窮者自立支援制度31といった第二のセーフティネットによる支援の拡充も図られている。今後、個人の希望に応じた多様な働き方が可能になることが期待される。
●円滑な離転職に向け、退職金の扱いが課題
高齢者及び女性の就業促進に加えて、産業や業種の転換に合わせた既存雇用者の離転職を円滑化していくことが求められている。今日でもなお、大企業を中心に「長期雇用」やいわゆる「年功賃金」といった雇用慣行がみられ、それらを前提とした企業の年金制度や福利厚生の仕組みも続いている。こうした中で、社会経済構造の変化に伴って生じる雇用の流動化を踏まえた年金制度等の見直しが進展している。
企業年金制度の加入者数をみると、2000年代に減少した後、2016年度を底に、1,700万人程度の水準で推移している(第3-2-7図(1))。これは、2012年に適格退職年金制度が廃止されたことに続き、2014年の厚生年金基金制度の見直し32を経て、企業年金の主体であった両者は縮小したのに対し、確定給付企業年金及び企業型確定拠出年金への加入者数が大幅に増加しており、特に確定拠出年金加入者数の伸びが大きいことによるものと考えられる。こうした企業年金制度については、確定給付企業年金、企業型確定拠出年金、個人型確定拠出年金33の間で、年金資産について制度間での移管が可能となるよう、累次の制度改正が行われ、離転職の有無に左右されず継続的な老後の所得確保に向けた取組を行いやすくする環境整備が進められている。
退職給付制度の実施状況をみると、制度があるとする企業の割合は緩やかに低下傾向にあり、2018年は8割弱となっている。そのうち、退職一時金のみとする企業の割合が近年増加し、2018年段階で約55%となる一方で、退職一時金及び退職年金併用、及び退職年金のみの割合は低下している(第3-2-7図(2))。退職金の給付額は、一般的に勤続年数に比例しつつも、勤続年数が10年~20年あたりから増加率が大きくなる傾向にあり(第3-2-7図(3))、税制面においても受給時の退職所得控除の算定額が20年を境に大幅に増えるようになっている34。こうしたことが離転職へのディスインセンティブとなっていると考えられる。退職一時金についても、その在り方につき見直しがなされることが期待される。