第2章 人生100年時代の人材と働き方 第2節
第2節 人生100年時代の人材育成
第1節で考察した技術革新等が労働市場へ与える影響を踏まえると、最新の技術革新を担う人材や新技術に代替されにくいスキルを持った人材を育てていくことが急務である。また、日本では長寿化がさらに進むことが予想されており、長い人生をより充実したものとするためには、性別や年齢にかかわらず高いスキルを身に付けられる環境を整備していくことが重要な課題である。こうした観点から、本節では人生100年時代、技術革新を見据えた人材育成の課題を探るために、学校・大学教育、企業内訓練、社会人の学び直しのそれぞれの場における教育・訓練の効果を定量的に分析し、論点を整理する。
1 技術革新に対応したスキル習得の推進
●デジタル時代に必要となるスキルとは
第1節でみたように、技術進歩によって必要性が高まる職業は、機械によって代替されることが困難な非定型の分析・対話型業務を行うものである可能性が高い。こうした業務には、単にITを使いこなす能力だけにとどまらず、機械には代替が困難な様々な能力も求められる。ここでは、具体的にどのようなスキルが必要とされるのかについて、より詳細に分析を行う。
まず、企業側がどのような能力を重視しているかについて、内閣府企業意識調査の結果をみてみよう。第2-2-1図(1)は、企業が今後重要になっていくと考える能力について、新技術活用へ向けた取組を行っている企業と行っていない企業別にみたものである23。傾向的には両者は類似しており、マネジメント能力、専門的な知識・技能、コミュニケーション能力、アイディア力等が上位にきている。新技術活用に積極的な企業がどのような能力をより重視しているか確認するため、両者の差分をとると(第2-2-1図(2))、創造力、ITを使いこなす能力、マネジメント能力、分析力・思考力、コミュニケーション能力等をより求める傾向があり、営業力・接客スキルや、定型的な業務を効率的にこなす能力等の需要が低い傾向があることがわかる。
次に、PIAACのデータを使い、ITを仕事で使う頻度の高い人は、他にどのようなスキルを使う頻度が高いのかをみたのが第2-2-2図である24。これによると、読解、書く、算術といった基礎的な能力のほか、複雑な問題解決、他者との交渉や説得等といった、分析や伝達を行うスキルの使用頻度との相関が高いとの結果が得られており、企業アンケートと概ね整合的な結果になっている。また、日本とOECD平均とを比較しても、両者に明確な違いは見られないことから、相関の高いスキルはおおむね世界共通であると考えられる。
読解や伝達等の意味を理解し柔軟な対応を行う頻度が、ITを使う頻度と相関が高いことの背景には、これらがAIやIT技術では代替できない能力であることが指摘できる25。AI等の新技術が発達するにつれ、今後そのような能力の重要性は増していくことが考えられる。例えば、第1章3節では、新聞記事の内容が景気の良さと悪さのどちらを示しているかを機械に判断させる分析を行ったが、機械は記事の内容を一切理解してはおらず、出てくる単語や文章の構造等が景気の良い内容である確率を過去のデータに照らして統計的に算出しているに過ぎない。その計算結果が適切か、計算結果をどう解釈・説明するかについては、因果関係や文脈等を考慮した人間による判断が必要となる。
●不足するIT人材
技術革新に対応した人づくりを行うためには、機械では代替が困難な能力を伸ばすとともに、そもそものAI等の先端技術を開発し専門に扱える高度なIT人材の育成を行うことも併せて重要な課題である。情報処理・通信に携わる人材(IT人材)26の割合をG7諸国で比較すると(第2-2-3図(1))、就業者に占める割合は日本では1.8%であるが、英国5.2%、アメリカ3.0%など、他の6か国は日本よりもその割合が高く、IT人材が諸外国と比較して少ない可能性が考えられる。
また、IT人材の所属している企業についても日本は諸外国と比較して特徴的な傾向がみられる(第2-2-3図(2))。日本ではIT人材の7割程度がIT企業27に勤務しているが、諸外国ではその割合が3割強から5割弱であり、IT企業以外の企業にもIT人材が勤務していることがわかる。諸外国では幅広い産業にITの専門家が存在しており、ITを積極的に活用していることが考えられるが、日本ではIT企業以外の企業にITの専門家が少なく、企業経営におけるITの活用の阻害要因になっている可能性がある。例えば、23か国の企業幹部を対象に実施したアンケート結果をみると(第2-2-3図(3))、ビッグデータやアナリティクスを用いた意思決定割合は、他のG7諸国や調査対象国平均の割合を下回り、日本が最下位となっている。
●技術革新と学校教育の課題
上記を踏まえれば、今後は、読解力等の基礎的な能力に加え、適切な分析・伝達ができる能力や、ITの専門人材の育成等がより重要になってくると考えられる。では、このような能力や人材を育成していくために、現在の日本の学校教育にはどのような課題があるだろうか。
OECD(2017)はデジタル時代に必要なスキルとして、科学的・数学的リテラシーを挙げているが、各国の15歳におけるこの能力が高い生徒の割合をみると日本はOECDトップであり(第2-2-4図(1))、デジタル時代に対応するための基礎的な能力は高いことが示唆される。ただし、近年改善傾向ではあるが、理科や数学が日常生活で役に立つと考えている生徒の割合が国際平均よりも低いことから(第2-2-4図(2))、学校教育で学んだことをどのように活用していくか、いわば、スキルの活用に弱点がある可能性が考えられる。
IT技術との関係では、より積極的にITを学校教育でも活用していくことで、ITを使う能力を高めていくことも求められる。中学校におけるコンピューター1台当たりの生徒数ではOECD平均(4.7人)を下回り3.6人であり、国際平均と比較してコンピューターが不足しているわけではない28。しかし、中学校でITを利用した生徒の割合をOECD諸国と比較すると(第2-2-4図(3))、日本はOECD平均や諸外国を大きく下回り、最も利用割合が少ない国の一つとなっており、学校教育におけるITの利活用ができていない可能性が示唆されている。
IT技術で代替が難しい問題解決能力や分析能力を鍛えるためには、受動的に与えられたことをこなすだけではなく、生徒が能動的に考えることや、批判的思考を促すこと等が重要であると考えられる。ただし、日本の教員はこのような生徒の主体性を引き出せるという自信が、調査国平均と比較して低くなっている(第2-2-4図(4))。また、新井(2018)は、このような能動的な学習の前提条件となる読解力を有している学生が少ないため、教科書を正確に読める能力を高めることが重要であることを指摘している。
企業が学校・大学に期待する教育内容という観点からは、企業は中学校・高校では基礎学力や一般教養等の基礎的な教育を求め、大学・大学院ではより専門的な教育を求める傾向がある(第2-2-4図(5))。ただし、現状ではこのような企業の期待に教育が十分に応えているとは言い難く、経営者による教育体系の評価を国際比較すると(第2-2-4図(6))、OECD平均並みとなっていることから、今後の更なる改善の余地があると考えられる。
●IT人材育成に向けた大学教育の課題
不足している高度なIT技術を有した人材の育成に対しては、大学教育が果たす役割が特に重要であろう。日本のIT人材が諸外国と比較して少ないことの背景の一つには、高度なIT関係分野を専攻する学生が少ないことが考えられる。大学等の高等教育機関入学者のうち理工学系29を専攻する学生の割合をみると(第2-2-5図(1))、日本はOECDの平均よりも低く、ドイツの半分程度の割合となっていることがわかる30。また、理学部・工学部に在籍する学生数の推移をみると(第2-2-5図(2))、少子化の影響もあり2000年の56万人から2017年の46万人へと減少しているが、大学生の総数に占める割合でみても2000年の23%から2017年18%へ低下していることが確認できる31。
こうした中、大学で専攻した分野と、企業が必要としている知識分野のギャップが生じている。第2-2-5図(3)は、技術系の職業に就いている者に対し、現在の業務で必要としている分野と大学で学んだ分野を調査し、それぞれの回答割合の差分からギャップを確認したものである。企業で必要とされているにもかかわらず、大学で学習している者が少ない分野として、「ハード・ソフト、プログラム系」、「機械工学」、「通信、ネットワーク、セキュリティ系」、「データベース・検索系」が指摘できる。
また、各国でIT関連の仕事に就いている者の最終学歴における専攻分野をみると(第2-2-5図(4))、日本は情報工学・情報科学を専攻した者の割合が23%であり、中国の62%、韓国の58%、アメリカの44%と比較すると非常に低くなっている。このような専攻分野と職務内容のミスマッチの結果、現在の業務で必要な専門知識を学んだ場所を調査した結果では(第2-2-5図(5))、「大学等32で学んだ」と回答した者の割合は情報系で33%と最も低い値となっている。逆に、大学等で学んだ割合が高いのは人文科学系であり、8割以上が大学等と回答している。情報系で回答割合が多い項目は、企業内研修や自主学習であり、この2つを合計した割合は40%程度と、全体(25%)を上回り、最も高い値になっている。
こうした現状を踏まえれば、IT分野等で高い専門性を持つ学生を大学等が輩出していくことは、技術革新に対応するための急務である。例えば、工学系学部の卒業生の就職先は多様化しているにもかかわらず、工学系学部の入学者の分野割合は過去25年間で大きな変化がないとの指摘もある33。第4次産業革命に求められるIT人材は、従来のIT人材に求められる資質とは異なるとの指摘もあり34、より社会的なニーズに応えるためには、大学等における専攻分野の定数やカリキュラムを柔軟に見直していくことが必要である。さらに、IT分野以外を専攻している学生においても、当該分野の知識を有する学生は相当程度存在しているとの指摘もあるが35、このように専攻分野にかかわらず、データ分析やプログラミング等の一定程度のITリテラシーを持つ人材を育成していくことも成長の鍵となる。
2 企業における人的資本投資の効果
次に、企業サイドからみた人材育成について考察する。ここでは内閣府の企業意識調査の結果を活用しながら、企業の社員が訓練に費やした時間から機会費用を求めることで、OFF-JT(職場の外部で行われる訓練)だけではなく、OJT(職場内の業務を通じた訓練)も含めた各企業の人的資本(能力開発)投資額を推計し、人的資本投資が生産性等にどのような効果を持っているのかについて定量的な分析を行う。
●企業の高スキル人材育成
これまでみてきたように、今後は高スキルの人材がより必要とされると考えられるが、企業がそのような人材を補強するためにどのような方法を使っているのかについてみてみよう。ここでは、高スキル人材として、管理職、研究開発人材、先端IT人材の3つのカテゴリーに注目する。
第2-2-6図は3種類の人材のそれぞれの補強手段について、回答企業総数、上場企業36、非上場企業の区分でみたものである。まず、管理職についてみると、自社の従業員の教育訓練によるとの回答が圧倒的に多く、上場・非上場にかかわらず、8割程度の企業が自社での人材育成を選んでいる。日本企業は、アメリカ企業と比較して内部昇進でトップに登りつめるケースが多いとの調査もあり37、こうした人事慣習が社内での管理職育成を重視する企業が多い背景となっていることが考えられる。
一方、研究開発人材や先端IT人材については、管理職と異なりその補強方法にばらつきがみられる。研究開発人材では、上場・非上場ともに中途採用や他社との共同研究で補強すると回答した企業が一定程度あり、管理職の場合と比べると外部人材も活用している様子がみられる。また、企業間で差がみられるのは自社での育成の重視度についてであり、上場企業においては自社での教育訓練との回答割合が43%と非上場の33%よりも高い。
先端IT人材では、自社での教育訓練で補強するとの回答割合は2割程度まで減少し、上場企業では中途採用(43%)、非上場企業では外部委託(27%)が最も多い補強方法となっている。先端IT人材は企業内の訓練で育成するにはコストが高くなるため、外部人材の活用やそもそもの業務を委託するケースが多いと考えられる38。
●人的資本投資額の推計
企業が高度人材の補強を行う手段は、補強したい人材によりその方法は異なるものの、社内での教育訓練は、人材補強の手段として広く採用されている方法である。以下では、この社内での教育訓練の効果について分析する。
企業が人材育成のために行う教育投資は、外部講師への謝金や訓練施設の運営費など訓練を行う際に直接必要となる「直接費用」と、訓練に参加する間労働者が仕事に従事できないことから生じる「機会費用」の2種類から構成される(大木、2003)。また、企業が行う訓練はOFF-JTとOJTの2種類あるが、前者については直接費用と機会費用、後者については機会費用が発生している。厚生労働省の調査によると、正社員に対する教育訓練についてOJTを重視する、または、それに近いと回答した企業は71.2%に上ることから39、企業の人材育成を考える際にはOJTの機会費用も含めて考えることが重要であろう。
そこで、企業意識調査の結果を利用し、2016年度において個々の企業が常用労働者育成のためにOJT・OFF-JTにかけた時間が総労働時間に占める割合40を計算した(第2-2-7図(1))。総計では5%未満と回答する企業割合と15%以上と回答する企業の割合が4分の1程度あり、企業による差が大きいことが読み取れる。上場企業では、15%以上と回答する企業割合が36%と最も多い一方、非上場企業では5%未満と回答する企業割合が32%と最も多いことから企業規模による差もみられる。なお、企業当たりの単純平均では総労働時間の12%がOJT・OFF-JTに割かれている41。
次に、OJT、OFF-JTに費やした時間を賃金(時給)により金額換算した値(機会費用)と教育研修費(直接費用)を合計することで、企業が行った包括的な人的資本投資額の推計を行った42。推計結果をみると(第2-2-7図(2))、2016年度における1人当たりの平均的な人的資本投資額は約28万円であり、上場企業では約36万円、非上場企業では約25万円が投資されている。内訳をみると、人的資本投資額の64%程度がOJTの機会費用であり、OJTの占める割合が非常に高いことがわかる。また、直接投資は企業によってはゼロのところもあり、1人当たりの平均でみると人的資本投資額に占める割合は3%程度と非常に少ない。
人的資本投資額について産業別にみると(第2-2-7図(3))、電気・ガス・水道で最も多く、約74万円が投資されており、他の業種よりも相対的に直接費用の額が大きい点が特徴である。一方、運輸・通信業では、約18万円となっており、業種によっても人的資本投資額の差が非常に大きいことがわかる43。また、どの業種でみてもOJTの機会費用の割合が最も大きいという点では共通しており、特にその割合が大きい業種としては、不動産業、製造業などが挙げられる。
●企業属性別にみた人的資本投資の特徴
上記で試算した人的資本投資の時間割合について、様々な企業の属性別に集計することで、どのような企業がより訓練について積極的なのかを分析する(第2-2-8図)。
まず、各企業で働く正社員の平均年齢別に人的資本投資の時間をみると、39歳以下の企業において投資時間割合が高く、平均年齢が上がると投資割合が低くなる特徴がみられる。働いている社員に若い人が多い場合、企業はより積極的に訓練を実施する傾向があると考えられる。
次に、離職率別に投資時間割合をみると、離職率44が高い企業において訓練時間が少ない傾向がみられる。離職する人が多い場合、企業にとっては人的投資に対するリターンが低くなるため、消極的になる可能性が考えられる。ただし、2%未満と2~5%未満の企業では投資時間割合が同程度であるので、離職率が低ければ低いほど投資をしているわけではない。
また、人手不足感別に投資割合をみると、人手が不足している企業ほど、人的資本投資割合が高くなっており、人手が適正になるほどその割合が低くなる。人手不足が深刻な企業においては常用労働者の教育訓練を積極的に行うことで、人手不足をカバーしようとしている可能性が考えられる。
最後に、新技術への取組状況別、企業が重視する能力別に投資時間割合を確認する。新技術への取組に関しては、何らかの取組を行っている企業においては、特に取組を行っていない企業と比べると、投資時間割合が高くなっている。新技術の導入に伴い、それに対応をするための教育訓練をより積極的に行っている可能性が考えられる。また、企業が重視する能力別では、マネジメント能力、アイディア力、分析力等で投資時間割合が高く、営業力等では投資時間割合が低くなっている。このような傾向は、前掲第2-2-1図でみたITを活用している企業が今後より重視すると回答した能力とおおむね一致しており、IT活用対応のために人的資本投資を積極的にしている可能性が示唆される。
●人的資本投資は労働生産性を高めるか
企業が行う訓練が生産性を高めるのかという点については様々な実証研究が行われているが45、今回推計した人的資本投資額についても、生産性に対してどのような効果をもっているのかを定量的に分析することによって確認した。
具体的には、企業規模、業種、資本金等の企業属性をコントロールした上で、1人当たりの人的資本投資額が1%増加した場合に、労働生産性46が何%上昇するかという弾力性を推計した。また、人的資本投資額と労働生産性の弾力性は、企業の労働生産性が高い企業と低い企業とで異なることが考えられるため、企業間の労働生産性の相対的な高低も考慮した推計を行った47。
推計結果をみると(第2-2-9図(1))、平均的には1人当たり人的資本投資額の1%の増加は、0.6%程度労働生産性を増加させる可能性が示唆される。この弾力性は各企業の労働生産性の水準に応じて異なっており、例えば労働生産性が低い企業(下位10%に当たる企業)では弾力性が0.7%程度であるが、労働生産性が高い企業(上位10%に当たる企業)では弾力性が0.5%程度となっている48。このように、労働生産性の水準が高くなると人的資本投資の効果は逓減する傾向にあるものの、人的資本投資額の労働生産性に対する弾力性は水準(分位点)にかかわらず、すべて有意にプラスとなっている。人的資本投資を積極化させることは、労働生産性の水準によらず、生産性に対しプラスに働く可能性が高いことが示唆される。
また、人的資本投資額と労働生産性の弾力性が高まる企業属性について調査したところ、自己啓発を支援する制度49があり、活用されている企業において弾力性が高いことが示唆された(第2-2-9図(2))。従業員の自主的な学習を支援する制度があり、その制度が活用されている企業においては、そうでない企業と比較して弾力性が有意に0.14程度高くなっている50。従業員の自己啓発は、企業内訓練の効果を高める効果がある可能性が指摘できる。内閣府政策統括官(経済財政分析担当)(2018)では、OFF-JTを実施している企業の方が、正社員の自己啓発の実施割合が高いことを指摘しているが、企業が自己啓発を援助する制度を整備し、従業員の自己啓発を促進するような訓練を行うことができれば、人的資本投資の収益性は非常に高いものになることが考えられる。
3 社会人の学び直し(リカレント教育)とキャリア・アップ
企業が行う人的資本投資額のうち直接費用に関しては90年代以降減少傾向にあり51、今後の技術進歩や職業生活の長期化を踏まえれば、人材育成を企業のみで行うことには限界があるため、働き手が年齢にとらわれずに学び直しを行い、自らが主体的にキャリアを形成していくことの重要性は高まっている。ここでは、社会人が自己啓発・学び直しを行うことの効果と課題について分析する。
●自己啓発・学び直しにはどのような効果があるか
まず、自己啓発を行った社会人にとって、どのような効果をもたらすのかについて、同一の人物に関するデータを時系列で記録した追跡調査を用いて検証する52。
自己啓発が労働者に与える効果として、労働者の生産性が上昇することで、賃金が上昇する効果や、非就業者の就業確率が上昇する効果等が考えられる53。また、自己啓発を行うことで、AI等の技術革新に伴い必要とされる専門性の高い職業(非定型の分析・対話型業務54)に就業できる確率が、どの程度高まるかを確認することも重要である。以下では、社会人の自己啓発の効果として、就業者の年収変化、専門性の高い職業につく確率の変化、非就業者が就業する確率の変化、の3つに絞って、自己啓発の効果分析を行う。
ここでは、より正確に自己啓発とその効果の因果関係を把握するため、30歳以上の男女を対象に、学歴・年齢・世帯年収・世帯構成・就業形態等の個々人の属性から、自己啓発を行った人と、同様の属性をもっているが自己啓発を行わなかった人をマッチングさせ、1~3年後に両者にどの程度の差が生じているかを分析した(第2-2-10図(1))55。まず、年収に与える効果の推計結果をみると、自己啓発を実施した人と実施しなかった人の年収変化の差額は、1年後には有意な差はみられないが、2年後では約10万円、3年後では約16万円でそれぞれ有意な差がみられている。自己啓発の効果はすぐには年収には現れないが、ある程度のラグを伴いつつ効果が現れると考えられる。
次に、就業確率を高める効果をみると、非就業者が自己啓発を実施すると、就職できる確率が、10~14%ポイント程度増加することが示唆されている。年収の場合と異なり1年後から有意な関係がみられることから、現在労働市場に参加していない人は、自己啓発を行うことで就職できる確率をすぐにでも高めることができると考えられる。また、技術革新に伴い必要性が高まる分析・対話型業務の職業への移動に関しても、自己啓発は1年後から有意に就業確率を高める効果を持っていることが示唆される。現在の職業が定型的な仕事であっても、自己啓発を行うことで非定型の仕事に就ける可能性が2~4%ポイント増加する結果となっている。
推計に使用したサンプルを対象に自己啓発のコスト(時間・費用)の平均56をみると(第2-2-10図(2))、非就業者においては1か月で31時間・1.8万円程度となっており、就業者においては1か月で18時間・1.6万円程度となっている。個々人による差も大きいため、一概に費用対効果について論じることは難しいものの、年収の増加幅、高スキルな職業への転換、非就業から就業への変化を踏まえると、直接費用(金額)の観点からは、費用対効果が高い可能性がある。ただし、機会費用(時間)の観点からは、自己啓発にある程度の時間を割く必要があるため、労働時間や家庭等の個々人の状況によっては、コストの高いものとなる可能性もある。このため、ワーク・ライフ・バランスの推進等により、自己啓発にかける時間的なコストを低下させる取組が重要であると考えられる。
●自己啓発の内容別の効果
次に、具体的な自己啓発の内容別に、上記の3つの効果がどのように異なっているのかを分析する。ここでは自己啓発の内容として、<1>通学(大学・大学院、専門学校、公共職業訓練等)、<2>通信講座(通信制大学を含む)の受講、<3>その他(書籍での学習、講演会・セミナー、社内の勉強会等)の3つを取り上げる(第2-2-11図(1))。
まず、これら内容別の自己啓発が年収に与える影響について、2年後における効果をみると(第2-2-11図(2))、自己啓発の内容によらず有意な結果となっており、通学が約30万円と最も高く、通信講座が約16万円、その他が約7万円と続く。次に、就業確率に与える影響(1年後)については、通学とその他が有意でプラスとなっている。特に通学においては就業確率が約36%ポイント高くなるとの結果であり、非常に効果が高いことがうかがえる。最後に、専門性の高い職業に移動できる確率を高める効果(1年後)では、通学で約7%ポイント、その他で約3%ポイント有意で高くなっている。こうしてみると、通学はすべての項目において有意であり、かつ効果も大きいことがわかる。
自己啓発の内容別にコスト(時間・金額)の平均値をみると(第2-2-11図(3))、通学は効果が大きいが、通信講座やその他と比較してコストが高くなる傾向がある。通学の場合、就業者では1か月48時間・6万円程度、非就業者では1か月73時間・4万円程度を費やしており、就業者はより金額を支払い、非就業者はより時間を費やしている傾向がみられている。一方、その他の自己啓発手段については、効果は相対的に小さいものの、特に金額面でのコストは低く済む傾向がある。技術革新の進展が激しい環境下では、迅速な労働移動の促進が非常に重要であり、その際、通学等の効果が高い学び直しを行いやすい環境を整備することが重要な課題である。
コラム2-1 学び直しを行っている社会人学生の特徴
大学等で実際に学び直しを行っている社会人学生の特徴がどうなっているか、文部科学省の調査からみてみましょう。まず、学び直しを行っている人がどのような分野を専攻しているのか調べてみると(図(1))、保健(医学、歯学、薬学)、社会科学、工学の分野が15%以上の高い割合を占めています。また、その他57の割合が19%にのぼっていることから、幅広い分野において学び直しが行われていることがわかります。
次に、学び直しを通して習得したい知識・技能・資格等について調査すると(図(2))、専門的な知識を得たいとする回答割合が7割程度あり最も高くなっています。それに続き、思考能力、解決能力、分析能力、プレゼンテーション等の能力が高くなっていますが、これらの能力は、技術革新に伴って必要とされる能力でもあります58。こうしたスキルを身に付けることで、より非定型の機械に代替されにくい業務への労働移動が容易になるわけで、多くの社会人学生は幅広い社会のニーズや技術革新の動向に注目して、専攻分野やコース内容を選んでいることがわかります。
●学び直し促進のために大学等に求められることは何か
日本においては、様々な効果が期待されるのにもかかわらず、通学等での学び直しを行っている人の割合は、他国と比べても少ない。25~64歳のうち大学等の機関で教育を受けている者の割合をOECD諸国で比較すると(第2-2-12図)、日本の割合は2.4%と、英国の16%、アメリカの14%、OECD平均の11%と比較して大きく下回っており、データが利用可能な28か国中で最も低い水準になっている59。現状としては、他国と比較して大学等に戻って学び直すという習慣が定着していないことが示唆される。
では、日本では学び直しが進んでいない背景にはどのようなことが考えられるだろうか。学び直しを行ったことのない社会人に対してのアンケート結果において60、学び直しを行わない理由のうち回答割合の高い上位5項目をみると、費用が高すぎることが37.7%、勤務時間が長くて十分な時間がないことが22.5%、関心がない・必要性を感じないが22.2%、自分の要求に適合した教育課程がないことが11.1%、受講場所が遠いことが11.1%となっている。
社会人が学び直しに対してこのような障害を感じる要因の一つには、学び直しに対応した授業科目の開設を行っている大学が少ないことが挙げられる61。学び直しに対応したコースが少なければ、需要とのマッチングが難しく、通学を行うことが時間的・距離的な面からも困難となる可能性も高くなる。また、供給が少なければ、費用は高くなるためますます通いづらくなることが考えられる。
就業者が学び直しの目的で通う動機が高いと思われるビジネススクールの質についてWorld Economic Forumによる経営者の評価をみると、日本の評価はOECD平均を下回っている(第2-2-13図(1))。諸外国と比較して質の良いリカレント教育を提供している教育機関が少ないこともリカレント教育が進まない背景の一つであると考えられる。また、同じアンケート調査から、高度な専門訓練の受けやすさをみると、日本はOECD平均並であり、こちらについても今後さらなる改善の余地があると考えられる(第2-2-13図(2))。
大学、社会人(社会人教育未経験)、企業62の3者にどのようなカリキュラムを重視しているかについて尋ねた回答結果の分布をみると(第2-2-13図(3))、企業や社会人の重視する割合が大学の重視する割合よりも高くなっている項目として、最先端にテーマを置いた内容や、幅広い仕事に活用できる知識・技能を習得できる内容等が挙げられる。また、特に社会人においては、比較的どの項目も広く重視されているのに対し、大学等はより専門的な知識・技能や研究に力を入れている点も特徴的である。こうしたことを踏まえると、社会人の学び直しを促進するためには、大学におけるコース設定において、より最先端の内容を扱う科目を入れることや、幅広く実務的な内容を取り入れることが重要であると考えられる。
●学び直しは企業から適切に評価されているか
学び直しの促進は、大学等の供給側の問題だけではなく、需要側にも問題がある。社会人がより学び直しを積極的に行わなければ、講座が拡充されても供給過剰となってしまう。学び直しの需要を高めるためには、学び直しの成果が企業において適切に評価される制度も重要であると考えられる。学び直しが適切に評価されなければ、学び直しは高過ぎる、必要性がないと社会人が感じても不思議ではない。
そこで、自己啓発を実施した労働者の処遇がどの程度変化するか企業に調査したところ(第2-2-14図(1))、大きく処遇に反映する方針の企業は6%、ある程度反映する方針の企業は53%であり、6割程度の企業は何らかの考慮を行っている。ただし、残り4割程度の企業については自己啓発を実施しても処遇を変化させないと回答していることから、こうした企業で働いている就業者にとっては、学び直しを行うインセンティブは非常に小さいことが推察される。
また、自己啓発に対する処遇変化は、自己啓発をサポートする制度と相関が高いことが指摘できる(第2-2-14図(2)(3))。自己啓発をサポートする制度があり、活用されている企業は約半分であるが、これらの企業では処遇について考慮すると回答する企業の割合が高い。また、自己啓発をサポートする制度はないが、導入を検討している企業においても、処遇についても考慮するとの回答割合が高い。逆に、制度はあっても活用されていない企業や、そもそも制度がなく、導入予定もない企業においては、処遇を考慮する企業の割合が低くなる傾向がみられている。
前掲の第2-2-9図(2)では、自己啓発を支援する制度があり・活用されている企業では人的資本投資の効果が高くなる可能性を指摘したが、この背景には、学び直しが処遇に反映されることで、労働者が自己啓発を行うインセンティブが高められていることも関係している可能性がある。自己啓発に対する処遇改善とサポート体制を強化することは、企業にとっても、労働者にとってもメリットが大きいことから、自己啓発促進の取組が広がっていくことが期待される。
●大学改革の必要性
本節で述べてきた人材育成や学び直しも含め、大学は知の基盤であり、イノベーションを創出し、国の競争力を高める原動力である。人生100年時代の人づくり革命をけん引する重要な主体の一つとして、時代に合ったかたちに大学改革を進めていくことが求められている。
大学教育の質の向上を図るためには、各大学の役割や特色・強みの明確化を一層進めることが必要である。大学の経営力の強化に向けては、大学の連携・統合等に向けた制度改革、環境整備を進めることも重要な課題である。また、社会の現実のニーズに対応したカリキュラム編成が行えるよう、外部の意見を反映する仕組みづくりも重要と考えられる。このため、実務経験のある教員を増やし、教授会の運営にも参画することなどによって社会の新たなニーズに柔軟に対応できる教育プログラムを実現することが求められている。
さらに、学生が在学中に身に付けた能力・付加価値の見える化を図り、企業も採用プロセスに当たり、「求める人材」のイメージや技能を具体的に示していくことや、大学が示す可視化された学修成果の情報を選考活動において積極的に活用していくことが「求められる教育内容」、「求める人材育成」につながっていくと考えられる。
白書の注目点<2>:人生100年時代には学び直しが大切
●人生100年時代を見据えた人づくり
◇我が国は、健康寿命が世界有数の長寿社会を迎えていて(図1)、若者から高齢者まで全ての国民に活躍の場があり、全ての人が元気に活躍し続ける社会を構築することが重要な課題になっています。
◇こうした人生100年時代を見据え、年齢にかかわりなく学び直し(リカレント教育等)を行い、能力を高めることには、2つの大きな意義があります。一つは、これまでのような新卒で就職した企業に定年まで働くという単線的な職業キャリアではなく、学び直しによって、転職や起業を行うなどの多様なキャリア形成、「人生の再設計」が可能となることです。二つめには、第4次産業革命の技術革新が進む中で、学び直しによって、新技術に対応したスキルや、AI等の機械に代替されにくい能力を身に付けることが可能になることです。
●学び直しの効果
◇学び直しと聞くとハードルが高いように思うかもしれませんが、大学等で勉学に専念する場合はもちろん、通信教育・オンライン講座を受けることや、セミナーへの参加、書籍による独学等その方法は様々です。いずれの場合も、学び直しを行うことでその効果がみられます。
◇学び直しを行った人と行っていない人の動向を数年間にわたって追跡調査した結果を分析すると、学び直しを行った人は、そうでない人と比べて、年収が10万円~16万円近く上昇する効果がみられます(図2<1>)。また、職業に就いていない人が学び直しを行った場合には、そうでない人と比べて就業する確率が10%~14%程度上昇する効果がみられます(図2<2>)。
●今後の人材育成に向けた課題
◇学び直しは大きな効果を持ちますが、特に効果が大きい学び直しは、大学等で再教育を行うことです。しかし、残念なことに、国際比較をすると、25歳から64歳のうち教育機関で学び直し(リカレント教育)をしている人の割合は、日本では2.4%しかおらず、OECD平均の11%を大きく下回っています(図3)。
◇学び直しに向けた課題の一つには、日本では労働時間が長く学習時間が確保できないことがあります。労働時間の短縮は、学習時間の増加につながることがデータからも示されており(図4)、ワーク・ライフ・バランスを促進することが重要です。また、学び直しが適切に評価されていない企業も多いため、学び直しの成果を処遇に反映させることも重要です。
◇さらに、大学等においては、各大学の役割や特色・強みの明確化を進め、社会のニーズに対応したカリキュラム編成を工夫するなど、社会人が求めるより実践的で質の高い学びの機会を提供することが求められています。