第1章 緩やかな回復が続く日本経済の現状 第1節
第1節 今次景気回復局面の特徴
本節では、今回の景気回復局面の特徴と最近の経済動向について概観する。我が国経済は2012年11月を底に回復基調が続いており、2016年後半からは、海外経済の緩やかな回復を背景に、輸出や生産が持ち直すとともに、雇用・所得環境が一段と改善し、人手不足の状況はバブル期並みとなっている。ただし、過去と比べると、引き締まりつつある労働需給の割には賃金や物価の上昇が緩やかなものにとどまっている。以下では、各分野の好循環の進展状況と展望について考察する。
1 今次景気回復局面の特徴
我が国経済は、2012年11月を底に回復基調が続いているが、その特徴としては、雇用情勢が大幅に改善し、物価上昇によりデフレではないという状況が実現する一方、個人消費や輸出の寄与が大きくないという点があげられる。本項では、足下の経済状況及び今次景気回復局面の特徴を論じる。
●海外経済の回復と雇用・所得環境の改善を起点にした回復基調が継続
我が国経済は、2012年11月を底に回復基調が続いている。実質GDP成長率の動向をみると、2013年度に前年度比2.6%の伸びとなった後に、2014年4月の消費税率引上げの影響もあって2014年度に0.5%減少したものの、2015年度と2016年度はいずれも1.2%の成長となり持ち直している。2016年度の動向についてみると、2015年度以降中国を始めとするアジア新興国や資源国の経済の減速が続き、2016年度前半には英国のEU離脱方針の決定など海外経済の不透明感が高まる中、為替レートは円高方向に動いた。こうした中、輸出や企業収益が足踏みとなった。この間、平成28年(2016年)熊本地震(以下「熊本地震」という)による旅行や消費、サプライチェーンへの影響、夏の台風による消費の落ち込みなど、一部に弱い動きもみられた。
しかし、年度後半に入ってからは、各種政策効果もあって中国経済が持ち直すとともに、アメリカ新政権の経済政策への期待感からドル高円安方向で推移し、我が国を含め各国で株価が上昇したほか、春以降上昇基調に転じた原油価格も、11月から12月にかけてのOPEC(石油輸出国機構)等の減産合意以降、堅調に推移するなど、海外の経済情勢が安定化に向かった。こうした中で、我が国の輸出や生産は2016年央以降持ち直しており、企業収益も過去最高水準となるなど、企業部門は好循環の原動力として再加速している。さらに、雇用・所得環境についても、失業率が2017年2月には3%を下回り、有効求人倍率も同年4月にバブル期を超える1.48倍まで上昇している。2017年度の春季労使交渉の妥結状況は、賃上げ率が2%近くとなり過去3年並みで推移している。こうした雇用・所得環境の改善や株価の安定的な推移等を背景に、消費者マインドも改善しており、個人消費についても緩やかに持ち直している。
●これまでの景気回復局面と比較した今次景気回復局面の特徴
今回の景気回復期間は、前述のとおり戦後3番目の長さとなった可能性がある。第1-1-1図で戦後の主な景気回復局面と今次景気回復局面を各経済指標によって比較しているが、今次景気回復局面の特徴は大きく3点ある。
第一は、雇用・所得環境の改善である。今次景気回復局面においては、失業率は4%台から1%ポイント低下し、就業者数は約230万人増加している。就業者数については、人口動態の影響もあっていざなぎ景気やバブル景気より増加幅が少ないものの、失業率の低下幅は過去の景気回復期間を大幅に上回っている。また、名目賃金はいざなぎ景気やバブル景気と比較すれば低い伸びにとどまっているものの、第14循環では減少していたことを考えれば大幅な改善といえる。
第二は、回復期間を平均してみると、消費者物価やGDPデフレーターがプラスに転じており、デフレではないという状況になっていることである。消費者物価については、物価の基調を示す生鮮食品及びエネルギーを除く総合でみると、継続的な賃上げの動きを背景にサービス価格が押上げに寄与したこともあって、2015年まで緩やかな上昇傾向を続け、2016年に入ってから横ばいとなっている。GDPデフレーターについては、国内物価の緩やかな上昇や原油価格の下落などによる交易条件の改善によって2016年半ばまでは前年比でみてプラス基調となった。もっとも、2016年にはいって原油価格が上昇に転じたことから、2016年後半から交易条件が悪化するとともにGDPデフレーターも下落している。
第三は、需要項目別にみた場合に、経済成長率を大きく牽引する項目がない中で、2012年第4四半期対比でみた個人消費の伸びも2%弱と低めにとどまっていることである。個人消費は、消費税率引上げ前の駆け込み需要の反動減もあって2014年度に前年度比2.7%減と大きく減少した後、2015年度、2016年度は、それぞれ同0.5%、0.6%増といずれも0%台の伸びにとどまり、所得の増加に比べて力強さに欠ける伸びとなっている。今次景気回復局面で、伸長した需要項目をみると、設備投資が15%程度の増加、民間住宅が6%程度の増加となっており、強いて言えば、固定資本形成を中心とした経済成長といえる。ただし、過去と比べると、設備投資の伸び自体はそれほど高い訳ではない。また、2012年第4四半期対比でみた外需のGDPの押上げ寄与度は1%台に留まっている。こうしたことから、実質でみた経済成長率は、年平均で1.3%となり、第14循環の1.7%に比べてやや弱めとなっている。
2 企業部門は再び好循環の起点に
2016年秋以降、海外経済の持ち直しから、輸出や生産が持ち直すとともに、為替レートがドル高円安方向に動いた。このような中、企業の収益も2016年度前半の足踏みから年度後半には脱し、過去最高水準となった。設備投資についても、こうした輸出・生産の持ち直しや企業収益の改善に加え、人手不足を反映した省力化への対応もあって機械投資に持ち直しの動きがみられ、また、建設投資もインバウンド需要への対応や都心の再開発に関連したプロジェクトが進行している。このように、企業部門は、2016年後半以降、好循環の起点として再加速している。
ただし、海外情勢をみるとアメリカの新政権の貿易政策を始めとする経済政策の方向性、英国のEU離脱交渉の行方など、各国の経済政策の先行きに対する不透明感が高まっており、その動向などを注視する必要がある。
●世界貿易及び日本の輸出は停滞が続いたが2016年後半から持ち直し
世界の貿易数量の動向を長期的にみると、2000年代に中国のWTO加盟や新興国でのバリューチェーンの構築などを反映して高い伸びを続けていたが、2008年の世界金融危機とその後の景気後退によって大きく減少した。その後、世界の貿易数量は底を打って回復に転じたものの、2010年代の貿易数量の伸びは2000年代と比べて低下し、特に2016年前半には、中国を始めとした新興国経済や資源国経済の減速の影響もあって一時的に貿易数量が減少する局面があった。
これまで輸出が伸びなかった背景をみるために、第1-1-2図(3)で、世界産業連関表(WIOT)をもとに我が国と主要国の製造業の付加価値ベースでの輸出額をみてみると、中国のGVC(グローバル・バリューチェーン)2への貢献度が急成長を遂げている中で、我が国については近年伸びが弱まっており、ドイツやアメリカといった先進国にも水をあけられつつある。この背景には、我が国企業の海外生産比率が高まったことに加え、海外における生産拠点において、部品等の現地法人調達比率が増加しており、日本からの中間財輸入が減少していることもあるとみられる3。第1-1-2図(4)でみるように、貿易財を中間財、資本財、最終消費財に分解すると、中間財の輸出額が2011年をピークに減少しており、特に中国やNIESへの輸出が大きく減少している。
しかし、第1-1-2図(1)でみるように、2016年後半からは、アメリカを中心に先進国の景気回復が持続する中で、新興国経済も持ち直しに向かったことなどから、世界の生産の伸びとともに貿易数量も急激に回復している。
我が国の輸出についても、2016年後半から持ち直しが明確になっている(第1-1-2図(2))。地域別にみると、中国を始めとしたアジア向けの輸出が伸びており、品目別では、中国のスマートフォンの普及・高機能化を反映した半導体等電子部品や、自動車市場の拡大による自動車の部分品の輸出が堅調であることから、電気機器や輸送用機器の輸出が伸びている。
●資源価格の下落等によって2016年度の貿易収支は2年連続の黒字に
2016年度の国際収支は、サービス収支は赤字幅が拡大、第一次所得収支は黒字幅が縮小したが、貿易収支の黒字幅が拡大したことで、経常収支の黒字幅が拡大した(第1-1-3図(1))。2016年後半に原油価格の上昇テンポが高まったものの、1年を通してみると、資源価格の下落と前年比でみて円高となったことを反映して、輸入価格が大幅に下落し、輸入金額が減少したことから貿易収支は2年連続の黒字となった。交易条件は改善しているが、2016年前半の世界的な経済成長の鈍化もあって輸出入ともに金額は減少した。
ただし、世界的にIoTやクラウドなどICTの進展を背景に、日本で生産される電子部品・デバイスや半導体等製造装置などへの海外からの需要の回復もあって、今後は輸出数量の持ち直しが持続することが期待される。
サービス収支については、年々赤字幅が縮小している(第1-1-3図(2))。この背景としては、日本への旅行者数の飛躍的な増加による旅行収支の黒字化や、前述したような海外への生産拠点の移転によって知的財産権等使用料の受取が増加したなどがある。アメリカや英国では1980年代以降、フランスでは2000年代から貿易収支の赤字とサービス収支の黒字が定着しているが、成熟した経済では、財貨ではなくサービスで「稼ぐ」傾向が世界的にみられている。
第一次所得収支の黒字額は、高水準で推移している(第1-1-3図(3))。この背景として、海外への生産拠点の移転や、積極的なM&Aなどによって海外からの収益が増加していることがある。さらに、国内での低金利環境の下で、海外への投資機会を求めて、海外証券への投資が増加していることから、証券投資収益も増加傾向にある。ただし、直接投資や証券投資による収益は為替動向や海外経済の動向によって影響を受けやすいことに留意が必要である。
●国内外の需要に支えられて拡大する生産
国内の生産活動は、2015年後半から弱含みとなり、その後横ばいで推移していたが、世界経済が緩やかに回復する中で、電子部品・デバイスなどの輸出に支えられて、2016年後半から持ち直している(第1-1-4図(1))。
電子部品・デバイスの輸出が伸長したことについては、中国市場において高機能のスマートフォンへの需要が拡大し、スマートフォン向けの半導体や液晶パネルなどの生産が増加したことを反映している。世界の半導体需要の動きを見ると、これまで増勢が続いていたスマートフォン向け需要が2016年前半に一服したものの、AIやビッグデータの活用に向けたデータセンターの強化やIoT向けのセンサーなどで需要が増加していくものと見込まれている(第1-1-4図(2))。
生産用機械についても、半導体需要の高まりを背景に、2016年後半から国内外向けの半導体製造装置の生産が拡大したほか、省力化投資に向けた産業用ロボットなどの生産も増加した。また、日本製品の質の高さが認知された結果、化粧品など生活用品への海外需要も高まっている。
輸送機械については、アメリカの自動車市場の好調さに加え、2016年後半の新型乗用車投入により国内販売が持ち直しており国内の需要の堅調さも生産の増加を支えている。
●企業収益は2016年度後半から回復
2016年後半からの世界経済の回復や金融資本市場の安定化等に支えられて企業収益は改善している(第1-1-5図(1))。業種別にみると、製造業では2016年度前半に為替の円高方向への動きが進んだことなどから輸出産業の収益は下押しされた。その後、アメリカ大統領選のあった同年11月には為替レートがドル高円安方向への動きに転じた。こうした中、好調な外需が牽引して、輸送用機械や電機、一般機械等で収益が改善してきている。非製造業では、資源価格の回復に支えられた商社などで改善したほか、システム投資需要やスマートフォンの利用拡大等を受けて通信などが好調となっており、国内の消費の持ち直しやインバウンド需要の高まりを受けて、サービス業でも収益が改善している。
近年の企業収益の特徴として、企業全体の収益力を示す経常利益が、本業の儲けである営業利益を上回って増加していることが挙げられる。第1-1-5図(2)で、やや遡って企業収益の構造をみると、90年代前半までは企業が相当程度負債を保有しており、金利も現在に比べれば高かったことから、支払利息が経常利益の下押しに効いていたことがわかる。これに対して、90年代半ば以降、企業が不採算部門のリストラを進め、過剰債務・過剰設備を削減してきた結果、2000年以降では債務残高の減少と金利の低下によって支払利息が大幅に減少する中、子会社からの配当などの受取利息等の増加により収益が底上げされている。また、海外への拠点移転が進んだ結果、海外生産比率が製造業、非製造業ともに上昇しており(第1-1-3図(4))、海外からの配当受取が増加している(第1-1-5図(3))。
ただし、こうした収益力の強化の度合いは、企業規模によって差があることに留意が必要である。リーマンショック後の経常利益は、大中堅企業が中小企業を大幅に上回って伸びている(第1-1-5図(4))。
日銀「全国企業短観経済観測調査(短観)」における販売価格DIから仕入価格DIを差し引いた交易条件は、2000年以降、中小企業は大中堅企業に比べて厳しくなっており、中小企業で価格転嫁が難しいという状況がみられる(第1-1-5図(5))。
企業規模間のギャップを業種別にみると、建設や運輸・郵便において2000年代を通じてエネルギーや資材価格の上昇等によってコストが高まる一方、販売価格の上昇は不十分なものにとどまっていることから、相対的に中小企業において交易条件の悪化がみられる。建設については、景気の緩やかな回復に支えられて、2014年以降、大企業・中小企業ともに交易条件が改善しており、結果として規模間のギャップは縮まっていない。運輸・郵便では人手不足もあり、2016年以降、中小企業で大幅に交易条件が悪化しており、大企業とのギャップが広がっている。
●人手不足やインバウンド需要に対応するための投資が活発
企業の設備投資4の動向については、基調として持ち直しが続いており、2016年度前半には、海外経済に関する不透明感等もあって足踏みがみられたが、年度後半からは、輸出や生産の回復を背景に持ち直している(第1-1-6図(1))。最近の企業の投資意欲の改善の背景には、収益環境の好転だけでなく、技術革新が進む中でR&D投資を強化する動きや、人手不足を見越した省力化投資の必要性、インバウンド需要等に対応した建設投資の高まりなどが影響しているとみられる。
平成27年度国民経済計算年報に基づいて、設備投資の形態別の動向を長期的にみると、新製品開発などのR&D投資やICT投資がすう勢的に増加している一方、減少傾向にあった建設投資が2013年以降増加に転じている。こうした中、機械投資の割合は5割以下となっている(第1-1-6図(2))。
このうち、最近伸びが高まっている建設投資5については、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会(以下「2020年東京大会」という。)の開催が3年後に控える中、インバウンド需要が高まっており、宿泊施設や商業施設の建設が積極的に行われているとみられる。また、運輸では、Eコマース(電子商取引)の拡大による物流量の増加に対応するための物流拠点の新設・拡充が行われている(第1-1-6図(3))。
機械投資の動向について、業種別に長期的な推移をみると、製造業では、近年増加しているものの、長期的にみるとリーマンショック後の減少分を取り戻しておらず低迷していることがうかがわれる(第1-1-6図(4))。こうした背景には、世界金融危機後の世界経済の回復が緩やかなものにとどまっていることや、生産拠点の海外への移転が進んだこと、新興国との競争によって一部の製品の競争力が失われていること等が影響していると考えられる。ただし、製造業においても、最近では設備の過剰感が低下してきており、今後世界経済の回復が順調に進めば持ち直しが続くことが期待される。他方で、卸小売や建設では、前述したインバウンド等の需要やEコマースの拡大などもあり、機械投資についても積極的な姿勢がみられている。また、高齢化や女性の労働参加の拡大を背景にした保育・介護需要の高まりを反映して保健衛生・社会事業も増加に寄与している。機種別の機械受注動向をみると、省力化を目的とされることの多い産業用ロボットなどが大きく伸長しており、企業は人手不足への対応を進めている。
ソフトウェア投資などのICT投資は、主に省力化や生産性向上のほか、情報セキュリティ対策強化を目的に実施されているが、一部の企業でIoTやビッグデータの活用に向けた投資も進められている(第1-1-6図(5))。AIやビッグデータ時代の到来に向けたICT投資については第3章で詳細に議論するが、こうした動きが広がっていけば、ICT投資がさらに伸長していくことが期待される。R&D投資については、自動車や化学、一般機械において増加傾向にある。こうした産業では、イノベーションを生み出すことで新製品開発や高付加価値化を図っているとみられる。
広義の投資ともいえるM&Aの動向をみると、案件数でみて2010年以降件数が増加しており、2016年は既往ピークである2006年に迫る水準になっている6(第1-1-6図(6))。特に、国内企業による海外企業の買収(IN-OUT)が全体の約6割を占めていることが特徴である。国内市場の成熟を見込んで、海外需要の取り込みや新技術の獲得により、企業の成長を追求する姿勢がみられる。他方で、海外で買収した企業の業績悪化等により多額の損失を計上する例もみられており、海外の投資先の選別が重要になっている。
●設備投資には増加余地も
設備投資は持ち直しの動きが続いているものの、固定資本減耗を考慮した資本ストックの伸びは2013年度以降で年率0%台であり、現在の緩やかな実質GDPの成長率と比べても低い伸びにとどまっている。
第1-1-7図(1)に、I/K比率(設備投資・資本ストック比率)を横軸に、設備投資前年比を縦軸として、両者の関係を示す資本ストック循環図を示しているが、2016年度の設備投資額は資本減耗を上回っており、資本ストックは0.9%程度伸びている。仮に資本係数(資本・産出比率)が現状のトレンドで緩やかに低下していくことを想定すると、現在の資本ストックの伸びに見合う実質GDPの予想成長率は1%強となっており、企業行動アンケートにおける2016年度の上場企業の成長率見通し(1.1%)とほぼ整合的になっている(第1-1-7図(2))。先行きについては、同アンケートで2017年度の成長率見通しは1.0%となっており、引き続き高い水準の設備投資が見込まれる。さらに、2016年後半から世界経済が回復していることや、2020年東京大会が近付くにつれて更に需要が高まること、また、中長期的にはICT投資などによる生産性の向上や規制改革など政府の成長戦略の実現によって潜在成長率が高まっていくことなどから、企業の中期的な予想成長率が次第に高まり、設備投資はさらに増加する余地もあると考えられる。
●不確実性の高まりに留意が必要
2016年以降、英国のEU離脱方針の決定、アメリカ新政権の発足、欧州主要国における国政選挙など、各国の経済政策に大きな影響を与えるイベントが続いており、将来の政策動向についての不透明感が高まる局面がみられている。
家計や企業は意思決定の際に、自国だけでなく他国の経済政策(金融政策や財政政策、為替政策、貿易政策)の動向を考慮するため、その先行きについて不確実性が高まると、消費や投資を控えるなどの萎縮的な行動をとる可能性がある。
こうした不確実性と実体経済の関係は、近年研究者の間で大きな注目を浴びている。スタンフォード大学のブルーム教授らのグループは、経済政策に対する不確実性(Economic Policy Uncertainty)を客観的な指標で把握する手法として、新聞記事において経済政策の不確実性について言及された頻度に基づき、経済政策の不確実性を数値化した経済政策不確実性指数(Economic Policy Uncertainty Index)を開発した7。
こうして作成された各国の不確実性指数を加重平均したグローバルの不確実性指数(グローバルEPU)の動きをみると、2016年に入ってから、英国のEU離脱方針に関する国民投票やアメリカ大統領選などの国政選挙の結果などによって大きく上昇した後、2017年にかけて低下した(第1-1-8図(1))。こうした不確実性の高まりは、世界経済や我が国の輸出にどのような影響を及ぼしているであろうか。
第1-1-8図(2)で、グローバルEPUと我が国の輸出数量の時差相関をとってみると、不確実性が高まった半年から1年後に輸出がはっきりと減少するという関係がみられる。不確実性と世界の貿易量は負の相関関係にあることは、世界銀行のレポート(Constantinescu et.al (2017))でも指摘されているが、我が国の輸出にもそうした関係性がみられる。
アメリカの新政権の経済政策や欧州の政治情勢など、不確実性については今後も当面は高い状況が続くことが見込まれる。我が国経済へのリスクとしては、不確実性が長期にわたって継続した場合の企業や消費者のマインドへの悪影響に注視する必要があるが、逆に、不確実性が解消される中で改善方向に影響する場合もあり、上方・下方の両面でその動向について今後も注意深く見ていく必要がある。
●震災による影響と復興への取組
我が国経済を取り巻く環境として、地震や台風といった大規模な災害をもたらす要因についても留意する必要がある。近年我が国は、平成7年(1995年)兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)や平成16年(2004年)新潟県中越地震、平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、熊本地震などによって大きな被害を受けてきた。
東日本大震災については、2011年3月11日の震災発生から6年が経過し、道路や鉄道などのインフラについては、一部を除きおおむね復旧したといえるが、2017年2月時点で避難者数は12万人となっており、復興は道半ばである。
県民経済計算をもとに、岩手、福島、宮城の東北3県の復興の状況をみてみると、第1-1-9図(1)に示すように、3県とも震災のあった2010年度とその翌年である2011年度において製造業が県内総生産を大きく減少させている。宮城県以外の2県については、製造業の回復の動きが緩慢である。また、福島県では、原子力発電所の事故の影響により電気・ガス・水道が大きく減少に寄与している。農林水産業については、広範囲にわたる甚大な津波被害などによって生産インフラが壊滅的な打撃を受けたことや担い手不足もあって、各県とも厳しい状況となっている。
一方で、復興需要を背景に、3県とも建設業が総生産全体を押し上げており、運輸や卸売・小売業、サービス業にも波及している様子がみられ、総じてみれば比較的高い経済成長率を実現している。
ただし、第1-1-9図(2)でみるように、建設需要は次第に落ち着いていくことが予想されるため、2020年度までの復興・創生期間においては、被災地の自立につながり、地方創生のモデルとなるような持続的な経済成長を目指していくことが必要である。この間、被災地では復興に向けた様々な取組が広がっている。とりわけ、若い世代が、震災を契機に起業や協働により、ICTの活用や海外販路の開拓など新しいアイデアや知識を持ち込むことで眠っていた被災地の資源を発掘し、商品化・事業化を行う事例がでている(復興庁(2015))。こうした取組を後押しし、持続的かつ自立的な成長につなげる取組が必要である。
震度7を2回記録した熊本地震では、8千棟以上の住宅が全壊となり、自動車や半導体をはじめとした製造業のサプライチェーンに影響が出たほか、九州の大動脈である九州自動車道が通行止めとなるなど大きな被害があった。
発災後1年間の熊本県経済の状況をみると、2016年4、5月の鉱工業生産指数が前年比2割減と大きく落ち込んだが、復旧が進んだことなどから電子部品・デバイスや輸送用機械を中心に回復し、2016年6月には震災前の水準に戻っている。
一方、重要な観光資源である熊本城や阿蘇神社に被害が出るなど大きな影響が懸念された旅行についてみると、2016年の4-6月期には海外からの宿泊客が前年比5割減と大きく落ち込み、2017年1-3月期でも前年比3割減と依然元の水準に回復していない。また、2017年4月時点で約5万人の住民が県内外の応急仮設住宅等に居住している。
被災自治体では、災害公営住宅の整備を進めるなど被災者の住まいの再建や経済の再生、交通インフラの復旧など本格的な復興に向けた取組を進めている。
3 四半世紀ぶりの人手不足感の高まり
生産年齢人口が減少しているものの、アベノミクスの進展により女性や高齢者の労働参加率の上昇が続いており、労働力人口は増加傾向が続いている。労働市場では需給が引き締まりつつあり、人手不足の状況はバブル期並みとなっている。他方で、賃金の伸びは、過去に労働需給が引締まりの方向で推移した局面と比較して、緩やかなものにとどまっている。
本項では、人手不足の状況を概観するとともに、好循環の拡大のために必要な条件について考察する。
●人手不足はバブル期並みの水準に
我が国の労働市場は、改善が続いている。完全失業率は、2017年2月に94年12月以来約22年ぶりに3%を下回った。仕事の見つけやすさの指標である有効求人倍率は4月にバブル期最高の1.46倍を超える1.48倍となった。有効求人倍率を地域別にみると、1.46倍となった90年7月においても、北海道や九州、沖縄では1倍以下となっているなどばらつきがみられていた。これに対して、今回は、2016年以降、全地域で1倍を超えて推移しており、雇用環境の改善が全国に広がっていることが確認できる。こうした指標からすると、我が国の労働市場は、バブル期並みの人手不足といえる。ただし、有効求人倍率を正社員だけについてみると、2004年の統計開始以来最高であるものの2017年5月時点で1倍を下回っており、求人と求職にミスマッチがあることには留意が必要である(第1-1-10図(1))。
失業率の大幅な低下の背景には、2012年には285万人であった失業者数が、2016年10月以降200万人を下回る水準で推移していることがある。失業者の減少要因を労働力人口と就業者の増減に分解すると、2009年から2012年頃までは、失業者の減少の多くは労働力人口の減少によるものであったが、2013年以降においては、就業者の増加が失業者数を押し下げるとともに、労働力人口は前年比で増加に転じ、2016年には2009年対比でも増加となった(第1-1-10図(2))。これを、就業・失業・非労働力の3状態間の移動確率で確認すると、失業や就業から非労働力への移動確率が横ばいないし減少する中で、失業者の就業確率が増加している(付図1-1)。
また、有効求人倍率は、求人数の増加及び求職者数の減少が背景にある。有効求人数は、リーマンショック後の2009年には120万人台で推移していたが、その後長期にわたって増加が続いている。求人の中身をみると、高齢化やインバウンド需要の高まりなどを背景に、医療・福祉や卸売・小売、飲食・宿泊などが増加していたが、2016年以降建設業も増加に転じ、2016年後半からは生産の持ち直しを背景に製造業も増加している(第1-1-10図(3))。
求職者数は、第1-1-10図(4)にみるように、2009年以降、失業者数とほぼ同じテンポで減少しており、求職者数の減少は単に人口減少を反映している訳ではなく、雇用の拡大に伴う失業者数の減少が寄与していると考えられる。
雇用が拡大する中での人手不足の背景をバブル期と比較してみると、バブル期では生産年齢人口が増加する中で、労働参加率も上昇し、雇用者数が大幅に増加した。一人当たり労働時間は週40時間労働制の導入の影響もあって大幅に減少したものの、マンアワーで見た労働供給は年平均で1%以上増加した。これに対し、今回の景気回復局面では、生産年齢人口の減少が続く中で、労働参加率は女性や高齢者を中心に上昇し、雇用者数が増加した。しかしながら、新たに労働参加した層の労働時間が短かったことから、労働者全体でみた一人当たり労働時間は減少し、マンアワーでみた労働供給の伸びは年0.2%まで低下している(第1-1-10図(6))。こうした中、2012年時点では雇用者数全体の6%に過ぎなかった高齢者の割合は、2016年には9%に上昇しており、15~64歳女性の労働参加率は5%ポイント程度上昇している(第1-1-10図(5))。
人口動態が労働市場に与える影響については、現状では官民における女性や高齢者が働きやすい環境を整備する努力もあって、労働参加率が高まり、ある程度相殺されている。しかし、今後高齢化がさらに進展する下では、労働供給の停滞が成長制約となる可能性があるため、潜在的な労働供給力の活用に加え、限られた労働力の効率的な活用に向けた取組が重要である(詳細は第2章)。
●引き締まりつつある労働市場に比べて緩やかな賃金上昇
労働需給が引き締まりつつある中で、労働者が受け取る名目賃金の伸びは緩やかなものにとどまっている8。この背景としては、フルタイムで働く「一般労働者」の名目賃金が緩やかに増加する一方、パート労働者の労働者全体に占める割合(パート比率)は上昇を続けており、労働者全体で見た名目賃金上昇率を押し下げていることがある。ただし、2017年に入ってからパート比率の伸びが鈍化していることから、パート比率による平均賃金の下押し圧力は縮小している(第1-1-11図(1))。
現在と同様に労働需給の逼迫度が高まったバブル期と比較すると、当時は、名目賃金は比較可能な30人以上事業所で年率で3.6%伸びていたのに対し、今回の景気回復期では0.4%の伸びとなっており、物価上昇率を加味した実質賃金でみてもバブル期の方が高くなっている(第1-1-11図(2))。バブル期と現在では労働市場を取り巻く環境が大きく違うため、一概には比較できないとは言え、現在の賃金の伸びは緩やかなものにとどまっているといえる。
こうした中、我が国全体の賃金所得を表す総雇用者所得は、緩やかに増加している。総雇用者所得の動向を雇用者数の伸びと一人当たり賃金の伸びに分解すると、主に雇用者数の増加に支えられてきたが、2014年以降は、一人当たり賃金も押上げに寄与するようになっている。今後、労働力人口の伸びが徐々に低下する中、さらに総雇用者所得を押し上げるためには、一人当たり賃金の引上げが不可欠といえる(第1-1-11図(3))。
●バブル期に比べて低い労働生産性の伸び
一人当たり名目賃金をやや長い目で見ると、バブル期では大幅に増加していたが、2002年以降の景気回復や、2012年以降の今次景気回復局面では伸びが抑えられている(第1-1-12図(1))。
一人当たり賃金は労働時間に時間当たり賃金を乗じたものであるため、その動向を理解するためには、労働時間と時間当たり賃金を分解して考察する必要がある。
一人当たり労働時間は長期的に減少している(第1-1-12図(2))。91年度の経済白書(経済企画庁(1991))では、バブル期の人手不足の状況について、企業は人材確保のため、賃金の引上げではなく、労働時間の短縮によって待遇改善を行っていると分析している。当時は、労働基準法の改正による労働時間短縮の動きもあったため、一概には言えないが、人手不足の中、企業が一人当たり労働時間を削減しつつ、労働者数を増やすことで労働需要を満たそうとする行動は、現在の「働き方改革」と相似形であり、人手不足下では不可避なものといえる。労働者が実際に手にする賃金が増加するかどうかは、労働時間の短縮を上回って時間当たり賃金が増加していくかにかかっている。
次に、時間当たり賃金の動向をみてみよう。時間当たりの名目賃金上昇率を物価上昇分、労働生産性上昇率と労働分配率の変化に分解すると、2012年以降の景気拡大局面において、労働生産性上昇率の賃金に対する押上げ寄与は平均で年率約0.7%となっており、バブル期平均の同約3.8%に比べてかなり小さくなっている(第1-1-12図(3))。この背景として、バブル期には積極的な設備投資を背景に資本装備率(雇用者一人当たりの資本ストック)が年平均3%以上増加していたのに対し、足下では2012~15年の3年間の平均で、やや減少していたことが指摘できる。名目賃金の上昇率を引き上げるためには、労働生産性の上昇による底上げが不可欠である。
●労使のリスク回避的な姿勢が賃金引上げを抑制している可能性
景気拡大局面では企業収益が人件費の増加を上回って増加するため、労働分配率は低下する傾向があるものの、現在の労働分配率の水準は、法人企業統計季報ベースでは2002~08年の景気拡大期を下回っており、企業の賃上げ余地は大きいといえる(第1-1-13図(1))9。他方で、企業の人手不足感や欠員率は、バブル期の水準をうかがう勢いであり、賃上げの環境は整っているといえる(第1-1-13図(2))。
企業アンケートによると、人手不足感が強まっていたバブル期には、賃金決定に際して「労働力の確保・定着」を重視する企業が急速に増加し、91年には約18%となった。今回の人手不足局面でも、こうした要素を重視する企業は増加傾向にあるとはいえ、2016年において11%となっており企業の慎重姿勢は強いようにみえる。さらに、賃金決定に際して「世間相場」を考慮するとした企業の割合は、バブル景気では3割程度あったのに対し、現在は数%程度となっており、長期的に減少傾向にある(第1-1-13図(3))。バブル崩壊以降長く続いた経済の低迷の中で、雇用の維持のため労働者側は長く賃金抑制による人件費の抑制を甘受せざるを得ない状況が続き、賃金をめぐって労使間が厳しく対立する局面が少なくなったことが背景にあると考えられる。さらに、人件費抑制の一環として、大幅な新規採用抑制が行われたため、労働者は安定した職を得、それを維持することを優先する意識が強くなっている。第1-1-13図(4)にみるように、労働者への意識調査では、理想のキャリア形成として「1つの企業に長く勤め、管理的な地位あるいは専門家になる」を選択する労働者の割合が年々増加しており、99年の約4割から2015年には5割超となっている。他方で、複数企業での経験や独立を志向する層が減少しており、特に独立自営キャリアは99年の15%から10%まで低下している。こうした労働者側のリスク回避的な選好は、賃金上昇より雇用の安定を求める姿勢につながり賃金決定に関する交渉力を弱めている可能性がある。
同時に企業側もリスク回避的な姿勢により、賃金引上げに躊躇している可能性がある。 山本・黒田(2017)や 加藤(2017)は、企業が賃金の引下げが難しいと考える場合、将来の負の経済ショックに備えて、予め賃金を低く抑えておくインセンティブが働くと指摘している10。終身雇用・年功賃金と職務を限定しない働き方を特徴とする、いわゆる「メンバーシップ型」の雇用慣行を持つ企業において、労使双方が変化を恐れ、経営の安定を優先する下では、互いが企業内の論理に基づき賃金交渉を行うため、外部の労働市場においていくら賃金上昇圧力が高まっても内部労働市場には波及しにくい。ただし、人手不足が深刻化する中で、企業が外部労働市場を通じた多様な人材の受入れを行う機会が増えていけば、職務や能力に応じた賃金決定を行う必要性が高まることにより、労働生産性に見合った賃金が支払われることにつながる可能性が考えられる。また、同一労働同一賃金の取組を含む「働き方改革」を実行していくことで、これまでの賃金決定のあり方を見直すことにつながる可能性がある。
●本格的な回復が期待される個人消費
前述のとおり、雇用者所得の緩やかな増加に支えられて、個人消費は緩やかに持ち直している(第1-1-14図(1))。2016年度は、熊本地震や8月の例年にない数の台風の上陸、10月以降の生鮮野菜等の価格高騰などの影響により短期的な落ち込みはあったものの、均してみれば持ち直しの経路を維持してきたといえる。
所得面について、より家計の実際の手取り所得に近い概念でみるために、国民経済計算における家計の可処分所得の動向を、一定の前提の下で2016年まで延長推計すると、2014年に低下した後、2015年及び2016年については、税や社会保険料に係る大きな制度改正がなかったこともあり、雇用者報酬の伸びにほぼ見合って増加している(第1-1-14図(2))。ただし、平均消費性向は高齢化が進展する中でも低下しており、本格的な回復とはいえない状況にある(第1-1-14図(3))。こうした消費の動向については、次節で詳細に分析する。
4 デフレ脱却への展望
アベノミクス以降の消費者物価の動向をみると、2013年以降前期比でプラス基調が続いていたものの、2016年に入って横ばいとなっている。家計・企業の適合的な予想形成11を前提とすれば、持続的な物価上昇により、デフレマインドを払しょくすることがデフレ脱却に不可欠である。以下では、こうしたデフレ脱却に向けた取組の進捗と今後の課題について検討する。
●消費者物価指数は横ばい
消費者物価を生鮮食品を除く総合(いわゆるコア)でみると、エネルギー価格の下落から2016年初から前年比マイナスで推移していたが、原油価格が2016年初に底を打って上昇し、11月から12月にかけてのOPEC等の減産合意以降堅調に推移したことなどからガソリンを含む石油製品などのエネルギー価格が上昇し、2017年に入ってからは前年比プラスで推移している(第1-1-15図(1))。生鮮食品及びエネルギーを除いた消費者物価の基調をみると、2016年央にかけての為替の円高方向への動きなどから耐久消費財の価格が下落しているものの、サービスや食料品価格が上昇しており横ばいとなっている(第1-1-15図(2))。サービス価格の動向を詳細にみると、外食や宿泊などが上昇に寄与している一方で、家賃が一貫してマイナスに寄与しているほか、2015年10月以降は通信料がマイナスに寄与しており、2017年1月から2月にかけて更に低下幅が拡大している。
第1-1-15図(3)で物価変動をもたらす様々な要因と消費者物価上昇率(コア)との時差相関をとっているが、名目実効為替レートの上昇(円の増価)は、3四半期以上のラグを伴って消費者物価を押し下げる一方、GDPギャップのプラス幅の拡大(マイナス幅の縮小)や契約通貨ベースの輸入物価の上昇は1~2四半期のラグを伴って消費者物価を押し上げることが示唆される。また、消費者の1年後の予想物価上昇率については、当期と1期後の物価と連動することがわかる。
この結果を基に、消費者物価上昇率(コア)を当期の予想物価上昇率、1期前の消費者物価上昇率、1四半期前の輸入物価(契約通貨ベース)上昇率、3四半期前の為替レート上昇率と2期前のGDPギャップによる影響に分解したのが第1-1-15図(4)である。これをみると、2013年後半から為替レートの減価や予想物価上昇率の上昇、GDPギャップのマイナス幅の縮小によって物価が押し上がっていたが、その効果が徐々に剥落し、輸入物価の下落もあって2015年後半からマイナスとなっている。2017年に入ってからは、過去の為替レートの増価による下押しはあるものの、原油価格による押下げ効果が剥落したことから、プラスとなっている。名目実効為替レートが2016年末に下落した後2017年に入ってからも安定して推移していることなどから、先行指標である企業物価が緩やかに上昇しており、ラグをもって消費者物価に波及していくことが見込まれる。
●物価の安定的な上昇には賃金上昇が不可欠
名目所得を一定とすれば、ある品目の価格が上昇すると、家計はその品目の相対的な必要度によって支出行動を変える。例えば食料品価格が上昇すると、家計にとって必需品である食料品への支出割合が価格分だけ上昇し、その他の支出が減少することが考えられる。品目別の価格の変化と家計の支出行動の関係を推計したところ、付注1-2でみるように、食料品価格が上昇すると、価格上昇分を相殺するために、食料品以外の品目に対する支出割合が減少するという結果が得られた。
価格上昇によって消費が冷え込めば、企業側は価格を下げざるを得ず持続的な物価上昇にはならない。持続的な物価上昇には、将来にわたる賃金の持続的な上昇により、予想物価上昇率を高めるとともに、物価上昇の影響を賃上げによって吸収していくことが重要である。
賃金を巡る環境をみると、賃上げの動きが4巡目となり、春季労使交渉における賃上げ率は、3年連続で2%を超えた後、4年目もほぼ同水準となる見込みである。
賃金の伸びをマクロ的にみるために、生産一単位当たりの労働コスト(ユニットレーバーコスト、以下、「ULC」という。)を計算すると、このところ横ばいとなっており、長期的に上昇しているアメリカやEU各国と大きく状況が異なっている(第1-1-16図(1))。
ULCは、労働投入一単位当たりの生産量が増加(生産性が向上)すると下落し、賃金が増加すると上昇する。ULCの変化を生産性要因と賃金要因に分解すると、98年頃から生産性の向上によって押し下げられる中、賃金の伸びも低いため、それ以前のように上昇していかない状況がみられる(第1-1-16図(2))。消費者物価とULCの関係をみると、やや関係は弱まっているものの、正の相関にあり、賃金上昇と物価上昇は車の両輪であると言える(第1-1-16図(3))。
●労働需給と賃金、物価上昇率の関係
前項でみたように、労働需給の引き締まりの程度が賃金上昇率に与える影響は弱くなっている。失業率と時間当たり賃金の上昇率の関係をみると、負の相関関係は維持されているものの、近年では、フィリップス曲線がフラット化しており、関係が弱くなっていることがうかがわれる(第1-1-17図(1))。
第1-1-17図(2)で、賃金上昇による物価変動を分析するため、産業連関表に基づき、全産業部門で等しく2%賃金が上がって財やサービスの価格に転嫁されたと仮定したときの物価上昇率を試算すると、95年以降0.8~0.9%と安定している。着実な賃金上昇が物価上昇につながることについては、デフレが本格化する前も現在も変わりない。したがって、今後、賃金上昇がさらに持続し適切に価格転嫁がされれば、物価上昇率も高まっていくことが期待される。
ただし、企業が人件費を含めたコストの上昇分を販売価格に転嫁できなければ、物価上昇にはつながらず持続的な物価上昇にはつながらない。付図1-2の日銀短観の販売価格DIと仕入価格DIの動向をみると、全産業平均では、仕入価格のプラス幅が拡大する中、販売価格DIの動きは鈍い。業種別にみると、運輸や宿泊・飲食など労働集約的な業種において、仕入価格DIと販売価格DIの乖離が特に大きくなっており、転嫁が難しい状況がみられる。長く続いたデフレによって、物価上昇に対する警戒感は家計、企業ともに根強い。企業側は価格引上げによる需要喪失に対する懸念が強く、家計も価格の変化に対して敏感になっている。しかし、好循環の拡大のためには賃金上昇による消費の拡大と適切な価格転嫁による物価上昇が車の両輪として回っていく必要があり、こうしたシナリオを国民の間で共有していくことが不可欠である。
コラム1-1 生え抜き正社員の賃金カーブは足下でやや改善
個々の労働者が受け取る賃金は、勤続年数や性別、学歴、企業規模などによって異なり、マクロの賃金動向とは必ずしも一致しない。コラム1-1図は、若い時から同一企業に勤める正社員、いわゆる「生え抜き正社員」の勤続年数ごとの賃金(賃金カーブ)を、やや詳細にみたものである。これをみると、2005年以降、企業規模や学歴を問わず賃金カーブのフラット化が進んでいたことがわかる。ただし、2014年以降は、大企業の勤続5年から20年までの層を中心に賃金カーブが持ち上がっている。
実際に賃金カーブが変化しているかどうかについて、回帰分析を用いて統計的検定を行うと、企業規模や性別、学歴によってその変動の大小はあるものの、2005年から2014年にフラット化が起き、2014年から2016年にやや持ち上がったことがはっきり確認できる(付注1-1参照)。
正社員に占める生え抜きの割合は大学卒以上では総じてみれば高いものの、多くの産業で低下傾向にある。30代以降では転職経験者が多くなるため、中途採用組の割合が増加していくが、中途正社員の賃金カーブは生え抜き正社員に比べて上昇が緩やかであり、転職によるマイナスの賃金プレミアムが存在する可能性が示唆される。中途正社員のスキル・経験を正当に評価して処遇する仕組みをつくることで、労働市場の効率性が高まり成長を押し上げる効果が期待できる(詳細は第2章)。