むすび

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本報告書では、「震災後の日本経済の展望をどう切り開いていくか」という問題意識から、経済財政を巡る短期、中長期の課題について、現状の把握と論点の整理を試みた。その結果を踏まえて、改めて現下の日本経済に関するメッセージを示すと、次のようになる。

(景気の先行きとリスク)

2010年秋頃から足踏み状態にあった日本経済は、いったんは持ち直しに転じる動きを示したものの、2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う原子力災害により強い下押しを受け、弱い動きとなった。その影響は、ストックの毀損、サプライチェーンの寸断、電力供給の制約等による生産活動の落ち込みのほか、マインドの悪化による需要の減退など多岐にわたった。その後、4月以降になると、被災地域の生産活動の一部が再開し、電力供給の制約が緩和するなかで、サプライチェーンの修復が徐々に進む一方、個人消費にも持ち直しの兆しが現れている。

物価面では、震災で一部の日用品等の価格が上昇したほか、震災前から石油製品を中心に国際的な資源価格の上昇の国内物価への波及が見られるが、これらは個別商品の価格上昇であり、一般物価のデフレ基調が払拭されたわけではない。

先行きについて、景気が順調に持ち直していくためには、こうした動きが続いてサプライチェーンが立て直され、落ち込んでいた生産活動が回復することが条件となる。加えて、需要面では、海外経済の回復が続くこと、国内では補正予算の効果も含め、ストック再建に伴う投資需要が拡大することが景気のけん引力として期待される。マインドの改善も前提となる。ここで、特に民間企業の投資は、将来の需要を見込んで行われるため、中長期的な日本経済の成長力に関し、展望が開けていることが重要となる。

しかし、こうしたシナリオにはいくつかのリスクが伴う。生産の回復は、電力供給の制約への対応が鍵となるが、天候要因に左右される面もあり、不確実性が残る。需要面では、原子力災害の収束が長期化するなかで、風評被害を含め、人の移動や貿易等への影響が続く場合、短期的な景気のみならず中長期的な成長の下押しにつながりかねない。所得面では、すでに企業収益へのダメージが生じており、雇用者所得の回復が遅れれば、内需の足かせとなることも考えられる。一方、資源高の影響や、海外経済の回復テンポが緩やかになっていることにも注意が必要である。特に、IT関連財の需給が再び軟化しており、供給制約が解消したとしても、外需面から生産を下押しするリスクが存在している。

(震災後も従来からの中長期的課題は変わらず)

震災によって日本経済は復旧、復興という新たな課題を抱えることになった。まずは、そうした取組への政策資源の割り振りが要請されるが、同時に、震災前の時点で日本経済が抱えていた中長期的課題が解決されていないことを認識する必要がある。

その一つが、財政である。国・地方の債務残高はGDP比180%に達し、増大の勢いは止まらない。政府は資産も持っているが一般政府ベースでは債務が上回り、大幅な債務超過状態にある。こうした事態を招いたのは、社会保障費が急速に膨張する一方、歳入が安定的に増加していくような仕組みになっていないからである。先進国の中には、社会保障に関して、高齢者一人当たりの支出を削減し、又は横ばいに抑えているところも存在する。我が国は、高齢化のテンポが速いというハンディがあるにもかかわらず、支出の抑制が進まず、収入の確保も不十分であった。

もう一つは、イノベーションを通じた成長力の確保である。その際、高齢化・人口減少が続く我が国にとって、一層の「開国」、すなわちグローバル化の促進と、人材の「質」の向上が活路となるはずである。

「開国」を進めることで、海外との連携・交流や切磋琢磨を通じた新しい技術や考え方の採用、新たな価値の創造が促される。結果として、海外需要の持続的な取り込みも可能となる。しかし、我が国のグローバル化への取組は他の先進国と比べ遅れている。すなわち、日本の貿易開放度は、経済規模の大きい国は開放度が小さくなるという傾向を斟酌しても、国際的に見て低い水準にある。その背景には、自由貿易協定への参加の遅れが指摘できる。また、我が国は直接投資の受入れが極端に少ない。これには、規制・制度面での障害に加え、専門人材の確保や日本企業の経営権取得の難しさといった、経済構造に根差した要因が影響していると見られる。

人材の「質」向上に関しては、研究開発や海外との連携に必要な人材を含め、イノベーションの担い手の育成、適切な配置が求められる。そうした人材でまず思い浮かぶのが「起業家」だが、我が国では非常に少ない。ここでもまた、雇用の流動性の低さなど構造的な要因が背景の一部として挙げられる。企業における専門人材や経営幹部の確保・育成も、伝統的な雇用慣行との兼ね合いがネックである。また、高度人材に限らず幅広い層の人材の有効活用を図る視点も重要であるが、現在、雇用情勢が厳しいなかで、特に失業者に占める長期失業者の比率が高まっていることが懸念される。

こうした現状を踏まえると、税・社会保障制度改革の推進、貿易・投資や人の交流の一層の対外開放、起業や高度人材育成の環境整備などの政策には、震災の影響にかかわらず取り組まざるを得ないことが分かる。

(震災で新たに加わった課題:危機に強い経済への転換)

以上のような課題を抱えながら、今回の震災によって、復旧・復興という新たな課題が生じた。被災地のインフラの復旧など緊急の対応が必要な面はあるが、それを超えて復興を考える場合、「危機に強い経済」への転換という観点が不可欠である。その際のポイントは以下の三点であろう。

第一は、柔軟な経済構造の実現である。震災に伴い様々なものが失われ、あるいは取引関係が寸断する。多くの場合、これらを完全に元の形に戻すことは困難であり、効率的でもない。働く場を失った労働者や人手不足となった企業、部品や電気の供給が制約された企業、農地を失った農家などは、以前とは別の経済活動の場や相手を探さざるを得ないことも考えられる。これは、大変厳しい状況ではあるが、新たな組み合わせによるイノベーションを通じ、従来と比べ高い生産性を実現する機会でもある。そのためには、需要者のニーズに合った弾力的な供給をする体制の構築が求められる。規制や慣行の見直しを進め、市場メカニズムを活かした柔軟な市場を整備していくことが必要である。

第二は、「強い財政、強い社会保障」である。震災は、改めてこの課題の実現がいかに重要であるかを示したといえよう。復旧・復興には財政的な対応が不可欠であり、しかも、迅速にこれを行う必要がある。被災者の生活を支えるのは社会保障の役割である。しかし、現状では、マーケットの信認を維持しつつ、財源をどう工面するかに知恵を絞らなければならない。本来、財政や社会保障は、こうした危機に臨んで十分な対応が可能なように、持続可能性の高い強靭な制度としておくべきである。

第三は、無形資産投資の重要性である。自然災害の経済成長への影響に関する先行研究によれば、プラスかマイナスかに関して結論はまちまちである。しかし、それらが注目するメカニズムは示唆に富む。すなわち、災害による物的ストックへの損害の大きさを考えると、人的資本(労働者のスキル)やその他の無形資産(ノウハウ、特許、ソフトウェア、商標権等)は相対的には毀損しにくく、これらへの投資が有利になることである。グローバルな知識経済化が進むなかで、すでに先進各国は、無形資産への投資とその効率的なマネジメントにしのぎを削っている。震災を契機に、我が国も無形資産大国への道を目指してはどうだろうか。

以上のポイントの推進は、震災に伴う新たな課題に対応するとともに、震災前から抱えている未解決の課題の解決にも資する。その意味からも、震災対応と持ち越した課題との一体的な取組が求められる。

(日本ブランドの維持、構築を急げ)

それでは、無形資産への投資を促進するとともに、その適切なマネジメントを通じてイノベーションを実現していくためには、どのような点が課題となるだろうか。

第一に、民間企業が保有する無形資産については、グローバル化を意識した取組を強化する必要がある。日本企業では伝統的に研究開発が盛んであるが、収益につながりにくく、効率化が求められる。国際連携を含めたオープンイノベーションの推進、投資の呼び込みによる知識のスピルオーバー拡大が期待される。一方で、我が国企業はブランド構築や組織改革への投資を含む「経済的競争力」の分野は必ずしも強くはない。ブランド資産では、海外でのマーケティングの弱さが指摘されることがある。また、我が国企業はソフトウェア投資にお金をかけているが、その反面でITの特性を活かした組織の合理化が遅れているともいわれる。こうした点を改善して、研究開発の成果を収益につなげやすくすることが考えられる。

第二に、人的資本については、高度人材の育成と適切な配置が特に重要である。上記で挙げた、海外との連携を意識した研究開発やマーケティング、組織改革のマネジメントを担う人材の育成を進めるには、個別企業のレベルでは思い切った早期選抜や外国人の採用が必要になる。日本全体での対応としては、M&Aの活性化で需要の変化に即応した人材の再配置を進めることが近道であろう。さらに、経済構造に根差した仕組みのため容易ではないが、新卒一括採用の慣行などを改め、高度人材又はその候補者の流動性を高めていくという対応も考えられる。その場合、起業やグリーンフィールド(会社の新規設立)型の対内投資が促されるほか、企業の外でのスキル向上の需要が高まり、生涯教育を含め、大学が高度人材の育成において一層その真価を発揮するようになると思われる。

第三に、無形資産であっても、今回の震災で毀損したか、あるいは毀損の懸念が高いものがあり、対応を急ぐ必要がある。まず、生産・輸出の一時的停滞、原子力災害やそれに伴う風評被害による海外での日本ブランドの毀損である。正確な情報発信、透明性の確保は当然として、ブランドの維持、新たなブランドの構築へ向けて官民挙げた取組が必要である。失業者についても、長期失業による人的資本の毀損を防ぐため、政策資源の早期の集中投入が求められる。また、生産拠点の海外シフトは従来からのすう勢であり、これを無理に押しとどめるのは現実的ではないが、研究開発拠点に関しては、その拡充、海外からの投資受入れへ向けた環境整備が優先されるべきであろう。

グローバル化が進展するなかで日本ブランドを構築することは、これからの経済成長にとって重要だが、それはまた世界に評価され、求められてはじめて可能となる。世界のニーズにどう応えていくかを追求する過程でこそ、我が国の将来の経済成長の姿も明らかになってくるだろう。

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