むすび

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本報告書では、「日本経済をいかに自律的な回復軌道に乗せ、デフレや財政悪化などの重荷にどう対応していくのか」「家計を中心とした好循環は可能か」「需要面の回復を支える供給面はどうあるべきか」といった問題意識を軸に、分析や論点整理を進めてきた。その結果から示唆される、特に重要なメッセージを示すと以下のようになる。

●景気の先行きとリスク

我が国の景気は、着実に持ち直してきている。すなわち、新興国向けを中心に増加を続ける輸出にけん引され、生産も持ち直し、企業収益は改善している。こうしたなかで、雇用情勢には依然厳しさが残っているが持ち直しの動きが見られ、家計の所得環境にも底堅さが出てきている。企業収益や家計所得のこうした動きを背景として、設備投資は下げ止まり、個人消費の持ち直しも対策関連以外の品目の一部に広がりつつある。
海外の景気が着実に回復し、実質実効為替レートが安定的に推移するという環境の下で、設備や雇用の過剰感が解消に向かい、収益・所得面の明るい動きが続けば、設備投資や家計需要の安定的な伸びが期待できる。そうなれば、公共投資やエコカー減税・補助金などの政策の効果の剥落が、景気の腰を折る可能性は弱まると考えられる。もっとも、今後、景気が自律的回復に至った場合、それが実感の伴った力強い回復になるためには、企業や家計が将来に対して確かな展望が持てることが重要である。
一方、景気の下振れリスクとして、海外景気、原油等の価格、デフレの影響等が挙げられる。海外では、欧州の一部における財政危機を契機とする金融不安の再燃、中国のバブル懸念などを抱えており、注意が必要である。また、投機的資金の流入によって原油等の価格が高騰する場合、いまだ脆弱な収益・所得面を圧迫し、景気の悪影響が及ぶ懸念がある。デフレについては、本報告書でも分析したように、すでに設備投資や耐久財消費の先送りにつながっている面がある。デフレからの早期の脱却が求められる。

●バブル崩壊の清算いまだならず-需要からの成長で積年の宿題解決へ

デフレは現在の日本経済が抱える重石の一つであるが、これはリーマンショック後の景気悪化が深刻で、景気が持ち直しきても経済活動水準が依然低いことを反映している。しかし、その淵源を探れば、90年前後のバブルの崩壊に行き当たる。2000年代を通じてデフレ脱却ができず、現在、主要国の中では我が国だけがデフレであるのは、バブル崩壊後の調整が長引き、需要不足状態が続いたこと、そうしたなかで期待物価上昇率が低下したことが背景にある。不良債権などバブル崩壊の直接の影響は解消したが、負の遺産は払拭されていない。
バブルの負の遺産はそれだけではない。デフレと表裏一体の問題として、お金の回りが悪いことが挙げられる。それは、単に資金需要が不足しているから貸出、ひいてはマネーが増えない、というだけの問題ではない。成長機会が限られているときこそ、潜在的な需要を探し出してお金を回していくことが必要である。しかし、バブル崩壊以降、資産保有者はリスクに対して消極的となり、流動性に対する選好を強めた。お金は現金、預金、さらには国債の形で眠り、リスクマネーが投資機会を求める動きが弱まっている。
その国債で維持されてきたのが財政である。財政の慢性的な悪化もまた、バブル崩壊の負の遺産といえるだろう。実際、国と地方を合わせた財政赤字は、90年度にほぼ均衡していたが、その後は一貫して赤字である。当時、30%台であった公債残高のGDP比は100%を超えて上昇を続けている。バブル崩壊以前の経済構造を前提にした財政の仕組みを転換できないうちに、デフレに伴う税収の低迷もあってこうした結果を招来した。今後、高齢化のさらなる進展に伴い国内貯蓄が減少すれば、金利面からも維持困難となるおそれがある。
こうしたバブル崩壊の負の遺産を清算しなければ、力強い成長は望みにくい。そのためには、財政に負荷をかけずに慢性的な需要不足状態から早期に脱却することが前提となる。すなわち、需要に直接働きかけ、「需要からの成長」を目指すことで、積年の宿題の解決を図る必要がある。具体的には、家計を重視した景気回復、新たな産業と雇用の創出、アジアの内需の取り込みを進めることである。

●家計を重視した景気回復

その中心は、「実質的な」可処分所得の引上げを含め、家計の支援等を通じた個人消費、住宅投資の喚起である。これらを合わせた家計関連の需要は、GDPの約6割を占めており、その一部であっても新たな需要が喚起されれば、経済全体への波及効果は少なくないと考えられる。また、国民生活の向上に直結するため、景気の回復を実感することができる。その際、次のような点がポイントとなる。
第一に、家計の自由な選択を通じて、そのニーズにより的確に対応できる財・サービスが生まれ、それがさらなる消費を誘発する、という好循環につなげていくことである。実際、多数の家計が急速に購入を進めるような「成長品目」の存在は、消費全体を押し上げる力を持っている。一般の商品の場合、こうしたメカニズムは自然に働く。問題は、政府が関与している分野であり、創意によって新たなサービスが生まれるような仕組みが必要である。
第二に、家計の持続的な回復には、将来にわたる所得面の改善が展望されることが必要であるが、これは政策的支援だけでは困難である。所得のすう勢を決めるのは雇用者報酬であるが、その増加には企業が家計に分配するための原資が必要である。企業が収益を拡大できるような様々な基盤の整備が求められよう。同時に、女性や高齢者等の労働参加が一層進むならば、雇用者報酬の厚みが増すとともに、消費の拡大にも資するであろう。
第三に、1400兆円といわれる家計資産の活用である。リスクマネーへの配分とともに、将来への不安から積み増されてきた予備的貯蓄を消費に安心して回せるような環境の実現が求められる。本報告書では、高齢者の中でも年齢が上がるにつれ、貯蓄に手を付けることなく消費を行っている世帯が多くなることを示した。こうした貯蓄の有効活用の検討が必要であろう。なお、貯蓄を消費に回すためには、社会保障制度に対する信頼の確保が前提となることは、「平成21年度年次経済財政報告」で詳しく分析したところである。

●新たな産業と雇用の創出

産業の観点からは、環境・エネルギー、医療・介護など潜在需要が強いと見られる分野で、需要の顕在化、新規需要の創造、雇用の創出を促すことが求められる。新たな産業は家計を重視した回復にとっても重要であるが、その際のポイントは次の点である。
第一に、一般に、政府は民間より情報を多く持つわけではないので、市場で決まる以上に的確に潜在需要の所在を言い当てることはできない。しかし、政府の規制によって参入が制限されて、「待ち行列」などが存在する分野では、ルールの見直しで潜在需要を顕在化させる余地があろう。老人ホームの入所待機者が存在する社会保障分野、あるいは、容積率の見直しで集積のメリットが確保できる土地分野など、いくつかの例が存在する。
第二に、環境分野では規制によって逆に市場が創出される面もあり、その規制をより適切な形にする点に政府の役割が期待される。環境対策を成長につなげる鍵は、省エネとイノベーションである。我が国は、エネルギーの海外依存が強く、原油価格等の高騰が所得流出を通じてマクロ経済の脆弱性の一因となりやすいことから、この体質を改める必要がある。また、環境規制は中長期的には生産性を高める可能性もあるが、そのための研究開発にはリスクを伴う。リスクマネーの供給を支援するとともに、持続可能な規制枠組みを構築し、政策的リスクを作り出さないことも重要である。
第三に、雇用創出については、中長期的には「質」を重視すべきである。確かに、現在のように景気が厳しい状況にあるときには、まずは雇用の数を増やすことに注力する意味はある。しかし、我が国の生産年齢人口は減少している。中長期的には、むしろ「質」の向上のため、賃金を含めた職場環境の改善を進め、「ディーセント・ワーク」(人間らしい働きがいのある仕事)を実現していくことが重要である。賃金等の改善のためには、生産性の上昇が不可欠で、IT化の推進や企業の新陳代謝の促進等を図ることが求められる。環境分野の「グリーン雇用」の場合も、規制枠組みを持続可能、予見可能なものとし、労働者がキャリアの継続を通じ人的資本を蓄積できるよう配慮すべきである。

●アジアの内需の取り込み

需要への働きかけという意味では、アジアの内需の取り込みも不可欠である。中国等では経済成長の結果、中間層やその下の階層を含む巨大な市場が生まれ、先進国への輸出基地という役割に加えて最終需要地としても重要性を増しつつある。一方で欧米経済は金融危機の後遺症で内需の盛り上がりに欠けている。我が国企業にとっては、このような世界経済の構造変化に機敏に対応し、収益機会を捉えていくことが課題となっている。ただし、その際、同時に以下のような点にも注意が必要である。
第一に、アジアの内需は重要だが、輸出のターゲットをそれだけに限定して考えることは得策でない。我が国の企業がどの分野、どの地域向けの財・サービスで比較優位を持つかは、ダイナミックに変化しうる。また、我が国の企業は中国を始めとするアジアに進出し、複雑なサプライチェーンを築いており、内外需の区別自体が困難となるような時代を迎えている。アジアの内需重視が狭隘な地域主義につながらないよう留意したい。
第二に、各国の市場で、これまでも厳しい価格競争が行われてきたが、中間層や下位の所得層をターゲットとする場合、価格競争に巻き込まれる可能性は増大する。製品差別化とブランド力の維持・向上が必要となるが、これは基本的に民間が創意工夫により対応すべき課題である。政府の役割をあえて挙げると、国際標準を巡る議論での我が国のリーダーシップの発揮、知的財産の保護へ向けた国際協力、企業の研究開発の支援などの環境整備ということになろう。
第三に、アジアを始めとした各国の活力そのものを取り込む視点も重要である。この点に関し、しばしばインバウンド観光に注目が集まるが、我が国におけるビジネスコストの削減、高度人材へのアクセス改善などを通じ、対内直接投資を含めてヒト、モノ、カネの相互交流を拡大させる必要がある。こうした環境の整備により我が国が企業活動に相応しい場所となれば、再び浮上してきた空洞化への懸念を払拭することができよう。企業が居心地のよい国は、家計にとっても居心地がよいはずである。

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