むすび
本報告では、「日本経済は今回の危機をどう乗り越えて、どのような姿の成長を見出していくべきか」という問題意識に基づき、分析や論点整理を進めてきた。その結果から示唆される、特に重要なメッセージを示すと以下のようになる。
●景気の先行きとリスク
2007年末頃から景気後退局面に入っていた日本経済は、2008年秋以降、世界的な金融危機、同時不況の下で急速な悪化を示すようになった。その悪化の「速さ」は過去にない急勾配であり、需給ギャップの状況から見ると極めて「深い」後退でもあった。「長さ」も過去の平均程度に達した可能性が高い。こうした厳しい景気悪化の最大の要因は、世界的な貿易の縮小から自動車やIT製品等の輸出が大幅に落ち込んだことである。その結果、我が国は主要先進国の中で最大のGDP減少率を記録した。
もっとも、現時点では、在庫調整の進展もあって、景気には持直しの動きが見られるようになっている。こうした状況のなかで、今後の回復へ向けた浮力として、第一に、2008年後半における交易条件改善の効果の発現、第二に、累次の経済対策等による効果の発現、第三に、各国における景気対策や在庫調整の進展を背景とした海外経済の回復への期待などを指摘することができよう。
一方で、依然大きな下振れリスクも抱えている。第一に、生産水準が極めて低くなったことから、雇用調整圧力が高くなっていること、第二に、需給ギャップの大幅なマイナスが続く場合、デフレに逆戻りする懸念があること、第三に、米欧における金融危機が十分に沈静化したとはいえず、海外経済にも下振れリスクが残っていることなどである。こうしたリスクに注意しながら、政府は適切な経済財政運営を進めていく必要がある。
●今回の景気悪化からの三つの問題提起
世界的な金融危機とその影響を受けた我が国の厳しい景気後退を受けて、市場経済のあり方にまで及ぶ根本的な問題提起が相次いだ。特に本報告の論点との関係では、我々は、次の三つの問題提起を受けたものと考えたい。
第一は、外需主導では駄目だ、これからは内需主導だ、という主張である。日本経済は外需に依存した回復を続けていたため、海外景気の失速に伴って、それ以上の大きな景気悪化に陥った。それゆえ、これからはグローバル化の行き過ぎを改め、内需主導の経済構造に転換すべきだ、というものである。
第二は、これからの経済では、政府がもっと前面に出ないといけない、という主張である。確かに、今回の金融危機や景気後退に対して、各国の政府は積極的な対策を打ち出し、効果が現れつつある。また、新たな金融商品、金融手法の発達に伴って、監督体制が追いつかなかったことが今回の危機をもたらしたともいえる。
第三に、雇用の保護、所得再分配による格差是正が重要だ、という主張である。非正規雇用の増加は所得格差の拡大に寄与した。また、今回の後退局面では、「派遣切り」などの形で雇用調整が行われた。その一方で、OECDによる国際比較によれば、日本における所得再分配は弱く、結果として貧困率も高いとされる。
これらの問題提起の背後には、それぞれ一面の真理がある。だが、本報告の分析をもとに、もう少し丁寧にこれらの中身を検討してみるとどうか。
●グローバル化に背を向けず、外需と内需の「双発エンジン」で回復を
まず、外需主導では駄目だ、これからは内需主導だ、という主張をどう考えるか。確かに、日本経済は外需に依存した回復を続けてきた。そのため、特に前回の回復局面では、家計が回復を十分に実感するまでに至らなかった面がある。また、過去の「二番底」「L字型回復」も、外需の腰折れや弱さによって生じてきた。しかし、外需による成長も、以下のような観点から引き続き重要と考えざるを得ない。
第一に、現在、世界の成長センターは新興国である。したがって、少なくとも自らの需要が弱い景気の立ち上がりの時期には、先進国が新興国等の需要の成長に助けられるのは当然である。実際、日本以外の先進国でも、程度の差はあれ多くの国で外需主導型の回復が見られる。日本だけが「機関車」として内需主導を目指す時代ではないだろう。
第二に、回復が軌道に乗りつつある状況で、個人消費など内需が成長に大きく寄与する形は一つの望ましい姿である。ただし、その場合も内外需を合わせた「双発エンジン」による回復のほうが想定しやすい。個人消費の持続的な増加には雇用者所得による下支えが必要だが、輸出はその雇用者所得を大きく生み出す力を持つからである。
第三に、「外需か内需か」という論点とは関係なく、グローバル化に背を向けず、そのメリットを取り込んで成長する戦略が求められている。その有力な手段が対内直接投資や輸入である。これらの手段を活かせば、高度な技術や人材の受け入れ、主力分野への資源の集中、リスクの分散や効率化を進め、強靭な体質の経済を作ることができる。結果として、輸出がさらに伸びることもあるだろう。
●強固な金融システムの上での新たな成長への環境整備
これからの経済では、政府がもっと前面に出ないといけない、という主張はどうか。金融監督のあり方を見直すことは緊急の課題であり、我が国も、国際的な協調の下で、こうした取組を進めていく必要がある。また、今回のような異例の需給ギャップ拡大を前にして、経済対策により景気を支えることは、政府として当然の任務である。危機後の成長を準備するため、研究開発や人的資本への投資など成長基盤の整備も求められる。しかし同時に、次のような視点も持っておきたい。
第一に、アメリカでの政府調達における「バイ・アメリカン」など、各国での保護主義的な動きに対する警戒の必要性である。また、緊急避難的な措置として、一見、保護主義とは無関係に見える、国内の特定産業への支援、新産業育成の政策等も、貿易上の不当な競争力強化につながりかねないことに注意が必要である。なお、こうした支援が長期化した場合、企業の非効率な体質の温存等を通じ、逆に当該国の成長力を削ぐ可能性もある。
第二に、金融セクターでの規制見直しを、安易に実物セクターの領域に敷衍しないことである。金融機関や金融商品に対する規制の強化は、今回の金融危機に見られたようなシステミックリスクの顕在化を防ぐことを主眼としている。実物セクターにはそれぞれ市場の特性があり、それらに適切に配慮しつつ、全体として市場機能が最大限発揮されるよう、規制制度の運用を図っていく必要がある。
第三に、現在の緊急避難的なマクロ経済政策の「出口」をどうするかである。過去の金融危機の後を見ると、財政赤字を削減し、積み上がった政府債務を元に戻すには、長期間を要している。財政再建に成功した事例では、政府消費や移転支出の削減が効果的であったという先行研究もあるが、いずれにせよ、我が国においても、こうした事例なども踏まえつつ、危機後の財政戦略を組み立てていく必要がある。金融政策については、日本銀行において、持続的成長への復帰に向けた最大限の貢献を行うとともに、十分な説明責任を果たしていくことが求められる。
このように、システミックリスクの顕在化を防ぐ強固な金融システムを構築した上で、保護主義を排して市場機能を活かし、日本の内外で活躍する企業が新たな成長機会を的確に捉えることができる環境を整備すること、さらには中長期的な財政の維持可能性を確保していくことが、政府の役割として求められているといえよう。
●安心社会に立脚した景気回復の姿
最後に、雇用の保護、所得再分配による格差是正が重要だ、という主張はどうか。賃金、家計所得の格差は、非正規化や高齢化等から緩やかな拡大傾向が続いてきた。しかし、やや詳しく分析すれば、以下のような見方も可能である。
第一に、失業は、賃金として受け取る所得がゼロであることを意味する。景気後退によって失業が増加すれば、それを加味した賃金格差は拡大、貧困率は上昇する。したがって、「景気回復は最大の格差対策」である、ということができる。また、就業形態の多様化は、需給のマッチングが効果的に行われる場合、失業を低下させる要因ともなる。
第二に、特に失業期間の長期化は、人的資本の損耗をもたらし、中長期的な賃金格差の拡大につながることである。それゆえ、失業者に対するセーフティネットの拡充とともに、訓練や就業への誘因を高める仕組みが求められる。また、一般に、雇用保護規制の厳しい国ほど、平均失業期間が長くなる傾向が示唆された。我が国は先進国の中では必ずしも厳しいというわけではないが、規制のあり方を考える際には重要な視点である。
第三に、所得再分配による格差改善効果は、年々、高まってきている。だがこれは、高齢化によって現役世代から高齢者への購買力の移転が増えたことによる。このことは、社会保障に対する国民の信頼感を高めることにはつながらなかった。現役世代がこうした信頼感を持てるようになれば、老後の必要貯蓄額を引下げ、消費の下支えにも資すると考えられる。
大きな所得変動リスクを抱えている非正規雇用者へのセーフティネットの充実などを含め、上記の諸課題の克服に取り組むことで、安心社会に立脚した景気回復の姿を展望することができよう。