第2節 景気動向の留意点
第2節 景気動向の留意点
企業部門は体質改善から好調な動きが続き、他方、それは家計部門にも徐々に波及しつつあることから、景気回復は続いていくことが期待できる。しかし、これからの景気を考える上で留意すべきポイントがある。第一は、原油価格高騰の影響であり、第二は、輸出が2004年後半以降伸び悩んでいることである。以下、順に検討し景気の現状を評価する。
1 原油価格の高騰
原油価格(ドバイ、以下同じ)は2002年2月の1バーレル19.9ドルから上昇傾向にある。2005年6月には既往最高の54ドルを記録した。このような原油価格上昇が景気に与える影響を考えてみたい。
● 過去の石油危機との比較
まず、最近の価格上昇を70年代の石油危機時と比較すると次のような特徴がある。第一に、価格上昇の幅は今回2.6倍となっており、第1次石油危機の3.4倍、第2次石油危機の2.9倍を下回るもののやはり価格高騰であると言える(第1-2-1表)。第二に、価格上昇の期間については、今回は3年を超えており、第1次石油危機(1973年10月~74年8月)はもとより第2次石油危機(78年12月~82年4月)に迫るほど長期間にわたり継続している。第三に、今回は供給そのものは停止されていないが、石油危機時は産油国からの輸出が停止されたという大きな違いがある。つまり、石油危機時は明白な供給ショックが生じた(総供給曲線の大幅な左方シフト)のに対し、今回は総供給曲線への影響は少ない。
このような違いの背景としては、今回の原油価格上昇の主な要因が、需要と供給の両方にあることが挙げられる。石油危機は中東戦争やイラン革命をきっかけとして起こったのに対し、今回は先進国のみならず中国やインドなどの高成長に伴う需要急増と石油開発企業における収益率の低下が供給能力の増加を抑制していたという経済構造的要因が働いている16。近年は新規油田の開発が停滞した結果、OPECの原油の供給余力は逼迫しており、1980年には1日当たりの生産能力3,100万バーレルに対して実際の生産量は2,650万バーレルだったが、2005年5月には生産能力3,150万バーレルに対して実際の生産量は2,926万バーレルと逼迫している。
● 石油価格上昇の影響
次に、原油価格上昇が経済にどのようなマイナスの影響を与えているかを調べてみたい。原油価格上昇は、理論的には交易条件の悪化から産油国へ所得移転が生じ国内需要を低下させること、原材料価格の上昇が投入コスト引上げによる収益悪化を通じて総生産量を抑制させること、全般的な物価上昇が実質可処分所得を減少させ消費を押し下げるように働くことが考えられる。
このような経済効果を計量モデルの乗数によって調べてみると、その効果は小さくなっていることが分かる。原油価格が20%上昇した場合、日本の実質GDPの押下げ効果がどの程度になるかを比較してみよう。経済企画庁の世界経済モデル(1982年版)によると1年目マイナス0.46%、2年目マイナス1.24%である。他方、内閣府の日本経済マクロ計量モデル(2005年版)によると1年目マイナス0.11%、2年目マイナス0.14%であり、かなり小さくなっている17。
このように原油価格上昇のGDP引下げ効果が小さくなっている点を念頭において、今回の状況を具体的に調べておこう。
交易条件の悪化(原油価格上昇に伴う産油国への所得移転)はGDP比0.5%程度である。70年代の石油危機の際は3%程度が移転したことに比べると小さな値となっている。これは省エネやエネルギー消費の効率化のために、名目GDP1単位当たりに必要となる原油量が70年に比べて1/6に低下していることが大きい。このため、国内需要への負の影響が小さくなっている。
第1次石油危機の際は投入コスト上昇や実質賃金上昇により総供給曲線が左方にシフトし、物価高騰と総生産量の減少に見舞われたが、今回は、生産性向上などによって投入コスト上昇は相当吸収されている。また、緩やかなデフレ状況が続いており、コスト上昇が直ちにインフレにつながる環境にはない。このため、総供給曲線のシフトや総生産量への影響は小さいと考えられる。
第1次石油危機の際はインフレ期待が大幅に上昇して名目賃金が急伸し、実質賃金も上昇したが雇用者数が鈍化し実質所得は停滞した。他方、今回はインフレ期待が大きく変化しておらず、実質賃金はほぼ横ばいである。さらに、雇用が持ち直していることから実質所得は底堅く、消費への悪影響は生じていない。
● 今後の動向
このように、原油価格上昇が経済成長率を押し下げる効果はかつてに比べると小さいものと見込まれる。今後についても以下の理由から、経済への悪影響を過度に懸念する必要はないと考えられる。第一に、交易条件の悪化度合いは小さく、海外への所得移転は小さいことである。原油供給が停止されるようなことがない限り、総供給曲線の左方シフトは極めて小さなものにとどまる。第二に、物価が上昇する局面ではない点である。石油危機当時は折からの列島改造ブームによってインフレが高進していたところに石油危機が加わり物価高騰に拍車がかかった。これに対して総需要の抑制を通じた物価安定のために、金融政策が強力に引き締められ、財政政策も抑制された。今回は、緩やかなデフレが続いており、デフレ脱却のために量的緩和が進められている状況である。第三に、これまでの原油価格上昇は世界的な金余りの中で投機的な動きの影響を受けている可能性が高い。それを表すように、2004年の世界の原油需要量(1日当たり)は前年比3.6%増だったのに対し、ニューヨーク商品取引所におけるWTI原油先物取引の取引量(1日当たり)は16.4%も伸びた18。しかし、アメリカの金融政策が引締め度を増すにしたがって世界的な金余りは徐々に解消される方向にあると見込まれる。
ただし、原油価格の上昇が長期化するような場合には、以下のようなリスクが顕在化するおそれもあり、原油価格の動向には引き続き留意する必要があろう。川上での価格転嫁の動きによって、コスト増を生産性上昇、経営の合理化、販売増などによって吸収できない場合には、企業収益が圧迫されるおそれがある。また、原油価格の高騰によって将来の不透明感が高まる場合には企業や家計の行動を慎重化させるおそれがある。さらに、原油価格上昇によってエネルギー消費量が多いアメリカや中国の経済が減速する場合には、日本経済にマイナスの影響が及んでくるおそれがあり得る。
2 輸出はなぜ鈍化したのか
● 海外経済の堅調にもかかわらず輸出が鈍化
2004年後半から我が国の輸出は伸び悩んでおり、中国向けを含めたアジア向けが鈍化している(第1-2-2図)。アジア向けを品目別にみると、電気機器、一般機械の鈍化が目立つ。中国の総輸入は2004年10-12月は前年比3割増であったが、2005年1-3月には1割強に減速した。
他方、海外経済をみると、我が国の主な輸出市場であるアジア、アメリカ経済は拡大している。中国については、固定資産投資が2004年後半以後3割弱程度の増加と高伸し、2004年は前年比9.5%成長の高い伸びを示した。中国向け輸出の鈍化を中国の景気動向で説明するのは難しい。どのような変化が生じているのかを検討する。
● IT関連の需給軟化によりアジア向け輸出が鈍化
日本のアジア・中国向け輸出で鈍化が目立つのは主に電気機器や一般機械である。この背景には世界的なIT関連の需給軟化がある。世界の半導体売上げは伸びが鈍化しており、半導体製造装置の需給(BBレシオ。受注高を販売高で割った指標)は2004年後半から弱含み(北米、日本とも)、我が国における出荷も2004年半ば以降横ばいとなっている(第1-2-3図)19。
アジア・中国はIT関連製品の生産基地となっているが、世界のIT関連需給の軟化を受けて、部品・材料である半導体等電子部品の我が国からの輸出は、2004年後半からアジア向けを中心に鈍化している(第1-2-4図)。我が国からのデジタル家電(薄型テレビ、DVDレコーダー、デジカメ等)の輸出も2004年半ばからアメリカ向けを中心に鈍化している。
もちろん、IT関連の需給軟化の他にも、我が国からのアジア向け輸出を鈍化させる可能性のある要因は存在する。
まず、我が国の要因として、鉄鋼など素材業種の輸出余力が低下している可能性が考えられる。素材業種は近年設備投資に慎重なため供給制約が発生し、アジア向け輸出が鈍化していることが考えられる。確かに、粗鋼生産についてみると、我が国国内の需要が旺盛なため国内向け出荷を優先しており、輸出向け出荷は減少している。しかし、化学など他の素材業種では供給余力の不足が輸出制約になっている姿はうかがわれないことから、アジア向け輸出への影響はあまり大きくないと考えられる。
● 中国向け輸出の動向
次に、アジアの中でも特に中国側の要因としては以下が考えられる。まず、中国自身の輸入が2004年後半から鈍化しており、鉄鉱石、鋼材、ICマイクロ電子部品、自動車部品などの鈍化が目立つ(第1-2-5図)。この要因としては、投資過熱の抑制措置や供給過剰、中国の自給能力や輸出能力の向上、本邦企業の現地調達比率の上昇などの影響が指摘されている。
第一に、中国当局が景気過熱を懸念して投資の抑制を図っていることが影響している。企業の投資や都市部の不動産投資が過熱気味で、これらに対する抑制措置を打ち出している。鉄鋼石の輸入鈍化については、鉄金属精錬業の投資の伸びが低下していることも影響している。自動車部品については、過当競争による価格の低下から、更なる低下を見込んだ買い控えが生じ、乗用車販売は前年比10%程度の増加まで減速した。
これらの結果、一部のインフラ関連を除いて投資動向の過熱が収まり一服感が出るとともに、幾つかの分野では在庫の積み上がりが生じている可能性がある。ICマイクロ部品については、携帯電話の過剰生産などから生産調整が生じ、部品輸入の鈍化をもたらしてる。
第二に、中国の経済発展につれて、自給能力・輸出能力が質量ともに高まったと考えられる。鉄鋼については、中国が一時、数量ベースで鉄鋼の純輸出国に転じ、我が国の鉄鋼業界にとっては中国向けやアジアの第3国向けの輸出で競合関係が増し、輸出が伸び悩む要因になり得る。
第三に、我が国の現地進出企業の現地調達比率が徐々に上昇傾向にある20。本邦企業も進出当初は、部品・材料を中心に我が国などからの輸出品で中国における生産工程を支えていたが、中国の経済発展につれて現地での調達が増える傾向にある。
これらが日本の中国向け輸出を鈍化させている一因となっている可能性が考えられる。
● 今後の輸出動向
輸出の動向は我が国の生産活動に影響を及ぼす。したがって、中国を中心とするアジアやアメリカ経済の推移を含めて今後の動向には十分留意していくことが必要であるが、世界経済の回復が続くなかで、外需は引き続き増加するのではないかと考えられる。
第一に、アメリカ向けはアメリカの景気が引き続き順調に推移すれば、おおむね好調に推移すると見込まれる。自動車輸出が堅調に推移することに加え、2004年半ばから鈍化したデジタル家電の輸出も持ち直すと見込まれる。
第二に、中国向けについては、上述のとおり輸出の鈍化には幾つかの要因が複合しているため、品目毎に好不調にばらつきが出る可能性がある。景気過熱抑制策による影響は循環的なものだが、自給能力・輸出能力の高まりや現地調達比率の向上は構造的・持続的なものだからである。
第三に、IT関連製品はまだ普及率が低いため、今後、デジタル家電の価格が普及価格帯まで低下してくれば、潜在的な需要が顕在化し、世界的な需要の拡大が見込まれる。さらに、IT関連製品の需要の裾野は広がっている。かつては主な用途はパソコン・携帯電話中心だったが、次第に自動車関連(カーナビなど)、家電関連(液晶テレビ、デジカメ等)などを中心に裾野が広がってきている。こうした傾向が続けば、特定の商品群の需給が変動した場合に、我が国の輸出が受ける影響はある程度分散・平準化されると考えられる。
3 景気の現状評価
以上のポイントを踏まえ景気の現状を評価すると、踊り場から脱却に向かう動きがみられ、緩やかな回復局面を続けていると判断できる。高騰した原油価格はこれまでのところ景気動向を転換させる直接的な影響を及ぼしていない。
このように景気の回復が着実であることは、バブル崩壊に伴う負の遺産の処理がおよそ終了していることを背景としている。具体的には、企業収益の好調が続くなど企業の体質強化が進んだこと、求人倍率が高いなど労働需給の改善が続いていることなどである。これらは、構造的な要因として景気回復を支持する動きである。
しかしながら、循環的な要因にも注意する必要がある。今回の景気回復は4年目に入り、景気は成熟化の兆しがみられる。景気循環との関係からは、在庫や設備投資の動きが重要である。在庫循環については、2005年1-3月期には第1象限において45度線を切っている(前掲第1-1-2図)。これは、IT関連財の在庫調整は進んでいるものの、輸送機械、化学、一般機械などの在庫が増加傾向にあることがその原因である。用船繰りの厳しさが自動車の在庫を増やしている事情があるが、在庫調整の長期化につながらないかどうか今後の出荷動向を注視していくことが必要である。他方、設備投資の循環については、資本ストックの伸びは低いけれども投資の増加は3年近くになることから、フローとストックのバランスにおいては成熟化が進んでいる(第1-2-6図)。企業の期待成長率の上昇とともに望ましい資本ストック水準は高まっていくものであり、企業マインドの動きが重要なかぎを握っている。