第2節 デフレの原因と克服への課題
日本経済は、1990年代半ばよりデフレの下にある。デフレは、日本経済にとって大きな足かせとなっているが、また日本経済の低迷の結果でもあり、現在の景気動向とも密接に関係している。
本節では、このデフレの原因と克服への課題について検討する。まず、資産価格面でのデフレを取り上げ、地価と株価の双方について分析する。次に、一般物価面でのデフレについて分析する。
1 資産デフレの原因と克服への課題
資産デフレは、1990年代初頭のバブル崩壊後から基本的に続いている。特に地価は、1991年以降下落を続けており、下落幅も依然として大幅なものとなっている。直近の水準も、ピークの55%にしかすぎない(20)。他方、株価は、89年末から長期的に下落傾向にあり、最近でも2001年後半から下落を続けてきた。この結果、1989年末から2001年末までに土地と株価によって生じたキャピタルロスは、1330兆円に達する(第1-2-1図)。これは、日本経済にとって大きな下押し圧力となった。しかし、資産価格のうち、株価は、2003年4月末以降、上昇に転じており、変化の兆しがみられる。
以下では、地価と株価について、その現状を概観した上で、その背景にある原因と克服への課題について検討しよう。
(1)地価の下落続く
● 地価の最近の動向
バブル崩壊後の地価の動向を公示地価の前年比でみると、92年以降大きな下落を示し、その下落幅が93年にピークを迎えた後、97年にかけていったんは下落幅の縮小がみられた(第1-2-2図)。しかし、98年以降、3大都市圏(特に東京都)の商業地を除き、再び下落幅が拡大する傾向にある。特に最近での地方圏での下落幅は、商業地、住宅地ともに、バブル崩壊直後のそれを上回っている。
このような地価の下落の結果、GDPに対する土地資産額の比率をみると、バブル期に約5倍まで上昇した比率が、現在は約2.5倍まで低下してきている(第1-2-3図)。地域別にみると、80年代後半に東京都を中心に3大都市圏で大きく上昇した後、東京都を中心に大きく低下し、東京都は96年以降には全国平均を下回るに至っている。この結果、80年代後半に大きくかい離した大都市圏と地方圏の差が縮小してきている。商業地等でみても、大都市圏と地方圏との差は縮小し、足元ではともに約1倍となっている。
このような地価動向の背景には、どのような要因が作用しているのであろうか。また、地価が下げ止まるにはどのような条件が必要であるのか。以下、このような点について検討することにしよう。
● 土地収益率の動向
地価の重要な決定要因として、土地収益率がある。ここでいう土地収益率とは、単位面積当たり地代を土地資産で除した直接利回りのことである。ここでは、商業地について土地収益率を試算した結果を基に、その動向をみてみよう(第1-2-4図)(21)。
それによると、土地収益率は、1980年代半ばに8%近くあったものが、バブル崩壊後にはいったん4%にまで低下したが、その後上昇に転じ、足元では再び8%と、長期国債の利回りを大きく上回る水準にまで回復している(22)。
この試算で検討を要するのは、(i)土地のみを生産要素と考えて推計されていること、(ii)土地収益率を直接利回りで考えていることである。
第1に、土地のみを生産要素と考えて推計が行われていることについてである。土地の利用を考えると、駐車場のように低利用にとどまる場合と、ビルや商業施設のように土地が高利用されている場合とがある。このように生産要素として土地を考える場合には、その上に建てられる建物や設備と一体として考える必要がある。
そこで、非製造業について、土地と設備が一体として生産要素になると考えて土地収益率を試算した結果をみると、90年代半ば以降上昇を続け、現在6%を上回る水準にあることが分かる(第1-2-5図(1))。
第2に、土地収益率を直接利回りで考えていることである。土地を投資対象としてみた場合、直接利回りと同時に、保有に伴う評価損益(キャピタルゲインやロス)(23)も重要である。
そこで、商業地等について、土地の評価損益の推移をみると、80年代後半に大きく上昇し、6大都市の場合には30%近くにまで達した後、90年代に入ると一転してマイナスに転じている。特に6大都市の場合には90年代前半は20%近いマイナスが続いた。現在でも、6大都市、全国ともマイナスとなっている。そこで、商業地等について、土地の評価損益を考慮した土地収益率を試算したものをみると、80年代後半に大きく上昇した後、90年代に入ると逆に大きく下落し、特に6大都市圏の場合には90年代前半はマイナスで推移した。その後、6大都市圏でもプラスに転じ、現在は全国、6大都市圏ともに緩やかな上昇傾向にある(第1-2-5図(2)(3))。
● 地価下落の要因
それでは、地価下落の要因については、どのように考えればよいのだろうか。ここでは、収益還元モデルによって、この点を分析してみよう。収益還元モデルは、資産価格は、その資産がもたらす将来の収益を現在価値に割り引いた額によって決まるという考え方によっている(24)。ここで考慮されるのは、(i)土地が生み出している現在の収益とその将来見通し、(ii)安全資産利回り、(iii)固定資産実効税率、(iv)投資家が安全資産利回りを越えて要求する収益率(リスクプレミアム)といった要因である。
実際の地価の形成が、このようなモデルによって説明できるかについては、議論の余地があるかもしれない。これまで実際の取引に収益還元法が用いられることはあまりなかったほか、特にバブル期に顕著であったように、地価は上昇していくものと考える土地神話が存在していた。しかし、そうした取引の背後には暗黙のうちに収益還元モデルのような考え方があったと考えることもできるし、最近では土地を明示的に利用価値で評価する不動産市場が拡大している。したがって、収益還元モデルで分析することにも意味があると考えられる。
そこで、地価の形成に上記の4要因がどのような影響を及ぼしていたかをみよう。上記4要因のうち(i)については、先に推計した土地のみを生産要素として考えた場合の土地収益(SNAベース)と、土地と設備を一体として考えた場合の土地収益(法人季報ベース)とである。また、収益の先行き見通しについては、企業行動アンケート調査における非製造業の業界需要の成長見通しからとっている(25)。(ii)については、長期国債の利回りをとり、(iii)については、固定資産税額と土地資産額から試算した。最後に、(iv)については、リスクプレミアム自身を観察することは困難なので、ここでは以上から逆算して求めている。
地価に対する4要因の影響をみると、安全資産利回りは、90年以降、低下傾向にあり、地価を下支えする効果があったと考えられる。これ以外の要因はいずれも地価を引き下げる要因として寄与している。特に影響が大きかったと考えられるのは、期待成長率とリスクプレミアムである。
非製造業の向こう5年の期待平均成長率は、90年に4%に達した後は低下を続けており、足元では1%前後にまで低下している。収益の将来見通しがこのように慎重であると、地価は当然に抑制されることになる。
また、リスクプレミアムは、90年代半ば以降は上昇傾向にある(第1-2-6図)。リスクプレミアムが上昇している背景には、地価の上昇持続という土地神話が崩壊するなかで、企業のリストラや不良債権処理の増加によって、土地保有に伴う値下がりリスクに対する警戒感が強まったことがあるだろう。また、地価下落によって投資家の期待利益率が結果的には実現できず、投資家の要求利回りが高まるという面もあると考えられる。
なお、固定資産実効税率も上昇しているが、その影響は他の要因に比較して小さい。
● 最近の地価動向の特徴
2003年の公示地価の動向をみると、東京都心では、高地価地点の地価が上昇している(第1-2-7図)。また、大阪市、千葉市でも、高地価地点では下落幅が小さくなっている。他方、横浜市では、総じて地価は下落を続けている。
このことは、大都市を中心に、収益性に見合った地価水準に近づきつつあり、それに伴って地価が下げ止まり、あるいは上昇に転じる地点も現れてきた結果と考えられる。
このような変化は、東証に上場されるようになったJ-REIT(不動産投資信託)の個別物件の取得価額と期末算定価額の比較でもみられる。これによると、東京都心はもちろん、それ以外でも上昇している物件がみられるようになっている。また、同じくJ-REITの投資利益率をみると、東京都心部の物件の利回りは6~6.5%が中心で、それ以外の地域に比べると低い(価格が高いことを意味する)が、これは、こうした地域では、(i)賃料の下落期待が小さく、テナントの確保についても不確実性が小さいとみられていること、(ii)先行きにおける地価下落リスクが小さいとみられていることによるところが大きいと考えられる。
● 地価下げ止まりに向けた課題
地価下げ止まりの動きはまだ端緒であり、まだ全体としての地価下落傾向は続くものと考えられる。今後、収益還元モデルによる地価形成が強まるものと考えられるが、それを前提にして考えると、地価下げ止まりの条件としては次の2点が指摘できる。
第1に、土地の有効利用を一層進めることである。土地の有効利用を進めて、土地の収益力を高めることができれば、期待収益を上昇させ、資産価格としての地価の下げ止まりをもたらすことになるはずである。
第2に、価格変動リスクや流動性リスク等の土地保有リスクを軽減し、買手を拡大することである。これにより、地価に織り込まれているリスクプレミアムが低下し、土地取引の活発化と地価の下げ止まりをもたらすことができることになる。
こうした条件が満たされるためには、不良債権問題を解決するとともに、土地の有効利用を促進する観点から、利用に関する規制を緩和していく必要がある。
(2)株価は下落に歯止め
株価の動向を日経平均株価でみると、2002年5月以降下落を続け、2003年4月28日に7607円のバブル崩壊後の最安値を記録(26)し、その後上昇に転じた。37営業日連続で取引高が10億株を超えるなど、バブル期にも匹敵する活況を呈するなかで、株価は上昇を続け、2003年8月18日には1万円台を回復した(第1-2-8図)。以下では、今回の株価上昇の背景と特徴を分析するとともに、その影響についてみてみよう。
● 株価上昇の背景
2003年4月末以降の株価上昇の背景には、海外要因と国内要因の双方が作用していると考えられる。
第1に、アメリカの株価が上昇したことである。アメリカの株価は、エンロン、ワールドコムに代表される企業会計不信の高まりがみられたことや、これが契機となって通信、IT、エネルギー部門を中心に株価下落が進んだこともあって、2002年以降、大幅な下落を示した。さらに、2002年後半には、イラク情勢が緊迫化し、これも株価の下落要因となった。しかし、イラク戦争が短期に終結する見通しが明らかになり、アメリカの景気回復期待が強まるとともに、アメリカの株価は上昇に転じた。このことは、従来からの金融緩和による世界的な資金余剰感もあって、外国人投資家を中心に日本の株式の購入意欲を高めることになった(27)。
第2に、我が国における企業収益の改善傾向が明確になったことである。上場企業の2002年度決算についてみると、2002年度の70%増益に続き、2003年度も15%増益が見込まれた。その後の主要な経済指標も、そうした見通しを裏付けるようなものが多かった。
第3に、5月にりそな銀行に対する公的資本注入が決定し、金融システム不安が後退したことである。下落を主導していた銀行株は、4月以降、上昇に転じることになった。
● 外国人投資家が主導した株価上昇
今回の株価上昇局面には、投資主体別にみるといくつかの特徴がある。
第1に、外国人投資家が株価上昇を主導したことである。取引金額をネットベース(売買金額差)でみると、外国人投資家は、4月以降、大幅な買い越しを続けている唯一の主体となっており、7月だけでも1.7兆円の買い越しとなっている(第1-2-9図)。これは、アメリカの株価が上昇するなかで、企業収益に比して割安であった日本株の購入が促進されたものと考えられる。4月当時の株価水準を、金利差を考慮した株価収益率(PER)(28)でみると、諸外国がおおむね1前後となっているのに対して、日本はそれを大きく下回っていた。
● 個人投資家の取引の増加
第2に、個人投資家の取引が急増したことである。個人投資家の取引金額は、ネットベース(売買金額差)でみると、若干の売り越しになっている。しかし、グロスベース(売買金額和)でみると、7月には9.8兆円と年初の3倍以上となっている。取引株数でみても、グロスベース(売買株数和)で7月は200億株と本年初の2倍を超えている。市場全体の取引高の増加も、こうした個人投資家の積極的な売買によるところが大きい。
このように個人投資家の取引が増加したのには、多様な手数料・サービスの証券取引が利用できるようになったことが大きく寄与している。特に、インターネット取引は、手数料が安く、利便性も高いことから、急速に拡大している。その結果、1999年に自由化された株式売買手数料の低廉化もさらに進んでいる。
また、これに関連しては、「貯蓄から投資へ」に向けた証券税制の見直しが実施されている。上場株式等の譲渡益については、2003年1月から源泉分離課税と申告分離課税の選択制が廃止され、申告分離課税に一本化されることとなった。また、特定口座を利用することによって申告が不要になるとともに、5年間は税率が所得税と住民税あわせて10%に軽減されることとなった。上場株式等の配当についても、税率を10%に軽減するとともに申告不要とした。
● 売り越しを続ける銀行、信託銀行
第3に、国内の機関投資家が売り越しを続けていることである。信託銀行の売り越し額が特に大きいが、都長地銀も売り越している。その背景には、(i)厚生年金の代行返上に伴う株式の売却(29)、(ii)持合い解消のための株式の売却、(iii)銀行の株式保有制限の施行を控えた株式の売却(30)、があったものと考えられる。こうした動きに関連して、政府や日本銀行が対応策をとってきている(31)。また、4月以降だけをみても、かなりの売却が進んでいる。この結果、金融機関の保有する株式残高は減少している。
● 株価上昇の実体経済への影響
株価は、資産価格の一つであり、その資産を保有することによって期待される収益によって決まるものと考えられる。したがって、株価は、基本的には実体経済の動向を反映するものである。しかし、同時に、株価は、実体経済に影響も及ぼす。
株価の上昇が実体経済に影響を及ぼす経路としては、一般的には、(i)個人消費に対する資産効果、(ii)企業の資金調達環境の改善、(iii)景況感の改善等が考えられるが、そのほかに(iv)企業や金融機関のバランスシートの改善等も考えられる。内閣府「企業行動に関するアンケート調査」によれば、地価下落は、「特に影響がない」とする企業が6割を占める一方、株価下落は、「特別損失の発生を通じ、会計上の収益を圧迫する」とする企業が7割を占めている。
また、金融機関のバランスシートへの影響をみると、主要行は連結で、2003年3月末時点で約14.9兆円の株式を保有し、約1.2兆円の含み損を抱えている。これを基にすると、株価が1000円上昇することによる含み損益への影響は、約1.1兆円の改善効果と試算される(32)。
2 一般物価デフレの現状
一般物価デフレは、1990年代の半ばから進行している。これは、実質債務負担を増加させたり、実質賃金や実質金利の上昇によって企業収益を圧迫したりすることを通じて、設備投資等を抑制し、景気に対して下押し要因となる(33)。しかし、デフレは、景気の低迷の結果として現れている面もある。以下では、一般物価面でのデフレについて、その現状をみた上で、原因と克服への課題について検討する。
(1)物価指標の動向
● 国内企業物価の動向
企業間で取引される財に関する物価指標として、国内企業物価指数がある。これは、従来の国内卸売物価指数に替わって公表されるようになったもので、輸入物価の動向や需給に敏感な物価指標である。
これによると、2002年をとおして下落基調で推移してきた(第1-2-10図)。特に下落に大きく寄与していたのは、電気機器等であった。しかし、2003年に入って、イラク情勢の緊迫化を背景に原油価格が上昇したのに加え、輸出の好調を背景に鉄鋼、化学、スクラップ類等の製品が上昇したため、電気機器が下落を続けたものの、全体として横ばいとなった。
その後、2003年春以降、イラク戦争の終結により原油価格が下落に転じたこと等によって、弱含みとなったものの、夏には、堅調な商品市況を反映して鉄鋼、石油・石炭製品等の価格上昇がみられたことにより、横ばいとなった。
● 消費者物価の動向
消費者物価指数は、消費者が購入する財やサービスの価格を総合した物価指数である。短期的な変動が大きい生鮮食品を除いた消費者物価でみると、99年10月以降、前年比ベースで下落を続けてきた(34)。しかし、原油価格の上昇の影響でガソリンなどの石油製品価格が上昇したこともあり、2002年秋以降、前月比ベースで横ばいで推移している(第1-2-10図)。
その後、石油製品価格は下落に転じたが、2003年度に入って公共料金の改定等があったため、横ばいの状態が続いている。上昇を示した公共料金等としては、保健医療サービス(医療保険の自己負担割合の引上げ)、電気・ガス料金(燃料費・原料費調整)、発泡酒(酒税の引上げ)、たばこ(たばこ税の引上げ)等が挙げられる。
● GDPデフレータの動向
GDPデフレータは、1国において取引される財・サービス活動を総合的に表す物価指数であり、輸入価格の直接的影響が除かれているため、国内要因に基づく(「ホーム・メイド」な)物価変動をみることができる。
GDPデフレータの動向を前年同期比でみると、1998年4~6月期以来下落が続いており、特に1999年1~3月期以降は1%を超える下落となっている(第1-2-11図)。2002年後半以降は、その下落幅は更に拡大し、マイナス2%程度となっている(35)。
他の物価指数が下落幅を縮小し、横ばいになるような状況にあって、GDPデフレータの下落幅が拡大した理由としては、他の物価指数にとって上昇要因として作用していた原油価格等の外的要因が、GDPデフレータの場合には、異なる影響をもたらすことが挙げられる(36)。
GDPデフレータは、おおむね生産一単位当たりの利潤と賃金の動きを表す。したがって、原油価格上昇の直接の影響は取り除かれているが、間接的な影響は含まれている。そのため、例えば原油コストの上昇が、製品価格に転嫁されなかったり、転嫁の幅が小さかったりすると、その分だけ利潤や賃金が圧縮され、転嫁される場合と比較すると物価が押し下げられる。その結果が、GDPデフレータの下落となって現れることになる。2002年にGDPデフレータが下落したのは、デフレ基調にあった上に、そのような外的要因が押下げ要因として作用した結果であると考えられる。
それでは、この間の変動は、利潤と賃金のいずれの変動によるものであろうか。寄与度分解をした結果をみると、2001年度については利潤の下落が大きく寄与しているが、2002年度については賃金の下落が大きいことが分かる。
以上のように、消費者物価、国内企業物価ともに横ばいとなっているが、一時的要因が作用していること、前年同月比もマイナスになっていること等を考えると、日本経済は依然として緩やかなデフレ状況にあると判断される。
コラム1-2 実質GDPと名目GDP
デフレ下における経済状況をみる場合、実質GDPで判断すべきなのか、それとも名目GDPで判断すべきなのか、という議論がある。
GDP(国内総生産)は、1国(例えば日本)において、一定期間(例えば1年間)に生み出された所得総額(=付加価値額)を測るものであり、それはおおむね賃金と利潤に分配される。また、生み出された所得は、消費や投資等の最終需要に使われるため、GDPは1年間の支出総額にも等しくなる。
このGDPを表すのに、名目ベースと実質ベースがある。名目GDPは、所得総額を測る際、その時点での物価水準で評価したものである。一方、実質GDPはある基準年(現在は1995年)の価格で評価したものである。つまり、実質GDPは物価水準に変化がないと仮定して計算されたものである。
実質GDPは、所得の実質購買力を表すものとして意味がある。生産活動を通して国民生活がどれだけ豊かになっているのかを捉えるためには、その付加価値が実際にどれだけの購買力を有しているのかを測ることが重要である。このためには、物価の変動分を調整した実質GDPをみることが必要である。各国や国際機関等の統計で実質GDPが使われるのはそのためである。
一方、名目GDPの動向にも意味がある。それは、実際に私たちが手にする賃金と利潤の総額(それは名目値で与えられる)の動向を表しているからである。また、債務は名目値で固定されているため、債務を名目GDPと比較することにより、債務負担の大きさをみることもできる。
以上のような性格を有する実質GDPと名目GDPの双方をみることによって、例えば、賃金や利潤が減少していても(名目GDPで確認できる)、財・サービスの価格がそれを上回って下落していれば、実際の購買力がそれほど落ちていない(実質GDPで確認できる)、といった現象も理解することができる。
このように、経済状況をとらえるためには、実質GDPと名目GDPの双方をみることが必要である。
● 失業率ベースのフィリップス曲線<I>
ところで、消費者物価指数をみると、99年10月以降、4年近くも前年比マイナスとなっている。このことはデフレの深刻さを示している。しかし、その下落幅はおおむね0~1%に収まっていた。他方、この間、失業率は大幅に上昇していた。したがって、失業率との関係では、消費者物価がより大幅に下落していても不思議ではなかった。実体経済の縮小と物価下落が相互作用し、加速度的・継続的に進むのをデフレ・スパイラルと呼ぶとすれば、そうしたデフレ・スパイラルが発生するのではないかという懸念さえ聞かれたが、現実にはそのような状況に陥ることはなかった。それは、なぜか。この点を、フィリップス曲線を基に考えてみることにしよう。
ここで最初に考えるフィリップス曲線は、物価上昇率を失業率との関係でみようとするものである。実際に1985年から2002年までの消費者物価上昇率と失業率の四半期データをプロットしてみると、右下がりの関係が浮かび上がってくる(第1-2-12図)。失業率が上昇するのに伴って物価上昇率が次第に低下し、やがてデフレの領域に入っていくことが示されている。
通常のフィリップス曲線は、物価上昇率を失業率と期待物価上昇率との関係でとらえ、物価上昇率と失業率との間には、期待物価上昇率が与えられたとすると、右下がりの関係があると想定される。そこで、期待物価上昇率を求めた上で、フィリップス曲線を推計してみよう。期待物価上昇率については、内閣府「消費動向調査」に基づいて推計したものを利用することにする(37)。第1-2-13図がその結果である。これによると、2000年以降、緩やかなデフレ期待が存在していることが分かる。
推計されたフィリップス曲線は、前掲第1-2-12図の上に描かれている。ここでは、便宜的に1985年以降を3期に分けてそれぞれの期間における期待物価上昇率の平均を求め、これに対応するフィリップス曲線を描いている。ここでは、フィリップス曲線について漸近線を持つ双曲線で近似しているが、これは、直線で近似するよりも当てはまりが良いからである。
これをみると、デフレの領域に入ってフィリップス曲線が水平に近づいていることが分かる。あたかも、デフレには下限があるようにみえる。これはなぜだろうか。
● 失業率ベースのフィリップス曲線<II>
この疑問に答えるには、次のような点を考慮する必要がある。すなわち、フィリップス曲線は、労働市場における需要と供給の法則を背景にしたものと考えられるので、(i)失業率も、構造的失業率を含む完全失業率よりは、循環的失業率の方が適当であること、(ii)物価変動率との関係をみるよりは、賃金上昇率との関係に注目すべきであること、である。
そこで、賃金上昇率と循環的失業率との関係をプロットしてみると、第1-2-14図のような右下がりの関係がみてとれる。ここでは、デフレの領域で水平になる関係はみてとれない。そこで、先に求めた期待物価上昇率を利用しながら、賃金上昇率と循環的失業率の関係を示すフィリップス曲線を推計してみよう。
推計結果は前掲第1-2-14図の上に描かれている。各期間の平均期待物価上昇率に対応したフィリップス曲線が描かれているが、今回の推計では双曲線よりも直線の方が当てはまりが良く、デフレに下限があるかのような関係はもはやみてとれない。デフレ領域で水平に近くなっていたのは構造的失業率が最近増加していたからであり、それを除くと、循環的な失業が増加すると賃金変動率が低下するとの関係が明確に観察される(38)。
● GDPベースのフィリップス曲線
同じようなフィリップス曲線をGDPベースで描くとどうなるか。ここでは、マクロ的な財・サービス市場で需要と供給の法則を想定して、期待物価上昇率が与えられたときのGDPデフレータとGDPギャップの関係を推計してみよう。
GDPギャップは、潜在GDPを推計して、現実GDPとの差を求めたものである。これによると、97年ごろからデフレギャップがみられており、最近では2002年に景気底入れ以降、デフレギャップは縮小に向かっている(第1-2-15図)。このGDPギャップを基に、GDPデフレータとの関係を1985年以降についてプロットしたのが第1-2-16図である。ここでも右下がりの関係がみてとれる。
また、推計にはGDPデフレータベースの期待物価上昇率(第1-2-17図)(39)が必要になる。
これらの要因を基にフィリップス曲線を推計した結果は、前掲第1-2-16図の上に描かれている(40)。ここでも、各期間の平均期待物価上昇率に対応したフィリップス曲線が描かれている。この推計の場合でも、直線による近似の当てはまりが良い。GDPギャップが拡大するとGDPデフレータ上昇率が低下し、マイナスになることが示されている。
● デフレの原因としての需要側要因、供給側要因
GDPベースのフィリップス曲線の存在は、デフレの原因について重要な示唆を与えてくれる。平成13年度、平成14年度の年次経済財政報告で指摘したように、デフレの要因としては、(i)供給側要因、(ii)需要側要因、(iii)金融的要因の3つに整理できる。
GDPベースのフィリップス曲線が存在するということは、このうち、「供給側要因」に含まれる潜在GDPと、「需要側要因」に含まれる現実GDPが、ともに物価指標であるGDPデフレータの変動率に影響を与えていることを示している。デフレの原因としては、「供給側要因」と、「需要側要因」の双方が挙げられることが分かる(41)。
● デフレの原因としての金融的要因
それでは、「金融的要因」についてはどのように考えればよいのだろうか。
マネーサプライと物価との関係については、以下のように整理できる。
第1に、短期で考えると、金融政策によってマネーサプライが増加すると、金利の低下とともに、実質GDPが増加し、それが、物価上昇率の上昇をもたらす。
第2に、長期で考えると、マネーサプライの伸びは名目GDPの伸びと等しくなるが、実際のGDPと潜在GDPが平均的に一致すると考えると、マネーサプライの伸びは、主として物価の上昇率に影響を及ぼすことになる。
以上のことは、計量的にも確認できる(42)。短期の関係については、マネーサプライが実質GDPに影響を及ぼし、実質GDPがGDPデフレータに影響を及ぼす関係が示唆されている。また、長期の関係については、マネーサプライと名目GDPとが安定的な関係にあることが示される。
したがって、マネーサプライも、需要側の要因に影響を及ぼすことを通じて、物価変動の原因となる。現在のデフレも、マネーサプライの高い増加がみられないことを反映していることになる。第3節でみるように、金融政策は量的緩和政策を採用し、マネタリーベースが高い伸びで伸びているのにもかかわらず、それがマネーサプライの高い伸びに結び付いていない。また、緩やかなマネーサプライの伸びも名目GDPの増加につながっていない。この背景には、不良債権問題や過剰債務問題の存在によって金融政策の効果波及経路(トランスミッション・メカニズム)が効きにくくなっていることがある。こうした要因のために、マネーサプライが増加せず、デフレからの脱却もできないでいるということになる。「金融的要因」もデフレの原因の一つである。
● デフレ克服への課題
以上で検討したデフレの原因は、デフレ克服のために満たされなければならない条件を示してもいる。すなわち、デフレ克服のためには、(i)デフレをもたらすGDPギャップが縮小しなければならない。また、(ii)デフレをもたらす「金融的要因」に対応するため、実効性ある金融政策が展開され、金融政策の効果がマネーサプライの増加を通じて、総需要の増加に結び付くことが必要である。このような条件が満たされてくれば、デフレ期待も徐々に修正されてくるであろう。
GDPギャップが縮小するためには、不良債権の処理や過剰債務の削減等が進むことによって、成長分野における潜在的需要が開花し、効率性の低い部門から効率性や社会的ニーズの高い成長分野へと資金が円滑に移動することが重要である。また、不良債権の処理や過剰債務の削減が進むことは、金融政策の効果波及経路を回復することにもなる。逆に、金融政策の効果もあって総需要が増加すれば、不良債権の処理や過剰債務の削減が進むという面もある。このように、構造改革と金融政策は、お互いに影響を及ぼし合う関係にある。
デフレ克服のためには、政府と日銀が一体となって、強力かつ総合的に取り組む必要がある。