第3節 経済構造の将来展望

第3章 日本経済を活性化するための課題

第3節 経済構造の将来展望

経済活性化を目指す構造改革は、これまでの経済システムを大きく変革するものである。たとえこれが日本経済の再生にとって避けて通れない道であることが認識されたとしても、経済主体にとっても環境が大きく変わることを意味するので、将来に対する不安を抱くことになるのは自然である。この不安を取り除くためには、構造改革の道筋を示し、それに沿って構造改革をできるだけ早く実行し、そのメリットを目に見えるようにすることはもちろんであるが、それとともに、そうした構造改革によって実現される経済構造の将来像を示すことが重要である。逆に、この点を明確にできれば、構造改革を進めることへの確信が培われ、構造改革の動きが加速されるとともに、将来への不安から控えられている様々な経済活動を活発化させることにもつながる(60)

本節では、これまでの分析を踏まえ、経済構造の将来展望を試みる。もっとも、構造改革後における経済構造の具体的な姿を示すことは、容易なことではない。なぜなら、構造改革後に実現される経済構造が、過去のキャッチアップ時代がそうであったように、手本が示されているわけではなく、新たに創造されなければならないものだからである。

第1に、経済構造の変革は、日本型経済システムと特徴付けられてきた経済システムそのものの変革を伴う。しかも、日本経済全体を1つの経済システムとしてみた場合、それはメインバンク制や終身雇用制に代表されるサブシステムから成り立っているが、こうしたサブシステムは相互に補完性がある。このため、一部が崩壊すると、経済システム全体が機能不全に陥ることになる。また、全体に手をつけずに、一部のみを変革するということは不可能である。基本的には、経済システムの一体的・同時的な変革とならざるを得ない。

第2に、そのような経済システムの変革が、行政が描く図面によって進められるのではなく、グローバルな影響も受けながら、市場メカニズムが主導することによって進められることである。第2節でみたように、既に構造調整が部分的にせよ進んでいるのは、構造改革の成果であるのと同時に、市場メカニズムによって徐々に経済システムの変革が迫られているという面もある(61)

このように、現在課題とされている構造改革が抜本的なものであるがゆえに、それによってどのような経済構造が実現されるのかを具体的に展望することは容易でない。しかし、第2節で分析したような構造調整のこれまでの進展のなかで、幾つかのポイントが浮かび上がっており、そうしたポイントによって新しい経済構造の輪郭を示すことはできる。以下では、そのような方法によりながら、経済構造の将来展望を行うことにする。

1 新しい経済システムの展望

構造改革が完了した後に実現される新しい経済システムは、次のような特徴を備えたものになると考えられる。

 市場型取引の基軸化

新しい経済システムでは、市場型取引の役割が一層高まるであろう。構造改革の結果、次のような分野において市場型取引が拡大するからである。

(i)規制の撤廃や縮小によって競争制限が緩和され、市場における競争原理に委ねられる分野が拡大する。また、これまで公共部門が行ってきた事業が民営化されることによっても、競争原理の適用範囲が拡大する。

(ii)これまで内部市場で確保されてきた財やサービスの外部調達が進み、外部市場での取引が拡大する。それは次のような変化によってもたらされる。

  • 企業では、設備のリース、派遣社員、ビル管理、ソフト開発などによって、これまで企業内で行ってきたものを、スピンアウトないしアウトソーシングして外部から調達することによって、固定費を変動費に転換し、コストの軽減を図っている。
  • 家計でも、外食、コンビニ、ハウスクリーニング、介護など、これもこれまで家計のなかで行われてきたサービスを、外部に求めるようになった。これは、女性の社会進出の結果であるとともに、逆にこのようなサービス業の出現によって女性の社会進出を促進している面もある。また、高齢者の増加に伴って必要なサービスが提供されるようになったという面もある。
  • 労働力の流動化に伴って転職がキャリアパスの1つとして確立され、転職市場が拡大する。

(iii)金融において、これまでのような相対取引的な間接金融への過度の依存から脱却して、不特定多数による市場型取引に基づく直接金融の経路が拡大する。

以上のように、新しい経済システムは、市場型取引を基軸としたものとなる。このことは、経済主体に対するインセンティブ構造が変化することを意味する。これまでは、長期安定的な関係を前提にしたインセンティブ構造であったが、新しい経済システムの下では、新ビジネス分野の発見機能を持つ価格シグナルを中心とする競争を通じたインセンティブが基本となる。

このような経済システムにおける政府の役割は、市場型取引が十分機能しない分野(「市場の失敗」が起こる分野)における市場補完的な役割を果たすとともに、市場型取引を基軸としたシステムが前提とする法体系等の制度的なインフラを整備することに特化することになる。

 質の高い情報の流通

経済システムの基軸が、内部市場における取引や相対型取引から市場型取引に移行するということは、情報流通量が飛躍的に増大するとともに、流通する情報の質が一層重要になるということである。これに伴い、透明性と説明責任の重要性が一層高まることになる。具体的には、以下のようなものが考えられる。

(i)財の取引においてもっとも基礎的な情報である価格や品質の表示の重要性が高まり、その信頼性を確保することが重要となってくる。

(ii)企業経営に関する情報についても、十分な情報開示が行なわれることが重要であるとともに、情報の質が重要となってくる。特に、財務諸表に関しては、それが基礎とする企業会計基準が、企業財務の現実の姿を描くのにふさわしいものとなっていることが重要であるとともに、個別企業の情報がそれに即して適切に作成されることが重要である。そのためにも、財務諸表の監査をする公認会計士や監査法人が十分なチェック機能を果たすことが重要である。

(iii)金融機関については、その経営内容を示す情報が重要となってくる。これは、金融機関の株式保有者にとって重要であるだけでなく、家計にとっても、ペイオフ実施後において預金者が銀行を選択する際に基礎となる情報であることから重要である。

(iv)労働市場でいえば、転職による入職者が増加するなかで、その労働者の保持する知識や技能に関する情報が重要となってくる。これまでは学歴や職歴がその役割を果たしてきたが、さらに様々な資格制度を活用することも重要となってくる。

また、様々な情報が流通するなかで、個人が一人で処理することは不可能となっている。したがって、各経済主体に代わって目的に合わせて情報の取捨選択を行い、分析・評価した上でその結果を提供する情報仲介者(情報誌、アナリスト、コンサルタント等)の役割も重要となってくる。

 リスクの認識とそれへの挑戦

従来の日本型経済システムは、長期安定的な関係を前提としてきた。それが変革され、市場型取引を主体とするシステムとなることは、これまで相対的に小さかった様々なリスクが顕在化することにより、それを適切に認識できるか否かが大きな意味をもってくる。それは、例えば家計にとっては、職業選択に際して転職のリスクを考慮することであり、預金をする際のペイオフに関するリスクを考慮することである。

リスクの持つ意味が重要になってくると、リスクとリターンの関係も見直される。低リスクに対しては低リターンしか期待できず、高リスクに対しては高リターンが保証されるというのが基本であるが、これまでは必ずしもそのような対応関係になっていなかった。例えば、大企業への就職は終身雇用の保障を意味したが、高賃金をも保障されたことや、預貯金という形態で貯蓄を持つことはほとんどリスクがないにもかかわらず、相対的に高利回りを保証されたことなどに、そのような点が見出される。新しい経済システムの下では、このようなリスクとリターンの関係のゆがみが見直される。

リスクの認識は、リスクの管理と裏腹の関係にある。特にリスクをいかに分散・回避するかが重要になってくる。家計にとっても、どのような金融商品で貯蓄をするかという金融資産の面に限らず、住宅や土地等の保有といった実物資産の面、あるいは自分や家族の就職先の選択といった人的資産の面をも含めて、全体をポートフォリオとして認識し、リスクとリターンの組み合わせを最適にするような選択が重要になってくる。

 自己責任原則の確立

経済システムを支えるのは最終的には個人である。市場型取引が基軸となる経済システムにおいては、その個人は自己責任原則のもとで行動することが求められる。それは、多様な選択肢が与えられるなかで、自由な選択が許されることを意味するが、同時に、その結果については自分自身が引き受けなければならないことを意味する。

このような自己責任原則を貫けるためには、状況を把握し対応する能力が必要である。例えば、質の高い情報の流通が増加してくるが、それを十分に活かせるためには、様々な情報を収集して理解する能力が不可欠である。また、様々なリスクにさらされるなかで、そのリスクを適切に認識し、それを管理する能力が必要である。

技術が急速な進歩を示し、また労働力の流動化によって転職が通常のことになるなかで、それに積極的に対応できるためには、自己啓発が必要である。経済環境の変化や技術の進歩に併せて、経済社会が必要とする人的資本の形成に努めることによって、はじめて雇用機会を確保できることになる。このことは、経済全体として生産性を高める上で、必要不可欠なプロセスである。

このように自己責任原則は、個人が常に自らの能力を高めることによって裏打ちされなければならない。このことは、生涯を通じて自己研鑽を続けることを意味するが、このような自己研鑽によってこそ新たな可能性が切り開かれると考えるべきである。

 セーフティーネットの整備

社会全体として、医療保険、年金保険、介護保険等によって、健康や加齢に伴う不確実性に備えたセーフティーネットを整備することは重要である。それと同時に、自己責任原則に対応して、経済的な不確実性に備えたセーフティーネットの整備も必要である。

例えば、労働力の流動化が進むなかで、離職や転職の可能性が多くなるが、その結果、一時的に収入の道を閉ざされた労働者に対しては、失業状態から脱却しようとする自助努力を前提としつつ、その脱却促進も含めたセーフティーネットは重要である。

また、市場における競争が有効であるためには、活発な参入と退出が確保されていなければならない。しかし、退出に伴う経済的な損失が非常に大きい場合、それはその者の再起を不可能にする可能性が高い。このことは、逆に参入そのものを躊躇させる要因となり得る。このような退出者に対するセーフティーネットが整備されることも必要である。

このようにセーフティーネットの重要性は増すが、それは常にモラルハザードの危険を抱えている。モラルハザードは、かえって経済の効率性を損なってしまう。セーフティーネットの整備にあたっては、モラルハザードを起こさないような工夫をすることが重要である。

 多様性の許容

日本型企業経営システムは大きな変化を遂げることになる。長期安定的関係を基本とする日本型経営システムの概要については、第2節でみた。それは、様々な限界に突き当たっており、そのなかで徐々に変化が起きている。変化の方向は、現在アメリカ型のシステムと言われているものの主要な要素を取り入れるというものである。

しかし、日本型企業経営システムが限界にきたからといって、全てをアメリカ型システムで置き換えれば済むというものではない。今は非効率的になってしまった日本型システムが良く機能した時期も過去にはあったし、これとは逆にこれまでうまく機能してきたアメリカ型のシステムも、現在様々な批判にさらされている。何が最適なシステムかは、その時代、経済環境、業種などによって大きく異なってくる。むしろ、各企業は、産業の特質や市場環境などを反映して、それぞれに最もふさわしいシステムを選べることが重要である。

したがって、ここで重要なことは、今後行われる制度の見直しに際して、アメリカ型のような特定のシステムを想定し、それを強制するようなことはしないことである。それぞれにふさわしいシステムを各企業が選択することを前提に、多様性を認め、選択を可能にするような柔軟性が必要である。

 世界経済への能動的参画

以上のような性格を有する経済システムを形成することによって、世界経済との関係も受動的なものから、能動的なものに変わることになる。

これまでは、発展途上国や体制移行国などの台頭による国際分業関係の変化に対して、それに伴う調整コストを背景に否定的な評価を下し、受動的な対応をするきらいがあった。しかし、市場型取引を中心に資源配分の効率化が進むことによって、むしろ新しい経済システムは国際分業関係に能動的に対応し、日本経済の生産性向上の契機にしていこうという積極的な対応が期待される。このことは、輸入を積極的に受け入れながら産業の高付加価値化を進めていくことや、国際標準を積極的に確立していこうという努力として現れる。他方、このようなダイナミックな経済が形成されれば、外国からみて「住みたい国」、「魅力的な市場」と評価され、頭脳流入を含む人的交流が深まるとともに、対日直接投資の増加などにつながることになろう。新しい経済システムは、このように外に開かれた経済システムという面も有する。

2 新しい経済成長の展望

構造改革によって日本経済の停滞をもたらした構造問題を取り除くことは、経済成長の内容も、これまでと異なるものになることを意味する。ここでは、(i)構造改革に取り組んでいる時期における経済成長の内容と、(ii)構造改革が完了した後の経済成長の内容とに分けて考察することにしよう。

 構造改革と経済成長

構造改革は、第2節で検討した経済活性化を含め、90年代を通じて低下してしまった潜在成長率を引き上げることを目的としている。構造改革は、供給側を強化する政策であるので、構造改革によって需給ギャップだけが拡大してしまい、実際の経済成長には結びつかないと批判されることがある。しかし、必ずしもそのように考える必要はない。なぜなら、構造改革は、供給側を主として意識した政策ではあるが、同時に新たな需要を喚起することにもつながるからである。

(i)規制改革などは、これまで公的部門や一部の民間部門に限られていた事業分野を広く民間部門に開放するものであるため、民間部門にとっては、新しいビジネスチャンスであることを意味している。そのようなチャンスを積極的に捉えていこうという企業家は、新規参入を行うとともに設備投資や雇用を増加させることになる。「構造改革特区」の導入も、特定地区における、構造改革の成功事例を示すことで、十分な評価を通じ、構造改革への不安を取り除き、チャレンジ精神を呼び起こすものとして期待される。

(ii)不良債権の処理が進むことは、そのために低生産性部門に固定されていた資金を、より生産性の高い部門に投下できることを意味している。これも企業活動を活発化することを意味する。

(iii)都市再生プロジェクトのような構造改革は、それ自身公共投資の拡大を意味するとともに、それに誘発されて民間投資も拡大することが期待される。

(iv)財政や社会保障制度の構造改革は、財政支出の削減、社会保障給付の引き下げ、公的負担の引き上げなど、需要を抑制する面があるが、それによって将来に対する不安が解消したり、不確実性が減少したりすることによって、個人消費の増加要因となる。

(v)以上のような効果を通じて、将来の期待成長率が上昇すれば、それにともなって、企業や家計の支出行動が喚起されることにもなる。このことは、期待収益率の上昇が資産価格の上昇要因となることによっても支えられるであろう。

このような効果が発揮されることを通じて、構造改革に伴って、需要が喚起され、実際の経済成長率が高まることが期待される。

構造改革の結果、潜在成長率がどれほど高まるかについては、昨年の「平成13年度年次経済財政報告」で分析した。これによると、現在1%程度の潜在成長率を中長期的に2%程度に引き上げることが可能であると考えられる。特に全要素生産性の寄与は0.5%程度高まるとされている。この主たる要因は、資源配分の効率化によって資源を低生産性部門から高生産性部門に振り向けるほか、情報技術(IT)等の新技術の開発や利用によって、全要素生産性の寄与が高まることにある。特にITは、90年代後半におけるアメリカの労働生産性上昇率の加速に大きく寄与しており、この分野における我が国の発展の余地はまだ大きいと考えられる。

 技術進歩と経済成長

新しい経済成長は、技術進歩が主要な役割を担う成長になる。

これまで90年代の成長は、労働力や資本の投入によって主導されており、技術進歩の寄与は小さくなっていた。今後は、資源の効率的利用や労働の質の向上と並び、技術進歩の役割が重要になってくる。そのために、第2節で示した課題に積極的に取り組むことによって、研究開発の効率化を進め、技術進歩の能力を高めることが期待される。

このような技術進歩を主動力とした経済成長は、今後強まると考えられる次のような制約条件を克服する上でも重要である。ここで制約条件というのは、(i)人口減少、高齢化の進展と、(ii)環境問題への取組強化の要請である。以下、それぞれについて簡単にみておこう。

(i) 人口減少・高齢化は、生産要素の蓄積を通じた経済成長にとっては大きな制約要因となる。人口減少・高齢化は、労働力人口の減少をもたらす。また、これに伴って、貯蓄率の低下ももたらされる。

このうち、労働力人口の減少は、これまで低水準にとどまってきた女子や高齢者の労働力参加率を高めることによって一部補える。また、貯蓄率の低下も、活発な国際的資本移動の下で、海外貯蓄の活用によって補うこともできよう。加えて、技術進歩を主体とする全要素生産性上昇率を高めることを通じて、経済成長を維持することができよう。

(ii) 環境問題のうち、廃棄物処理対策という課題については、単に廃棄されるものを処分するというのではなく、資源としてできる限り循環的な利用を行うという観点から物質フローを「ゆりかごから墓場まで」という視点で捉え、経済に投入される資源の量を考慮する必要があり、その際には、環境負荷をできる限り低減しつつ経済成長を達成するという考え方が重要である。廃棄物処理にあたっては、これまでの規制的手法に加えて、経済的手法の導入を検討する必要がある。

また、地球温暖化対策という課題については、京都議定書に沿った取組みを強化しながら、温室効果ガスの排出量の削減を実現しなければならない。そのために、排出量取引等を活用することが考えられる。

こうしたことと同時に、廃棄物処理対策や地球温暖化対策に関して社会全体の最適システムの構築や、経済成長と排出量削減の同時達成を図るためには、ライフスタイルの変化とともに、研究開発による技術進歩の促進が重要となってくる。

このように、制約条件の下にあっても経済成長を続けるためには、技術進歩が鍵を握っているといえる。しかし、逆に、「必要は発明の母」であり、制約条件の下にあることは、技術進歩が飛躍する契機になることも忘れてはならない。高齢化対応や環境問題対応といった具体的なニーズやウォンツと結びついた科学技術こそが、新規産業の種子となり、経済成長をけん引する力となる。このような経済成長が起動し出すことに成功することができれば、人口減少を克服するための、あるいは環境問題と経済成長を両立させるための「日本モデル」を世界に提示できることにもなる。

日本が将来にわたって経済成長を維持するために、資源の効率的利用や労働の質の向上に加え、研究開発への積極的な取組みが重要である。