むすび

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 景気回復の脆弱性

景気は、輸出の伸びに支えられて2002年1-3月期に底入れをした。その影響は、徐々に経済全体に波及しつつあり、景気持ち直しのモーメンタムは高まりつつある。しかし、このまま順調に景気回復が進んでいくかどうかは、第1章第4節で論じたように決して予断を許さない。それは、特にアメリカをはじめとする世界経済の行方に大きく依存している。

振り返ってみると、1990年代以降の景気循環は、いずれも世界経済の動向に大きく影響を受けてきた。最近では、2000年10月からの景気後退も、アメリカ経済のIT不況とそれに伴う我が国の輸出の減少によってもたらされた。このように、我が国の景気が世界経済の動向に大きく影響されるのも、日本経済の弱さの現れである。民間需要を中心とした景気の自律反転力や自律回復力が弱いために、外需が与えるインパクトが相対的に大きくなっているのである。実質経済成長率に対する民間需要、公的需要と純輸出の寄与度を80年代平均と90年代平均とで比べてみると、両時期で公的需要と純輸出の寄与度は変わらない。これに対して大きく異なるのは、民間需要の寄与度が、80年代から90年代に大幅に低下しているということである。特に、設備投資の寄与度が90年代に入ってマイナスになっていることが注目される。

景気の自律回復力がこのように弱いのも、バブル経済の崩壊を契機に始まったバランスシート調整がまだ続いているからである(第1章第2節)。積み上がった企業の過剰債務、銀行の不良債権はいまだ解消できていない。このため、生産性の低い企業や業種に資源が滞留し、過剰債務や不良債権を処理するために資源を投下することにより設備投資等の前向きな資源投下が抑制されている。また、景気の自律回復力が弱いのは、人件費が高止まりしているからでもある。90年代以降、人件費を適正水準へと引き下げていくための雇用や賃金の調整が続いている。このような調整が続くなかでは、生産が増加しても、企業収益や雇用・賃金の改善に結び付き、それがさらに設備投資や個人消費のような民間需要の増加をもたらさない。景気回復に向けた好循環が起動しようとしても、その波及チャネルが寸断されているのである。

 デフレとの悪循環

景気が脆弱である要因としては、デフレの影響も大きい。我が国で現在進行しているデフレには、バブル崩壊後からみられてきた資産価格面でのデフレと、90年代半ば以降みられてきた一般物価デフレとの両面がある(第1章第1節)。このうち、資産価格面でのデフレは、前述した企業を中心とするバランスシート調整の要因となってきた。また、一般物価デフレが進行していることは、実質債務負担の増加や実質金利・実質賃金の上昇をもたらし、景気に対する下押し要因となってきた。

しかし、同時に、景気回復力の弱さが、需給ギャップを拡大することによって一般物価デフレを促進する効果ももった。また、景気の自律回復力が弱く、景気の先行きについてなかなか明るい展望が開けないことが、期待収益率の影響を大きく受ける資産価格を引き下げる要因にもなった。この結果、不良債権も減少していないばかりか、最近は増加している。不良債権は、一方で実体経済に対して重しとなるとともに、他方で銀行の金融仲介機能を弱めることを通じて、デフレ克服を困難にすることになった。

以上のように実体経済とデフレが相互に影響を及ぼすことが、デフレからの脱却を困難にしているのである。

 日本経済の活力の喪失

以上のような景気の脆弱性の背後には、日本経済が活力を失っているという中長期的な問題も潜んでいる。

日本経済の活力が失われていることは、人々が「産業空洞化」懸念を抱くようになった背景にもなっている。「産業空洞化」懸念の一つは、これまで我が国の成長を支えてきてくれた製造業を中心とした産業基盤が中国などからの輸出攻勢によって失われてしまうのではないかというものである。

第3章第1節でみたように、貿易構造を詳しく分析すると、中国からの輸出もこれまでのところ労働集約的な財など、既に比較優位を失ったものが中心であり、わが国がこれまで経験してきた発展途上国の追い上げと決して異なるものではない。したがって、これまでと同様に、我が国の産業構造、貿易構造の高度化によって克服できるはずのものである。にもかかわらず「産業空洞化」懸念がもたれる背景には、中国がこれまでに例をみないような急速な経済発展を遂げていることと同時に、そのような急速な国際分業関係の変化に対応するだけの適応力が我が国に失われているのではないかとの危機感がある。

実際には、製造業の生産性上昇率は高く、経済における重要性は変化していない。しかし、比較優位はダイナミックに変化しており、製造業にとどまらずサービス業も含めて競争力の強化が急務となっている。

活力が低下していることは、日本の生産性上昇率が90年代以降、低下していることに端的に現れている。第3章第2節でみたように、日本の労働生産性上昇率は、90年代に入って低下をしている。このことは、IT革命を梃子に労働生産性上昇率を加速させたアメリカとは対照的である。日本では、90年代に入って、日本的経営システムの行き詰まりや不良債権問題のために、企業経営の非効率化、労働力や資金配分の非効率化、研究開発の非効率化が明らかになってきたことが原因である。資源配分のゆがみを是正することによって非効率性を取り除き、知識・技能を高めることによって労働生産性を引き上げていくことが喫緊の課題となっているのである。

 構造改革の課題

日本経済がこのような閉塞状況から脱却するためには、日本経済の脆弱性を取り除き、高い成長力を有する経済構造に改革するための構造改革が必要である。しかし、構造改革の取り組みは遅れた。いわゆる「失われた10年」は、経済成長が失われた10年だけでなく、構造改革に取り組むチャンスを逃した10年でもあったのである。本格的な取り組みは、昨年6月の「骨太の方針」以降に始まったのである。

構造改革のための政策は、広範囲にわたる。それは、(i)不良債権処理、(ii)財政・社会保障制度改革、(iii)経済活性化などを含む、包括的な取り組みでなければならない。このうち本年度の年次経済財政報告で取り上げた「経済活性化」の目指すところは、生産性を全体として引き上げるなかで、資源が生産性の伸びの低い分野から高い分野に速やかかつ円滑に移動できるような経済システムを構築することである。このようなシステムは、かつての日本には存在していた。高度成長が実現されたことや、2度にわたる石油ショックや円高ショックを克服したことでも、それは分かる。しかし、バブル経済の生成と崩壊のなかで、それまでのシステムがうまく機能しなくなり、逆に制約になってきたのである。

経済活性化の具体的な方向性については、第3章第2節で詳しく考察した。(i)企業経営の効率化、(ii)労働力配分の効率化、(iii)資金配分の効率化、(iv)研究開発の効率化、の各分野において経済活性化が進められなければならない。(i)と(ii)と(iii)は、与えられた技術や人的資本を最大限に活かせるように非効率性をなくし、生産可能性のフロンティアに到達するための課題である。それに対して、(iv)は、技術や人的資本の高度化を図り、そのフロンティア自身を拡張していくための課題である。

このうち労働力、資金配分の効率化に関しては、市場メカニズムの力によってすでに構造調整が進行している。特に90年代後半にはそのような動きが広範囲にみられた。しかし、そのような分野でも、制度が障害となっている分野があり、それを改革しなければ構造調整の大きな前進が望めない。構造改革は、進行しつつある構造調整を後押しするとともに、そのための新たなフレームワークを構築することでもある。

 税制改革の取り組み

日本経済の活力を回復するための構造改革の一環として求められているのが、包括的かつ抜本的な税制改革である。

税は政府活動の財源を調達するための手段として不可欠なものである一方、税負担を通じて不可避的に資源配分に影響を及ぼすものである。税制のあり方によっては、資源配分が非効率化し、経済の活力を削ぐ可能性がある。「基本方針2002」においても、経済社会の構造が変化する中で人々や企業の選択を歪めず、経済社会の活力を最大限発揮させることが課題となっている。このような観点から、望ましい税制の3原則として掲げられる「公平・中立・簡素」を時代の要請に応じて「公正・活力・簡素」と理解しつつ、21世紀にふさわしい税制への改革が求められているのである。

税制が経済活力に及ぼすこのような影響を考慮することは、税制改革の検討を行う際に重要である。具体的にどのような改革を行うかによって、日本経済への影響が異なってくるし、構造改革に伴う調整コストも違ってくる。

 相互関連と具体的手順

このように、構造改革を構成する個々の政策は、他の分野に影響を与え、また他の分野から影響を受ける。したがって、構造改革を考えるときには、個々の政策だけを考えるのではなく、そうした政策間の相互関連を考慮することが重要である。第1章第3節で取り上げた財政政策及び金融政策についても、次のようなことが言える。

財政政策においては、財政構造改革が進められている。これまでのところマクロ経済に対する影響は限定的であるが、「改革と展望」のように、今後、財政構造改革を進める際には、マクロ経済的な影響を考慮する必要がある。他方、他の分野における構造改革の進展によって、財政政策の有するマクロ的な効果も変化する。こうしたことを考慮しながら、財政構造改革の具体的な手順を定めていく必要がある。

金融政策においては、量的緩和政策が続けられている。その効果は、必ずしも従来考えられてきた銀行貸出を介する経路を通じて発現しているわけではない。量的緩和の効果が、ポートフォリオ・リバランシングという経路を通じて、為替レートの変化として現れている可能性があることについては、第1章で分析した通りである。そのことは従来注目されていた経路が全く無効であるということを意味しているわけではない。構造改革が進み、経路を塞いでいたバランスシート調整が進展することによって、金融政策の効果が実体経済に波及するための経路が開かれ、これを通じた効果が発現すると考えられる。デフレ克服のためには、政府と日銀が一体となって取り組むことが必要とされる所以である。

手順という観点からは、「構造改革特区」の導入は注目に値する。特定の地域における構造改革を行うことによって、できるところから構造改革に着手するとともに、それが成功することによってより全面的な構造改革への弾みがつくことになる。

 構造改革後の経済の姿

このような構造改革を通じて、どのような経済システムが実現されるかについては、第3章第3節で論じた。経済構造の将来像を予め具体的に示すことは困難である。しかし、これまでのように内部市場や相対型取引に依存した経済システムから、市場型取引が基軸に座る経済システムに転換することは間違いないであろう。このことは、「情報」「透明性」「リスク」「自己責任原則」「セーフティネット」といったことの重要性を浮かび上がらせる。

日本型企業経営システムも大きく変貌することになる。しかし、このことは、日本型システムがアメリカ型に置き換わるということを意味しない。アメリカ型が絶対的ではないことは、最近のアメリカにおける企業会計をめぐる混乱振りが示すところである。重要なことは、最適なシステムは時代、経済環境、業種等に大きく異なり、それを予め特定しておくことは困難であるとの認識であろう。多様性が認められ、そのなかで各企業が最適と考えるシステムを選択できるような柔軟性が重要である。また、企業経営システムが多様性を持ったものになるにつれて、個人の就業も多様な形態をとり、仕事と生きがい(自己実現と家庭生活)を両立させるための仕組みが求められることにもなる。

構造改革を通じて、旧い経済システムを変革し、新しい経済システムを構築することにより、日本経済には、少子・高齢化や環境問題といった課題に対応しながら、ダイナミックな経済成長を遂げる道も開かれる。日本経済に失われた活力は、現状維持によっても、過去への回帰によっても、取り戻すことができない。それは、日本経済が新しく生まれ変わることによって初めて可能となるのである。