第2章 主要地域の経済動向と構造変化(第3節)
第3節 ヨーロッパ経済
ヨーロッパ経済は、英国のEU離脱問題や貿易制限的な通商政策への懸念、政治の不確実性に伴う政策の不透明感がみられる中、ユーロ圏では緩やかな景気回復が続く一方で、英国では景気回復が緩やかになっている。ユーロ圏においては、堅調な世界需要等に支えられ、輸出や設備投資を中心に緩やかな回復が続くことが期待される一方で、英国のEU離脱問題の不透明感や貿易制限措置への懸念、ポピュリズム勢力の台頭懸念の継続等、依然として様々なリスクに直面している。また、英国においては、EU離脱に関する国民投票後のポンド安等による物価上昇や継続する先行き不透明感の影響が、個人消費や設備投資等にみられるなど、回復が更に緩やかになることが見込まれる。
本節では、ヨーロッパ経済の最近の動向を振り返るとともに、今後の見通しとリスク要因を整理する。
1.ユーロ圏と英国の経済動向
(1)ユーロ圏経済の動向
(緩やかな回復が続く)
ユーロ圏の実質経済成長率は、13年4~6月期以降、20四半期連続のプラスを維持し、17年は前年比2.4%となるなど、緩やかな回復が続いている。雇用情勢の改善等を背景に個人消費は堅調に推移しており、外需の持ち直しや設備投資の緩やかな増加とともに景気回復を支えている(第2-3-1図)。
主要国別にみると、18年1~3月期は悪天候等の一時的要因1もあり鈍化がみられたものの、各国ともおおむね堅調に推移している(第2-3-2図)。17年は、ドイツ、フランス共に前年比2%台前半の成長となり、スペインは同3.1%の高い成長となった一方で、イタリアは同1.6%と比較的低い成長にとどまるなど2、国により差異はあるものの幅広い国で緩やかな回復が続いている。
(雇用情勢の改善等から個人消費は増加)
雇用情勢の改善(後述)等を背景に、小売売上・サービス売上・自動車登録台数ともに堅調に推移しているほか、消費者信頼感指数も記録的な高水準で推移するなど、個人消費は増加基調を示している(第2-3-3図、第2-3-4図)。また、家計のローン残高(名目GDP比)の減少傾向が続いているほか、16年末以降は財産所得が増加傾向にあることも、個人消費を支える一因となっていると考えられる(第2-3-5図)。
(雇用情勢の改善には濃淡)
ユーロ圏全体の失業率は低下傾向が続いている。そのような中、主要国の雇用情勢には大きな違いがみられる。ドイツの失業率は1990年の東西ドイツ統一後の最低水準が継続しており、25歳未満の若年層の失業率も低水準となっている。一方、スペインの失業率は低下傾向にあるものの依然高水準にあり、若年層の失業率も同様に水準の高い状態が続いている。フランス及びイタリアの失業率は、ユーロ圏全体を上回る水準にあり、おおむね横ばいで推移している3(第2-3-6図)。若年層の就業経験の欠如が長期化した場合、人的資本の蓄積を阻害し、長期的に潜在成長力を低下させ得る点が懸念される。
また、ユーロ圏の就業者数は、世界金融危機前の水準にまで回復しており、個人消費を支える背景となっている。なお、若年層の就業者数は、若年人口の減少と高学歴化による労働参加率の低下4により世界金融危機前の水準を大きく下回っている(第2-3-7図)。
(世界需要の回復を背景に輸出は持ち直しているが、このところ一服感)
ユーロ圏の輸出は、17年初め頃より持ち直しの基調が続いているが、18年には中国を中心に一服感がみられる(第2-3-8図)。
また、輸出受注に対する企業マインド(製造業PMI)をみると、17年11月に史上最高を記録した後、18年入り後は、17年に上昇が続いた反動もあり調整が続いている(第2-3-9図)。17年半ば頃から為替レートがユーロ高傾向で推移しており、18年4月頃からややユーロ安に戻したものの、この輸出への影響には留意が必要である5(第2-3-10図)。
(内外需にけん引され生産は持ち直しているが、このところ一服感)
ユーロ圏の生産は、17年半ば以降持ち直しの基調が続いている6(第2-3-11図)。製造業の景況感(欧州委員会工業景況感)は、18年1月に過去最高を記録した後、やや一服したものの、依然として高水準を維持している7(第2-3-12図)。こうした動きは、ユーロ圏経済の緩やかな回復による内需の拡大や、世界需要の緩やかな回復を背景とした輸出の増加に支えられている。
また、ドイツ等の一部の国では、生産の制約要因として、需要不足よりも労働力や設備・原材料の不足を挙げる企業の割合が17年後半以降、急速に高まっている(第2-3-13図(1))。加えて、製造業者に対し供給業者からの入荷時間について調査を行い、その結果を指数化した入荷遅延指数をみると、特にドイツにおいて顕著な低下(入荷遅延状況の悪化)を示している一方で、受注残高を指数化した受注残指数は高い水準となっている。これは、原材料や人手の不足等により、入荷までの時間が長期化し、受注残の積上がりが生じたためとみられる。このように、18年入り後の生産活動の鈍化は、供給面の制約が一部に影響を与えたものと考えられる8(第2-3-13図(2))。このほか、18年1~2月にドイツでストライキが行われ9、18年2月末には欧州に大寒波が襲来し、これらの要因も生産活動を一時的に抑制したとみられ、基調としては持ち直しているが、このところ一服感がみられる。
(機械設備投資は緩やかに増加)
ユーロ圏の機械設備投資は、17年末に世界金融危機直前の水準に回復し、その後も緩やかに増加している。国別にみると、ドイツ、フランス及びスペインはユーロ圏全体を上回る伸びを示しているが、イタリアは増加傾向にあるものの危機前を下回る水準となっている(第2-3-14図)。
ユーロ圏における生産の持ち直しに伴い、設備稼働率は緩やかな上昇が続いていたが、17年後半に急速に稼働率が高まっており(第2-3-15図)、さきにみたとおりドイツ等では設備不足を生産の制約要因とする企業の割合が増加している(前掲第2-3-13図(1))。また、企業収益の増加や良好な企業マインドを背景に(前掲第2-3-12図)、企業の設備投資計画は18年に比較的高い伸びとなっており(第2-3-16図)、緩和的な金融政策により、金融機関の貸出態度も緩和傾向にあることから(第2-3-17図)、今後も機械設備投資の増加が見込まれる。
建設投資及び建設業の生産は、世界金融危機前の水準を依然大幅に下回っているものの、景気の緩やかな回復や継続する緩和的な金融政策の下支えもあり、増加傾向を示している(第2-3-18図)。建設投資を国別にみると、ドイツが全体をけん引する一方で、フランス、イタリア及びスペインは世界金融危機前の水準を下回っている(第2-3-19図)。
建設業の景況感及び建設受注は、世界金融危機直前の水準に回復しつつあり、建設投資の回復の継続が見込まれる(第2-3-20図)。
また、住宅価格はドイツを中心に上昇傾向にあり、これによる資産効果や財産所得の増加は、個人消費を支える一因となっているとみられる(第2-3-21図、前掲第2-3-5図)。
(財政政策の動向)
ユーロ圏の一般政府財政収支・GDP比は、09~13年平均の-4.7%から17年には-0.9%にまで縮小した。景気の緩やかな回復や低金利等を背景に、財政赤字は19年に向けて今後も徐々に縮小していくことが見込まれている10(第2-3-22図)。
財政政策のスタンスを表すと考えられる構造的財政収支・GDP比は、ユーロ圏では17年-0.6%、18年-0.8%、19年-1.1%と緩やかな拡大が見通されており11、19年にかけて幾分拡張的な財政スタンスが続くと見込まれている。
EU加盟国は「安定・成長協定」(SGP:Stability and Growth Pact)12により、一般政府財政赤字と債務残高のGDP比を規定の範囲内に抑えることが求められている13。ユーロ圏では、スペインが過剰財政赤字是正措置適用国として欧州委員会の監視対象となっている14。なお、金融支援15を受けているギリシャは17年に過剰財政赤字措置の適用が終了している16(第2-3-23図、第2-3-24図)。
また、EU及びその加盟国は、「欧州セメスター」17を通じて、財政の健全性確保やマクロ経済不均衡の是正等に向けた取組を進めている。緩やかな景気回復が続く中で、EU加盟国は、経済成長に資する財政政策を行いつつも、長期の視点に立ち各国の課題に応じた構造改革の実行が求められる。
(ECBは金融緩和を継続)
ユーロ圏の消費者物価上昇率(総合)は、16年半ば以降、エネルギー及び食料品価格の上昇により大幅に上昇し、17年初にはECB(欧州中央銀行)のインフレ参照値18である2%(前年比)近辺で推移した(第2-3-25図、第2-3-26図)。その後、主にエネルギー価格の伸びの低下に伴い、消費者物価上昇率も緩やかに低下したが、18年5月には再びエネルギー価格が上昇したことから再度2%付近まで急上昇した。また、コア物価上昇率は、旅行関連価格等の寄与により幾分上昇する場面19もあったものの、総じてみれば前年比1%前後でおおむね横ばいでの推移となっている。
ECBは、17年10月の政策理事会において、資産購入プログラム(APP:Asset Purchase Programme)における資産購入額を18年1月より月額600億ユーロから300億ユーロに減額すること、これを少なくとも18年9月末まで継続することなどの量的緩和政策の変更20を決定した。また、18年6月には、18年10月以降はAPPの資産購入額を150億ユーロに減額の上、これを18年12月末まで実施した後、終了するとの方針21を示した。
資産購入のフォワードガイダンスに関しては、18年6月に、必要に応じ現行の買入期間を超えた資産購入を実施するとの文言を削除するとともに、前述のとおり買入規模を縮小の上、18年12月末まで資産購入を実施するとの方針を示した。一方で、買入期間終了後長期にわたり再投資を行うとのガイダンスについては維持した。また、政策金利のフォワードガイダンスに関しては、資産購入期間を十分上回る期間、現行水準に据え置くことを見込んでいるとしていたが、18年6月には、少なくとも19年夏までは現行水準に据え置くとの方針を示した。ECBはこれらのフォワードガイダンスの変更や、主要政策金利の据え置き22を含め、緩和的な金融政策を維持している。
また、ECBは、18年3月に公表したマクロ経済見通しにおいては、実質経済成長率の見通しを上方修正する一方で、物価上昇率については慎重な見通しを示していたが、18年6月の見通しでは、実質経済成長率を下方修正する一方で、物価上昇率についてはやや強気な見通しを示した。コア物価上昇率に関しては、緩やかな上昇にとどまっているものの、中期的には経済の回復に伴う需給の引締まりと賃金の上昇から、次第に上昇が見込まれるとしている23。
ユーロ圏の景気は緩やかな回復が続いており、雇用情勢の改善から賃金上昇圧力が徐々に高まる24一方で、ユーロ高による物価の押下げ効果等からコア物価の上昇が緩やかなものにとどまると見込まれる中、政策金利引上げの時期等、ECBの金融緩和の見直しに向けた動向が注目される。
(2)英国経済の動向
英国経済は、19年3月末にEU離脱を控え、離脱交渉に係る不透明感が個人消費や企業活動に影響を及ぼしている。ここでは、最近の英国経済の動向と今後の英国経済の行方を左右する離脱交渉の状況をみていく。
(ⅰ)最近の英国経済
(景気回復は緩やかに)
英国経済は、15年末からのポンド安や16年末以降のエネルギー価格上昇に起因する物価上昇が家計の購買力を低下させる中で、16年10~12月期頃から、それまで英国の経済成長をけん引してきた個人消費が伸び悩むなど、景気回復は緩やかになっている。一方、ポンド安の影響のはく落等を受け、輸出はこのところおおむね横ばいで推移し、生産も輸出向けを中心にこのところおおむね横ばいでの推移となっている。設備投資については、EU離脱に対する不透明感から横ばいでの推移となっている。
英国の実質経済成長率は、15年が前年比2.3%、16年が同1.8%であったが、17年は同1.7%と更に低下し、18年1~3月期は前期比年率0.9%にとどまるなど、悪天候等の一時的要因25もみられる中で、EU離脱問題に伴う不透明感等の影響から成長の勢いが鈍化してきている(第2-3-27図)。
(ポンド安の影響が一服し、消費者物価上昇率はこのところ低下)
15年末以降の大幅なポンド安や16年末以降のエネルギー価格上昇により上昇してきた輸入物価や生産者投入価格は、17年に入りポンド安傾向の落ち着きやエネルギー価格の上昇鈍化から、17年入り後は上昇率が低下傾向となっている(第2-3-28図)。生産者産出価格についてもおおむね同様の動きとなっており、16年中は上昇していたが、17年以降はおおむね横ばいで推移している。こうした動きが波及し、消費者物価上昇率(総合)についても、BOE(イングランド銀行)の物価目標である前年比2%を上回るものの、ポンド安の影響のはく落やエネルギー価格等の低下により、17年11月の前年比3.1%をピークに低下傾向を示している(第2-3-29図、第2-3-30図)。
(雇用情勢は引き続き改善、賃金も上昇の兆し)
雇用情勢は、引き続き改善している。失業率(ILO基準)は18年2月に均衡失業率(4.25%)26を下回る4.2%にまで低下し、75年以来の歴史的な低水準となっている(第2-3-31図)。また、労働需給の引締まりを受け、労働参加率も上昇傾向にある(第2-3-32図)。他方で、EU域外からの移民の純増数(流入-流出)27は年間17~20万人程度でおおむね横ばいで推移しているが、EU離脱交渉に係る不透明感等から、EU諸国からの移民の純増数は16年半ばから減少が続き、年間9万人程度となっている(第2-3-33図)。16歳以上の就業者のうちEU諸国出身者の割合は、17年で約7%を占めており(第2-3-34図)、移民の純増数の減少は労働市場に一定の影響を与えているものと考えられる。
労働需給の引締まりに伴い、名目賃金(週平均、ボーナス除く)は緩やかに上昇しており、前年比3%程度となっている。他方、実質賃金(週平均、ボーナス除く)については、消費者物価の上昇から17年3月以降マイナスが続き、家計の購買力を低下させてきたが、さきにみたとおり18年入り後の消費者物価上昇率の低下を受け(前掲第2-3-29図)、18年2月には1年ぶりにプラスに転じた(第2-3-35図)。
(物価上昇から消費は増加のテンポが緩やかに)
個人消費は、ポンド安等の影響による物価上昇や、EU離脱交渉に係る先行き不透明感等による消費者マインドの悪化を受け、増加のテンポが緩やかとなっている。
実質個人消費は、16年10~12月期以降、伸び率が低下基調にあり、18年1~3月期には前期比0.2%に低下した(前掲第2-3-27図)。実質小売売上高の伸びも16年末以降、低下基調にあり、18年入り後も2月末から3月初めにかけて欧州を襲った大寒波の影響もあり、低水準にとどまっている28(第2-3-36図)。また、自動車登録台数をみると、17年4月からの自動車税改正29の影響や政府のディーゼル車規制の方針30もあり、17年度31は前年比で大幅に減少した32(第2-3-37図)。
消費者マインドは、17年末頃から持ち直しの動きもみられるものの、EU離脱交渉に係る不透明感が継続していることなどから、いまだマイナス圏内での推移が続いている(第2-3-38図)。
このように、16年後半以降の物価上昇の影響により、17年に実質賃金の伸びがマイナスとなり家計の購買力を低下させたことや消費者マインドが停滞したことなどが、個人消費を抑制している。ただし、18年2月には実質賃金が前年比プラスに転じており、こうした動きが今後の個人消費を下支えしていくものと期待される(前掲第2-3-36図)。
(生産、輸出はこのところおおむね横ばい)
英国の企業部門の動向をみると、鉱工業生産は、堅調な世界需要に支えられた輸出向けを中心に持ち直しの動きがみられたが、鉱業が17年12月の北海油田における主要パイプライン停止33の影響から減少したほか、製造業が17年末にかけて主に外需向けに力強く伸びた後、増勢がやや鈍化するなど34、このところおおむね横ばいで推移している(第2-3-39図)。また、企業マインドを製造業PMIでみると、17年末以降やや低下傾向で推移している(第2-3-40図)。
輸出については、ポンド安の落ち着きもあり17年半ば以降横ばいで推移した後、17年末ごろから堅調な世界需要に支えられ、持ち直しの動きがみられたが、ポンド安の影響のはく落等から、このところおおむね横ばいで推移している(第2-3-41図)。また、製造業PMIの新規輸出受注指数をみると、17年末以降やや低下傾向で推移している(第2-3-42図)。
(設備投資は横ばいで推移)
設備投資は、18年1~3月期に前期比-0.4%となるなど17年半ばごろから横ばいで推移している(第2-3-43図)。設備投資に大きな影響を与える資本利益率35をみると、ポンド安や世界需要の回復による輸出増加を受けて、製造業では上昇基調にある一方で、物価上昇による購買力の低下や英国のEU離脱に伴う先行き不透明感等から家計や企業がサービス購入を抑制したため、サービス業では低下基調にある(第2-3-44図)。また、企業の設備投資意欲についても、製造業では堅調な世界需要等から持ち直しているものの、個人消費の鈍化や先行き不透明感を受けて、サービス業では17年半ばから横ばいの状態が続いており、総じて低水準にとどまっている(第2-3-45図)。英国企業に対する調査36によれば、EU離脱交渉の先行き不透明感から、企業が設備投資を手控えている様子がうかがわれ、今後も企業は設備投資に慎重な姿勢を示すものと考えられる。
(金融政策は引締め傾向)
BOEは、消費者物価上昇率が目標とする前年比2%を超えて上昇している状況等を踏まえ、17年11月の金融政策委員会で約10年ぶりに政策金利を引き上げ、それまでの0.25%から0.50%とした。その後、18年2月の金融政策委員会では、政策金利を全会一致で据え置く一方で、金融政策の引締めの前倒しと加速を示唆した37。ただし、5、6月の金融政策委員会においては、労働市場のスラック(需給の緩み)は縮小しているものの、ポンド安の一服による消費者物価上昇率の低下が予測より早かったことや、18年1~3月期の実質経済成長率が悪天候の影響もあり予側を下回ったことなどから、政策金利を据え置いた(第2-3-46図)38。また、フォワードガイダンスに関しては、6月の金融政策委員会で、資産買取プログラムで購入した保有資産を政策金利が1.5%近辺39に到達するまで維持し、その縮小については徐々に、予測可能なペースで行う方針を示した。
EU離脱問題に伴う不透明感による影響から、景気回復が更に緩やかになることが見込まれる中、消費者物価上昇率はこのところ低下傾向にあり、今後のBOEの政策運営が注目される。
(ii)英国のEU離脱をめぐる動向
(英国・EU間の離脱交渉の状況)
16年6月の英国のEU離脱の是非を問う国民投票を受け、英国は17年3月29日、リスボン条約50条に基づき欧州理事会に正式にEU離脱を通告し、原則2年にわたる離脱交渉プロセスが開始された。離脱交渉の進め方については、英国・EU間で二段階のアプローチをとることで合意された。すなわち、第一段階として、(1)EU市民・英国市民の権利保護、(2)未払い分担金等の清算、(3)北アイルランド(英国)とアイルランド共和国の国境管理問題(北アイルランド国境管理問題)の3点を最優先課題として交渉し、これらに十分な進展が認められた場合に、第二段階として、離脱後の通商関係の交渉に移行することとされた。第一段階の最優先課題については、先送りされた部分もあるものの、17年12月には、英国・EU間で十分に進展したとの合意に至り、18年には交渉の第二段階へと進んだ(第2-3-47表)。
最優先課題の交渉状況を欧州委員会が18年3月に公表した英国のEU離脱に関する離脱協定案40により確認すると、EU市民・英国市民の権利保護については、交渉官レベルで合意し、未払い分担金等の清算については、具体的な金額は未定41ながら、20年までのEU予算に係る負担等に関し合意している。北アイルランド国境管理問題については、ベルファスト合意42の遵守等の基本的な方針が確認されたほか、英国・アイルランド間の人の移動の自由の確保43や専門委員会の設置等で合意したが、多くの点が依然として未合意のまま残されている44(詳細はコラム2-2参照)。
また、同協定案によれば、離脱後の激変緩和措置としての移行期間について、EU側の提案に基づき20年12月末までとすることなどが合意されている(第2-3-48表)45。
18年3月のEU首脳会議では、今後の交渉のガイドラインとして、英国のEU離脱に伴う将来の枠組みに関する交渉指針が採択された。今後、19年3月29日の離脱期限を踏まえた事実上の合意期限とされる18年10月末まで46に、北アイルランド国境管理問題を始めとする最優先課題の未合意部分ほか、通商等の将来の枠組みに関する交渉が継続される予定である。
(EU離脱をめぐる英国国内の状況)
英国国内においては、今後のEUからの離脱に伴い、現在国内で適用されているEU法を国内法に置き換える必要から、EU法廃止法案(European Union (Withdrawal) Bill)が、17年7月に政府から英国議会へ提出され、政府と議会との見解の相違により審議は難航したが47、18年6月に上下両院で可決された。議会審議における修正により、英国政府とEUとの離脱に関する合意内容を議会の投票に諮り、合意内容を下院が否決した場合、又は、19年1月21日までにEUと合意に至らなかった場合に、英国政府はEUとの交渉についての新たな行動計画を議会に提出することが規定された。また、この行動計画については、下院議長の判断により政府に修正を指示できることとされている。
英国議会や欧州議会による離脱協定案の承認プロセスに要する時間を見込むと、事実上の合意期限は18年10月とされている。北アイルランド国境管理問題等の困難な課題も残っており、離脱交渉の行方は依然として不透明である。
(今後の英国・EUの通商関係)
EU域内は、人・モノ・資本・サービスの4つの移動が自由な単一市場であり、域内の関税は関税同盟により無税である。英国の貿易においてEUは、輸出の48.8%、輸入の54.8%と大きなシェアを占めており(第2-3-49図)、これまで関税同盟による無税の恩恵を受けてきた。また、英国とEUは互いにサプライチェーンの一部を構成しており、多くの分野において英国・EU間で物品等の移動を伴いながら生産活動が行われている48。何ら合意のない離脱(ハードブレグジット)となれば、人・モノ・資本・サービスの4つの移動の自由が失われ、円滑な生産活動が阻害されるおそれがある。
英国は、EUとの新たな通商関係について、従来のFTA(自由貿易協定)に含まれたことのない金融サービス49等を含む広範な内容のFTAを目指すとしている(第2-3-50表)50。これに対しEUは、18年3月にEU首脳会議で採択した交渉方針において、財貿易は全セクターで無関税を目指す一方で、サービス貿易については、離脱後は英国が共通の規制・監督等の枠組みに服さないことから、英国がEUのルールに基づいたサービス供与を行うことを目指すなどとしつつ、英国は権利に応じた義務を負担すべきであり、いわゆる「いいとこ取り」はあり得ないとの基本方針を示している51。
金融・保険サービスは、英国のサービス輸出の約30%を占め、英国が特に重視する分野と考えられるが、今後の交渉は難航が予想される。
コラム2-2:北アイルランド国境管理問題
英国のEU離脱交渉において重要な争点となっている北アイルランド国境管理問題について、経緯及び利害関係者の主張について概観する。
1.アイルランド・北アイルランド間の国境の経緯と貿易
北アイルランドとアイルランドの国境は、アイルランド独立戦争(1919~21年)の勃発後の1920年に英国政府によりアイルランド統治法が制定され、アイルランドを北アイルランドと南アイルランドに分割し、それぞれ独自の議会と自治権が認められたことにより設定された(注1)。また、23年には、北アイルランド・アイルランド間の国境に税関が設置された。
1965年にアイルランド・英国間で自由貿易地域協定が締結され、73年には、アイルランド、英国ともにEEC(欧州経済共同体)(注2)に加盟し、工業製品が自由貿易の対象となった。93年のEU(欧州連合)発足に伴い、EU加盟国間の人・モノ・資本・サービスの4つの自由が保証される単一市場が形成され、北アイルランドとアイルランド間の税関も撤去された。さらに、98年のベルファスト合意以降は、北アイルランド・アイルランド間の国境の検問も廃止された(注3)。
英国・アイルランド間の財貿易において、特にアイルランドにとって英国は主要な貿易相手であり、仮にモノの移動の自由が制限された場合、その影響は大きいと考えられる(図1、図2)。また、約1.5万人(2011年)が、北アイルランド・アイルランド間の国境を越えて通勤・通学を行っており(注4)、仮に国境管理が復活した場合、日常生活にも大きな支障が生じると考えられる。
2.北アイルランド国境管理問題に対する関係者の主張
次に、英国のEU離脱交渉に伴い、関係者が北アイルランドの国境管理問題についてどのような主張を行っているかを整理する。
英国与党の保守党は、17年6月の下院総選挙の結果、単独過半数を維持できず、北アイルランドの地域政党で英国との統一を志向するDUP(民主統一党)からの閣外協力を得て過半数を確保している。DUPは、アイルランドとの間では共通旅行区域を維持する一方で、北アイルランドに特例が適用されることで、単一市場と関税同盟からの離脱に伴い厳格な管理を要する事実上の国境がグレートブリテン島・アイルランド島間に導入されること(ハードボーダー)に反対するとの立場を表明している(注5)。他方、アイルランド政府は、北アイルランド和平の根幹を定めたベルファスト合意の当事者として、厳格な国境管理の復活に反対している(注6)。これらはいずれも、EU離脱に伴い単一市場、関税同盟から脱退するとの英国政府の方針と矛盾しており、北アイルランド国境管理問題の解決を極めて困難なものとしている(図3)。
英国とEUは、ベルファスト合意の尊重という基本的な方針では合意しているが、英国政府は、北アイルランド・アイルランド間の厳格な国境管理を回避するための具体案をいまだ示すことができていない。代替案が合意されない場合は、北アイルランドをEU単一市場、関税同盟に残留させることをEUは提案している(注7)。今後、英国において関係者間で納得できる解決策が模索されていくことになるが、その交渉は難航が見込まれる。
(注1)北アイルランドは、自治権を有しつつ英国の一部として残った。1922年には、アイルランド独立戦争の休戦条約として締結された英愛条約に基づきアイルランド全島がアイルランド自由国として英国の自治領となったが、北アイルランドはアイルランド自由国からの離脱を決定、英国への再編入を英国に通告した。なお、英愛条約では、北アイルランドには条約発効後1か月以内はアイルランド自由国から離脱する権利が与えられていた。
(注2)1967年にECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)とEuratom(欧州原子力共同体)が統合され、EU(欧州連合)の前身組織であるEC(欧州共同体)が設立された。
(注3)人の移動の自由の確保を目指す「共通旅行区域(CTA:Common Travel Area)」の淵源は1920年代に遡るが、ベルファスト合意後の合意内容の実施において、英国・アイルランド間の人の移動の自由の原則は象徴的な意味を持った(HM Government (2017b))。
(注4)アイルランド中央統計局による。
(注5)DUP(民主統一党)は、ソフトブレグジットでもハードブレグジットでもない「賢明なブレグジット」(sensible Brexit)を主張している。賢明なブレグジットとは、共通旅行区域の維持、十分な移行期間によるビジネスの激変回避、EU移民の経済・社会への貢献に対する評価と強固で実践的な新たな国境政策への支持、英国・EU間の包括的な協定の締結等を意味すると説明する一方で、賢明でないものは、北アイルランドが最大の市場(英国の他地域)から孤立することであると述べている。
(注6)北アイルランド・アイルランド間の厳格な国境管理の導入は、南北協力(北アイルランド・アイルランド間の協力)を保護するベルファスト合意の理念に反する。
(注7)ただし、メイ首相は、18年5月17日のユンカー欧州委員会委員長、トゥスクEU大統領及びバラッカー・アイルランド首相との会合において、アイルランド・北アイルランドの国境に関するEUの提案は受け入れられず、英国独自の提案を行う意向を示した。
2.ユーロ圏及び英国経済の見通しと主なリスク要因
(ユーロ圏では緩やかな回復が続く一方、英国では失業率低下の中、潜在成長率を下回る成長)
ユーロ圏の景気は、雇用情勢の改善に支えられた個人消費の増加、良好な金融環境・企業収益等に支えられた設備投資の緩やかな増加、世界経済の緩やかな回復による輸出の持ち直しにより、引き続き緩やかな回復が続くと期待される。
英国では、継続するEU離脱問題に係る不透明感の影響から、企業の設備投資が抑制されるなど、景気回復が更に緩やかになることが見込まれる。
国際機関等による経済見通しでは、ユーロ圏では緩やかな回復が続き、英国では回復が緩やかになると見込まれている(第2-3-51図、第2-3-52表)。
(主なリスク要因)
ユーロ圏及び英国における当面の主なリスク要因として、以下が考えられる。
(1)英国のEU離脱問題
英国のEU離脱については、第二段階の交渉への移行の後、離脱後の移行期間について合意するなど一定の進展もみられたものの、今後のEU・英国間の通商関係やアイルランド国境管理問題等の重要課題が残されており、これらの交渉が不調となる場合や英国議会の対応次第では、いわゆるハードブレグジットの可能性も依然として存在する(前掲第2-3-47表)。EU離脱交渉の不透明感による企業・消費者マインドの悪化や企業の設備投資の抑制等から景気回復は緩やかになっており、また、企業の一部業務の移転52や移民の減少といった動きもみられる。今後の交渉には時間的制約があり、残された課題の性質も踏まえると、EU離脱問題の行方は依然として不透明である。
(2)通商政策の動向
アメリカ政府は18年3月に鉄鋼・アルミニウムの輸入に追加関税を課すとの措置を公表し、EUに対しては6月よりこれを適用した。さらに、5月には自動車輸入がアメリカ国内の安全保障に与える影響について調査を開始した。貿易制限的な通商政策が推し進められた場合には、それに対する報復措置も加わり、貿易・投資の縮小をもたらし、経済にマイナスの影響を与えることから、通商政策の不確実性に留意が必要である53。
(3)反移民・反グローバル化の動向
17年9月のドイツ総選挙54では、反移民等を掲げる政党が議席を伸ばした。18年3月のイタリア総選挙55では、EUに懐疑的な政党による政権が発足し、政策の不透明感によりイタリア長期金利は上昇した(第2-3-53図)。財政規律の維持56等EU加盟国としての新政権の対応が注目される。このほか、17年3月のオランダ総選挙、5月のフランス大統領選挙では、EU離脱等を掲げる急進右派候補の得票は伸びず、大きな混乱をもたらす結果には至らなかったものの、10月のオーストリア総選挙57では反移民等を掲げる政党が議席を伸ばした。今後も、政治情勢の変化に伴う経済政策の不確実性の影響に留意する必要がある58。
また、スペインのカタルーニャ自治州独立問題59を始めとする分離独立問題60が経済に与える影響にも注意が必要である。
(4)その他のリスク要因
ヨーロッパでは、英国、フランス、ドイツ等で依然としてテロが頻発しており、イスラム過激派組織(ISIL)との関係も指摘されている。テロのリスクは企業・消費者のマインドの悪化、観光客の減少等を通じて、景気を下押しする可能性がある。
外国為替市場の動向、特に、17年半ば頃からのユーロ高が物価や輸出等を通じて経済全体に与える影響に注意が必要である。
また、一部の銀行の不良債権問題等に起因する金融市場の変動に引き続き注意が必要である61。