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第2章 新興国経済:金融危機の影響と今後の展望

第2節 新興国経済の動向

1.アジア新興国経済の動向

   アジア新興国(1) の動向をみると、世界的な景気後退の影響を強く受け、景気は減速又は後退しており、一部の国では深刻な状況にある。中国では、景気刺激策の効果もあり、景気は持ち直しつつあるものの、アジアNIEsの韓国や台湾、特にシンガポールでは景気は後退しており、深刻な状況を脱していない。また、ASEANにおいても、タイやマレーシアで景気後退に入っており、他方、インド及びインドネシアにおいては、景気は減速しているが、相対的には高めの成長率が維持されている(第2-2-1図)。以下では、アジア新興国における世界的な景気後退の影響を、金融面及び実体経済面からとらえるとともに、今後の見通しとリスクについてみていく。

(1)世界金融危機の影響

(i)金融面での影響
   今回の金融危機に際して、アジアの金融機関は、アメリカで組成された証券化商品をほとんど保有していなかったことから、金融危機による直接的な損失は小さかった。また、1997年のアジア通貨危機の経験を踏まえ(2) 、アジア各国においては、米ドルに連動した為替制度の変更(韓国、タイ)、外貨準備高の積増しや経常収支の改善等の対応を図ってきた(第2-2-2表第2-2-3図第2-2-4図)。また、国際的な取組として、2000年5月のチェンマイ・イニシアチブに基づく協定の締結とその拡充を行ってきており、金融危機発生後もFRB等とのスワップ協定を締結した。このため、08年9月以降の世界的な金融危機が、深刻な通貨危機や国際収支の危機につながってはいない。
   しかしながら、08年9月の世界金融危機発生以降、アジア新興国においても、欧米の金融機関による高レバレッジの解消や質への逃避により、資本が流出し、その結果、株価や為替の急落に直面することとなった。08年9月時点と比較して、株価は多くの国で最大30〜40%程度まで落ち込み、為替は、韓国及びインドネシアにおいて35〜40%程度減価した(第2-2-5図)。
   新興国からの資金の流出入についてみると、08年には多くのアジア新興国において、証券投資資金が流出するとともに、直接投資については引き続き流入が続いているものの額は減少している(第2-2-6図第2-2-7図)。また、海外労働者からの送金額も、世界金融危機の影響を受けて減少しており、世界銀行によると、09年の世界全体の送金額(ドルベース)は5〜8%の落ち込みが予測されている(3) 。アジア新興国においても、既にフィリピンやタイ等の海外労働者送金額に減少傾向がみられる。こうした資金の動向により、多くのアジア新興国において、ドル資金の調達が困難になるとともに、一部の国では、08年年末から09年初にかけて国内金融機関の貸出態度が厳格化した(4)
   アジアの為替市場をみると、金融危機直後の急落に加え、その後の輸出減少や海外投資家による資金の引揚げによる国際収支の悪化が、米ドルに対する下落幅を更に大きくした。特に韓国では、民間部門の対外債務が06年頃から急速に増加し、08年末には名目GDP比で32.3%まで高まったこともウォンの減価につながったと考えられる(第2-2-8図)。また、韓国やインドネシアにおいては、金融危機直後に、通貨の減価防止のために為替介入を実施したことにより、外貨準備高減少が顕著にみられた。

(ii)実体経済面への影響
●アジアの域内分業体制の進展と外需への影響
   実体経済面でも、アジア新興国は世界的な景気後退の影響を強く受けており、08年9月以降輸出が急減し、それが生産にも波及している。
   アジア地域においては、2000年に入ってからの世界需要の高まりや、01年の中国のWTO加盟を契機として、域内の貿易自由化が進んだことなどにより、部品製造や組み立てを各国・地域で分担し、主として中国で最終製品を完成し、欧米やアジア域内に輸出する域内分業の体制が確立していった。このため、世界金融危機発生後における欧米での需要低下は、域内における相互の部品供給の減少から、各国において、輸出と輸入の双方の減少につながるとともに、欧米向けの輸出品の生産についても減少させるに至った。
   ただし、こうした生産の縮小を通じた実体経済への影響の大きさには、各国間で差違がみられ、各国の景気動向の違いとなって現れている。すなわち、NIEsでは、金融危機後すぐに景気が後退局面入りし、急速に深刻化した一方、ASEAN諸国においては、やや遅れて景気後退局面に入る国や、現時点では後退にまでは至らず減速にとどまっている国がみられる。
   こうした違いの要因としては、第一に、名目GDPに対する輸出額の割合の違いが指摘できる。08年後半からの世界的需要縮小の影響は、まず、輸出の名目GDP比が100%を超えるシンガポール及び香港や、同50〜60%の韓国及び台湾において強く現れた。韓国、シンガポール及びASEAN諸国で輸出の名目GDP比が比較的高いタイにおいては、前期比でみた実質経済成長率も年率で▲20%程度の大幅な落ち込みとなった(5) 。他方、輸出の名目GDP比が27%と低いインドネシアでは、08年10〜12月期の実質経済成長率は前年同期比5.2%増と、外需の減少の影響を消費等の内需の増加が一定程度相殺したことから、現時点においては、景気はこれまでの高成長から若干減速する程度にとどまっている(第2-2-9表)。
   第二に、輸出品目によっても景気への影響に差がみられる。とりわけ、IT製品を中心とした機械・輸送機器については、欧米における需要の落ち込みが顕著であった。このため、こうしたIT関連材を主要な輸出品目とする韓国、台湾及びシンガポールにおいては、08年11月以降の輸出額が前年同月比で6か月間20〜40%程度の大幅な減少を記録している(第2-2-10図第2-2-11図)。また、ASEAN諸国でも、電気・電子製品及び部品のシェアが高いタイ及びマレーシアにおいて、輸出額が同10〜30%程度の減少が続いている一方、フィリピン等では輸出額の減少は比較的小さい。また、鉱工業生産についてみると、ほぼすべての国において、08年10〜12月期から前年比で減少に転じているものの、産業別(GDPベース)にみると、08年10〜12月期には製造業が主な押し下げ要因となっており、電気・電子製品を主力産業とする台湾やシンガポール、韓国での製造業の減少幅が特に大きい(第2-2-12図)。一方で、今回の危機では、軽工業製品については、需要の落ち込みは比較的小さかったことから、ベトナムやフィリピンでは生産の急激な落ち込みはみられない。
   違いの第三の要因としては、一次産品価格の変動による影響の違いが挙げられる。資源小国であるNIEs諸国においては、08年前半までの一次産品価格上昇による交易条件の悪化により、既に消費や投資等の内需が弱まっていたことが、金融危機の影響により直ちに景気後退に陥る一因となった。他方、インドネシア(原油)、マレーシア(パーム油)、フィリピン(鉱物)等のASEANの資源国は、金融危機以前の交易利得の蓄積や、08年前半までの輸出の増加に伴う農業収入の増加が金融危機の影響の緩衝材となったと考えられる。この結果、金融危機直後は個人消費が相対的に堅調に推移したことから、金融危機の実体経済への影響が一歩遅れて現れることとなった。しかしながら、こうした国々でも08年後半からの一次産品価格の下落を受け、交易条件は悪化しており、景気に悪影響を及ぼしつつあることには留意する必要がある(第2-2-13図)。

●内需面への波及
   上述のように、輸出の減少は、アジア各国において、鉱工業(製造業)生産や民間投資の減少を招いている(第2-2-14図)。生産の低下は、企業収益の減少や設備投資の減少につながるとともに、雇用環境を悪化させている(第2-2-15図)。設備投資も大幅に落ち込んだことから、アジア各国で失業率の上昇がみられ、台湾では09年3月に5.8%まで高まっている。また、多くの国では、雇用の悪化に伴い実質所得が減少したため個人消費も弱まったことから、韓国、台湾、シンガポールでは民間消費が大幅に減少した。一方、インドネシアやフィリピンにおいては民間消費の落ち込みはみられず、GDPに占める消費の割合も高いことから、消費が内需を下支えしている。

(2)アジア新興国における政策対応

(i)財政面での対策
   アジア新興国においても、景気後退を受けて、財政、金融両面から対策を実施している(第2-2-16表)。
   財政面では、各国において景気刺激策が実施されており、内容をみると、韓国では「グリーン・ニューディール政策」と称した環境に配慮した公共投資や減税、台湾では消費刺激のための消費券の配布、シンガポールやマレーシアにおいても雇用対策や企業支援等、各国の実情に応じて多様な対策が行われている。規模においても、各国においてGDP比2〜6%程度の比較的大規模な景気対策が実施されている。
   しかしながら、アジア新興国については、前述のように輸出の名目GDP比が高い国が多く、最終需要先である欧米経済の影響が強いことから、こうした大規模な景気対策も景気を回復させるには至らず、悪化する景気を下支えするにとどまるものとみられる。

(ii)金融面での対策
   金融政策について概観すると、08年後半以降の原油価格の下落に伴い、各国において物価上昇圧力が弱まってきたことから、アジア新興国の中央銀行は、世界金融危機に伴う経済状況の悪化に対応して、08年後半以降は利下げに転じており、多くの国で、過去最低の水準まで政策金利を引き下げている(第2-2-17図第2-2-18図)。ただし、依然として欧米や日本と比較すると高い金利水準を保っていることから、今後も必要に応じて追加利下げを行う余地があるとみられる。
   金融システム安定化への対応としては、例えば韓国では、金融機関の健全性確保を目的とした資本注入基金を設立するなどの金融安定化策が実施されているほか、台湾、シンガポール及びマレーシア等においては、時限措置として預金の全額保護が実施されている。
   このほか、アジア新興国では、アジア通貨危機以降、短期流動性問題への対応のためや既存の国際的枠組みを補完する観点から、チェンマイ・イニシアチブ等の域内の通貨協定を拡充してきている。世界金融危機の発生以降は、韓国やシンガポール等はアメリカと、マレーシアやインドネシアは中国と、緊急時に通貨を融通する通貨スワップ協定を締結し、その活用を図っている。また、我が国としても、チェンマイ・イニシアチブのマルチ化に向けた取組や、緊急時に円を融通する6兆円規模の円スワップ取極の提供、最大5,000億円のサムライ債の保証等、アジア諸国への流動性支援への取組を強化している(6) 。これらの国際的協調枠組みも為替の安定につながっており、このような金融危機に対応するための体制整備やネットワークの強化も、アジア新興国の金融面での対応において重要な役割を果たしている。

(3)アジア新興国の今後の見通し及びリスク要因

   足元では、韓国及び台湾等において、在庫調整の進展により生産が持ち直しつつある(第2-2-19図)。また、韓国では、09年1〜3月期(速報)の実質経済成長率が前期比0.1%と増加に転じるなど底入れの兆しもみられる。
   しかしながら、アジア新興国経済の回復見通しについては、個々の国の市場は小さいことから、外部環境に依存せずに自律的に回復できる可能性は少なく、欧米や、後述する中国、インド等の大きな市場を持つ国・地域の需要回復に依存している部分が大きい。したがって、アジア新興国においては、前述のような様々な景気刺激策が打ち出されているものの、当面は景気後退が続き、本格的な回復は、世界経済が回復に向かう10年に入ってからになると見込まれる。
   このような状況の中、08年11月、中国において4兆元規模の内需喚起のための景気刺激策が打ち出されたことは、中国向けの輸出のシェアが20〜25%程度と比較的高い韓国、台湾にはプラスの効果が期待される。09年に入ってからの中国向け輸出額の状況をみると、韓国、台湾ともに、前年比では大幅な減少が続いているが、他の輸出先と比べると減少幅は縮小しており、IT製品を中心として生産面でも中国向けの受注の増加も期待されている(第2-2-20図)。
   なお、一部の国では、デフレに陥る懸念も高まっていることには注意が必要である。消費者物価上昇率は、08年7月以降原油価格が下落したこともあり、各国で前年比の上昇率が低下しており、タイや台湾等では09年に入り、物価が前年比で下落している(第2-2-21図)(前掲第2-2-17図)。世界的な需要不足とあいまって、こうした物価下落圧力が持続し、デフレ期待が生じる場合には、消費や投資の減退を招き、実体経済を更に低迷させるおそれがある。
   このほか、一部の国においては、国内の政情不安が高まっている。インドでは08年11月に大規模なテロが起こっており、タイでは、政府と反政府勢力との対立の激化により、08年末に空港の封鎖、09年4月には反政府デモ隊によるASEAN関連会議の妨害等が発生している。仮に、政情不安が今後も続き、こうした事件が再び発生した場合には、更なる直接投資の減少や証券投資の流出等につながり、設備投資の減少や金融市場の混乱につながる懸念もある。
   加えて、アジア新興国においても、メキシコ及びアメリカで発生が確認された新型インフルエンザの感染が拡大しつつあるが、アジア新興国では観光産業が主要な産業となっている国も多いことから、今後更に感染が広がった場合の影響も無視できないと考えられる。


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