第1章 米国の通商政策による世界経済への影響(第4節)
第4節 まとめ
本節では、前節までみてきた第二次トランプ政権の関税措置の影響について、多地域型マクロ経済モデルを用いた試算も参照しつつ、まとめることとしたい。
(関税措置の影響試算)
第二次トランプ政権の関税措置が導入された当初の2025年春頃には、多くの国際機関が2025年の世界の実質GDP成長率について3%を下回る顕著な減速を予測していた(第1-4-1表)。こうした予測においては、関税引上げによる貿易に対する直接的な影響、景気の下押しが貿易を通じて間接的に波及する効果、政策に対する不確実性の高まりと経済主体のマインド悪化によって米国及び各国・地域の景気が押し下げられることが想定された。しかしながら、実際には、第2章でも述べるように、2025年の世界の実質GDP成長率は3.2%程度とおおむね2024年(3.3%)と同程度の成長を維持する見込みとなっている。ここでは、こうした予測と実績とのかい離の要因について、経済モデルから試算される関税措置の影響と実際の経済動向を比較することで分析することとしたい。

試算には多地域型マクロ経済モデルNiGEM (National Institute's Global Econometric Model)を用いる。NiGEMは英国国立経済社会研究所(National Institute of Economic and Social Research (NIESR))が開発・提供している世界全体を網羅したマクロモデルであり、関税措置を含めた各種経済ショックがもたらす影響の国際的な連関を捉えることに強みを持っている64。実際にOECDも米国の関税措置による影響試算に活用しており65、国際機関での利用実績も豊富にある。ここでは、第1節で確認した第二次トランプ政権発足後の米国の実効関税率の変化(第1-1-25図)をNiGEM上で経済ショックとして与えることで、米国及び他の主要国・地域の経済変数がどのように変動するかを試算する。
まず、米国経済について試算すると、2025年1-3月期には実効関税率の上昇が限定的な中で将来の米国物価及び金利上昇を見越したドル高が進行し66、実質輸入67が急増する。その後、4-6月期以降は関税込みの輸入物価が上昇することに伴って実質輸入が減少傾向で推移する一方、消費者物価上昇率は7-9月期にかけて5%程度まで上昇する。その結果、実質民間消費は3四半期連続で年率2%を下回る低い伸びに抑制されると試算された(第1-4-2図(1))。また、物価上昇に伴って長期金利も5%前後まで上昇し、実質民間設備投資の伸びは7-9月期に鈍化する(第1-4-2図(2))。国内物価の上昇は米国製品の価格競争力を低下させ、米国の実質輸出は1-3月期以降減少を続ける(第1-4-2図(3))。実質GDP成長率は、実質輸入の大幅な変動に伴って、1-3月期に減少、4-6月期に反発した後、7-9月期には前期比年率0.9%と弱い伸びとなる姿となった(第1-4-2図(4))。
しかしながら、実際の米国経済では、2025年7-9月期の消費者物価上昇率は2.9%にとどまっており、モデルで試算されたような顕著な物価上昇はみられていない。これまでみてきたように、実際には企業により関税コストの上昇分が相応に吸収されていると考えられる。また、消費者物価の上昇が緩やかなものにとどまっていることに加え、現実の米国経済では株高による資産効果の下支えもあって、実質民間消費も4-6月期以降年率2%を上回る伸びを続けている。実質民間設備投資についても、FRBによる利下げもあって実際の長期金利は4%台前半で推移していることに加え、関税引上げ前の駆け込み需要やモデルでは予測されない好調なAI関連投資といった要素もあり、モデルで試算されたよりも堅調な伸びを続けている。

また、他の主要国・地域の多くは1-3月期から4-6月期にかけては実質輸出が増加し、7-9月期から減少に転じるという試算結果となっている(第1-4-3図)。メキシコやドイツを含むユーロ圏、韓国、台湾では、1-3月期の関税措置導入後、先行きの米国物価及び米国金利の上昇を見越して、各通貨がドルに対して減価することで短期的な実質輸出を押し上げる一方、7-9月期頃からその反動や関税引上げによる実質輸出の下押し効果が徐々に発現していく結果となった。カナダについても同様の為替変動が生じるものの、他の国・地域と比べて輸出構造が関税込み輸出価格の変動の影響を受けやすく、実質輸出が4-6月期には減少に転じ、実質GDPも7-9月期にかけて2四半期連続でマイナス成長するという試算結果であった(第1-4-3図(1))。中国については、モデル上のデータと実際に把握できるデータとの概念差にも留意する必要があるが、管理フロート制の下で為替レートの調整が生じない中で、米国の関税引上げによる輸出競争力の低下を受けて4-6月期には実質輸出が前年比でマイナスに転じ、実質GDP成長率も7-9月期にかけて前年比4%台半ばまで低下していく姿となった(第1-4-3図(7))。
多くの国・地域について、4-6月期頃まではこれらの試算結果と実際の経済動向はある程度整合的となっているが、試算では為替変動等が輸出の原動力となっている一方、現実には多くの地域で関税引上げを見越した駆け込み輸出がみられており、両者のメカニズムはやや異なっている。また、7-9月期については多くの国・地域で輸出や実質GDPが減速するとの試算結果に対して、実際には実質輸出や実質GDPが成長を維持しているケースが多い。このかい離の大きな要因としては、これまで述べたような急速なAI関連需要の拡大が試算には織り込まれていないことが挙げられる。2025年春頃の国際機関による予測でも、こうした駆け込み輸出やAI関連需要の拡大が必ずしも十分織り込まれていなかったことが、結果的に現実よりも悲観的な経済見通しにつながった可能性がある。

(まとめ)
これらを総合して、米国関税措置の影響を現時点で評価するとすれば、確かに関税引上げは米国の物価上昇圧力となるとともに貿易を抑制する影響を及ぼしていると考えられるが、そうした影響の程度は一般的なマクロ経済モデルから試算されるものよりも小幅にとどまっているといえる。その要因には、企業による関税コストの吸収努力や関税引上げを見越した駆け込み輸出といった従来のマクロ経済モデルが十分織り込めていない経済主体の行動がある。同時に、AI関連需要の拡大やそれに関連した株高といった関税措置とは別のけん引役の存在が関税引上げによる影響を補っていることも大きい。その意味では幸運であったともいえるが、仮に今後、AI関連需要の拡大や株高に変調を来すことがあれば、関税引上げが有する本来のネガティブショックが顕在化してくる可能性があるともいえる。
第二次世界大戦後のGATT発足以降、主要国・地域において今般の米国関税措置のような大規模な関税引上げが実施された例はなく、今般の関税措置が今後の米国及び世界経済にもたらす影響はなお不透明である。これまでみてきたように、企業部門が関税コストを吸収し、モデルで試算されるよりも米国の物価上昇が小幅にとどまっていることは、今後の物価上昇圧力が蓄積されていると捉えることもできる。2025年秋の米中間の関税引下げ以降、米国による目立った関税引上げの動きはみられていないが、既往の関税引上げによる影響について、引き続き注視していく必要がある。