第4節 まとめ
以上、前節まで共通通貨制を採ったユーロ圏とそれを選択しなかった近隣周辺国の経験やかつてドルとのペッグ制を採用していたアジア諸国の経験等との比較を行った。それらを通じて、固定的通貨制度や共通通貨の経済的なメリット・デメリット、あるいはそのような通貨制度を維持するための必要な条件について明らかとなった点を総括すると以下のようになるだろう。
1.限られる固定的通貨制度のメリット
まず、グローバル化が進む現在、貿易投資面からは、固定的通貨制度や共通通貨制度のメリットはかつてほど大きくないという点である。
一般的に、経済規模が小さいが経済開放度の高い国については、固定的通貨制度が適しているとされる。為替レート安定化による貿易投資の活発化である。確かに本章の分析からは、共通通貨ユーロ圏で世界金融危機前まで資本取引が活発化すると同時に、圏内国間の貿易取引の面で相互乗り入れによる分業が深化するなどの効果が確認できた。しかし、EUそのものを含め、様々な形での自由貿易協定等、貿易拡大に向けた取組が行われており、固定的通貨制度や共通通貨を採用せずともそうした取組に積極的に加わることで貿易の拡大がそもそも可能である。また、グローバルに展開する企業は、為替レート変動に対する様々なヘッジ手段の利用が現在可能となっている。本章の分析結果からもユーロ圏国と非ユーロ圏近隣国とで貿易拡大の度合いに顕著な相違はみられず、むしろ中・東欧等通貨の違いにもかかわらずユーロ圏との貿易投資関係が深化していることが明らかとなっており、必ずしも共通通貨の優位性が決定的ではないことが示唆される。
また、経済規模が小さい国にとって、固定的通貨制度を採用するメリットとして、物価の安定も指摘されてきた。経済規模が大きい国では、物価は国内要因の影響が強いが、経済規模が小さいが経済開放度の高い国では海外要因の影響を強く受けるからである。例えばギリシャの場合も、ユーロ導入後はそれ以前と比べると物価上昇率が低下しているようにみえる。しかしそれは、ユーロ圏に加盟した結果というよりもそれに加盟するために事前に低下努力を図ったからであり、加盟後はむしろ国内の労働市場改革の遅れ等から物価上昇率は他国よりも高まり、それによる競争力の低下が経済的不均衡拡大の原因となっている。逆に、最近ではインフレ目標等を含め、金融政策が信認を得るためのツールが開発されており、これを採用している英国やスウェーデン等、ユーロ圏外の国でもユーロ圏と遜色ない程度、物価安定に成功してきたといえる。したがって、物価の安定も通貨制度の如何にかかわらず、その国自身が物価の安定に対してどれだけ強くコミットする意思があるかという問題に帰着すると考えられる。
もっとも通貨の安定性という観点からは、例えていえば、共通通貨という大きな船に乗るか、それとも個別国通貨という小さな船に乗ったままでいるかで差が生じる局面もある。本章の分析でも、ユーロ導入によってそれ以前の個別国通貨の動きと比べ多くの参加国が安定した通貨を享受した形になっていることが確認された。それとともに特に経済規模の小さい国では、独自通貨を維持したり、外貨準備を持つためのコストからも解放されたと考えられる。
一方、スイスのように個別国通貨を維持している国では、世界金融危機後、近隣のユーロが動揺する環境の中、急激な自国通貨高に悩んでおり、大幅な介入策をとるなど通貨安定のために大きなコストを支払っている。大きな船が揺れているとき、その隣に居る小さな船がどう揺れることになるかを想像すればよく分かる。
もとよりこの現象は直ちに個別国通貨に問題があるというよりも、共通通貨がそのプレゼンスの大きさゆえに周辺国へ及ぼす影響も大きいということを意味しており、その安定化に対する共通通貨関係国の責任の重さが改めて認識されなければならない。
2.固定的通貨制度維持に不可欠な市場の信認と安全網の整備
次に、固定的通貨制度や共通通貨制度の維持のためには、内的なショックに対する耐性を高める必要があるということである。それには、市場の信認とそれを獲得するための事前のルール作りやショック発生時の安全網の整備が不可欠といえる。
かつてのアジア諸国やヨーロッパのEMS、あるいは中南米等でも、固定的通貨制度は崩壊を繰り返してきた。固定的通貨制度のもとでは、為替リスクがなく利回り格差による収益を求めて短期的な資金を中心に国際的な資本が流入し、その結果、金融面の不均衡が累積しやすい。資本余剰国から資本不足国に資金が移動し、それが効率的に活用されれば問題ないが、現実には住宅投機や過剰投資、放漫財政に向かった例が多く、こうした資金の流れを適時適切に監視し、コントロールする仕組みが不備であったことがそもそも問題であったといえる。今回の欧州政府債務危機におけるスペインやギリシャ等の例からみても、こうした対応が後手に回ったことが分かる。
ただし、ユーロの場合、単一国間の固定的通貨制度を超えた共通通貨であるため、通常の大きさ程度のショックであればそれが広く拡散するため、一国だけの固定的通貨制度の場合よりも市場の信認が維持されやすいはずである。しかし、今回は「ギリシャのユーロ離脱」が懸念されるほど市場の信認が揺らぎ、ユーロが内的不均衡から生じるショックに対してはいまだ脆弱であることが露呈された。先にも述べたようにユーロ圏は世界のGDPの約2割を占め、“Too big to fail”な存在である。このような存在を作り上げた圏内各国の責任は重く、銀行同盟や財政同盟といった国家の枠を超えた安全網の整備を急ぎ、他方ギリシャ等危機の根源となっている国では構造改革を着実に進めるなど、事態収拾に全力を尽くす義務がある。こうした努力によって初めて内外に向かって盤石な共通通貨制度が維持されるということを改めて認識すべきであろう。
もとより国際的な資本の大量流入とそれに伴う金融面の不均衡の累積という問題は、何も固定的通貨制度をとる国だけに生ずる問題ではない。世界金融危機前のアメリカのサブプライム問題はその典型例である。我が国も含めアジア諸国も、多くは変動相場制に移行し、現在でも共通通貨の選択肢は採られていないが、やはり安定的な為替相場の維持は当該国の経済の安定にとって極めて重要であり、当然志向されるべきものである。そのために取り組むべき課題は、市場の信認を確保することを念頭に前述のような構造改革とリスク防止のためのプルーデンス政策等を着実に実施することに加え、地域レベルでのスワップ協定や関係国間相互のサーベイランスといった安全網を整備することなどとなろう。こうした通貨安定に向けた取り組みはいかなる通貨制度の下でも共通の課題であるといえよう。
3.再確認すべき「最適通貨圏」の条件
最後に、「最適通貨圏」の考え方を無視した表面的な通貨統合は、不安定性をはらんだままでデメリットが大きいという点である。
欧州政府債務危機の現状からみても明らかであるが、ユーロ圏ではある特定国のみで非対称性ショックが起きる事態が頻発している。最適通貨圏の理論は、こうした非対称性ショックがあったとしても、生産要素の移動性や貿易面における経済の開放度が確保されていれば共通通貨は導入可能というものであった。しかし、ユーロ参加国の経済の開放度はともかく、ユーロが導入された後でも生産要素の移動性、特に労働の移動や賃金調整について硬直的な状況が顕著には改善されておらず、最適通貨圏の条件を依然欠いたままとなっている59。
また、同理論ではこうした条件が満たされなくとも、最低、財政移転がなされれば不均衡の是正は可能であり、共通通貨導入の条件は整うと考えられている。しかしユーロ導入時の財政ルールとしては赤字規模を各国とも一定範囲内に抑制するルールはあるものの、これは財政移転を前提とするものではなかった。現在でも一メンバー国の納税者から集められた税を他のメンバー国が活用するという発想に対し国民世論の抵抗が非常に強く、財政同盟の構築に向けた道のりは険しい。つまり、最適通貨圏の最後の条件すら満たされる見通しがたっていないのである。
さらに、まずは通貨を統合することによってメンバー国同士の経済的な連動性が高まり非対称性ショックが減少する結果、事後的に最適通貨圏になる、という議論もある。確かにユーロ圏でも景気循環の相関性が高まっていることは観察されたが、必ずしも圏内貿易が圏外との貿易よりも拡大しているわけではなく、それが通貨統合によるものか、それとも新興国の成長等外部環境の影響なのかも判然としない。また、特定国の非対称性ショックに絶えずさらされている足下のユーロ各国の状況からみても経済情勢の収れんがもたらされているとはとても言い難い。
こうしたことからユーロ圏は、共通通貨導入前後を通じて最適通貨圏の条件を満たす状況にはなく、このままでは共通通貨維持に困難が伴うことが予想される。前述のような欧州政府債務危機の解決をめぐる各国の構造改革や財政同盟への取組は、やはり最適通貨圏の条件を満たす必要性を改めて認識させるものであるといえる。