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第2章 財政再建と経済成長、金融システム

第4節 先進各国の財政状況と財政再建の取組

6.スウェーデン

(1)財政の現状

  スウェーデンでは、90年代に一連の財政再建策が奏功し、財政収支は98年(42)に黒字に転じて以降、08年までほぼ黒字基調を維持してきた(第2-4-28図)。09年は景気後退に伴う税収減と、主に雇用面における自動安定化装置の効果や景気刺激策による歳出増により、03年度以来6年ぶりの財政赤字に陥ったものの、赤字幅はGDP比1.0%、債務残高は同51.8%と、他の先進国と比べると依然として良好な状態にあるといえる(第2-4-29図)。政府見通しによると、不確実性は残るものの景気回復が続く中で、失業保険給付等の減少によって歳出減が見込まれることから、一般政府財政収支は2012年に黒字に転じるとされている。

(2)財政再建への取組

●財政赤字の拡大の背景
  スウェーデンでは、経済・産業基盤が第二次大戦の被害を受けず、50~60年代の高度成長期には、豊かな経済を背景に社会福祉制度の整備が進展した。しかし、70年代に入ると石油ショックを契機に経済成長が減速し、公共部門の膨張や賃金コスト上昇による産業競争力の低下等が表面化することとなった。政府は、積極財政による総需要拡大や通貨切下げによって景気を下支えするとともに、インフレの抑制を図ったが、80年代前半には財政赤字拡大に直面した。80年代後半になると、社会民主党政権の「第三の道(失業率引下げとインフレ抑制を同時追求)」政策の下、国際競争力や海外景気が回復する中で、金融規制緩和をきっかけにバブルが発生した。好景気を受けて財政収支は一時的に黒字に転じ、債務残高GDP比も大きく低下したが、80年代末から90年代初めにかけてバブルが崩壊すると、税収減や銀行救済のための公的資金投入、失業対策等の歳出増によって財政は急速に悪化し、93年の一般政府財政赤字はGDP比11.2%に達した。
  以下では、こうした危機的状況下で開始された90年代の財政再建への取組とその時代背景を政権別に整理する。

●ビルト政権(中道右派4党連立)期(91年10月~94年10月)
  80年代末のバブル崩壊及び90年代初期の世界的な景気後退の中で誕生したビルト政権は、危機的状況に陥った経済・金融への早急な対処と、増大する財政赤字への対応の双方に直面することとなった。

(i)財政再建取組の背景
  国内状況をみると、まず、バブル崩壊に伴って巨額の不良債権問題が表面化し、主要銀行救済のため、92~93年にかけて653億クローナ(GDP比4.3%)に上る公的資金が投入された。90年代初期は世界的な景気後退下にあったが、特にスウェーデンではバブル崩壊に加えて好況期の賃金コスト上昇が国際競争力を低下させたこともあり、内外需が低迷するとともに失業率が顕著に悪化し、経済成長率低下に拍車をかけた(第2-4-30図)。さらに、92年末には一連の欧州通貨危機が、経済に対する信認の低下したスウェーデンにも波及したことから、変動相場制への移行を余儀なくされるとともに、92~93年にかけて30%を超える大幅な為替減価を経験した。

(ii)財政再建策
  ビルト政権は、景気後退が深刻化する中でも財政再建への取組を継続し、91~94年にかけて中央省庁再編や国営企業民営化、地方分権化推進、各種規制緩和等を実施した。92年には、高齢者医療費の急増を防ぐとともに高齢者ケアの質向上と効率化、歳出削減を目的として、一連の社会保障制度改革(エーデル改革)が実行された(43)。さらに、通貨危機後には、政府と野党社民党が、社会保障レベルの引下げも含む一連の緊縮策に合意するなど、国を挙げての財政赤字削減が進められた。
  加えて、90年代初めには、抜本的な税制改革が実施された(44)。この改革は、支払利子の所得控除を含む数々の税制優遇措置を制限・廃止して課税ベースを拡大する一方で、所得税率及び法人税率の大幅引下げを図ることなどによって、旧税制の抱えていたゆがみを是正し、公正性及び効率性の高い税制を構築することを目的としていた。ただし、この税制改革は税収中立を目指していたものの、景気悪化によって短期的に税収は予想を下回ることとなり、ビルト政権期における財政赤字拡大要因の一つとなった。

(iii)ビルト政権による財政再建取組の評価
  ビルト政権による大規模な税制改革や社会保障制度改革等は、長期的には現在につながるシステムの基盤を整備するものであった。しかしながら、90年代初頭の危機的状況に対して迅速に対応した一方で、厳しい経済状況の中で税収減と支出増を迫られたことから、財政赤字は拡大した。こうした中、国債がデフォルト危機に直面し、財政再建の必要性が喫緊の課題として国民に浸透することとなった(45)

●カールソン政権(第2次)、パーション政権(社民党)期(カールソン政権:94年10月~96年3月、パーション政権:96年3月~06年10月)
  財政再建を掲げるカールソン政権は、就任直後から次々と財政構造改革を打ち出した。さらに、96年にはカールソン政権下で財務大臣を務めたパーションが政権を引き継ぎ、引き続き財政再建が進められた。

(i)歳出削減策
  カールソン政権は、94年11月に財政再建計画を発表し、年金の物価スライド幅抑制や医療保険の保険料率引上げ等、社会保障関係費削減を中心とする564億クローナの歳出削減を盛り込んだ財政赤字削減法を成立させた。また、95年1月には、医療保険の自己負担額引上げや児童手当減額等の歳出削減の上積み等を盛り込んだ95年度当初予算案を発表し、同年4月には同修正予算案で失業手当の給付率引下げ、傷病手当の給付見直し等、更なる歳出削減の上積みを図った。両予算案における削減額は、それぞれ193億クローナ、36億クローナとなった。
  さらに、95年1月のEU加盟に伴い、マーストリヒト条約の経済収れん条件を達成するため、97年までに一般政府財政赤字をGDP比3%以内とし、98年までに財政赤字を解消することなどを目標とした収れん計画を策定したことも、急速な財政再建を推進する原動力となった。

(ii)予算編成プロセスの改革
  歳出削減に加え、歳出項目毎の所要額を積み上げる従来の予算編成プロセス自体が財政悪化に拍車をかけたとの指摘を受けて、財政規律を立て直すための抜本的な予算編成プロセス改革が図られ、97~99年度の3か年分の予算編成から新たなプロセスが導入された。
  改革の中心となったのは、3か年にわたるフレーム予算及び支出シーリングの導入である。複数年度予算によって、マクロ経済政策運営の方向性を踏まえた予算編成を実現させるとともに、内閣主導のトップダウンにより支出シーリングを設定し、歳出総額のコントロールが図られることとなった。まず、景気循環を通じてGDP比2%の一般政府財政黒字を維持するというマクロの財政ルールを踏まえ、経済見通しに基づいて3か年の歳出総額のシーリングが議決される。予算は更に、省庁の枠を越えて分類される27の歳出分野とその内訳である約500の議決予算に分かれており、議会によって各歳出分野についても上限(ターゲット)が設定され、その限度内で議決予算が決定される。シーリングは議会で議決が見直されない限り、翌年度以降の改定も不可能となっており、強い拘束力を有する。歳出分野または議決予算間については、シーリングの限度内で、ペイ・アズ・ユー・ゴー原則に基づく再配分の議決も行われる。これらの具体的な予算案は、各省庁からのボトムアップ案に基づいて政府が閣議決定し、議会に提出されることとなっている。

(iii)公的年金制度改革(パーション社民党政権期)
  パーション政権期には、90年代初期から検討が開始された抜本的な公的年金制度改革が実施に移され、99年から段階的に新制度が導入された(46)。90年代の危機と将来見込まれる高齢化の進展を踏まえ、公平性の確保、受給者と現役世代の受益のゆがみ修正、財政立て直しを目的とする、持続可能で安定的なシステムの構築が図られた。

(iv)実体経済との関係
  カールソン政権が誕生し、財政再建に着手したのは、91~93年までマイナス成長を記録したスウェーデン経済が底を打ち、94年に実質経済成長率が4%と急速に回復軌道に乗りつつあるタイミングであった(第2-4-31図)。実体経済回復の背景としては、為替減価や法人税の引下げ、工業から知識集約産業への産業構造の転換等によって国際競争力が改善したことから、当時GDPの約3割を占めていた輸出がまず回復し、景気回復をけん引したことが挙げられる。GDPギャップをみると、93年を底に急速にマイナス幅が縮小に向かったが、ほぼ同時に循環的財政赤字も縮小に転じ、また、構造的財政赤字も縮小に向かっており、経済回復が財政再建のスピードを押し上げたことが示唆される(前掲第2-3-1図)。他方、歳出削減に伴う公務員数削減もあり、失業率は97年にかけて高止まりした。

(v)カールソン政権・パーション政権による財政改革の評価
  一連の財政再建策による中央政府の財政収支改善額は、94~98年にかけてGDP比約8%に上り、そのうち増税によるものが同約47%、歳出削減によるものが同約53%であったとされる。この結果、一般政府の財政赤字GDP比は93年の11.2%から97年には1.6%へと縮小した後、98年には0.9%へと黒字に転換し、目標を上回る改善を果たした。
  カールソン政権・パーション政権による急速な財政再建の成功要因としては、悪化した財政状況に対する国民の強い危機感を背景に、政権が強いリーダーシップを発揮して徹底的な改革を推進したことが挙げられる。90年代に国を揺るがす危機に直面したことで、既存システムの抱えていた諸問題の解決を図るなど抜本的な見直しを行い、2000年代の成長の基盤を構築することができたといえる。バブル崩壊に伴う金融危機の克服や、92年に開始されたエーデル改革、99年に開始された公的年金改革の成果については国際的にも高い評価を受けており、特に、金融危機への対応は今般の世界金融危機においても、成功事例として再度注目を浴びている。
  また、議会における議決プロセスも含む、予算編成プロセス自体の抜本的な改革に取り組んだ意義も大きい。新プロセスでは、歳出総額や歳出分野への配分を内閣主導で決定する一方、下位の議決予算の配分については各省庁の裁量範囲が広く、優先順位の高い政策を賄うため資源配分の効率化が図られるなど、トップダウンとボトムアップが合理的に組み合わされた仕組みとなった。こうした実効性のある改革が、一時的な財政赤字の克服にとどまらず、持続的な財政の健全性を維持するために果たした役割も大きい。
  さらに、国民の痛みを伴う徹底した歳出削減を実施する反面、法人税の引下げや産業構造の転換を促進する政府投資を行い、経済を活性化させたことは、急速な財政再建の成功に大きく寄与しただけでなく、2000年代の経済成長の基礎となった。このように、強固な財政規律を確立し、中長期的視点に基づく財政運営の基盤を構築するとともに、労働市場の改革や産業構造の転換を推進し、財政の健全性維持に不可欠な経済的基盤を整備したことも評価される。


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