第1章 世界金融危機の発生と拡大 |
世界経済は、金融危機のさなかにある。2007年の夏以降、アメリカのサブプライム住宅ローン問題を契機に起きた住宅金融市場の混乱は、金融市場全体の混乱へと広がりをみせ、ついに、08年9月のアメリカ大手投資銀行の破綻を契機として、地域的にもアメリカ、ヨーロッパだけでなく、新興国へと拡大し、世界的な金融危機へと発展していった。
今回の金融危機については、発端はアメリカのサブプライム住宅ローン問題であったが、それはあくまできっかけに過ぎず、根本の原因は、国際的な資金フローの拡大や新しい金融技術の発展に支えられて国際金融資本市場が急速に拡大する中で、金融機関のビジネスモデルやリスク管理体制、さらには、金融規制当局における規制・監督体制が、国際金融資本市場における環境の変化に十分対応できていなかったことにある。
本章では、まず、今回の金融危機の発生の経緯や各国の政策対応について概観した上で、危機の原因となった根本にある問題について考察する。その上で、金融市場の正常化に向けた金融機関のレバレッジ解消の動きとその影響、金融危機の再発の防止に向けた中長期的な課題について明らかにしていく。
第1節 世界金融危機の発生と政策対応
1.世界金融危機の発生とその特徴
2007年8月にヨーロッパ大手金融機関BNPパリバ傘下の投資ファンドが償還凍結を発表したこと(いわゆる、「パリバ・ショック」)が契機となって、混乱の度合いを強めた欧米の金融市場は、その後も、同年12月の短期金融市場の流動性逼迫、08年3月のアメリカ大手投資銀行ベア・スターンズの経営危機(1) 、同年7月のアメリカGSE(Government-Sponsored Enterprises:政府支援機関)の経営不安といった局面ごとに、混乱の度合いを更に強めてきたが、08年9月15日のアメリカ大手投資銀行リーマン・ブラザーズの破産申請により、国際金融資本市場の緊張は一気に高まり、世界的な金融危機となった。主要国の株価の推移を見ると、08年9月中旬を転機として、それまでの金融機関株を中心とした株価の下落が、金融機関以外へと広がり、市場全体の株価が急落するなど、主要国の株価指数は9月中旬以降だけで▲30%を超える下落を記録した(第1-1-1図)。また、金融市場の混乱は、資金の流出という形で新興国にも波及し、株価が9月以降下落のテンポを速めるとともに、一部の国では通貨が大幅に減価し、対外ファイナンスの困難に直面するなど、新興国の金融資本市場にも大きな混乱が生じている(第1-1-2図、第1-1-3図)。
今回の金融危機に至るまでの過程を概観すると、07年8月までを金融市場の「正常期」とすれば、パリバ・ショックが起きた同年8月から08年9月中旬までが金融市場の「混乱期」、そして、リーマン・ブラザーズが破綻した同年9月中旬以降が「金融危機」の時期と区分することが可能であると考えられる。以下では、主に、08年9月中旬以降の金融危機の時期に焦点を当てて、金融市場の動向をみていくことにする(第1-1-4表)。
●アメリカ大手投資銀行の破綻を契機に金融市場は危機的状況に
08年9月中旬のアメリカ大手投資銀行リーマン・ブラザーズの破産申請を契機として、国際金融資本市場の混乱は一層深刻化し、世界金融危機に陥った。9月中旬までの問題は、アメリカのサブプライム住宅ローン問題に起因する短期金融市場での流動性の低下や一部金融機関の経営不安の問題であったが、それ以降は、金融システム全体をゆるがす問題へと拡大していった。
9月15日、それまで経営不安がうわさされていた大手投資銀行のリーマン・ブラザーズが連邦破産法第11条の適用を申請、同じく、大手投資銀行のメリル・リンチも、アメリカ大手商業銀行バンク・オブ・アメリカに買収されることが発表された。それまで、大手金融機関については、大きすぎてつぶせない(too big to fail)、また、他の金融機関との関係が密接なのでつぶせない(too interconnected to fail)ため、市場関係者の多くが漠然と破綻することはない(政府の救済がある)と考えていた。しかし、リーマン・ブラザーズの破綻により、大手金融機関についても、破綻のリスクがあることが強く認識され、金融機関はお互いの財務状況について急速に相互不信に陥っていった。その結果、短期金融市場は、資金が枯渇したり、大幅なリスク・プレミアムを付して取引される事態となった。
さらに、続いて9月16日に起こったアメリカ大手保険会社AIGの経営危機とFRB(連邦準備制度理事会)による緊急資金融資は、同社が国際的なオペレーションを行っていたことから、その金融市場への影響が強く懸念され、また、同社がCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)のプロテクションを幅広く提供していたことから、CDSに係るリスクが関心を集めることとなった(コラム1-5参照)。
CDSは、そもそも、各種債権に対するデフォルト・リスクをヘッジするための金融デリバティブ商品である。CDSのプロテクションを提供する金融機関の破綻により、プロテクションを購入していた金融機関も保有債権がデフォルトするリスクを抱えることになり、結果として、当該金融機関の資産内容も悪化するリスクにさらされることになる。このため、AIGのような金融機関に対する信用不安の高まりは、市場全体におけるカウンターパーティ・リスク(取引相手に係るリスク)の認識を強めることとなった。
●信用リスクの高まりと市場の流動性の低下
こうした金融機関の信用リスクの高まりについて、アメリカ大手金融機関の株価の推移をみると、株価は、金融市場の混乱の早い段階(07年後半)から下落してきたが、9月に入ってリーマン・ブラザーズの経営不安が市場で高まると、投資家は資金を引き揚げるべく、株式売却を加速させ、言わば、銀行資本への取付け(Run on the bank capital)とも呼ぶべき状況が発生した。とりわけ、投資銀行の株価は、リーマン・ブラザーズの連想もあって、9月中旬にかけて急落し、政府の金融安定化策等を受け一時持ち直す時期もあったものの、10月以後も下落傾向が続いた(第1-1-5図)。
また、アメリカの主要金融機関におけるCDSスプレッドの推移をみると、9月中旬にスプレッドが跳ね上がり、その後も少し落ち着きはみせつつあるものの依然として高水準で推移していることが分かる(第1-1-6図)。とりわけ、投資銀行については、スプレッドが一時1,000ベーシスポイントを超えるところが現れるなど、市場が当該金融機関の存続可能性に強く疑念を抱いていたことがうかがわれる。
次に、カウンターパーティー・リスクや流動性リスクを表すTEDスプレッド(短期国債金利とロンドン銀行間市場金利(LIBOR)の金利差)の推移をみると、過去には、07年8月のいわゆるパリバ・ショック直後、同年末に資金調達不安が高まった時期、そして、08年3月の大手投資銀行ベア・スターンズの救済買収といった金融市場の混乱が高まりをみせた局面において拡大してきたが、08年7月のGSE経営不安を契機に再度拡大に向かい、9月のリーマン・ブラザーズの破綻をきっかけに急拡大しているのがわかる(第1-1-7図)(GSEの経営不安については、コラム1-1参照)。その後、各国中央銀行による流動性供給策等を受けてスプレッドは徐々に縮小に向かったが、依然として、金融市場の混乱が高まった時期の水準で推移している。
さらに、アメリカでは一般の家計が預金代わりとして使っているMMF(マネー・マーケット・ファンド)については、リーマン・ブラザーズの破綻を受けて一部のファンドが額面割れしたことを受け、多くのファンドに対して、投資家からの解約が殺到する事態となった。この結果、ファンドによる資産売却やファンドの廃止が相次ぎ、MMFの残高は08年9月中旬に大幅に減少し(第1-1-8図)、MMFからの資金に依存してきたホールセール・バンクの資金調達にも支障を生じさせた。その後、9月19日にアメリカ政府により、MMFの保険プログラム(後述)が創設されたことにより、MMF残高は増加に向かった。
CP(コマーシャル・ペーパー)市場についても、MMFからの資金供給に依存していたこともあり、9月中旬以降、翌日物等極めて短い期間のCPを除いては、新規発行が困難な状態に陥った。CP発行残高の推移をみると、9月中旬以降、FRBによるCPの直接買取制度(後述)が始まる10月下旬まで、残高が減少を続けており、この結果、金融機関だけでなく、事業会社も資金繰りに窮する状態となった(第1-1-9図)。
また、事業会社は、長期資金の市場調達についても厳しい状況が続いている。社債と国債の利回りのスプレッドをみると、とりわけ、格付けの低い社債を中心に、9月中旬以降スプレッドが急速に拡大しており、10月以降もさらにスプレッドが拡大を続けているのが分かる(第1-1-10図)。事業会社は、社債の引受け手を見つけることが困難な状態になっていることに加え、発行できてもかなり高いコストを支払うことを余儀なくされている。
このように、アメリカの金融市場においては、財務状況に対する疑念から、金融機関の間で相互の信頼が失われた状態に陥っており、その結果として、金融市場における流動性が著しく低下し、財務状況が健全な金融機関や事業会社も含め、資金調達が困難な状況が続いている。
コラム1-1:GSE問題について アメリカでは、08年7月以降、それまでくすぶっていたGSE2社、ファニーメイ(連邦抵当金庫)及びフレディマック(連邦住宅抵当貸付公社)の経営不安が再燃し、アメリカ政府は、最終的に、同年9月7日、2社を一時的に政府の管理下に置くことを発表した。 |
●ヨーロッパにおける金融危機
ヨーロッパにおいては、07年8月のドイツIKB産業銀行への支援や07年9月の英国のノーザンロック銀行における取付け騒ぎ(その後08年2月に一時国有化)等にみられるように、早い段階から、アメリカのサブプライム住宅ローン問題の影響を受け、一部金融機関の信用不安や金融市場の混乱が表面化してきた。
08年9月のリーマン・ブラザーズの破綻を契機に更に事態は深刻化し、英国大手銀行HBOSのロイズTSBによる救済買収、ドイツ政府による大手住宅金融会社ハイポ・リアル・エステートへの支援、フォルティスやデクシアといった複数の国にまたがる金融機関への公的資金注入等、大手金融機関の経営不安や資金繰り困難の問題が次々と表面化しており、ヨーロッパの金融機関のCDSプレミアムも、経営不安が表面化した金融機関を中心に、9月中旬以降急上昇した(第1-1-11図)。
また、LIBOR−OISスプレッド(2) を通貨別にみてみると、ユーロ建て、ポンド建てとも、9月中旬に急拡大しており、その後多少スプレッドは縮小したものの、依然として高水準にあるのが分かる(第1-1-12図)。ヨーロッパにおいても、カウンターパーティ・リスクの認識の高まりから、金融機関同士が相互不信に陥っており、短期金融市場においては、中央銀行が唯一の資金の出し手という状況になっている。
このようにヨーロッパにおいても金融危機が発生した要因としては、ヨーロッパ各国自身が抱えていた問題とアメリカの金融危機の影響という二つに分けて考えることができるが、主に、ヨーロッパ自身の問題によるところが大きい。
ヨーロッパ各国自身が抱えていた問題としては、(1)ヨーロッパの金融機関においても、2000年代に入ってからの国際的な資金フローの拡大下において、リスクの適切な管理が行われていなかったこと、(2)アメリカの金融機関以上に高いレバレッジで投資が行われていたことなどから、金融機関の経営構造が資産価格下落に対して脆弱であったこと(第2節参照)、(3)英国、スペイン、アイルランド等においては、住宅バブル崩壊に直面し(第2章参照)、金融機関がその影響を大きく受けたこと(第1-1-13図)、などが挙げられる。ユーロ圏の金融機関の総資産残高の推移をみると、99〜07年のわずか8年の間に、資産残高のGDP比が、90%近く高まっていることが分かる(第1-1-14図)。
さらに、ヨーロッパにおける金融危機は、アメリカの危機の影響により、事態が深刻化している面がある。ヨーロッパの金融機関の一部は、アメリカにおいても広く事業活動を行っており、また、アメリカで組成されたMBS等を大量に保有していた。例えば、07年6月時点のアメリカの民間機関発行のMBSの国別保有額をみると、発行残高の約4割が海外の投資家に保有されており、ケイマン諸島といったタックス・ヘイブンを除けば、その大部分はヨーロッパ各国で保有されていたことが分かる(第1-1-15図)。このため、ヨーロッパの金融機関は、サブプライム住宅ローン問題の発生に伴うMBSの価格下落の影響を強く受けることとなった。
●金融危機の影響は新興国にも波及
新興国については、これまで経済が順調に拡大を続けてきていたことに加え、金融機関の資産運用において、価格下落の著しいアメリカのMBS等の保有は少ないとみられていたことから、アメリカ発の金融危機の影響は限定的なものにとどまるとみられていた。
しかしながら、金融機関の活動がグローバル化し、国際金融資本市場の統合が進む中で、欧米を中心とした金融危機の影響は、株価の大幅な下落や通貨の急落という形で、新興国にも広がりをみせている。
9月15日以降の各国の通貨及び株価の下落率をみると、ハンガリー、ウクライナ、パキスタンといったIMFの緊急融資の対象となった国においては、通貨、株価とも大幅に下落しており、その他の国でも、韓国やブラジルにおいては通貨の下落が、ロシアにおいては株価の下落が著しいものとなっている。
このような株価及び通貨の下落の背景を理解するポイントとしては、「質へ逃避」と「高レバレッジの解消」の二つがある。金融危機の影響を受けて、欧米の金融機関の投資行動はリスク回避的になっており、相対的にリスクの高い新興国の株式等から、先進国の国債等の安全資産へと「質への逃避」を行う動きが広がっている。また、欧米の金融機関やヘッジファンドは、高レバレッジを解消する観点から、新興国における保有資産についても規模を圧縮しているとみられる。こうした欧米の金融機関の動きは、これまで新興国の活発な金融市場を支えてきた資金の流れを逆転させ、株価や通貨の下落をもたらしたと考えられる。
しかしながら、こうした株価及び通貨下落といった金融危機の影響については、国ごとで大きな違いがみられるのも事実である。そこで、金融危機の影響を大きく受けている国とそうでない国について、経済のファンダメンタルズを比較してみると、影響が大きい国においては、経常収支の赤字や高い物価上昇率等、経済のファンダメンタルズに弱さがみられる傾向にある。とりわけ、IMFの緊急融資の対象となった3か国においては、経常収支が大幅な赤字であり、また、外貨準備の輸入額に対する比率も小さくなっていることから、対外的なファイナンスに対する懸念の高まりが、大幅な資金流出をもたらしたことが分かる(第1-1-16図)。
また、9月中旬以降起こっている資金の流出は、これまで流入してきた資金の逆流であることから、これまでの資金流入が大きかった国、特に、足の速いポートフォリオ資金の流入が大きかった国ほど、影響が大きくなっている可能性がある。
その際、資金流入における外国銀行への依存度も重要な要素となっている可能性がある。例えば、為替・株価の下落幅が相対的に大きい韓国では、04年後半以降、外国銀行支店を通じた海外からの短期資金の流入が拡大したが、こうした外国銀行への依存度の高まりにより、韓国の金融市場は、欧米金融機関における高レバレッジ解消の影響を受けやすい構造になっている可能性がある(コラム2-3参照)。
また、日米欧の金融機関の貸出残高をみると、とりわけヨーロッパの金融機関については、新興国向けの貸出残高が非常に大きくなっていることから(第1-1-17図)、今後、新興国においては、ヨーロッパの金融機関の高レバレッジ解消の影響が強く出てくる可能性があると考えられる。
●今回の危機の特徴
今回の世界金融危機については、「100年に1回あるかないか」とも言われるほど、危機の大きさやその影響を懸念する声が高まっている。そこで、この100年間における最大の金融危機と考えられる世界大恐慌と、今回の危機における経済指標を、以下簡潔に比較してみることにする。
世界大恐慌は、1929年10月のアメリカの株価の大暴落をきっかけとして、世界中の資本主義国に波及し、その後3年余りにわたり、実体経済及び金融に大きな影響を与えた。アメリカでは、株価は、ピーク時から10分の1程度にまで下落するとともに、銀行の倒産が急増し、1933年には4,000行余りの銀行が倒産するなど(3) 、金融部門は大きな打撃を受けた。また、実体経済についても、GDPが実質で3割弱縮小するとともに、失業率が25%にまで上昇するなど、大きな落ち込みをみせた(第1-1-18図)。これに対し、今回の危機においては、株価下落のスピードは、同様の速さであるが、下落率は現時点ではまだ4割程度にとどまっている。また、実体経済については、09年はマイナス成長となる見通しであるが、各国の政策努力もあり、今のところ、大恐慌時のような大幅な経済の縮小を予想するところはほとんどみられない。
しかしながら、今回の危機については、これまでの危機と違い、以下のような特徴があることから、株価の下落や実体経済の収縮といった指標だけでは、単純に比較できないのも事実である。
今回の危機の特徴の第一としては、グローバルな危機という点である。金融機関のグローバルな活動により、各国の国際金融市場の相互連関はますます強まっており、アメリカ発の金融市場の混乱は、アメリカにとどまらず、まずはヨーロッパに、そしてアジアを始めとする新興国へと波及している。これまでも98年のロング・ターム・キャピタル・マネージメントの経営危機後に、アメリカにおける株価下落が世界的な株価の下落につながる局面があったが、こうした傾向はますます強まっていると言える。
第二に、危機の進行や波及のスピードが速いことである。今回の危機の過程においては、9月15日のリーマン・ブラザーズの破綻以降、市場を通じて、危機が瞬く間に伝ぱし、各国で経営危機に陥る金融機関が次々と現れるとともに、各国の短期金融市場は機能停止状態に陥った。こうした市場を通じた危機の波及の速さが、これまでの金融危機との大きな違いであると言える。
第三に、証券化により危機のプロセスが複雑なものとなっているということである。今回の危機では、住宅ローン担保証券や更にそれらを証券化したCDO(債務担保証券)、さらには、企業や金融機関のデフォルト・リスクを売買するデリバティブ商品であるCDS等の商品を様々な金融機関が広く保有し、誰がどの程度のリスクを抱えているかが分かりにくくなっており、それが金融機関間の相互不信を通じて、危機を深刻なものにしている。この点は、80年代のアメリカのS&L危機や日本のバブル崩壊後の経験において、不良債権が不動産関係にほぼ限定され、また、関係者も明確であったのとは大きく異なる点である。
他方で、今回の金融危機に際しては、以下にみるように、各国において速やかに政策対応が行われるとともに、国際協調の枠組みが早期に構築されており、こうした対応の速さや国際協調も大きな違いと言える。