第 II 部 世界経済の展望 |
第2章 国際石油市場の動向と世界経済への影響
原油価格の高騰が世界経済に対して与える影響が懸念されている。以下では、各種機関の作成した原油価格、世界経済の先行きについての見通し、並びに日本経済とつながりの深い地域における経済の現状がどのようになっているのかについてみていきたい。
1.原油価格高騰が日本経済に与える影響の整理
最初に、原油価格高騰が経済に与える影響について、他の国では異なる場合も考えられるものの、日本経済の場合を例にとって整理したい。
外生要因としての原油価格の上昇は、一般論として、複数のチャネル・時間軸から、原油を輸入する一国の経済に影響を与え得る。
まず、原油価格の上昇は、原油輸入価格の上昇を通じて、輸入物価を上昇させる。原油輸入需要の価格弾力性は少なくとも短期的には低いと考えられることから、輸入物価上昇による交易条件の悪化を通じて、輸入国から産油国への所得移転がなされる。また、原油の輸入価格が上昇しても、企業がこれを産出価格に転嫁できない場合、原油の投入比率の程度に応じて、企業収益の圧迫要因となる。原油価格による収益圧迫要因は、生産性の向上で吸収できない限り、人件費等の圧縮、あるいは設備投資の抑制が必要となる場合もあり得るとともに、企業収益見通しの下方修正が発表された場合には、実際に企業収益が悪化する前に、期待成長率の低下を通じて株価は下落し、設備投資や消費が抑制される。
次に、原油価格の上昇が、最終財価格に次第に転嫁が進んでいけば、消費者物価が上昇して家計の実質所得が圧迫されることとなる。こうした所得効果や消費者マインドへの悪影響を通じて、個人消費が減少する可能性がある。他の石油輸入国においても同様の内需の減退が生じる場合には、当該国の輸出が減少するという影響も出る。一方、産油国への所得移転効果により、原油輸入国等から産油国へも輸出の拡大もあり得るが、一般に産油国における輸入の所得弾力性は短期的には低く、これによる輸出拡大効果は限定的であるとされる。
2.原油価格の高騰価格及び経済に与える影響についての見通し
(1)原油価格の見通し
足下の原油価格の高騰がどの程度継続するのかについては、各種機関から見通しが公表されており、それらによるとこれまでのような上昇は見込まれないものの、高止まりないしは若干の上昇が06年も続くものと見込んでいるものが多い。
(i)アメリカエネルギー情報局(EIA)
アメリカエネルギー情報局(EIA)は月次で先行き18か月間のエネルギー価格等についての見通しを公表している。最新の見通し(10月12日公表)によると、現在の原油価格高騰の要因である原油消費の増加に伴う需給のひっ迫や地政学的リスクについては、状況の改善は見込まれておらず、06年も現在の水準で推移すると見込まれているる(第2-2-1図)。
世界的な消費動向は04年の水準(前年比3.2%増)に比べ若干減少するものの、05年、06年ともに高い水準(同1.8%)で推移する。これは日量で130万バーレル程度の増加量となる。一方、供給面では非OPEC諸国での生産が弱含むことが見込まれている。今夏アメリカを襲った2つの大型ハリケーンの影響からアメリカ、メキシコ湾岸での産油量が減少していることに加え、01年から北海油田の生産量が減少していることから、これらの地域の05年の生産増加量は前年比でわずか10万バーレル/日となっている。ただし、06年には日量90万バーレル程度にまで高まると見込まれている。世界の生産余力は過去30年間で最低水準にまで低下しており、現在、生産余力を持っているのはサウジアラビアのみである。最後にイラク、ナイジェリア、ベネズエラ等の政情不安のため、国際石油市場の不透明感が増しているとしている。
(ii)国際通貨基金(IMF)
IMFは原油価格の前提(9)05、06年について春の時点(4月)の見通しからそれぞれ上方修正している(第2-2-2表)。
EIAとIMFの見通しによると原油価格は06年にかけても高い水準で推移することが見込まれている。これは過去の2度の石油危機の時と異なり、一時的な要因による高騰ではなく、需給両面にわたる構造的要因が存在するためである。ただし、これらの見通しは各国の金融政策等を不変としているが、最近時点では政策金利引上げの傾向にあることから、投機資金の流れの変化について考慮されていない点には留意が必要である。
(2)原油価格の高騰が経済に与える影響
原油価格の高騰が経済に与える影響について、まず国際エネルギー機関(IEA)の推計(10)によると原油価格の高騰は先進各国には▲0.4%程度の景気の減速をもたらし、アジア諸国には▲0.8%程度の影響を与えるとみられている。影響の程度は、エネルギー効率性並びに原油の輸入依存度によって決まるとしており、先進国ではアメリカに比べ原油の輸入依存度の高い日本やユーロ圏で影響が大きくなっている(第2-2-3表)。
しかし、原油価格は05年には高騰しWTI先物価格は36%上昇し、06年にも高止まりあるいは若干の上昇が続くと予測されているにもかかわらず、景気は堅調に拡大すると見込まれている。すなわち、多くの予測・見通しでは原油価格の高騰は05年、06年までの現段階では世界経済に目立った影響を与えるとは見込まれていない(第II部第1章参照)。以下では日本経済と関係の深い地域の経済の現状をみることで、こうした見通しの妥当性について検討してみたい。
3.原油価格高騰の影響-各国、各地域の現況
世界の物価上昇率は原油価格の上昇により若干上昇しているものの、まだ穏やかな水準にとどまっている。主要先進国のコア物価上昇率は概して穏やかであり、インフレ期待も比較的抑制されている。アジア諸国ではインフレ圧力は先進国より若干強まっており、これらの国々では足下では原油価格の高騰は燃料補助金制度を通して各国財政を圧迫するといった形で影響を与えている(第2-2-4(1)図、第2-2-4(2)図、第2-2-5図)。
(1)先進国への影響
原油価格の上昇が先進国に与える影響は現段階では顕著なものではない。経済成長率をみても各国とも堅調に拡大している。
アメリカでは生産者物価、消費者物価ともに総合では足下で大きく上昇しているものの、いずれもコア指数でみると安定している。ただし、原油価格が高騰するなどインフレ圧力は存在しており、FRBはFOMCの11月ステートメントにおいて、コアインフレの低水準での推移と、長期的なインフレ期待が引き続き抑制されていることを確認しつつ、一方で、エネルギーやその他の累積的なコスト上昇がインフレ圧力を高める可能性に言及している。
アメリカの需要面への影響をみると、個人消費はガソリン価格の高騰から消費者マインドが低下するなど先行きがやや懸念されるものの、基調としては増加している。また企業部門においても一部業種で若干の採算悪化がみられるものの、企業収益は全体でみれば高水準で推移し、設備投資及び生産活動は増加している。
ユーロ圏の総合消費者物価指数(HICP)上昇率は、6月以降、ECBの政策目標(2%を下回るが2%に近く)を上回る動きが続いている。しかし、上昇要因は現在のところエネルギー関連にとどまっており、コアHICP上昇率は落ち着いている。一方、04年半ば頃まで安定していた単位労働コストは、労働生産性上昇率の縮小とともに伸び率がやや高まっている。このようにエネルギー価格の上昇は、他の財の価格に転嫁される段階には至っていないものの、原油価格の高騰が続き、単位労働コストも上昇する中で、今後このような「2次的影響」が顕在化すれば、コアHICP上昇率も高まっていく懸念がある。9月以降、ECB要人による警戒発言も相次いでおり、今後のHICP上昇率の動向には注視が必要である。
需要面への影響は個人消費がエネルギー価格の高騰もあって緩やかになっており、05年4〜6月期の経済成長率への個人消費への寄与度は0.3%となった。一方、生産に対する影響は今のところみられていない。ユーロ安傾向の定着及び世界経済の底堅さから輸出主導の回復が続くものと見込まれていることから、鉱工業生産並びに製造業、非製造業のコンフィデンスともに増加している。
(2)アジア諸国に与える影響
アジア諸国では、物価上昇率は高まっているものの、直接的な景気減速には至っていない(11)。これは、多くのアジア諸国では原油依存度は先進国よりも高いものの、原油価格高騰に対して燃料補助金を拠出することで、最終需要者への転嫁を回避しているためと考えられる。以下では中国及びアジアにおいて中国、日本に次ぐ原油消費国であるインド、燃料補助金制度の弊害が最も顕著に現れているインドネシアについて紹介する。
燃料補助金とはアジア諸国において広くみられる制度で、軽油、LPガス、ディーセル油、ガソリン等の燃料価格に対して直接あるいは間接的に補助金を出し、燃料の消費者価格を一定に保つという制度である。この制度は国によっては補助金という形ではなく、これら燃料に対する課税額を低く抑えるという形で行われている国もある。しかし、これらの制度は消費者保護という制度本来の目的の達成度、原油価格の高騰に伴う補助金の増大による国の財政圧迫という観点から問題が生じてきている。
インドネシアでは、04年の燃料補助金関連支出の総額は59兆ルピアと中央政府予算支出の14%を占めている。05年には原油価格のより一層の高騰を受けて04年を上回る規模の補助金の支出が見込まれ、これによる財政悪化により足下ではルピアが減価している。また、これを受け、ユドヨノ現政権は燃料補助金制度の廃止を検討しているが、国民からの強い反発が生じており、首都ジャカルタでは10月に補助金制度廃止反対のデモが多発するなど大きな社会問題となっている。
中国やインドでは、政府が石油製品価格を統制することで消費者への転嫁を回避してきたが、その負担を石油会社が被る格好となり、企業からの価格引上げ要請が強まっている。
中国の場合、石油製品価格は政府統制価格である。原油高を反映し価格は順次引き上げられてきているが、それでも国際価格に比べて低水準に据え置かれているため、今年に入って石油産業の業績が著しく悪化した。石油精製業(国有企業及び一定の規模以上の非国有企業)は05年1〜7月累積で67億元の赤字を計上し、04年同期の174億元の黒字から大幅赤字に転落している。この結果、05年の7月末以降、広州市等、一部の地域でガソリン不足の発生が伝えられるなどの問題が発生している。
インドでは主に低所得者向けとされるLPGと灯油が補助金の対象となっている。また、ガソリンや軽油も含め石油製品価格は国が価格統制を行い、原油価格上昇の最終需要者への波及を抑制してきている。しかし、昨今の原油高騰によって石油会社の業績が悪化、国有石油販売会社は05年4〜6月期決算で初めて赤字に転落した。石油会社は値上げ要求を続けているが、実際のこれまでの値上げ幅は要求より小幅にとどまっている。9月にガソリン、軽油価格が引き上げられたが、消費量の影響が大きく補助金の対象となっているLPG及び灯油に関しての評価は据え置かれている。政府は「原油高に伴う負担増は消費者、石油会社及び政府の3者が共有して負うべき」という04年度からのスタンスに基づき、石油会社が被る損失のうち今回の値上げで埋めきれない部分は国が発行する国債で補填するとしている(12)。
こうした補助金制度は財政を悪化させるだけではなく、市場をゆがめることによってエネルギー効率性の向上を妨げたり、あるいは他の代替エネルギーへの移行を遅らすこととなる可能性もあるなど、問題も多い。同様の問題はタイ、マレーシアといった国においてもみられ、補助金制度の廃止が部分的に行われている(第2-2-6図)。
(3)先進国で影響が限定的な背景
先進諸国で原油価格の高騰の影響が軽微となっている要因として、各国・地域において適切な金融政策が行われていることに加え、省エネルギー指向や産業のソフト化が進んだ結果、実質GDP1単位当たりの原油消費量(原単位)が主要先進国を中心に過去の高騰局面と比べ、大幅に低下していることから、原油価格の上昇が実体経済へ与えるインパクトが相当程度弱まっていることが考えられる(第2-2-7表、第2-2-8(1)、(2)図)。
一方、アジア諸国は過去30年程度でみても、エネルギー原単位は改善していないなど、エネルギー効率性は低い。これはアジア諸国の多くが経済発展を遂げている最中であり、むしろ原油消費量を増やしていく段階にあることも一因と考えられる。韓国のように経済発展を遂げた国においては、原単位が頭打ちになった後に改善がみられている(13)。今後、アジア諸国がより一層の経済発展を遂げるとともに、エネルギー効率の改善へと向かっていくことが期待される。
コラム 代替エネルギーの開発 長期的な課題として代替エネルギーの開発について代表的なエネルギー源を紹介したい。現在、原油の確認埋蔵量は1兆2,770億バーレル程度であり、これは採掘可能年数に直すと84.1年と当面の間の供給懸念につながるものではない。しかし、現在の原油価格の高騰局面を鑑みるに、石油以外の代替エネルギーの重要性は高まってきているといえるだろう。 |