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第1章 競争力の源泉としてのクラスター:産業集積からクラスターへ

第3節 海外のクラスター:その形成と発展、政策支援の役割

 本節では海外のクラスターについて紹介する。欧州のクラスターについては、まずIVAMというネットワーク組織を活用して発展に成功したドルトムントについてみた後、フランスの二つのクラスターについて比較する。ソフィア・アンティポリスはサイエンスパーク中心に新たに立ち上げた外発型なクラスターの事例、グルノーブルは既存の産業集積を利用した内発型クラスターの事例である。イタリアについては伝統的な中小企業の強みを生かしたエミリア・ロマーニャを分析する。イギリスは大学中心のネットワークを活用したケンブリッジの事例を紹介する。オランダはエンスヘーデを例にとりネットワークの失敗例を分析する。さらに国際的なクラスターの例として注目されるオーレスンを紹介する。アメリカについてはハイテククラスターで有名なオースチンとバイオ中心のサンディエゴを紹介する。
 これらの成功事例の共通事項として指摘できるのは、(1)長期間にわたって目標となるビジョンが共有され、プロジェクトをけん引する中心人物が存在したこと、(2)クラスター内のネットワーク活動を支える支援組織が有効に機能したこと、(3)中小企業向けの政策支援策が効果的に活用されたこと、などが挙げられる。地方政府を中心とした公的部門が積極的な役割を果たした点も注目に値する。

1.欧州のクラスター

 
 (1)ドイツ:ドルトムント----ネットワーク支援機関の成功例
 
 ヨーロッパ有数の工業地帯、ドイツのルール地方には、80年代以降、先端技術を用いた産業のクラスターが形成されている。その中で、ドルトムント市にあるマイクロテクノロジー企業のネットワークであるイーファム(以下IVAM)は、会員企業が増加し続け、活発な活動を行うネットワークとして、注目を集めている。

●伝統的な工業地帯から先端技術活用のクラスターへの転換
 ドルトムント市のあるルール地方は、鉱業、鉱工業、自動車、重化学工業等が栄えたが、70年代後半からこれらの産業が衰退しつつあった。そこで、州政府、地方自治体は、80年代には、先端技術企業や公的研究機関の誘致、大学の拡張等を行い、地域の知的インフラが整備された。90年代に入ると、先端技術を使った商品開発に関連する企業のネットワーク形成に向けて、州の特別なイニシアチブ活動が始まり、後述するマイクロテクノロジーネットワーク推進組織であるIVAMも93年に設立された。
 人口540万人のルール地方には、ドイツ企業のトップ100社のうち約4分の1が本拠地を置いている(8)。ドルトムント大学を始めとする14の大学・工科カレッジ・職業訓練施設を有し、テクノロジーパークでは200社8,000人、地域全体では4万人が働く、ヨーロッパの一大経済中心地となっている(9)

●発展するネットワーク IVAM
 93年、州の公的助成金を受け、マイクロテクノロジーに関係する中小企業のネットワーク推進組織IVAMが設立された。設立当初の参加企業はわずか7社であったが、現在は世界11か国(ヨーロッパ8か国、韓国、日本、アメリカ)の130企業・研究機関が参加するネットワークに成長した(10)。また、IVAMは、これまで12の新規企業の立ち上げに協力し、ネットワークの活動を通じて会員企業内に約1,500人の雇用を生み出している。会員企業の年間売上高の伸びの平均は30%と、全世界のマイクロテクノロジー企業の平均(20%)を上回っている。最近はIVAMの活動に対する知名度が増しており、参加企業の増加や取引先の信用増大へとつながっている。
 ドルトムントにおけるクラスターのネットワークを支える重要な役割を果たすIVAMは以下のような特徴を持っている。
 (1)活動内容
 IVAMは、マイクロテクノロジー分野の仲介組織の役割を担っており、その仲介は参加企業相互間にとどまらず、参加企業と市場を結び付けることについても幅広く積極的な活動を行っている。参加企業に対して市場情報サービスを提供するとともに、参加企業が持つ最新技術を応用した製品やサービスを大企業等に積極的に売り込む働きをしている。また、依頼主から中核品(マイクロ技術部品)を受け取り、それを応用した製品の設計から製造までを請け負うサービスや、各種セミナーやワークショップ等、会員企業のマイクロシステム技術を紹介するイベントの国内外での開催、マイクロシステム技術関連の雑誌等の発行、コンサルティング、ベンチャー・キャピタルの紹介等、参加企業を支援するための幅広い活動を行っている(第1-3-1図)。
 (2)組織
 IVAMの理事会は、会員企業の3名の理事と理事長、議長の計5名で構成されており、プロジェクトや事業活動が議論される。スタッフは専門職員とアシスタントの10名で、うち9名が女性である。専門職員のうち2名は博士号を取得しており、マイクロテクノロジーの特定技術分野において豊富な実務経験を持ち、会員に高度な専門的支援を行っている(11)
 (3)運営資金
 2002年の予算は約200万ユーロであり、州政府の助成金(50%)、ワークショップの参加費等の事業収益(45%)、会員企業の会費(5%)からなっている。会員企業の年会費は企業規模により異なり、256〜2,045ユーロである。州政府の助成金は、設立当初は予算の80%を占めていたが、現在は50%まで低下し自立性が高まっている。会員数が増加するにつれて年会費や事業収益の額が増加しつつあるため、理事会は、将来的には州政府の補助金の予算に対する割合を下げることも検討している。IVAMが行う仲介サービス等は、外部企業にも開放されており、その際、サービス料金については、会員企業は安い会員価格を支払うのに対し、外部企業の支払う価格は割高に設定されている。

●IVAMの成功要因
 IVAMのネットワークの成功要因として、次のことが挙げられる(12)
 (1)ネットワークの主役は参加企業、州政府は側面支援
 IVAMはもともと州政府の特別なイニシアチブ活動によって創設されたネットワークであり、州政府はIVAMの事業活動を積極的に紹介したり、助成金を出すなど、強力に支援している。しかし、州政府はIVAMの運営について理事会の議決権を持っていない。活動の主役はあくまで参加企業であり、州政府はサポート役に徹している。また、IVAMの活動は、例えば中小企業において不足しているマーケティング活動の強化等、参加企業が自発的に自ら抱える問題点を発信し、スタッフは、サポート役として、中小企業の必要に基づいた支援を行っている。
 (2)参加企業間の信頼と知識共有に基づく、フレキシブルなネットワーク
 参加企業は、IVAMという信頼関係のネットワークを通じて様々なプロジェクトに参加することで、多様で新しい連携を他企業との間で築き上げることができた。こうしたネットワークでは新しい企業の組合せの中での新事業展開が検討される過程で革新的な技術や製品が生まれることが多い。
 (3)高い要求をする地元市場の存在
 ルール地方には、レベルの高い教育研究機関や、ドイツ系大手自動車メーカーに代表されるような高品質の製品を要求する地元市場があり、IVAMに参加する中小企業の成長を支える存在となっている。

 (2)フランス:ソフィア・アンティポリス----研究開発重視の外発型クラスター

●サイエンスパーク構想からハイテク中心のクラスターへ
 ソフィア・アンティポリスは、地中海沿岸の南フランスのコート・ダジュールに位置する。温暖な気候と美しい景観で世界有数のリゾート地として有名であるが、近年では、ハイテク産業を中心とするサイエンスパークが成長し注目されている。
 サイエンスパーク建設のきっかけは、1960年、グランゼコールの一つであるパリ国立高等鉱業学校の副学長ラフィット教授が良質の研究環境を求めて南フランスにおけるサイエンスパーク構想を打ち立てたことに始まる。66年、コート・ダジュールに大サイエンスパークの建設が始まり、IBM等多くの大企業、研究機関を誘致し、集積が実現した。また、72年、中央政府も国家事業として乗り出し、ソフィア・アンティポリスに企業、研究機関の集積専用地域を創設した。当時は企業同士の交流や産学官交流がなく知的集積のみであった。しかし、90年代初期にヨーロッパ経済が大不況に陥り、パーク内の大企業でも大規模な解雇が実施されたのを契機に失職した研究者たちにより多くのベンチャー企業創出が達成された。
 今ではソフィア・アンティポリスは、ヨーロッパ最大のサイエンスパークとして2,300ヘクタールの敷地に研究所のみならず、緑地、事業所、住居、レジャーゾーンが調和し立地している。2003年の企業純増数は724社(前年比2.8%増)となっている。2003年末で、学生、研究者を含む26,635人が活動しており、1,276社が進出している。また、外資系企業も約150社と多数進出し、外国人研究者との交流も頻繁である。主な専門分野はIT、通信、ライフサイエンス、化学・医薬品、環境科学等と多岐にわたる。
 

●クラスターを支える支援機関
 (1)コーディネート機関
 パーク内の運営や機関間のコーディネートをつかさどる地方レベルでの機関として82年、コート・ダジュール経済開発局(CAD)が設立された。ソフィア・アンティポリスの地域経済振興、企業誘致を行っている。一方、国レベルでは72年に中央政府主導でSYMISA(Syndicat Mixte de Sophia Antipolis)が設立された。ここでは、ソフィア・アンティポリスの総合開発政策、財政管理、国際広報、対企業サービス等を行うこととされた。ただし、開発に係わる機関間の調整が不十分との反省と統括組織再編成の必要性から、2004年3月よりSYMISAがSAMという新組織となり、機関間の調整を行う統括組織として活動の効率化が期待される(13)
 (2)教育機関
 ソフィア・アンティポリスは大企業からスピンオフした人材による起業を創出するのに成功した。起業するには技術だけでなく経営能力が必要であるため、ソフィア・アンティポリス内にはCERAM というビジネススクールがあり、経営能力の向上を支援している。当スクールでは、60か国以上の国籍含む、大学院生、社会人合わせ2,000人程度が学んでいる(14)
 (3)インキュベータ
 90年には、CICA というインキュベータが設立された。支援する企業の業種はIT分野に限られており、2004年10月現在50社以上の企業が入居している。CICAは当初、地方自治体が運営していたが、オペレーション効率化を目指し民間企業に運営が委託されている(15)。当施設への入居審査の条件として、企業のプロジェクトの革新性、その分野の市場成長性、その他のプロジェクトの補完性等が挙げられる。CICAには1990年設立後、約100社が入居し、そのうち、入居期限の23か月以内に自立できず退去した企業はわずかに3社と高い育成実績を残している(16)
 

●外発型クラスターの成功要因
 ソフィア・アンティポリスはラフィット教授という一個人の構想から出発し、40年という長い期間を経て欧州最大のサイエンスパークとなった。国策としてサイエンスパークを誘致したという点で外発型のクラスターとして位置付けられる。したがって、このクラスターを特徴付けるものに、中央政府の支援があり、同時に、中央・地方政府、大学、民間企業がバランスよいパフォーマンスを行ったことが挙げられる。中央・地方政府のサポートは厚く、今まで30年間の公共投資の累計はおよそ1,000億円を超え、その3分の1は中央政府、3分の1は地方自治体が負担している(17)。ただし、中央政府がスタート時に国策として支援するものの、ある程度軌道に乗ったところで支援業務の一部を民間に委託し、クラスターの自立を意識していることは特徴的である。

 (3)フランス:グルノーブル----既存の集積を活用した内発型クラスター

●歴史的な産業集積から最先端技術活用型クラスターへの進展
 グルノーブルはアルプスのふもとに位置し、19世紀には産業発展が始まっており、水力発電、鉄道、アルミニウム等の工業が発展した。戦後は、電気、機械、化学等の分野で栄え、70年代以降はIT、エネルギー、バイオ等高度技術産業の集積地域となっている。近年では、マイクロテクノロジー、ナノテクノロジー等、最先端産業の拠点となっている。
 研究拠点としては、グルノーブル国立工科大学を始め、科学・工学を主な専門分野とする4つの国立大学が立地している。また、国立科学研究センター(CNRS)、仏原子力庁(CEA)を始めとする公的研究機関及び大企業の研究所も数多く集積している。周辺には、これらの研究機関の研究を製品化するような中小企業が集積し地域経済発展に貢献している。
 グルノーブルのあるローヌ・アルプ地方の2002年のGDPシェアはフランス全体の9.7%と、パリのあるイル・ド・フランス地方に次ぐ第2位となっており、経済成長率は90年代以降フランス平均を上回っている(1991〜2002年の成長率はローヌ・アルプ地方2.3%、フランス平均2.0%)。また、失業率も低く、2004年第2四半期でフランス平均の9.9%に対し、ローヌ・アルプ地方は8.8%となっている。
 

●産学連携を支えるZIRST
 グルノーブルでは伝統的に産学連携が盛んであった。20世紀初頭には、各産業界からの人材育成の要望からエンジニアが教育され、企業から教育機関や研究機関への資金援助も行われるなど、既に産学連携が始まっていた。
 1960年代終わりに行われたグルノーブル経済の現状分析において、産学及び企業同士をつなぐ機関が必要との提言が出され、72年にZIRST というテクノロジーパークが設立された。当初、ZIRST内には公的及び民間の研究所を誘致する予定であったが、むしろ中小企業が集積し活性化した。INPG(グルノーブル工科大学)からスピンオフした研究者たちや、中央政府によるIT企業統合に反発した技術者たちが起業し、多数の中小企業がZIRSTに入居した。また、地域との深いかかわりを持つMerlin Gerin社(現Schneider Electric社)が入居し、核企業としてアンカー的な役割を担った。入居企業の数は年々増加し、2004年10月現在、275の企業が立地し8,500人が雇用されている。ほとんどが50人以下の中小企業で、ハイテク分野のみに限定されている。
 ZIRST内にはProzirstという支援機関がある。職員は4人と小規模であるが、起業の際の手続き、中小企業同士及び地方当局等との情報交換、中小企業活動に必要なサービスの提供等幅広い業務を行っている。運営費用は政府からの補助金ではなく、収入の半分はメンバー企業による年会費で、残り半分は提供するサービスの収益で賄う自律性の高い非営利機関である。
 

●既存の集積を活用した産学連携
 グルノーブルでは、既存の産業・研究機能の集積を基に産学連携が進展したことが特徴的で、大学、研究所、大企業からスピンオフした技術者が中小企業へ技術、知識を移転したことが大きな成功要因となった。起業の際、出身大学や研究機関との関係を保ったまま、中小企業へ技術や知識を直接移転できたことも大きい。また、大学から企業へのインターンや、大学と研究機関共同のインキュベータ設立も行われており、大学から企業への技術移転、起業を推進している。
 なお、2001年より、MINATECと呼ばれるナノテクノロジー研究センターの建設計画が進行中(18)である。当計画はCNRS、CEA–LETI(仏原子力庁電子情報技術研究所)、INPG等が主導し、地方自治体と共同で産学官連携により進められている。これにより、さらなるクラスターの発展が見込まれる。
 
 (4)イタリア:エミリア・ロマーニャ----伝統的イタリア中小企業のネットワーク型クラスター

●イタリア経済をけん引する中小企業クラスター
 エミリア・ロマーニャ州は、イタリアの中部・北東部に位置し、州都をボローニャに置く。この地域は70年以降「第3のイタリア」と呼ばれ、飛躍的な経済成長を達成し、ミラノ、トリノを中心とするイタリア北部・北西部とともに、イタリア経済のけん引役となっている。2002年の一人当たりGDPは国内4位と生活水準の高さがうかがわれ、雇用環境も良く、2003年の失業率は3.1%とイタリア平均8.7%を大幅に下回り、国内第2位の失業率の低さを誇る。各地域に様々な産業が集積しているが、代表的な産業としてはボローニャの包装機械、カルピのニット製品、プラートの毛織物等が挙げられる。
 イタリアでは、国際的に活躍する輸出志向型の中小企業も多く、イタリアの主要輸出産業を担っているのは中小企業であるといわれる。また、ネットワークにより地域コミュニティの中で信頼と連携が培われて、中小企業が共同で技術革新や品質向上へ向けて継続的に取り組むという社会・文化環境が整っている。エミリア・ロマーニャにおいても同様である。同地域では起業家精神が高いといわれ、中小企業といっても家族経営から発生した零細企業が多いが、それらを結び付けるコーディネート企業(19)が地域内分業の要となり、多様な分野における数多くのクラスターが形成され点在している。
 

●地方の支援機関ERVETの貢献
 エミリア・ロマーニャでは伝統的に中小企業の集積と企業間ネットワークが整っているが、地方自治体を中心とした各種支援機関の活動も産業発展に大きく貢献している。
 イタリアでは、中小企業支援等の産業政策は中央政府ではなく、地方自治体へ権限が移譲されている。エミリア・ロマーニャでは、74年、州政府が中小企業支援を目的としてERVET(州経済発展公社)を設立した。州政府が80%、その他中小企業団体、商工会議所、銀行等が残り20%を出資する第3セクターであり、中小企業発展に関する各種支援の統括的な役割を担う。職員は約30人で、3分の2は女性であり、その多くが大学院等で法律、経済等の特別な訓練を受けた専門家である。その専門性と細やかさで質の高いサービス提供を実現している(20)
 80年代以降、経済環境が変化し始め、EU市場の拡大やグローバル化が進展した。繊維、衣料等の軽工業は、低価格製品を供給できるアジア諸国との競争にさらされ、機械産業は電子化・情報化への遅れに直面した。これに対応するため、ERVETの機能強化を目的とした「ERVETシステム」が確立された。これは、ERVETの傘下に9つの特定目的を持つ機関を設立し、これらの機関がさらに分散してサービスセンターを立地させ、各地域、各産業に特有の中小企業支援サービスを行っていくシステムである(第1-3-2図)。
 

●エミリア・ロマーニャ州技術開発機構(以下ASTER)
 ASTERは、ERVETの下部組織として、85年に設立された産学官連携のためのコーディネート機関である。技術移転、技術革新等を行うことを主な業務としている。具体的には、(1)資金援助を通した技術開発の支援、(2)研究結果を事業化する創業支援、(3)技術開発、技術移転のための人材の教育、訓練、(4)ネットワーク形成のための研究室(ラボ)の設立と研究成果を実用化するためのコーディネート等を行っている。2004年7月現在、16のラボが設立され、220の企業が活動に関与している。ASTERでは大学、研究機関、企業との間をネットワークでつなぎ、企業が必要とする技術、資金調達方法等に関する情報提供を行っている。


 BOX:ASTERで活躍するコーディネートスタッフ

 開発された技術の実用化、企業への技術移転をコーディネートすることがASTERの活動の大きな部分を占める。
 こうした高度なコーディネートを行うのがASTERのスタッフである。約50人いるスタッフは、多くが企業や研究機関のコーディネーター、技術者、エコノミスト、法律家等である。スタッフの採用は厳しく行われており、まず、短期間の契約の後、1〜2年の契約を結び、認められれば正規の職員になれる。ネットワークを作る力のあることが重視されている。
 ASTERのスタッフ出身者は、州の重要な地位や、EU等の国際機関での地位を得ることが多い。給与はそれほど高いわけではないが、魅力的なキャリアパスとなっているという。
 

●クラスターを支えるイタリア中小企業ネットワークの強みと課題
 エミリア・ロマーニャは、繊維、機械等多くの先進国において成熟し衰退傾向にある産業を維持し再活性化したことが特徴的である。伝統産業において、個々の中小企業は専門性を生かし、その専門性をつなぐコーディネート企業を中心としたネットワークがエミリア・ロマーニャの中小企業発展の強みとなっている。一方で、中小企業のネットワークを強化するような各種支援機関の存在も、80年代以降の経済環境変化に対応するための助けとなった。また、産業支援政策が地方自治体に委ねられているため、各地方の個性と状況に合った柔軟な支援策を打ち出す結果となっている。
 しかし、近年、さらにグローバル化や情報化が進み、ハイテク産業への対応も不可欠となっている。また、国際競争が激化するなかで、伝統的ネットワークに対する見直しも進んでいる。刻々と変化する経済環境の中で、特に産学連携を意識したネットワーク作り、知識に対する投資、技術強化のための人材育成等に力を入れているものの、いまだ途上であり、それらの発展に向けた取組が課題となっている。

 (5)英国:ケンブリッジ--重層的ネットワークによるハイテククラスター

 ケンブリッジ大学で有名なケンブリッジ地域は、80年代以降、ハイテク企業が次々と誕生し、「ケンブリッジ現象(Cambridge Phenomenon)」として一躍脚光を浴びた。現在もケンブリッジ地域はハイテククラスターとして成長し続けている。この力強い成長を担っている機関や人々を検証していくうちに、網の目のように張り巡らされたネットワークの存在が、成長を支える大きな鍵として機能していることが浮かび上がってきた。
 

●大学の高度研究機能を中心とした「ケンブリッジ現象」
 ケンブリッジ地域は、60年代末までは大学と産業界の関係は特に強くはなく、主要産業も特にない地域だった。しかし60年代後半に大学と産業界の関係を見直す動きが始まり、産学連携の重要性が指摘され、70年にケンブリッジ・サイエンスパークを設立した。バークレー銀行は、70年代後半から80年代にかけて創業間もない企業に対して、柔軟な投資政策を取り、企業へのアドバイスや資金支援を行い重要な役割を果たした。
 80年代に入ると、同サイエンスパーク内にエレクトロニクスやエンジニアリング業種のハイテク企業が集積し、英国最大のハイテク産業集積地域となり、知名度が向上した。85年には、ハイテク企業は約360社までに増加し、「ケンブリッジ現象」と呼ばれるまでとなった。
 90年代に入ってからもケンブリッジ大学のカレッジや学部は産業界との連携を強めていった。現在ケンブリッジ地域は、エレクトロニクスやエンジニアリング、バイオテクノロジーなどのハイテク企業約3,500社が立地し、約5万人が働く、一大ハイテククラスターとなっている。企業家、大学、地方政府、銀行、ベンチャー・キャピタル等が参加する多数のネットワークのもと、独立した企業から新たな企業が次々とスピンオフし、ハイテク企業の創出が促進されている(第1−3−3図)。

●ハイテククラスターを支える大学中心の支援機関
 「ケンブリッジ現象」の中心である世界トップクラスの研究能力を有するケンブリッジ大学の存在は大きい。同大学は、研究者のインセンティブを高めるため、知的所有権を研究者に帰属させる制度があり、スピンオフの歴史は19世紀にまで遡る。また、民間研究所が同大学の研究所長を兼任するなど、大学と民間企業との交流に対して柔軟な環境である。さらに、独立性の高いカレッジや学部が競うようにサイエンスパークや研究所を設立するなど、カレッジや学部が良い競争相手となっている。
 大学関係者とのネットワークの中に組み込まれたサイエンスパークはベンチャー企業の輩出に貢献した。特に70年に創業された地域初のケンブリッジ・サイエンスパークは、80年代には「ケンブリッジ現象」の象徴的存在として機能した。
 最大規模のサイエンスパークであるセント・ジョンズ・イノベーション・センター(87年設立)は、インキュベータとしてだけでなく、技術情報の提供や、資金調達支援などのサービスを行ってきた。銀行出身者でベンチャー・キャピタルを経営した経験を持つヘリオット社長が、強いリーダーシップを発揮し、支援サービスの拡充を行っている。さらに同社長は地域の多様なネットワークを支えるキーパーソンであることが指摘されている。
 ケンブリッジ地域には、企業の成長段階に応じたビジネスサービスを提供する企業や公的機関も数多く集まっている。資金供給の機関としては、国内外の投資機関、エンジェル投資家グループ等、創業間もないベンチャー企業の支援機関として、ケンブリッジ・エンタープライズ・エージェンシー等の機関、また、会計サービス、金融サービス、技術コンサルタント等の企業等が数多く立地している。
 

●成長の鍵となる網の目のようなネットワーク
 ケンブリッジ地域のクラスター形成の経緯をみてみると、中央政府、地方自治体がほとんど関与していない、ボトムアップのクラスターであることが分かる。また、クラスターを主導するための公式なグループや組織はなく、新しいイニチアチブが次々と創り出されている。また、これらのネットワークは必要に応じて次々と自由に創り出され、幾重にも重なり合っている。一見する限りでは冗長的で非効率的にみえる無数のネットワークが、実は影響力の強い有力なメンバー(前述のヘリオット社長等)を中心として多層的に重なっており、その結果、混乱や矛盾がなく有効に機能している点は特筆に値する(21)
 特に多彩な活動を行っているネットワークとして、ケンブリッジ・ネットワークが挙げられる。ケンブリッジ地域のハイテク産業に携わるビジネスマンや研究者のネットワーク形成のために、コンサルタント企業、ベンチャー・キャピタル、ケンブリッジ大学など6機関が出資して98年に設立された、民間主導のネットワークである。現在、約2,000企業、約2,300の個人が会員となっており、メンバー同士が知り合うためのフォーラムや、投資家に会員企業を紹介するツアー等、多彩な活動を繰り広げている。
 
 (6)オランダ:エンスヘーデ----産学連携活用型の新産業クラスター

 オランダ中北部、ドイツと国境を接する人口10数万人のエンスヘーデは、トゥウェンテ大学を中心に金属、機械、エレクトロニクス関連のハイテク分野等の企業が集積し、クラスターが形成されている地方都市である。大学研究所での産学連携を通して形成されたネットワークの成功例とともに、ネットワークの失敗例として、金属工業企業のネットワークを取り上げる。

●大学を活用した産学連携ネットワーク
 オランダ中北部、ドイツと国境を接する人口10数万の地方都市エンスヘーデは、もともと繊維産業を中心に、機械工業や金属加工業が盛んな工業地帯であった。しかし80年代前半に、グローバル化が進むなか低コストの競争に遅れをとり、失業者が増加したことにより、産学連携による新産業を育成する動きが始まった。当時のトゥウェンテ大学の総長が産学連携を強く打ち出し、大学からの技術移転を進め、企業家を育てる経営・教育が進められた。大学、州開発公社、地元銀行等が株主となって設立されたインキュベータや、トゥウェンテ大学のサイエンスパーク、トゥウェンテ大学、地元大企業などが連携して企業家の育成に取り組んでいる。現在では、金属、機械、エレクトロニクス関連のハイテク、ITなどの産業が主要産業となっている。
 オランダの地方都市でありながら、クラスターが成功している要因としては、ナノテク、レーザー、ITの分野で国内トップクラスであるトゥウェンテ大学の存在が挙げられる。同大学は、「アントレプレナー大学」としても有名であり、技術の商業化を目指すことを掲げた経営教育がなされている。
 

●産学連携のネットワークの成功例–トゥウェンテ大学中央研究所(MESA+)とマイクロシステム・テクノロジー・ファンドリー社(MTF)
 MESA+は、トゥウェンテ大学の2つの研究所が99年に統合されてできた、ナノテクノロジー、マイクロシステム、化学技術、電子技術等、革新的な技術研究を行う大学最大の研究所である。同研究所には19の研究グループがあり、研究所員は約400名、うち約300名が科学者である。同研究所は、最先端技術の商業化を促進する機関として、MTF社を設立した。現在この事業にマイクロテクノロジー分野の12企業が参加している。このMTF社の事業は先端技術の商業化という点で地域の企業を引き付けるネットワークの核としての役割を果たしている。参加企業は最新技術へのアクセスが可能となり、研究所からの人材スカウトの場ともなっている。

●企業連携ネットワークの失敗例----トゥウェンテ・モジュール・グループ(TMG)(22)
 TMGは、80年代末から経済的に困窮していた地元産業の支援策として、エンスヘーデの金属工業業者とオランダの大手エンジニアリング会社がトゥウェンテ金属工業連盟と共同で96年に設立された。資本金の半分はコンサルティング会社が、残りの半分は地域の中小企業60社が分担して出資した。TMGは、主たる顧客である大手製造業者から生産の一部をアウトソーシングしてもらい、TMGの株主である中小企業がその受け皿になるという構想でスタートした。しかし、調整能力の欠如が会員企業の相互不信を増長させた結果、内部対立が起こり、2000年、わずか4年間で倒産した。
 TMGが抱えていた問題点として、第一にネットワークの存在目的が不明確であったことが挙げられる。その創設は現場感覚に欠ける地方自治体の政策に沿った施策で、会員も、単に金属工業に関わっているということだけが共通点のちぐはぐな集まりとなっていた。さらに、クラスターのネットワークとしての認知度の低さも発展の障害となった。認知度の低いネットワークは参加企業の求心力を欠き外部への発展も難しい。
 そのほか、事務局組織は技術的専門知識も経営能力もない3名のスタッフのみで調整能力の欠如したネットワークにとどまり、入札や会員企業の利害対立の調整に役立たなかったこと、参加企業同士の協調体制はなく、むしろ企業同士をライバルとみなしていたことなどがTMGの失敗要因と考えられる。成功しているクラスターではネットワーク参加者間の競争と同時に協調がみられるが、TMGの会員企業同士で他社に競り勝とうと内部的な抗争がしばしば起き、相互信頼関係のない排他的な利害対立の場となってしまった。

 (7)デンマーク/スウェーデン:オーレスン----国境を越えたクラスターの発展
 
 デンマークのコペンハーゲン地方と、オーレスン海峡を挟んだスウェーデン南部のスコーネ地方を併せたオーレスン地域は「メディコンバレー」と呼ばれ、バイオテクノロジー、医療関連、IT、食品のクラスターが形成されている。国の枠を越えた2地域間が連携しているクラスターとして、近年注目度が増している。
 同地域には、ルンド大学を始め12の大学、26の病院、5つのサイエンスパーク、コペンハーゲン国際空港等があり、2万800km2(日本の四国程の大きさ)に人口約300万人(両国全体の人口の約22%)が住んでいる。特にバイオテクノロジー研究分野での集積が進んでおり、ヨーロッパ第3位の規模を誇っている。またバイオテクノロジー、医薬分野では約300社あり(北欧にある企業の約60%)、研究者4,000人を含む約3万人が働いている。
 メディコンバレーにおけるベンチャー企業の活動は活発で、この数年、毎年10社以上のバイオベンチャー企業が起業している。同地域における2001年のGDPは両国合計の26.5%に相当し、一人当たりのGDPは両国を上回っており、高い成長率を遂げている競争力のある地域となっている。
 

●90年代前半までは2国別々に地域発展を進める
 バルト海に囲まれたオーレスン地域は、60年頃までは造船業等の重工業が盛んであったが、70年代になるとこれらの産業が労働力の安い中国などに移転したことにより衰退し始めた。このため80年代には、新産業の育成による産業構造の転換が求められるようになり、自治体と大学が連携してサイエンスパークを設立、IT、バイオメディカル等新分野の企業の誘致、育成を図った。同地域のバイオメディカル、IT企業の集積は、スウェーデン南部のスコーネ地方、デンマークのコペンハーゲン地方で別々に発展してきた。
 

●90年代後半から2地域の経済圏の共通化とネットワークの拡大が進む
 しかし、90年代後半になって、2つの地方の連携が急速に強まった。96年に、コペンハーゲン投資誘致機関とスコーネ地方通商産業局がこの地域を「メディコンバレー」と命名し、国境を越えてバイオメディカルの産業育成を推進することとなった。97年には、大学、病院、バイオメディカルの関係企業、技術移転機関、サイエンスパーク、ベンチャー・キャピタル等200を超える関係者等が参加した非営利のネットワークである、「メディコンバレー・アカデミー」が設立され、また同年には12大学による連携事業として「オーレスン大学」と呼ばれるコンソーシアム(共同研究体)が発足した。このようなネットワーク形成により、両地方は競争相手であると同時に良き連携相手となり地域発展に貢献していることが特徴である。
 海峡に挟まれたコペンハーゲンとスコーネ地方の交通は、2000年に、道路と鉄道が通るオーレスン橋が開通し、両地方の時間距離が大幅に短縮され(鉄道で35分)、一体的な発展が一層加速されることになった。
 オーレスン地域の地方政府や大学が地域間連携を進めるにあたって、物と労働、サービスの自由な移動を通じた共通の経済圏を形成することが重要な目的であった。経済統合が進むにつれ、両地方の企業の競争を促進し、起業活動やイノベーションを生み出す環境も増加しており、目的は着実に実りつつある。

●大学を中心とした産学官連携による起業支援:ルンド大学とイデオン・サイエンスパーク
 オーレスン地域の起業支援の特徴として、大学を中心として、技術移転機関、インキュベータ、サイエンスパーク、地元産業界が機能的に連携し、大学の持つ最先端技術の移転を促進し、ベンチャー企業の育成に力を入れている点が挙げられる。
 スウェーデンのルンド市にあるルンド大学は1666年設立という古い歴史を持ち、北欧最大規模の大学である。同大学には工学、バイオテクノロジー、医薬品関連の研究センターのルンド工科大学があり、産業界のニーズに合った研究を実施している。技術移転に関しては、ルンド技術移転財団(Foundation for Technology Transfer in Lund)が大学にビジネスアドバイザーを派遣し、大学の研究成果と地元企業側のニーズを結ぶ架け橋となっている。
 イデオン・サイエンスパークは、ルンド大学の知的資源を利用して新たな企業を創出するため、またITなどの新産業を地域に誘致するために、ルンド大学の主導で83年に大学隣接地に設立された北欧初のサイエンスパークである。エリクソン社のモバイル部門もこのサイエンスパークで起業した。2003年現在、198社(従業員数2,500人)が入居しており、うち41%がIT、29%がバイオメディカル、15%が他のハイテク企業、15%がコンサルタント等のサービス業になっている(23)


2.アメリカのクラスター

(1)オースチン

●政策的なハイテク企業誘致から内発型クラスターへ
 テキサス州は石油、綿花、家畜の産地であり、州都であるオースチンも単なる地方都市の一つにすぎなかった。これがハイテク産業の一大集積地へと飛躍的な発展を成し遂げたことから、オースチン・モデルとして広く知られることとなった。政策的にハイテク企業誘致を行い、それを基にインキュベーションを活用して内発型クラスターへと移行させたことにその特徴がある。核となる企業誘致からクラスターへと発展するまで急成長を遂げているが、自然発生的なクラスターに比べると政策的な支援が加わることでクラスターの発展速度が高められた事例として注目される。
 

●強力な理念を持ったプロジェクト推進者の重要性
 クラスターとして成功した事例の多くは既存の産業・研究集積の下に自然発生的に展開し、長期間をかけて成熟したものである。これに対してオースチンは、自然発生的ではないが、比較的短期間で内発型クラスターへと移行できた点で注目される。それを可能にした要因として指摘されるのは、強力な理念を持ちクラスター進展を推進したコズメツキー氏の存在である。同氏は、自らの事業の成功の後、ハイテク分野の起業家の育成に乗り出していたところ、オースチンにあるテキサス大学のビジネススクールに招聘され、66年には学部長に就任した。彼は早くから企業家精神教育の重要性を説き、80年代には、オースチンがハイテク産業の拠点となるべきとのビジョンを掲げ、州政府や行政、経済界と協力して、企業誘致や支援機関の設立あるいはその活動にリーダーシップを発揮し、クラスター形成に重要な役割を果たした。
 

●企業誘致による集積から内発型発展クラスターへ
 (1) ハイテク企業誘致の推進:60年代〜70年代
 60年代から70年代にかけてコズメツキー氏の積極的な働きかけから、企業誘致が進み、徐々にIBMやモトローラ等のハイテク企業が集積するようになった。また、同氏は「科学技術の商業化」を研究するためにICスクウェアー研究所を77年に開設した。
 (2) ハイテク向け産学連携環境の整備:80年代
 80年代に入り、コズメツキー氏を中心とするテキサス大学と地元商工会議所の強力な活動により、コンピュータ業界の共同研究機関であるMCC(Micro-Computer Corporation Consortium)の誘致に成功した。また、85年には、セマテックを誘致することに成功するなど、この時期にハイテクの集積地としての評価を高めた。こうしたことがその後のコンピュータ・半導体関連企業のオースティンへの進出を支える重要な役割を果たした。
 (3)スピンオフから発展する起業:80年代後半以降
 80年代後半のアメリカ経済の不振を背景に、これまでに集積したIBMやMCCやセマテックなどの企業から解雇された技術者たちのスピンオフが90年代に頻繁に行われるようになる。これらの優秀な技術者を地域につなぎとめるために、コズメツキー氏が中心となり、ICスクウェアー研究所の発展機関であるインキュベータのATI(Austin Technology Incubator)が89年に設立された。設立以来、現在2004年までに65社が卒業し、約2,850のビジネスを創出し、約12億ドルの収益を上げている。
 

●クラスターを支えた支援機関
 技術から事業化への流れを支援することを目指して77年にICスクウェアー研究所が設立された。この研究所はテキサス大学の人材を活かして地域戦略の立案、技術の商業化モデルの研究と実際に技術の商業化に携わる専門的な人材の育成を担う機能を果たした。
 89年にはICスクウェアー研究所の下部組織としてATIが設立された。ATIは市、商工会議所、郡、州から補助金を受ける非営利団体のインキュベータであり、テキサス大学との強力な連携に特徴がある。ATIの運営に際し、テキサス大学は施設を無料で提供するほか、テキサス大学の学生をインターンとして活用するなど、大学との連携を最大限有効に活用している。また、ICスクウェアー研究所の下部組織として90年に設立されたThe Capital Network(TCN)は、起業家とテキサス州内の投資家のマッチングサービスを行う機関である。ATIに入居するベンチャー企業に対してTCNは資金面を支援している。
 
 (2)サンディエゴ:スピンオフ活用型バイオクラスター

●クラスター形成において中核となった研究機能
 カリフォルニア州サンディエゴでは、バイオ企業が数多く集積しバイオクラスターを形成している。クラスターの形成にあたり、1907年設立のスクリプス海洋研究所や60年設立のソーク研究所といった研究機能が存在していたことに加え、先端的な研究を行うカリフォルニア大学サンディエゴ校(以下UCSD)の存在が大きな役割を果たしている。

●スピンオフを活用したバイオ企業の形成
 サンディエゴでは、第2次世界大戦以降、軍需産業が盛んであった。80年代の冷戦終結に伴い、大規模な軍需費縮小が行われたことを受け、軍関連の下請け企業の多くが民間部門へ移行した。その際に流出した人材がバイオクラスターを支えていく力の一つになったといわれる。
 大学や研究所等の研究拠点と優秀な人材の集積という良好な環境に支えられ、スピンオフによりベンチャー企業が多く輩出されている。多くの企業を輩出した代表例としてハイブリテック(Hybritech)社というバイオ企業が挙げられる。79年にUCSDの2名の研究者によって設立された同社は成功を収めた後、86年にEli Lilly&Coに売却された。その後同社の研究者達がスピンオフし50以上の企業を設立した。これらの企業の多くが、サンディエゴ近辺に留まったこともクラスター発展の要因となっている。

●クラスターの触媒の役割を担うUCSDコネクト
 85年に設立されたUCSDコネクトは、UCSDの知的資源を利用した技術移転およびベンチャー育成を目的として設立された大学を基盤とし組織である。UCSDコネクトは起業支援を積極的に意識している点に特徴があり、スピンオフを活用して企業集積の厚みを増してきたサンディエゴにおいて触媒的役割を果たしている。
 UCSDコネクトは、起業から事業化までに至る企業の発展段階に応じたプログラムを開発している。また、地元有力企業、銀行、ベンチャー・キャピタル、会計事務所などの関係者とのネットワークの強化のために様々なフォーラムを開催している。UCSDコネクトは財政的には独立採算制により、大学や州政府からの資金提供はなく、スポンサー企業やメンバーからの会費や、プログラムサービス料などによって運営費をまかなっている。以下はUCSDコネクトが運営する組織、プログラムの一例である。
 (1)Spring-Boardは、初期の起業段階から資金調達段階までをカバーし、きめ細かな研修を通じて発想を事業計画まで練り上げることを支援するコースである。ベンチャー・キャピタル、会計士、弁護士等がボランティアとなり事業計画の指導を行うことに特徴がある。93年に開始されてから2004年現在まで203社を創業させた。そのうち120社はサンディエゴを拠点に活動を続けている。
 (2)SDTech Coast Angels(SD−TCA)は、起業の初期の段階を支援する私的な投資グループである。ベンチャー・キャピタルをはじめ、経営者、起業家等で構成され、Spring-Boardを修了した者等に対して資金供給を行う。起業家にとっては、200人以上の個人投資家とネットワークでつながるというメリットがあり、他方、投資家にとっても、新たなビジネスチャンスの発見だけでなく、投資家同士の情報交換というメリットがある。
 (3) HR(ヒューマン・リソース)–CONNECTは、Spring-Boardを終了した者や企業のニーズに応じて、法務、会計、税務、コンサルタント等の人材の紹介を行う。


 BOX:熱気あふれるSpring-Boardの朝食会

 Spring-Boardプログラムの中で、ユニークな企画として、朝食会が挙げられる。朝食会とはいっても単なる名刺交換の場にはとどまらず、ネットワークを推し進める重要な仕組みになっている点で注目に値する。実際には、地元の経営者やビジネス関係者らがメンタ−となり、起業志望者にノウハウを伝授する会である。300人以上が朝7時から集まり、熱気にあふれ活発な情報交換を行う。こうした会合の後に参加者はそれぞれのビジネス場に戻っていくことが自然な流れとなっており、まさに企業家精神のエネルギーが発揮される場となっている。このような会の存在がサンディエゴの企業家ネットワークに厚みを持たせている。フェース・トゥ・フェースでの情報交換、ネットワーク作りの重要性が実感できる場であり、クラスターの発展にはこのような仕組みが幾重にも重なるような環境が必要とされている。
 


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