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第1章 競争力の源泉としてのクラスター:産業集積からクラスターへ

第2節 競争力の源泉としてのイノベーション

 第1節でみてきたように、競争力の源泉として、イノベーションが不可欠である。
 先に紹介した1999年にアメリカの競争力評議会から発表された報告書をきっかけとして、産業競争力とイノベーションを生み出す源泉として地域における産業集積機能を果たすクラスターに対する関心が世界各国で高まっている。各国及び地方自治体は、様々なイノベーション政策を講じているが、なかでもクラスターやクラスター内企業を支援する方策に積極的に取り組んでいる。
 本節では、クラスターに関する考え方の概要、クラスターの形成から発展までの経路について解説を行う。また、クラスターに対する政策の在り方について言及する。

●産業集積と競争力
 伝統的な経済理論でも産業がある特定の地域に集積することにより、取引コストが減少したり知識のスピルオーバーによる外部経済性の存在等のメリットが生まれることは指摘されていた。これに対してグローバル化、IT化の進むなかでの新しい産業集積機能として注目されてきているのは、ダイナミックなイノベーションを創出する場としてのクラスターである。アウトソーシング可能な単純な機能部門が世界的に分散する一方で、暗黙知を活用し高度な付加価値を創り出すような機能は、クラスターという集積を活用するためにさらに重層的な集積を形成し、競争力の強化をもたらしている。

●イノベーションの創出と競争優位の向上に寄与するクラスター
 クラスターの概念を提唱したマイケル・ポーターは、クラスターとは「特定分野において共通する技術やノウハウによりつながった大学等の研究機関、関連企業、専門性の高いサプライヤー、金融機関等サービス提供者、関連機関(行政、業界団体等)が、地理的に集中し、競争しつつ同時に協力も行っている状態」としている。
 単純な産業集積と比較するとクラスターは様々な新しい特徴を有している。特に、クラスターの重要な概念としては以下の点が指摘されている。
 (1)企業だけでなく大学、研究機関、ネットワーク支援機関等多様な組織や機関が含まれている。
 (2)上記の多様な機関の間に多層的なネットワークが存在し、研究開発、事業化、販売等あらゆる局面で相互作用を通じたシナジー効果をもたらしている。
 (3)クラスターを構成する組織間には協調関係とともに競争関係が存在し、この競争がイノベーションを創出する原動力の一つとなっている。
 (4)クラスター内部での知識のスピルオーバー、フェース・トゥー・フェースによる暗黙知の共有・活用を通じてイノベーションが創り出されている。
 クラスターの発展を支える要素として、社会的ネットワークとともに企業家精神も重要である。クラスターでは、企業や大学が公式・非公式ネットワークでつながっていることが信頼と連携を高め、クラスターの発展に対しビジョンを共有しつつ、協調によって極めて強い協力関係を構築することができる。また、クラスターの社会的なネットワークを活用しながら、大学、研究機関の研究者や技術者が技術の商業化を目指して自ら起業したり、あるいは既存の企業からスピンオフするなど、企業家精神を背景に盛んに新規参入が行われることで競合関係は一層促進される(第1-2-1図)。
 第3節で紹介する海外のクラスターの成功事例では、クラスター内部の活発なネットワーク活動とそこで活躍する企業家精神にあふれた企業、研究活動の存在が確認される。

●クラスターの形成と発展
 クラスターの形態は多様性に富み、ハイテク企業がけん引するクラスターもあれば、伝統的産業が核となるクラスターもある。ただし、シリコンバレーに代表されるような成功事例として取り上げられるクラスターには、発展段階や成功要因において幾つか共通の要素がある。
 (1)形成の初期
 まず、クラスターは歴史的な偶然により自然発生し、成長していくケースが多い(最近ではクラスター構想に基づき国が主導でクラスター形成に関与する場合もある)。形成の初期において、既に地域集積があること、核となる企業が立地していることなどが挙げられる。また、大学や研究機関の存在、地域的コミュニティ、良好な生活環境もクラスターの形成要素になり得る。クラスターに発展するためにはビジョナリーと呼ばれる地域のビジョンを描き指導していく存在が大きいと指摘される(第3節オースチンのコズメツキー氏)。
 (2)形成期
 形成期においては、企業間、企業と大学との連携を進めるような調整機関、高レベルな研究開発力、大企業とベンチャー企業との連携等が強さを発揮する。技術者が大企業を退職して独立起業するスピンオフが活発になり、さらにその企業からスピンオフするというスピンオフの連鎖等も観察される。独立起業した各々のベンチャー企業が競争しながら連携し、イノベーションを促進していく状況がみられる。
 (3)発展、安定成長期
 クラスターが発展し、安定的に成長する時期においては、独立した会社が次々に成功することでIPO(新規株式公開)等により大きな利潤を得ることができ、新たな雇用を創出し、クラスターの他企業に影響を与えつつ地域全体が発展していく。急成長するベンチャー企業の輩出において、ベンチャー・キャピタルが重要な役割を果たしている。
 成功例として挙げられるクラスターでは、こうした連鎖が次々に起こり、さらにダイナミックな経済発展へとつながる。また、国際的にもクラスターの知名度が高くなることで、国際的な事業展開が行われ、さらに国境を越えて優秀な人材等の経営資源が集まってくるようになる。クラスターが発展するなかで、一つの産業から別の産業へと集積効果が波及していく場合もある。
 ここで一つ留意すべき点としてクラスターの形成、発展には長期間を要するということがある。既存の産業集積を基にして発展したようなクラスターでも数十年を要する事例が多く、政策的に新たにクラスターを形成するには長期的な視点が必要である。

●クラスターを構成する主体、関連機関
 クラスターの主役は企業である。クラスターの核となる産業をリードする大手企業、中小企業、それらからスピンオフしたベンチャー企業等が主体となり、クラスター形成を担っていく。また核となる企業群を取り巻くサプライヤー、関連産業の存在も大きい。
 イノベーションの誘発を促進するために産学官の連携を通じた研究開発を支援する機関として、大学、民間研究所、技術移転機関、自治体等が建設した研究施設、テクノロジーパーク等もクラスターの重要な構成主体である。さらに産学官の連携を促進するネットワーク形成のためのコーディネート機関はクラスターの発展のためにしばしば決定的な役割を果たす(IVAM、ケンブリッジ・ネットワーク、ERVET等、第3節)。
 クラスター内部でのダイナミックな企業発展を支えるためのインキュベータや、ベンチャー・キャピタルなどの果たす役割も大きい(第4節)。

●クラスターに対する支援政策の考え方
 産業集積がない状態から政府主導で新たにクラスターを形成することが極めて難しいことは多くの研究者によって指摘されている。しかし、クラスター形成の途中段階において、政府が重要な役割を果たした成功事例は少なくない。
 特にクラスター内のネットワークは外部経済をもたらすものであり、初期段階において公的部門が果たすべき役割は大きい。海外のクラスターの実態をみても、政府(特に地方政府)がネットワーク形成を支援することでクラスター形成を加速した事例は多い。その他にもイノベーション創出支援策として研究開発や産学官連携に対する公的資金の供給等の支援も考えられる。
 ただし、既に述べたようにクラスターが発展するまでには長い期間が必要であり、全期間にわたり政府が関与することは望ましいことではなく、現実的でもない。政府の役割はクラスターが自律的な発展段階に至るまでの支援にとどめるべきで、クラスター内部の企業等から構成される民間主体が中心となり、持続的にイノベーションを創出する仕組みを創り出すことが最終的な目標となる。そうした段階では、クラスター内部での研究開発や技術移転を促進する知的財産制度や、リスクマネーの供給を促進する税制を含めた資金調達制度等に関して適切な制度設計を行うことが政府の果たすべき重要な役割となると考えられる。


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