平成4年
年次経済報告
調整をこえて新たな展開をめざす日本経済
平成4年7月28日
経済企画庁
第3章 日本の市場経済の構造と課題
日本の雇用システムの特色として終身雇用,年功賃金等の制度がしばしば指摘される。しかしながら,このような制度は原則として明文化されていない。また,日本の全ての労働者に適用されているわけではなく,特に,大企業の正規従業員に多く当てはまることに注意する必要がある。
一方,パートタイム労働者等の非正規従業員は,企業内で定着が進んでいる面もみられるものの,労働力と非労働力を行き来する者も正規従業員と比べ多く,景気循環に対するショック・アブソーバーの役割を果たし,雇用変動も大きいといった点が指摘できる。
終身雇用制度等の適用下においては,労働者の移動や賃金決定が企業内の制度,慣行を通じて行われることから,そこに企業内の労働市場すなわち内部労働市場が形成されているとみることができる。これに対して,賃金をシグナルとして労働力の需給調整が行われる通常の意味での労働市場は,内部労働市場と区別して外部労働市場と呼ばれ,パートタイム労働者等の雇用や賃金の決定はここで行われているといえる。以下で述べるように,日本の労働市場は終身雇用制度を基盤として内部労働市場が発達していることが特徴と考えられ,国際比較によれば,日本の労働市場全体としても数量調整が行われにくいことが指摘できる。次に,終身雇用制度,年功賃金といった性格の強い日本の雇用システムの評価を行った後,近年特に注目されている労働時間の問題について指摘する。最後に最近の雇用システムの変化に触れる。
日本の雇用調整の程度をみるため,生産,雇用,労働時間,労働投入量の変動量(変動量を標準偏差で表す)をアメリカ,ドイツと比較すると( 第3-3-1表① ),日本の雇用の変動量は70,80年代においてアメリカやドイツよりも低くなっている。特に,70年代における日本とアメリカの差異は大きく,両者の生産の変動量は大差ないにもかかわらず日本の雇用変動量はアメリカの約半分であるが,労働時間の変動量は逆に大きくなっている。これは,日本では労働時間による調整が主に行われたことを示している。また,日本の場合,労働投入量と生産の変動量の格差も大きく,他の諸国よりも労働時間のみならず,配置転換等でも調整していることを示唆していると考えられる。
次に,雇用調整のスピードを国際比較するため,雇用量(労働投入量)を前期の雇用量(労働投入量),鉱工業生産,実質賃金で説明した雇用調整関数を主要国に関し計測すると( 第3-3-1表② , 付注3-3 ),日本の雇用量の調整スピードは高度成長期(60~73年),安定成長期(74年以降)とも日本が最も低くなっており,安定成長期に更に低下している。一方,アメリカの場合は,調整速度が際だって高く,人員タームの調整が速いことが伺われる。労働投入量ベースでみると,労働時間の調整は雇用量の調整より速いため,各国ともその調整速度は高くなっている。
更に,主要国の生産と雇用の伸びの動きをみても( 第3-3-1表③ ),日本の場合,生産の伸びの変化が雇用の伸びの変化に反映するまでかなりラグがあり,雇用と生産の伸びのグラフは大きな弧を描いている。また,生産の伸びが鈍化してきても,雇用の伸びは景気拡大期ほどは変化していない。一方,アメリカについては,両者の関係は直線的であり,生産の変化がほぼ雇用の変化に対応する形となっており,特に,日本とは逆に生産の伸びが鈍化する時の方が雇用量の調整は速くなっている。ドイツの場合は,小さいながらも生産と雇用の関係は弧を描いており,アメリカよりは調整速度がやや遅いことがわかる。
日本の雇用量の調整が比較的小さく,また,調整速度が比較的低い部類に入るのは,景気後退時にできるだけ解雇を避けるために,所定外労働時間削減,賃金・ボーナスの伸びの鈍化,配置転換等企業内の組織的対応で生産の変動を吸収しているためと考えられる。
一方,アメリカで雇用量の調整,雇用調整速度が大きいのは,レイオフ制度により,人員調整を容易にしている側面があるからであろう。ただし,レイオフ制度についても,呼び戻し制度(需要が回復した時に労働者を再び元の職場に復帰させる)があること,雇用主が失業補償,失業保険に対し大きな負担をしていることに留意する必要がある。また,レイオフに際しては先任権の制度が働き,若年労働者は一般に勤続年数が短いため切り捨てられやすい。一方,勤続年数が長い年長労働者は概して賃金,雇用面で保護を受けている。これは,日本で,雇用面の調整の際,常用労働者の中で高齢労働者がまず対象となるのと対照的である。
(内部労働市場)
以上のように国際比較を行っても日本の労働市場はアメリカ等と比較して,数量調整の度合いが低いことが指摘できる。このように雇用の数量調整の性質が異なることを説明するため,日本的雇用慣行として,通常,取り上げられる終身雇用制度,年功賃金制度,配置転換等を内包する内部労働市場,すなわち,企業内労働市場について考えてみよう。
外部労働市場が賃金というシグナルを媒介に労働力需給の調整が行われているとすれば,内部労働市場は企業組織内における労働力の配分が企業内の組織的制度,慣行,契約によって大きく規定される市場を指す。終身雇用制度は明示的契約ではなく暗黙的な契約であるが,内部労働市場の重要な構成要素であり,このような市場では雇用の数量的な調整は小さくなる。内部労働市場が機能しているのは,例えば,労働者への訓練・教育,配置転換,昇進をめぐる人事制度等により競争条件が作り出されるからである。
各国の労働市場がどの程度内部労働市場的な性格を持つかを,いくつかの利用可能な指標によってみてみよう。まず,単純に平均勤続年数を比較すると( 第3-3-2図① ),日本はドイツ,フランス等とともに最も長い部類に属し,アメリカ,イギリスより長くなっている。また,勤続年数別労働者の構成をアメリカと比較すると( 第3-3-2図② ),全体として勤続年数は日本の方が長くなっているが,その傾向は女子よりも男子,男子の中では55歳未満において顕著にみられる。特に,アメリカの35歳未満の若年層における労働移動は日本と比較してかなり高くなっている。一方,日本の男子の55歳以上においてやや勤続年数は短くなっているが,これは定年前の出向,定年後の再就職等による影響と考えられる。更に,日米の年齢別累積入職回数を一定の前提の下に試算してみると,アメリカが日本よりもかなり大きくなっている( 付注3-4 )。
したがって,全体としてみて,終身雇用制度を中心とした内部労働市場に日本の労働市場の特色を求めることは可能であろう。しかし,この場合でも日本の労働市場は内部労働市場であり,アメリカの労働市場は外部市場であるとの二分法は適切ではない。例えば,アメリカにおいても超優良企業を中心に終身雇用制度は存在することが知られており,あくまで相対的な評価であることに留意する必要があろう。
日本について,更に,どのような労働者に対して内部労働市場の特色が当てはまるかを標準労働者の継続勤務の状況を使って考えてみよう。75年当時,20~24歳(高卒については19歳以下)で勤続年数5年以内の労働者に関し,その5年後毎の継続勤務の状況をみると( 第3-3-3図① ),企業の規模別では中小企業よりも大企業の労働者が,学歴別では高卒よりも大卒が,職種別では生産労働者よりも,管理・事務・技術労働者の方が継続勤務している者の割合が高くなっており,これらの労働者の市場がより内部労働市場に近い状況になっていると考えられる。
このような内部労働市場の効率性,メリットは,第一に,雇用の安定が図られることにある。各国の失業率を,統計上の差異を調整したOECDの数字によって比較しても,日本はアメリカ,ドイツと比べて低く,雇用情勢は良好だといえる( 付注3-5 )。
第二に,さまざまな取引費用の節約にあると考えられる。例えば,募集・採用の費用,訓練費用,契約費用,解雇された場合の職捜し費用等がそれに当たる。また,長期にわたる組織への所属,組織構成員間の人間関係を通じて,さまざまな情報が交換・共有・蓄積されることにより,構成員間の協調的・信頼的関係が生まれ,生産,経営,研究開発等の効率性を高めているといえる。
第三は,内部労働市場では企業,労働者の双方が企業固有な人的投資(OJT等による訓練等)を行うインセンティブを確保できることが挙げられる。労働者の移動性が高い場合,企業の方は教育や訓練を行っても,そのコストを回収することができないであろう。また,労働者の方も将来企業を移動する可能性を考えると,その企業固有の教育訓練を受けるインセンティブは弱いであろう。この人的資本蓄積がスムースに行われていることは,第5節でみるように日本の企業の競争力の高さの一因となっている。
(年功賃金制度)
年功賃金制度についても,内部労働市場の構成要素として,終身雇用制度と互いに補完する意味で行われていると考えられる。おおまかにはOJT等の訓練,経験等によって蓄積された人的資本と年功賃金が対応していると考えることができよう。しかし,賃金プロファイルを国際比較すると( 第3-3-4図 ),各国とも生産労働者よりも終身雇用制がより適用されているとみられる管理・事務・技術労働者において賃金の累進度(賃金プロファイルの傾き)が高くなっているが,いずれも日本の方が諸外国よりは比較的急であり,両者の傾きにあまり差がないことが注目される。一方,50歳代以上の労働者については諸外国よりも賃金の低下幅が大きくなっている。このような日本の賃金プロファイルの特色を説明するため,以下では2つの考え方を示すことにする。
第一は,日本の年功賃金のカーブが労働生産性のカーブよりも急になっている可能性があることである。つまり,若年期には限界生産性よりも低い賃金を受け取る一方,高年期には限界生産性以上の賃金を受け取っているという考え方(インセンティブ仮説)である。将来の賃金の受取は現実には成績,昇進等に依存するため,このような年功賃金システムは労働者の怠惰を防ぎ,労働へのインセンティブを高める効果があろう。
これが,生え抜き,内部昇進の制度の中で長期的な競争を生み出していると考えられる。このような長期的,横並びの競争を有効にするためには昇進がある程度遅いか,あるいは入社後ある程度の期間は同期に入社した者を同じように昇進させる方が労働者の競争参加へのインセンティブを高めるために重要である。ちなみに,日本739社,アメリカ687社の企業について,社長に昇進する平均的なスピードと年齢を比較してみると,日本が27年(56歳)とアメリカの20年(49歳)よりも遅くなっている( 付注3-6 )。日本における長期的な競争,遅い昇進は労働者の多様な能力,質をより客観的に評価することに役立っていることが考えられる。他方,アメリカでは入社初期の成績がその後の昇進において比較的重要と言われている。インセンティブ仮説によれば,生産性よりも高い賃金を払い続けるのは限界があるため,日本における定年制の存在や50歳代以降で賃金の低下幅が大きいことも容易に説明ができる。
こうした考え方に基づけば,企業が高い成長をすれば将来の企業の所得も拡大するので賃金の累進度を高めることが可能となり,終身雇用・年功賃金制度を更に有効ならしめることができる。製造業の賃金の累進度の推移をみると( 第3-3-5図① ),高度成長期から安定成長期に入るまで低下した後,80年代にやや上昇しているなど,その動きはほぼ成長率の動きに対応しているとみられる。特に,職種別では管理・事務・技術労働者,業種別では電気機械において更に明確な動きをしている。もっとも,こうした年齢間賃金格差は,労働力需給の動向等の影響も受けると考えられる。60年代後半に賃金格差が縮小した背景としては,新規学卒者を中心に若年層の労働力需給が逼迫したことも影響していよう。このように,日本の経済成長が諸外国に比し高いことが終身雇用・年功賃金制度を更に有効なものとし,その傾向は賃金カーブの累進度の高かった高度成長期に強かったと考えられる。
第二は,賃金累進度が年齢に応じた生計費の上昇に対応しているとの考え方もできる(生計費保障モデル)。年齢別の給与総額とローンの支払い等を含めた修正支出をみると,その相関はかなり高い( 第3-3-5図② )。また,賃金を企業固有の人的資本の代理変数である勤続年数と生計費の代理変数である年齢で回帰分析を行うと,年齢の方が説明力が高いという結果が得られた( 付注3-7 )。
年功賃金制度の解釈として,インセンティブ仮説,生計費保障仮説のいずれをとっても,企業内で若年から高年への従業員への所得の再分配(世代間の移転)が行われることにより,労働者の企業固有な人的投資が促進されたり,生計費に応じた所得分配が行われており,その意味で企業が一種の所得再分配機能を有しているとも考えられる。
上記の説によれば,タクシー運転手等の自営業的な性格の強い職種のプロファイルの勾配が比較的緩やかであるのは( 第3-3-5図③ ),このような職種では世代間の所得移転が困難であり,比較的人的資本に応じた賃金になっているためと説明できよう。
日本の雇用システムを特徴づけるものとして,終身雇用,年功賃金制度,企業別組合があると言われており,さらに企業内部での配置転換,系列企業グループへの出向などがあげられる。配置転換,出向についても大企業の方がその割合は高く( 第3-3-3図② ),終身雇用制度等と一体となって,戦後の日本の雇用システムを形成してきたといえよう。
(労働時間等の問題点)
日本の雇用システムの効率性は評価されるべきであるが,その一方で,それが長い労働時間に結びついている可能性がある。製造業生産労働者の労働時間をみると近年は短縮が進展しているものの,他の主要国と比較して一貫して長く,その要因も年次有給休暇等の消化不足や完全週休二日制定着への遅れが影響している。また,労働時間短縮が進んでいるドイツ,フランスとは所定外労働時間の差も大きい( 第3-3-6図 )。
日本の労働時間が長くなっていたのは様々な要因があるであろうが,ここでは,いくつか考えてみよう。
企業の従業員の間での情報の交換・共有・蓄積が内部労働市場の利点である。しかし,企業によっては,こうした情報の交換等に必要以上に時間をかけ,結果として労働時間が長くなるというコミュニケーション・コストがかかることも考えられる。特に,年次有給休暇が消化できにくいことには,ライン制で仕事を行っていることとともに,協調が重要となっていることも影響していると思われる。
また,雇用調整が行われにくいということは,上記でみたように労働時間で調整される割合が高いことを意味しており,需要変動が大きい業種では需要のピーク時に所定外労働時間が長くなるため,平均的にみて他の業種と比べ所定外労働時間が長くなる可能性がある。産業別の所定外労働時間の平均的な水準と標準偏差を比較すると( 第3-3-7図 ),製造業の各業種では概ね両者には正の相関がみられ,特に,輸送用機器,一般機械では,所定外労働時間の平均,標準偏差とも高くなっている。一方,非製造業では製造業に比し,比較的景気循環の影響を受け難く,所定外労働時間の標準偏差も小さくなっている。また,運輸・通信業,出版・印刷などにおいては,標準偏差が小さいにもかかわらず所定外労働時間が長いが,これは,それらの産業固有の構造的な要因によるものと考えられる。特に,運輸業の場合は,多頻度小口配送等が長い労働時間に影響しているとみられる。所定外労働時間の長い産業は総実労働時間も長くなっており,産業計で2,016時間(91年年間)であるのに対し,輸送用機器は2,173時間,一般機械は2,155時間,運輸・通信業は2,164時間,出版・印刷は2,131時間となっている。なお,建設業については所定外労働時間は産業平均に近い水準にあるが,所定内労働時間が長いことから総実労働時間は2,164時間と長くなっている。
さらに,所定外労働時間が仕事へのやる気を示すシグナルとして管理者と労働者双方で理解されていた可能性もあろう。恒常的な所定外労働による所得が家計の恒常所得に算入されていた面もあるかも知れない。
最後に,時間外労働の割増賃金率についてみると,日本では実態としてほとんどが法定割増賃金率である25%程度にとどまっているのに対し,諸外国の中にはより高い水準になっている国もある。この結果,労働者の立場からみると所定外労働を行う誘因は低くなっていると思われるものの,経営者の立場からみると,追加的な労働量の投入を所定外労働によって行うことがコスト的に有利になっていることが指摘できる。
日本の雇用システムの中で,労働者の希望や意思が尊重され,努力や能力が十分報われているかどうかということも問題である。特に,日本の雇用システムでは,昇進が遅く,能力のある若年者に対し生産性をかなり下回る賃金が支払われていた場合も考えられ,また,中途採用者が不利になる場合が多いため,転職によって労働条件の良い職場に移るという選択が限定される可能性がある。従来に比べ将来の所得よりも現在の所得を重視するといった傾向にある若年者に対し,生産性に見合った賃金が払われるような職につく機会が閉ざされていたのではないか,また,企業内での配置転換は本人の適性や希望に合ったものなのかどうか,などが再考されるべきであろう。
しかしながら,最近,労働者の意識,雇用管理方式にやや変化の兆しがみられる。
まず,労働者側には,所得よりも自由時間を重視する動きが出ている。自由時間の選好状況(91年)をみると( 第3-3-8図① ),「収入増より労働時間が短くなる方が望ましい」とするものは全体の4割強,「労働時間が長くなっても収入が増えることが望ましい」とする者が全体の3割弱となっており,特に,20~24歳層で時短を望む者が5割強となる等,若年層で自由時間選好派が多い。また,91年の状況を86年の状況と比較するとすべての年齢層で自由時間選好派が増加し,所得選好派を上回っている。主要国の中で労働時間短縮が最も進んでいるドイツをみると,労働時間短縮は経済成長によって賃金水準が上昇し,自由時間選好が強まった50年代から70年代の前半に労働組合の時短運動を背景にかなり進展し,生産性の上昇が着実に時短に反映されてきた。このような意味で,労働者に時短選好派が増加してきている現在,日本にとって労働時間短縮を進める好機だといえる。
一方,企業側も終身雇用制や年功序列制にとらわれずに,能力中心に従業員を評価していこうとする動きがある。また,賃上げに際しても,労働力の確保・定着を重視し,若年層や新規学卒者を重視する傾向が鮮明になっている( 第3-3-8図② )。このような企業側の管理方針の変化も反映して,年齢別の賃金上昇率をみてもここ数年は若年層の賃金上昇が相対的に高くなっており,先でみた賃金の累進度(賃金プロファイルの傾き)( 第3-3-5図① )も80年代末はやや低下している。さらには,中途採用も活発化してきており,製造業において中途採用を行った事業所の割合は87年の35%から91年には66%へと上昇している(労働省「労働経済動向調査」)。
このような動きは,これまでの長い景気拡大による人手不足といった循環的な要因も影響していると思われ,すべてが雇用システムの根本的な変化とは考えにくいが,中長期的な労働力供給制約の高まりが日本の雇用システムを徐々に変えていく推進力になることは否めないであろう。