第3節 日本企業のIT活用と生産性

1 改善の余地がある日本企業のIT利用

 IT利用サービス産業にみられる日米労働生産性の上昇率格差

日本の労働生産性の上昇率に対する業種別の寄与度をアメリカと比較すると、IT製品を生産するIT関連の業種においては、最近ではむしろ生産性上昇への寄与度は高くなっており、日米間に大きな差はない。しかし、流通・運輸、金融・ビジネスサービスなどのIT利用サービス産業についてみると、アメリカでは2000年以降、全体の労働生産性上昇に大きく貢献している一方、日本ではこれら産業の寄与が小さくなっている。このように、我が国の労働生産性上昇率を向上させるためには、非製造業を中心にITをいかに有効活用していくかが課題であることが確認できる(第2-3-1図)。

2 企業におけるIT活用のメカニズムと労働生産性

 「部門」の「壁」を越えられない日本企業の情報ネットワーク

我が国がIT活用を生産性上昇につなげられていない背景には、特に企業部門で情報ネットワークを十分に活用できていないといった指摘がみられる。

例えば、情報ネットワークを活用している企業と活用していない企業との間の生産性格差をみると、情報ネットワークは、アメリカにおいては4.4%、日本において2.0%生産性を押し上げる効果があったという先行研究がある47

実際に日本企業は情報ネットワークをどの程度構築できているか、情報ネットワークの社内外への適用範囲を日米比較した調査によると、我が国の場合、企業の7割弱が情報システムを部門内で活用するにとどまっている。一方で、アメリカ企業の半分弱がIT活用を企業内最適若しくは企業間最適の状態にあるとしている。このように我が国においては、情報ネットワークの適用範囲が狭く、各事業部や工場ごとにシステムを作り上げていて、ITの活用段階において、言わば「部門」の「壁」を越えられていない状況が存在しているといえる(第2-3-2図)。

 中小企業や非製造業で限定的な情報ネットワークの広がり

個別企業のIT活用の実態とその労働生産性との関係を理解するため、情報ネットワークの適用範囲に関する別の調査結果をみると、担当部門内システムや部署横断的なシステムといった社内のみを適用範囲とするシステムとして構築する企業が6割弱と過半を占めている。また、企業規模別にみると、中小企業は大企業と比較して総じて情報ネットワークの適用範囲がより限定的である傾向がみられる(第2-3-3図(1))。さらに業種別にみると、非製造業は製造業に比べて情報ネットワークの適用範囲が限定的であり、ITの有効活用が遅れていることが分かる(第2-3-3図(2))。

コラム8 中小企業のIT活用の遅れ

中小企業の情報ネットワークの適用範囲をみると、大企業と比較して、部分最適にとどまっている企業の割合が高い(前掲第2-3-3図(1))。中小企業におけるIT活用の遅れについて、元橋(2007)は、(1)「ITを業務効率化のツールとして活用しているが、経営戦力を考える上での武器として考えていないパターン」と(2)「経営戦力上の武器として大規模システムを導入したが上手く使いこなせていないパターン」を挙げている。

一方、情報システム導入による経営改善効果の発現状況をみると、情報ネットワークの適用範囲に広がりがみられるほど、「業務面」(業務革新、業務効率化につながったかどうか)よりも、「業績面」(売上げ又は収益改善につながったかどうか)、「顧客面」(顧客満足度の向上、新規顧客の開拓につながったかどうか)において経営効果があったと回答した企業の割合が高まっている48

こうした結果からも中小企業の生産性向上のためには、上記(1)のパターンにみられる業務効率化のツールとしてのIT導入にとどまるのではなく、ITを経営戦力上のツールとして社外に広げて活用していくことが望まれる。例えば、不特定多数の企業間ネットワークを前提としたシステム構築により取引先への多品種少量の生産や販売を可能にしたり、開発環境において同業者間で技術者のノウハウを広く共有化して共同開発を行うことなど、高い付加価値を生み出し、生産性を高めていくための利用方法である。こうしたITの有効活用に向けては、中小企業の情報リテラシー(情報を活用する創造的能力)の向上がまず求められるが、それと同時に組織を超えた情報共有を促進していくに当たって、企業間のネットワーク化や情報インフラ基盤の標準化を進めていくことも重要である。

 情報ネットワークの広がりは労働生産性の上昇に貢献

実際に企業による情報ネットワークの全体最適化が生産性上昇という数値にも表れているのかどうか、企業規模と産業をコントロールした上で説明変数として資本装備率を加えて定量的な評価を試みたところ49、情報ネットワークの適用範囲の広さと労働生産性との関係が10%水準で統計的に有意となった(第2-3-4表付注2-5)。このことから、IT活用の全体最適化が進むことで、労働生産性が高まるという影響が若干は表れていることが確認できる。

ただし、企業の情報ネットワークの適用範囲の広さと労働生産性との関係が10%水準でしか有意にならなかった要因として、情報ネットワークの質が考慮されていないことが考えられる。情報ネットワークの適用範囲を社内外に広げて全体最適にすることはITの有効活用の第一ステップであり、そこから更に進めてITを有効活用して生産性上昇につながるように、情報ネットワークの質を高めていくことが重要と考えられる。そこで、以下では、情報ネットワークの質に注目して、各企業のIT活用の取組との関係をみていくこととする。

 経営戦略とIT戦略を結び付けるCIOの役割

企業が抱える本質的な経営課題を解決するため、IT戦略は経営戦略と一体不可分であるとの考え方が企業の共通認識として聞かれて久しい。情報ネットワークの質を高め、生産性を上昇させるためには、単純にITシステムを導入するだけでなく、企業がそれぞれ経営環境を認識した上で目指すべき姿と現状の差を埋めるべく、経営指針や目標に基づいたITの導入・活用が重要となってくる。この経営戦略とIT戦略を結び付ける橋渡しの役割を担っているのがCIOである。CIOとは、最高情報責任者又はIT担当役員と訳され、経営の立場から戦略的な情報化を推進するとともに、情報化の観点から経営を支える役割を果たすとされている。

アメリカにおいては、このCIOの存在の重要性が早くから認識され、1990年代後半から大学においてCIO育成カリキュラムが組まれるなど、優秀なCIOの育成に取り組んできており、その卒業生が各界で活躍している。アメリカでは、CIOが経営戦略の策定にも深くかかわっており自由に決断できる立場にあり、CIOが経営戦略に基づくIT活用の観点から広範な情報共有ネットワークを運営するとともに、ITを活用した大規模な組織改革と業務プロセスの改善に成功している例50がみられる。このことからも、情報ネットワークの適用範囲や情報ネットワークの質向上にCIOが鍵となる役割を果たしていることが確認される。

一方、我が国においては、専任のCIOがいる企業の割合が極めて少ない(CIOが存在する企業は全体の37%、専任のCIOが存在する企業は全体の4%)51。また、日々のトラブル、情報セキュリティ問題などの対応に忙殺され、経営戦略と情報戦略の橋渡しといった全社的な視点での舵取りをする能力を持っているCIOがいまだ少ない可能性がある。

 CIOの設置の有無と情報ネットワークの適用範囲

情報ネットワークの適用範囲を社内外に広げ全体最適化することが、生産性上昇のための第一ステップであることは先述した。そこで、CIOがいる日本企業が情報ネットワークの全体最適化を達成できているかについて、IT投資評価の実施状況を含めて関係をみてみた52。ちなみにCIOの設置状況別にIT投資評価の実施状況をみると、CIOを設置している企業の方が、未設置企業よりもIT投資評価を実施している割合が高い(第2-3-5図(1))。また、業種別にみると、非製造業が製造業よりもIT投資評価を実施している割合が低いことが分かる(第2-3-5図(2))。

次に、情報ネットワークの適用範囲に対するCIOの存在及び質の影響をみた。推計結果をみると、情報ネットワークの適用範囲の広さと、CIOの設置(有)及びIT投資評価(有)との関係について1%水準で統計的に有意となり、IT投資評価を実施している質の高いCIOは情報ネットワークを全体最適で活用しており、ITを有効活用した生産性向上のための第一ステップがクリアできていることが分かった。これに対し、CIOの設置(無)及びIT投資評価(有)の場合は、情報ネットワークの適用範囲の広がりに正の影響を与えているものの、統計的に有意な結果は得られず、CIOが存在することがITの全体最適化において一定の役割を果たしていることが推測できる。つまり、IT投資評価を実施し、IT戦略と経営戦略を合致させようと努めているCIOがいる企業の方が、情報ネットワークの適用範囲が広く、ITの活用段階が進んでいるといえる(第2-3-6表付注2-5)。

 質の高いCIOによるIT有効活用は労働生産性上昇に影響

それでは更に進んでこのようにIT投資評価を実施しているCIOのいる企業とそうでないCIOのいる企業が、情報ネットワークを有効活用して実際に労働生産性を向上させているかをみてみる。

第2-3-4表と同様に、推計を行なった結果、IT投資評価を実施している質の高いCIOが、生産性の向上に資するような情報ネットワークの構築に対して影響していることが分かった。一方、CIOが単にいるだけで、IT投資評価を実施しておらず、情報ネットワークの適用範囲が狭い企業は労働生産性に対してむしろ負の影響がみられる結果となった(第2-3-7表付注2-5)。

このように、IT投資評価を実施しているような質の高いCIOが存在し、情報ネットワークを全体最適で活用している企業では、労働生産性を上昇させている一方で、それ以外の企業では、IT活用が必ずしも労働生産性上昇に結び付いていない結果となっている。

3 IT活用と企業内組織

 IT活用の効果と企業内組織の関係

IT活用を労働生産性上昇につなげられていない背景として、ITを有効活用するための企業の組織改革が遅れているとの指摘がみられる。

アメリカにおける研究では、IT投資が生産性を上げるための企業組織の性質として、(1)企業の業務プロセスがデジタル化されていること(少なくともペーパーレス化されていること)、(2)意思決定の分権化が進んでおり現場に権限が委譲されていること、(3)情報の共有や交換が進んでいること、(4)従業員に対して能力給など業績にリンクしたインセンティヴ・システムが導入されていること、(5)人的資本への投資が活発であること、などが挙げられている53

これに対して、日本における研究の中には、アメリカにおけるITと組織のフラット化を日本企業にそのまま適用できるかどうかについては、詳細な検討が必要であるとの見解がみられる。その理由としては、企業内における権限関係や職務分担が明確化しているアメリカ企業においては、ITによる企業経営のシステム化は比較的容易であるのに対して、日本企業の場合、内部の職務内容や権限の範囲は明確でなく、IT化が進展しても社内の組織改革とのシナジー効果は限定的であること、また、日本企業の場合、実態的には意思決定における分権化が相当程度進んでいることが挙げられている54。さらに、実際に日本企業におけるIT活用による生産性の向上は、権限の分散化だけではなく集中化によっても達成されており、むしろIT活用による効果は、権限の分散化にせよ集中化にせよ、IT活用に適合した思い切った組織改革が進められるかどうかが鍵であるとの見方が存在しており、ITの有効活用と企業の組織改革の進捗度合いの関係が注目されている55

今回ITの有効活用が、IT投資評価を実施している質の高いCIOの下での適用範囲が広い情報ネットワーク構築のほかに、企業のどのような組織特性と結び付いているかどうかをみてみた。これによると、権限の分権化や集中化といった組織特性よりも、「各種経営指標の継続的なモニタリングに基づいて経営戦略を策定している」と回答した企業、すなわち、経営の現状把握と経営課題の明確化に不断に努めている企業が質の高い情報ネットワークの下で、生産性を高めている結果となった(付表2-7付注2-5)。

 IT活用と雇用者数の増減

一般にIT化の進展は、定型的・反復的な作業を代替することで、高いスキルレベルの労働需要を相対的に増加させる一方で、低いスキルレベルの労働需要を低下させる働きを持つと考えられている(Skill Biased Technical Change)。この場合、内部労働市場中心の日本の雇用システムがIT導入による柔軟な組織改革の足かせとなっている一方で、IT化が進んでいる企業においても、リストラによって生産性上昇を図る企業が中心となっており、全社的なビジネスプロセスの最適化や積極的な事業拡大につなげている企業はごくわずかであるとの見方もある56

しかしながら、今回、情報システムの適用範囲と雇用者数の増減の関係をみたところ、いずれも雇用者数が減少しており、統計的には有意とならなかった。また、IT投資評価を実施している質の高いCIOがいる企業の情報ネットワークの活用は、労働生産性を上昇させているものの、雇用者は減少しており、業務の効率化やリストラによって生産性が確保されている一方、IT強化に対する組織的な取組が経営戦略と結び付いて、労働生産性の上昇と雇用規模の拡大という両面を実現する望ましい姿にまで至っているわけではないことが確認される(第2-3-8図)。

コラム9 「知識創造経営」からみた情報ネットワークの質

なぜ日本企業が情報ネットワークを活用できていないかについて、元橋(2005)では、「組織IQ調査」57の結果から、日本企業は総じて「暗黙知」の取扱いに秀でているものの「形式知」の扱いは苦手である点を指摘している。「組織IQ」とは、「情報調整系」と「資源調整系」という二つの調整系からなっており、組織の能力を測定したものである。「情報調整系」には、「外部情報認識(顧客、競合、技術などに対する情報感度)」、「内部知識発信(情報(知識)共有と組織学習)」及び「効果的な意思決定機構(垂直(階層・組織横断))」という三つの尺度がある。また、同じく「資源調整系」には、「組織フォーカス(戦略、インセンティヴなどによる資源集中やベクトルがあっているか)」と「目標化された知識創造(イノベーションを促進したり社内企業を支援する環境ができているか)」という二つの尺度がある。

「組織IQ調査」によると我が国企業は、「情報調整系」の中でも、「内部知識発信(情報(知識)共有と組織学習)」が著しく低い。また、組織横断的な活動が弱く、組織学習も十分機能していないため、情報(知識)による資源や組織の調整がボトルネックとなっていることが分かる。一方、「資源調整系」を構成する「組織フォーカス」と「知識創造」の両要素は高く、戦略を明確化し、組織のベクトルを合わせることに優れていた。なお、従来、日本企業の知識共有は人事交流や頻繁に行われるミーティングなど、水平的な調整が活発に行われることが指摘されてきているが、「組織IQ調査」によると、「経営者層(トップ)」及び「中間管理職(ミドル)」は、情報(知識)を共有することよりも、組織のベクトルを合わせ、知識創造に貢献していることが分かる(コラム9図)。

この調査からは、我が国企業は、情報(知識)共有によらない、「暗黙知」を用いた創意工夫による「知識創造」において優れているものの、情報(知識)の共有は得意としておらず、IT革命によって効率化された「形式知」の共有や流通という恩恵を十分に受けているとはいえなさそうだ。企業が、更なるイノベーションを生み出していくためには、蓄積された「暗黙知」を「形式知」として表出化させ、さらに、その「形式知」を連結化させることで、新たな知識を創造する58という循環を生み出していくことが必要であろう。この「知識創造スパイラル」を可能とさせる情報ネットワークこそが質の高い情報ネットワークであり、生産性上昇のために求められるといえそうだ。

コラム9図 階層別我が国企業の「組織IQ」