第2章 第1節 知識・技能の向上と労働市場

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第1章 世界経済の現況 第2章 知識・技能の向上と労働市場
第1節 第2節 第3節 第4節 第5節 第6節 第1節 第2節 第3節
概観 アメリカ 欧州 アジア 金融・商品 IT アメリカ 欧州 アジア

第2章 知識・技能の向上と労働市場

<第2章のポイント>

[人的能力向上を促す柔軟な労働市場]

アメリカの労働市場では、リストラクチャリングによる雇用調整が行われ、柔軟性がさらに高まっている。活発な労働移動に支えられてIT革命が進展し、ITによる雇用代替とIT労働者に対する需要の高まりといった変化がもたらされている。こうした柔軟な労働市場の下で個人、企業、政府が労働者の知識・技能を向上させるために積極的に取組んできたことは、好調なアメリカ経済を支える要因の一つとして働いたと考えられる。

[雇用の質的向上を通じた失業の解消]

ヨーロッパの労働市場では、その硬直性がしばしば指摘されてきたが、変化が始まっている。EU諸国では構造的失業の問題を解決するために就業能力(エンプロイヤビリティ)の向上が着目されている。企業は職業訓練を増加させるようになっている。EU諸国政府は労働力の質の向上を目的とした政策に重点を置くようになっている。

[経済危機と労働市場の柔軟性]

アジアの労働市場では、アジア通貨・金融危機の影響によって、程度の差こそあれ失業率が高まるとともに、労働市場のあり方を変える圧力が加わった。韓国では危機前よりも雇用の流動性が高まったとみられる。シンガポールでは労働需給のミスマッチの解消のみならず、次代の経済発展に向けて個々人の就業能力向上や人材の確保が重要となっている。労働市場改革を進めてきたオーストラリアでは構造失業率が近年低下してきている。

グローバル化やIT革命の進展に伴い、企業は、雇用コストの削減を迫られる一方で、より高度な知識・技能を有する労働者を求めている。労働者は、多様な就業形態を選ぶことができるようになる一方で、就業機会を拡大し所得を向上させるために知識・技能をどのように高めるかという問題に直面している。各国の政府は、雇用を拡大するとともに経済発展を支える高度な人材確保の必要に迫られている。このように知識・技能の向上は、個人や個別企業にとっても経済政策の上からも極めて重要な課題になっている。

こうした状況を踏まえて、労働市場のあり方を見直すことが必要となっている。本章の各節で各国・地域の事例について検討した結果、重要と考えられることは以下の通りである。

アメリカの労働市場は、こうした状況の変化に素早く適応している。リストラクチャリングによる雇用調整が行われ、雇用の流動性がさらに高まっている。活発な労働移動に支えられてIT産業の創出が進展し、ITによる雇用代替とIT労働者に対する需要の高まりが生じている。雇用の流動を前提とした企業と労働者との新たな協調関係の構築が進められ、政府は人的能力向上を目指した政策を推進している。このように産業構造の変化に柔軟に対応できる労働市場が形成されたことは経済発展を促していると考えられる。

ヨーロッパの労働市場では、アメリカ経済の目覚しい成果に刺激を受けつつも、独自の展開がみられる。EU諸国では構造的失業の問題解決を図る上で就業能力(エンプロイヤビリティ)の向上が重視されている。企業は職業訓練を増加させるようになっている。EU諸国政府は労働力の質的向上を目的とした政策に重点を置くようになっている。この結果、労働市場の硬直性に変化がみられ始めている。

アジアの労働市場では、アジア通貨・金融危機の影響によって、程度の差こそあれ失業率が高まるとともに、労働市場のあり方を変える圧力が加わった。韓国では危機前よりも雇用の流動性が高まったとみられる。シンガポールでは労働需給のミスマッチの解消のみならず、次代の経済発展に向けて個々人の就業能力向上や人材確保が重要となっている。労働市場改革を進めてきたオーストラリアでは構造失業率が近年低下してきている。

第1節 人的能力向上を促す柔軟な労働市場(アメリカの場合)

アメリカ経済は、歴史的な低失業率の下で長期的な景気拡大を継続しており、IT利用の分野でも世界をリードしている。このような好調さを支えてきた要因の一つとして、柔軟性を増した労働市場の下で、産業構造の変化に柔軟に対応しつつ、先進的な技術の導入やそのための人材育成を実現してきたことが考えられる。

アメリカでは、グローバル化の進展や技術革新、規制緩和等を通じて競争が激化するなかで、企業のリストラクチャリングによる大幅な雇用調整が行われた。また、市場メカニズムを通じた労働資源配分が活発になるなかで、個々の労働者の生産性に応じた賃金決定が行われるようになった。この結果、産業間、企業間で労働移動が活発になったことが、新たな産業の創出に伴う労働需要の増加に迅速かつ容易に対応することを可能としたと考えられる。

近年ではすさまじい勢いでIT革命が進展しており、雇用の質的な変化がもたらされている。ITに関連する職種が伸びる一方で、低レベルのスキルがITに代替されるなど、労働者に求められる知識・技能の質が変化し、また企業組織のフラット化やSOHO等の新たな就業形態の出現等、企業内の組織形態や労働者の働き方にも大きな変革を促している。さらに、インターネットを活用した求職・求人サイトの普及等により、労働者と企業間のマッチング機能の大幅な向上にも寄与している。

柔軟な労働市場において、労働者がより賃金が高く安定した雇用を確保するとともに、IT革命による効果を十分に発揮するために、労働者の人的能力向上の必要性が高まっている。これまでアメリカでは、個人、企業および政府が個人の人的能力の向上に着目した取組を進めてきており、その結果が90年代における好調なアメリカ経済を支える要因として寄与している可能性がある。

そこで、本節では、まず、(1)アメリカにおいてどのようにして柔軟性の高い労働市場が形成されてきたか、(2)近年のIT革命の進展はどのような雇用の質的変化をもたらしたか、(3)柔軟な労働市場の下で、個人、企業及び政府はどのような人的能力向上に向けた取組を行ったのか、について検討する。

1 柔軟性の高い労働市場の形成

アメリカの労働市場は、従来から他の先進諸国と比較して柔軟であると指摘されてきたが、近年、さらに柔軟性を増している。労働市場の柔軟性を高めた要因として、グローバル化の進展や技術革新、規制緩和等を通じた経済の構造的な変化が挙げられる。すなわち、国内及び国際市場において、安価な海外製品や新規参入企業との競合が厳しくなったことから、競争に勝ち抜くために産業競争力の強化や経営効率化が求められるようになり、雇用の面でも柔軟で迅速な対応が必要とされた。以下ではまず、アメリカにおいて、雇用を取り巻く環境の変化からより柔軟な労働市場が形成されるに至った過程についてみることにしたい。

(企業のリストラクチャリング)

アメリカでは、資本市場において機関投資家による企業株式の大口所有が増加し、株主による企業経営への影響力が高まったことから、収益性を重視した企業経営や企業合併・吸収(M&A)が行われていた。グローバル化の進展で競争が激化し、企業を取り囲む経営環境が厳しくなるにしたがって、企業は収益性を確保するために、コスト削減と生産効率の上昇、品質やサービスの改善を目的とするリストラクチャリングに着手した。その際には、製造業などの大企業を中心に不採算部門からの撤退が行われ、ダウンサイジング(減量経営)により効率的な企業経営が指向された。特に、90年代前半には、大手大企業による大規模な人員削減が相次いで行われた(例えばIBMが6万人規模、ボーイングが3万人規模の雇用調整を行ったことは有名である)。

これがリストラクチャリングと呼ばれるのは、収益が改善した後の再雇用を前提とした一時的なレイオフではなく、M&Aや事業の統廃合に伴い職場そのものが消滅するからであり、永久的なレイオフが増加する傾向がみられた(第2-1-1図)。また、経営効率化のために黒字の企業であっても人員を削減するところがあったのも従来の雇用調整との違いである。

第2-1-1 図 レイオフに占める永久レイオフの割合

ダウンサイジングによる雇用調整の特徴は、これまで長期雇用が保証されていたホワイトカラー層も対象としたことであるが、一律に調整が行われたというわけではない。ホワイトカラーの部門別雇用者数の推移をみると、技術・販売・事務補助職では、90年前後に明らかな減少がみられ、その後もしばしば減少している。また、92年から98年の間、ホワイトカラー全体の雇用者数の伸びを一貫して下回っている。他方で、経営・管理・専門職は、同じ時期に大幅に増加している(第2-1-2図)。このことは、必要な人材を確保する一方で、企業に温存されてきた比較的低スキルのホワイトカラー層の過剰雇用が市場に放出されたことを示唆する。

第2-1-2 図 ホワイトカラー雇用者数の推移

多くの企業はダウンサイジングと並行して、本業ないし強い競争力を持つ分野に経営資源を集中させるため、従来会社内で行われていた様々な業務を外部の企業に委託する、アウトソーシングを行った。外部委託された業務は、秘書事務、給与・税金計算など総務的な事務、採用・人事といった業務をはじめとして、販売、研究開発、製造に至るまで広範な範囲に及んだ。

アウトソーシングが進展した結果、事務系の業務の割合が減少し、経営・管理職、専門職などのより高度な知識・技能を要する業務の割合が増加している。同時に、外部委託される業務の受け皿となる企業向けサービス業が飛躍的に拡大した。企業向けサービス業の雇用者数をみると、80年から2000年で2,564万人から9,570万人と3.7倍になっている(第2-1-3表)。なかでも、人材派遣サービスとコンピュータ・情報処理の伸びが高くなっており(95~2000年でそれぞれ、年率8.5%、12.0%)、ITによる業務の標準化が外部委託を容易にした面がうかがえる。

第2-1-3 表 企業向けサービス雇用者の推移

業務の外部委託によって、賃金コストの負担を軽減させるとともに、より高付加価値な業務に焦点を当てることが可能となったことから、企業経営の効率化につながっている。国際競争の影響を大きく受けた製造業においては、経営効率化を目指したアウトソーシングが積極的に進められた。これまでは必ずしも生産性が高いとは限らないコア業務以外のサービス関連業務の労働者にも比較的高い賃金を支払う傾向がみられていたが、リストラクチャリングの過程で、このような業務を外部委託したほか、安価な労働力を求めて生産拠点の海外移転を行った。その結果、製造業における就業者数は減少し、製造業の労働生産性が向上したとともに、製造業からサービス業への産業間における労働移動が活発化した(第2-1-4図)。

第2-1-4 図 製造業と全産業(非農業)の労働生産性比較

このように、リストラクチャリングは、これまでの長期雇用慣行を後退させたこと、過剰雇用の産業間・職業間移動を引き起こす圧力となったことを通じて、労働市場における市場メカニズムの機能を強めるきっかけになったと考えられる。

(知識・技能に応じた賃金形成)

リストラクチャリングによって、企業のニーズに見合った知識・技能を持たない労働者は解雇された。こうして、労働者の知識や技能などに基づいて労働力の産業間・職業間での再配置が進む過程で、賃金形成も市場メカニズムによって決定される傾向が強まり、賃金格差が拡大することとなった。

1979年~99年にかけてのフルタイム労働者の100分位別平均実質賃金(週当り)の格差をみると、男女とも10分位に対する90分位の賃金格差が大きく拡大している一方、90分位対50分位、50分位対10分位はともに格差は大きく拡大しておらず、低賃金労働者と高賃金労働者の賃金格差が広がっている(第2-1-5図)。

第2-1-5 図 100分位別賃金の推移

第2-1-5 図 100分位別賃金の推移

賃金が労働者の知識・技能に応じて柔軟に変動することを通じて、労働力の再配置を促している。離職した労働者の再就職後の賃金の変化をみると、離職前の賃金と比べて賃金が下落する労働者と上昇する労働者はほぼ同程度の割合となっていることから、賃金決定の柔軟性がうかがえる。また、所得階級別に産業別・職業別雇用者数の変動をみると、高所得職種と低所得職種の雇用者が大幅に増加しており、所得水準からみた職種の二極分化が起こったことが分かる(第2-1-6図)。高所得職種では、サービス業における専門職、経営・管理職が増加し、低所得職種では、サービス業でサービス職、事務補助職、小売業で販売職、サービス職が増加している。

第2-1-6 図 職種構造の二極分化の動向

労働者の持つ知識・技能に応じて賃金水準が決まる傾向が強まったことは、労働者の学歴別にみた賃金水準の格差にも表れている。まず、大卒以上の学歴を有する労働者と大卒未満の労働者の実質賃金を比較してみると、その賃金格差はこれまで拡大する傾向で推移してきた。教育レベル別週当り賃金をみると、男性は、大卒者の賃金は順調に上昇している一方で、大卒未満では減少傾向にある。女性は、大卒者の賃金は上昇しているものの、大卒未満の賃金は横ばいである(第2-1-7図)。このように男性、女性ともに大卒者とそれ以外での賃金格差が広がっている。しかし、95年以降は、労働市場のひっ迫によって労働者全体に賃金上昇傾向がみられるなかで、大卒未満の賃金も上昇するようになったが、大卒者との格差は開いたままである。

第2-1-7 図 学歴別週当り賃金の推移

このような学歴による格差は、学歴ごとに就職する職種の違いにおいて顕著に表れている。大卒以上の学歴を持つ労働者が多く占める職種は、主に経営・管理職、専門職といったより高度な知識・技能を要する職種であり、一方で、大卒未満の学歴しか持たない労働者が多く占める職種は、機械職・組立工、精密工・修理工、農林水産職といった近年雇用者数の減少がみられる職種やより低賃金のサービス職となっている(第2-1-8図)。このことから、高校における教育水準と労働市場において求められる知識・技能の水準との間にギャップが拡大していることが考えられる。

第2-1-8 図 職種ごとの学歴構成(1998年)

(雇用の流動化)

企業経営の刷新が進むなかで、長期雇用保障等の雇用慣行が改められ、長期間同じ企業に継続して働く労働者の割合が傾向的に減少している。80年代以降における労働者の中位勤続年数の推移を年齢別にみると、いずれの年齢層でも勤続年数が短縮しているが、特に中年層における短縮が大きい(第2-1-9図)。これは、80年代以降のリストラクチャリングの影響が、レイオフされやすい若年層のみならず全年齢層まで広がったことを示している。

第2-1-9 図 中位勤続年数の推移(男性)

勤労期間の短縮だけではなく、企業はフルタイムで働く正規労働者を様々な就業形態をもつ非正規労働者に置き換える方策をとった。非正規労働者はフルタイムで働く正規労働者に比べて雇用保障の程度が低く、雇用期間が最初から限られるケースもあるため、企業側はこのような労働者を雇用することによって、急速に変化する経営環境に柔軟に対応すべく長期の固定コストをある程度回避することが可能となった。また、労働者側にも、自ら好んで非正規労働者となる者もいる。パートタイマー労働者数の推移をみてみると、フルタイムの職がないなどの非自発的理由でのパートタイマーは景気の動きと連動して推移し、93年以降減少しているのに対し、個人的な理由で自発的にパートタイマーとして働く人の数は景気変動にほとんど影響されずに増加し続けている(第2-1-10図)。

第2-1-10図 パートタイマー労働者の推移

このような雇用形態の変化とともに、人材派遣業の成長は、柔軟かつより効率的な労働資源配分を可能としていると考えられる。人材派遣業は、80年代以降大企業のリストラクチャリングが進むなか、事務補助等の業務を外部委託することから広がったが、90年代に入ってからは高度な技術を持った専門家や管理者も派遣するようになり、派遣労働者を使用する企業の需要ともマッチして著しく成長している。

制度面でも、労働者が企業を移っても年金や医療保険の権利を失わず、ポータビリティが保証されるようになった。78年の401(k)プラン(確定拠出型年金制度)の導入や、96年の医療保険の改革などがその例であり、このような制度の整備は円滑な労働移動に質するものであったといえる。

労働者にとっては失業しても次の職をみつけやすい環境となっていると考えられる。平均失業期間の推移をみると、90年代前半にいったん増加したが、その後は、93年の19週間から2000年に入って12週間台へと減少している(第2-1-11図)。このような状況の下で、労働者は自らの知識・技能を頼りに転職を行い雇用を継続していく傾向がみられる。アメリカ労働省が1978年から98年にかけて行った調査によると、18歳から34歳の間に就く職の数は平均で9.2回であった。内訳をみると、転職数は女性より男性が多く、黒人より白人が多くなっており、比較的高所得者層の方が、転職の回数が多いことがうかがえる。また、学歴別にみると、高卒者が平均8.7回と比較的転職数が少ないのに対し、大卒以上の高学歴層は平均9.7回と、同期間により多くの職に就いている。このことから、比較的高い教育水準を持つ労働者が、積極的に転職を行いキャリアアップを図っていることが示唆される。特に、学歴による差は男性より女性、白人より黒人の方が顕著である(第2-1-12図)。

第2-1-11図 平均失業期間の推移

第2-1-12図 18歳から34歳までの間に就く職業の数

(新たな成長に寄与した雇用環境)

80年代後半からのレイオフ不安と失業率の推移をみると、両者はほぼ同じ動きをしてきたが、92年から96年にかけては失業率が低下しているにも関わらずレイオフ不安は高まっている。これは、景気拡大が続き、労働市場がひっ迫するなかでも、企業は必要ならば雇用調整を行うという姿勢を雇用者に示してきた結果といえる(第2-1-13図)。

第2-1-13図 レイオフ懸念と失業率の推移

同期間における雇用の純増減率をみると、1人以上19人以下の小企業における雇用増加率が最も大きく、企業規模が大きくなるにつれて増加率が低下し、特に財生産部門では、500人以上の大企業における雇用は減少している。これは、大企業においてリストラクチャリングが進み、レイオフが行われる一方で、中小企業や新規設立企業等がこの時期に放出された労働力を吸収しながら成長を続けてきたことを示唆している。雇用創出と雇用喪失に分けてみると、雇用喪失はどの産業、どの企業規模においてもさほど格差がないのに対し、雇用創出は産業および企業規模によってばらつきがあり、財生産部門とIT産業において小企業で大きな雇用創出がみられている。特に、IT産業においては、開業による雇用創出が大きな伸びを示している(第2-1-14図)。

第2-1-14図 企業規模別雇用創出・喪失(1992~96年)

アメリカでは、企業における雇用形態の変化、知識・技能に応じた賃金形成等が生じた結果、労働移動が活発になった。リストラクチャリングや廃業による雇用喪失も決して小さくはないが、それを上回る雇用創出が小企業を中心として生み出された。このことを他面からみれば、アメリカの労働市場の柔軟性が高まったことが、賃金格差の拡大などの影響がある一方で、開業や事業拡大に伴う労働需要の高まりに対して迅速かつ容易に対応することを可能にし、IT産業等の新たな産業の成長を支えてきたといえる。

2 IT導入による雇用の質的変化

IT革命が進展するなかで、企業はITをその経済活動に本格的に導入するため、IT投資を急拡大するのみならず、求める労働者の知識・技能の質を大きく変えた。さらにITは、高速で密度の高い情報の収集伝達を可能としたことから、企業組織の再編成や労働者の働き方の多様化を促した。アメリカ経済がそのように変化することを容易にした要因の一つは、柔軟な労働市場が形成されていたことである。先にみたように、アメリカでは企業のリストラクチャリングや雇用の流動化が進行していたことが、企業経営へのIT導入やオールドエコノミーからニューエコノミーへの労働者の移動等を支えたと考えられる。本節では、アメリカにおけるIT導入による雇用の質的な変化について検討する。

(ITの普及とIT産業の躍進)

近年、ITは驚くべきスピードで、かつ広範囲にアメリカの経済社会に普及し、その在り方を大きく変化させている。家計におけるパソコンの普及率をみると、これまでの家電製品等の普及率の拡大とは比較にならないほどのスピードで伸びている()。インターネット・ユーザー数も大幅に増加しており、それにともなって電子商取引の普及も進んでいる。一方で、企業はITを導入することによって、生産、流通、販売等の企業活動を効率化させるとともに、ネット上での大多数の消費者との取引等を可能にさせたことから、時間とコストの大幅な削減に成功し、新しいビジネス機会を開拓している。このように、すでにITは経済社会に必要不可欠な要素として成長しており、アメリカの雇用にも大きなインパクトを与えていると考えられる。

IT革命の進展のなかで、コンピュータのハードウェア・ソフトウェア、通信機器・サービス等を生産するIT産業が大きく躍進している。IT産業のアメリカ経済におけるシェアは、93年には6%であったが、99年には8%以上に上昇しており()、88~98年のIT産業全体の成長率は年率平均10.5%と高い伸びを示した。業種別にみると、ハードウェアは17.7%、ソフトウェア・サービスは11.0%、通信機器は5.3%、通信サービスは4.2%であった。また、88~98年の間におけるIT産業における雇用は年率2.4%成長し、非農業雇用者数の1.8%を上回った()。なかでも、情報関連業務のアウトソーシングの拡大を受けてソフトウェア・サービスの雇用増が9.0%と大きいが、一方でハードウェアや通信機器の雇用の伸びはマイナスとなっている。

(企業によるIT投資と労働投入の変化)

企業はIT投資を積極的に行い、企業活動におけるIT活用を進めた。こうした背景には、労働コストと比較してIT資本の価格が低下したため、労働をIT資本で代替させるインセンティブが働いたことが考えられる。IT生産産業の商品価格の上昇率をみると、94年には▲1.4%であったのが、95年には▲4.5%と低下ペースが加速し、さらに96~98年は平均▲8%で低下している。一方で、雇用コスト指数の推移をみると、90年代後半は伸びは比較的緩やかであったものの約3%で上昇しており、最近では労働需給のひっ迫を受けて伸び率が高まっている。

労働とIT資本の相対価格を説明変数にもつ雇用関数によって、IT投資による雇用代替効果を推計した。90年代の景気拡大期における雇用者数の増減を80年代の景気拡大期と比較すると、全体の雇用者数の増加にはそれほど大きく違いがないが、IT関連の資本価格の低下が著しく、IT投資による雇用代替効果は2倍以上に拡大している。他方で、IT投資の増加によって、IT産業の成長に伴う雇用者の増加や、ITを利用して知識生産型業務を行うIT労働者の増加といった雇用創出効果もあると考えられるが、そうした雇用増は、GDP成長による雇用創出効果の中に含まれている(第2-1-15表)。

第2-1-15表 雇用増減要因比較

(職種でみる雇用創出と代替)

職業構造をみると、IT導入によって業務プロセスが大幅に組み替えられた結果、事務労働等の比較的知識・技能を要しない職業分野では労働がITに代替される一方で、ITを活用した知識生産型の業務が増加している。コンピュータの普及と職業構造の推移をみると、企業活動においてコンピュータを使用するケースが増大するにしたがって、事務職の雇用全体に占める割合が減少し、他方で、経営・管理職、専門職の割合は増加している(第2-1-16図)。また、IT労働者()とIT資本の関係を見ると、IT資本ストック比率が高い産業ほどIT労働者のシェアも高い傾向がみられることから、IT労働者についてはIT資本と補完的関係にあることが分かる(第2-1-17図)。

第2-1-16図 コンピュータの普及と雇用構造の変化

第2-1-17図 IT労働者のシェアとITストック比率

より詳細な職業構造について83~98年の推移をみると、IT労働者であるシステムアナリスト、コンピュータ科学者・技術者は年平均11.8%、プログラマーは2.2%と増加したが、事務系職業であるコンピュータ・オペレーターは▲3.1%、秘書は▲1.9%、タイピストは▲2.9%と減少した(第2-1-18図)。プログラマーの増加率が他のIT労働者に比べて低くなっている理由としては、単純なコード入力作業を人件費の安い海外へアウトソースしたり、コード入力のオートメーション化が進んだこと、コンピュータ科学者など他の肩書きのものがプログラミングも行っていること等が考えられる()。

第2-1-18図 職種別の労働者数の推移

(IT労働者の現状と課題)

IT労働者はその雇用者数が拡大しているだけでなく、賃金が高いことも特徴の一つである。週当たりの賃金を中央値で比較すると、システムアナリスト、コンピュータ科学者・技術者は1,008ドル、プログラマーは898ドルと労働者平均の549ドルを大きく上回っている。IT労働者は教育水準も高い。IT労働者の67%が4年制大学卒以上の教育を受けており、高卒以下は6%を占めるに過ぎない()。

もう一つの特徴はIT労働者に占める女性の割合が少ないことである。経済全体における女性労働者の割合は47%であるのに対し、IT労働者の場合は29%と非常に低くなっている。IT労働者不足を解消する一手段として、これまで以上にIT分野における女性の活用を進めることが考えられる。

IT投資ブームによってIT労働者の需要は非常に高まっており、その現在及び将来における供給不足が大きな懸念材料となっている。アメリカ情報技術協会の調査によると、2000年において84万人以上のIT労働者が不足している。アメリカ労働省の雇用予測によると、IT労働者の需要は2008年には約389万人と1998年の1.8倍近くになると予想されている(第2-1-19図)。特に、IT関連サービスのアウトソーシングの高まり等により、サービス部門でのIT労働者需要の増大が予想されている。産業別にIT労働者が占める割合をみると、データ処理サービスが41.4%、テレグラフ通信サービスが15.3%と非常に高くなっており、2008年にはその割合がそれぞれ49.7%、19.2%に拡大すると推計されている(第2-1-20表)。

第2-1-19図 IT労働者の需要予測

第2-1-20表 IT労働者集約産業ランキング

IT労働者の需給が極めてひっ迫していることは、IT労働者の賃金上昇率の高さと失業率の低さにも表われている。98~99年の賃金の上昇率は、全雇用者平均が5.0%であるのに対し、システムアナリスト、コンピュータ技術者・科学者は5.9%、プログラマーは6.5%といずれも上回っている。IT労働者の失業率をみると、全体の失業率よりもかなり低くなっている(第2-1-21図)。

第2-1-21図 IT労働者の失業率

(IT導入による企業組織の変容)

企業の組織管理・経営にITを導入することにより、一人の人間の業務処理能力を向上させ、情報の交換・共有が容易になったことから、企業組織をよりフラットな構造へと変化させる傾向がみられた。全米経営協会のアンケート調査によると調査対象の企業のうち中間管理職を新規に雇用したのは8.8%であったが、雇用の削減を行ったのは16.3%であった。管理職についても同様の傾向がみられる(第2-1-22表)。雇用削減後の業務運営の対応については、他の従業員に業務を移した企業が17.4%と最も多くなっている(第2-1-23表)。これらのことから、個人の業務処理能力が向上したことと企業内の組織において中間管理職や管理職を減少させたことによって、階層的なラインを形成して行ってきた業務体制を見直し、よりフラットな業務体制へと移行させた企業が多かったと考えられる。

第2-1-22表 新規雇用・削減動向

第2-1-23表 雇用削減後の企業の対応

実際にIT導入による組織変革を行った企業の例としては、米ABB(旧コンバスチョン・エンジニアリング)がある。コンバスチョンは伝統的な組織形態の企業であったが、欧州最大の重電メーカーABBによって買収された際に、大幅な人員削減を行った。その手段として(1)ピラミッド型組織をフラット化すべく事業単位を小さなチームに分割、(2)ネットワーク導入による情報の共有化、等を実施した()。また、組織を細かな単位にすることで、どの部門が社内に必要で、どの部門が外部委託できるかを区分した()。このようなIT導入による企業組織変革に伴う外部委託の需要の高まりは、前述したソフトウェア・サービスの雇用増にも現れている。また、米大手調査会社IDC(International Data Corporation)の調査によると、アメリカにおけるアウトソーシングの市場規模は99年の560億ドルから2004年には870億ドルに増加すると予想されている()。 このようにITを導入するに当たっては、それと並行して企業の組織改革を進めることが生産性を高める上で極めて重要である。ある分析によると、IT投資と組織変革を同時に行っている企業は、どちらも行っていない企業よりも約7%生産的であるという結果が得られている(10)。

(IT導入による就業形態の変化)

ITを活用することによって、企業組織から離れて働くことが可能となったことや、専門的・技術的な業務の外部委託が進んだこと等によって、就業形態が変化しつつあり、労働者の「集団帰属」から「個人」への移行を促進している。国際テレワーク協会によれば、1999年現在、全米で1,960万人以上の人がテレワーカーとして働いており、全米経営協会のアンケート調査によると何らかの形でテレワーク(在宅勤務)を行う人は全回答者の17%となっている(第2-1-24図)。また、企業と長期雇用契約を結ぶ正社員ではなく、臨時的もしくは特定の業務に対して企業と契約を結ぶ就業形態(インディペンデント・コントラクター、オン・コール・ワーカー、派遣労働者、アウトソーシング労働者)が増えており、全雇用者に占める割合は、99年2月時点で9.3%となっている。特に、IT労働者等の専門技術を有する労働者の間で、企業に縛られない自由な働き方を好む傾向が強まったこともあり、この就業形態を選択する動きが多くみられる。こうした動きは、需給がひっ迫しているIT労働者需要に柔軟に対応することを可能にしている。企業が新たにIT関連事業を立ち上げる際に、IT労働者を正社員として独自に採用・育成するよりも、IT関連のインディペンデント・コントラクターやアウトソーシング労働者に任せるほうが、大幅なコスト削減になるといわれている。

第2-1-24図 テレワークの現状

(労働市場のマッチング機能の向上)

情報化によって、労働市場における求職活動のあり方も大きく変化している。インターネット上の求人・求職サイトを活用することにより、求職者は従来と比べてより簡単に短時間で自分に合った職業を見つけることが可能となり、企業側も低コストで採用活動ができるようになっている。こうした求人・求職サイト整備への取り組みは政府、民間ともに盛んに行われており、既に1,000以上のサイトが存在している。アメリカ労働省が設置しているAmerica's Job Bankというサイトでは求職者向けには140万の求人情報を、人材を求めている企業向けには245万人の求職者を紹介しており、キーワード検索等によって希望の職または人材を探すことができる。民間サイトにも様々なものがあり、本格的にネット上で求人求職情報の提供を行っている大手民間サイト(11)では、ハイテク技術者やMBA(経営学修士号)を要する経営管理層など比較的専門性が高く給与水準の高い求人情報を中心に提供しており、公共職業安定機関から集まる情報を基にしているアメリカ労働省サイトとすみ分けを行っている。別の民間サイトでは、単に希望に合った職を検索する機能だけでなく、効果的な履歴書の書き方や面接で好印象を与えるための方法、賃金交渉の方法等に関する情報を提供し、求職活動を支援している(12)。こうして企業の求人情報、個人の求職情報が流通し企業と労働者間のアクセス機会が大幅に拡大したことや、インターネットを利用した効果的な採用及び就職活動を行うことが可能となったことが、マッチング機能の向上につながったと考えられる。

3 個人、企業、政府の取組と知識・技能の向上

アメリカにおいて、柔軟な労働市場が形成されたこと、さらにIT革命が急速に浸透したことは、産業間・企業間の労働移動を活発化させ、労働者に求められる知識・技能の質を高めることとなった。その意味では、労働者はより高度な知識・技能を持てば、失業の危険を回避するばかりか、より高い収入を獲得しうることにつながる。一方で、労働者の有している知識・技能のレベルが企業の求めるレベルに到達していないという問題も指摘されている。例えば、全米経営協会の調査レポートによれば、労働者の基本的な技術力が不足していると答えた企業の割合は年々増加している。しかし、このことは、労働者の質が落ちているのではなく、労働市場においてより高い知識・技能が求められるようになったためとされている。

アメリカでは、雇用を取り巻く環境の変化に対応して、個人、企業そして政府などが、労働者の知識・技能を向上させるために積極的に取り組んできた。そのことが最近の好調なアメリカ経済を支える要因の一つとして働いてきたと考えられる。以下では、アメリカにおけるこのような労働の質を高める取組について概観し、それがアメリカ経済に与えた効果について検討することとする。

(高度な知識・技能の習得)

アメリカでは、教育水準が大きく向上し、高等教育を受ける人の割合が増加している。大学進学率は年々上昇しており、60年に45.1%だったものが98年には65.6%にまで高まっている。その背景には、大学教育を受けた者と受けていない者の所得格差が拡大したこと等によって、個人の大学進学意欲が高まったことがある。加えて、大学に進学したくても経済的に進学できなかった低所得者層に対して、単に経済的支援制度を提供するだけでなく、個人指導、進学要件や経済的支援に関するカウンセリング、情報提供等を含めた幅広い支援を政府が行っていること等も挙げられる。

大学進学率の上昇だけでなく、学位取得者も増加している。70年に110万人だった学位取得者は96年には164万人と約1.5倍に増加しており、専門性も年々高まっている(第2-1-25表)。学位別に見てみると、学士、修士、博士は、70年から96年で、それぞれ1.4倍、1.8倍、1.4倍となっている。コンピュータ科学、ビジネス関連、バイオテクノロジーといった実践的な分野での学位取得者数の増加が大きく、なかでもコンピュータ科学の学位取得者数は、70年代にはいずれの学位でも著しく増加した。80年代以降になると、学士取得者等は伸び悩んでいるか、減っているが、博士取得者は依然伸びが高い(最近のコンピュータ科学の学位取得者数については後に詳述する)。ビジネス関連は特に修士の伸びが高く、その背景にはビジネス・スクールでのMBA取得者の増加がある。バイオテクノロジーは80年代まではほとんど伸びていないが、90年代に入って伸びが急速に高まっている。このように、大学は、それぞれの経済社会の状況に対応して、個人の職業能力向上に一定の役割を果たしてきたと考えられる。

第2-1-25表 学科別学位取得者数の推移

(コミュニティ・カレッジの役割)

大学への進学者が増えたことのほか、コミュニティ・カレッジ等の地域に密着した教育機関が、これまで4年制大学に通うことができなかった若者や社会人に対して高等教育を提供していることも、高等教育へのアクセス拡大に大きな役割を果たしている。情報化やグローバル化が進展するなかで、必要とされる知識・技能が常に変化する社会においては、継続的に生涯にわたって教育を受けることが重要であるが、コミュニティ・カレッジはそのような生涯学習の場も提供している。

コミュニティ・カレッジは、元来は学士号を取得するために4年制大学に編入する足がかりとしての役割を担い、地域の経済発展と労働者養成を目的として設立された。その数は近年増加しており、今日では高等教育を提供するだけにとどまらず、職業訓練および成人教育などを含む幅広い講義科目を提供している。一般的に、(1)費用面で学生の負担が少なく、(2)自由入学のもとで開放されており、(3)授業形態が多種多様であるため、所得水準や年齢を問わず幅広い層の人々に対して、教育へのアクセスを提供している。授業時間についても柔軟で、日中だけではなく、夜間や休日にも授業がある。最近ではインターネットなどの遠隔通信を利用したカリキュラムを提供しているところもある。

コミュニティ・カレッジは、地元企業と提携して職業訓練プログラムを実施したり、技術開発を行うなど地域の社会経済と密接に結びついて有機的に発展しており、地元の活性化及び雇用促進に大きく貢献している。

(企業訓練にみられる変化)

企業による訓練は各種の教育・職業訓練の中でも、最も効率の高いものの一つと考えられるが、実際は企業と労働者の利害は必ずしも一致しないところがある。アメリカでは、労働移動が増加するなかで企業にとって核となる人材を確保するための人的資源管理手法が導入されている。この結果、個人の知識・技能向上に向けた取組は、個人の自助努力に加えて企業側からの教育・職業訓練の実施によっても支えられるようになっている。

企業からみれば、長期雇用を保証することによって核となる労働者層との協力関係を維持し、労働者がその企業で働く上で必要な知識・技能を習得するインセンティブを高めることを通じて労働の質の向上を図ってきた。ところが、グローバル化の下で、長期雇用を保証できない状況になると、労働者の企業に対する忠誠心は失われ、労働者自身が知識・技能を高めるインセンティブを阻害しかねない。そこで、企業は、質の高い人的資源を確保するため、流動的ではあっても企業と労働者の関係を良好に保つという観点から、労働者の市場評価を高めるような再教育や職業訓練を行うとともに、それに見合った賃金評価をすることに積極的な姿勢を示すようになっている(13)。特に近年では、労働市場がひっ迫し質の高い労働力の確保が困難な状況において、既存労働者や比較的低技能の新規労働者の知識・技能を伸ばすことが重要となっている。

(企業による職業訓練の対象と内容)

アメリカでは、ほとんどの労働者が企業による職業訓練を受けている。アメリカ労働省の調査によれば、調査対象となった労働者の約84%が訓練施設や教育機関等を活用した公式訓練を受け、約96%がOJT(On the Job Training)等の非公式訓練を受けたという結果が得られている(14)。

同じ調査に基づいて、公式訓練と非公式訓練にかけた時間の割合をみると、転職の回数が少ない労働者ほど、また勤続年数の長い労働者ほど公式訓練の割合が大きい傾向がある(第2-1-26表)。企業がよりコストのかかる公式訓練を行う際には、労働者との長期的な関係を見込んでおり、訓練による労働者の人的能力の向上が企業の生産性を高めることが期待されている。所得水準や教育水準の高い労働者ほど公式訓練を多く受けており、既により高い知識・技能をもつ労働者の方が公式訓練を受ける機会が与えられている。内容についてみると、職業に関係する能力については、コンピュータ操作やプログラミング等の訓練が公式訓練として最も多く行われており、製造や建設にかかる機械設備の操作等に関する訓練も行われている。読み書きなどのより一般的な能力についても訓練が実施されているが、その中ではコミュニケーション能力やチームワーク能力に関する訓練が公式訓練として行われている。

第2-1-26表 企業トレーニングの現状

このように企業内部だけではなく、外部の訓練施設や教育機関を活用した公式訓練が行われてきた背景には、企業に対して職業訓練サービスを提供する外部機関の存在が挙げられる。先にみたコミュニティ・カレッジは、労働者の再教育や職業訓練の場として重要な役割を果たしている。また、企業と大学の密接な連携のもとで効率的に技術者養成を行っているほか、ビジネス・スクールやロー・スクール等の大学院が専門的な職業能力の向上に寄与している。

(政府による教育・訓練促進の必要性)

人的能力を高めるための取組は、基本的には企業や労働者自身の自主的な意志と責任で行うべきものである。しかしながら、企業は、労働者に対する教育・訓練をできる限り直接的に企業収益に結びつくものにしたいと考えるため、必ずしもすべての労働者を対象に必要なだけの教育・訓練を行うことはしないかもしれない。一方、労働者は、自主的に教育・訓練を受けることによるメリットがどの程度生じるかが分からないため、人的能力を高める努力をしないかもしれない。このようなことから、労働者の知識・技能を高めるのに必要な資源の投入が不足する傾向があるため、アメリカ政府は教育・訓練を促進するための雇用政策を講じることにより、企業や労働者のインセンティブを高める必要性があるとしている。

(雇用政策における教育・訓練の位置付けの変遷)

アメリカの雇用政策は、教育改革や職業訓練の推進など人的能力の向上に着目したものに重心を移している。特に、クリントン政権は、発足当初から減税などマクロ政策重視の共和党レーガノミックスを、労働の質や情報通信を中心とするインフラの質を高めるといったミクロ政策重視に転換する政策を打ち出し、その一環として人的能力向上を目的とした積極的な雇用政策を推進した。こうした背景には、当時財政収支を均衡させることが大きな課題であったため、従来の給付金交付を中心とする福祉から、職業訓練により社会保障受給者の就職を促すといった雇用政策への転換が必要となったことがある。1996年8月に成立した「福祉改革法」では、社会保障給付期間に制限を設け、受給者に対して就職や職業訓練を義務付けた。

(教育の改革)

アメリカの労働市場では、より高い知識・技能が求められているが、現実には、新規採用者の有する技術水準、実務経験は相対的に低く、若年層の失業率は高い。また、学歴によって賃金格差が生じており、特に高等学校における教育レベルと企業が求める教育・技能レベルとの間にかい離が生じている可能性が指摘されている。このため、アメリカ政府は、教育の改善を最優先課題の一つに掲げ、初等中等教育の改善と高等教育へのアクセス拡大などに取り組んでいる。

初等中等教育の改善として、クリントン大統領は、州政府と地方政府が世界レベルの初等教育システムを構築し、維持することを支援するために、(1)高い教育基準の設定(15)、(2)「教育説明責任法」(Education Accountability Act)の制定(16)、(3)学生の到達度の向上を狙った投資の3つの行動計画を構想した。特に、学生の到達度の向上を狙った投資としては、最新のテクノロジーに学生がアクセスできるように、96年に「情報技術リテラシーへの挑戦」(The Technology Literacy Challenge)という計画に(1)全ての教室に最新のコンピュータを設置すること、(2)全ての教室をインターネットに接続すること、(3)良質の教育ソフトウェアの開発を促進すること、(4)テクノロジーを効果的に使うために教師を準備させることを目標として掲げたほか、少人数制の導入や教師のレベルアップ、放課後やサマープログラムでの集中的な学習の機会の提供等を打ち出した。また、この他にも障害を持つ学生に対する無料での公教育の提供や、学生の両親に公立学校選択の選択権を与えることによって公立学校の質の向上を図っている。

学歴によって賃金格差が生じており、特に高等教育を受けた人と受けていない人との賃金格差は大きく、個人がより高い収入を獲得し経済的地位の向上を図るためには、高等教育にアクセスし、知識・技能を高めることが不可欠となってきている。クリントン大統領は、高等教育により簡単にアクセスできるようにすることを公約し、コミュニティー・カレッジ、4年制大学へのアクセスを保証するプログラムを提案した。「学部プログラムに向けた早期の自覚と準備の獲得」(GEAR UP:Gaining Early Awareness and Readiness for Undergraduate Program)では、低所得家庭の生徒が高校以降の教育に向けて準備するのを支援しており、2000会計年度では2億ドル、2001会計年度では3億2500万ドルが計上された。高等教育を受けるための資金調達支援としては、奨学金プログラムや高等教育や生涯教育の費用に対する税額控除等を充実させている。

(職業訓練の推進)

失業している人に対しては、失業保険給付等の一時の生活保障的な対策だけでなく、就職できるだけの職業能力を身に付けることを支援する制度が必要であり、一方で、現在、職に就いている労働者に対してもスキルアップしていつでも異なる産業や職業へ転職が可能なように生涯に渡って学習するための支援を行う必要がある。職業訓練は民間部門と政府部門によって行われているが、企業の訓練は、主に労働者が現在の仕事を行うために必要な職業能力を養うものであり、必ずしも失業のリスクの高い層に重点が置かれているわけではない。一方、政府による訓練プログラムは、求職者、失業者が労働市場に参入できるような技術を身につけるための教育、経験等を与えるものである。

98年3月に制定された「労働力投資法」(WIA:Workforce Investment Act)は、既存の職業訓練プログラムを整備して、求職者等が自ら訓練を選択して職業技術の向上を図れるように、より利用しやすい職業訓練制度に改善することを目的としている。求職者や就業者に対しては良い仕事を探して維持するための訓練、情報、助言、求職支援を、雇用主に対しては熟練労働者の供給源を提供するシステムを合理化、再活性化した。インターネットを利用して雇用主、労働者双方が一か所で求人、求職を行えるワン・ストップ・センターを設置したり、訓練提供者の実績に関する情報などを提供することで労働者が訓練を選択できるようにしている。

(IT革命下における知識・技能の向上)

経済活動におけるIT導入が進むなかで、IT労働者の需要が急速に増加したためIT労働者の供給不足が懸念されているが、労働者の知識・技能を高めるための個人、企業及び政府の取り組みは、IT革命下において必要とされるIT労働者の育成にも寄与している。

IT労働者は、先に見たように教育水準が高く、67%が学士以上の学位を持っており、そのうちの半数近くがコンピュータ科学の学位を取得している。コンピュータ科学の学士レベルの学位取得者は、80年代後半から90年代初めにかけて減少し、それ以降横ばいで推移している。これは、企業が求めるニーズがコンピュータ理論に加えて経営管理などに関する知識・技能も求められるようになっており、大学で身につく知識・技能との間にミスマッチが生じていること等が主な原因と指摘されている。しかし、近年では再び、学士レベルのコンピュータ科学学科に入学するものが急速に増加している(第2-1-27図)。修士、博士レベルのコンピュータ科学の学位取得者数は80年代後半以降おおむね増加傾向で推移しており、IT労働者における専門化の進展がうかがわれる。IT労働者になるため、コンピュータ科学の他、それ以外の技術系・数学系の学位やビジネススクールで経営管理情報システム(Management Information System)等の知識・技能を習得したものもいる。

第2-1-27図 コンピュータ科学学位取得者の推移

IT労働者の育成に向けた教育は、大学以外にも、コミュニティ・カレッジにおけるIT関連の2年制準学士コースや民間のコンピュータ教育施設やインターネットによるコンピュータ能力養成講座が実施されている。コンピュータ科学の準学士取得者数は90年代着実に増加しており、コミュニティ・カレッジ等大学以外の機関もIT技能の向上に寄与してきている。

企業によるIT技能の訓練も実施されている。ITトレーニング市場の規模は、企業のIT訓練の外部委託が増加したことを受けて、1995年から2000年にかけて約8割以上拡大している。この背景には、IT労働者の需給がひっ迫するなかでIT労働者の転職指向が高まっており、企業が有能な人材を確保するためには、教育・訓練を提供するかわりにIT労働者との関係を保つことが重要となっていることがある。また、マイクロソフトやシスコシステムズのように積極的にIT技能の向上に取り組んでいる企業もある。

個人、企業の動きに対応して、政府においてもIT技能の向上に向けた取組を行っている(前掲第1-6-8表)。クリントン政権は、21世紀の経済社会における技術革新のための人的能力向上に積極的に取り組み、IT関連の情報提供システムの構築、教育環境の整備、教育訓練援助プログラムの充実等を実施している。

コラム IT技能向上に向けた取組例

IT労働者の供給不足を解消するために、既に数多くのIT技能向上に向けた取組が政府、教育機関、企業の協力の下に進められている。以下では取組の主な事例をみることとする。

  • 1.Go for IT!
    アメリカ商務省技術管理局のホームページ上では全米のIT労働関連プログラムのデータベース検索ができるようになっている(17)。教育、雇用、トレーニング等のカテゴリーを選択し、各個人の希望にあったプログラムを見つけることができる。例えば、企業は社員の技術トレーニングのためのプログラムを探すことができ、個人は奨学金や求人情報を得ることができる。
  • 2.テック・コープ
    教育環境にITを効率的に導入することによって、初等・中等教育を改善することを目的とした国の非営利団体で、現在全米42州とコロンビア特別区に支部がある。具体的には技術系企業からのボランティアを学校に派遣し、学校スタッフのトレーニング、授業での技術指導などによって教育システムに先端技術を導入するのを援助する。これまでに8,000人以上のボランティアが参加し、全米1,000校以上の学校に技術導入やトレーニングを行った。
  • 3.マイクロソフト社によるマイクロソフト認定資格制度
    マイクロソフト社では、約1,900の訓練施設や約1,000の教育機関と提携して様々なトレーニングを提供するとともに、IT技能資格に関する認定資格制度(Microsoft Certified Professional Program)を独自に設定しており、過去4年間で25万人以上の人がマイクロソフトのIT技能資格を獲得している(18)。
  • 4.シスコ社によるネットワーキング・アカデミー・プログラム
    全280時間のカリキュラムで、ネットワーク設計・構築・維持に関する授業をインターネットによって行う。主に高校、カレッジで利用されている。需要の高い技能の訓練をするための現場主義・プロジェクト指向を特色としている。2000年9月現在、世界84ヶ国、5,000以上のアカデミーがあり、2000年の夏にはアカデミーの卒業生は10,000人になるという。

脚注

  • 1 熊坂有三「情報技術革新とは何か」経済セミナー1999年11月号、P60の表1.2によると国民の25%に浸透するまでの年数はテレビが26年かかったのに対し、パソコンは16年、インターネットは7年である。
  • 2 アメリカ商務省「ディジタル・エコノミー2」、P31
  • 3 米国労働省"Employment Projection"より計算。ただし「ディジタル・エコノミー2」でIT産業として定義されているもののうちコンピュータ機器卸売・小売及びパッケージソフト卸売・小売を除く。
  • 4 アメリカ労働省は、コンピュータ・サイエンティスト、コンピュータ・エンジニア、システム・アナリスト、コンピュータ・プログラマーの4職種をコアIT労働者と定義している。本節でもこの定義を採用した。
  • 5 アメリカ商務省"The Digital Work Force:Building Infotech Skills at the Speed of Innovation"、p27
  • 6 アメリカ商務省"The Digital Work Force:Building Infotech Skills at the Speed of Innovation"、p33
  • 7 関口和一「生産性、スピード向上へ組織転換が必要」、日本経済研究センター会報2000.9.15
  • 8 the Cyberspace, NIKKEI NET,http//www.nikkei.co.jp/ss/cyber/imterview7.html
  • 9 http://www.idc.com/Services/press/PR/SV061300PR.stm
  • 10 "Information Technology, Workplace Organization and the Demand for Skilled Labor Firm Level Evidence" T. F. Bresnahan, E. Brynjolfsson, L.M.Hitt(1999)
  • 11 民間サイトとしては、キャリアモザイク、モンスターボードの2社が最大手とされている。
  • 12 Career Builder社のmegajobsearch( http://it.careerbuilder.com)
  • 13 日本経営者団体連盟「エンプロイアビリティの確立をめざして」(平成11年4月)
  • 14 「公式訓練」とは、カリキュラムに応じて、指導員、トレーニングセンター、教育機関等により実施されるもので、授業、講義、セミナー、研修、視聴覚講義等が含まれる。「非公式訓練」とは、あらかじめ決まった形式はなく、状況や個人に合わせて実施されるもので、同僚や上司による仕事に関連する能力の講習(OJT)等が含まれる。
  • 15 テストの実施、成績通知表の公表により学校の実績評価を行う。しかし、詳細な公的評価システムを利用しているのは、今のところ19州とわずかである。
  • 16 州と学区は、連邦財政資金を受け取る際には説明責任措置に従うことが要求される。基準に満たない学校を特定し、それらの学校を好転させるために効果的な投資を行う、慢性的に実績が停滞している学校の再編成あるいは閉校、優秀な教師を雇用し、その教師が専門分野を教えられるように配置する、学校の成績通知表を公開する、学生支援を行うなどの対応を行うことも要求される。
  • 17 http://www.go4it.gov
  • 18 アメリカ商務省“The Digital Work Force:Building Infotech Skills at the Speed of Innovation”、p40
第1章 世界経済の現況 第2章 知識・技能の向上と労働市場
第1節 第2節 第3節 第4節 第5節 第6節 第1節 第2節 第3節
概観 アメリカ 欧州 アジア 金融・商品 IT アメリカ 欧州 アジア

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