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第1章 長期金利上昇の要因と物価連動債の役割

第2節 財政面からみた長期金利

 本節では、財政赤字と長期金利の関係について理論的な側面から考察した後、財政赤字が長期金利に与える影響に関する実証分析を紹介する。また、国債市場の特徴について国際比較を行う。

1.財政赤字と長期金利の関係

●理論面からみた財政赤字と長期金利の関係
 長期金利と財政赤字の関係について理論的な側面から考えてみる。ケインズ経済学によると、国債発行による財政支出の増加は国民所得を増加させる。国民所得の増加は取引需要を活発化させ、それに伴い資金需要が増加する。そのため、市中の資金需給がひっ迫し、金利が上昇すると考えられる。
 他方、財政赤字は金利上昇をもたらさないという見解も存在する。第一は、マンデル=フレミングモデルが示唆するように、変動為替相場制のもとでは、金利の上昇により国際資本が流入し、金利が国際的に決定される水準からかい離しないという考え方である。しかし、現実には各国間で金利差は存在しており、現実には国際資本移動は完全とはいえず、マンデル=フレミングモデルの前提は成り立たなくなる。
 第二は、財政赤字が拡大した場合に、例えば、それが将来における増税によって賄われると家計が考える場合には、将来の増税に備えて貯蓄を増加させるという考え方がある(リカードの中立命題)。しかし、いくつかの実証分析によれば、リカードの中立命題が完全に成り立つというわけではないことが示されている(9)
 つまり、財政赤字による資金需要増を外国からの資本流入や家計部門の貯蓄増によって完全に調達することは難しいと考えられるので、財政赤字拡大により、金利は上昇すると考えられる。
 国債市場を通じて長期金利が上昇するメカニズムは次のとおりである。財政収支が悪化し、国債が増発されて、国債の需給が緩和状態になった場合には、国債価格は低下するので、長期金利は上昇するであろう。さらに、国債の発行残高が増加し続けた場合に、国債購入者が、政府への信認を低下させ、返済や利払いが不可能になる危険性(リスク)が高いと考えると、このようなリスクを引き受けることに対して、より高い利回り(リスクプレミアム)を要求すると考えられる。この結果、財政赤字増加によるリスクが長期金利を上昇させることになる。
 
●主要国では財政赤字拡大は長期金利の上昇に
 次に、G7の財政収支と長期金利の関係を調べてみる。ここでは、長期金利の変動のうち短期金利の変動による影響を除去するため、財政収支と長短金利差の関係について85年以降の時系列の動向をみる。アメリカでは、財政赤字が拡大していた時期には長短金利差が拡大しており、財政収支が改善していた時期には長短金利差が縮小していたことが分かる(第1-2-1図)。このように財政赤字拡大は長期金利の上昇要因となっている。カナダ、イギリスでも同様の傾向がみてとれる。
 日本についても、97年までは財政赤字が拡大したときには長短金利差も拡大していたことが分かる。近年、日本において財政赤字が拡大しているにもかかわらず、金利が上昇していない理由については、井堀(2000)によれば、日本銀行による低金利政策の結果、金利が上昇しにくい状況にあること、金融市場における資金供給の過剰等が挙げられている。一方、大陸欧州については、アメリカ、イギリス、カナダほどには明確な関係はみられない。ただし、フランス、イタリアは、92年に調印されたマーストリヒト条約に定められている経済収れん条件を満たすために、財政赤字の削減を行い、あわせてイタリアでは長期金利が急速に低下したことから、財政赤字削減と金利低下が同時に進行する関係がみられる。
 また、CBO(アメリカ議会予算局)が発表している5年後の財政赤字のGDP比の見通しと長短金利差について、82年から2002年の間の両者の関係をみると、正の相関がみられる(Gale and Orszag [2003])。つまり、財政赤字のGDP比見通しが拡大したときには長短金利差が拡大していたといえる。
 このように、アメリカや日本、イギリス、カナダのデータからは、財政赤字、あるいは財政赤字見通しが拡大したときには長短金利差が拡大する傾向にあることが示されている。
 なお、2003年6月にアメリカの長期金利が急上昇したが、この金利の上昇は財政赤字拡大によるものというよりは、既に第1節で述べたように、景気回復期待やFedの金融政策に対する困惑、モーゲージ借換えの減少によるポートフォリオ調整等によるものであると考えられる。ただし、アメリカの財政赤字のGDP比は2002年度で1.5%であり、CBO(2003)によると2003年度には3.7%、2004年度には4.3%まで拡大すると見込まれており、長期的にはこのような財政赤字拡大が長期金利を上昇させる要因となる可能性はあり得ると思われる。
 
●GDP比1%の財政赤字拡大は長期金利を0.5%上昇
 アメリカにおいて財政赤字が長期金利に与える影響について、計量モデルや回帰分析等を用いた実証分析が数多く行われている(第1-2-2表)。
 それによれば、マクロ計量モデルを用いた研究からは、それぞれの前提等によって影響の大きさは異なるものの(10)、平均すれば、アメリカでは財政赤字のGDP比の1%ポイントの拡大は、長期金利を1年後に0.5%ポイント程度上昇させるという結果が得られている(Gale and Orszag [2003])。ただし、80年代に行われた研究と90年代に行われた研究を比較してみると、80年代に行われた研究では財政赤字のGDP比1%ポイントの増加が長期金利を約1%ポイント押し上げるのに対して、90年代に行われた研究からは長期金利を約0.4%ポイント押し上げる結果となっている。このことは、アメリカにおいては財政赤字の拡大が長期金利に与える影響は近年、小さくなってきていることを示唆していると考えられる。それぞれの計量モデルは様々な特徴をもっており、90年代に行われた分析における影響が小さくなっている原因については断定的なことはいえないが、そのような背景には、90年代に入り、国際資本移動が活発になっており、アメリカに証券投資等で海外から資本が流入していたことがあるのではないかと推測される。
 また、回帰分析を用いた研究のうち財政収支の見通し(期待)を取り入れた多くの研究において、アメリカの財政収支見通しが長期金利に影響を与えることが示されている。その影響の程度は、マクロ計量モデルを用いた場合の分析とおおむね同程度の結果が得られており、平均すれば、財政赤字のGDP比の1%ポイントの拡大は、長期金利を1年後に0.5%程度上昇させる結果となっている。
 アメリカにおいて財政赤字が長期金利に影響を与えないという結果が得られている実証分析もあるが、それらは長期金利を考えるうえで重要と考えられる期待を取り込んでいないことが多い。したがって、財政赤字は長期金利を上昇させるという考え方はアメリカにおける実証分析によって支持されているといってよいであろう。したがって、財政赤字拡大を通じたリスクプレミアムの上昇による長期金利上昇を防ぐためには、財政規律を守ることが必要である。

2.国債市場の国際比較

 財政赤字と長期金利の関係について、理論的な関係や実証分析から、財政赤字の拡大が長期金利に影響を与えることを確認した。財政赤字は国債の発行によって賄われるので、市場の流動性が高まれば、発行された国債が速やかに消化され、取引されることが可能になる。この意味で、国債市場の流動性は高いことが望ましい。特に、日本では財政赤字の拡大に伴い国債市場は金融・資本市場の中でも、極めて巨大な市場になっており、発行主体である政府は、市場メカニズムが十分に働くような国債市場のための環境整備及び国債管理政策が求められている。
 以下では日本、イギリス、アメリカの国債市場の特徴について、流動性等の観点から比較を行う。

●流動性の比較:日本の流動性は低い
 国際決済銀行(BIS [1999])に従い、ここでは「流動性の高い市場」を、「参加者が大口の取引を小さな価格変動で速やかに実行できる市場」と定義した上で、各国の国債市場の流動性について比較を行う。

(1)売買回転率
 まず、流動性を表す指標として売買回転率(売買高/発行残高)を取り上げる。国債市場において、売買高が大きければ国債の売買が容易となるため流動性は高く、売買高が小さければ流動性は低いといえる。ただし、売買高は、市場の規模を示す国債の発行残高に比例して大きくなるので、流動性を把握するための指標として売買回転率(売買高/発行残高)を用いる。井上(1999)によれば、97年時点で日本は6.9であり、イギリスの7.0と同程度であるものの、アメリカの22.0と比較すると低く、売買回転率の観点からは流動性が低いといえる。

(2)ビッド・アスク・スプレッド
 流動性を表す価格面からの指標として、ビッド・アスク・スプレッドを調べてみる。ビッド・アスク・スプレッドとは、市場で取引可能な最良の買い気配と売り気配の差であり、このスプレッドが小さいほど、市場流動性が高いと考えられる。例えば、井上(1999)によると97年時点で10年債のビッド・アスク・スプレッドは日本では額面に対して7.0ベーシスポイント(0.07%)と最も大きく、イギリスでは4.0ベーシスポイントであり、アメリカでは3.1ベーシスポイントと最も小さい(11)
 
 以上のような指標からは、日本の国債市場の流動性はアメリカやイギリスと比較して低いということができよう。

●国債保有者割合の比較:日本では政府部門の割合が高い
 日本の国債市場の流動性を低くしている要因として、一つには国債の保有者構成の政府部門への偏りが挙げられる。国債保有者割合は、日本では政府部門が国債発行残高の約4割を保有している(第1-2-3図)。それに対して、アメリカでは政府部門の保有割合は1割強、イギリスでは政府部門の保有割合が1割未満にすぎない。中央銀行を加えると、日本では約6割が公的部門の保有となっている。政府部門の保有割合が大きいことは、その長期保有の運用姿勢から、市場の発行残高の割に実際に流通する債券が少なくなり流動性を低下させる。家計の国債保有の割合は、日本では2%程度となっており、アメリカやイギリスと比較すると低い水準となっている。
 アメリカでは海外部門の保有割合が3割と高い。保有者が画一的であれば、市場変動要因への対応も画一化され、相場が振れやすくなるが、保有者が非居住者も含めて多様であれば、市場変動要因への対処が多様化し市場取引が結果的に安定することから、流動性を高めると考えられる。米国債は日本を始めとして非居住者の保有割合が高く、幅広い保有者の間で取引されることで流動性が高められていると考えられる(第1-2-4図)。2000年と2003年で米国債の各国の保有割合を比較すると、日本、イギリス、中国の上位3か国の割合はいずれも高まっている。
 イギリスの国債市場では民間金融機関の保有割合が7割以上を占めている。民間金融機関の保有割合が高いことは、政府部門と比較して活発に売買を行う市場参加者が多くなり、市場の流動性を高めると考えられる。

●発行年限の比較:日本では10年債が中心
 発行年限(国債が発行された時点での償還までの年数)ごとに国債発行残高をみると、日本では、10年債の発行残高が全体の約半分を占めているが、アメリカでは各発行年限で比較的均等に発行されている(第1-2-5図)。イギリスは残存ベースでみて、10年超の割合が高く、1年以下の割合が低い。
 国債の発行年限の種類数は、アメリカでは2002年以降、減少した。日本では99年以降、市場のニーズにあった年限の多様化が行われており、日本の国債発行年限の種類はアメリカ、イギリスよりも比較的多い(第1-2-6表)。発行年限が細かく分かれている場合、多様なニーズに応えることができ、投資家にとってポートフォリオ組成の対象としての魅力が増すという利点がある。一方で、結果的に同じ残存期間に対し、発行年限とクーポン水準の異なる複数の銘柄が多く存在することになり、ある残存期間に対する国債市場が細分化され、流動性にマイナスの影響を及ぼすと考えられる(12)
 また、長期金利に与える影響という観点から発行年限の在り方等、国債管理政策を考えることも重要であると考えられる。例えば、発行年限のバランスをとることによって、長期金利の上昇を抑制する効果が期待できる。

●主要国で発行されている物価連動債
 日本の国債市場のもう一つの特徴として、これまで物価連動債が発行されていなかったことが挙げられる。
 物価連動債とは元本がインフレ率に連動して動く債券で(第1-2-7図)、主要国ではアメリカ、イギリスのほか、カナダ、フランス等で発行されている(第1-2-8表)。このうち最も導入の早かったイギリス(1981年)では、国債発行残高の約25%(2003年3月時点)が物価連動債となっている。
 アメリカで物価連動債の導入が決定された際のルービン財務長官、サマーズ同副長官の発言(1996)や、マンキュー(Mankiw [2003])によれば、物価連動債は以下のようなメリットを持つ。

(1)投資家をインフレリスクから守ることができる
 特に年金資産の運用等、長期保有を前提にした投資家にとっては、インフレリスクの解消は非常に有益であり、また、多様な投資対象を提供することができる。
(2)借入コストの削減
 インフレリスクプレミアムについては補論で説明するとおり、予想外のインフレが起きた場合のリスクに対して要求される上乗せ金利である。物価連動債の場合、このリスクは存在しないため、その分借入コストを削減できる。
(3)財政規律の高まり
 政府には、インフレを起こして実質債務を縮減するというインセンティブが働くが、物価連動債の場合、インフレを起こせば償還コストの増大を招くため、財政規律が高まる。
(4)金融政策運営に貴重な情報をもたらす
 詳細は次節にて説明するが、市場の期待インフレ率をきめ細かに把握することが可能となることから、より適切な金融政策運営が期待できる。
 
 このようなメリットをもつ物価連動債は日本でも導入が決まり、初年度である2003年度は1,000億円の発行が予定されている。これは2003年度の国債発行予定額(市中発行分)の0.09%に相当する。景気動向等環境の違いがあるため単純な比較はできないが、アメリカでは、導入初年度の97年度には国債発行額の1.2%が物価連動債であった。十分な流通量が確保されない場合、流動性リスクプレミアム(補論参照)が増し、借入コストが増大するなど、上記メリットを十分に発現させることができなくなる。このため、市場メカニズムを通じた正常な価格形成が働くよう、今後、物価連動債市場の厚みが増し、さらなる活用が図られることが期待されるところである。日本ではデフレ脱却を目指した政策運営がなされているが、穏やかなインフレ状況においては物価連動債の機能がより有効になると期待される。
●日本における国債市場改革の進展
 日本はアメリカやイギリスと比較すると国債市場の流動性が低いと考えられるが、既に述べたように物価連動債が導入されるなど、日本の国債市場の改革が進んでいる。
 例えば、税制では98年度に有価証券取引税が廃止され、取引上のコスト負担がなくなり、市場の流動性が向上したと思われる。また、99年度には非居住者等非課税制度が導入され、2001年度、2002年度に適用対象が拡充された。さらに、2002年度に個人向け国債が導入された。これらの施策は国債市場参加者の多様化の推進に役立つものと考えられる。
 税制以外でも様々な改革が進んでおり、2001年度には国債のリオープン(即時銘柄統合)方式が導入された。リオープン方式とは既に発行された国債と同一条件の国債(元利払日と表面利率が同じ国債)を追加発行するものであり、これにより、発行規模が大きくなり、流動性の向上に寄与すると思われる。2002年度には、国債の元本と利子を分離して別々に取引ができ、再び統合することもできるストリップス債が導入された。ストリップス債の元本部分、利息部分が分離されるとそれぞれが割引債として流通することになり、多くの年限の割引債が流通することになる。したがって、ストリップス債は、投資家の様々なニーズに応えることができ、金融機関にとっては資産負債の総合管理という点で有効なものとなると考えられる。井上(1999)によれば、このような利点は、市場参加者の裾野を広げ、市場の流動性にも好影響を与える。
 このほかにも、2001年度には、入札日程の公表方式を変更し、常時翌3か月分が公表されるようになり、市場参加者の国債発行に関する予見可能性が高まったほか、2000年度から決済の即時グロス化(RTGS)の導入等、決済インフラの整備が進んでおり、2002年度には国債のペーパーレス化等を盛り込んだ「証券決済システム改革法」が成立した。
 このように日本の国債市場改革は、様々な観点から進展しており、市場の流動性が高まり、効率的な市場となることが期待される。


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