第3章 第3節 急速に悪化する東アジアの雇用情勢

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東アジアの労働市場を巡る情勢は,1997年に発生した通貨・金融危機以降大きく変化した。これまで高成長,低失業率を享受してきた東アジアも,危機後は低成長(あるいはマイナス成長),失業率の上昇に苦しめられている。それまでほとんど問題になっていなかった失業への対応が東アジア諸国にとって重要な政策課題になってきている。こうした変化を踏まえ,本節では東アジアの労働市場について取り上げる。

本節の構成は以下のとおりである。はじめに,東アジア9が国を対象に雇用や失業率の長期的推移をみることによって,従来の東アジア労働市場の特徴をつかむ。次に,東アジア各国の老齢年金給付,失業給付など労働者をとりまく制度などについて述べ,東アジアにおいてはこれらの制度がいまだ不十分であることを指摘する。さらに,これまで雇用の増加や低水準の失業率などからみられるように,比較的良好であったアジアの雇用情勢が,最近では通貨・金融危機の影響などによって急速に悪化してきていることを指摘する。最後に,雇用情勢の悪化に対して各国がどのような対策を講じているのかをみた後に,失業給付など社会保障制度整備の必要性について述べる。なおここでいう東アジアとは,インドネシア,タイ,マレイシア,フィリピン,韓国,台湾,香港,シンガポール,中国とする。

1 従来の東アジアの労働市場の特徴

東アジア9か国は,総人口16.4億人(世界全体の約30%),労働力人口8.5億人(同約32%)を擁しており,各国別にみると,就業者数が200万人に満たないシンガポールから,6.5億人の中国まで非常に多様な労働市場を抱えている(第3-3-1表)。ここでは,東アジアの労働市場を長期的にとらえ,特に97年7月のアジア通貨・金融危機発生以前に注目し,(1)東アジアの労働市場の動向と特徴,(2)東アジアの労働,雇用をめぐる諸制度についてみる。

(1) 東アジアの労働市場の動向と特徴

東アジアの70年代頃以降の労働市場をみると,各国とも雇用が増大し,失業率が低下を続けてきたことが分かる。

(雇用拡大を続けた東アジア)

東アジア各国では,70年代頃以降雇用が急速な拡大を続けてきた(第3-3-2図)。各国の就業者数の増加率(80年対97年:ただし中国96年)をみると,マレイシア73.3%増,シンガポール69.9%増,インドネシア68.9%増,フィリピン68.7%増,韓国53.8%増,中国53.8%増,台湾40.2%増,香港40.2%増,タイ36.8%増となっている。ちなみに日本は18.4%増,アメリカは27.5%増である。各国で労働市場の大きさが異なるため,雇用者数の増加のレベルは国により異なるが,人口が最も大きい中国では雇用者数が80年の4.2億人がら96年には6.5億人に急増している。中国ではこの16年間に雇用者数が2.3億人増加していることになり,これは,アジアNIEs4か国の総人口の約3倍に相当する大きさとなっている。

(低い失業率)

東アジアの失業率は,一部の国を除き80年代半ばに景気の悪化から一時上昇した時期を除いて低下を続けており,90年代に入ってからは2~3%台で推移している国が多い(第3-3-3図)。ほとんどの先進国はもとより,同程度の経済発展段階にある中南米諸国と比べても圧倒的に低くなっている。97年の失業率をみると,ブラジルは5.7%,チリは6.1%である。

ただし,国によっては統計の取り方に欧米などとの相違があることに注意を要する。例えば,中国の失業率は公式統計では3.1%(97年)であるが,中国の失業率統計では農村地域の失業者数がカウントされておらず,都市部のみを対象としたものとなっている。農村の余剰労働力は推計方法によりばらつきはあるものの,1億3,000万人程度とみられており,これを失業者に含めると失業率は約20%に達する。また,もとの企業との雇用関係を保ちつつ事実上解雇されている労働者(中国語では下崗)は,失業者としてカウントされない。下崗とは,企業に籍を置くものの,その企業では働かずに最低限の生活費を企業からもらい,再訓練を受け,再就職活動をする労働者のことをいう。中国では現在このような事実上解雇されている労働者は約1,100万人程度とみられており,これと農村の余剰労働力を失業者に含めると,失業率は約22%と推計される。

(東アジアの労働市場の特徴)

東アジアの労働市場を産業別,男女別,年齢別にみると,次のような特徴があることが分かる。まず産業別にみると,第一に,各国ともサービス業就業者数の増加が目立っている(第3-3-4図)。第二に,製造業就業者については,アジアNIEs4か国では90年代初頃より減少しているが,インドネシア,タイ,マレイシア,フィリピン,中国では,サービス業とともに依然として雇用吸収側となっている。第三に,第一や第二で挙げたように就業者は次第にサービス業や製造業ヘシフトしてきており,農業就業者数は総して減少しているが,フィリピン,タイ,インドネシア,中国では現在でも依然として農業就業者が就業者全体の約半数を占め,特にフイリピンでは農業就業者数が依然として増加を続けている(第3-3-5図)。

次に男女別にみると,第一に,労働力人口に占める女性の割合が増加している(第3-3-6図)。特にタイの女性の割合が高いのが際立っている。労働需給の逼迫しているアジアNIEs4か国だけでなく,インドネシア,71/イシア,フィリピンでも労働力人口に占める女性の割合は高まっている。さらに,女性の労働参加率も上昇している(第3-3-7図)。女性の年齢別の労働参加率をみると,韓国が30代前半に参加率が落ち込むいわゆるM字型カーブを描いているのに対し,その他の東アジアでは,そのような傾向がほとんどみられないことが分かる。第二に,台湾,香港,シンガポールでは男女で失業率にほとんど差がないが,フィリピン,韓国では男女間に開きがみられる(第3-3-8図)。フィリピンでは男性に比べて女性の失業率が約2%高くなっている。一方韓国では,フィリピンとは反対に男性の失業率が女性に比べて約1%高いが,徐々に失業率の男女の格差は縮小してきている。

最後にアジアNIEsの年齢別失業率の動向をみると,韓国,台湾では,総じて年齢が若い程失業率が高い傾向がみられる(第3-3-4図)。第二に,製造業就業者については,アジアNIEs4か国では90年代初頃より減少しているが,インドネシア,タイ,マレイシア,フィリピン,中国では,サービス業とともに依然として雇用吸収側となっている。第三に,第一や第二で挙げたように就業者は次第にサービス業や製造業ヘシフトしてきており,農業就業者数は総して減少しているが,フィリピン,タイ,インドネシア,中国では現在でも依然として農業就業者が就業者全体の約半数を占め,特にフイリピンでは農業就業者数が依然として増加を続けている(第3-3-9図)。しかし香港,シンガポールでは,日本と同様に50~59歳の年齢層の失業率が30~49歳に比べて高くなっており,高齢者にとって厳しい労働市場となっている。

(雇用が拡大した要因)

雇用が拡大を続け,失業率が低下してきた要因としては以下のことが考えられる。

第一に,経済が総じて持続的な高成長を遂げ,労働需要が増加を続けたことである(前掲第3-3-3図)。60年以降の東アジアの経済成長率(東アジア9力・国加重平均)をみると,60年代5.9%,70年代8.5%,80年代6.8%,90~97年7.1%となっている。これに対して中南米の経済成長率をみると,例えばメキシコは,60年代,70年代は平均して6%台半ばと比較的高い成長を遂げた。しかし,80年代は「失われた10年」といわれるように,80年代初期の債務危機がきっかけとなり,マイナス成長,失業者の急増,激しいインフレに見舞われ,結果として低い成長率にとどまった。また90年代は,94年末にメキシコが通貨危機に見舞われ,ブラジルでは90年代前半に激しいインフレが起こるなど,中南米の経済状況は総じて東アジアに比べて不安定であった。なお,フイリピンは80年代半ば(84年にIMFの支援受ける)及び90年代初の成長率が他の東アジアに比べて低くなっている。

第二に,労働力人口の伸びが鈍化したことである(第3-3-10図)。東アジア各国では労働力人口の伸びが90年代に入って急速に鈍化している。特に,中国,台湾,香港,シンガポール,タイで鈍化が著しい。一方インドネシア,マレイシア,フィリピンでは依然として労働力人口の伸びはあまり鈍化していない。東アジアで唯一フィリピンの高失業が続いているのは,労働力人口の伸びが依然として高く,一方で前述のように80年代以降経済成長率が総じて低いことが要因と考えられる。

(労働需給逼迫への対応)

東アジアの労働市場は,経済成長率の高まりとともに,これまで総じて人手不足の状況にあった。労働需給の逼迫は賃金の上昇率を高め,労働コストを上昇させ,競争力の低下につながる。そのため特に労働需給の逼迫の厳しい国では,(1)外国人労働者の採用,(2)パートタイム採用の拡大,(3)定年延長などにより対応してきた。また特に,中国,インドネシア,タイなど農業の就業割合が大きい国では,農村が労働者の供給元となっていた。

(1)外国人労働者の受入れについては,自国の労働者の雇用を守る観点から慎重な態度をとっている国が多い。しかし,深刻な労働力不足やコスト増大の問題を解決するために,80年代に入って各国で外国人労働者の受入れを緩和する動きがみられた。東アジアでは,ネットでみて外国人労働力の受入れ側となるのは韓国,台湾,香港,シンガポール,マレイシアであり,その他の国は主に労働力の出し手側となっている。外国人労働者の労働力人口に占める割合は,韓国,台湾では1~2%と小さいが,シンガポールでは20%程度,マレイシアでは不法滞在も含めると25%にものぼると言われている。

韓国では,高学歴化に伴う若年労働力の低下などから,80年代半ばより熟練労働者に限って外国人労働者の流入を許可している。96年末には外国人労働者が不法滞在も含めて約21万人おり,全労働力人口の1.O%を占めている。内訳をみると,中国からの流入者が40%を占めており,次いでフィリピン(全体の11.3%),バングラディシュ(同7.5%)の順となっている。

台湾では,台湾労働者の就業機会保護,社会秩序の維持などを理由に外国人労働者の採用は全面禁止の方針だったが,労働力不足のために89年から部分的に導入を認め,その後も条件を緩和しつつある。外国人労働者は96年に20.3万人おり,全労働力人口の2.2%を占めている。

香港でも,労働者不足に対応するため,89年から熟練技能労働者を,90年からは未熟練労働者についても採用を許可している。95年に,香港へ入国した外国人労働者は6.7万人おり,これは全労働者数の2.1%に相当している。95年に流入した外国人労働者のうち約50%が主にフィリピン出身のメイドとなっており,95年時点で約15.7万人の外国人メイドが就労している。

シンガポールでは,外国人労働者の数は増加を続け,96年には,35万人となり,労働力人口の約20%を占めている。なおシンガポール人の雇用を守るために,シンガポールの企業は外国人を雇った場合に,外国人雇用税が課せられることになっている。

マレイシアでは,外国人労働者は不法滞在も含めて170万人程度とみられており,労働力人口の約25%と極めて高い比率となっている。その中でもインドネシア出身者が最大となっている。シンガポール同様に,外国人を採用する企業には,外国人雇用税が課せられることになっている。

なお日本の状況をみると,97年に外国人労働者は約66万人と推計され,これは労働力人口の1.0%に相当している。

(2)パートタイム採用の拡大については,特に女性の労働市場への参加を促進し,労働需給の緩和にもつながることから,シンガポールやマレイシアなどでは最近になって積極的に進められている。シンガポールでは従来,労働時間の短いパートタイム労働者であっても,フルタイムと同様の待遇を与えることが企業に義務づけられていたが,雇用法の改正により(95年11月),労働時間に応じた年次休暇の付与など,企業にとってもパートタイム労働者の雇用が拡大しやすい制度が整えられつつある。パートタイムの全雇用者数に占める割合は,83年の2.3%から96年には3.4%に増加している。特に女性の増加幅が大きく,83年の3.6%から96年には5.5%となっている。しかし欧米諸国に比べると,今なお低い比率となっている(95年:アメリカ18.6%,日本20.1%)。マレイシアでも,パートタイム労働者の雇用拡大が,労働力不足への対応として重要な戦略と位置づけられており,第七次マレイシア・プラン(1996-2000年)にも盛り込まれている。

(3)定年延長については,労働需給の逼迫が深刻なシンガポールにおいて検討されている。現在の60歳定年を,最終的には67歳まで延長することが検討されているが,今のところ,99年1月より62歳定年制を実施することが決まっている。

(2) 不十分な東アジアの雇用,労働をめぐる諸制度

ここでは東アジア各国の雇用,労働をめぐる諸制度のうち,老齢年金給付,失業給付,最低賃金制度についてみる。

(不十分な労働者に対する老齢年金給付)

東アジア9か国の老齢年金給付制度をみると,おおまかに2つのタイプに分けることができる(付表4)。一つは老齢年金給付制度が所得の再分配機能をもち,社会保険の役割を果たしているタイプである。このタイプは,老齢年金給付の支払いも,所得比例や所得比例に定額をプラスしたものとなっている。東アジアでは,中国,韓国,フィリピンの制度がこれに相当する。もう一つは,積立金方式であり,このタイプではある年齢になれば,それまで積み立てていた金額が一時金として支払われることが多い。インドネシア,マレイシア,シンガポールの制度がこれに当たる。なお台湾では社会保険のタイプでありながら,給付は一時金で支払われる。また香港では,生活保護の意味合いが強く,給付額は定額制となっている。

東アジアでは,(1)年金制度への加入率が低いこと,(2)支給額が低いことが問題となっている。

なお,夕イでは老齢年金について98年12月に施行予定となっている。また香港では,老齢年金制度は企業のコストアップにつながるとの考えから加入が強制ではなかったが,99年から年金基金をもたない企業に対し,強制積立基金の導入を義務づけることが決定した(98年4月)。これにより,全労働者の70%に当たる220万人が新たに老齢年金制度に加入することになっている。

(ASEANでは失業給付がほとんどない)

失業給付をみると,東アジアでは中国,香港,韓国以外には実施されていない。また,中国は国有企業のみを対象としており,全就業者の20%以下しかカバーしていない。失業給付を行っている国は少なく,例えばアジア47か国のうち,老齢給付は45か国で実施されているのに対し,失業給付を実施している国は15か国と3割にすぎない(注1)。給付額をみると,韓国では,標準賃金の50%,給付期間は6か月となっている。また中国では,1年目は標準賃金の60~70%,2年目は50%となり,最大2年間支給される。

(最低賃金制)

東アジアでは,香港,シンガポール,マレイシアでは最低賃金制度を定めていないが,その他の国では定められている。しかし,タイ,インドネシア,フィリピンでは,最低賃金のレベルが低く,労働者の基礎的な生活を満たすことが難しい。例えばタイ(バンコク)では最低日額賃金は3.71米ドル(一殻労働者の賃金の約48%に相当),インドネシア(ジャカルタ)では月額15米ドル(同43%),フィリピン(マニラ)で゛は日額4.74米ドル(同57%)となっている。

2 通貨・金融危機以降急速に悪化する東アジアの雇用情勢

(1) 急速に悪化する東アジアの雇用情勢

(高まる失業率,低下する賃金)

東アジア各国の失業率は,97年末から98年に入って韓国,香港では急上昇しており,シンガポール,台湾でも徐々に高まってきている(第3-3-11図)。韓国の失業率は,97年12月の3.1%から98年8月には8.1%に上昇し,香港でも97年7~9月の2.2%から98年6~8月には5.0%へ高まっている。ASEAN,中国では,雇用関連のデータの発表が年ベース(インドネシア,マレイシア,中国),四半期(フィリピン),年2回(タイ:年によっては年3回)と制約があり,月ごとの動向をみることが難しくなっているが,いずれの国でも失業者が増大するなど雇用情勢は悪化しているとみられる。タイでは,失業率が97年2月の2.2%がら98年2月には4.6%となっており,フィリピンでは,失業率が97年4月の10.4%から98年4月には13.3%に上昇している。また,IlO(International Labour Organization)によれば,インドネシア,タイの98年の失業率は,それぞれ9~12%,約6%に達するとみている。

さらに,(1)韓国で常用雇用者数が減少する一方で家族労働者(familyworker)やパートタイム労働者の増加がみられること,(2)香港で失業者にカウントされない不完全就業者数の増加がみられること,(3)賃金動向をみると韓国で実質賃金上昇率が97年末以降マイナスとなっており,インドネシアでは98年8月に最低賃金が引上げられたが,その引上率が物価上昇率を大幅に下回るなど,各国で実質賃金上昇率の伸びが鈍化あるいはマイナスとなっていることなども特徴となっている(第3-3-12図)。

一般に,雇用は景気動向に遅れて変動すること,東アジア諸国の景気は依然として底を打っていないことを考え合わせると,東アジアの雇用情勢は今後更に悪化することが予想される。以下各国別に労働市場の現状をみてみよう。

(ASEAN各国の雇用情勢)

タイでは,失業者数が97年2月の69.8万人から98年2月には147.9万人と急速に増加している。タイでは,現在も農業の比重が高く,農村部に余剰労働力を吸収する余地があり,都市からの失業者のセーフティネットになっているともいわれている。しかし,都市部の失業者が前年に比べ102.9%増となった一方,農村部の失業者数も113.4%増とそれ以上に高まっていることから,農村の都市失業者の受皿としての機能は低下していると考えられ,今後,失業が更に増加することが懸念される。

インドネシアでは,急速な経済の悪化に伴い,失業者や不完全雇用者が急増しでいる。更に,インドネシアでは,農村でも過剰労働力の存在が指摘されており,都市での失業者が農村に帰ることもできず,貧困層が増加し,社会的問題が深刻化してきている。中央統計局によると,96年に約2干300万人(人口の約11%)だった貧困層は,98年6月末には約8千万人(人口の約39%)になったといわれている。

マレイシアでは,98年に入り求職者数が急増しており,98年1月の2.4万人から6月には3.4万人となっている。当初,マレイシア政府は,98年の失業率を3.5%(98年3月)と予測していたが,現在では6.4%にまで上昇すると予測している。しかし,製造業やサービス業を中心に解雇が増えている一方で,農業や一部の製造業では今なお人手不足が続いており,需給のミスマッチが生じている。また,正規の外国人労働者よりもマレイシア人が解雇の影響を大きく被っているといわれている。マレイシアでは,賃金が硬直的なため,賃金の引下げによって労働コストの低下を図ることが難しい。そのため,賃金のより高いマレイシア人の労働者を解雇せざるを得ない状況が生じていると思われる。

フィリピンでは,アジア通貨・金融危機の影響が比較的軽微であることから,98年も輸出の好調によってある程度の成長を維持することが見込まれており,高水準ではあるものの失業問題が急速に悪化することはないと思われる。

しかし,失業率は97年4月の10.4%から98年4月には13.3%に上昇しており,景気の鈍化の影響がみられている。また,フィリピンでは,従来海外出稼ぎが多く(96年4~9月期約90万人),その約40%が東アジアに行っている。現在,東アジアの多くの国では,景気悪化のため外国人労働者の受入れを見直しており,それらの労働者が帰国を余儀なくされることも考えられる。

(失業率が66年以来の高水準となった韓国)

韓国では,97年に入って起亜などの財閥グループの破綻が相次ぎ,さらに97年7月に通貨・金融危機が起こり,タイ,インドネシアに続いてIMF支援を要請する(97年11月)など,経済は大きな変動をみせている。景気の大幅な後退とともに,失業率も急上昇しており,97年12月の3.1%から,98年8月には8.1%に達し,1966年(失業率7.1%)以来の高水準となっている。失業者数は,98年8日には158万に達し,97年12月比で2.4倍となっている。また,形態別就業者数の推移をみると,就業者全体では97年11月から98年7月までに120万人減少したが,そのうちの84%(101万人)は正規雇用者の減少が占めている(第3-3-13表)。一方で,家族労働者は増加している。産業別にみると,自動車,金融部門からの失業者が多い。また賃金上昇率をみると,98年に入ってからは実質賃金の伸びがマイナスで推移しており,雇用の削減や賃金カットなど韓国の雇用情勢は非常に厳しくなっている。

また韓国では,98年9月以降大手財閥のリストラが本格化するとみられていることから,今後更に失業者が増大していくことが予想される。

(不完全就業者が増加する香港)

香港では,金融危機の影響による香港ドルの減価はみられなかったものの,ドルペッグ制を維持するために金利が上昇し,その結果株式・不動産価格が97年10月に急落した。その後,観光客の減少や,資産価格の下落から97年末より消費が大幅に減少し,デパートなど小売店の倒産が相次ぎ,多数の失業者が出た(第3-3-14図)。さらに,91年に始まった新空港建設プロジェクトが98年7月6日に第一次開港を迎え公共投資が一段落したため,建設部門の雇用吸収力も低下している。香港の失業率は,97年7~9月の2.2%をボトムに上昇に転じ,98年6~8月には5.0%に達している。ただし,失業者にはカウントされない不完全就業者数も増加しており,実態は,失業率統計以上に悪化していることも考えられる(第3-3-15図)。

また賃金動向をみると,実質賃金上昇率は次第に低下してきている。

(エレクロトニクス産業が不振のシンガポール)

シンガポールでは,レイオフが98年1~3月期に7,131人,4~6月には7,200人とさらに増加している。シンガポールの失業者の大半はエレクトロニクス関連の製造業労働者であり,エレクトロニクス製品が世界的に供給過剰に陥っていることなどが主な要因となっている。また競争力の維持のため,労働コストの一層の削減の必要性にせまられており,賃金上昇率の低下がみられる。

(国有企業改革等に伴い失業者が増大している中国)

中国では,国有企業改革の進展などに伴い,失業が大幅に増加しつつある。

97年の都市部の失業者数は570万人,都市部失業率は3.1%と国際的にみても低い水準となっていた。しかし,この数字には農村の余剰労働力や下崗が含まれていないという問題点がある。国務院発展研究センターは,下崗を失業者に含めて計算すると,97年の失業率は9.36%に達したと発表している(98年8月)。

これから試算すると,約1,150万人の下崗が存在していることになる。また,中国労働部によれば,農村の余剰労働力は1億3,000万人に達しており,これは農村の雇用者の約27%に相当している。国家発展計画委員会では,98年の都市部の失業率を3.5%に抑えることを目標としていたが,これ以上に悪化する可能性も高い。いずれにしても,98年に入って(1)景気の拡大テンポが鈍化していること,(2)国有企業の破産,人員削減などの改革が進められていることに伴い下崗が増大していることから,雇用情勢はかなり悪化しているとみられる。

また下崗は97年には1,100万人程度とみられていたが,98年には更に400万人程度増加するとみられている。

(雇用情勢悪化の要因)

97年半ば以降,東アジアの雇用情勢が悪化している要因としては以下の点が挙げられる。まず最大の理由は,いうまでもなく97年7月に起きた通貨・金融危機の影響で各国とも景気が低迷しているためである。

その他には,例えば中国では,これまで構造的な問題として潜在的に抱えていた国有企業の非効率性が顕在化し,リストラを進めなければ国際競争の中で生き残れない状況になり,企業内に抱えていた余剰人員の整理が行われ始めたためである。

また,韓国ではIMFプログラムに基づいて金融機関などの整理を行ったことや,労働市場における構造改革によって,整理解雇が認められるようになったことも影響している。

(2) 通貨・金融危機以降の雇用対策

97年末から急速に悪化した労働市場の改善を図るために,東アジア各国では様々な失業対策が行われている。以下では,東アジア各国が悪化した労働市場に対してとのような対策をとっているのかをみてみよう。

主なものとしては,(1)政府による直接の雇用,(2)外国人労働者の受入れや雇用の制限,(3)農村出身者の帰農の奨励となっているが,東アジアでは失業手当などの社会保障制度の整備を進め,失業者を救済するシステムを更に充実させることも重要である。

(ASEAN各国の取組)

タイでは,実体経済が悪化するなか,IMFへの趣意書においてもセーフティネットの強化が重要な位置づけとなっている。失業に対しては,1)公共事業,失業者の職業・技術訓練,地方の振興などによる雇用機会の創出,2)再訓練,カウンセリング,職業案内の機関の設立,3)98年10月から失業者に対する社会保障給付の期間を現状の6か月から12か月まで延長するなどの対策を表明している。また,社会投資計画(Social investment program)の一環として,12万人に対する職業訓練,小規模の地域雇用計画などを推進していく予定である。これらには,アジア開発銀行(3月に承認されたSocial Sector Loan),世界銀行(7月に承認されたSocial Investment Project Loan)による総額260億バーツの融資,120億バーツの財政支出があてられる予定である。また,自国民の雇用を確保するため,98年5月より不法外国人労働者の送還を行っている。

インドネシアでも,世界銀行やアジア開発銀行の支援により,雇用創出ブログラムを拡大することが表明されている。また,予算にも雇用創出のため,9兆6,800億ルピアが計上されている。

マレイシアでは,マレー人保護政策を強めており,サービス業,建設業で働く外国人労働者の就労許可証の更新打ち切りを決定している。さらに,人員削減を行う企業はまず外国人労働者から解雇することを義務づけることを盛り込んだ改正案を閣議提案する予定となっている。しかし,自国の労働者を守るため,外国人労働者の受入れを凍結すると同時に不法外国人労働者の送還を行なう一方で,インドネシアなど近隣の国々からの不法入国者は増大しており,大きな問題となっている。また,経済情勢の悪化にかんがみ98年7月に発表した「国家経済再生計画」の中でも,輸出型産業などへの投資拡大の奨励や建設プロジェクトの復活などをはじめとした雇用機会の拡大,大学卒業者の失業問題への対応策,外国人労働者の流入のコントロールなどの雇用問題への対策も盛り込んでいる。さらに,政府は,解雇の増加に対し,55年雇用法の改正(98年8月より発効)により労働慣行の柔軟化を促進,解雇者に対する500万リンギの再訓練プログラムを設けるなどしている。

(労働市場改革を進める韓国)

韓国は,97年11月にIMF支援対象国となり,IMFプログラムに基づき様々な構造改革を実施している。労働市場については,労働市場の柔軟性向上と失業対策が改革の柱となっている。具体的には,(1)整理解雇制の導入(98年2月施行),(2)失業給付の拡大(98年1月以降順次施行),(3)労働者派遣制度の導入(98年7月施行)などを実施している。また,韓国政府は総額7兆9,000億ウオンの失業総合対策を発表し,実行している(98年3月)。以下では上記(1)から(3)について詳しく述べる。

(1)整理解雇とは,企業が不況や経営難などで人員削減の必要に迫られて行う解雇をいう。これまで韓国では,企業が雇用者を解雇することが非常に難しくなっていたが,この改正により次の4つの基準を満たせば,雇用者を解雇することができるようになった。その基準とは,(ア)人員整理をしなければ倒産必至とはいかないまでも相当の経営困難があり,企業運営上やむを得ない場合であること,(イ)使用者が,配転,出向,一時帰休,希望退職者の募集など整理解雇を回避する努力を尽くした後であること,(ウ)被解雇者の選定が客観的で合理的な基準によってなされたこと,(エ)労働組合または勤労者に対して事前に説明し,納得を得るように誠実に協議を行ったことである。ただし,経営者は整理解雇を実施する60日前に,その旨を労働組合に通知しなければならない。

(2)失業給付の拡大のためには,以下のような措置がとられた。(ア)雇用保険対象の事業所を98年1月以降,従業員数30人以上から10人以上に,98年3月から5人以上に,98年10月から1~4人へ拡大,(イ)98年3月から失業給付の最低基準を賃金の50%から70%へ引上げ,(ウ)失業給付期間の最低支給期間を1か月から2か月に延長,(エ)失業給付受給資格としての失業保険料の最小納付期間を1年から6か月に短縮((エ)については98年4月から99年6月までの期間限定)。

(3)労働者派遣制の法制化では,労働者派遣制度が新たに導入され,専門知識,技術,経験が必要な業務のうち,大統領令で定めるものを派遣業務の対象として認めることとされた。これまで韓国では労働組合の力が強く,派遣労働は原則認められていなかったが,労働市場の柔軟性を高めるものとして,新たに認められることとなった。

(10万人雇用対策を発表した香港)

香港では,97年12月に決定された建設業に関する外国人雇用者の受入れ枠撤廃の実施を延期することを決めている(98年2月)。また,失業者に対する対策としては,手当を支給するのではなく,あくまで再就職のための支援に重点をおいている。失業者数は98年1~3月に10万人を超え(失業率3.5%),その後も増加を続け,98年6~8月には17.5万人に達している。香港政府は,98年6月初に,18カ月で10万人を雇用するプログラムを発表しており,10万人のうち,89,000人は民間雇用,11,000人は政府関連雇用と見込んでいる。具体的な施策としては,(1)インフラ投資(98年から5年間で2,350億香港ドル(303億米ドル)の支出),(2)就職バックアップサービス,例えば就職のための情報提供システム整備,再就職のための職業訓練などとなっている。

(労働コスト削減,労働生産性の向上をめざすシンガポール)

シンガポールでは,競合関係にある他のASEAN諸国の為替が減価しているため,競争力回復を目的に,主にビジネスコストの低減にむけた施策を打ち出している(98年6月)。具体的には,不動産税の還付増額,通信・電力料金の引下げ,港湾使用料の払い戻しなどである。労働市場をみると,エレクトロニクス産業からのレイオフが多くなっているが,雇用対策としては再就職支援,職業訓練が中心となっている。

また,98年4月より労働省を改組して人材開発省へと名称を変更した。同省の役割としては,これまで各省庁に分散していた人的資源に関する業務をすべて統合し,総合的に今後の経済成長を支える労働者の技能の向上,労使協調の促進,外国人活用策の検討などを行うこととされている。

なお,シンガポールは,外国人労働者に対する就労ビザ許可制度を変更し,これまでビザの有効期限が一律2年間であったものを1年あるいは2年に変更している。また外国人雇用税の改訂を行い,建設業に従事する非熟練労働者の月間雇用税を440シンガポールドルから470シンガポールドルヘ引き上げる一方,全業種における熟練労働者の月間雇用税は200シンガポールドルから100シンガポールドルへと引き下げている(98年4月より)。今回の措置は,建設部門における労働者の技能を向上させ生産性を向上させること,外国人の熟練労働者の雇用を維持・促進することによって労働者全体の技能水準を向上させることを目的としている。今後もシンガポールにおいては,労働者の技能及び生産性の向上が,労働政策における最優先事項とされていくものとみられる。

(1,000万人の再就業を目指す中国)

中国では,93年より余剰人員対策として再就職プロジェクトが開始されている。具体的には,再就職サービスセンターを設置し,最大2年間,失業者に対して職業訓練,就職斡旋を実施している。再就職サービスセンターの目的は,当初は失業期間が6か月以上の長期失業者を再就職させることであったが,最近は国有企業の下崗が増加しているのに伴い,下崗の再就職に重点が移ってきている。

こうした状況に対して中国労働部は,「3年間1,000万人再就業訓練計画」を公表している(98年2月)。この計画は,98~2000年の3年間に職業訓練と職業斡旋を通じて,1,000万人を再就職させることを目標としている。

(社会保障制度整備の必要性)

以上のように,東アジアの労働市場は急速に悪化している。一方,労働者をとりまく失業保険,年金などの社会保障制度は,既にみたように不十分である。それは,次のような理由があったためと考えられる。第一に,フイリピン,タイ,インドネシア,中国のように就業者の半数近くが農業に従事している場合には,農村が余剰労働力の受入先となってきたため,余剰労働力の増大に伴う様々な問題が表面化せず,政府は積極的に失業給付や老齢給付などの制度を整備する必要性が低かった。第二に,中国やインドネシアのように人口大国の政府が,すべての国民に対して社会保障を行うことは財政的な問題などから難しいと考えられてきた。

しかし,このような農村地域や個々の家族に依存した社会保障システムは不安定であり,雇用情勢が急速に悪化する中で,こうしたシステムのみにセーフティネットの役割を期待することには無理がある。これまで余剰労働力のセーフティネットの役割を果たしてきた農村には,既に,大量の余剰人員が潜在的に存在しているとみられる。例えば東アジアの農村の労働生産性が日本なみであると仮定して試算すると,東アジア9か国の農村の余剰労働力は96年時点で4.9億人に達するものと試算される。東アジアの農村地域が余剰労働力を吸収しきれない状況の下では,(1)農村から職を求めて流入してきた失業者が都市に溢れ都市の治安が悪くなる,(2)都市の労働者の仕事が奪われる,(3)都市でも農村でも生活できない人々の受け皿がなく,それらを救済する社会保障が整備されていないために社会が不安定化するといった問題が生じる。

急増しつつある失業者の問題に対処するためには,まず,就職斡旋や職業訓練,公共事業による雇用の創出など早急に実施できることから取り組んでいくことが必要である。さらに,失業給付,年金などの社会保障制度を整備していくことが,東アジアの労働市場,ひいては経済社会の安定において重要な課題となっている。

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