平成10年

年次世界経済報告

アジア通貨・金融危機後の世界経済

平成10年11月20日

経済企画庁


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第3章 労働市場の動向と改革の進展

第2節 欧州における労働市場改革とその成果

ヨーロッパ諸国では失業率の動向が二極化している。1992年以降における動向をみると,イギリス,オランダでは,93年からの景気回復・拡大に伴い,97年には失業率が90年の水準にまで低下した一方,多くのEU諸国,特にドイツ,フランスでは,94年の景気回復期においても失業率があまり低下せず,96年以降の景気回復期には,失業率が上昇した(第3-2-1図)。また,イギリス,オランダでは,93年からの景気回復に伴い求人数が増加すると,すぐに失業率の低下が始まった一方,フランス,ドイツでは,97年末までの1年以上,景気回復に伴い求人数が増加していたにもかかわらず,失業率が上昇した(第3-2-2図)。これは,ドイツ,フランスには,労働需要が存在するにもかがわらずその職に就こうとしない,つまり雇用のミスマッチが存在したり,失業者の労働インセンティブが削がれているという構造問題が存在することの表れであり,これが失業率の動向が二極化する一因となっている。

しかし最近になって,いくつかの大陸ヨーロッパ諸国で,雇用のミスマッチの解消や失業者の労働インセンティブの改善などを目指した改革が始まっている。こうした改革の努力がみられるようになったのには,EU全体での雇用問題への取組や,通貨統合の開始を目前に控え,硬直的な労働市場を改善する必要性を認識し始めたことがその要因となっているものと考えられる。

逆に,イギリスやオランダにおいては,失業率が低下したものの,イギリスで賃金格差の拡大がみられたり,両国で若年失業者や長期失業者が減少しないという問題が生じ,これら-の問題を解消する取組を始めている。

以下でば,まず第1項でヨーロッパ労働市場全体の長期的動向についてみた後,第2項で,労働市場をとりまく制度が雇用情勢に与える影響を考え,第3項で,多くの大陸ヨーロッパ諸国で構造問題が改善されなかった要因と,その一方で,イギリス,オランダが労働市場改革を行い得た要因,改革の内容及び幼果を検討する。第4項では,通貨統合の開始による労働市場への影響について考察し,第5節で,労働市場をめぐる新たな動きについて概観することとする。

1 欧州労働市場の長期的動向

多くのヨーロッパ諸国では,60~70年代前半に失業率が低い状況であったが,ヨーロッパ諸国ではそれ以後,高い賃金上昇,高い失業給付,解雇防止などを求める動きが強まった。しかし,70年代以降,こうした動きがみられたヨ-ロッパ諸国では,失業者が不況期に増加し,景気回復期になっても企業が資本集約的な技術を採用し,労働者の新規採用に対して消極的になるなど,なかなか新規雇用が生まれなかったり,労働者の働くインセンティブが削がれてしまうという状況が生じた。結果として,景気サイクルごとに雇用情勢は悪化した。実際,第3-2-2図?と同様の視点から,70年代後半以降のドイツ,フランス,イギリスに一ついてみてみると,いずれの国においても,70~80年代にかけて失業率と求人数の関係が右上方にシフトしている(第3-2-3図)。

特に,イギリス,オランダでは,80年代前半に失業率が11%台(EU基準)とピークを迎えた。こうした高失業率と高インフレなど,種々の経済的,社会的な病弊がもたらされた先進国の象徴として,「イギリス病」,「オランダ病」という言葉まで生まれた。

(80年代に一部の国で構造問題克服の努力がみられた)

しかしイギリス,オランダの両国では,失業率が,80年前半にピークを迎えた後急速に低下し,現在,低失業と高成長のモデル国と評されるほどに変貌を遂げた。この要因としては,両国が,高賃金を促進する制度や,高い所得補助及び失業給付など低所得者や失業者への厚遇,解雇制限など労働者を過剰に保護する政策(しばしば,これらの政策は「ソシアル・ヨーロッパ路線」と呼ばれることから,以下でもそのように呼ぶ)からの転換を図ったことが挙げられる。すなわち,最低賃金を含めた賃金の抑制や,所得補助及び失業給付の削減,解雇制限の緩和・撤廃などを行う一方で,直接税減税などを行い,企業の雇用インセンティブを高めるとともに,労働しないときの所得を下げ,労働したときの所得を上げる政策へ転換したことが挙げられる。イギリスでは,79年から90年のサッチャー政権の下で,市場原理に基づいた労働市場の構造改革が行われた。また,オランダで80年代初頭に始まった労働市場改革は,労使の協調路線の下で,特にパートタイム労働の促進が労働市場の柔軟化や雇用者数の増加に大きく,寄与している。こうしたオランダの労働市場改革は,その成功例として,「オランダ・モデル」としばしば紹介されている。

(通貨統合と労働市場政策の新たな動き)

じかし,イギリス,オランダの両国において行われた労働市場政策は,新たな問題を発生させていた。すなわち,イギリス流の市場原理を極端に追求した労働市場政策では,失業率の改善はなされるものの,低所得者層の賃金が上昇せず,所得格差の拡大が起こったり,また技術レベルの低い若年失業者や長期失業者が増加するという状況がもたらされてしまう。若年・長期失業者の比率の上昇は,オランダにおいても同様にみられる。

一方,多くの他のEU諸国でも,労働市場改革の必要性が高まっている。雇用情勢の悪化に加え,99年1月から通貨統合が開始されることがその一因となっている。通貨統合によって,一部の国では資本流入の増加による雇用増が期待できるものの,その一方で,為替レートの変動や金融政策は経済ショックを吸収するために使えなくなる上に,財政緊縮が要求され,経済ショックの労働市場での調整が不可欠になるためである。

ソシアル・ヨーロッパ路線からの転換を図る必要性については,既に93年に欧州委員会から出された「成長,競争力,雇用に関する白書(通称ドロール白書)」によって提言されたが,EU諸国では,ソシアル・ヨーロッパ路線のもたらす弊害とともに,自由主義路線によってもたらされる低賃金問題や賃金格差も回避することのできる新たな道(しばしば「第3の道」とよばれる)の模索が始まった。そして,97年11月に開催されたEU臨時雇用サミットでは,職業訓練の充実をはじめとする雇用可能性の改善や,新規企業設立に際する手続や規制などの障壁の除去などによる起業家精神の発揚をめざすことが決議された。

以上,ヨーロッパ諸国における労働市場の現状と最近の労働市場改革に向けた動きを紹介したが,本節では,EU諸国における労働市場改革に焦点を当て,長期的な視点で,ヨーロッパ各国の労働市場政策がどのような効果をもたらしたかに注目し述べていくこととする。

2 労働市場をとりまく制度とその影響

ヨーロッパ諸国では,ソシアル・ヨーロッパ路線のもと,総じて失業率が上昇した。その構造的要因を企業の側からみると,労働者の賃金が高く硬直的で,また解雇が困難で解雇コストも高いために,新規採用者数を抑制しようというインセンティブが高まる。それと同時に,労働節約的な技術を導入し,景気変動による生産能力の調整を資本投入量の調整によって行うインセンティブが発生するといった問題がある(第3-2-4図)。一方,労働者の側がらみると,働いた時に得られる収入よりも,失業給付の方が高いと考えられる場合,失業者のままでいることを選んでしまう,いわゆる「失業の罠(Unemployment Trap)」と呼ばれる状況に陥りやすいといった問題がある。したがって,失業率を低下させるためには,以上のような構造的要因を取り除くことが重要となる。

こういったアプローチとは別に,失業率を低下させるために労働時間の柔軟化,とりわけパートタイム労働の促進が注目されるようになっている。パートタイム雇用の促進に主眼を置いた労働市場政策は,後述するように,80年代のオランダにその典型がみられるが,パートタイム雇用が促進されれば,労働需給の調整における柔軟性が高まるとともに,雇用者数が増加すると考えられる。さらに,パートタイム労働の促進には,それら以外の効果も期待される。

ここでは,以上の問題意識に基づき,失業保険制度や解雇規制など労働市場をとりまく制度及びパートタイム労働が雇用情勢に与える影響を考えてみたい。その場合,一国内での制度変更の与える影響をみる方法と,制度の異なる諸国間での国際比較を行う方法があるが,以下では後者の方法により,OECD加盟諸国について,(1)賃金の硬直性,社会保障制度の手厚さ,雇用契約の硬直性にかかる代表的制度として,最低賃金,失業給付,解雇コストを概観するとともに,各制度が失業率,若年失業率などに与えた影響をみることとする。また,(2)近年ぞの割合が増加しているパートタイム労働について,その賃金上昇率,労働参加率,失業率との相関をみることとする。

(1) 労働市場をとりまく制度が雇用に与える影響

(各国の最低賃金制度と若年層の失業問題)

最低賃金制度は低賃金労働者に対し,社会的許容範囲の賃金を法的に保障し,労働条件の改善,生活の安定化,労働力の質的向上などに資するものである。OECD加盟国では,ほとんどの国が最低賃金制度を導入しており,アイルランド,イギリスにおいても今後導入が予定されている。

法定最低賃金の水準は国によって様々である。97年末の各国における時間当たりの最低賃金を見てみると,ルクセンブルクの最低賃金はチェッコ,ハンガリー,メキシコなど最低賃金が低い国の12倍以上の水準となっている(第3-2-5図)。購買力平価を加味すると,若干格差が縮小するものの,依然大きな格差がみられる。フルタイム労働者の中間賃金に対する法定最低賃金の割合を見ても,チェッコ,韓国,日本では20~33%の範囲内となっているが,フランス,ベルギーでは50%以上の高水準となっている(第3-2-6図)。

次に,最低賃金と若年失業との関係を見てみると,フランス,ポーランド,ベルギーなど中間賃金に対して最低賃金の割合が高い国では若年失業率の割合が高く,日本,韓国など最低賃金の割合が低い国では若年失業率も低い水準となっている(第3-2-7図)。ごれは最低賃金の上昇により,雇用コストが増加するため,未熟練かつ職務経験に乏しい若年層がその影響を受けやすいためと思われる。このため各国では,若年層や見習工等には最低賃金を別に設定したり,教育と職業訓練の充実を図るための若年層向け雇用プログラムを設けており,特に基礎的・実用的な職業能力の付与・向上を目的とするプログラムが重視されている。

各国とも,最低賃金政策とともに雇用助成(カナダ,ニュージーランド,アメリカ)や,低賃金労働者に対する給与税の減税(ベルギー,フランス,オランダ)などの方法により低技術者の労働意欲を高め,働きながらも貧困から抜け出せないといった状況を解消しようとしている。しかし,長期的には人材開発等の,質の高い雇用を創出するような積極的労働市場政策がますます重要となってくるであろう。

(失業給付と失業率)

失業給付は,それが高過ぎる場合には,失業者の就労インセンテイブを阻害し,雇用を減少させる。

失業給付の受給割合(実際の失業者のうち給付を受けている人の割合)を比較すると,アメリカ,イギリスではそれぞれ35%,20%(95年)と低くなっている。一方,ドイツ,フランスでは,それぞれ84%,90%(96年:ただし,フランスの統計は,老齢者の早期退職給与受給者を含む)とかなり高くなっており,失業者にとって寛大な制度となっているといえる。実際,失業給付の受給割合と失業率の間の関係をみてみると,受給者が多いほど失業率が高くなっており,失業給付を受け取り易いほど,失業率が高まるということが言える(第3-2-8図)。

(解雇コストと失業率)

労働者の雇用を保護するため,一般に,雇用者を解雇する場合には解雇補償金や解雇予告期間が定められている。ホワイトカラーの雇用者を例にとってみると,法定解雇補償金(不当解雇の場合も含む)は,ギリシャ,スペイン,スウェーデンでは最大の場合には給料の40か月分を超えており,労働者に対する保護が非常に手厚くなっている(第3-2-9表)。

そうした解雇にかかるコストと雇用との関係をみてみると,法定解雇補償金の最高額が高い国ほど失業率は高くなる傾向があることがみられる(第3-2-10図)。解雇コストが高い場合,企業は解雇することを好まないため,解雇される者は少なくなり,短期的には失業する者は減少すると考えられる。しかし,解雇コストが高い場合には,企業の労働力に対する需要を減少させ,中長期的には雇用のレベルを低下させるため,失業者を増加させる要因になると考えられる。また,解雇コストが低い場合に比べ,平均して雇用のサイクルが長くなるため,新規の雇用が減少すると考えられる。ヨーロッパの多くの国では,若年失業率が高くなっていることが指摘されているが,これも解雇コストが高いことに一因があると考えられる。実際に,解雇コストと若年失業率の関係をみてみると,解雇コストが高いほど,若年失業率が高くなる傾向がみられる(第3-2-11図)。

(2) パートタイム労働者増加の影響

70年代初頭から96年までの間に,OECD加盟国でパートタイム労働者が全雇用者数に占める割合は,一部の南欧諸国を除き総じて上昇した。

パートタイム労働についての定義はOECD加盟国間で異なり,週間労働時間が35時間未満の雇用契約の労働者をパートタイマーとみなす国,同労働時間が30時間未満の労働者をパートタイマーとみなす国,アンケート調査もしくは,本人の申告に基づきパートタイマーと認識する国など様々である。また,パートタイム労働の内容も,高年齢層が引退前数年間に週間労働時間を短縮するケースや,職業訓練契約期間中の就労時間をパートタイムとするケース,個人的時間を大切にするため当初からパートタイム就労を選択するケース,夜間や週末など企業の営業時間拡大ニーズにあわせて就労するケースなど様々である。

このように単純比較するには問題が残るが,デ一タの制約からOECD公表のパートタイム労働者の割合をベースに,賃金上昇率,労働参加率,失業率との関係をみていきたい。

(パートタイム労働と労働参加率)

まず,パートタイム労働者の割合と労働参加率をみると,90年,196年のいずれも有意に,パートタイム労働者の割合が高いほど,労働参加率は高いとの関係が成立した(第3-2-12図)。子供の面倒を見る必要があるなど,家庭の事情によって常勤労働者として働けない者でもパートタイマーとしてならば就労可能となるかもしれない。このように,パートタイム労働は就労者にと号て利用し易いものであり,自然と労働参加率は高まると考えられる。

(パートタイム労働と失業率)

次に,パートタイム労働者の割合と失業率についてみると,90年,96年ともにパートタイム労働者の割合が高いほど,失業率が低いといった関係が成立した(第3-2-13図)。労働時間の短い労働者が増加することにより,労働市場全体の需給調整がより容易になることで,結果として失業率の低下にっながっていると考えられる。また,パートタイム労働は,一時的な業務量の増減に対応しやすい雇用形態であることなどから経営者の雇用インセンティブが高まること,失業対策としてパートタイム労働を利用するケースが存在すること,職業訓練契約などの多くがパートタイム労働の形態をとることもその要因であろう。OECDは,パートタイム労働を促進する環境作りとして,パ一トタイム労働者に対する税の優遇措置や経営者に対する社会保障費用の減免措置の導入を推奨している。

(パートタイム労働と賃金上昇率)

最後に,パートタイム労働者の割合と賃金上昇率をみると,90年時点では有意でなかったが,96年にはパートタイム労働者の割合が高いほど,賃金上昇率が低いといった関係が成立している(第3-2-14図)。国によってパートタイム労働者の権利にも差があるが,パートタイム労働者が多いほど全体としての労働需給が緩和し,賃金上昇率が低くなっているものと考えられる。

3 80年代における欧州諸国の労働市場政策-二極化への分岐点

70年代から80年代にかけて「ソシアル・ヨーロッパ路線」を続けた多くの大陸ヨーロッパ諸国では,この時期に構造的失業率が高まりをみせたが,そのほとんどで,90年代になっても低下していない。その一方で,かつてソシアル・ヨーロッパ路線の政策によって,「イギリス病」,「オランダ病」と呼ばれる状況に陥った両国では,80年代に行われた労働市場改革の効果もあり,90年代には構造的失業率が低下している(第3-2-15図)。

ソシアル・ヨーロッパ路線を採用していた多くの大陸ヨーロッパ諸国でも,失業率が高まった際には,失業率を下げようとする政策が行われたのは事実である。しかし,高い構造的失業率をもたらす高い賃金上昇,解雇防止等にみられる硬直的市場,高い失業給付といった状況の改善がないまま,政府による直接雇用など一時凌ぎの雇用対策が主流となってしまった。

では,なぜ多くの大陸ヨーロッパ諸国では,高い賃金上昇,解雇防止等にみられる硬直的市場,高い失業給付といった状況が改善されなかったのだろうか。その一方で,イギリス,オランダでは,なぜ労働市場改革を断行することができたのだろうか,以下で考察する。なお,70年代後半から80年代におけるソシアル・ヨーロッパ路線については,ドイツ・フランスを例に考えていくこととする。

(1) 80年代におけるドイツ,フランスの労働市場政策

1) ドイツ

ドイツでは,70年代の未熟練労働者の失業が増加した一方で熟練労働力への需要が高まっていたことから,69年に制定された雇用促進法に基づき,職業訓練機会の提供が重点的になされた。また,パートタイム雇用促進により雇用拡大を図るとともに,失業手当や雇用奨励金の支給対象の厳格化など雇用促進費の濫用防止や節約を図った。

しかし,82年に誕生したコール政権は,当初,企業減税や投資補助など,企業の投資活動の促進による雇用拡大を労働市場政策の基本とし,直接的に雇用する政策は,こうした基本的な政策を側面から支援するものであるとした。こうした施策は,企業側には受け入れられたものの,失業率が上昇を続ける状況のもとでは労働者側には受け入れられず,84年には直接的に雇用者を増加させる対策を要求するストが頻発した。このため,コール政権は,主に若年失業者と外国人失業者の増加に対処すべくいく一つかの政策を打ち出し,また失業給付を手厚くした。これらの政策が,財政支出を増加させ,ソシアル・ヨーロッパ的な労働市場をもたらした。

(賃金は比較的抑制されていたが,税・社会保障改革に逆行する政策があった)

ドイツでは,労使の賃金協約について政府が介入することはなく,また最低賃金は,法的な制度が存在せず労使間で決定されていた。こうしたなかで,80年代以降も賃金上昇率は抑えられてきたといえる。

一方,80年代の失業率の急激な上昇に伴い,発足時のコール政権が掲げた緊縮財政という理念から離れ,外国人帰還促進政策,早期退職年金制度,そして失業給付期間の延長といった雇用対策が行われたが,これが財政支出を増大させることとなった。

83年末から半年限りで行われた外国人帰還促進政策は,外国人を本国に帰還させることで,高水準であった外国人の失業を解消するとともに,自国の労働者を外国人に替えて職に就かせることを目的とした。この政策によって,確かにドイツ国内の移民数は減少したが,この政策が帰還を希望する外国人労働者に対し一人当たり1万5,000マルクを支出するなど大規模な財政支出を伴うものであった割には,失業率の顕著な低下はみられなかった(第3-2-16図)。

また84年から実施された早期退職年金制度は,一定年齢以上の労働者が,経営者との合意により定年前でも退職でき,早期退職年金を受け取ることができるというものであり,早期退職する分だけの失業者の減少を見込んだ政策といえる。そして,失業保険については,主に勤続年数の短い労働者及び中高年齢者が失業した場合の生活保障を強化しようとしたものであったが,給付を受けられる者の最低給付期間を4か月から6か月に延長したのをはじめ,最大給付期間(12か月)を受けることのできる対象を拡大した。

早期退職年金制度は,失業者数の減少にある程度の効果を持ったといわれる。しかし,失業給付の充実は労働者が「失業の罠」に陥るおそれを増大させた。また,企業の側も,労働者が減少しても年金保険料を負担することになるため,新規雇用に結びつきにくい面もあったと考えられる。

(労働時間や雇用形態の柔軟化はある程度行われたが,解雇制限は厳格)

ドイツでは労働時間や雇用形態の柔軟化については,ある程度進展していたといえる。法定労働時間は1日8時間であるが,2週間の平均で1日当たり8時間以内であればよく,フレックス・タイムも採用されていた。ただし,1日の最長労働時間は原則として1日10時間以内で,年30日以上超過勤務をしてはいけないとされでいた。

期間の定めのある労働契約については,事業主が受注の変動に対して,労働者の超過勤務の増大などで対処しようとすることを防ぎ,期間付きにせよ労働者の雇用を増進し,後にそれが期間の定めのない労働契約に転換することを狙って,コール政権が成立させた85年の就業促進法によって認められたものである。

同法により,一時的な雇用でしか事業主が労働者を雇用できない場合に,一企業で同一労働者に対して1回に限り,18か月までの期間の定めのある労働契約の締結が認められた。しかし,労働契約の原則は期間の定めのない労働契約であるという考え方から,90年までの時限措置とされた。その後ミ期間の定めのある労働契約については,96年に与党・政府が定めた「一層の成長と雇用のためのプログラム」に基づき,同法が改正され,2000年末までの時限措置として,2年までの有期雇用契約を3回まで延長することができ,労働者が60歳以上の場合は,その制限なしに有期雇用契約を締結することができるなどの改正が行われた。

パートタイム労働契約については,学説・判例上は,フルタイムの労働者と平等取り扱いの原則があったが,85年就業促進決によって,改めてフルタイム労働者との平等原則を明文化し,パートタイム労働契約を選択しやすい環境を作った。

一方,解雇制限に関しては,OECDの“Jobs Study1994“の分析などにもあるように,厳格な解雇制限を解雇制限法で規定しており,EU諸国内でも解雇規制の強い国と考えられてきているが,「一層の成長と雇用のためのプログラム」に基づき,96年に解雇制限法が改正され,解雇制限対象となる事業所が従前の労働者6人以上から11人以上に縮小された。

(東西統一の際の政策が失業問題をさらに深刻化させた)

さらに,ドイツ特有の事情として,90年10月の東西ドイツ統一へが挙げられる。東西統一の際に,旧西ドイツマルクと旧東ドイツマルクを1:1の交換比率とし,労働関連の法律については,旧西ドイツで適用されていたものを原則として旧東ドイツにも適用することとした。しがし,東ドイツマルクの価値は当時西ドイツマルクの10分の1ともいわれており,通貨同盟により決定された交換比率は経済の実態を反映していながった。通貨同盟が実施された90年央当時の旧東ドイツは,生産性で旧西ドイツの4割程度,賃金水準は3~4割と言われていたが,この通貨同盟により旧東ドイツの生活コストが旧西ドイツ地域と同等になっ″てしまったことから,賃金格差の縮小と生活水準の向上を望む旧東ドイツ地域の声が高まった。これを反映し,生産性の上昇がないまま賃上げが行われた。急激な賃金上昇は93年頃からみられなくなったが,この時点で,生産性が旧西ドイツの4割程度であったのに対し,賃金は同6割程度であり,これが企業の収益悪化や倒産を招き,旧東ドイツ地域で大量の失業者を発生させた。

労働組合側はこの時期にも,雇用情勢の悪化に対し,高い賃上げと労働時間短縮,さらに一方的解雇の禁止という手法によって雇用の拡大を図る方策をとるよう要請した。しかし,こうした施策を行っても,旧東ドイツ地域の雇用情勢は改善しなかった。

2) フランス

(フランスの労働市場政策の特徴)

80年代のフランスでは,社会党,保守党両政権期に共通して,職業訓練制度の充実策や若年非熟練労働者や長期失業者を雇用した企業への社会保険料減額措置が採られてきた。一方,パートタイム労働・期間の定めのある労働契約および解雇規制については,社会党,保守党で立場は全く逆であった。社会党政権下では時短によるワークシェアリングの推進,高齢者層の早期退職推進,政府・地方公共団体による失業者の直接雇用などが行われたが,パートタイム労働や期間の定めのある労働契約には規制を加え抑制しようとした。一方,保守党政権下では,労働者保護の規約を設けつつパートタイム労働や労働時間の換算方法(週間から年間へ)の規制緩和などによって,これらの労働契約を積極的に推進しようとした。解雇規制については,フランスでは第一次石油危機を境に解雇規制法が制定され,経済的理由による集団解雇を行うには,行政の事前許可を要ずることとなっていたが,保守党政権下の86年には,いったん解雇の事前許可制は廃止され解雇手続きも緩和された。その後社会党政権下の89年,93年には再び規制強化され,現在でも集団解雇についての手続は厳しく規定されている。結果的に,80年代のフランスでは,解雇やパートタイム労働に対する規制の緩和は進まず,逆に規制強化されたといえる。

(高水準の法定最低賃金と雇用情勢の悪化)

フランスでは,1950年に最低賃金制度が導入され,70年に大幅な変更が加えられた後,現在まで同制度の大枠は変わっていない。最低賃金制度については,先進国でも採用している国が多いが,フランスのように全国・全業種一律に決められているのは珍しい。

80年代前半の社会党政権下,最低賃金は度々引き上げられ,その上昇はインフレ圧力となったといわれている。インフレ抑制の観点から,一時的に最低賃金が抑制されたこともあったが,①消費者物価上昇率が2%を超えたら最低賃金も自動的に消費者物価上昇分だけ引き上げられるシステムであったこと,②いかなる場合でも最低賃金の上昇率は,労働者の時間当たり平均賃金上昇率の2分の1を下回ってはならないと規定されていたことから,平均賃金比での最低賃金の割合は緩やかに高まってきた(第3-2-17図)。最低賃金の上昇は,非熟練労働者や単純労働者の雇用を抑制するため,これが若年層や長期失業者の雇用が進まない要因の一つと考えられる。

(失業保険制度の改革)

フランスの失業保険制度は,84年に大幅な改定が行われ,従来の失業保険劇度を二分する新制度に移行した。新たな失業保険制度は,労使の拠出のみにより運営し,従来行われてきた国の補助金は,連帯制度(solidarite)として別途運営されることとなった。同時に,失業保険給付の受給資格は厳格化され,給付期間の短縮,給付水準の引下げも実施された。しかしながら,連帯制度が失業給付期間を満了した失業者への7給付を行うなど,失業者にとっての手厚い制度は現在でも継続されており,また依然として失業給付水準が高いことから,失業の罠を生んでいると考えられる。OECDは96年の“Economic Surveys”で,フランスに対し,失業保険給付期間および給付率の一層の削減を提言した。

(相次ぐ雇用失業対策にも関わらず,求職と求人のミスマッチが拡大)

フランス政府にとって雇用失業対策は,常に重要な政策課題であった。これまで,職業訓練契約の設置および補助金の支給,新規雇用を行う企業への社会保障負担軽減措置,公的部門による若年失業者や長期失業者の直接的雇用,公共職業安定所および公的職業紹介業務の改革などの対策が採られミその種類,内容は多岐に渡る。しかしながら,80年以降,UV曲線は右上方に移動し,求人と求職のミスマッチは拡大している(前掲第3-2-3図)。この背景には,企業のニ―ズと職業教育が合致していないこと,職業紹介業務が効果的に機能していないことなどがあると考えられる。

(労働契約の多様化に消極的なフランス)

フランスでは,80年代を通じてパートタイム労働者比率は徐々に上昇したものの,前述のようにパートタイム労働の推進策と規制強化策が交互に行われていたことなどから,その普及度合いは他の欧米主要国に比較して低水準にとどまっていた。 また,期間の定めのある労働契約や派遣労働については,90年3月の労働協約で,その利用を欠勤中の労働者の代替,一時的な企業活動の増加や季節的性格の雇用などに限定,最長契約期間は18か月を超えてはならないと規定されるなど,例外的な契約とみなされてきた。賃金については,パートタイム労働者,期間の定めのある労働契約の労働者,派遣労働者の賃金は,同等の職務を行う常用労働者と同様の換算率で計算すると規定された。このようにフランスでは,労働契約の多様化には消極的であり,また,雇用者側から見たパートタイム労働者や臨時雇用,派遣労働者などの魅力は,コスト面からは限定されていた。

(2) イギリス・オランダの経験

70年代後半からヨーロッパ各国は失業率の上昇に悩み,失業率を低下させるために多くの政策を試みてきた。イギリス,オランダも例外ではなく,かつては「イギリス病」,「オランダ病」と呼ばれ,高インフレ,高失業率の先進国病に悩んでいた。しかし80年代に労働市場改革を行い,この結果,①高すぎる賃金上昇率の是正,②労働参加率の上昇を伴う失業率の低下,③労働時間帯の柔軟化やパートタイム労働者の増加,などの成果が現れている。

両国における労働市場改革の具体的内容に共通点があり,改革が両国の労働市場にもたらした結果が似ていることから,両国の労働市場改革を同じモデルとして考えることもできるかもしれない。しかし,それらを実行ずる際の労働市場に対するアプローチの仕方が大きく異なるのをはじめ,具体的政策を実行した時期やその時の労使環境,政治状況などは大きく違っており,単純に両国の労働市場改革を同列に並べることはできないであろう。

イギリスの労働市場改革は基本的にはサッチャー首相の強力な指導力により行われたものであり,オランダの労働市場改革は82年以降一貫しで労使間の協調体制の下で行われてきたといえる。

1) イギリス保守党政権下での雇用対策

当時の「イギリス病」と呼ばれた経済状態を立て直すため,インフレ抑制,過剰な政府の経済介入抑制,そして市場機能の活性化を政治スタンスとして,労働党に代わり79年に政権の座に就いた保守党のサッチャー政権は,「健全な経済と社会生活の回復」をスローガンとし,多くの経済改革を行った。

労働市場改革についても,その後の18年にわたる保守党政権下で多くの雇用政策が実施された。保守党政権下での雇用政策の一番大きな特徴は,求職者の自立を侃し,雇用環境に競争原理を持ち込んだことであった。そのために雇用法や労働組合法から賃金法,性差別禁止法に及ぶまで多くの法律の改正や撤廃を行った(第3-2-18表)。

これらの法改正に基づき,多数の具体的制度や規制の導入が図られてきたが,これらの多くは主に①労使関係の是正など,結果的に雇用者の賃金抑制につながった政策,②失業給付の切下げなど,自発的就労意欲を高めるための政策,③女性の保護規定の撤廃など,労働時間や雇用形態の柔軟化を促した政策,の3つに分けることができる。

(結果的に雇用者の賃金抑制につながった政策)

イギリスでは伝統的に,労使関係に政府は関与しない立場を採り,労働条件は組合と経営者による労使交渉の結果により決められてきた。しかしサッチャーが政権についた当時,事業主が従業員を雇用する際において組合員から採用しなければならない「クローズド・ショップ協定」に代表される労働組合に有利に働く硬直的な労使関係があったため,経済の悪化にもかかわらず生産性を上回る賃上げ要求や争議行為が頻発した。

このため保守党は,80年に新規にクローズド・ショップ協定を結ぶことに対し規制をかけ,その後も同制度に対する規制を強化し,90年には協定を廃止するなどして,労働組合に有利であった当時の硬直的な労使関係の見直しを推進した。また,82年に合法的労働争議の範囲の縮小を行い,84年には争議行為前の手続きを制定するなどして組合の弱体化を図った。さらに93年には最低賃金も廃止している。

これらにより労働争議の件数や組合組織率は低下し,賃金の決定プロセスは柔軟化,多様化した(第3-2-19図)。その結果が90年代の賃金抑制につながっていると考えられる(第3-2-20図)。

(自発的就労意欲を高めるための政策)

第2次世界大戦後に政権についた労働党はすべての国民が一定レベルの生活を営める「福祉国家」を目指した。このため失業者には手厚い保護が与えられ,失業者は「失業の罠」に陥り,新たに職を探すインセンティブを得られにくい状態にあった。

こうした状況を是正するため,「失業給付という形で求職者を経済的に支援するよりは,職業訓練などを行い社会に参加する機会を得られるよう支援すべきである」どいうサッチャー政権の基本的スタンスに基づき,まず82年に失業給付方式を所得比例方式から定額式給付に変更し,実質給付の切下げを行った。その後も88年に16~17歳の失業者を失業給付対象から外し,89年にはジョブセンターが紹介する職場での就労を理由なく拒否した場合には失業給付を停止するなど,80年代に失業者の自発的就労意欲を高めるために失業保険制度の数回にわたる見直しを行った。

この一方で,労働者の質を高めるための職業訓練制度の見直しを行い,89年に地方の訓練プログラムの企画,運営を行う民間企業主体のTECs(Training and Enterprise Councils)を設立し,職業訓練政策の基幹を担わせ,失業者の就労促進を図った。

(労働時間や雇用形態の柔軟化を促した政策)

イギリス政府は労働市場の柔軟化が失業率の低下に寄与したことを強調しており,OECDも,96年の“Economic Surveys”で「イギリスはOECD諸国の中で最も労働市場の規制が少なく,柔軟な労働市場を持つ国の一つであり,このことがイギリスの構造失業率を低下させている」と評価している。この内容としては①女性を働きやすくするために保護規制を段階的に撤廃したこと,②労働時間規制を弾力化し労働時間帯や労働時間の制限をなくしたこと,③解雇規制を緩和したことなどが挙げられる。

女性の保護規定については,86年に就業時間規制を廃止して深夜労働を可能にし,89年には雇用,昇進における差別規制を廃止した。また一般的な就労時間規制について89年に年少者の労働時間規制や休日勤務禁止規定を廃止するまで段階的に緩和を行った。解雇規制については,79年,85年の法改正で,不当解雇に対する提訴の権利を得るために必要な雇用者の勤続年数を延長した。

これらの結果女性の就労率が高まり,サービス業を中心に女性のパートタイム労働が増加した。また労働形態についても,フレックスタイム制,年間時間契約など多様な労働時間制が採用されるようになり,労働力の流動性が高まり失業率が改善する結果となったと考えられる。

以上に見てきたような保守党サッチャー政権及びそれに続くメージャー政権による労働市場の改革により,イギリスの労働市場は需給調整能力を高めていった(前掲3-2-1図)。またそれぞれの政策が相乗効果を生むことにより,就業者の実質賃金は適度に抑制され,労働市場の柔軟性が高まり,パートタイム労働者が女性を中心に増加し,失業者の就労意欲も高まっていった(第3-2-21図)。これら保守党政権下での中・長期的な視点に立った雇用政策の結果として構造失業率は低下することとなった。

2)「オランダ病」から「オランダ・モデル」ヘ

オランダでは1970年代半ばより石油輸出を行うようになっていたが,折しも73年,78年の2度の石油ショックに伴う石油価格の高騰により,石油産業は多額の収入を得ることとなった。しかし,国全体の賃金水準が,石油部門に引っ張られる形で,もう一方の輸出産業である製造業部門の生産性の伸びを上回って急上昇し,石油部門に対し比較劣位となった製造業の縮小が生じた。80年代に入って石油価格が下落した後も,一度縮小した製造業がながなが回復しながったことなどから,大幅に景気が後退し,著しい物価上昇に加え,失業率の上昇(78年5.7%→82年11.9%,EU定義)やこれに伴う社会保障費用の増大などに見舞われた。このような苦境に陥った当時のオランダの経済状況は,「オランダ病(Dutch disease)」と呼ばれた。

こうした事態に危機感を抱いたオランダは,財政緊縮や為替の安定化に努めると同時に,労働市場についても,82年に政労使が賃金上昇率の抑制をはじめ,労働時間の短縮や早期退職制度,パートタイム雇用の創出などについて合意したのをきっかけに抜本的な構造改革に着手した。以後,オランダはこの時の合意内容に沿い,あくまで政労使の合意を前提としつつ改革を次々に実行していった。失業率は90年代初頭の一時的な不況時を除いて順調に低下し,97年には5.5%にまで改善した。このような著しい失業率の低下をもたらした構造改革の内容はイギリスとも異なることから,近年,「オランダ・モデル(The Dutch Model)」として注目されている。

オランダにおける労働市場改革の最大の特徴は,①労使のコンセンサスを土台として漸進的に進められていること,その結果,②労使双方についてバランスよく改革が行われていること,の2点である。

(「ワッセナーの合意」)

「オランダ病」に陥った最大の原因は70年代における生産性の伸びを上回った急激な賃金上昇であったという反省から,82年に誕生したキリスト教民主党,自由民主党の中道右派連立政権は,同年11月,労使との間で,当面の懸案であった賃金上昇率の抑制だけでなく,労働時間短縮,早期退職制度を通じたワークシェアリング,パートタイム雇用の積極的創出などについても合意をとりつけた。これを「ワッセナーの合意」と呼ぶが,この合意によって,オランダのその後の労働市場改革の基本方針がほぼ定められたといっても過言ではない。とりわけ,イギリスとは異なり,あくまで政労使三者の合意に基づいて改革を進めるというスタイルを確立したのは画期的であった。

(賃金上昇率の抑制)

ワッセナーの合意以降,オランダ政府は最低賃金の伸びが平均賃金の伸びを下回るようにしたり,法定最低賃金の凍結などを行って賃金上昇率の抑制に努めた。このように低めに設定された法定最低賃金をガイドラインに,労使は協議を行い,賃金上昇率を低めに抑えることについて合意を形成することを通じて自主的に賃金上昇率抑制に協力している。

また,労使間協議で決まる賃金の弾力性を高めるために,「オープニング・クローズ制」を導入している。これは,労使間協議よりもさらに末端レベルにおいて,一定の条件のもと,労使間協議によって決められる最低賃金を下回る水準での雇用の合意を取り付けて雇用拡大を図るというもので,近年急速に浸透しつつある。このようなさまざまな努力の結果,オランダの実質賃金上昇率は近年ほぼゼロになっている。

また,当初,最低賃金抑制に伴って所得格差が拡大することが心配されたが,EUROSTATの98年7月の発表によれば,95年のオランダの平均賃金/最低賃金は約1.35倍,最高賃金/最低賃金は約1.91倍であるのに対し2,イギリスのそれは各々1.64倍,2.45倍であった。この数字からは所得格差はあまりないことがうかがわれる。

(就労インセンティブを高める政策)

80年代前半のオランダにおける社会保障はヨーロッパ諸国中でもとりわけ手厚く,GDPに対する社会保障費の比率は約20%に達するなど著し7く膨張していた。しかし,この時期に不況を経験してからは,就労可能なすべての者(身体障害者,移民なども含む)は原則として就労する機会を与えられるべきであるという“Chance for everyone゛がスローガンになった。このため,社会保障予算を削減するだけでなく,就労インセンティブを引き出し,「貧困の罠」に陥ることを防止して,労働参加率を高めようとした。

オランダでは,障害保険受給者が,全社会保障受給者の約半分を占めており,これは他のヨーロッパ諸国と比較しても突出して高かった(第3-2-22図)。このため,85年に失業給付及び障害給付の水準を前賃金の80%から段階的に70%へ削減したり,92,93年と,障害保険の見直しに関する法律が相次いで制定された。これらに基づき,「身体的障害者」の定義が見直されるとともに,50歳以下の疾病保険受給者の受給資格を再審査し,「障害(disabled)」の程度が軽いと認定された者は,普通の職につくよう定められた。その結果,障害保険申請件数は,93年半ばから96年半ばにかけて約8%減少した。

また,近年では93年に社会保障給付額及び最低賃金の賃金スライド制を廃止,96年には疾病給付の民営化,98年には,障害給付を受けている者の割合に応じて会社ごとにプレミアムを弾力的に変更するよう定めるなどの政策を実施している。このような改革により,GDPに対する社会保障費の割合(政府発表ベース)は,85年の19.6%から97年には15.9%にまで,徐々にではあるが低下している。

また,オランダは,他のOECD諸国に比べて社会保障負担が高いため,とりわけ低賃金労働者に関し,非賃金コストが相対的に高くなっていた。このような高い雇用コストが雇用拡大の障害となっているとして,95年より雇用者に対して低賃金労働者を雇用する場合,社会保障費用を減免する措置が採られている。これにより,低賃金労働者の雇用コストに占める非賃金コストの比率は,94年の27%から98年には13%へと減少している。

(労働時問および雇用形態の弾力化・多様化)

「ワッセナーの合意」は雇用促進策の目玉としてパートタイム雇用の創出を掲げていた。82年に改革に着手して以来,新規に創出された雇用のうち,約3分の2以上がパートタイム雇用である。オランダ政府は,80年代の社会保障制度の改正,96年の民法改正などにより,パートタイムとフルタイムの労働者の社会保障,労働法上の取り扱いなどに一ついて,均等待遇を原則とし,その地位を保証した。その結果,オランダにおける雇用者のうちパートタイマーの占める割合はOECD諸国中最も高く,96年36.5%となっている(第3-2-23図)。なお,その多くが女性(約70%)であることから,女性の労働参加率も高まっており,25歳から54歳の女性の労働参加率は90年の52.4%から97年61.3%へと大きく上昇し,EU平均の57.7%を上回っている(第3-2-24図)。

また,政府は,政府機関が率先してパートタイマーを雇用するなどの対策をとっている。

さらに,近年においても,労働時問および雇用形態の多様化への取組がなされている。労働時間短縮がワークシェアリングにつながるという観点から,95年に1919年以来,初めて労働時間法の制定が行われ,96年春がらは法定労働時間が従来の週当たり最高48時間から45時間へと短縮された。

(パートタイマーの普及の背景となったオランダの国民性)

パートタイム雇用がここまで短期間に普及した背景として,オランダの国民性を無視することはできないだろう。オランダ労働組合連合が90年,93年の2回にわたりとったアンケートによれば,オランダ国民は,共働きをすることによって所得を倍増させることよりもむしろ,家族が共に過ごせる時間を求める傾向にあるという。また,EU発表のアンケート調査の結果を見ても,収入の増加よりも,労働時間の短縮を望んでいることがわかる(第3-2-25表)。加えて,パートタイム労働の拡大に伴って一世帯に複数の勤労者がいる世帯数が増加したことによって,賃金上昇率の抑制がより受け入れられるようになるという効果も生じている。

4 通貨統合と欧州労働市場

99年1月から,単一通貨ユーロが導入される。長い間労働市場改革を怠ってきてしまったために,かつての「イギリス病」,「オランダ病」と同様の状況が発生してしまった多くのEU諸国が,徐々にではあるが労働市場改革を始めたのも,ユーロの導入とは無縁ではないだろう。その一方で,通貨統合参加国の中には,自らが病気であることを認識しつつも,自力での骨の折れる治療は棚に上げ,処方箋を通貨統合に求める国もある。

EU域内の資本移動は,93年に完了した市場統合によって自由化されているが,通貨統合によって,各企業は為替リスクに直面せず,また国別のコストの比較がさらに容易になるから,資本移動がさらに活発になるであろう。比較的労働コストが低いEU加盟国の一部では,通貨統合が投資を自国に呼び込む効果をもたらすと考えられている。

では,単一通貨の導入が現在高失業に悩まざれているEU諸国にとって特効薬となり得るのだろうか。以下では,通貨統合による資本移動の更なる活発化が労働市場に与える効果を検討するとともに,最適通貨圏の理論からみた労働市場改革の重要性について整理を行う。

(通貨統合が投資増をもたらし自国の労働市場を改善するか)

自国への投資が増加すれば,その分だけ雇用機会も増大する。したがって,通貨統合による資本移動の更なる活発化が域内,域外の投資に与える影響について考えることで,雇用への効果が類推できよう。

ユーロ導入が域外から域内への投資増をもたらさないと仮定すると,一部のユーロランドの国における投資増は,その分,他国における投資減を意味する。すなわち,ユーロランド全体でみればゼロサム的な状況であり,資本移動が活発化すれば,各国が一定の投資を取り合う競争が激化するだけである。

こうした状況のもとで,企業がある地域で労働力をどの程度需要するかは,その地域における賃金水準以外に,労働コストの水準,解雇コスト,労働者の協調性,労働生産性といったものにも依存すると考えられる。そこで,賃金水準,賃金外コストの水準,解雇するために費やす期間,労働争議件数,及び労働生産性が失業率に与える影響について,OECD加盟国を対象として分析してみた(第3-2-26表)。この結果,賃金水準のみならず,賃金外のコスト,労働争議件数,解雇コストも,係数がプラスで有意となり,労働生産性はマイナスで有意となった。

つまり,賃金水準が低いというメリットだけで,手厚い社会保障給付や過剰な解雇制限などを続ければ,企業は税制・社会保障制度改革や,解雇制限の緩和など労働市場改革を進めている他国での生産にシフトするかもしれない。したがって,,ユーロの導入は,一部の低賃金国では,それ自体が自国への投資を活発化させると期待されているが,実際に企業の立地は賃金コスト以外の諸条件にも依存することから,企業の誘致にあたっては通貨統合参加国の労働市場改革の一層の努力が重要となろう。

もちろん,実際には,ユーロの導入によって,ユーロランド全体で資本移動における障害がほぼ完全に除去され,大きな1つの市場が誕生すれば,市場規模の拡大に伴うビジネスチャンスが生まれ,資金調達の面では,資本市場の巨大化によって社債の流動性が増大したりするであろう。また,為替リスクや為替取引コストの消滅により,ユーロランド域内の取引が容易になる。こうした効果が,新たにユーロランド域内に投資を呼び,ユーロランド全体の雇用や成長を高める効果が期待される。しかし,その場合にも,どの国に投資するがは,賃金のみならず,既に述べたような諸要因の大きく依存することはがわりない。

(EMUと労働市場改革の重要性:最適通貨圏の理論から)

通貨統合が労働市場政策を促進すると同時に,労働市場政策は通貨統合後のユーロランド経済の成功にとって必要不可欠だという考え方がある。これは「最適通貨圏の理論」の指摘が基となっている。最適通貨圏の理論によれば,EUのように,経済が開放的で,互いに経済動向が収斂しており,さらに経済構造が多様で互いに同質的な地域では,非対称的な経済ショックが生じにくいという意味で,通貨統合のメリットが高く,デメリットが小さいということになる(平成9年度『世界経済白書』参照)。

一方,通貨統合により,域内における非対称的なショックに対して,為替レートの変動や金融政策による経済変動の調整という手段が失われてしまうため,そのしわ寄せが財政政策または労働市場に及んでくる。財政政策のうち,財政移転については,EU予算には一時的な経済ショックに対し支出されるものはなく,また,こうした制度を新たに設立することは,EU予算への各国の追加的拠出につながるが,拠出の拡大については,各国が拒否し続けている。

さらに,各国の景気浮揚策も,「安定と成長の協定」による制約が強い。

したがって,通貨統合成功の鍵は,財政政策による調整が実現しそうにないという状況では,賃金が伸縮的で労働移動が柔軟な労働市場の確立にあるといえる。では,EUの労働市場では,賃金の伸縮性,労働移動の柔軟性がどの程度達成されているだろうか。

まず,賃金の伸縮性についてみるために,賃金上昇率を鉱工業生産増加率と物価上昇率で説明する推計を行った。この結果,アメリカや日本では生産が低下すると賃金が下落するという関係があるが,ドイツ,フランスでは,むしろ生産が低下すると賃金が上昇するという関係があり,賃金が硬直的であることが分かる(第3-2-27表)。

次に,労働移動の柔軟性をみると,各国内での労働力移動は,雇用調整が,種々の雇用保護策のために困難であり,したがって企業は経済ショックのコスト調整ができず,また,「貧困の罠」が存在するため,経済が好転した場合にも失業者が職を求めず,この結果,企業が労働力を獲得しにくい構造となっていることは,これまで述べたとおりである。また,EU各国間での労働力移動についても,こうした解雇制限や,言語,労働慣習などの面での非経済的な制約などから移動が少ない。

EUに財政移転の制度がない中で,労働市場における柔軟な調整が欠如すれば,為替レート調整や金融政策による経済ショック吸収という手段がなくなった場合に被るデメリットが,吸収されず,特定の国に大量の失業者が発生するなどの形で大きく残ってしまう危険性がある。単一通貨がこのような結果をもたらした場合には,デメリットを受けた国からの批判を浴び,安定的に維持できなくなるため,こうした観点からも,労働市場改革を行うことが不可欠であるといえる。

(労働移動に関するEUの取組)

最適通貨圏の理論によれば,ある国の労働市場で失業率が高まった場合には,失業率の高まった地域で賃金が下がることで雇用を創出するか,ユーロランド各国間で労働力が移動するしかない。こうした観点から,EUでも通貨統合を成功に導くための労働市場政策を展開しているが,このうち賃金については,これが基本的には市場で決定されるものであること,EUにおける「補完性の原則(EUは,各国レベルでは対処しきれない問題のみを扱うべきであるという原則)」に合致しないことから,EUにおいては,主にヨーロッパ各国間における労働移動の柔軟性を高める取組がなされている。

EUにおける労働移動に関する基本はローマ条約により明らかにされており,労働者は労働需要に応じるためにEU域内を自由に行き来することができ,その地に居住できることとなっている。しかし,「欧州の雇用1997」(Employment in Europe1997)において,賃金格差の拡大,技能格差の拡大,雇用創出などの論点と並んで労働移動の問題が取り上げられているように,EU域内の労働移動は労働力人口の2%未満にとどまっている。

欧州委員会は,求職者の各国間移動時の失業給付期間の違いなどの各国間の諸制度が統一されていないことが求職者の移動を大きく阻害している原因となっていると考え,97年11月には「就業者の自由移動に関するアクション・プラン」を採択した。そして98年7月には,このプランをもとに,①他国で失業した場合の失業手当給付期間の延長,②企業年金の他国での通算を認めさせること,③他国へ移住して労働する際に同行できる家族の範囲の拡大などに関する規則の改正案を採択するなど,具体的な法制化を進め労働移動の柔軟化を促進し,通貨統合後の各国の労働市場制度格差の是正が円滑に進むように制度を整えつつある。

EU経済,特に通貨統合参加国の経済は,現在拡大しており,労働市場改革は,失業が増加する景気後退期には行いづらいものであることから,今次景気拡大を利用して改革を行うことが重要であろう。ヨーロッパで動き出した労働市場改革が,今後十分に行われていくかどうかが,ユーロ導入後におけるEU経済の成功の鍵となるだろう。

5 新たな労働市場政策

前述のとおり,保守党政権の下で80年代から行われたイギリスの労働市場政策や,労使間の合意をもとに,パートタイム雇用の拡大などを図ってきたオランダの労働市場政策は,労働市場を柔軟にし,構造失業率を低下させ,「イギリス病」,「オランダ病」克服の大きな要因となっている。しかし,これらのドラスチックな改革はいくつかの新たな問題を生むことになった。また,従来からの問題の中にも解決できないものもあった。

一方,90年代になっても,多くの大陸ヨーロッパ諸国では構造的失業率の改善がみられなかったが,90年代に入り,ソシアル・ヨーロパ路線からの転換を図る動きがみられるようになった。これには,93年に欧州委員会が発表した「成長,競争力,雇用に関する白書(通称ドロール白書)」の提言や,通貨統合による労働市場改革への圧力の高まりも寄与しているものとみられる。

90年代における労働市場政策について,イギリスやオランダの動きと,その他の大陸ヨーロッパ諸国の動きをみると,極端な自由主義路線でもなく,ソシアル・ヨーロッパでもない新たな道(しばしば「第3の道」とよばれる)を探ろうとしている点で共通である。ただし,フランスの動向をみると,ソシアル・ヨーロッパ路線を踏襲した政策であるといえる。

(1) イギリス,オランダにおける新たな労働市場改革

(イギリス,オランダにおける労働市場改革の弊害)

イギリスでは最低賃金制度を撤廃したことにより,低賃金労働者が増加し,80年代からの低所得者層と高所得者層の所得格差の拡大ペースは,先進国の中でアメリカに次ぐものとなっている(第3-2-28図)。行き過ぎた低賃金は労働意欲を失わせ,若年労働者の失業率を高め,雇用訓練などの制度の効果を弱める結果となっている。このことはこれまでの多くの対策にもかかわらず若年層の失業率がその他の層ほど改善していないことなどに現れている(第1章3節イギリス「福祉から就労へ」の項参照)。また雇用者数の増加についても,92年から96年までに増加した雇用者数の90%以上が非正規労働者(期間の定めのないフルタイム労働者以外の雇用形態)である。パート労働者増加は労働市場の柔軟化に大きな役割を果たしたが,80年代に行った解雇規制の緩和により不当解雇などに対する就労者の権利が弱くなったこともあり,雇用が不安定化しているという面もみられる。

オランダにおいては,失業率が低下しているにもかかわらず,長期失業者(1年以上職に就いていない者)は依然として多く,全失業者に占める割合は96年でも50%と高水準で,労働市場改革が進んでいるにもかかわらずあまり改善していない。また,技術者・専門者など,より高度な技能を要求される職種分野においては人手不足が生じており,こうした職種における教育・訓練プログラムの充実が不可欠となっている。また,新規雇用創出がもっぱらパートタイム労働によってなされてきたが,今後は新規雇用創出策をパートタイム雇用の普及のみに頼らず,ベンチャー企業育成など,労働需要サイドにも目を向けた政策に力を入れていく必要性が認識され始めている。

(最近のイギリスにおける雇用政策)

80年代以降の改革により,労働市場規制の少ない国の一つになったイギリスでは,97年5月に発足した労働党政権により,それまでの行き過ぎ々労働規制緩和により顕在化した問題に対処するため,従来の「労使関係に政府は介入すべきではない」という考えからの転換を図り,近年,労働市場規制の強化の動きがみられる。

96年に行われたイギリス労働組合会議(TUC:Trades Union Congress)の定期大会では①最低賃金制度の復活,②労働組合の強制承認制度,③雇用者に対する解雇規制の強化など労働者の権利強化に関する方針が承認された。またイギリス政府が98年5月に発表した“Fairness at Work”(労働における公正白書)においても上記TUC大会で承認された内容を具体化した案に加えて,産休・育児休暇の拡充や労働時間規制の導入など女性労働者の権利拡大についても述べられている。

現労働党政権下の雇用政策は,失業者の就労に対するインセンテイブを高めるなど,労働市場に競争原理を持ち込む点では,基本的に保守党政権を踏襲しているが,同時に,上述の労働者の権利強化のような,保守党の行き過ぎを修正するような動きもみられる。また,保守党政権が中・長期的視点から労働市場の改革をなし遂げたように,労働党政権でも,中・長期的視点から,労働力の質を向上し,雇用可能性(employability)を高め,イギリスの将来的な国際競争力を維持していくことを強く意識した雇用政策を打ち出している。そのことは労働党のブレア政権が就任後(97年7月)の補正予算において“Welfare to Work”(福祉から就労へ)プログラムを打ち出し,次代の労働を担う若年層の失業対策を中心に,職業訓練や教育に大幅な予算を割いたことからも見てとれる(“Welfare to Work”プログラムについては第1章第3節イギリス参照)。

(最近のオランダにおける雇用政策)

オランダでは,90年から,“Labour pools”という制度が取り入れられ,長期失業者(移民など,雇用されるための最低限の基本的技能を身につけていない者)を対象として特別に政府が職業訓練,及びその後の就職斡旋を行うこととした。また,92年には若年層の雇用の保障に関する法律が策定され,23歳以下の若年層に職業訓練と雇用機会を提供するプログラムが組まれた。98年からはOJT(職場内訓練:On-the-Job Training)を行う雇用者に対し事実上の補助金(減税)を出している。

このほか,98年中の施行が予定されている「労働市場の柔軟化及び雇用の安定に関する法制」においては,労使双方に対しバランスのとれた権利の拡大が盛り込まれている。まず,①解雇規制を緩和(事業主の都合により雇用契約を終了させる場合において事前の告知期間を6か月から4か月へ短縮)する一方で,②不利な扱いを受けがちな,派遣労働者の契約期間や賃金支払いなど雇用契約上の法的地位を強化して被雇用者の保護を行い,さらに,③労働派遣業の許可制を廃止し,6か月であった派遣期間の制限を撤廃し,企業が雇用しやすく,また派遣労働者にとっても雇用されやすい環境を整備している。

(2) ソシアル・ヨーロッパ路線からの転換

多くの大陸ヨーロッパ諸国でツシアル・ヨーロッパ路線からの転換が始まった要因を考えると,主に,高齢化に伴う将来の財政支出の増大に対する危機感と,前項で述べたように,通貨統合によって,域内各国同士の競争が更に激化するという危機感があったと考えられる。このため,大幅な財政支出を伴う制度や硬直的な労働市場をもたらす制度を改革し始めている。その一方で,97年に誕生したフランス社会党政権の雇用対策については,こうした改革の方向性とは逆行したものになるのではないかという懸念が表明されている。

(ドロール白書以後のEUにおける労働市場改革の方向性)

EU全体では,93年にまとめられた「成長,競争力,雇用に関する白書(通称ドロール白書)」に基づき,94年の「ブラッセル行動計画」で,①労働へのインセンティブ向上のため,積極的労働政策(所得保障など受動的なものではなく再雇用を援助することによって雇用創出を図る政策)への移行,②若年,長期失業者などに対する対策の改善,③教育訓練を通じた雇用可能性の向上など各国の雇用状況改善のために各種の提言や方向が示されてきた。

97年6月に開催されたアムステルダム欧州理事会で採択された「成長と雇用に関する決議」を受け,11月にEU史上初めて雇用に関する首脳会議が開催され,この会議において,「1998年指針(The1998Guidelines)」が合意された。

この雇用指針は,①雇用可能性の改善,②起業家精神の発揚,③企業とその従業員の適応可能性の促進,④男女雇用機会均等政策の強化からなっており,各国は指針に基づき行動計画を作成し,その行動計画の達成状況を各国で討議するという検証制度が導入された。

最近EUでは,各国の雇用状況を改善する方向として労働の流動性を高めることを重視している。今回の指針の中でも職業訓練や学校制度の質の向上などによる雇用可能性の向上などによる雇用者一人一人の質を高めることをの重要性を強調している。このような労働の質の向上による雇用状況の改善が,通貨統合後の地域間での労働力移動を円滑にさせ,通貨統合を成功させる大きな要因になると考えられる。

(ドイツでは96年から本格的な改革開始:スピードは鈍いが,着実に進展)

こうしたEU全体の動きの中で,ドイツでも,96年1月,ソシアル・ヨーロッパ路線から転換し,事業活動に係る税の減免や,企業側の社会保障負担削減により投資を拡大し,これらの方策が同時に労働者側の負担削減と社会保障給付の削減をもたらすことで,労働力が「失業の罠」に陥るのを避けるための方策を決定した。産業補助金の改革や,直接税の税制改革については,政治の反対から進んでおらず,また失業給付も,厳格化や給付切下げはなされているものの,依然として高水準であるなど,改革のスピードに鈍さがみられる点もある。しかし,年金改革,中小企業設立及び企業活動の促進にかかる施策の多くの法案は既に成立し,一部は既に施行されている。

ただし,98年9月の総選挙で社会民主党が第一党となり,同党は「100日計画」と称する新たな税制改革,福祉改革を策定することとしており,今後どのような改革がなされていくか注目される。

(3) ソシアル・ヨーロッパ路線を踏襲するフランス

一方,フランスでは,ジョスパン政権が97年6月の総選挙で誕生後,選挙公約に掲げた失業対策を順次進めている。97年10月には若年者雇用法が成立,公共部門,準公共部門,及び関連部門で97年から99年の3年間に35万人の雇用を創出することとしており,98年3男末までに同法に基づいて約5万人を雇用したとしている。

これに続き,週間法定労働時間を現行39時間から35時間へ短縮する法案が98年5月に成立した。給与労働者が20人以上の企業は2000年1月1日より,20人未満の企業は2002年1月1日から週間法定労働時間を35時間とすることとなった。同法案の導入にあたって,フランス政府は当初賃金削減なしで週間35時間労働を実現ずるとしていたが,最終的には,週35時間労働制を導入ずるか否かの決断及び賃金削減については企業レベルの労使協議に委ねるとした。また,法定最低賃金の取扱い,時短分の給与カットの取扱い,パート雇用の労働時間再編,管理職の時短問題に関しては,法制化期限である99年下半期に第2法案で詳細を定める予定である。したがって,具体的な企業の負担が,どの程度になるのか,現時点では不明である。

(4) EU諸国が目指す労働市場政策とは

こうしてみていくと,多くのEU諸国における「第3の道」とは,自由主義路線,ソシアル・ヨーロッパ路線のそれぞれの弊害(つまり所得分配面での不平等と高失業)を回避するために,双方がお互いの長所(つまり低失業と所得分配面での平等)を採り入れる方向性を持つものであるといえる。イギリスが“Welfare to Work Programme”を提起し,オランダがパートタイム雇用促進策としてフルタイム労働者とのイコール・トリートメントを規定した一方で,ドイツがある程度自由主義的な発想を採り入れた労働市場改革を徐々に実施していることからもそれはうかがえる。一方で,フランスのように,従来のソシアル・ヨーロッパ路線を踏襲している国もみられる。

こうした動きがあるものの,EU各国で採用されている労働市場政策手段を大別すれば,①労働力を需要する側の雇用インセンティブを高める政策(新規雇用を行った企業に対する奨励金,解雇制限の緩和など),②労働力を需要する企業自体を増加させる政策(起業家精神の発揚など),③労働力の供給側の就業インセンティブを高める政策(職業訓練,税・社会保障給付及び負担の引下げなど),④労働力を供給する枠を増加させる政策(公共部門における直接的な雇用創出,ワークシェアリングなど)となる。各国の労働市場政策は,これらのいくつかを混合して行っているといえる。

これらの政策は,それぞれが失業率を引き下げる効果を持ち得るが,これらが短視眼的なものか,より中・長期的な視点に立ったものかで,政策の効果が変わってくる。例えば,長期失業者を雇用した企業に奨励金を与えるという政策も,その金額が高く,支給期間が短ければ,チャーニング(Churning:奨励金が支給される期間のみ長期失業者を雇い,支給期間が過ぎたらその労働者を解雇し,別の長期失業者を雇用する結果,雇用が増加しないという問題)が発生する。失業者の直接的な雇用についても,その効果は実施した時期のみにしか生じないし,期限付きのものであれば,期間が終了すると再び失業者となる可能性が高い。ワーク・シェアリングについても,時短自体は中・長期的な観点も兼ね備えるが,それに見合うだけの賃金削減がなければ,短期的にも中・長期的にも,企業はコスト負担の増加から,一層労働者を雇用しなくなるであろう。労働者の質の向上や失業の罠の解消を目指す政策についても同様である。

したがって,失業率を中長期的に引き下げる(つまり,構造的失業率を下げる)には,補助金であれば所得補助でなく長期失業者が持続的に雇用される環境作りを目指した政策を,時短であれば常に生産性に見合った賃金を保証する政策を行い,雇用機会を一時的でなく持続的に拡大させることが重要である。

もちろん,望ましい労働市場というものは,国民が労働市場において何を重視しているかにも依存する。しかしEU諸国では,これまで見てきたとおり,通貨統合を控え,高齢化に伴う財政支出の自然増が見込まれ,さらに未熟練労働力が雇用されない一方で熟練労働力が不足しているという実情もある。こうしたことから今後のEUには,経済ショックを十分に吸収できるだけの柔軟な労働市場と,財政赤字の大幅な拡大を招かない社会保障政策,そして労働者の雇用可能性の改善が求められている。これらの要求を満たしつつ,各国がいかに国民全体のめざす社会像に労働市場を近づけていくかが,今後の課題と考えられる。