第1章 第5節 国際金融・商品市場動向

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1 為替市場の動向

1980年代前半の大幅増価,80年代後半の大幅減価の後,90年代に入り比較的安定していたドルは,95年以降増価基調が続いてきた。98年に入ってからも,値近8月末以降は減価基調で推移しているものの,総じて増価してきた。モルガン銀行発表の名目ドル実効レートでは,95年9月から98年9月までの5年間で17.2%増価(97年9月がら98年9月までの1年間では4.2%増価)した。以下では,このような最近の状況も含め,95年以降のドル高が進展し7た要因について検証を行う。また,通貨統合を目前に控えた欧州通貨の動向や,97年の春以降深刻な通貨危機を迎えたアジア通貨の最近の動向についても触れる。

(長期的なドルの動向:購買力平価)

為替市場における需給に影響を与える要因を特定することは困難であるが,長期的な為替相場のトレンドを説明するものとしては購買力平価説がしばしば用いられる。購買力平価説とは,2国間の為替レートは,各国通貨の購買力が等しくなるように決定されるものであり,さらに通貨の購買力はその国の物価水準の逆数に比例するという考え方である。例えば,A国の物価上昇(仮に30%とする)がB国の物価上昇(20%)よりも速く進んだ場合,A国の通貨の価値は,B国の通貨価値に比べその相対的物価上昇速度分(120%/130%)だけ減価したところで均衡するということである。

実際のドルの対円,対マルクの動きについて,73年を基準としてみると,大幅なドル増価が進展した80年代前半を除き,70年代以降の長期的なトレンドとしてはある程度符合しているとみてよく,アメリカの物価上昇速度が,趨勢的に日本やドイツの物価上昇速度に比べ速かったことを示している(第1-5-1図)。

ところで,GDPデフレータ=名目GDP/実質GDPである。これは,.さらにGDPデフレータ=(就業者数/実質GDP)×(雇用者所得/就業者数)×(名目GDP/雇用者所得)と分解でき,これは結局,GDPデフレータ目(一人当たり労働生産性の逆数)×(名目賃金)×(マークアップ率)となる。そこで,実際のGDPデフレータの変化,つまり購買力平価の変化の要因を,一人当たり労働生産性の逆数,名目賃金,マークアップ率のそれぞれについて,1973年に対するアメリカー日本間及びアメリカードイツ間の格差(ここではいずれもアメリカを分母とした)の変化率をみる要因分解を行った(第1-5-2図)。

まず,アメリカー日本間についてみると,アメリカに対する日本の相対的なGDPデフレータ上昇率の70年代後半以降の趨勢的な低下は,アメリカのGDPデフレータが日本のそれを上回って上昇してきたことを示しているが,このことは,ドルの円に対する購買力平価の減価を示す。それぞれの要因をみると,70年代後半以降では,(1)マークアップ率の格差(アメリカが日本を上回った分)はほぼ一定だったこと,(2)名目賃金の格差(日本がアメリカを上回った分)が総じて減少してきたこと,(3)一人当たり労働生産性の逆数の格差(アメリカが日本を上回った分)が総じて拡大してきたこと,つまり日本の一人当たり労働生産性がアメリカのそれを上回った分が拡大してきたことが分かる。すなわちドルの購買力平価が対円で趨勢的に減価してきた要因としては,(2)と(3)が大きく影響したと考えられる。

次に,アメリカードイツについてみると,アメリカに対するドイツの相対的なGDPデフレ一夕上昇率は70年代(73年以降),80年代と低下した(アメリカのGDPデフレータがドイツのそれを上回って上昇してきた)が,90年代では横ばいとなっている。要因別にみた結果,(1)70年代のドル購買力平価の減価は,一人当たり労働生産性格差でドイツがアメリカを上回ってきた分が拡大してきたこと,及び名目賃金格差でドイツがアメリカを上回っていたのが逆転したことが大きく影響した。また,(2)80年代のドル購買力平価の減価は,一人当たり労働生産性格差の変化は小さかった一方で,名目賃金格差でアメリカがドイツを上回ってきた分が拡大してきたことが大きく影響したと考えられる。なお,90年代は,いったん縮小した一人当たり労働生産性格差(ドイツがアメリカを上回ってきた分)が再び拡大しドル購買力平価の減価要因に寄与しているものの,名目賃金格差でアメリカがドイツを上回ってきた分の減少,さらにはマークアップ率格差でアメリカがドイツを上回ってきた分の減少(96年以降は逆にドイツがアメリカを上回っている)がドル購買力平価の増価要因となり相殺した結果,横ばいとなっている。

しかし,購買力平価では,いくつかの物価指数から計算した購買力平価のいずれに対してもかい離する局面があり,比較的短期間の動きを説明するのはやや困難が伴う。これは,購買力平価説は裁定により一物一価の法則が成立することが前提条件となるが,一物一価が成立するまでには長い時間を要すると考えられる電力・通信料金などの非貿易財価格も物価指数の重要な位置を占めていること(この意味で生産者物価や輸出物価がより用いられる傾向がある),物価指数を構成している品目が各国間では異なることなどのためである。

(短期的視点から見たドル高:ポートフォリオ・バランス・アプローチ)

購買力平価説に対し,やや短期的な相場の変動に重点を置いた説明を行うのがポートフォリオ・バランス・アプローチである。これは,実質金利差に着目したアセット・アブロ一チを前提に,蓄積した対外資産(負債)に対するリスクプレミアムを特に重視した考え方である。アセット・アプローチは,資本が自由に移動する世界においては,常に高い収益率を求めて資金が移動することを前提としている。2国間の実質金利差に,一方の国の金融政策変更などから変化が生じた場合,例えばA国の実質金利がB国の実質金利に対し上昇した場合は,A国通貨建て資産の予想利回りがB国通貨建て資産の予想利回りを上回ることになり,一方的にA国通貨が買われ(A国通貨の増価),為替市場は購買力平価からみた長期的な均衡から一時かい離する。しかし,いずれ均衡へ収斂するという予測からA国通貨の先安感が生じるため,次にはA国通貨が売られ(A国通貨の減価),為替市場は再び均衡するという考え方である。国際収支が為替相場に与える影響についてみると,2国間で経常収支の不均衡が拡大するとき,例えば,A国のB国に対する経常収支黒字が累積(A国のB国に対する資産残高が拡大)し,他方B国のA国に対する経常収支赤字が累積(B国のA国に対する債務残高が拡大)すれば,A国においてはB国通貨建ての資産が,またB国においてはA国通貨建ての負債が拡大することになる。ところで,一般的に,ある資産の収益率(利回り)が等しい場合には,投資家は為替変動リスクがない自国通貨建て資産の保有を選好し,外国通貨建て資産を保有するには,一定のリスクプレミアムが上乗せされる必要が生じる。上記の例では,A国の経常黒字拡大に伴い,つまりA国のB国に対する資産の増加に伴い,B国通貨建て資産への需要減少,A国通貨建て資産の需要増加となり,これがA国通貨高・B国通貨安の圧力となる。

前述の購買力平価が成立していると仮定した上で,名目為替レートに2国間の物価上昇率の格差を乗じた実質為替相場の動きについて,上記のポートフォリオ・バランス・アフロ一チに基づいた推計を行った。なお,ここでは,高い利回りを求める動きに相反するキャピタルゲインの動きを名目金利上昇(下落)幅格差(いいかえると名目金利格差の変化幅)として説明式に加えた。つまり金利上昇は,例えば債券では価格下落となり,これは逆に資金流出を促すものとみられるためである。推計結果は,ドル―円,ドル―マルクとも一応短期的な為替相場の動きを説明していると考えられる(第1-5-3図)。

上記の推計結果に基づき,90年代における実質為替レートの変動の要因を探るべく,対前年比について,実質金利差要因,対外資産残高要因(リスクプレミアム要因),名目金利差の変化要因とに要因分解を行った(なお,85年10月のプラザ合意及び95年4月のG7をダミーとして加えた)(第1-5-4図)。これによると,まず,ドルの円に対する変動では,(1)実質金利差要因は,ドル増価・減価双方に大きく寄与してきたが,97年以降では,ドル増価に大きく寄与していること,(2)97年以降は,名目金利格差要因も,ドル増価に寄与していること,(3)対外資産残高要因は,92年以降ドル減価要因として寄与してきたが,96年はほとんど寄与せず,97年以降再びドル減価要因として徐々に寄与度が増してきていること,などがわかる。以上のことから,95年以降のドルの対円に対する増価は,アメリカが一時期を除き金融引締めバイアスを継続してきたこと(詳細後述)に対し,日本は超低金利政策を継続してきたことが大きく影響してきたと考えられる。

また,マルクに対する変動では,(1)97年以降は実質金利差要因及び名目金利の変化率格差要因がドル増価に寄与していること,(2)対外資産残高要因の寄与はこのところ小さいことなどがわかる。なお,97年以降の推計値とのがい離については,ソフト・ユーロ観測(ユーロ参加基準が緩和されることなどにより当初の基準でユーロをスタートする場合に比べてユーロの価値が低くなること;平成9年度年次世界経済報告参照)の台頭など,98年に入ってからはロシアの金融危機がドイツに与える影響などがマルクの価値を更に引き下げた要因になったと考えられる。

(ドル増価は今後もトレンド化するか)

今後のドルの動向を長期的な観点からみると,前述の購買力平価の要因分解でみたとおり,アメリカの生産性上昇が他国と比べどうなるかという観点が重要と考えられる。前述のように過去の趨勢的なドル減価は日本やドイツの一人当たり労働生産性上昇率がアメリカの生産性上昇率を上回ってきたことが主因と考えられる。これに対し,90年代半ば以降のドル増価への反転が,長期的なトレンドになり得るものであるかの判断は困難である。なぜならば,最近のニュー・エコノミー論が主張するようにアメリカの生産性上昇率は統計にあらわれる以上のものである,という確かなデータが今のところ存在しないからである。

一方,短期的にみれば,これまでのドル増価は,国際間の資金移動が自由に,大量に,かつ瞬時に行われることが前提条件となり,その上で収益率が高い資産に資金が向かった結果と考えられる。今後,アメリカ経済は,緩やかに減速するものの,基本的には良好な状態が続くとの見方が多い。しかし,アメリカは対外債務国であり,経常収支赤字はますます拡大傾向にあることから,海外からみた資産選好度は今後低下していく可能性もある。また,98年夏から秋にかけての世界的な株安のなかで,アメリカの株安も顕著となり,安全な投資先を求めて資金が大量にアメリカの国債に向かった結果,債券価格は上昇し利回りは急激に低下した。こうした状況下でアメリカの金融資産に対する見方がどう変化するかを注視することは,今後の為替需給を見極める上で重要と考えられる。

(欧州通貨の動向)

ヨーロッパ各国の為替相場の動向については,ドイツの金利低下や欧州通貨統合実現への期待の高まりなどがら,96年初めから,通貨統合参加予定国通貨が対マルクで増価基調に転じた。97年に入ってからは,これらの通貨の為替相場は対マルクでほぼ横ばいとなり,98年も同様の動きを見せている。特に,通貨統合当初参加国が確定し,98年12月末日には新通貨ユーロとの交換レートが固定されることが決定された98年5月以降は,フランス・フラン,ペセタ,リラの対マルク相場は非常に安定して推移している。

一方,ポンド,スイス・フランは,対マルクで激しい値動きを続けている。97年初から98年4月までは,一部にソフト・ユーロ観測が広がったことなどがら,対マルクでこれらの通貨が増価する傾向にあった。ところが,98年5月以降は通貨統合の先行きに対する信認が高まった(ハード・ユーロ観測)ことなどから,それまでとは逆に対マルクで減価傾向にある(第1-5-5図)。

(アジア通貨の動向:通貨危機とその後の動向)

アジア通貨は,経常収支赤字の大幅な拡大や対外債務の返済懸念などから97年の7月にタイバーツの下落をきっかけとして大幅に減価した。特にIMFの支援を受けることとなったタイ,インドネシア,韓国の通貨の下落は激しく,3ヶ国共にそれまでのドルペッグ制やバスケット方式から完全変動相場制に移行することとなった。

97年中は程度の違いはあるが中国元,香港ドルを除き主要アジア通貨は全て下落傾向にあった。98年に入りIMF主導による緊縮政策や国内経済改革の進展に対する期待などから,アジア主要通貨は増価傾向に転じ98年4月頃まで増価傾向で推移したが,その後韓国ウォンは増価基調を継続し,その他の通貨はおおむね横ばいの状態で推移している。

しかしインドネシア・ルピアについてはIMF主導による国内経済改革に対する取組の遅れや,98年5月に長期政権であったスハルト政権が交代したことによる政情の不透明化などから,他のアジア通貨がやや持ち直したにもかかわらず98年6日に底割れし,1ドル=16,000ルピア台まで下落した。98年9月現在では,ハビビ政権のもと,為替はやや強含んで推移しており,1ドル=11,000ルピア台となっている。98年初から98年9月までの下落率は61%にまで及んだ。

現在のところインドネシア・ルピアを除き安定基調で推移しているアジア通貨であるが,中国元の切下げに対する不安感(圧力)が高まっており,中国元が切り下げられることになれば,再度下落傾向に転じる可能性も残されている(第1-5-6図)。

2 欧米各国の金融政策と長期金利の動向

欧米先進国各国の長期金利は,景気拡大基調にありながら,97年の春以降,物価の長期的な落ち着きや財政赤字の縮小などにより総じて低下しており,おおむね各国とも史上最低水準を更新している。長期金利の低下は,家計の消費や企業の設備投資を活性化させ,経済成長を促進させることはいうまでもない。以下では,各国の長期金利の動向を概観し,またその動向に大きな影響を与えた各国の金融政策やさらにアジア通貨・金融危機に伴う新興市場から逆流した資金が欧米先進諸国の債券市場に与えた影響などについて概観する。

(アメリカの金融政策と長期金利の動向)

アメリカにおける長期金利は,97年春以降,98年に入ってからも総じて低下してきており,98年9月現在,国債30年物利回りは77年に定期発行が開始されて以来の最低水準を更新している。

この間のFOMCの金融政策をみると,97年3月に景気拡大テンポの高まりに対し予防的な利上げを実施して以降,これまで具体的なインフレの兆候が現れていないことなどから,8月まで金融政策の変更は行われてこなかった。しかし,労働市場の逼迫は顕在化しており,賃金上昇速度も加速化するなかで,将来的なインフレに対する警戒から引締めバイアスはおおむね継続されてきた。その一方で,景気にマイナス要因となるアジア通貨・金融危機の影響の見極めは困難とされながらも,決して小さくないとされ,97年12月のFOMCから98年3月のFOMCまでは,インフレのリスクとデイスインフレが行き過ぎるリスクという相反するリスクに対応した中立スタンスが一時的に採られた。また,夏に入ると,一次産品のウェイトが高い諸国において,アジアの通貨・金融危機を契機とした世界的な商品市況の悪化に伴い,景気減速懸念が高まってきた。そして,それらの諸国の中には,アメリカと密接な経済関係にあるカナダや中南米などの周辺諸国も含まれ,アメリカへの影響は決して小さくないと認識されつつある。さらに,ロシアの金融危機が契機となり,8月末にはニューヨーク株式市場の急落を引き起こした。こうした世界的なデフレ懸念が広がる中,9月のFOMCでは,これらの影響によりアメリカのインフレが抑制される以上に持続的経済成長が阻害されるリスクが高くなったと判断され,予防的措置として0.25%の小幅な利下げが実施された。引き続き,10月15日にFRBは,公定歩合を0.25%引き下げ4.75%に,フェデラル・ファンド・レートの誘導目標水準を0.25%引き下げ5.00%にすることを発表した。この間,9月までの財務省証券のイールドカーブ(期間構造)をみると,97年3月は利上げ観測(25日FOMC以降の追加利上げ観測を含む)から,大きくスティープ化(右上がりの状態)していたが,その後徐々にフラット化していき,97年12月にFOMCで中立スタンスが採られた頃には大幅にフラット化した。その後ややスティープ化したが,直近では再び大幅にフラット化している(第1-5-7図)。

次に長期金利の長期的な動向をみる。GDPデフレータ上昇率で実質化した実質長期金利を,実質短期金利,外国人のネット国債購入額,財政収支のGDP比で説明する推計式をもとに要因分解すると,インフレの落ち着きを背景に81年以降趨勢的に短期金利が低めに誘導されてきたことに加え,94年以降は外国人の国債購入が,96年以降は財政収支赤字の改善が長期金利の低下に寄与してきたことがわかる(第1-5-8図)。

(ヨーロッパの動向)

ヨーロッパでは,通貨統合参加へ向けてマーストリヒト条約に定められた長期金利(長期国債またはそれと比較可能な証券により判断)の収斂条件(達成状況の審査がなされる直前の1年以上,物価の安定について良好な多くとも3カ国の平均名目長期金利の平均より上2%ポイント以内にあること)を満たす必要があったことから,当初参加国間で長期金利の収斂が進んだ,(第1-5-9図(1))。また,収斂基準はなかったが,通貨統合後の金融政策は欧州中央銀行に一元化されると決定されていたことから,短期金利についても参加国間で徐々に収斂が進んでいる(第1-5-9図(2))。

一方,イギリス,スイスの長短金利は通貨統合に当初からは参加しないことから,参加国金利とはかい離した動きをみせている。特にイギリスの短期金利はインフレ懸念から相次ぐ利上げが行われており,足元ではやや上昇している(前掲第1-5-9図(2))。なお,このところのアジア諸国やロシアの金融危機の影響から,ヨーロッパ主要国国債への資金逃避が起きており,総じて長期金利は低下している(前掲第1-5-9図(1))。

3 株式市場の動向

95年以降ほぼ一貫して上昇してきた欧米先進国の株価は,97年秋に香港株式市場の大幅下落に端を発した世界同時株安により一時的に下落したが,98年に入り再び上昇速度を速め,4月あるいは7月におおむね各国とも史上最高値を更新した。その後8月に入ると,アジア通貨・金融危機が企業業績に与える影響が顕在化してきたことなどから不安定な動きとなり,さらにロシアの金融危機を契機として,8月末にはニューヨーク株式市場の急落を引き起こした。8月末およびそれ以降ではアメリカだけでなく,各国とも下落したものの,これまでの騰落率は各国間でやや差異もみられる。98年初から9月末までの株価騰落率は,アメリカのダウ工業株30種平均株価指数で▲2.1%(97年9月末から98年9月末は▲1.3%),イギリスのファイナンシャルタイムズ100種平均株価指数で▲5.5%(同▲3.4%),ドイツのDAX30種平均株価指数で▲2.2%(同+7.4%),フランスのCAC40種平均株価指数で+4.6%(同+15.3%)となっている(第1-5-9図(1))。また,収斂基準はなかったが,通貨統合後の金融政策は欧州中央銀行に一元化されると決定されていたことから,短期金利についても参加国間で徐々に収斂が進んでいる(第1-5-10図)。

90年代に入ってからの欧米先進国の株価上昇の主な要因としては,アメリカでは,8年目を迎えた景気拡大に伴う企業収益の拡大,物価の安定に伴う長期金利の低下などがあげられる。また,ヨーロッパでは,景気拡大に伴う企業業績の改善,通貨統合に向けた金利収斂に伴う長期金利の低下などに加え,特にスペインやフランスでは民営化に伴う株式投資ブームも株価を押し上げていると考えられる(第1-5-11図)。

(株価の妥当性の検討)

8月末の急落後も,現在の株価が適正な水準であるか否かが議論されている。一般的な評価の方法としては,PER(株価収益率:株価を1株当たり利益で除した倍率のこと)の値を過去の数値と比較して,高いか低いかをみることにより株価が割高かそうでないかを判断するものがある。このPERの値は,ピークとなった7月頃と比べると各欧米先進国ともやや低下したものの依然として高水準にあり,アメリカのS&P(Standard&Poor,s)500種平均株価指数のPERは,9月現在で26.5倍(7月のピーク時は約29倍)となっている。これは,87年10月のブラックマンデー直前の水準(22~23倍程度)と比べると依然高い。しかし,長期債金利と株式益回り(PERの逆数)とのイールドスプレッド(利回り格差)でみればブラックマンデ一時と比べるとそれ程割高感はないとみることもできる(前掲第1-5-10図)。

また,アメリカのダウ工業株30種平均株価指数を,企業収益と長期金利から求めた推計式では,株価上昇の長期的トレンドについておおむねこの2つの要因から説明できる(第1-5-12図)。しかし,96年以降,顕著となってきた推計値と実績値のかい離については,98年4~6月期(平均約8,970ドル)では27%程度実績値が推計値を上回っていた。また,上記推計式(4~6月期ベース)に9月現在の平均約7,800ドルをあてはめてみてもなお13%程度上回っており,4~6月期よりも企業業績が悪化しているとすれば,更に大きなかい離が生じているとも考えられる。

ところで,本来,株式を含むすべての金融資産の価値(価格)は,資産への投資から得られる将来のリターンを現在価値で割り引き合計したものである。株式投資の場合は,リターンが1株当たりの配当(D,)となるので,その投資のリスクに見合う割引率(いいかえると要求収益率)をkとすると,現在の株価P0は,

Po =D1/(1+k)+D2/(1+k)2+…+DS/(1+k)∞となる。

これについて,1株当たり配当の期待成長率(g)が一定で,かつ要求収益率(k)は配当の期待成長率(g)より大きい,という前提を置けば,

Po =Do(1+g)/(1+k)+Do(1+g)2/(1+k)2+…+Do(1+g)S/(1+k)∞

=Do(1+g)/(k-g)という単純な式で表すことができる。

一方,一株当たり配当の期待成長率(g)は,配当性向(税引き後利益の何%を配当したかという比率)およびROE(自己資本利益率)を一定,かつ増資が行われないという前提を置けば,

一株当たり配当の成長率=一株当たり利益の成長率…配当性向一定

=一株当たり純資産の成長率…ROE一定

=当期内部留保/期首自己資本…増資なし

=税引き後利益×(1一配当性向)/期首自己資本

=ROE×(1一配当性向)

となり,これをサステイナブル(持続可能)な成長率と呼ぶ。さらに,このサステイナブル成長率を上記配当割引モデルに代入し,要求収益率(k)を求める式に変形すると,

k=D0(1+(ROE×(1一配当性向)))/Po+(ROE×(1一配当性向))

となり,この式に実際の株価,一株当たり配当,ROE,配当性向などを代人し求めたkが,一般的に妥当と思われる要求収益率より高いか低いかによって株価が割高かそうでないかを判断することができる(求めたkが妥当と思われる要求収益率より低い場合は割高となる)。

上記の考え方を利用し,実際のダウ30種平均やS&P500種平均で銘柄として採用されている企業の財務諸表から要求収益率(k)を求め,これが妥当と思われる要求収益率に対し高いか低いかをみる。妥当と思われる要求収益率は,無リスク資産の利子率(国債の利回りなど)にリスクプレミアムを上乗せ・したものであるが,このリスクプレミアムがどの程度であるかを求めることは困難であるため,ここでは,リスクプレミアムを一定と仮定した上で,求めたkと企業向け銀行融資金利,国債の長期金利,名目GDP成長率とのスプレッドの推移を見ることとする。すると,いずれの採用銘柄・スプレッドをみても近年特に拡大傾向にあり,少なくともブラックマンデ一時よ9要求収益率(k)が拡大している。リスクプレミアムが一定という前提が正しいかどうかは議論があり,一概にいえないものの,この検証からは,割安感が増していると考えられる(第1-5-13図)。

(株価下落の影響に対する検討)

上述のとおり,株価が割高であったのか,あるいは依然として割高であるのかについては,評価の手法によっても差異があることから,現時点で判断を下すことは困難である。先述のとおり,これまでの株高は景気拡大に伴う好調な企業業績が要因の一つと考えられるが,さらにアメリカなどにおいては,株高が資産効果による消費拡大や設備投資の拡大に少なからず寄与しており,景気拡大と株高の間に好循環が生じているとも考えられる。このため,仮に今後株価が一層の大幅な下落・低迷局面を迎えた場合には,逆資産効果による消費減速や,企業の自己資本比率低下に伴う設備投資の抑制など実体経済に対するデフレ効果が懸念される。

87年10月のブラックマンデ一時を振り返ると,株価暴落のアメリカへの影響は金利低下,為替相場の安定,輸出の拡大などが設備投資を支え,軽微なものに留まった。また西欧諸国は,もとより家計の株式保有比率が低かったことに加え,懸念されていた世界貿易の鈍化は,アメリカ経済への影響が小さかった帰結として影響はほどんどなかったとされる(昭和63年年次世界経済報告第1章,第2章参照)。

さきにみたとおり,アメリカの個人消費や企業の設備投資に与えた効果(寄与度)をそれぞれ消費関数や設備投資関数から推計すると,まず個人消費では最大の88年一年間でも▲0.12%と小さがった。また設備投資では個人消費に比べるとそのマイナスの影響は大きく,一時的には▲1.6%(89年7~9月期)となったが,通年ベースでは▲0.7%にとどまり,かつ実質設備投資全体では88年,89年とも4%以上拡大している(第1章第2節「不透明感広がるアメリ力経済」参照)。

また,同様に,イギリスの個人消費や設備投資への影響についてみてみると,イギリスの個人消費では,資産効果の統計的な有意性は低く,実質個人消費の前年比で86年は6.8%,87年は5.3%それぞれ上昇したうち,資産効果の寄与度は86年が0.3%,87年が0.4%にすぎず,さらにそのうちの株式資産(社債含む)の効果はそれぞれ約20%と約36%,つまり個人消費への寄与度は86年で0.05%,87年で0.15%にとどまった。一方,株価暴落後,逆資産効果によるマイナス寄与度の大きさは最大で88年10~12月の▲0.1%と小さくかつ一時的であり,88年通年ではむしろプラスに寄与していた(第1-5-14図(1))。一方,設備投資に与えた影響は,個人消費への影響に比べると大きく,86年は民間非住宅固定資本投資全体で前年比0.8%増のうち株価寄与度は3.3%,87年は全体で同17.2%増のうち同4.1%,88年は全体で同18.O%のうち同6.7%であった。そして,株価暴落の影響が出たとみられる89年は全体で同6.5%のうち同▲3.7%となった(第1-5-14図(2))。

以上みたとおり,87年のブラックマンデー時の株価暴落は,アメリカ・イギリス両国とも直後の下落は大きかったものの,年末時点では既に少なくとも年初の水準を上回り,89年以降は再び急ピッチな上昇基調に回復した。このため実体経済に与えた影響は限定されたものとなったと考えられる。

次に最近の株高が個人消費や企業の設備投資を押し上げた効果をみる。まず株高が97年の個人消費拡大に寄与した割合は,アメリカでは0.6%と推定され,ブラックマンデ一時と比べると大きくなっている。一方,イギリスでは0.1%と小さい。しかし,ブラックマンデ一時と比べると,家計が直接株式を購入しているだけでなく,投資信託や年金基金を経由した分も含め家計全体の株式保有比率は世界的に高まっていると考えられ(平成9年度年次世界経済報告第2章参照),マイナス効果はより大きくなる可能性がある。一方,株高の設備投資の拡大に対する寄与度は,97年については,アメリカで2.5%(98年1~6月期では2.8%),イギリスで3.5%(98年1~3月期では3.7%)と,両国とも大きく寄与している。今後一層の下落,あるいは,株価低迷の期間がより長引けば,その影響も更に大きなものになる可能性は高い。

(低迷するアジア各国の株価)

アジアの株式市場は,総じて下落している。98年1月の主要アジア通貨の増価傾向への転換時期と同じくして一時的に株価は上昇に転じたが,その後再度株式市場は下落傾向に転じている。

特にASEAN諸国株価の下落は顕著であり,98年1月から98年8月までの動きをみると,タイが42%,マレーシアが49%,フィリピンが36%それぞれ下落した(第1-5-14図(1))。一方,設備投資に与えた影響は,個人消費への影響に比べると大きく,86年は民間非住宅固定資本投資全体で前年比0.8%増のうち株価寄与度は3.3%,87年は全体で同17.2%増のうち同4.1%,88年は全体で同18.O%のうち同6.7%であった。そして,株価暴落の影響が出たとみられる89年は全体で同6.5%のうち同▲3.7%となった(第1-5-15図)。

これら98年に入ってからの再度の株価下落の要因としては,通貨下落による実体経済への影響が明らかになって来たことが考えられる。また,一方では当初経済回復を牽引すると考えられていた輸出が日本向け輸出の低迷もあり思ったほど伸びていないことや(後掲第2-4-2図参照),ASEAN各国の不良債権問題などの金融システム不安などから企業業績が思ったほど回復していないことの影響も大きいと考えられる。

4 下落続く国際商品市況

(国際商品価格:需要減少等による下落続く)

93年初頭から上昇基調で推移してきた国際商品価格は,96年前半を頂点に調整局面を迎え,下落を続けている。97年の前半にはいったん反発するものの,以後再び下落基調となった。98年に入っても東アジアの景気低迷などによる需要減退から更に悪化し,遂には93年初頭以来の低水準をうかがう状況となっている。

主要な国際商品先物価格から産出されるCRB(CommodityResearchBureau)商品先物指数(1967年-100)の動きを見ると,月平均で98年に入って220台から始まり,一旦230台まで強含んだものの,その後低下基調となり,9月現在では200台前半と低迷している(第1-5-16図)。

商品別では,トウモロコシ,大豆,小麦などの穀物は,豊作の予測がら98年に入ってから下落を続け,ここ数年来では最低の水準にまで落ち込んだ。貴金属では,金が,各国中央銀行の金売却の動きやECB(欧州中央銀行)の低率の金準備政策により,弱含みに推移した。銀は,98年2月に,有力投資家の大量購入が市場に伝わり上昇したものの,その後は価格を下げた。

(原油価格:下落抑制に向けた産油国の決意)

94年以降,世界需要の堅調な伸びを背景に原油価格(北海ブレント・スポット価格)は緩やかに上昇を続けてきたが,96年後半を境に低下基調で推移している。特に,97年11月にOPEC(石油輸出国機構)総会において,原油収入増加をもくろむ産油国の思惑から5年振りに生産枠が増加したのを機に原油価格は急降下し始め,それまでの19ドル台から13ドル台前半へと下落した。危機感を抱いた産油国は98年3月のOPEC臨時総会において,OPEC非加盟国を含む広範囲の減産を決議したが,アジアにおける需要減退や合意を遵守しない国の出現などから価格下落は止まらず,93年末の水準を更に割り込み,12ドル台前半にまで下落した。そのため,再度OPECは6月の総会で,追加減産を決定した。その後は冬期の需要増加を控え,減産の効果が価格動向にどのように影響を及ぼすかを見守る状況になっている。


《コラム1-7》 原油減産効果如何

OPECは価格維持のため98年に入って二度,総会を実施し,減産を決議した。OPECは従来から各国ごとに原油生産枠を設定し,それに基づき生産を行っているが,今年のようにOPEC・非OPECが協調して行う減産は86年以来である。

そもそも減産に至った背景としては,97年11月に開催された第103回OPEC定期総会にて決議された生産枠拡大が挙げられる。生産枠引き上げは,価格の下落が既に始まっているなかで決定されたが,これは世界一の産油国サウジアラビアの主導により行われた。サウジは,(1)当時悪化していた財政収支改善のための原油収入増加の必要性,(2)OPECの原油生産シェアの回復,(3)原油の世界需要が増加するとの見込み,などから増産を主張した。

だが,増産を開始した98年から原油価格の下落基調は(1)アジアの経済危機による需要の鈍化,(2)98年第1~3月期の暖冬,(3)一部の産油国による生産枠を超えた過剰生産,などから一層明確になり,急瀘3月にOPEC臨時総会が開催され,減産が決定された。だが,(1)国連によって管理されているイラクの人道物資配給を目的とする原油輸出枠の拡大,(2)供給過剰による在庫水準の上昇,(3)度重なる生産枠破り,などから価格は下げ止まらず,6月の定期総会で再度減産を決定した。2回の減産規模を合計するとほぼ生産枠増加を決定した97年11月以前の水準となり,減産規模は市場の予想を上回った。その結果,原油価格は8月時点では下げ止まり,底値からは脱した様相を見せている。

今後減産が奏功し,価格が上昇するか否かは,以下の条件にかかっている。すなわち,(1)消費が増大する冬季の気候,(2)アジアを起点とする世界的な経済の低迷からの回復スピード,(3)産油国の減産合意の遵守状況,などである。

過去,OPEC・非OPEC協調的な減産が行われた86年には,欧米を襲った寒波や産油国の減産への真摯な取組姿勢が評価され,価格は上昇した。今回は,実行性に対する懸念はあるが,中長期的にはやや上昇するとの見方が多い。減産とは,特に原油収入の割合が高い中東諸国にとっては外貨を獲得する手段が狭められる消耗戦術である。OPECの影響力が低下してきたといわれ,OPECに代わる新たな産油国連合結成が模索されている現在,価格統制力が十分に発揮できるかどうか注目される。

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