平成9年

年次世界経済報告

金融制度改革が促進する世界経済の活性化

平成9年11月28日

経済企画庁


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第2章 金融制度の改革

第4節 公的貯蓄制度の動向

すでにみたように,金融の規制緩和・自由化や効率化は主要先進国に共通の大きな動きである。金融機関は激化する競争に対して生き残りを図り,金融サービスを拡充したり,新たな分野への進出を行っている。こうした流れの中で,公的貯蓄制度も商品の多様化などサービスの拡充を図っている。ここでは,主要国でのこうした公的貯蓄制度の動き一郵便貯金制度の動向をみる。

1 主要国の郵便貯金制度

(ドイツの郵便貯金)

ドイツの郵便貯金は他のヨーロッパ諸国よりも遅く1939年に創設され,電気通信や郵便とともに連邦郵電省によって直接運営されていたが,89年には,「ドイツ連邦郵便経営基本法」の成立を受けて三事業(郵便,電気通信,郵便貯金)に分割され,郵便貯金はポストバンクとなった(国営事業体)。

ドイツにはもともと,自治体が債務保証を行う公営の貯蓄銀行制度が庶民の貯蓄機関として発達,普及しており,現在も貯蓄預金の中では大きなシェアを占めている。そうした中での郵便貯金創設の目的は,①国民の倹約と貯蓄を奨励する,②広範な国民から収集した資金を国が国民経済的見地から利用する,ことなどにあったとみられる。

ポストバンクは,主として個人の貯金や振替を中心に扱っていたが,国営事業体となった当初は赤字を計上しており,その赤字はテレコムから補填され,経営の改善が求められた。また,金融自由化の中にあって金融機関間の競争が激化してくるにつれ,ポストバンクも金融サービス内容を拡充し,生き残りを図る必要に迫られた。91年の当座預金貸付限度額の大幅引上げや確定利付き貯蓄証書の導入,その後も期日指定定期などの金融サービス商品を多様化してきている。これに対し民間銀行からは,①金融サービスの拡充は本来の郵便貯金業務の趣旨の枠を超えたもの,②テレコム(電気通信事業)からの利益補填は民間との公正な競争を阻害している,などの批判があった。95年にポストバンクは株式会社化され(100%政府保有),株式の売却が検討されている。

(イギリスの郵便貯金)

イギリスの郵便貯金は,世界で最も早く1861年に業務を開始している。郵便貯金は,郵便局を利用して,国民に全国規模の安全・便利かつ経費のかからない銀行を設立することを目的としていた。金利も相対的に低く,預入制限などがあったにもかかわらず,政府の信用をバックに貯蓄残高を伸ばしていった。

1969年に郵政事業が公社化されたことに伴い,国民貯蓄庁が設立され,それまで郵政省が行ってきた郵便貯蓄の業務を引き継ぎ,国営の国民貯蓄銀行となった。普通預金よりも国民貯蓄証書の発行のウエイトが大きく,政府により設定される調達目標額に従って集められた資金は,全て国家貸付資金勘定に預託され,政府資金として活用される。

80年代以降,サッチャー政権の政府資金調達方法の多様化策により,貯蓄証書の限度額緩和や年齢制限撤廃を始め,インカムボンド,預金債券,キャピタルボンド発行など,商品の多様化が図られた。こうした政策により,住宅金融組合や商業銀行などと競合する個人貯蓄部門において,一時的にシェアを伸ばした。しかし,80年代後半からシェアは低下し,90年代以降はほぼ横ばいとなっている(第2-4-1図)。

また貯蓄金融機関ではないが,イギリスでは,1968年に郵便局によるナショナル・ジャイロが銀行口座を持たない個人のための安全かつ経済的な支払い振替システムとして,業務を開始した。その後,78年にはナショナル・ジャイロ・バンク(国民振替銀行)と改称され,一般銀行として預金・貸出業務や多様な商品の提供を行うことが可能になり,85年には郵政公社から独立して株式会社化し,再び改称してジャイロ・バンクとなっている。ジャイロ・バンクは,各国の郵便局と提携できるというメリットを活かし,海外ATMからの直接引き出しといったサービスも行っている。その後70年代末からのサッチャー政権による民営化政策の下,90年に民間の住宅金融組合へ売却されたが,依然として郵便局をベースに営業している。

(フランスの郵便貯金)

フランスの郵便貯金(国民貯蓄金庫)は,1881年以来の歴史を有している。

設立当時は,国民の小額貯蓄の受け入れを主としていたが,その後,年金,保険,証券の取り)扱い,郵便口座による公共料金の引き落とし,社会保険料の徴収(1935年),年金の支払い(1939年),など業務を拡大させてきた。1991年には,ヨーロッパの民営化の流れの中で公社化され,ラ・ポストとして生まれ変わりを果たしたが,①コンピュータ化が遅れており,業務が非効率,②金融商品が時代遅れなどの批判がある。

(イタリアの郵便貯金)

イタリアの郵便貯金制度は,貯蓄思想の奨励と国家財源の確保を目的として,1875年に設立された。銀行よりも金利が低く不利であるにもかかわらず,金融機関の設置されない過疎地域や,年金受給に郵便貯金通帳を利用する高齢者などを中心に広く利用されてきた。イタリアでは営業地域規制などで銀行の十分な発展が遅れており,郵便貯金は支店数が多く便利なことや,政府への信頼感,さらに手数料が無料であることや税制上の優遇措置などでも,優位性を保ってきた。しかし,イタリアでも80年代後半から金融自由化が進んでおり,今後競争激化への対応が郵便貯金の課題となってくると思われる。郵便貯金は94年からは,政府事業合理化の一環として設立された公社ポステ・イタリアーネにより郵便・電気通信事業とともに運営さ,れている。

(アメリカの郵便貯金)

アメリカの郵便貯金は,1911年に,郵便局がスリフト(貯蓄金融機関)や商業銀行などによる業務の手薄な地域への,貯蓄手段の提供を目的に貯蓄業務を開始した。しかしその後,47年をピークに預金者数,預金残高ともに減少を続け,66年には廃止されている。預金者数,預金残高が減少した要因は,郵便貯金に制約が多く,消費者にとって魅力的な商品を開発することができなかったためである。主な制約としては,①郵便貯金サービスを行う郵便局数が少ない,②払い戻し等に関する利便性の欠如,③金利の低さなどが挙げられる。民間金融機関の倒産などが多くみられた30年代頃には,安全性の高い郵便貯金の人気は高まったものの,30年に預金保険機構が創設されたことや,民間銀行の安全性が高まったことに伴い,次第に規制が多く,利便性の乏しい郵便貯金は衰退を余儀なくされた。

(各国における郵便貯金のシェア)

主要国の郵便貯金の個人金融資産におけるシェアをみると,近年フランスで減少し,イタリアで増加するなど,多少の増減はあるものの,各国とも比較的安定的に推移している (前掲第2-4-1図)。なお,欧州主要国では,日本と比較して郵便貯金のシェアが低い傾向にあるが,これは郵便貯金の他に,ドイツの貯蓄銀行を典型とする,個人専門の貯蓄金融機関が発達していることによる。

(各国の郵便貯金と金融制度改革)

以上,5か国の郵便貯金の動向をみると,次のようなことがいえる。郵便貯金は,国民への貯蓄の奨励や,商業銀行などのサービスの行き渡らない地域も含め全国で均一の金融サービスを提供するという共通の目的のもと,各国で政府により設立された。しかし,その後の経緯は国により異なっている。

アメリカでは,当初の目的であった貯蓄奨励や全国均一の貯蓄手段の提供という面からみると,十分に機能しないままに,郵便貯金の役割はごく短期間のうちに薄れてしまった。

一方,ヨーロッパの主要国では,すでにみたように,概して郵便貯金の設立はアメリカよりも早く,現在も存続している。そして,各国で金融自由化・グローバル化が進展し,民間金融機関がサービスの多様化,拡充を進め,個人業務や住宅業務を充実させてきているのに対し,郵便貯金も個人業務を中心にサービスを拡充してきている。ドイツ,フランス,イタリアでは,一緒に運営されていた電気通信事業分野において,EU統合に向けだ規制緩和,民営化の流れの中で改革が行われ,これを契機として,経営効率化を図るためにその経営形態が見直され,相次いで公社化,株式会社化(100%政府保有)が行われている。ヨーロッパにおいては,郵便局による均一的な金融サービスを全国にあまねく提供するという本来の目的の重要性は低下していない。しかし,ドイツでは経営形態変更後に店舗数の減少などの問題が生じており,ATMの設置やテレフォン・バンキングなどの手段で対応し,利用者の利便性を保つ努力が行われているが,96年末のATM設置台数は経営形態変更以後の店舗数の減少を下回っている。

なお,上記以外の国では,ニュージーランドの郵便貯金が89年に民間銀行の子会社となり,その過程において,取り扱い店舗数は減少し,94年には民間銀行に吸収合併ざれている。


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