平成9年
年次世界経済報告
金融制度改革が促進する世界経済の活性化
平成9年11月28日
経済企画庁
第2章 金融制度の改革
金融自由化が進む中,マネーサプライと実体経済との関係が不安定化している,との指摘が以前からなされてきた。特に,アメリカでは名目GDPの伸びと歩調を合わせて推移してきたMl(現金と要求払い預金の合計)の伸びが70年代後半に伸び悩み,「貨幣の喪失」を巡る議論が関心を呼んだ。
この現象は,現在では,金融自由化を経る過程で,現金・預金などを主体とする狭義の貨幣資産から,広義の貨幣対象資産の自由金利商品や,広義の貨幣対象資産にも含まれない年金基金のミューチャル・ファンドなどへのシフトが生じたためであると一般に考えられている。
以下では,1.金融自由化や金融制度改革を経験した主要先進諸国で,マネーサプライと実体経済,特に名目GDPとの関係がどう変化したかについてみる。2.最終目標であるインフレ率を目標とする政策など金融政策を巡る問題を取り上げ,3.中央銀行制度や金融政策におけるルールの明確さとインフレ率との関係を検討する。
主要先進諸国について,各国において政策運営上重要とされているマネーサプライ指標と名目GDPとの関係をみることとしよう。なお,各国のマネーサプライの名称は国によって異なっており,同じM2でも広範囲の金融資産を含んでいる国もあれば,そうでない国もあるので注意が必要である。例えば,アメリカのM2は個人向けMMFまで含むが,イギリスのM4は,現金通貨,譲渡性預金(CD)を含む要求払い預金と住宅貸付組合出資金となっており,MMFなどは含まない(付表2参照)。
名目GDPとマネーサプライの3四半期移動平均の前年同期比を比較すると,アメリカでは,70年代後半に現金・預金が主体であるMlについて名目GDPとの関係が不安定化し,Mlの伸びが名目GDPの伸びを下回っている (第2-5-1図①,②)。また,Mlより広義の貨幣資産を対象とするM2については,80年代後半から90年代初めにかけて,名目GDPとの関係が不安定化した。イギリスについては,80年代当初から,最広義のM4の名目GDPとの関係が不安定となっているが,90年代以降,再び安定している。ドイツ,カナダについては名目GDPとの間で安定した関係がみられる。フランス,イタリアについては90年代まで総じて名目GDPと安定した関係がみられる。しかし,90年代に入り,やや不安定な動きもみられる。スウェーデン,ニュージーランドについては,80年代において,マネーサプライと名目GDPとの関係が不安定化した(上記に述べたことを確認するために,付表3で名目GDPとマネーサプライとの相関係数等を示した)。
マネーサプライと名目GDPの関係について,特に顕著な変化がみられたアメリカを中心にその理由を詳細にみよう。60年代後半以降,アメリカでは金融技術革新が活発化する中,小口定期預金,貯蓄性預金等に設定されていた預金金利上限規制(レギュレーションQ)の対象とならない金融商品が開発され,小切手,口座振替え機能等により流動性が高まったことにより,急速に普及した。70年代後半にはM2に分類される個人向けMMF(Money Market Fund:運用を短期金融市場を中心に行うため,自由金利で流動性が高い)のシェアが急速に高まっている (第2-5-2図)。この典型的な一例は,77年に証券会社(メリルリンチ)により販売が開始された小切手の切れるCMA(Cash Manage-ment Account:MMFの一種類)であろう。また,アメリカ国内の居住者による国外の米系金融機関の支店へのドル預金(ユーロドル預金)も金利規制がかからないことから保有シ土アが高まった(前掲第2-5-2図)。このように現金・当座預金から広義の貨幣代替性の高い資産へのシフトにより70年代後半にはMlが名目GDPに比較して伸び悩み,「貨幣喪失」と言われる現象の大きな要因となった。70年代におけるMl(現金通貨,トラベラーズ・チェック,要求払い預金の総計)のシェアの推移をみると,緩やかな低下がみられる (前掲第2-5-2図)。80年代に入ると,貯蓄金融機関の当座預金で金利が付くNOW勘定(Negotiable Order of Withdrawal)が開発され,当座預金の中で同預金へのシフトも進んだ。
一方,M2(Mlに加えて,貯蓄性預金,小口定期預金,個人向けMMF等を合計したマネーサプライ指標)については,個人向けMMFの増加が80年代前半においても進み,また,定期預金も83年の金利自由化(上限規制の撤廃)等によりシェアを高めたものの,M2に分類される貯蓄性預金から個人向けMMFへのシフトが中心であったため,M2と名目GDPとの関係は安定していた(前掲第2-5-2図)。しかし,80年代後半以降,流動性に制約がある小口定期預金のシェアの低下が進み,入れ替わりに,ミューチャル・ファンド(いっでも解約できるオープン・エンド型で,資産運用対象に株式を含む形態)と呼ばれる投資信託のシェアが急速に高まっている。ミューチャル・ファンドは実際には家計の金融資産の一形態として保有されているにもかかわらず,アメリカの最も広いマネーの概念にも含まれない。このため,M2のシェアが相対的に低下した (前掲第2-5-2図)。なお,90年代前半において,M2が名目GDPの伸びに比べて低迷したのは,80年代後半に不良債権を抱えた貯蓄金融機関が整理清算されたこと,貯蓄金融機関は経営安定化のためコストをかけて預金を集めなくなったことが要因と考えられる。さらに,流動性の低い定期預金を嫌って要求払い預金へ資金がシフトした結果,M2の流動性が高まり,M2の流通速度が一時的に高まる現象が生じたと考えられる。
イギリスにおいて,名目GDPとM4の相関が不安定となったのは,金利自由化に伴い,貯蓄貸付組合の預金金利も自由化され,M4に分類される同預金へのシフトが大幅に進んだためとみられる。他の主要国においては,金融市場の変化や制度変更などを背景に90年代に名目GDPとの関係が若干不安定化した国もみられるが,長期的な名目GDPとの間で総じて安定した関係がみられる。
以上のような貨幣対象資産間のシフトの要因をまとめると,①金融技術革新が進み,これまで決済機能のなかった金融商品に決済性を付与されたことに伴い,貨幣そのものに対する決済需要が大きく変化したこと,②金利自由化に伴い,市場金利上昇時に貨幣や低利預金を保有し続けることに伴う逸失利益が大きくなり,貨幣・預金などから,市場金利を反映する金融商品へのシフトが進んだこと,などが指摘されよう。
以上,主要先進国の動向をみると,アメリカなど金融の技術革新や金融自由化を経験した国では,それまで指標性を持っていたマネーサプライ指標と実体経済の関係が一時的に不安定化していることが確認された。これは,新しい金融商品の開発に伴って従来のマネーサプライ指標に含まれない資産へのシフトが生じたためであり,広義の貨幣資産と名目GDPの長期的な安定性そのものが否定されるわけではない。
コラム2-10 海外預金とマネーサプライの関係
先進各国では,80年代頃から居住者の海外預金の保有の自由化が進んでいる。特にドイツでは海外預金(自国通貨建て+外貨建て)の広義マネー(M3)に占める割合が大きく,97年(5月)では13.9%に達している。しかし,各国のマネーサプライ統計を見るとマネーの定義に海外預金が含まれていない場合も多く,海外預金の拡大が国内の通貨需要関数を不安定化させる場合がある。
大陸欧州では通貨統合を控えて,マネーサプライ統計の直接比較を可能にすること,域内全体のマネーサプライ統計を作成することを目指して各国ごとに基準の異なっていたマネーサプライの定義の統一を図る作業を進めており,海外預金の取扱いも大きな課題となっている。海外預金の取扱基準の統一にあたっては,「居住者の保有する外貨もマネーの範囲とする」方針であるが,データ収集の問題などから海外預金を含めたマネーサプライ指標は,今のところ補助的な指標として位置づけられているのが実状である。
マネーサプライと実体経済の関係が常に安定しているとは限らないことから,最近では,最終目標である物価を直接ターゲティングする国が出てきている。そもそもインフレ率を政策パフォーマンスの評価対象の1っとする考え方自体は,すべての中央銀行が従来から念頭に置いてきたものであり,違いは,主として,最終目標であるインフレ率に具体的なかたちで事前にコミットするかどうかという点にある。
インフレーション・ターゲティングを導入した国の中には,特定の目標を設定しない「総合判断」による金融政策では,結果的にインフレ抑制が達成できなかったとの反省に基づき,ターゲット設定によりインフレを抑制しようとの意図を強く打ち出している国もある。
現時点におけるインフレーション・ターゲティングを採用した主な5ヵ国(カナダ,ニュージーランド,スウェーデン,イギリス,スペイン)の状況をみると,確かに,90年代に入ってインフレ率が鎮静化している。しかし,インフレ抑制策に伴い,経済成長率は低下しており,インフレーション・ターゲティングを採用していない国に比べ,現在まで特に経済パフォーマンスの改善はみられない (第2-5-3図:なお,lpの図では経済パフォーマンスをインフレ率1%の低下とともに生じた成長率の低下度合でみている)。ただし,最も早くインフレーション・ターゲティングを採用したニュージーランドでも,7年間を経過したにすぎず,現時点で採用国における政策パフォーマンスについて明確な評価を下すのは時期尚早である。
インフレーション・ターゲティングについては,インフレ率に目標値ないしターゲット・レンジを設定するに際しての理論的あるいは技術的に検討を要する論点もある。ここでは,①物価指標の選択の問題,②消費者物価に存在するバイアスの取り扱い,③物価上昇率の予測についてみていくことにする。
① 物価指標選択の問題
インフレーション・ターゲティングを採用している国では,データの速報性や改定の頻度等を考慮して消費者物価(多くは特殊要因除く)を採用している国が多い。また,特殊要因を除いたコアの消費者物価上昇率を求めるために,間接税増税による価格変動等,外的ショックと考えられるインフレ率の変動については,その直接の影響を除去するのが通常である。
② 消費者物価バイアス
消費者物価にはインフレ率にある程度の上方バイアスが生じる可能性があり,目標レンジの幅を設定する上で,困難な面を有する。これは,インフレ率が高い場合にはさほどの影響はないが,インフレ率がほぼゼロに近い水準となっている場合には,目標レンジ設定を行う上で無視できない誤差となる。
③ 物価上昇率の予測
金融政策とその最終目標である物価との間には,相当期間のタイムラグがあることから,目標インフレーション率の設定に当たっては,将来の物価上昇率の予測値を知る必要がある。これは,マネーサプライのように最終目標に対し先行性のある中間目標を用いる中間目標ターゲティング方式に比べ切実な問題である。そこで,各種経済指標を用い,将来のインフレ率を推計する試みが様々に行われたが,現在のところ,将来のインフレ率と安定的な関係をもつ経済変数を捜し出すことは困難な状況にある。
これまで論じたとおり,各国は,どのようにすれば政策目標たる物価の安定が効率的に達成できるかを模索しながら,金融政策運営を担っている。これに関し,近年,金融政策の達成度は中央銀行のあり方に依存しているとの実証分析が大きな関心を呼んでいる。ここでは,物価の安定と中央銀行の独立性とは関係があるのか,もしそうであるならば,中央銀行の独立性が金融政策運営とどのように関連しているのかをみていくことにする。
近年,中央銀行の独立性が高い国ほどインフレ率が低いという実証結果が大きな関心を呼んでいる。ここでは,まず,各国の中央銀行の制度をみた後,これを指数化したものと,インフレ率との関係についてみる。
中央銀行に関わる法律と制度に注目して,中央銀行の独立性を指標化したものにAlesina and Summers(1993)の研究がある。これは,中央銀行の人事・予算・政策決定,中央銀行が銀行監督責任を免れているが,といった点について,中央銀行の政府からの独立性の度合いを指標化し,統合したものである。この中央銀行独立性指数とインフレ率との関係をみると,経験則的に,中央銀行の独立性が高いほど,インフレ率は低いことがわがる (第2-5-4図)。
また,金融政策に従事する機関と銀行監督機関との分離が,金融政策運営の完全な独立性を確保するとの考え方もある。これは,通貨供給機関である中央銀行が,銀行の監督を行うことによって,銀行破錠を避けるために金融緩和政策を行う可能性があること,銀行監督者としての信認が失墜した場合,中央銀行に対する評判も落ちかねないこと,などの理由による。実際,両者を分離している国のほうがインフレ率は相対的に低いとの分析もある。これに対して,金融政策の適切な遂行は金融市場における中央銀行と金融機関との間の取引を通じて確保されるものであり,また,銀行経営の健全性は,金融政策の目的を達成するための前提条件であることから,中央銀行が自ら金融市場の構成要素である金融機関の経営を積極的にウオッチしていくことは不可欠との見解もある。
中央銀行の独立性が高いほど,インフレ率が低くなっている理由を考えるために, 第2-5-4図の右下と左上にある国の中央銀行の具体的な金融政策運営についてみてみよう。右下にあるドイツ連銀とスイス国民銀行の金融政策をみると,両行ともこれまで,ターゲティング・アプローチ(マネーサプライ・ターゲティング)を採用している。すなわち,両行ともマネーサプライの伸び率目標を明示し,その目標に沿った金融政策を行ってきた(他方,アメリカでは,マネーサプライ重視の金融政策がとられていたが,近年では市場金利を中心とした総合判断に基づく金融政策に移行している)。一方,左上にあるスペイン,イタリア,ニュージーランドなどは独立性が低く,これまで,特定の目標を設定しない「総合判断」による金融政策を採用してきた国が多い(前述の通り,スペイン,ニュージーランドでは90年代に入リインフレーション・ターゲティングに移行している)。
このような金融政策の相違と独立性指数との関係をみるために,名目GDPの伸び率が1%上昇したときの,マネーサプライの反応を各国ごとに推計した(第2-5-5図)。これをみると,中央銀行の独立性指数とマネーサプライの反応との関係は,中央銀行の独立性が高く,マネーサプライ・ターゲティングを採用しているドイツ,スイスでは,名目GDPが増加しても減少してもマネーサプライは変動しないことがわかる。さらに,中央銀行の独立性とマネーサプライの関係について調べると,独立性が高い国ほどマネーサプライの増加率も低い(第2-5-6図)。また,マネーサプライ伸び率とインフレーションの関係を図示すると,マネーサプライ伸び率が低いほどインフレ率が低いという関係があることがわかる(第2-5-7図)。
以上の点から,これまでの経験では,独立性が高いドイツ,スイスの中央銀行では,ルールによる金融政策の採用により,マネーサプライの伸び率を抑制することができたものと考えられる。他方,ドイツ,スイスの金融政策については,政策決定の透明性が欠けるとの指摘もみられる。最近では,政府と中央銀行との合意により,インフレ率を明示的に設定し,それに基づく金融政策を中央銀行が行うというインフレーション・ターゲティング政策を採用する国も増えている。
これらのことから判断すると,国民の信認を獲得し,インフレ率を低下させるために重要なのは,中央銀行の独立性とともに,どのような金融政策を行ってきたかであると考えられる。今後,各国ともどのような中央銀行制度,金融政策がインフレ抑制のために有効かという模索が続くものと考えられる。
EU通貨統合にむけ,本格的に導入される欧州中央銀行は金融政策の運営において,ターゲティング・アプローチの採用が検討されている(欧州通貨機構は,97年のレポート“The Single Monetary Policy in Stage Three”において,マネーサプライ・ターゲティングとインフレーション・ターゲテイングのどちらが適切かまだ結論が出ていないとしているが(実際にどちらの方法になるかについては,98年中に決定される予定である),マネーサプライ・ターゲティングは政策変数が直接コントロールでき,監視が可能となるため,欧州中央銀行制度の責任が明確になるとともに,公衆にとって透明性の高い政策であるという長所があることを指摘している)とともに,金融政策決定に関し政府等からの独立性を確保することが予定されている。このため,EUは,同制度の執行機関となる各国中央銀行に対し,これと同等の独立性を備えることを求めている。具体的には,以下の4点を遅くとも欧州中央銀行の創設までに求めている。
① 中央銀行の第一義的な目的を「物価安定の維持」とすること
② 中央銀行の政策決定に際して,EU諸機関,政府等からいかなる指令も受けないこと
③ 中央銀行の政府,その他公共機関に対する信用供与(債券の直接引き受けを含む)を禁止すること
④ 中央銀行総裁の任期が5年を下回らないよう定め,政府等による裁量的な罷免権を排除すること
これらの制度は,政府に対する信用供与の禁止等の点において,80年代のドイツ・ブンデスバンクよりも高い中央銀行の独立性を要求するものであり,したがって,上述の中央銀行独立性指数では,各国ともこれまで達成されたことがない程高い指数水準となることを意味する。
現時点での各国の取組みをみると,中央銀行の対政府信用供与の禁止については,EU12カ国で対政府信用供与が停止さ,れている。金融政策の目的については,フランス,スペインなどで「物価安定の達成」を金融政策の主要目的とする法改正が行われた。また,中央銀行の金融政策決定に関する政府などからの独立性や総裁の身分保障についても,ほとんどの国で法改正が行われている。また,通貨統合への参加を留保しているイギリスにおいても,中央銀行の独立性を高めるための法改正が予定されている。
このように,EU各国において,中央銀行の独立性を高めるための法改正が進められているが,これにより,EU加盟国は,ターゲティング・アプローチを採用した金融政策と高い独立性をもつ中央銀行制度といったドイツ・ブンデスバンクの金融政策及び制度を継承することになる。これに対し,フランスから欧州中央銀行が金融政策を一元的に行う一方で,EMU域内全体の経済政策を行う中央組織整設定してはどうか,という提案がなされているが,基本的には,そのインフレーション・ファイターとしての実績から,ドイツ・ブンデスバンクが最も高い信認を国民から得ている中央銀行として,EU加盟国で認められているからだといえよう。