平成9年

年次世界経済報告

金融制度改革が促進する世界経済の活性化

平成9年11月28日

経済企画庁


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第2章 金融制度の改革

第2節 業態間競争の激化-業務分野規制の撤廃-

金融業において,業態間の参入,特に商業銀行業務と,投資銀行業務や証券業務間の参入が規制されていたのは,第1節で概観した通り,①信用秩序の維持と預金者保護を図るため経営の健全性の維持が必要である銀行が,リスクの高い証券(投資銀行)業務を兼業することは経営の健全性を損ねる危険性がある,②両業務を兼業する場合,「利益相反問題」が発生する危険性がある,という2つの危険性を防止するためであった。

しかし,近年,特に1970年代以降,世界的に,資本移動の自由化と,セキュリタイゼーション(証券化)あるいはディスインターミディエーション(非金融仲介化)の進展が見られる中で,①国際間・業態間の競争激化に対応し,競争制限的規制を撤廃し,「範囲の経済性」向上のメリットを取り込むことが重要視されつつあること,②金融商品の多様化による銀行・証券業務間のグレーゾーン拡大から,そもそも規制の効力に疑問が持たれ,これまでこの法規制を採用してきた国々において,その見直しが進んでいる。

本節においては,まずアメリカを例に,歴史的過程において業態間の参入規制として制定されたグラス・スティーガル法の内容と,立法趣旨の妥当性を検討する。次に参入規制が存在していないドイツの例をとり,冒頭の2つの危険性が事実であるのかについてみることとする。

1 アメリカの業態間参入規制について

(1)早くから進展したセキュリタイゼーションと商業銀行の証券業務参入

銀行の証券業務参入に対する欲求は非常に深く強い。この要因として,デイスインターミディエーション,あるいはセキュリタイゼーションの進展は非常に重要であることは第1節でみた通りである。まず初めに,アメリカにおける進展の歴史をみる。

アメリカにおけるセキュリタイゼーションの歴史は非常に古い。アメリカにおいて証券の引受・売買業務は,もともと投資銀行の主要業務であった。投資銀行は1880~90年代にかけての産業界の資本集中過程において,企業の膨大な資金需要に対する供給源や合併・持株会社化に際し中心的な役割を果たしながら,この業務ノウハウを蓄積していった。一方,商業銀行も証券業務参入に非常に積極的であり,貸付残高及び証券投資残高合計に占める証券投資残高の割合は,1920年代後半には約3割,1933年には5割に近づくほどになっていた (第2-2-1図)。この契機となったのは,①第一次世界大戦中及び戦後の総額200億ドルを超える巨額な戦争公債の発行,②企業の資金調達ウェイトが証券にシフトしたことである。第一次大戦後から1920年代にかけてのアメリカ経済の発展期において,自動車,電力,化学などの産業を中心に,企業は株式や債券など資本市場からの資金調達を重視し始めた。この結果,銀行の商業貸付は相対的に低下し,余剰資金の運用先として証券市場を活用することとなった。ここでは,銀行の他の金融機関に対する有利性として,①従来の貸付業務を通して企業の経営状況の把握に通じていた,②預金者を証券の販売先とすることができた,ことも証券業務参入を加速させた要因となった。

(2)業態間参入を規制したグラス・スティーガル法

(グラス・スティーガル法とは)

アメリカにおける商業銀行と投資銀行間の兼営は,1933年に制定された銀行法(グラス・スティーガル法と呼ばれている)によって規制されている。同法第16条(銀行による証券の引受・ディーリングの禁止),第20条(銀行―証券業を主たる業務とする会社間の資本系列関係あ禁止),第21条(証券業を主たる業務とする会社の預金受入れ業務禁止),第32条(銀行―証券業を主たる業務とする会社間の役員兼任禁止)の4ヶ条によって,もともと証券子会社などを通じた活動が概ね認められていた商業銀行の投資銀行業務が制限(原則分離)された。なお,同法は,併せて連邦準備制度の権限強化(預金金利の上限規制であるレギュレーションQを含む),連邦預金保険公社(FDIC)及び連邦公開市場委員会(FOMC),の設立なども規定しているものである。

大恐慌に端を発した銀行倒産(全米の商業銀行の機関数は,1928年末時点での約2万4,700から1933年末時点での約1万4,400へと,5年間で約4割に当た,る1万強の機関が減少した:第2-2-2図)と,それに伴う金融システムの混乱の中で,銀行の証券業務に対する不正行為の疑惑や後述する「利益相反問題」に対する懸念が注目された。このような銀行の行為是正を求める声が世論の中で高まり,議会を動かしたことが同法成立の直接の契機となったのである。

ただし,この4ヶ条は銀行の証券業務を必ずしも禁止する法律ではなかった。確かに,同法は銀行本体による証券の引受業務(新規証券発行の請負業務),及びディーリング業務(顧客の注文により自己勘定で証券を売買する業務)を禁じているが,国債などの引受・ディーリング業務や証券ブローカー業務(自己勘定を利用せず顧客の注文・勘定で証券を売買する業務)は認められている。また解釈上,収入制限等一定の条件下においては銀行の系列会社(銀行と証券会社との資本系列関係を制限した同法20条にちなんで,「20条子会社」と呼ばれている)がこれらの業務を行うことが認められている。

(疑問が残るグラス・スティーガル法の立法趣旨)

グラス・スティーガル法の立法趣旨については,法制定から38年後の1971年のキャンプ事件(小口の信託勘定をプールし,まとめて証券投資で運用するという,事実上の投資信託である合同投資勘定の商品がグラス・スティーガル法違反か否かという点が争点となった事件)の最高裁判決において,改めて同法に対する法的解釈が整理されている。ここでは,銀行業務と証券業務の分離を図った目的を,①銀行が自己の資産を回収不能となるような証券に投資するという「明白な危険」を防止,②銀行が直接あるいは系列会社を通じて証券業務に参入する際に「より微妙な弊害」が生じる危険性を防止,の2つに大別し,説明している。なお,後者は,いわゆる「利益相反問題」といわれている。

ここで挙げられた「明白な危険」や「より微妙な弊害」については,その信憑性や現実性について非常に多くの議論がこれまでにもなされており,その中にはこの根拠を疑問視するものが多い。

(「明白な危険」とは)

第1の証券投資の「明白な危険」とは,証券引受など投資銀行業務のリスクが商業銀行業務のリスクよりも高いということを前提にしたものである。しかし,貸付業務においても,貸し倒れリスクは常に存在し,担保をとったにせよこれが不良債権となるリスクも存在する。こうした点では,商業銀行の貸付は,投資銀行業務が不健全な債券を保有することと同等のリスクを持っていると考えられる。また,証券の引受リスクは,証券を売却するまでの短期的なものであるが,貸付リスクは満期までの長期に及ぶため,デフォルトの機会は多いという点も指摘できる。実際に,大恐慌時における銀行の貸付業務及び証券投資の損失を各々の資産に対する割合でみると,1932年以降は貸付業務の損失率の方が高かった(第2-2-3図)。

(「より微妙な弊害」とは)

第2の「より微妙な弊害」すなわち「利益相反問題」とは,融資返済,あるいは貸し倒れ損失発生の回避のため,経営不振となった融資先企業に証券を発行させ,これを一般投資家に販売するような行為を指す。しかし,もしこのような行為が現実に起こるとすれば,銀行と系列証券会社は一体なので,そのような銀行の評判は著しく低下し,以後の業務に著しい支障となると考えられる。したがって,利益相反行為が現実にも行われる可能性は小さいと考えられる。さらに,1933年の証券法によって,証券を発行する企業は事前にその使途も開示しなければならず,一般投資家は事前に資金の使途を知ることができるため,この様な危険性は起こり得ないと考えられる。ディスクロージャー制度や格付制度・機関が更に発達した今日ではなおさらである。

(利益相反防止とファイアーウォール)

グラス・スティーガル法は前述の通り,収入制限など一定の条件の範囲内(いわゆる主業務とならない範囲)では,銀行は系列会社(20条子会社)による証券業務が認められると解釈されている。さらに89年には,FRBにより正式に株式・社債の引受け,ディーリング業務も認められ,証券会社とほぼ同様な業務が可能となった。また収入制限についても当初の5%から10%に引き上げられるなど(96年12月には更に25%に引き上げられた)の緩和も徐々に進められている。

しかし,20条子会社の証券業界におけるシェアは,89年当初の7%台から翌90年には10%台と徐々に拡大しているものの,必ずしも大幅な事業拡大とはならなかった。その理由の一つとして,ファイアーウォール(業務隔壁)による厳しい制限が挙げられる。ファイアーウォール規制は,先にみた「利益相反問題」など,商業銀行業務と投資銀行業務を兼業する際に発生するかもしれない危険性を防止するため,銀行と20条子会社やその顧客との関係を規制したものである。その内容は,20条子会社の顧客に対する信用供与の禁止,銀行-20条子会社間の役職員の兼任禁止をはじめとする明確な分離,相互の証券売買の制限,情報交換の禁止など,非常に多岐にわたりかつ厳しい規制である。しかし,この厳しい規制は,証券業務参入に伴う訴訟や世論の反対などに対し,自ら律することにより,利益相反問題などの危険性がないことを証明する手段として活用され,証券業務参入において基準としての役割を担った面もあった。

ファイアーウォール規制は,幾つかの問題点を抱えている。第1には,情報の流れを遮断あるいはその利用を制限することは,一般的な経営情報と内部の詳細情報の峻別が困難なため,銀行業務と証券業務を兼営し多角経営することにより享受できるはずの「範囲の経済性」を阻害する可能性があるという問題である。第2には,ファイアーウォールで規制された内容は,連邦準備法(系列会社間の信用供与・資本取引規制など)や証券法・証券取引法(ディスクロージャー規定など)など,既に他の法律・規則で規制されている行為を重複して規制しているという問題もある。

こうした問題に対応し,ファイアーウォール規制の緩和は徐々に進められている。96年10月には,ファイアーウォールの中核であった系列会社間の資金提供に関する規制が大幅に緩和された。また,97年10月には,証券系列会社で引き受けた証券を,銀行本体で顧客斡旋・販売することも解禁され,一ヶ所の店頭にて,銀行・証券両サービスを受けられる「ワン・ストップ・ショッピング(バンキング)」も可能となる予定である。

(3)今後の金融制度改革の行方

(環境の変化がもたらす実質的な垣根消失と信用秩序に対する価値観の変化)信用秩序の維持と利益相反問題発生を防止するために,グラス・スティーガル法やファイアーウォールなどの規制が課せられてきたが,その必要性については,そもそもその規制の前提となった,「明白な危険性」や「利益相反問題」には疑問もあったことは,先にみた通りである。

一方,80年代に入ってからのセキュリタイゼーション(証券化)進展の本格化や,77年に導入され,実質的な証券会社の預金業務への参入となったCMA(Cash Management Accounts:現金管理勘定)の登場は,商業銀行の総収入における貸付利子収入のウェイト低下をもたらした(第2-2-4図)。この中で,商業銀行は,グラス・スティーガル法で認められていた証券業務(国債の引受・ディーリング業務など)に加え,法律では明文化されていない他の証券業務についても,FRBなどの監督当局による容認や,裁判での勝訴により順次正式な認可を得ていった。83年には自己勘定を用いずに顧客の依頼により証券売買を仲介するディスカウント・ブローカー業務が,87年にはこれに情報提供やアドバイスのサービスを加えたフル・ブローカー業務などが,それぞれ認可されるとともに,商業銀行による本格的な活動が開始されている。また先にみた通り,20条子会社による社債や株式の引受・ディーリング業務も,89年~90年にかけてFRBに認可され,裁判により認められたことに伴い,制限付きではあるものの着実に事業が展開されてきている。このように,アメリカにおいて特に80年代以降は,業務や商品の境界線が不明確となり,実質的な垣根消失が起こりつつある。

さらに国際間競争の激化の中で,欧州のユニバーサル・バンクなどに対するアメリカの金融機関の優位性確保のために,アメリカ国内において「範囲の経済」享受を前提とした,経営基盤の一層の強化の必要性があるとの認識も高まってきた。さらに,何よりも,資金調達や資産運用において,競争制限的な規制により損なわれている利便性を高めることが,金融制度改革で重要な点と考えられる。

(新たな議論:一般事業会社との垣根撤廃,監督体制の問題)

これまで見てきた通り,グラス・スティーガル法はその立法趣旨に疑問視される点が多く,また少なくとも今日のアメリカにおいては,メリットよりもデメリットの方が勝っていると考えられ,既に法改正の試みはここ十数年の間に幾度となく繰り返されてきた。しかし,議会での議論は,各業界間の対立だけでなく,各行政・監督機関間や各々の業界内においても対立が存在し(銀行業界における大規模機関と中小機関との対立など),難航してきた。しかし,時代に即した法制定に対しての必要性についての認識の変化や,個別の訴訟に対応する際の多大なコスト負担軽減を目指すことなどにより,これまで対立していた各業界の利害は,相互参入を前提として法改正を行うことで一致してきており,97年中に成案が可決されるかどうかは不透明であるものの,97年に入ってからは急速な進展が見られる。

そこでの議論の焦点は,もはや各金融業態間の参入規制の問題ではなく,①一般事業との兼営をどの程度認めるか,②各々の業態の監督体制をどの様な形で割り当てるか,という点にシフトしている。97年6月に下院の銀行委員会を通過した金融制度改革法案には,各金融業態間の大幅な緩和(但し,自己資本など一定の条件を満たすか否かにより対象となる銀行(銀行持株会社)を2分し,両者の可能な業務範囲は大きく異なる)とともに,銀行,一般事業会社間の双方向の参入や買収についても,総収入の15%以内で認める内容が盛り込まれた (第2-2-5図)。

これらについては,賛否について様々な議論があり,特に,第2の監督体制は,アメリカにおいては非常に複雑な問題である。現状では,同じ商業銀行であっても,連邦法によって設立された国法銀行はOCC(通貨監督庁)が,州法によって設立された州法銀行は州当局が,銀行持株会社はFRB(連邦準備制度理事会)が各々監督している。さらに,投資銀行あるいは証券会社はSEC(証券取引委員会)が,保険会社は各州当局が監督している。現状の案では,業務別監督体制を前提とするものの,新商品・サービスについては,第1段階では,まずOCCが本来どの業務に該当するかを判断するとなっている。

こうしたOCCの一方的な権限強化に対する懸念など,監督当局間の利害関係の調整には再び難航が予想される。

(商業銀行業務,保険業務間の参入規制)最後に,商業銀行業務,保険業務間の参入規制についてみてみたい。アメリカにおいて保険業に係わる参入規制は,商業銀行・保険業間のみであり,保険業・証券業(投資銀行業)間や,生命保険業・損害保険業間では持株会社方式や子会社を通じての参入が可能となっている。

銀行・保険間の参入規制も20世紀初頭までは存在しなかったが,金融業界の寡占化に対する懸念の声が高まり,保険会社の業務範囲を制限した1906年のニューヨーク州保険法を契機に,保険会社は各州法によって(但し,各州法ごとに内容は異なる),商業銀行は1916年の国法銀行法改正によって,相互の参入が規制された(ただし,債務者の死亡などの際に債務残高の返済を確保するための信用生命保険については認められている)。

しかし,国法銀行に対しては,16年の国法銀行法改正で,人口5千人以下の市町村においては,あらゆる種類の保険販売(保険代理店業務)を認めていることを拡大解釈することにより,そのような市町村に一店舗でも支店が存在すれば,その支店からアメリカ全土に対して保険の販売が可能ということがOCCに認可され,裁判で確認きれている。また,州法銀行に対しては,各州法による差異が存在する中で,販売業務だけでなく引受業務も含めた広範囲な保険業務が認められている州もある。一方,国法銀行法が,銀行による保険業務を禁止している州法に優先するとした96年の最高裁判決によって,これまで州法銀行に保険業務が全く認められていなかった多くの州においても,州法銀行は国法銀行で可能な範囲の保険業務を行えることが確認された。さらに,先にみた下院銀行委員会法案では,一定の条件を満たす銀行持株会社の子会社にあらゆる保険業務を認めようとしている。


コラム2-2 証券取引の電子化で急減する証券手数料

(インターネット利用で拡大する電子証券取引)

アメリカやイギリスなどでは,電子証券取引が急拡大している。リテール(個人投資家向けの小口取引)市場における電子証券取引は,もともとフランスで本格化した。83年にフランステレコム(通信事業者)が電話帳の代わりとして,各家庭に無料で配布した「ミニテル」という情報端末を応用することにより,ネットワーク上での証券取引が現実化した。その後各国においても,専用端末や専用回線を利用したネットワーク証券取引が始められた。しかし,これらは初期の設置費用などの問題もあり,ミニテルのように本格的には普及しなかった。またミニテルについても,国際化が進む証券取引の中において,独自のネットワークであるため,その利用はほぼフランス国内に限られるという問題点があった。

これに対し,95年1月よりアメリカにおいて,また同年9月よりイギリスにおいて開始されたインターネット利用の電子証券取引は,96年に本格化した後,急速に拡大している。アメリカの調査機関であるフォレスターリサーチ社の予測によると,アメリカにおける開設口座数は96年末時点で約10万から97年末時点では200万を超える見込みである。

(破格な売買手数料の実現)

インターネット利用によるメリットは,手軽さ,オープン性など多岐にわたるが,特にコストが低い点が普及加速の要因となっている。

インターネット取引は,専用線などの特別なインフラを必要とせず,また従来の営業担当者も必要としないことから,大幅なコスト削減が可能となった。1株当たり20ドルの株式を1000株取引した場合(合計2万ドル)の証券売買手数料と比較すると,従来のフルブローカーが250~300ドル程度,専用のオンライン電子取引などを中心とするディスカウントブローカーでも100ドル前後に対し,インターネット取引では10~30ドル程度と,大幅な手数料低下が実現可能となった。

さらに,各社~のホームページ上では,様々なマーケット情報が入手可能な他,「チャット」(各顧客が相互に情報交換をする場)を活用することにより,個人投資家が機関投資家なみの情報武装をすることも可能となった。

また,インターネット上で株式引受などの投資銀行業務を行う業者も出てきている。まだ本格的な普及までには多くの課題が残っているものの,SEC(証券取引委員会)やNASD(全米証券業協会)は,100万ドル以下の小額の株式公開の場合には,通常のディスクロージャー規定の対象外と認めるなど,普及拡大の後押しをしている。

こうしたインターネット取引の普及は,顧客数の拡大をもたらす一方で,伝統的な証券会社の業務の縮小,いいかえれば新たなディスインターミディエーション(非金融仲介化)となる可能性もある。


2 ドイツのユニバーサル・バンク制度にみる事例

ドイツでは,古くからユニバーサル・バンク制度が採用されている。ユニバーサル・バンク制度のもとでは,銀行は,預金受入や資金貸付等の商業銀行業務に加え,有価証券の引受等を行う投資銀行業務,及び有価証券の購入・売却や管理の受託といった証券フローカー業務を,1つの銀行の中ですべて行うことができる。さらに最近では,例えば89年にドイツ銀行が,ドイツ銀行生命保険を設立するなど,子会社設立等により保険業務にまで進出するアルフィナンツ(Allfinanz:総合金融)も現れている。

現在,世界の多くでユニバーサル・バンク制度への移行の動きがみられるが,ユニバーサル・バンク制度への移行は,前項「グラス・スティーガル法の立法趣旨」で紹介した「明白な危険」,「より微妙な弊害」をもたらし,資本市場の発展を阻害するなどの批判もある。

ここでは,ドイツの金融システムを概観した上で,ドイツの事例をもとに,ユニバーサル・バンクが,(1)「明白な危険」や「より微妙な弊害」をもたらすのか,また(2)資本市場を抑圧することになるのかについて検討する。

(1)ユニバーサル・バンク制度が「明白な危険」や「より微妙な弊害」を発生させているか

まず,第1の議論として,ユニバーサル・バンク制度が1で説明した1)「明白な危険」や,2)「より微妙な弊害」をもたらしているかを検討する。

1)明白な危険」について

ドイツは銀行優位の金融構造を持っていたが,70年代以降,ドイツの大銀行は証券業務の比率を増大させ,積極的な業務展開を行った。その中で,ドイツの銀行は証券業務で損失を被ったが,貸出業務でも損失を被った。ドイツ3大銀行の一つであるコメルツ銀行は,第一次オイルショック以後の業務拡大の中で,低金利時代に長期固定金利貸付を増加させた一方で,短期預金でその資金を賄っていたために,その後の高金利時代に逆ざやに陥った。さらに,有力貸付先である電機メーカーAEGの倒産等が発生したことなどにより,コメルツ銀行の経常利益は78年から80年にかけて10分の1に減少し,80年には赤字決算となった。

この事例を考えると,ユニバーサル・バンク制度の下で,「明白な危険」による銀行経営の不健全性が発生しているとは言い切れない。すなわち,証券業務も貸付業務もともにリスクを伴うのであって,前者が後者より危険であるという証拠を見出すことは困難である。

2)「より微妙な弊害」について

ドイツのユニバーサル・バンク制度に対する内外からの批判に答えたものとして,ボン大学のゲスラー教授を委員長とする銀行構造委員会が79年にまとめた「ゲスラー報告」が知られているが,ここにおいても,「より微妙な弊害」に関する記述がある。すなわち,銀行の企業に対する影響力の強さから,資本参加している銀行は資本参加していない銀行に比べ,企業内情報の入手に関して優位な立場にある。このため銀行は,資本参加をしている企業の経営が危ういときには,銀行が保有する株式を放出したり,さらには企業に株式を発行させ債権を回収できる。この時に,当該企業の株式を買った投資家が損失を被るというものである。

この議論に対し,ゲスラー報告では,企業に株式を発行させるという行動は非現実的想定であるとし,また事実もないと述べている。この根拠としては,企業内情報は銀行だけでなく,株式保有者,債権保有者も入手可能であることから,新株を発行させても買い手がないことから実行不可能である,というものである。また,内部情報操作により株価を操作し,倒産の直前に株式を売却した場合,インサイダー取引となるが,インサイダー取引は銀行業務と証券業務が1つの銀行内で行われるかどうかに関係なく生ずる問題であるとしている。なお,インサイダー取引については,94年の「証券の売買取引に関する法律」において,すでに禁止されている (本章第3節2参照)。

(2)ユニバーサル・バンクのをとで資本市場の発達が阻害されるか

次に,ユニバーサル・バンクが資本市場の発展を抑圧し,企業の自己資本比率を引き下げるという議論について考察する。確かに,ドイツの企業の自己資本比率は,国際的に低くとどまっている (第2-2-6表)。これを捉え批判者は,ユニバーサル・バンクが銀行業務に重点を置き証券業務を軽視しているため,増資を望む企業に対しても貸付を優先し,証券市場を縮小させる結果,証券市場の発展が遅れ,証券市場の競争力を低くし,企業の自己資本比率を下げている,と批判する。

これについては,1)まず資本市場はユニバーサル・バンクであるがゆえに発達が阻害されているのか,を考察し,2)次にユニバーサル・バンク制度が原因でないとすればなぜ資本市場の発展が遅れているのか,を検討する。

1)資本市場の発展とユニバーサル・バンク

先に,銀行業務と証券業務が兼営されているユニバーサル・バンク制度は証券業務を抑圧するという議論を紹介した。しかし,銀行業務と証券業務が分離されていても,銀行と証券会社が,投資家の資金を求めて,銀行は証券会社を,証券会社は銀行を,それぞれ互いに抑圧するように行動する可能性はある。一方で,ユニバーサル・バンクとしては,両方の業務によって,より効率的に利益を得られるよう行動することが不可欠であるから,貸出が効率的であれば貸出,証券市場が効率的であれば証券業務にシフトする可能性がある。

2)なぜ資本市場の発展が遅れているのか

次に,現実の問題としてドイツ資本市場の発展が遅れていることについて考察する。資本市場とは社債と株式の両方の市場であるが,まず社債による資金調達が低い理由を述べる。

(社債に代替する債務証書)

社債による資金調達が低い要因は,「債務証書」の存在である。債務証書とは,資金調達者と投資家の間で結ばれる資金貸借契約書であり,統計上は貸付として計上されている。債務証書は社債に比べ,ディスクロージャーの規定がないこと,手数料が低いことなどから,ドイツでは社債の代替手段として広く使われている。

(株式市場の発展と規制)

株式市場の発展が遅れている第1の要因は,そもそもドイツ企業は,同族会社が多いという性格から,第三者による自企業の支配を恐れ,有限会社形態をとることが多いことである。このため,借入による資金調達を好む傾向がある。

第2の要因は,株式市場における諸規制の存在である。個人部門の資産構成をみると,預金比率が下落を続ける中で,株式の比率は,一連の市場改革(本章第3節参照)がなされた90年代に上昇している (第2-2-7図)。

ドイツにおいては,ユニバーサル・バンク制度の枠組みに変更がないままで,資本市場の規制緩和を行ったところ,不十分ながらも資本市場の発展がみられた。このことから,資本市場の発展を阻害していたのは,ユニバーサル・バンク制度ではなく,資本市場における諸規制であると推測できる。