平成8年

年次世界経済報告

構造改革がもたらす活力ある経済

平成8年12月13日

経済企画庁


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第1章 世界経済の現況

第3節 緩やかな景気の改善がみられるヨーロッパ

1 西ヨーロッパ:通貨統合へ向け,財政赤字削減への動き

(ドイツを中心に景気は緩やかに改善)

西ヨーロッパ全体の景気を,EU15か国全休で見ると,93年のマイナス成長の後,94年には,輸出の好調に伴う設備投資の回復から,EU加盟国全体に順調な景気回復が見られた(実質GDP成長率は,93年▲0.6%,94年2.8%)。

しかし,95年には,メキシコ通貨危機を契機とした通貨相場の大幅な変動による先行き不透明さなどを背景として域内需要が鈍化し,景気は年後半において大幅に減速した(実質GDP成長率は,95年1~6月期前年同期比2.7%,7~12月同1.1%,95年全体では2.4%)。景気の減速は,95年初の為替変動で自国通貨高となったドイツなどのERM参加国から始まったが,次第にEU全休に広がっていった。ドイツなどの為替増価国では,輸出部門を中心とする企業マインドの悪化などから,投資が鈍化する一方,イタリアなどの為替滅価国でも,ドイツ,フランスなどの主要輸出先の景気減速や通貨防衛のための高金利政策を背景として95年末から景気が滅速した。

96年初は,厳冬などの影響もあり,ドイツ・フランスを中心に景気の足踏みが続いていたが,96年半ばから,ドイツ・オランダ・デンマークなどでは景気は緩やかに改善し,イギリスでは景気拡大のテンポが高まっている。一方,フランスの景気は改善の兆しが見られない。このように国によって景気の動きが異なるが,EU全体としては,96年半ば以降,景気は緩やかに改善する見込みである(IMF見通し96年10月発表:96年実質GDP成長率1.6%)。雇用情勢を見ると,失業率は,94年春の11.3%をピークに95年初まで緩やかに低下したが,景気の滅速から95年9月上昇に転じ,96年8月現在10.8%と,高水準である(第1-3-1図)。

(経済通貨統合へ向けての財政政策)

経済通貨統合(EMU:Economic and Monetary Union)への参加に必要とされる4項目の収斂基準(物価,財政,長期金利,為替相場)の達成状況を95年の実績値で見てみると,物価と長期金利については大半の加盟国が基準を満たしており,為替相場に関しても,95年春には欧州為替相場の大幅な変動によって,欧州通貨に対する緊張が高まったものの,その後は為替市場は総じて安定していた。収斂基準の中で最も達成が懸念されているのは財政基準(単年度の財政赤字と債務残高)である。加盟国の多くは,緊縮的な財政政策を実施しており,95年には,財政赤字のGDP比が11か国で低下したが,依然,基準値を上回っていることから,加盟15か国中,デンマーク,アイルランド,ルクセンブルグを除く12か国で「財政赤字(債務残高を含む)が過度」であると勧告されでいる。また,95年には,これまで財政赤字の基準達成が確実とみられていたドイツにおいて,景気の減速などから単年度の財政赤字のGDP比が3.5%と基準値を上回った。

通貨統合のための財政基準は,単年度の財政赤字のGDP比が3%以下かつ政府債務残高のGDP比が60%以下とされている。しかし,マーストリヒト条約によれば,3%,60%という数値は基準値であるものの,必ずしもこれらの基準値をクリアーしなければ過度の財政赤字を出していると判断されるわけではない。例えば,デンマークは,95年の財政赤字のGDP比は1.5%と基準を満たしているが,債務残高のGDP比は71.9%と基準値(60%)を上回っている。

しかし,デンマークでは,93年以降債務残高が継続的に低下していることから,96年7月,過度の財政赤字が存在するとしたこれまでの決定が廃止され,過度の財政赤字が存在しない国のグループに区分された。

現在,債務残高のGDP比は,多くの加盟国において,60%の基準値を上回っており,欧州委員会の見通しによれば,1~2年のうちに60%を下回る可能性のある国は少ない。しかし,デンマークのケースで見られるように,EMUのための債務残高の評価は,ここ数年のトレンドが重視されるため,債務残高が基準値を上回っていてもEMUに参加する可能性がある。

(通貨統合への具体的スケジュール)

マドリード欧州理事会(95年12月)においては,将来の単一通貨を「ユーロ(Euro)1とし,EMU第3段階(各国の為替レートの固定化)が99年1月1日より開始することが決定した。さらに,同理事会では,ユーロの導入(各国通貨の消滅)に伴う経済取引の全般のシステムの変更をスムーズにするため,EMU完了までの具体的な手順についても決定された(第1-3-2表)。

EMU完了までの主な手順を見ると,まず第1は,98年の可能な限り早期にEMU第3段階参加国を決定し,EMU第3段階の開始(99年1月IB)よでの約1年の移行期間の間に,欧州中央銀行(ECB:European CentralBank)を設立し,EMU第3段階への準備を行う。第2は,99年1月1山こ,EMU第3段階を開始し,EMU参加国通貨とユーロの交換レート,およびEMU参加国通貨間の為替レートを固定化する。第3は,遅くとも,2002年1月1日までに,ユーロ建て銀行券・貨幣を流通させ,加えて,ユーロ建て銀行券・貨幣の流通から最大6か月間以内に,各国の自国通貨を回収し,ユーロ導入を完了させるというものである。その結果,遅くとも2002年の7月までにEMUが完了することになる。

(通貨統合後の経済政策)

EMU第3段階後の財政・金融政策については,EMU参加国の金融政策の権限が欧州中央銀行へ移ることから,財政政策においてのみ各国の権限が残ることになる。なお,EMU全体の金融政策が適切に運営されるには,各国における財政政策の適切な運営が従来以上に不可欠である。例えば,EMU参加国のうち,経済規模の大きい国が,大幅な財政赤字を出したとしよう。その場合,ユーロの域外通貨(ドル,円など)に対する価値が不安定になることを通じて,他の国の経済にも影響を与えることになる。そこで,ユーロの価値を安定させるため,EMU参加国の財政赤字抑制を目的として,安定協定(Stabi11tyPact)が結ばれる予定である。その内容は,EMU第3段階開始後,経済収斂基準,特に財政規律を担保するものとして,単年度の財政赤字が基準値を上回った場合には制裁が加えられるといったものである。

EMU第3段階以後は,各国政府は,政策手段として,各国独自の金融政策を活用できず,財政政策に依存することになるが,財政政策については,マーストリヒト条約で定められた財政規律の維持によって,財政政策の自由度はかなり制約されることになろう。そこで,マクロ面での需給のアンバランスが生じた時には,価格が需給に弾力的に反応し,需給のアンバランスを調整することがこれまで以上に必要となる。特に,EU諸国では,労働市場が硬直的であることから,労働市場における改革がより一層重要となる。

(1)  ドイツ:95年末より足踏み状態であった景気は,緩やかに改善

ドイツの経済は,94年,順調に回復・拡大したが,95年に入ると,拡大テンポが低下しはじめ,95年後半1こは犬幅に滅速した。さらに,95年末から96年初にかけて景気は足踏み状態であったが,年央以降,緩やかに改善してきている(実質GDP成長率は,94年2.9%,95年1.9%,96年1~6月期前期比年率0.5%)。

95年の動向を主要需要項目別に見ると,固定投資は前年比1.5%増と年間を通じて不振であり,個人消費が年前半は順調に回復したが,年後半から滅少した。一方,外需については,輸出・輸入ともに伸びは94年を下回ったが,輸出の伸びが輸入を下回ったことから,外需の寄与度は▲0.1%となった。

96年の上半期については,厳冬の影響から建設投資は1~3月期大幅に滅少したが,4~6月期には,建設投資の反動増の他,他の需要項目についても緩やかな回復が見られた。

(95年の投資の不振)

95年の景気減速は,固定投資の不振によるところが大きい。機械設備投資は95年を通じて横ばいであり,建設投資も低水準であった。機械設備投資は,92年以降3年連続でマイナスとなり,ストック調整が続いたが,95年においても,前年比2.0%増と低い伸びにとどまった。機械設備投資は,93年末からの輸出の順調な拡大に伴い,94年7~12月期前期比年率7.6%増と回復の兆しがあったが,95年1~6月期同0.9%増,7~12月期同0.2%増と伸び率が大幅に低下した。

このように,95年を通じて機械設備投資の伸び率が低下していった背景としては,年前半のマルク高により海外向けの新規受注が低下したことに加え,主要産業の春の賃上げが高水準であったことから,輸出部門を中心として企業の景況感が悪化し,設備投資意欲が後退したことがあげられる。95年後半には,マルク高は是正され,金融緩和の継続から金利も低下したが,主要輸出先であるEU諸国の景気が減速してきたことなどから,企業の景況感の改善は見られなかった。

建設投資の不振も,今回の景気滅速の主要因である。建設投資は,94年7.7%増と高い伸びであったが,95年1~6月期前期比年率1.5%増,7~12月期同2.9%滅と伸びが大幅に低下した。特に,住宅投資は,94年13.1%増,95年3.O%増と伸び率が低下した。住宅需要は,東西ドイツ統一後,移民の流入増などによる潜在的な住宅需要の高まりに加え,政府の住宅取得促進税制の影響もあり,高水準で推移してきたが,こうした住宅ブームは,95年前半でほぽ終焉を迎えたと見られる。民間部門の建設投資の不振は,住宅部門だけでなく,非住宅部門でも生じている。非住宅建設の伸びは,94年3.O%増から95年0.4%増と鈍化した。これは,企業の設備投資アンケート調査(ifo経済研究所)にも示されているように,設備投資の内容が規模拡大ではなく,合理化投資に重点が置かれており,さらに,企業の設備投資意欲の水準自体も低いためである。また,建設投資の鈍化は,民間部門の投資が不振であったことに加え,緊縮財政の下で投資的経費の削減から,政府投資が95年前年比2.7%滅となったことも寄与している。

(96年春以降の緩やかな改善の動き)

96年初は,厳冬の影響による建設投資の大幅な落ち込みや,機械設備投資の回復の遅れから,景気は足踏み状態であったが,96年春以降,景気は緩やがに改善してきている(実質GDP成長率は,96年1~3月期前期比年率▲1.9%,4~6月期同6.1%)。

96年1~3月期においては,建設投資が厳冬の影響から大幅に落ち込み(前期比年率32.3%滅)に加え,設備投資も回復が遅れていた(同0.6%増)。特に,建設業のシェアが高い旧東独地域では,統一以後初めて成長率がマイナス(同11.9%減)となった。

96年4~6月期には,建設投資の反動増(前期比年率55.2%)によって,実質GDPは高い伸びとなった他,個人消費(同3.5%)や輸出(同3.2%)の回復が見られた。特に,在庫投資は95年10~12月期,96年1~3月期と増加していたが,4~6月期には大幅に減少し,在庫調整が行われたと考えられる。

鉱工業生産についても,95年7~9月期以降,滅少傾向にあったが,96年3月以降増加傾向に転じ,製造業新規受注も,96年3月より増加傾向に転じた。

製造業稼働率も,95年9月以降,低下が続いていたが,96年6月に約1年ぶりに上昇した。また,95年初より悪化を続けていた企業の景況感(ifo景況感指数)も,96年4月以降,改善しつつある。

(投資・雇用拡大への取組)

ドイツの雇用情勢は,94年の景気回復・拡大後も大きな改善は見られなかったが,95年後半以降,景気減速の影響から,さらに悪化した。96年半ばより景気は緩やかに改善してきているものの,失業率の低下は見られない。

失業率は,94年7~9月期(9.3%)より緩やかに低下していたが,95年7~9月期に再び上昇に転じた。96年1月には,10.1%と,戦後の混乱期以降ここ45年間では,最高となり,その後も10%台で推移している。さらに,雇用者数も,95年を通じて滅少し,4年連続の減少となった。

一方,95年のドイツ国内の投資は不振であったが,対外直接投資は,95年371億マルク(前年比43%増)と大幅な増加となり,ドイツの産業立地としての存続が一層懸念されることとなった。

ドイツ政府は,こうした状況の下,投資の障害となっている構造問題を解決し,構造的失業を削減していくことが重要であると考え,2000年までに失業者を半減することを目指し,「投資と雇用のためのアクション・プログラム」(96年1月)と,それに続く,「成長とさらなる雇用のためのプログラム」(96年4月)を発表した。これまでも,ドイツでは,労働市場の硬直性や厳しい規制などを改善することを目的として,構造改革のパッケージが提示されてきたが,今回は,特に,投資・雇用の拡大の障害の1つとみなされている労働コストの削減に重点が置かれている。労働コストが生産性を上回る水準で推移している要因の1つとして,労働所得に係る社会保障負担(いわゆる非賃金コスト)の高さがあり,こうした社会保障負担を軽減する観点からも,社会保障制度の改革が不可欠との指摘がある(詳しくは,第2章第3節を参照)。

(悪化する政府財政)

一般政府の財政赤字のGDP比は,93年3.5%,94年2.4%と,94年に大幅に縮小したが,景気の滅速などから95年3.5%と再び拡大し,通貨統合のための財政収斂基準(財政赤字のGDP比が3%以下)を上回った。財政赤字の縮小は,他のEU諸国と同様,ドイツにおいても緊急の課題であり,連邦政府は,歳出総額を96年,97年と2年連続で前年比マイナスにする予定である(96年7月発表の97年連邦政府予算案では前年比2,5%減)。

95年の財政赤字の拡大の要因を中央政府・地方政府・社会保障基金に分けて見ると,中央政府の財政赤字は94年と比べほぼ横ばいであったのに対し,地方政府・社会保障基金の財政赤字が拡大した。特に,社会保障基金は,94年43億マルクの黒字であったが,95年136億マルクの赤字となった。こうした社会保障基金の収支の悪化は,医療費の増加や,雇用情勢の悪化から旧東独地域を中心に早期年金受給者が増加したこと(第2章第5節を参照)による歳出増によるところが大きい。

財政の悪化の主要因としては,旧東独地域の復興コストが,東西ドイツ統一後から約6年を経過しても,多額にのぼっていることがある。旧西独地域から旧東独地域への公的所得移転(ネット)は,統一直後の91年以降増加しており,旧西独地域のGDPに対する公的所得移転の割合は,91年以降4%台前半で推移し,95年4.5%となっている。旧東独地域の経済的自立が遅れている要因としては,労働者側が旧西独地域との賃金格差の縮小を強く求めた結果,旧東独地域では,生産性の上昇率を上回るスピードで賃金が上昇し,賃金コストが割高になっていることがある(第1-3-3図)。95年現在,旧東独地域の賃金コストは,旧西独地域に比べ,3割程度割高になっているが,こうしたことから,生産拠点としての魅力が低下し,人員削減や企業倒産が続いている。財政赤字の縮小のためには,旧東独の高失業を解決し,失業給付や社会扶助などの社会保障支出の削滅が不可欠である。

(2)フランス:景気足踏む中で難航する財政改革

(95年の景気減速とその背景)

93年4~6月期以降回復していた景気は,95年4~6月期から減速した。減速の背景としては,次のような点が考えられる。

まず,95年3月上旬,フラン防衛を目的に大幅な金融引締めが行われ,コール翌日物金利は,それまでの5.3%台から7.9%台まで一気に上昇した。折から5月の大統領選を控えで経営者の投資態度が慎重になっていたこともあり,95年4~6月期には,法人固定投資と在庫投資が減少した。また,94年2月以降続けられていた乗用車購入に対する補助金給付制度が95年6月に終了したため,7月以降,新車需要が大きく落ち込んだ。秋に入ると,8月の付加価値税率引上げ(18.6%→20.6%)や,94年10月以来改善しつつあった雇用情勢の再悪化などを反映して,消費者コンフィデンスの低下から,個人消費が滅少した。さらに11月下旬には,同月半ばにジュペ首相が発表した社会保障改革案や国鉄再建案に反対して,国鉄等の公共部門で大規模なストが起こり,約3週間半続いた。フランスの国立統計経済研究所(INSEE)の推計によれば,このストの影響で95年10~12月期のGDPは,前期比年率ベースで約1.6%押し下げられた。

(96年に入っても足踏み続く)

96年1月には,95年末のストの反動などもあって,個人消費が犬きく伸びたが,その後,失業率の継続的な上昇(95年8月11,4%→96年9月12.6%),2月の新税導入(後述)などから再び消費が低迷し,景気は足踏みを続けている。

96年1~3月期の実質GDPは前期比年率4.6%増となったが,これは,うるう年効果と95年末のストの反動など,特殊要因によるところが大きい。

INSEEの推計によれば,1~3月期のGDPは,うるう年効果によって,前期比年率ベースで約2%押し上げられた。なお,4~6月期には,その反動もあって,実質GDPが前期比年率1.4%減少した。

(社会保障制度改革に向けた取組)

フランスでは,90年代初頭の景気減速に伴って財政赤字が大幅に増加,一般政府財政赤字のGDP比は,93年に6.1%に達した後,94年も,景気が回復したにもかかわらず,6.O%に達した (第1-3-4図)。

このような財政赤字拡大の背景の1つとして,社会保障会計の収支悪化があったため,ジュペ首相は95年11月半ば,社会保障制度改革案を発表した。同案は,年金制度から医療制度,家族手当制度まで広範多岐にわたるものであり,その主な内容と,その後の進捗状況は次の通りである。

第1に,公務員の年金制度について,満額年金の受給権を獲得するために必要な加入期間を,従来の37.5年から,民間部門並みの40年に延長することが提案された。この提案は,前述の公共部門ストの最大の原因となったものであり,結局,制度の変更は当面凍結されることとなった。第2に,社会保障会計の累積債務を返済するための財源として新税の導入が提案され,96年2月に社会保障債務返済税(RDS:Remboursement de la Dette Sociale)が導入された。この税は,貧困者を除く全国民のほとんどすべての所得(資産性所得や社会保障給付の大半も含まれる)に一律0.5%の税率で課税するもので,社会保障会計の累積債務の完済が予定される13年後までにわたる時限目的税である。

年間税収は,250億フラン(95年名目GDP(7)0.3%強に相当)と見積もられた。

第3に,これまで政府・労働組合・医師団体などの協議で決められていた社会保障予算を,議会の議決事項とすることが提案され,96年2月,その旨が憲法に規定された。

(97年度予算案の内容)

フランス政府は,96年9月半ば,97年度(97年1月~12月)の予算案を発表した。同案によると,97年度の中央政府の予算は,歳出が名目ベースで前年度比約0.1%増(9.4億フラン増),歳入が同約0.4%増(50,1億フラン増)となっており,さらに,地方政府の財政赤字が96年度のGDP比0.05%から97年度にはゼロヘ,社会保障会計の財政赤字が96年度のGDP比0.6%から97年度には同0.3%へ,それぞれ縮小すると見込まれていることなどから,97年度の一般政府財政赤字のGDP比は,3%ちょうどに収まると見込まれている。なお,同案には,9月上旬に発表された滅税計画がすでに織り込まれている。この減税計画によると,97年度以降5年間で,総額750億フランの所得税滅税が行われることになっており,うち97年度の減税額は250億フランとなっている。

このように,97年度予算案は,通貨統合参加のための財政赤字の収斂基準を充足するものとなっているが,次のような問題も指摘されている。第1に,97年度一般会計歳入には,フランス・テレコム社からの一時収入375億フラン(GDP比0,45%)が計上されるが,これは,同社の企業年金基金を政府が引き受けるにあたり,同基金の収支が将来悪化すると見込まれることから,いわば債務引き受けの対価として,政府が同社から受け取るものであり,この取引によって,政府は将来の財政負担拡大要因を抱え込むことになる。第2に,社会保障会計の見通しが楽観的であるという点も指摘されている。97年度の社会保障会計の赤字は,97年度予算案では約300億フランと見込まれているが,同予算案発表直後の9月下旬に発表された社会保障会計委員会の見通しでは,472億フランと見込まれている。なお,フランスの社会保障会計は,政府でなく,同委員会によって管理されている。第3に,中央政府の歳出がほぼ横ばいに抑えられる大きな要因の1つは,国庫特別勘定が,96年度の約107憶フランの赤字から,97年度には約7億フランの黒字へ転じると見込まれていることにあるが,その内訳が発表されていない。なお,国庫特別勘定とは,貸金及び返還金にかかる暫定的な資金操作の収支(日本の財政投融資勘定にほぽ相当)などを取り扱う勘定である。日本の財政投融資勘定は一般政府勘定に含まれないが,フランスの国庫特別勘定は,中央政府勘定に含めて処理されている。

(3)イギリス:96年後半から,景気拡大のテンポ高まる

92年下半期から他の西ヨーロッパ諸国に先がけて景気回復に向かったイギリス経済は,93,94年と順調な拡大を続けた。95年に入ってからは,大陸ヨーロッパ諸国の景気が停滞する中で,財政・金融引締めの効果などにより景気拡大のテンポは緩やかなものとなったものの,比較的堅調な成長を続けた(95年の実質GDP成長率2.5%)。96年後半からは,個人消費を中心とした内需が牽引力となり,景気の拡大テンポは高まりをみせている。

今回の長期にわたる景気拡大局面におけるイギリス経済の特徴としては,失業率が継続的に低下していることが挙げられる。このような失業率の低下は,景気循環的な要因に加え,80年代以降の労働市場改革の成果が現れたものと考えられる。

(96年後半から,拡大のテンポ高まる)

95年のイギリス経済は,ドイツ,フランスなど大陸ヨーロッパ諸国の景気が停滞し,高失業に苦しむ中,比較的に堅調な景気拡大を続けた。ただし,景気拡大のテンポは,①94年9月以降の金融引締め,②財政の引締め基調等もあって,固定投資を中心に内需の伸びが鈍化したことから,93,94年と比べると緩やかなものとなった。

イギリス政府は,①ERM離脱以降のポンド安による輸入物価上昇や②潜在成長率を越える水準での景気拡大が続いたことなどに伴うインフレ圧力の高まりを受けて,94年9月から金融引締めに転じた。政策金利(最低貸出金利)は95年2月までに計3回合計1.5%引き上げられた。また,財政面でも,増税措置やコントロールトータルの導入による厳しい歳出削減策が実行されるなど,財政赤字の削滅が進められた。その結果公的部門の財政赤字(PSBR)はGDP比で93年の6.7%から95年には5.1%にまで低下したものの,内需に対しては抑制的な影響を与えたものと思われる。これら政策面からの引締め効果もあって,95年に入ると,内需の伸びは鈍化した。

加えて,95年後半からはドイツ・フランスといった大陸ヨーロッパ諸国の景気滅速に伴い,EU域内向けの輸出の伸びが鈍化し,景気の足を引っ張った。

ただし,内需の弱まりから,輸入の伸びも鈍化したため,外需全体としては,景気に与えた影響は小さかったと考えられる。

この中で,物価上昇率(住宅金利を除いた消費者物価上昇率)は,95年9月をピークに若干低下し,96年9月には前年同月比で2.9%となった。金融政策は,このような物価動向や,景気拡大のテンポが鈍化したことを受けて,95年12月から利下げに転じ,96年6月までに4回計1.O%の利下げを実施し,最低貸出金利を年5.75%とした。

96年に入ってからの動向を見ると,96年初は,①製造業の在庫調整の遅れに伴う生産の回復の遅れ,②設備投資の回復が当初想定されていたよりも緩やかであったことなどから,景気拡大のテンポは緩やかなものに留まっていた。しかし,年後半からは,在庫調整の進展に伴い生産に回復の兆しが見られることに加え,個人消費,設備投資等の内需項目が順調に拡大していることから,景気拡大のテンポは高まっている(実質GDP成長率96年7~9月期前期比年率3.0%)。今後の見通しについても,低迷を続けていた住宅投資にこのところ回復の動きが見え,また停滞していたドイツ経済の回復により外需の好転が見込まれることから,97年も拡大が続くとみられる(イギリス政府の97年の実質GDP成長率見通し3.25%)。

一方,景気拡大のテンポに伴い,このところ将来的なインフレに対する懸念が高まっている。それに加え,現在の物価上昇率がイギリス政府のインフレ・ターゲットの目標値(97年5月までに1~2.5%台に)を依然として上回っていることから,イギリス政府は10月,インフレ予防観点から金融を引き締め,最低貸出金利を0.25%引き上げ年6.00%とした。

(労働市場改革がもたらす失業率の低下)

今回の景気拡大局面の特徴として,失業率が持続的に低下していることが挙げられる。イギリスでは,他の大陸ヨーロッパ諸国の失業率が高止まりしている中で,失業率は緩やかな低下を続けている。93年1月にピークを迎えた失業率は,94年9.3%,95年8.2%と低下を続け,96年10月には7.2%にまで低下している。

この失業率の低下は,景気循環による部分もあるが,構造的な部分の低下によるところが犬きいと思われる。OECDの推計によると,賃金上昇を加速させない失業率(NAWRU:Non-Acce1erating Wage Rate of Unemployment)は,80年代後半には10%台にまで高まっていたものが,95年には7%を下回る水準まで低下している。 (注1-2)

構造的な失業率の低下の要因としては,80年代からの労働市場改革の効果が浸透してきていることが挙げられる。イギリスでは,80年代以降の保守党政権下において,①労働時間や賃金に対する規制の撤廃,②労働組合の活動の抑制③失業保険給付の給付水準及び受給資格の見直しなど,市場メカニズムを導入する形で労働市場改革が実施されてきた。

労働時間に関する規制は,89年までに若年労働者に対する制限も含め,ほぼ全廃された。それに加え,フレックス・タイム,年間時間契約など多様な労働時間制が採用されるようになった結果,イギリスでは労働者間の労働時間のバラツキが非常に大きくなっている。また,賃金についても,市場メカニズムの活用を妨げるとの理由から,最低賃金制度が93年に廃止された。

労働組合に関しては,クローズド・ショップ制(組合貝であることを雇用契約の締結及び存続のための要件とする労使契約)が廃止され,二次的ピケット(労使争議に直接関係のない企業でのストライキ)も禁止された。その結果として,組合組織率が低下するとともに労働組合の力は急速に弱まり,95年には労働争議による損失口数は過去最低の水準にまで滅少した。

失業保険給付に関しても,82年に所得課税されることとなると同時に,所得比例給付が廃止された。その後も86年に拠出要件を充たさない者への給付が廃止され,88年には18歳未満を給付対象外にするなど給付範囲が狭められるとともに,89年からは給付条件が厳格化された。その結果,失業者のうち実際に給付を受けている者の割合は,84年の31%から94年には17%まで低下している。

さらに,96年10月からは,今までの失業給付を求職者手当に変えるとともに,給付期間の短縮がはかられている。

これら一連の改革は,労働市場の需給調整能力を高め,今回の持続的な景気拡大局面において,インフレ率を高めることなく,雇用の拡大(失業率の低下)をもたらしたと考えられる (第1-3-5図)。特に,今回の景気拡大期においては,①サービス産業の雇用が大きく拡大したこと,②パート・タイマーを中心に雇用拡大が進んでいることなどが特徴となっており,労働時間や雇用形態に関する規制が小さいことが,それらの雇用の拡大を支えたとみられる。

一方,労働市場の柔軟性が高まったことは,賃金格差の拡大や雇用の不安定化などの現象を引き起こした。イギリスの賃金格差は80年代以降徐々に拡大しており,それにつれて,低賃金の労働者が増加していると言われている。また就業形態の多様化に伴い,パートタイマーなど不安定な雇用形態で雇用される労働者が増大しており,国民の雇用に対する不安感を高めていることから,それらの低賃金労働者や不安定な職種の労働者に対する職業訓練などが重要となっている。

(4)イタリア:景気は急速に減速

93年10~12月期以降,景気回復に向かったイタリア経済は,94,95年と順調に拡大を続けた(94,95年のGDP成長率2.1%,3.0%)。しかし,95年末からは,ドイツ,フランスの景気減速に伴う輸出の鈍化や財政・金融の引締めの影響もあり,景気は急速に減速している。しかし,イタリア政府は,EU通貨統合への参加を最優先課題としていることから,景気減速にもかかわらず,財政赤字削滅をさらに押し進めるスタンスを維持している。

(景気は急速に減速)

イタリア経済は94,95年と輸出主導の景気拡大を続けたが,95年末からは,①欧州景気の減速及びリラ安の修正に伴う輸出の伸びの鈍化,②財政・金融の引締め等から景気は減速に転している。

95年後半からドイツ,フランス経済は減速したが,その影響を受け,イタリアの輸出の伸びは鈍化している。ドイツはイタリアにとって最大の輸出市場,フランスは第2の輸出市場であり,両国でイタリアの輸出合計の約3分の1を占めていることから,95年10~12月期以降,その影響が強く現れており,輸出額(通関ベース)は,減少傾向にある。また,リラ相場の動向を見ると,92年9月のERMからの離脱以降,リラは対マルクでIDM-1,240リラまで減価した(約38%の減価)。しかし,95年5月以降ERMへの復帰をにらみ増価に転じ96年9月には1DM-900リラ台まで上昇している(第1-3-6図)。この2,3年のイタリアの輸出の順調な拡大は,ERM離脱後のリラ安によるところが大きいことから,急速なリラ相場の回復は,イタリア製品の輸出競争力を低下させているものと思われる。

また,このような輸出の鈍化の影響は,海外からの受注の低下を通じて生産へと波及している。製造業新規受注金額の推移を見ると,96年1~3月期,4~6月期は,前年同期比でそれぞれ▲1,2%,▲7.6%と滅少している。また,鉱工業生産も95年10~12月期から3四半期連続の滅少となった。

政策面をみると,通貨統合に向けて急激に財政赤字削減を進めていることから,財政は引締め基調にある。GDPベースの政府消費の伸び率の推移を見ると,95年前年比▲0.5%の後,96年1~3月期▲0.2%,4~6月期0.1%と抑制基調にある。また,金融政策についても,95年中は,インフレ抑制のために引締め基調で推移した。また,イタリア銀行は,96年に入り景気減速が明らかになってからも,生計費上昇率が前年同月比で4%を下回るまでは利下げをしないことを明言し,結局,公定歩合は7月まで引き下げられなかった。このような財政・金融政策のスタンスは,95年前半には,加熱気味で推移していたイタリア経済を急速に減速させる要因となった(その後イタリア銀行は10月に再利下げを行い,公定歩合を年7.5%とした)。

この中で,失業率は94,95年と景気が順調に拡大したにもかかわらず改善が見られず,96年に入ってからも高水準で推移している(96年7月11.7%)。特に,南部での失業率は21.4%と高く,雇用面でも南北格差が大きな問題となっている。

今後の見通しについては,イタリア政府は,96年6月の「財政・経済3ヵ年計画」の発表の際には,96,97年の実質GDP成長率をそれぞれ1.2%,2.O%と見込んでいたが,その後,景気の減速感が強まったことや財政の引締め基調が続いていることなどから,96年の成長率を0.8%に下方修正した。

(EU通貨統合に向けての課題)

イタリアでは96年4月に総選挙が行われ,中道左派主導のプロディ内閣が誕生した。プロディ内閣は,イタリアをEU通貨統合に当初から参加させることを目標としているが,そのためには通貨統合の経済収斂基準の達成が課題となっている。

イタリアにとって統合に向けての最大の障害-となっている財政赤字及び公的部門の債務についてみると,95年のイタリアの単年度の財政赤字はGDP比で7.2%となっており,EUの収斂基準の3.O%と比べると,かなり高水準にある。これに対し,イタリア政府は97年予算案(96年9月発表)に加えて,1回限りのユーロ税(Euro Tax)の導入等を提案し,財政赤字を合わせて62.5兆リラ削減するとしそいる。これによりイタリア政府は,97年中に財政赤字を収斂基準の範囲内に収めることができるとしている。 (注1-3)しかし,急速な景気減速に伴い税収の伸びが鈍化しており,また,大幅な支出削減及び増税が国民の理解を得られるか否か不透明であることから,目標の達成は微妙な状況にある。

債務残高についてみると,95年の債務残高のGDP比が124.8%とEUの収斂基準(60%)を大きく上回っている。今後,単年度の赤字削減が進展すれば債務残高も徐々に低下していくと見込まれるが,短期間での収斂基準の達成は非常に困難な状態にあると言える。

財政赤字の着実な減少は,収斂基準の一つである長期金利にも好影響を与えるという意味においても重要である。イタリア政府による一連の財政赤字削減策は市場に好感され,その結果として,長期金利は95年4月以降,3%以上低下している。このような長期金利の低下は,政府債務に対する利払い費の低下につながり,さらなる債務削減につながることから,今後も着実な財政赤字削減を進めることにより,独仏などに比べてまだ高水準にあるイタリアの長期金利が低下することが期待される。

物価については,92年7月に,スカラモービレ制が廃止され,新しい賃金決定方式が採用されたことにより,賃金上昇を通じた構造的なインフレ要因は是正されている。また,このところ景気滅速による内需の弱まりやリラの回復に伴う輸入物価の安定により,消費者物価上昇率は徐々に低下している(96年10月生計費上昇率前年同月比3.O%)。さらに,イタリア銀行は97年のインフレ率の目標値を3.0%とし,今後も引締め基調の金融政策運営を行うとしていることから,物価上昇率はさらに低下していくものと思われる。

為替についてみると,リラのERM復帰に向けての動きが見られる。年金改革や民営化などの財政改革の進展や補正予算の成立,本格政権と目されるプロディ内閣の誕生などがリラに対する信認を高め,リラは対マルクで急速に増価し,ERM復帰への機運は高まっている(前掲第1-3-6図)。これを受けて,イタリア政府も,6月のEUサミット後にドイツ,フランスと交渉を開始しており,復帰実現に向けての環境を整えつつある。ただし,復帰に際してのリラの水準については,ドイツ,フランスなどがリラの現在水準は,依然割安であると考えているのに対し,イタリアの産業界はこれ以上のリラ高に対して懸念を表明するなど,立場に応じて様々な思惑があることから,今後の交渉の進展が注目される。

2 中・東ヨーロッパ:引き続き景気の拡大続く

90年初頭から市場経済への移行を進める中・東ヨーロッパは,主要3か国(ポーランド,ハンガリー,チェッコ)すべてが,94年にプラス成長,95年に入っても着実に経済成長が続くなど (第1-3-7図),体制移行に伴う生産減少から転じて拡大が続いており,96年までに,3が国ともOECDに正式加盟するまでに至った。

(ポーランド:インフレは低下傾向,貿易収支は赤字に)

92年以降プラス成長を続けているポーランドは,実質GDP成長率で94年5.2%,95年7.O%と設備投資,輸出を中心に高成長を見せた。また,失業率も依然高水準ながら,94年16.O%から95年14.9%と低下した。

ポーランドは,未登録貿易(税関へ申請していない財・サービスの貿易)分を含む輸出の急増が,外貨準備の膨張を招き,インフレ圧力となっていた。94年11月以降,自国通貨ズロチの名目為替レートを定期的に切り下げているが,その切下げ幅を内外インフレ格差より小さなものとし,ズロチの実質価値を高めて,インフレの沈静化を図っている。これにより,消費者物価上昇率は,94年前年比32.2%から95年同27.8%となっている。一方,ズロチの実質増価で,貿易収支は,96年から悪化している。未登録貿易を含めた貿易収支は,それまでの大幅黒字から,96年以降,小幅の赤字とな,っている(未登録貿易は大幅黒字)。それに伴い,経常収支も大幅黒字から小幅の赤字となっている。なお,内外価格差と節税を理由とした未登録貿易が,96年1月,経常収支の定義変更で「未登録純輸出」として計上されるようになった。

政府は,96年1月に発表した「パッケージ2000年」で,2000年までの年平均5.5%成長と,2000年のEU加盟を目指している。また,96年11月,OECDに正式加盟した。

(ハンガリー:景気の減速が見られるハンガリー経済)

農産品が輸出品の約4分の1を占めるハンガリーは,93年,EUの景気低迷に加え,干ばつによる農業生産の低迷などから,輸出の不振,経常収支の悪化を招き,財政赤字と共に,2つの赤字に苦しむこととなった。

政府は深刻化する2つの赤字を削減すべく,95年3月,財政引き締め,輸入課徴金の導入,自国通貨フォリントの切下げなど倉盛り込んだ緊急経済政策(「ボクロシュ・プログラム」)を発表した。その結果,経常収支赤字と財政赤字は,共に95年以降縮小に向かい,物価上昇率も95年は前年比28.2%まで昂進したものの,96年6月前年同月比23.6%まで低下している。

しかし,実質GDP成長率は,他の中・東ヨーロッパ諸国が95年,前年の成長率を上回るなかで,95年1.5%と94年の2.9%から減速している。

なお,96年5月,OECDに正式加盟した。

(チェッコ:順調に成長を続けるチェッコ経済)

体制転換後,チェッコは,ポーランド,ハンガリーに比べ,実質GDP成長率,工業生産といった「生産」の回復よりも,むしろ物価上昇率や財政赤字の改善を先行させてきた。実質GDP成長率は,94年に2.6%とようやくプラスとなり,95年も4.8%と順調に拡大した。それに伴う内需の拡大により,95年初から貿易収支,経常収支は赤字が拡大している。

また,短期資本の流入がインフレ圧力となっていたため,96年2月,為替相場の基準レートからの変動許容幅を広げて(上下0.5→7.5%)為替変動リスクを高め,投機目的の資本流入抑制を図っている。物価上昇率は,他の中・東ヨーロッパ諸国に比べて落ち着いている。財政収支はほぽ均衡している。

3 ロシア:インフレ沈静化の中,不透明感の残るロシア経済

92年初から,市場経済移行に向けた経済改革を行っているロシアは,生産の低下が続き,インフレの昂進等にみまわれたものの,95年,緊縮政策によるインフレ沈靜化の兆しや,生産の下げ止まりの兆しなどが現れた。また,96年6~7月の大統領選挙ではエリツィンが再選を果たし,政権交代による経済の混乱は回避された。しかし,安定化の兆しを見せていた経済は,96年後半から生産面で再び滅少幅がやや拡大している。

(96年央より再び生産の減少幅はやや拡大)

92年の経済改革開始以降,累積で約6割の水準まで低下し,大幅な減少を続けてきたロシアの実質GDPは,95年には前年比4.O%減と前年比の減少幅は大きく縮小した。しかし,96年1~9月には前年同期比6%減とやや拡大している(第1-3-8表)。

一方,鉱工業生産も,91年以降の累積で約5割の水準となったが,95年は前年比3.3%滅と底打ちの兆しが見られた。しかし,96年1~9月前年同期比5%減と再び減少幅が拡大している。鉱工業生産の動向を業種別にみると,電力,燃料,鉄鋼,非鉄金属工業など資源・エネルギー関連は,海外の堅調な需要を反映し,96年1~9月前年同期比3~4%の減少に留まっている。しかし,軽工業,建材工業などは,内需が低迷していることに加え,輸入品との競合が激しいことから,96年1~9月前年同期比でそれぞれ27%,25%減少している。

貿易(CIS諸国との取引を除く)収支は,95年も311億ドル(GDP比8.5%)の黒字となった。輸出は,原油,天然ガス等を中心として95年前年比25.1%増と大きく伸びたが,96年上半期は伸び率が鈍化している(96年1~3月期前年同期比8.3%増,4~6月期同4.9%滅)。輸入は,機械・設備,食料品を中心として95年前年比17.4%増と大きく拡大した。しかし,96年1月の一部諸国からの輸入に対する特恵関税の廃止等により,輸入の減少(96年1~3月期前年同期比7.1%滅,4~6月期同2.2%減)が大きかったため,貿易黒字はやや拡大している。一方,CIS諸国との貿易は,上記特恵関税廃止等の影響もあり,ロシアの全輸出入額に占める割合が高まっている(95年21.1%,96年1~8月24.0%)。ただし,貿易の構造は,「資源輸出・消費財輸入」で大きな変化は見られない。また,輸出競争力の低下への懸念から,96年7月までに輸出関税はすべて廃止されている。

なお,上記の貿易の数値には,シャトル貿易(運び人による個人貿易)が含まれておらず,実際の貿易収支黒字額は,推定で95年199億ドル(GDP比5.4%)程度の黒字とみられている。つまり,シャトル貿易は年間約100億ドルの入超と見られており,政府は,財政の歳入増加と地下経済の縮小を目指し,96年7月,シャトル貿易に対する徴税強化(関税引上げ)を打ち出している。

ルーブルの対ドルレートは,中央銀行が目標相場圏を設定した95年央頃から比較的安定的に推移している (第1-3-9図)。96年7月からは,スライド式の変動幅を設定している。

(緊縮政策によるインフレ沈静化)

94年まで幾度か緊縮政策が打ち出されたが,国営企業のバランスシートの悪化及び社会保障に対し,政府が,補助金の支給などで対応したことによって,財政赤字が拡大し,マネーサプライの伸びも高いものとなった。消費者物価上昇率は,93年前年比840%,94年同215%だった。95年の財政緊縮政策では,国民経済費(政府の固定資本形成),国防費が主に削減され,歳出規模(GDP比)はそれまでの20%超から17.5%に抑えられた。また,中央銀行がらの借入れによる財政赤字の補填を禁止した。こうしてインフレの沈静化が最優先課題とされた結果,95年には前年比131%,96年も前月比で減少し,8月には前月比マイナス0.2%となっている。また,財政赤字(利払いを含まない)も94年GDP比10.4%から95年GDP比2.9%まで大幅に縮小した (第1-3-10表)。

(経済の安定化に向けて)

ロシア政府は,財政赤字の削減や,インフレの抑制など,マクロ経済の安定化を通じ,ルーブルの信認回復,貯蓄の増加を経て,投資活動を活性化させて経済成長を図る,というスケジュールを想定しているとみられ,96年初にはマクロ経済の安定化の兆しが現れている。

しかし,96年後半に入り,徴税率の低下などによる歳入の不足,国債利払い費の増大,選挙公約による社会保障関連等の支出の拡大から,財政収支が悪化している。

今後,持続的な経済安定のためには,①徴税制度の改善,②未払い賃金の解梢などが,喫緊の課題となっている。