平成7年

年次世界経済報告

国際金融の新展開が求める健全な経済運営

平成7年12月15日

経済企画庁


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第1章 世界経済の現況

第2節 5年目を迎えたアメリカ経済の拡大

1 アメリカ:景気は95年前半に大きく減速

91年春に底を打った景気は,拡大を続けて5年目を迎えたが,インフレ未然防止の観点から,94年2月以降引き締めに転じた金融政策の効果により,95年前半に景気拡大のテンポは大きく減速した。

94年~95年前半にかけての景気動向には,次のような特徴が見られた。

その後,景気は年央より回復基調で推移している。その要因には,①景気減速とインフレ懸念の後退から,長期金利が94年終わり頃より低下しており,それが住宅投資を回復させていること,②設備投資が増勢は鈍化しつつも堅調な伸びを示していること,③95年前半に鈍化した輸出も再び増勢を強めていることなどが挙げられる。こうした需要動向を背景に,生産も増加傾向で推移している。今後,景気は,潜在成長率近傍での拡大を続けていくと期待されるが,在庫調整の動向など,引き続き注視していく必要がある。

最近の景気動向の推移を実質GDP成長率で見ると,93年3.1%,94年4.1%と拡大したあと,95年1~3月期は前期比年率2.7%,4~6月期は同1.3%に減速し,その後7~9月期には同4.2%(暫定値)と再び回復している。

以下では,これらの特徴的な動きに焦点をあて,94~95年にかけての経済動向を概観する。

(金融引締めとその影響が現れた住宅投資・耐久財消費)

まず,金融政策の動向とともに,とりわけ投資活動に影響を及ぼす長期金利の動向を振り返ってみよう。

アメリカ連邦準備制度(Fed:FederalReserve System)は,93年後半からの景気拡大の本格化に伴うインフレ圧力の高まりを未然に防ぐため,94年2月に金融引締めへと転じた。その後,95年2月までに,連邦準備制度はフェデラル・ファンド・レート(FFレート:Federal Fund Rate)の銹導目標水準を計7回,公定歩合を計4回引き上げた。この結果,95年2月の時点では,FFレートの誘導目標水準は6.0%,公定歩合は5.25%となり,金融引締め前からはそれぞれ3.0%ポイント,2.25%ポイント上昇した。しかし,その後,景気拡大のテンポが大きく減速し,インフレ圧力が後退したことを受けて,連邦準備制度は95年7月の米国連邦公開市場委員会(FOMC:Federal 0pen Market Committee)において,FFレートの誘導目標水準を5.75%とし,92年9月以来の引下げを実施した(第1-2-1図)。

なお,金融政策判断の参考とされる実質短期金利(FFレートー消費者物価上昇率)の推移を見ると,92年7月から93年12月までほぼゼロ%で推移しており,金融政策が超緩和状態であったことがうかがえる。しかし,94年2月以降の利上げにより,実質短期金利は上昇し,95年2月には3%程度と,90年来の水準に戻している。

一方,長期金利(30年物国債)は,インフレへの警戒感などを背景に,93年10月から5%台後半を底に既に上昇し始めていたが,94年2月以降の金融引締めに伴い一段と上昇し,94年11月には8%台となった。その後,長期金利は,景気減速やインフレ懸念の後退から下落に転じ,95年9月の時点では6%台後半の水準で推移している。

94年2月以降の一貫した金融引締めにもかかわらず,景気は,94年10~12月期まで加速を続けた。輸出の増大が下支えしたこともあるが,一般に金利感応度が高いといわれる需要項目への影響が,なかなか現れなかったということがあった。後述するように,設備投資は増大を続け,住宅投資と耐久財消費も明瞭に減少したのは94年末からであった。住宅投資と耐久財消費の動向を,今回の金融引締め期と金利の上げ幅・引締め期間の状況が類似している88年の金融引締め期とで比較すると,今回の引締め期において,88年と比較して共に金利感応度が低いことがうかがえる(第1-2-2図)。

住宅投資については,ストック調整が十分に進展していた多世帯住宅への投資が下支え役となった。それに加え,住宅購入資金の調達に「ARMs」を利用することによって,借入れ金利の短期的な低減・支払方法の多様化を図り,購入コストの上昇を緩和させることができたことが挙げられる。(注1-1)また,耐久財消費の金利感応度が低かったのは,94年を通した力強い雇用拡大により,所得が増加していたことによる。この間,消費者マインドは改善を続けた。

95年1~3月期には住宅投資,耐久財消費ともに減少したが,その後は,94年11月以降の長期金利の低下等に伴い,住宅投資は7~9月期以降,また耐久財消費はすでに4~6月期以降,増勢に転じている。

(調整を強いられた在庫投資と生産活動)

95年に入り顕著となった住宅投資や耐久財消費の減少に伴って,また,それまで伸びを高めてきた輸出の増勢鈍化も加わって,流通段階,製造段階ともに意図せざる在庫の積み上りを招いた。これが,在庫調整を余儀なくし,需要の減速以上の生産の減速を引き起こして,景気の減速を強めることとなった。

在庫の動向を見ると,94年は力強い需要の伸びを背景として,積極的な在庫の積み増しが行われた。流通段階ばかりでなく,ジャスト・イン・タイム・システムが導入された80年代以降,徹底した在庫管理を進めてきた製造業の在庫も4年振りに増加した。一方で,在庫率(在庫額/売上額)の動きを見ると,94年を通して,小売業では緩やかな上昇基調で推移したものの,卸売業では横ばい気昧ながら低下し,製造業では低下を続けていた。

しかし,95年に入ると,需要が鈍化するなかで,流通段階,製造段階ともに在庫が増加し,在庫率は上昇に転じた。その後,在庫率は,5月には流通段階では低下に転じ,製造段階においても横ばいとなったことから,在庫調整が着実に進展しているものと思われた。しかしながら,7月には製造業,卸売業で再び上昇し,8月には製造業で大きく低下したものの,卸売業,小売業では横ばいで推移しており,いくつかの産業では在庫調整が続いている。

このような在庫調整局面で,製造業の生産は,95年2月から5月まで減少傾向で推移した。その後,生産は下げ止まり,8月以降生産は上昇に転じており,生産は回復傾向にある(製造業の鉱工業生産指数は,8~9月上昇したあと,10月は若干低下している。)(第1-2-3図)。

今後暫くは,在庫の動向が注目されるところであるが,これは基本的には需要の動向に依存する。その意味において,前述のとおり,長期金利を中心に金利が再び低下したことから,7~9月期には住宅投資も増勢に転じていることなど,明るい材料も多い。

(景気の牽引役を果たす民間設備投資)

94年の金利上昇は,民間設備投資に対しても,抑制効果をもたらしたはずであるが,民間設備投資(実質値)は,94年も,93年の12.5%増に引き続き,13.7%増と更に拡大した。

今回と過去3回の景気拡大局面における設備投資の動向を比較してみると,今回の局面では設備投資は,景気の底から拡大に転じるまでに過去の局面よりも長期間を要し,1年以上拡大していない。また,増勢に転じてからも暫くは緩やかな拡大を続けていたが,その後拡大基調を強めると中だるみせずに推移している(第1-2-4図)。

こうした今回の景気拡大局面における設備投資の動きの背景には,当初はバランスシートの調整に余念がなかった企業が,金利低下やリストラクチャリングを通して企業収益を回復させると,今後の規制緩和の進展,国際競争の激化を睨んだ生産性向上に向けた投資を緩めず,引き続き合理化・省力化目的の投資を大きく拡大させていることが挙げられる。ながでも,コンピュータなど情報化投資を見ると,95年に入っても依然年率2割を越える増勢を続けており衰えが見えない。コンピュータなどの情報関連機器の価格が大幅に低下していることが,その促進要因となっている。なお,近年,コンピュータなどの価格低下が激しく,現行のGDP統計で用いられている87年価格基準の固定ウェイト方式による実質値の推計では,情報関連投資が過大に評価されるとして,95年12月から推計方法が変更されることとなった(コラム1-1参照)。

設備投資の増大は,今回の景気拡大局面の特徴であり,GDPに占める設備投資の割合が急速に上昇し,94年(実質値)では12.6%と85年の12.2%を超えて戦後最高の割合となった。資本ストックの増大に伴って,次第に増勢は鈍化していくとみられるが,今後暫くは設備投資が,景気拡大の牽引役を果たしていくものと期待される。

(総じて落ち着いた動きで推移した物価)

景気過熱感から懸念されたインフレについては,94年を通してみると,消費者物価は2.6%の上昇,生産者物価は0.6%の上昇と極めて低い伸びに止まった。95年に入っても,消費者物価,生産者物価ともに若干の高まりを見せているが,各々3%,2%程度の上昇と落ち着いた水準で推移している。

当初インフレが懸念された背景には,93年後半からの稼慟率の上昇や失業率の低下が一段と進み,需給ギャップが縮まってきたことが挙げられる。加えて,原材料・中間財価格の上昇率が高まり,やがて製品価格に転嫁されるのではないか,また,円・マルクなど主要通貨に対するドル安が,輸入物価を押し上げていくのではないかといったことが懸念された。

設備稼働率を見ると,94年6月には84.1%と生産能力のひっ迫を示すと言われている84%の水準を越えた。その後も更に上昇を続け,94年12月には85.5%まで上昇した。95年に入り,稼働率は2月以降7月まで低下傾向で推移したものの,依然84%前後の水準で推移している。

一方,失業率は,力強い雇用拡大に伴って低下し,94年12月には5.4%と極めて低い水準となった。95年に入ると,失業率は若干上昇したものの,8月で5.6%と依然低い水準にとどまっている。

特に失業とインフレの間には密接な関係があり,アメリカの「インフレを加速しない失業率」(NAIRU:Non-Accelerating Inflation Rate of Unemploy ment)の水準に関しては,いろいろな推計があるが,6%程度が一応の目安と考えられる。過去の推移を調べてみると,失業率が6%を割り込んだ期間においては,強い物価上昇圧力が働いていることがわかる(第1-2-5図)。しかし,94年8月以降1年間も失業率が6%を割り込んで推移しているにもかかわらず,顕著な物価上昇圧力は見受けられなかった。この要因には,被雇用者報酬の伸びが鈍化するとともに,労働生産性が引き続き上昇を続けたことにより,生産1単位当たりの労働コスト(単位労働コスト)の上昇が引き続き抑制されたことが゛挙げられる(第1-2-6図)。また,稼働率の上昇に見られるように製品需給が引き続きひっ迫していたとみられるが,輸入の増大が需給を緩和し,物価上昇圧力を緩和させる効果をもたらしたものとみられる。

(拡大続いた経常収支赤字)

92年以降赤字幅を再び拡大させている経常収支は,94年も更に赤字幅を拡大し,▲1,512億ドル,GDP比では▲2.2%となり,88年以来の▲2%台となった。経常赤字の大幅な拡大の主な要因は,貿易収支の赤字が大幅に拡大したことにあるが,投資収益収支が94年には▲93億ドルと初めて赤字に転じるなどの要因も加わった。95年前半までの経常収支の赤字は,貿易収支の赤字が拡大したことーなどから,GDP比で▲2.4%と拡大した。その後年央以降は,貿易収支の赤字はやや縮小している。

94年の貿易動向の特徴は,輸出(国際収支ベース,名目値)が,財では10.0%増,サービスでは5.8%増,併せて8.8%増と力強い伸びを示したことである。これは,財の輸出が,カナダやアジア,中南米向けが引き続き増大したのに加え,日本,ヨーロッパ向けも回復したことによっている。しかし,旺盛な内需の伸びにより,財の輸入は13.4%増,サービスの輸入が6.8%増,財・サービスでは12.2%増となり,輸出の伸びを更に上回ったことから,貿易収支の赤字幅は,財で▲1,661億ドルと過去最高となり,財・サービスでは▲1,062億ドルと88年以来の▲1,000億ドル突破となった。

地域別では,全体の貿易収支赤字に占める日本のシェアが,93年45.7%から94年40。5%へと大幅に低下する一方で,西ヨーロッパのシェアは,93年7.3%から94年10.6%へと上昇し,中国のシェアも,93年17.2%から94年17.8%へと上昇した。

95年央までは,景気の減速が生じていたにもかがわらず,引き続き貿易収支は赤字幅を拡大させた。これは,比重の高いメキシコとの貿易が,94年末のメキシコ通貨危機の影響からアメリカ側の大幅な赤字へと転落したことが大きい。


≪コラム1-1≫ アメリカ:新しいGDP統計を導入

アメリカ商務省は,95年12月に実質GDP算出の基準年を87年から92年基準価格へと変更して,従来型の固定ウェイト方式による実質成長率を発表することと併せて,今後公表に際しては新たな連鎖ウェイト(Chain-TypeAnnuaI Weights)方式の実質成長率をメインのGDP統計として前面に据える方針であることを明らかにした(95年8月発表)。

新方式への移行の背景には,コンピュータなどで,近年価格の著しい変化が生じていることがある。現行の基準年固定ウェイト方式(ラスパイレス方式)では,諸々の財・サービスの相対価格の変化や,それに伴う消費代替効果による消費・生産構造の変化が取り込まれず,相対価格の変化が著しい財・サービスの実質GDP推計に対する寄与は,比較時点が基準時点から前後に離れるにしたがって過小・過大になるという問題が生じる。これに対し,新方式(連鎖ウェイト方式)では,基準時点を,87年や92年に固定するのではなく,毎年移動させて推計することにより,相対価格変化がもたらすバイアスを小さくすることができるとしている。今回アメリカが導入する連鎖ウェイト方式においては,①比較時点(例えば95年)の前期価格(94年価格)を基準として計算した前期比と,②比較時点の当期価格(95年価格)を基準として計算した前期比(フィッシャー方式)の幾何平均から成長率を算出することとしている。

例えば,コンピュータ価格は,現行GDP統計の基準年である87年以降,下がり続けている。94年のコンピュータの実質生産を算出する場合を考えると,現行方式では,87年の価格(94年の価格より相当高い)と94年のコンピュータ生産数量をかけあわせて,コンピュータ生産の94年実質値を作成しているため,94年の生産におけるコンピュータの寄与が過大となっている。しかし,新方式では,94年のコンピュータの実質生産は,93年および94年の価格を用いて計算されるため,94年の生産におけるコンピュータ生産の寄与をおおむね適正なものとすることができる。

なお,日本では,連鎖ウェイト方式のGDP統計の採用の是非について,検討しているところである。

〈現行算出方式と新算出方式〉


2 カナダ:アメリカとともに景気減速

(アメリカの景気と連動するカナダ経済)

91年春から景気は緩やかな回復を続けてきたが,94年に入ってからも民間消費,輸出の好調が持続し,強い景気拡大が続いていた。特に,輸出は米国需要に支えられて堅調に増加し,貿易黒字は拡大した。

しかし,95年に入ると,アメリカ経済が年初から減速したのを受けて,カナダの景気も95年の年初から急速に減速した。カナダの全輸出に占める対米輸出は94年で81.8%となっている。しかも,実質GDPに占める輸出の割合は94年で37.9%と高く,アメリカの景気がカナダの景気に与える影響は大きい。

(95年に入ってからの景気減速)

95年に入ってからの景気減速の主な要因としては,①94年央から95年初までの長期金利高水準の影響もあり,耐久財消費,住宅投資を中心に急速に減少していたこと,②アメリカの需要の落ち込みによりカナダの輸出が伸び悩んでいること,が挙げられる。カナダの実質GDPは,93年2.2%,94年4.6%の後,95年1~3月期前期比0.2%,4~6月期同マイナス0.3%の伸びとなった。95年4~6月期の成長率を需要項目別に見ると,輸出が伸び悩んでいることもあり,外需のマイナスが大きい(前期比寄与度▲0.6%)。内需を見ると,個人消費は低調になっている(前期比0.2%増)。民間設備投資は回復傾向にある(同2.1%増)。一方,住宅投資は引き続き大幅に減少している(同▲4.0%)。失業率は94年以降,低下傾向にあるものの依然高水準である(95年7~9月期9.5%)。消費者物価は輸入物価の上昇などにより,年央にかけて高まったものの,おおむね落ち着いている(95年1~3月期1.6%,4~6月期2.7%,7~9月期2.4%上昇)。こうした中,短期金利は95年5月から低めに誘導されている。

金利低下が内需を支えると見られることや,アメリカへの貿易黒字が95年4~6月期に増加していること,雇用者数や乗用車販売などの指標に明るい兆しが見られることから,年後半は景気が上向くことが期待されている8

3 中南米:メキシコ通貨危機とその影響

(1)通貨危機の経緯

(メキシコ通貨危機)

94年12月頃から,メキシコの通貨ペソに対する国際金融市場の信認が失われ始め,メキシコ人投資家を中心にペソ資産からドル資産への乗換えが急速に進んだ。メキシコ政府は12月20日ペソを15%切り下げたが,ペソ売り圧力に抗しきれず,12月22日こはそれまでの管理フロート制から変動相場制への移行を余儀なくされた。この過程でメキシコ政府の外貨準備は急激に減少,海外投資家の間にドル建て短期国債(テソボノス)のデフォルト懸念が高まった。95年に入ってからもペソ売り圧力は容易に収まらず,市場心理の動揺は他の新興経済にも少なからず波及することになった。

こうしたなか,65年2月には,アメリカ政府主導による大規模な国際金融支援策がまとめられ,3月9日こはメキシコ政府が極めて緊縮的な経済プログラムを策定し,実施に移した。上記の政策対応によって,ようやく3月下旬には外国為替市場は落ち着きを取り戻した。

(通貨危機の要因)

ペソの信認が大幅に揺らぎ,メキシコ通貨危機が生じた主な要因は,次のように整理できる。

① 割高な為替レート

メキシコでは,80年代後半からインフレ抑制のためのアンカー(いかり役)として,対ドル・レートの安定を重視した為替政策が採用されおり,89年1月以降,管理フロート制の下でペソの対ドル・レートは一定の割合で徐々に切り下げられてきた。こうした緩やかな為替レート調整に加え,財政緊縮・金融引締めを行った結果,インフレは沈静化した(消費者物価上昇率87年159.2%→94年7.l%)。しかし,ペソ切下げ率が物価上昇率に対し不十分であり,ペソの実質実効レートはかなり割高になっていたため,ペソの切下げ予想が高まっていた(第1-2-7図)。

② 財政収支の悪化

メキシコの財政収支は80年代後半から大幅な赤字となっていたが,サリーナス政権下での緊縮財政政策のなかで92年には黒字に転じた(財政収支のGDP比88年▲12.5%→92年1.6%)。しかし,93年に景気が減速したことなどから,財政黒字は縮小しはじめた。94年に入ってからは,政府が同年8月の大統領選挙を前に,減税や公共投資拡大など財政面での景気刺激策をとったことから財政収支がさらに悪化し,95年には財政収支の赤字化が必至とみられていた。このため,インフレ懸念が高まり,この面からもペソ切下げ予想が高まった。

③ 政情不安の高まり

94年1月に,メキシコ南部のチアパス州で先住民問題や貧富の格差を背景に,武装蜂起が起こった。また,同年3月には与党大統領候補が,9月には与党幹事長が暗殺されるなど政治不安が増大していた。こうしたなか,12月19日にチアパス州で再度武装蜂起が起き,12月初めに発足したセディージョ新政権の指導力に対する懸念が生じた。

④ 短期資本への依存とその逆流

適切な為替切下げが先送りされ,その結果として割高化した為替レートによって拡大した経常収支赤字は,90年代初頭から94年初めまでは,低金利下にあったアメリカなどからの証券投資を中心とした短期的な資本流入によってファイナンスされていた。政府は,94年3月の与党大統領候補暗殺の後の資本流出に際しても為替レートの切下げを行わず,ドル建て短期国債(テソボノス)の発行を増加させて資本流出に対応してきた。この結果,94年末にはテソボノスの非居住者保有残高は約170億ドルに達しており,当時の外貨準備高61億ドルを大きく上回る水準に達していた。

メキシコに対する資金流入は,94年2月のアメリカの金利引上げを契機として減少していた。94年末以降,短期資金を中心に,メキシコからの資金の逆流が大幅となり,ペソの減価圧力が高まった(資金の逆流の経済的影響については,第3章第2節を参照のこと)。

(通貨危機への国際金融支援)

メキシコの公的債務支払い能力に対する市場の懸念に対処するため,95年2月初めに,アメリカ政府主導で総額528億ドル超の金融支援策(アメリカ,IMF,BIS,民間銀行からの支援を内容)が取りまとめられた。

この支援策が大規模なものであったこと,また支援条件(conditiona11ty)とされた厳しい緊縮プログラムをメキシコ政府が受け入れ,速やかに実施に移したことが市場では好感され,為替,株価の動揺は徐々に鎮静に向かうこととなった。懸念されたテソボノスの償還不能の事態も,この金融支援が合意されたことにより回避された。

公表された総額528億ドルの支援のうち,95年8月までに実際に供与が決定されたのは,アメリカ分(200億ドル)とIMF分(178億ドル)である。アメリカ分の200億ドルのうち100億ドルは95年上半期中に供与されている。アメリ力分の残りについては,95年7月,25億ドルの中期スワップ供与が行われ,残額75億ドルは必要に応じ漸次供与されることになっている。IMF分178億ドルについては,95年2月に78億ドル,6月に20億ドル供与が行われ,残りは95年8月から96年8月まで,5分割して段階的に供与されることとなっている。

(緊縮政策の導入)

メキシコ政府は95年3月に,緊縮的な財政金融政策などを内容とする経済プログラムを発表し,順次実施に移した。

財政については,歳入面で,付加価値税の引上げ(10%→15%),公共料金の値上げが95年前半に実施されている。歳出面では,人件費削減などによる経常支出削減や,新規プロジェクト延期などにより投資の支出を抑制している。

金融面では,中央銀行の国内資産保有純額の増加の制限や,政府系開発銀行の信用供与の増加の制限が行われている。

また,民間金融機関が融資先の経営悪化などにより,不良債権を増加させていることに対応して,政府は自己資本不足に陥った銀行に対する臨時増資プログラムを実施している。さらに,中央銀行の資金によって設立された預金者保護基金による不良債権買上げも行われている。

一方,95年8月には,金融機関から借入れを行っている者に対する保護措置として,①債務者救済プログラムに署名した者に対する,銀行による債権取り立て・担保差押えなどの法的手段行使の96年1月末までの停止,②金利高騰前の水準の特別金利の運用(95年9月1日より96年9月末まで),③債務再編手続きがとられた債務者に対して過去の延滞金利を全額免除,④債務再編による追加保証の要求なし(但し債務総額40万ペソ以下の企業のみ)の措置がとられている。

(2)調整下のメキシコ経済

(経済改革プログラムの進捗状況)

メキシコ政府はアメリカ・IMFの金融支援を受けながら,対外債務の返済を着実に進めている。95年1~3月期には合計約150億ドルを返済している。

テソボノスの残高は95年初めの292億ドルから8月末32億ドルに減少している。

95年7~8月に大量の償還期(計70億ドル)を迎え,償還不能が懸念されたが,同年2月合意の支援策に基づくアメリカとIMFの追加支援により,償還は滞りなく行われた。

また,財政緊縮政策の下で,95年1~3月期の非金融公共部門の財政収支は,債務の利払いを除くとGDP比2.6%の黒字,同年4~6月期は同1.7%の黒字となった。これは主に為替の減価によりペソ建てで石油収入が増加したことと,公共支出を削減したことによる。ただし,金利上昇の影響から対外公的債務の利払いは増えている。

(経済の現状:生産の大幅減少と貿易収支の黒字化)

通貨危機拷,緊縮的政策により国内需要が落ち込み,景気は悪化している。

実質GDPは95年1~3月期前年同期比0.6%減の後,4~6月期同10.5%減,7~9月期同9.6%減と大幅落ち込みとなった。また,夫業率は上昇しており94年平均の3,6%から,95年7月には7.3%まで上昇した。消費者物価上昇率は前月比で見ると低下している(95年4月8.0%→10月2.1%)。

一方,大幅なペソ安から貿易収支は95年2月から黒字化している。経常収支は95年4~6月期4.55億ドルの黒字になっている(前年同期71億ドルの赤字)。

外貨準備高は94年末の61億ドルから,95年8月末現在150.7億ドルにまで回復した。

為替・金融市場を見てみると,95年3月の経済プログラム発表後,経済改革の進捗状況が好感されて市場は安定に向かった。3月下旬には政策に対する信認が高まり,徐々に資金が還流する兆しが見られるようになった。3月9日には最安値の7.75ペソまで下落した対ドル・レートは6月から10月上旬にかけておおむね6ペソ台前半で推移しており,大蔵省証券(CETES28日物)の入札時の名目金利は最高時の82,65%(95年3月第4週)から9月末には33.97%まで低下,株価指数も7月には通貨危機前の94年11月の水準にまで回復している。

95年7月には通貨危機以後初めて,ユーロ市場で米ドル建ての変動利付国債(2年物,LIBOR+5.375%,10億ドル)を発行,また,95年8月にはユーロ市場で円建て中期債(3年物,5%,1,000億円)を発行するなど,国際金融市場への復帰も進んでいる。

しかし,95年10月下旬に為替相場は再び急落した。市場で,景気動向の回復期待に対する懐疑的な見方も広がるなかで,チアパス州のサパティスタ国民開放軍(EZLN)の指導者が逮捕され,和平交渉の見通しが不透明になったことが契機となった。さらに,政府,財界,労働者,農業者の4者代表による取り決め(PACTO)で賃上げや減税措置が盛り込まれたものの,経済政策に対する不信感は払拭されず,ペソは95年3月の最安値を更新,11月上旬には一時8ペソ台まで下落する等,為替相場は依然不安定な動きを示している。

(今後の展望)

このように,95年央にかけて,メキシコ経済は一時の混乱から抜け出すことに成功したものの依然不安定な動きがみられる。今後持続的,安定的な成長経路へと移行していくためには,残された中長期的な課題に向けた取り組みが進められることが期待される。特に,①物価の安定を図ること,②民間部門の過剰消費(貯蓄不足)を改めることが必要である。

また,投資家の信頼を回復するには,中長期の金融政策方針を内外に明らかにすることが必要である。そのためにも経済諸指標の発表がタイムリーにかつ頻繁に行われることが必要である。財政の均衡に関しても,短期的な緊縮政策だけではなく,中長期計画が必要であり,そのためには非効率な国営部門の一層の削減等の構造改革が必要である。

(3)他の中南米主要国の動向

中南米3大経済大国のうち,メキシコについては以上で見たので,アルゼンチンとブラジルについてメキシコ通貨危機の影響を見てみよう。また,1970年代から経済改革が着実に進んでいて,中南米諸国の中では最も経済が安定しているチリについても考察してみる。

(株価でみる中南米諸国への波及)

メキシコ通貨危機が起こったことで,中南米諸国の株価と為替レートは大きく変動した。中南米各国の株価について見ると,メキシコ危機直前の94年12月19日から95年3月上旬までにメキシコは32.8%,ブラジルは56.6%,アルゼンチンは44.4%,チリは16.9%と大幅に下落した(第1-2-8図)。一方,アジアのタイ,フィリピン,インドネシア,東ヨーロッパのハンガリー,ポーランドなど新興経済国の株価指数はわずかながら下落したが,深刻な落ち込みは見られなかった。しかし,3月9日のメキシコ新経済計画の発表の後,中南米諸国の株価も上昇し始めた。アルゼンチンはメキシコ通貨危機の影響が最も懸念された国であったが,3月13日に資金調達パッケージが政府発表されたことから,アルゼンチンの株価も安定に向かった。

(アルゼンチン:ドル兌換制度の堅持)

中南米諸国の中で,アルゼンチンはメキシコ通貨危機の影響を最も受けた国である。メキシコと同様に大幅な経常赤字を抱えていたこともあり,メキシコ通貨危機の発生により,アルゼンチンの通貨(アルゼンチン・ペソ)の切下げ予想が高まり,株式市場やペソ預金からの資本流出が起きた。ペソ防衛のためのドル売りで,外貨準備高は94年末の176億ドルから,95年3月末には125億ドルへと減少した。アルゼンチン政府は,80年代後半から90年代初頭のハイパー・インフレーションの後(消費者物価上昇率1989年4.770.4%,90年7.485.2%),国内通貨の信用を得るため,91年にドル党換制度で,為替の対ドル・レートの固定化(1ドル=1ペソ)と国内通貨発行量の外貨準備高による裏付けの義務づけを制定している。このため,外貨準備高の減少が国内通貨供給量の大幅な減少につながった(マネタリーベースは,95年1~3月期前年同期比25.8%減)。

政府は95年1月上旬,次のような政策対応を行った。まず,①1ドル=1ペソの為替レートを堅持する姿勢を打ち出した。②マネーサプライの減少を緩和するため,民間銀行のペソ建て預金の準備率を減らし,ドル建て預金の準備率と同率にした。また,③それまでの拡張的な財政政策を引き締めるため,95年予算から,94年12月下旬に10億ドル,95年2月末に更に10億ドルの支出削減を内容とする緊縮財政策を発表した。しかしながら,株価は下落を続け,また資金の海外流出が続き,国内金利が上昇した。政府の国債発行も困難になった。

そこで95年3月13日,IMFからの引出しを含む総額114億ドルに上る資金調達パッケージと,付加価値税の税率引上げなど具体的な財政政策が発表された。

これによって,95年中の公的債務の元利返済(約91億ドル)を上回る資金調達が可能になったことを市場は好感し,株価は安定に向かった。

しかしその後,95年4~6月期の財政赤字が,税収の伸び悩みなどからIMFと合意した財政赤字目標額(1。05億ドルの赤字)を達成できるかどうか危ぶまれた。そこで,6月分の公務員給与の支払いの7月への繰延べなとを実施した。これら緊急措置により4~6月期の目標額は達成できた(4.3億ドルの黒字)が,95年通年の目標(20億ドルの黒字)の達成が困難とみられたことから,アルゼンチン当局は,目標を下方修正した(財政均衡)。

ドル党換制度堅持に伴うマネーサプライ減少と財政引締め策の結果,95年4~6月期の実質GDP成長率は前年同期比2.0%減となった。また,失業率の上昇が大きな社会問題となっており,5月には18.6%になった。消費者物価上昇率は落ち着いている(95年4~6月期前期比0.1%,前年同期比4.2%)。92年から拡大していた貿易赤字は改善し,3月より黒字に転じた。

(ブラジル:レアル・プランの修正)

ブラジルについては,94年10月までの貿易黒字で蓄えた外貨準備(94年12月末384億ドル)があり,メキシコやアルゼンチンのような政府債務のデフォルトの懸念は起きなかった。しかし,94年11月に貿易収支が赤字に転じた後,赤字幅が拡大したため,レアル・プランの変更の必要性が生じた。

レアル・プランとは,93年12月に発表された経済改革プログラムで,94年7月の新通貨レアル(導入時1ドル=1レアル)の導入を中心に,財政安定化,マネーサプライの抑制,ドルにペッグした為替レート導入,賃金や税金などのインデクセーションの撤廃を行うことによって,インフレを抑制することを目的としている。

レアル・プランの導入により,94年6月に前月比50%にも及んだ悄費者物価上昇率は急速に低下し,95年8月には前月比1,0%となっている。一方で,高インフレの収束に伴い,低所得者層の購買力の増大が生じ,消費が拡大した。

これに加えて,ドルにペッグした為替レートの下で実質為替レートが割高化したことから,貿易収支は悪化し,95年2月には11億ドルの赤字となった。

このような状況下における,メキシコ通貨危機後の政策対応としては,以下の3点が挙げられる。①為替レート変動幅の修正が行われた。95年3月,政府は為替の変動幅の修正を2度行った(1ドル=0.82~0.86レアル→3月6日0.86~0.90レアル→3月10日0.88~0.93レアル)。さらに6月22日には変動幅を1ドル=0.91~0.99レアルに変更した。②国内消費増大を抑える政策が必要となった。政府は,高金利を維持し,需要インフレや輸入拡大要因となる国内悄費を抑える目的で,悄費者信用の制限などを行った。③外貨流入によるマネーサプライの増加が新たなインフレ懸念となるため,政府は海外証券投資家に対する税率の引上げなどの新規制を導入した。メキシコ通貨危機後,資本が逃避したため,政府は資金流入に対する規制を一時的に緩和したものの,再び規制を強めている。④貿易赤字の拡大を抑制するために,95年3月には109目についての輸入関税引上げ,6月には自動車輸入数量規制を行った。この結果,95年8月には貿易収支は200万ドルの黒字に転じた。

実質経済成長率は95年1~3月期前年同期比10.5%から4~6月期同7,8%へと減速した。失業率は95年1~3月期4.4%,4~6月期4.5%,7月4.8%,8月4.9%となっている。ブラジルではアルゼンチンのような大幅な景気後退は見られなかった。

(チリ:高い貯蓄率を背景にした安定成長)

チリでは95年1~3月頃に,チリ・ペソ安,株安の影響が若干あったものの,実体経済への影響はほとんどなかった。外貨準備高は94年12月末で138億ドルに達し,これは輸入額の約16か月分に当たる額である。

新興,資本市場のモデルといわれるチリでは,国内貯蓄率(国内総貯蓄/GDP)が25%近くになっており,中南米諸国の中では最も高く,証券市場においても国内機関投資家が充実している。81年に年金制度の民営化が行われ,労働者は給与の最低10%を民間年金基金に支払うことを義務づけている代わりに,政府に対する社会保険料の支払い(少額の障害保険を除く)をなくした。

このため,22社ある年金基金の中から選択できるようになり,貯蓄インセンティブが高まった。94年初に年金基金の資産運用面での規制が緩和されたこともあり,年金基金はチリの証券市場にとり,重要な国内投資家となっている。また,チリでは外国人投資家に対し,購入した株式を1年以上保有することを義務づけていることも,外資の流出を防ぐことができた。さらにチリは,70年代以降の経済改革推進の結果,82年の債務危機後は長期にわたって高い成長率が維持されている国であり,海外の投資家の懸念は小さかったと思われる。

こうしたことから,チリは他の中南米諸国と異なり,94年から95年にかけても堅調な持続成長を続けた。95年1~3月期の実質経済成長率は前年同期比6.7%,4~6月期同7.5%であった。消費者物価上昇率は10月前月比0.8%,前年同月比8.8%となっている。失業率は9月5.7%となっている。貿易収支は95年2月以降のペソ高傾向に加え,内需の持ち直しによる輸入増により,8月,9月と赤字になっている(8月7,650万ドルの赤字,9月2,600万ドルの赤字)。