平成6年
年次世界経済報告
自由な貿易・投資がつなぐ先進国と新興経済
平成6年12月16日
経済企画庁
第2章 経済自由化で活性化する新興経済
本節では,新興経済を活性化させている政策的要因のうち,対外面での構造調整の進展をとりあげる。新興経済は,貿易自由化,外資の積極的導入を柱とする外向きの経済政策への転換を進め,輸出志向の成長を遂げてきた。以下では,まず外向きの経済政策が内向きの経済政策に比べて優れている点について整理する。その後,ケース・スタディーとして東アジア成長経済(アジアNIEs,ASEAN,中国)とその近隣諸国(ベトナム,インド),中南米諸国(メキシコ,チリ),東ヨーロッパ諸国(ポーランド)をとりあげ,外向きの経済政策がこれらの国の成長にどのように寄与しているのかを検討する。最後に外向きの経済政策が,今後とも有効であるかどうかを考察する。
戦後,途上国の多くは国内産業の保護・育成を目指す内向きの経済政策をとったが,こうした経済政策は次第に行きづまりをみせた。このため,70年代から80年代にかけて,多くの途上国は市場重視型の経済政策へと転換し,対外政策についても,輸出入や外資に対する種々の規制を緩和・撤廃し,自由貿易の利益を享受しようとした。
途上国の内向きの経済政策の核心をなすのは,輸入代替工業化であった。これは,保護主義的な政策を用いて輸入を規制し,それ正で先進国等からの輸入によって供給していた工業製品の生産・供給を国内企業が代替すること(輸入代替生産)で工業化を進める政策である。そのための方策として,①輸入代替生産を行おうとする財,特に最終財の輸入規制(数量制限,高い関税)措置をとる,②輸入代替生産に不可欠な中間財や資本財の輸入コストを引き下げるために為替レートを割高に設定する,③工業化を進めるに際して,経済の自立を図るため,国内資本の育成を優先させ外資の参入を制限する,④工業化の担い手として国営企業を設立したり,国有化を図るといった政策手段がとられた(第2-2-1図)。
しかし,内向きの経済政策は,次のような問題を生じた。
第一に,狭隘な国内市場を対象として生産を行うために「規模の経済」のメリットが働かず,また,輸入制限などの政府による保護・規制の下で国際競争にさらされないため,非効率な産業,企業が温存される。特に,国営企業は経営が非効率で慢性的な赤字体質となりやすく,国の財政にも大きな負担となる。
第二に,人為的に高く設定した為替レートは,途上国が本来競争力を持っている一次産品や労働集約的な財の輸出に打撃を与える(輸出抑圧効果)。
第三に,したがって,原材料,中間財,資本財といった投入財の輸入が増加する一方,輸出が抑制されるため,貿易収支が悪化しやすい。また,こうした状況では外貨が制約されるため,輸入にあたって外貨割当てが行われ,政府の介入と非効率な資源配分が生じる。
第四に,外資の参入規制を図ることで技術移転が進まず,不足する資本も流入しない。
このように内向きの経済政策の下では,所期の目的であった競争力のある工業部門の育成は達成されず,経済は低迷した。
内向きの経済政策が行きづまるなかで,後に高成長を遂げた東アジア成長経済などが採用した外向きの経済政策は,保護主義的な政策を改め,経済を自由化して労働集約的産業の比較優位を顕在化させる経済政策であった。そのための方策として,①輸入数量制限の緩和・撤廃や関税引き下げを行い,段階的に輸入自由化を図る,②割高な為替レートを切り下げ,より現実的なレートにする,③外資規制を緩和し積極的な外資導入を図る,④非効率な国営企業を民営化するといった手段がとられた(前掲第2-2-1図)。
新興経済の外向きの経済政策への転換の進展を示す指標として,関税負担率(輸入関税収入/輸入総額)の推移をみると,各国の関税負担率が傾向的に低下しており,新興経済において外向きの経済政策への転換が進んでいることがわかる(第2-2-2図)。その結果,次のような経路で輸出が拡大し,経済成長を促進したと考えられる。
第一に,為替レートの切り下げに伴って海外市場での輸出競争力が高まり,市場が拡大する。そのため,「規模の経済」が働き,生産性が向上する。また,全体の生産が増えることによって国民の所得も増加し,それが国内需要の増大となって国内市場を拡大させる,といった好循環を形成する。
第二に,輸入自由化による海外からの製品の流入や輸出市場の拡大によって,国内・海外両市場で海外の製品との競争が激化するため,競争力を強化する必要が生じ,品質向上や生産の効率化が促進される。
第三に,輸出拡大による外貨収入の増加は輸入拡大を可能にするが,こうして実現される輸入の増加は,輸入と競合する国内産業の効率化を促す圧力になると同時に,輸入製品に体化された技術の採り入れを可能にし,経済効率の向に役立つ。
以下では,新興経済の外向きの経済政策への転換とその成果について概観する。
東アジア成長経済は,外向きの経済政策の下で貿易,直接投資が活発化し,輸出志向型の経済成長を遂げてきた。アジアNIEsからASEAN,そして中国へと伝播した東アジア成長経済の経済成長の連鎖は,90年代に入るとベトナム,インドなど1こも波及しようとしている。
70年代以降高成長を遂げた東アジア成長経済では,その貿易規模も拡大しており,世界輸出に占める東アジア成長経済の輸出額は,70年の4.3%から92年には14.1%に増大した。こうした量的拡大の一方で,貿易構造にも変化がみられる。
貿易構造の変化を,資本集約的な「機械類及び輸送機器類」(以下,機械類という)と労働集約的な「雑製品」を例にとって,両者の輸出特化係数の変化(輸出競争力は輸出特化係数が1に近いほど高く,逆に-1に近いほど低い)でみてみよう。経済発展段階の相違によって,また財が資本集約的であるか労働集約的であるかによって,86年以降の輸出特化係数の変化には次のような特徴がみられる。日本では,「機械類」「雑製品」とも輸出特化係数が低下しているが,低下の程度は「雑製品」の方が大きい。アジアNIEsでは,86年以降「機械類」の輸出特化係数は横ぱいで推移しており,「雑製品」の輸出特化係数は低下している。逆に,ASEANでは,「機械類」,「雑製品」とも輸出特化係数は上昇しており,上昇の程度はやはり「雑製品」のほうが大きい。また中国でも,いずれの財についても輸出特化係数が上昇している(第2-2-3図)。
このように,東アジア成長経済においては,労働集約的な分野を中心として,後発途上国が先発途上国へのキャッチアップを進める一方で,先発途上国はその産業構造を変化させるという,いわゆる雁行型経済発展が進んでいる。
以下では,80年代半ば以降のASEANの経済成長を例にとって,そのメカニズムを概観する。
ASEANにおいて,80年代中頃から経済成長が加速した背景としては,80年代後半における各国の為替レート調整や労働コストの変化と,それらを誘因とした日本やアジアNIEsからの直接投資の急増があった。
85年のプラザ合意以降の為替レート調整によって,まず円がドルに対して切り上がり,86年から88年にかけてアジアNIEsの通貨もドルに対して切り上がった。その結果,ASEAN通貨の実質実効為替レートは,85年以降一貫して切り下がっている(第2-2-4図)。これが大きく寄与して,日本やアジアNIEsの価格競争力が低下する一方,ASEANは価格競争力を強め,輸出を伸ばした。
また,工業化の先行したアジアNIEsにおいては,労働需給の逼迫による賃金上昇や地価高騰が生じ,生産コストが上昇したのに対し,ASEANでは,良質な低賃金労働力が豊富に存在しており,主として労働集約的産業での比較優位が高まった(第2-2-5図)。
さらに,為替レート調整やASEANの低い労働コストは,日本やアジアNIEsからの直接投資の誘因としても働き,ASEANへの輸出志向型の直接投資が急増した。特にアジアNIEsは,繊維,玩具,履物などの労働集約的産業を中心に投資を行い,90年以降年々のフローベースでASEANへの最大の投資元となっている。また,日本や米国など先進国も電子機器などのうち,普及型の低付加価値製品の生産部門を中心に投資を行った。こうした直接投資による資本蓄積や生産技術,経営ノウハウの移転による生産性の上昇に支えられて,ASEANは急速な成長を遂げることができたのである。最近では,アジアNIEsからASEANへの直接投資の流れに加えて,中国への投資の流れが大きくなっており,また,ベトナム,インドへの投資の流入もみられるなど,東アジアの経済成長の波及がみられる。
なお,ASEANが輸出を拡大する過程では,その輸出先も変化した。80年代前半にはアメリカが輸出先として中心的な役割を果たしたが,80年代後半にはASEANは日本への輸出を伸ばした。さらに90年代以降になるとアジアNIEs,ASEANの成長によって東アジア域内貿易が顕著に拡大し,特にアジアNIEsがASEANの輸出先として大きな役割を果たした。
東アジア成長経済の雁行型経済発展は為替レート調整,労働コストの変化,直接投資の流入といった経済的要因が,市場メカニズムに基づいて働いた結果生じた現象であるが,その背景には,これらの国々が採用した外向きの経済政策があった。
ASEAN,においては,70年代まで内向きの経済政策がとられたが,80年代以降外向きの経済政策へと転換した。保護主義的政策を改め,輸入数量制限の撤廃,輸入関税率の引下げ,為替調整,外資規制の緩和,金利規制の廃止などの一連の経済自由化政策がいっせいに実施された。こうした政策転換があってはじめて,ASEANでは為替レート調整,労働コストの変化,直接投資の流入といった要因を活かすことが可能となり,自国に比較優位のある労働集約型産業が成長したのである。
中国では78年末より対外開放政策に取り組み,貿易の自由化,為替レート調整,外資規制の緩和等を実施している。その結果,輸出は増加を続け,輸出依存度(輸出額/名目GDP)も78年の4.7%から93年には16.8%に高まった。対外直接投資の受入れも,労働集約型の製造業部門を中心に,80年代後半より拡大し,製品輸出の増大に寄与した。また,輸出構造の変化が進むなかで,輸出の主力である軽工業部″門の成長が高まるなど,国内の産業構造にも変化が生じている。
78年以前,中国の貿易業務は中央政府の管理の下で対外貿易総公司が行っていた。輸出入の数量や価格等は中央政府の計画で定められるなど,貿易業務には様々な規制が存在していた。しかし79年より,対外貿易総公司の地方部局である地方分公司の自主経営権を拡大するとともに,各地方政府に対して新たな貿易公司の設立を認め,従来対外貿易総公司に集中していた貿易業務の権限を分散化した。また,88年よりそれぞれの貿易公司の独立採算制への移行を進め,貿易公司の経営の効率化を図っている。
また,輪出入許可制度の見直しが進み,90年代に入り管理対象品目が段階的に削減されている。また,国内産業を保護するため高く設定されていた関税率は92,93年と引き下げられ,85年より自動車やビデオカメラ等の一部の輸入品に対して課税されていた輸入調節税も92年に廃止された。
輸出を振興し外貨獲得を促すための手段として,80年代より為替レートの段階的な切下げが行われた。この結果,実質実効為替レートも80年代以降下落しており,国内企業の輸出競争力を高める一因となった(前掲第2-2-4図)。
まず,81年には輸出の際に適用する内部決済レートが導入され,輸出企業に有利になるよう公定レートよりも割安に設定された。公定レートも80年代より切下げが進み,85年には内部決済レートの水準まで切り下げて内部決済レートを廃止した。86年には企業が貿易業務で得た外貨を売買する外貨調整センターが設立され,以後はセンターでの取引で決定される市場レートと公定レートとの二重相場制が続いた。公定レートは85年以降も数度にわたり切り下げられたものの,93年には市場レートが急速に下落したため両者のかい離幅は拡大し,市場レートは93年末の時点で公定レートより50%程度割安となった。しがし,94年1月には従来割高だった公定レートも廃止され,為替レートが市場レートの水準に一本化された結果,為替レートは大幅に切り下がった。
外資導入に関する法制度については,79年に採択された「中外合資経営企業法」を初めとして整備が進んでいる。また,外資誘致を図るために外資優遇地区が設置された。まず80年に沿海南部へ経済特区が設置され,その後も沿海北部や内陸部へと優遇地区の設置が広がっている。これらの地区では,外資企業に対し,所得税や地方税の減免,土地使用料の減額等の優遇措置を与えている。外資進出の業種規制も緩和する方向にあり,当初は製造業向!けの投資が優先され,金融,流通業は規制されていたが,92年には沿海都市への小売業の進出が認められた。
貿易は量的に拡大しただけでなく,その構造にも変化がみられる。輸出を品目別にみると,原料別製品(主に繊維製品)や機械・輸送機器,雑製品等の工業品の輸出が増大しており,輸出額全体に占める工業品のシェアは80年の49.7%から93年には81,8%となった(第2-2-6図)。なかでも雑製品及びその他の項目がシェアを高めたが,これは香港や台湾等との委託加工貿易(原材料・部品を輸入,製品を加工・組立し,加工賃を受け取る形式の貿易)の発展が影響したためである。93年の輸出総額のうち,委託加工関連の輸出は17.5%を占めている。
輸出相手先をみると,日本,アメリカ,EU等の先進国向けの輸出も活発だが,輸出額の最大のシェアを占める香港や,ASEAN等の東アジア向けの輸出も伸びを高めており,高成長を続けるアジアNIEs1 ASEANが中国の重要な輸出市場となっている。輸入については,農業生産の拡大によって食料品輸入が減少したため一次産品のシェアが縮小し,一方で加工貿易の拡大に伴う資本財,中間財等の需要増大を背景に,機械類の輸入が増大している。
貿易構造の変化に伴い,国内の産業構造も次第に変化を遂げつつある。国内総生産額に占める工業部門のシエアは変化が小さいものの,輸出の主力である軽工業の鉱工業生産に占めるシエアは,78年の43.1%から93年には47.2%へと拡大しており,重工業に偏っていた産業構造に変化が生じている。
また,実質為替レートの下落は,非貿易財(主に商業,運輸等のサービス)に対する貿易財(主に農産品,工業製品)の相対的な価格を上昇させ,非貿易財生産から貿易財生産へのシフトを促す。中国の貿易財と非貿易財の生産をみると,中国全体でみれば,計画経済の下で発展が抑圧されていた第3次産業が成長したために,むしろ非貿易財の生産の比率が高まっている。しかし,輸出依存度の高い広東,福建省等の沿海南部では,輸出の増勢がより高まった85年以降,貿易財生産のシェアが拡大している。貿易財の生産額は,85年には非貿易財の生産額の2.7倍であったが,91年には3.4倍にまで増加している。
中国への直接投資の流入は,80年代半ばより急速に増大している。直接投資の流入を促した要因としては,中国側の積極的な外資導入政策とともに,85年のプラザ合意以後,通貨調整により価格競争力を弱めた日本やアジアNIEsの企業が,生産コストの低い中国へ労働集約型産業の生産拠点をシフトしたことがあげられる。また,中国が高成長を続けるなかで,国内市場の持つ将来性への期待に基づいた投資も増大している。
92年のフローの直接投資を業種別にみると,全体の約6割は繊維や電機等の工業部門に集中しており,工業製品輸出の増大の要因ともなった。例えば,各省ごとの外資流入額と輸出額の間にはおおむね相関があり,広東省や福建省等,外資進出が集中した沿海南部の地域ほど輸出が活発となっている(第2-2-7図)。輸出総額に占める外資企業の輸出額のシェアをみても,90年の12.6%から94年1~4月には28.5%に増大し,さらに広東省では94年1~4月で38.1%に達している。
インドでは47年の独立以来,,またベトナムでも再統一後の76年から,重化学工業を中心に国営企業を主体とした輸入代替工業化政策がとられた。しかし,政府による保護や規制の結果,生産性や国際競争力の向上が阻まれ,経済は長期低迷に陥った。そのため,経済再生のためには経済自由化が不可欠であるとの認識が高まった。
ベトナムでは,86年に「ドイモイ」と呼ばれる本格的な経済改革を開始し,農業,軽工業の発展を促し,輸出を拡大することを経済目標とした。また,インドでも,80年代中頃から徐々に経済自由化が行われていたが,91年6月に誕生したナラシマ・ラオ政権の下で,本格的な経済自由化に乗り出した。対外面での構造調整政策は経済改革の柱となっており,両国とも外向きの経済政策への転換を積極的に進めている。
「ドイモイ」の下でのベトナムの対外開放政策をみると,貿易自由化では,まず国営の貿易会社が独占していた貿易業務を民間企業にも認め,貿易活動に民間企業の活力を取り入れた。政府が取引量を調節する輸出入割当品目も,段階的に縮小された。
また,為替レートの調整を行い,実勢レートよりも大幅な割高に設定されていた公定レートを,86年より段階的に切り下げた。89年には公定レートを実勢レートの水準まで切り下げるとともに,両者のかい離幅が10~20%程度に収まるよう中央銀行が適宜介入する管理フロート制へと移行した。こうした為替レート調整の結果,実質為替レートは86年以降下落が続き,輸出競争力が強化された(前掲第2-2-4図)。
外資については,87年に外資導入法を制定し,①外資全額出資企業の認可,②外資企業に対する税制優遇策の導入,③利益送金の保証などを決定した。その後,92年には同法を改正し,①外資企業の業務認可期間の延長,②外資全額出資企業への税制優遇制度の適用を行い,外資に対してさらに門戸を開いた。
また,91年には輸出加工区条例を公布し,輸出加工区の外資企業に対して,法人所得税や関税の減免等の優遇措置をとることとした。
インドは,従来国内産業の保護を目的として厳しい輸入規制を行っていたが,91年7月に発表した「新貿易政策」の下で,①貿易数量や品目規制の緩和・撤廃,②関税の引き下げ・撤廃,③輸入ライセンス制度等の貿易手続きの簡素化等,輸入自由化を中心とする貿易自由化措置を段階的に実施している。
また,経済自由化の初期の80年代中頃より為替レートの調整を開始し,従来管理フロート制の下で割高に設定されていた公定レートを,徐々に実勢レートに近づけた。さらに,93年3月には完全フロート制に移行した。ルピーの実質実効為替レートは,自由化を開始した80年代中頃以降減価傾向にあり,ベトナム同様輸出競争力が高まった(前掲2-2-4図)。
外資規制緩和では,①外資の出資上限比率の40%から51%への引き上げ,②外資の認可手続きの簡素化,③外資企業へのローカル・コンテント義務の撤廃,④利益送金規制の緩和等の措置が実施されている。
ベトナム,インド向けの海外直接投資は,近年急速に増加している。両国が投資先として急速に注目されるようになった理由としては,①政府の積極的な外資導入策,②マクロ経済の安定化,③安価で質の高い労働力が豊富に存在すること,④東アジア成長経済における労働コストが急速に上昇していることなどがある。また,⑤両国とも人口規模が大きく,経済自由化によって,その国内市場の将来性に期待が持たれている。
外資の進出を業種別にみると,ベトナムでは当初は石油開発やホテル建設などに集中していたが,91年より農林水産加工,軽工業等の労働集約型産業を中心に,工業部門への投資も増大している。インドでは,外資規制緩和の効果として,新たに外資に開放された石油や電力などのインフラ部門や資源・食品部門への投資が,目立って拡大している(第2-2-8図)。
また投資国・地域としては,ベトナムでは,台湾,香港,韓国を中心とする東アジアからの投資が,93年で全体の61.2%を占めており,東アジアとの経済関係が強い。日本,マレイシア,インドネシア等からの石油開発向け投資の増大の他,日本,アジアNIEs,ASEANが生産コストの軽減のため,労働コストの安いベトナムヘ製造業部門をシフトさせていることも,直接投資の増大に寄与している(前掲第1-3-7図)。インドでも投資国の多様化がみられ,日本,アジアNIEs,ASEANからの投資が増え始めており,東アジアとの関係が深まりつつある。
外向きの経済政策へと転換した結果,企業の輸出インセンティブも高まり,両国の輸出は拡大している。
ベトナムの貿易動向をみると,輸出品目では米,原油等の一次産品が中心となっている。工業製品や雑製品の輸出総額に占めるシェアはまだ小さいものの,繊維製品を中心に次第に増大している。輸出先は主に日本,アジアNIEs,ASEAN,中国等の東アジアであり,92年の輸出総額の60.l%を占めている (前掲第1-3-6図)。また,東アジアからは,石油製品,設備機器,家電製品やバイク等の耐久消費財の輸入も多く,貿易面での東アジアとの依存関係が強まっている。
インドの貿易動向をみると,旧ソ連・東欧経済の崩壊により,これら諸国との貿易が急減する一方,アジアNIEs;ASEAN,中国との貿易が拡大している。東アジアとの貿易が全体に占める割合を87年と92年で比較すると,輸出では8,2%から13.4%へ,輸入では8.8%から9.3%へとそれぞれ高まっている。
また,品目別にみると,輸出では為替レート減価の影響もあって,繊維製品等,低廉な賃金を活用した労働集約的な製品の輸出の増加が顕著となっている。輸入では輸出品の生産のための中間財の増加が目立ついる。
経済面での相互依存関係が強まるアジア地域の中にあって,ベトナムやインドもその一員として,近隣諸国・地域との投資や貿易を通じた経済関係を強化しつつある。両国ともインフラ整備や一層の市場経済化など課題も多いものの,対外開放が進むつれて,さらにアジア域内での分業体制が強まり,東アジアの経済成長の波及効果が,両国の成長を促進することが期待される。
中南米は,過去半世紀にわたる保護主義的な内向きの経済政策の下で,経常収支,財政収支の悪化や高率のインフレに見舞われ,経済は停滞した。そこで,多くの中南米諸国が80年代半ば以降,外向きの開放的な経済政策へと転換した結果,①製品輸出の拡大,②直接投資の流入,③地域経済統合の活性化等の変化が生じており,80年代末以降,中南米経済は活性化している。
以下では,債務問題を克服する一方,アメリカ等との地域経済統合を進めるメキシコと,中南米諸国の中で早くから外向きの経済政策への転換を図ったチリをとりあげ,外向きの経済政策が,経済成長にどのように貢献しているのかを検討する。
メキシコとチリの輪出額は,70年代にはそれぞれ石油,銅の資源輸出を中心に好調に拡大し,それに伴って輸入も拡大した。その後,両国の貿易額は,80年代前半には低迷したものの,80年代後半になると,石油や銅に依存していた輸出構造からの脱却が進み,製品輸出を中心に輸出が拡大する一方(第2-2-9図),輸入面では工業生産の伸びに伴い,機械設備等の資本財の輸入が大きく増加している。輸出依存度(GDPに占める輸出の比率)について,65年~79年と85年~92年の平均値を比較すると,メキシコでは9.5%から15.9%へ,チリでも17.0%から32.O%へ上昇している。一方輸入依存度(GDPに占める輸入の比率)については,メキシコでは10.6%から15.1%へ,チリでも17.5%から28.3%へ上昇している。
このような貿易の拡大と貿易構造の変化をもたらした背景として,貿易自由化の進展があげられる。メキシコでは,82年の債務危機以降,厳しい輸入抑制策をとった結果,輸入品の価格上昇,輸入原材料の供給不足によって生産が縮小し,輸出品の国際競争力も低下した。このため,85年以降,①輸入規制対象品目の縮小,②関税率の簡素化と引き下げ,③輸出ライセンス制の廃止等の貿易自由化政策がとられた。
一方,チリでは,73年から他の中南米諸国に先駆けて経済自由化政策を実施し,70年代中に関税・非関税障壁の多くが廃止された。80年代前半の経済危機に際し,国際収支の改善を優先さ4たため,貿易自由化は一時逆行したが,85年以降再び関税引き下げなどの貿易自由化が進展している。
こうした貿易自由化の動きは,両国の産業構造にも影響を与えた。製造業の生産構成をみると,輸出製品が大きく生産を伸ばす一方,従来保護されてきた輸入代替産業の中には,輸入品との競合により成長の鈍化したものもある。メキシコでは,貿易自由化を進めた80年代後半に,輸出産業である電気機械,自動車等の生産が大きく伸びているのに対して,輸入代替産業であった産業のうち繊維の生産は低迷している。また,70年代に貿易自由化を進めたチリでは,80年代に食料加工品,紙・パルプ製品等の輸出製品の生産が増加しているのに対し,従来の輸入代替産業のうち,機械・輸送機械の生産は減少しており,鉄鋼生産の伸びもわずかなものに止まっている(第2-2-10図)。
メキシコでは,82年以前は好調な石油輸出を背景として,為替レートは切り上がり気味で推移していたが,為替の増価や石油価格の下落により貿易収支が悪化したため,82年2月には,ペソが大幅に切り下げられ,83年には,毎日一定幅の切り下げを行うデイリー・クローリング・ペッグ制が導入された。87年以降は,インフレ抑制に重点を置いた経済政策がとられたため,為替レートの引き下げ幅が抑えられた。その結果,実質実効為替レートは,80年から87年にかけて減価したが,88年から93年にかけてむしろ切り上がった。しかし93年においても,82年の水準からみると依然として割安となっている(第2-2-11図)。
一方,チリでは,79年に開始された固定為替相場制が通貨の過大評価を招き,貿易収支が悪化したため,82年6月に変動為替相場制に移行し,83年12月以降は,内外インフレ格差に応じ通貨を切り下げるクローリング・ペッグ制による為替調整が行われている。チリでは,マクロ経済が安定しており,インフレ抑制のために為替レートを割高に誘導する必要がなかったため,実質実効為替レートは82年以降概ね低下を続けている(前掲第2-2-11図)。
両国とも内向きの経済政策の下では,為替が割高であったため,製品輸出が伸び悩んだ。しかし,外向きの経済政策に転換したことによって,割高な為替レートが是正され,製品輸出の国際競争力が向上した。
為替レートが割高になるのを避けたことは,海外からの直接投資の誘因ともなり,直接投資が活発に流入して,生産や輸出の拡大に寄与した。
メキシコの直接投資受入れ残高をみると,84年以降前年比で二桁の高い伸びを示しており,国別では,アメリカからの投資のシェアが最も大きい。また,業種別累計では,製造業が5割強を占めているが,90年以降サービス業の割合が大きくなっている。メキシコへの直接投資が増加している背景には,①拡大するメキシコ市場への期待,②安価な労働コスト,③外国資本に対する開放政策がある。92年の資金水準はアメリカの約1/5であり,海外企業にとって直接投資の大きなインセンティブとなっている。外資政策をみると,73年に公布された外国資本に対する規制色の強い外資法は徐々に緩和され,89年には手続きの簡素化,一定の要件の下での全額外資出資が認められた。また93年の外資法の改正では,北米自由貿易協定(NAFTA;North American Free Trade Agreement)の締約国のアメリカ,カナダに加えて,域外国に対しても,一部の規制業種以外での全額外資出資が認められた。
チリでも,直接投資受入れは,①安価な労働力,②豊富な天然資源,③良好な経済パフォーマンスを誘因に,80年代後半以降概ね増加しており,特に93年には70.4%増(実行ベース)と急増した。業種別では,銅山開発が中心であるが,製造業の比率も26.2%(93年,実行ベース)を占めている。85年には中南米諸国で最初に対外債務の資本化が法制化され,投資家は海外市場でチリの外貨建ての対外債務を購入し,これをペソと交換して国内企業に投資できるようになった。外向きの政策に加えこの措置の効果もあって,農業,食品加工業,パルプ・チップなどの木材関連産業への投資が増加した。
メキシコのアメリカ向け輸出に占めるアメリカ系企業の比率は,82年から89年で6倍以上に増加して41.7%となっている。一方,メキシコのアメリカからの輸入に占めるアメリカ系企業の比率は,89年には約50%になっている。これらの貿易取引の大半は,アメリカの親会社とメキシコの子会社の間で行われている。例えば,自動車産業では,70年代以降メキシコに進出したアメリカ系企業が,アメリカから部品を輸入してメキシコ国内で組み立てて再輸出するという企業内貿易が進展しているが,こうした動きは,メキシコの質易自由化が進展したことで一層顕著になっている。85年と92年の乗用車と自動車部品におけるメキシコのアメリカに対する貿易特化係数(1に近いほどメキシコからの輸出比率が高く,逆に-1に近いほどメキシコの輸入比率が高い)の変化をみると,乗用車では0.4から0.8へ上昇し,一方自動車部品では-0.19から-0.88へ低下しており,メキシコがアメリカから部品の供給を受け,生産した完成車をアメリカに輸出する関係が強まっている。
また,メキシコでは,83年8月にマキラドーラ法が制定され,保税加工制度(マキラドーラ)が展開されている。これは,外国からメキシコに無税で部品,原材料を持ち込み,加工して輸出を行うもので,アメリカ,日本等から電気・電子製品,繊維,家具,輸送機器部品等の企業が進出している。93年の輸出総額に占めるマキラドーラ貿易の比率は42.1%に達しており,マキラドーラはメキシコの製品輸出の増加に大きく貢献している。ただし,NAFTAの合意により,2001年以降NAFTA域内の関税・非関税障壁の撤廃に伴い,マキラドーラ制度は廃止されることになった。今後中南米諸国が国際的な自由貿易体制への協調を進めていくにつれ,各国間の貿易政策の共通化が進むものと考えられる。
中南米における80年代後半以降の外向きの経済政策の特徴として,地域経済統合の動きが再び活発化していることがあげられる。
60年代以降に創設されたラテンアメリカ自由貿易連合(LAFTA;Latin American Free Trade Association),中米共同市場(CACM:Central American Common Market),アンデス共同市場(ANCOM;Andean Com mon Market)等の地域経済統合は,輸入代替産業育成のために,経済統合による大きな市場の形成を狙ったものであったため,基本的に保護主義的な性格を持っていた。加えて,経済統合による利益がブラジルやメキシコなどの域内大国に集中したため,その他の加盟国の不満が高まり,大きな成果を挙げることはできなかった。しかし,80年代以降再び強まった地域経済統合の動きは,より開放的なものとなっている。
メキシコは,NAFTAへの取り組みと同様に,域内統合の動きにも積極的であり,91年9月にはチリとの間で,94年にはベネズエラ,コロンビアとの間で自由貿易協定を締結した。また,中米諸国との間でも,二国間自由貿易協定の締結を目指した交渉を行っている。
チリは93年4月にベネズエラ,同年12月にコロンビアと二国間自由貿易協定を締結し,91年8月にはアルゼンチンと,93年4月にはボリビアと経済補完協定を締結した。さらに,チリはアメリカとの自由貿易協定の締結又はNAFTAへの加盟を希望しており,北アメリカとの経済関係の強化を゛図っている。加えて,アジア・太平洋地域との連携も重視しており,アジア太平洋経済協力(APEC;Asia-Pacific Economic Cooperation)への参加も決定している。
その他の中南米諸国においても,地域経済統合の動きが活発になっている。
ブラジル,アルゼンチン,ウルグァイ,パラグァイの4カ国により95年1月に創設されるメルコスール(MERCOSUR;MercadoComundeISur,南米共同市場)では,①財・サービスの域内自由流通,②域外共通関税設定と対外共通貿易政策の実施,③資本・労働の域内移動の自由化等を目指している。特に域内関税については,91年1月1日現在で課税対象となっている品目について,段階的に関税率を引き下げ,94年末までに全品目の関税を廃止することとしている。メルコスール加盟国間の貿易額は85年以降増加を続けており,特に関税率の引き下げが始まった91年以降の伸びが大きくなっている。
このように,外向きの経済政策への転換を図った中南米諸国では,地域経済統合によって貿易,投資を活発化し,規模の経済をベースに各国の比較優位構造を最大限に発揮することにより,競争力の強化と中長期的な成長の実現を図ろうとしている。
市場経済への移行を進める東ヨーロッパでは,対外開放政策とコメコン解体を通じて,①西側との貿易関係が深まり,②市場メカニズムに基づく比較優位を反映した貿易構造,産業構造の転換が行われている。また,③東ヨーロッパ域内貿易の拡大など,西側先進国以外の諸国との関係の再構築が図られている。以下では東ヨーロッパの対外開放のケーススタディとして,比較的早期に対外開放を開始したポーランドをとりあげる。
(急速な対外開放の進展)
ポーランドでは70年代から部分的な貿易自由化を開始したが,本格的な自由化が実施されたのは,包括的な市場経済移行政策が導入された90年からであった。90年以降,マクロ安定化政策の導入とともに,輸出入ライセンス制度・割当制度の縮小,輸出補助金の廃止,関税引下げ等の貿易自由化が急速に進んだ。また,通貨の国内交換性が導入され,輸入に必要な外貨と自国通貨を自由に交換できるようになった。しかし,91年に輸入が急増して貿易収支が悪化したことから,91年中頃から農産物等を中心に関税が引き上げられるなど,貿易自由化に逆行する動きもみられる。
為替レートについては,割高に設定されていた公定レートを,80年代後半から徐々に切り下げた。90年1月には,公定レートをさらに大幅に切り下げて市場レートに一本化すると同時に,為替切下げによるインフレ・スパイラル(為替切下げによる輸入インフレが為替切下げ圧力を強め,再度切下げを行うとそれがまたインフレを引き起こす現象)を回避するため,固定相場制を採用した。しかし,インフレが続き,為替レートが実質的に増価したため,91年5月には再び大幅な切下げが行われた。その後,91年10月からはクローリング・ペッグ制を導入し,徐々に切下げを行っているが,92年2月と93年8月には,大幅な切下げを実施した。このような相次ぐ切下げにもかかわらず,インフレの高進から93年の実質実効為替レートは80年代半ばと比べれば引き下げられているものの,90年の水準と比べると約60%増価している(第2-2-12図)。
外資規制については,76年の外資法で初めて外資の導入が認められた。その後も徐々に規制緩和が進められ,88年には外資の100%出資が認められた。91年には利益送金が完全に自由化され,また外資系企業設立も許可制から登録制へ変更されるなど,外資導入がさらに促進された。
対外開放政策が進展し,またコメコン内での分業体制が崩壊したため,ポーランドの貿易は量的にも構造的にも変化した。
輸出額は,91年のコメコンの解体によって旧ソ連,東ヨーロッパ地域向けが減少する一方,西側向けは増加し,緊縮政策のなかで落ち込んだ国内市場に代わる市場が企業に提供された(前掲 第2-2-12図 )。輸入額は,91年以降は,貿易自由化の効果に加え,92年からの内需の回復もあって急増している。そのため,貿易収支は91年以降赤字が続いている。ポーランド経済の貿易依存度も高まり,輸出額(GDPベース)の対GDP比は89年の19.1%から92年には21.2%へ,輸入額の対GDP比は89年の14.9%から92年には22.3%に拡大した。
貿易相手地域をみると,ポーランドでは,80年代前半の時点で,西側との貿易が貿易全体の30%近くを占め,他の東ヨーロッパ諸国と比較すると西側への貿易シフトが進んでいた。改革後は,さらにEU諸国を中心に西側との貿易が急増し,93年には輸出入の70%以上を西側が占め,旧ソ連・東ヨーロッパ地域のシェアは20%未満に低下した。
貿易相手地域が西側にシフトした背景には,為替レートの変化や賃金コストの格差による比較優位の変化がある。
ポーランドでは,前述したように,80年代後半からの通貨切下げにより,実質実効レートは,85年の水準からみれば依然割安となっている(前掲第2-2-12図)。また,賃金についても,90年に超過賃金税が導入され,インフレの元となる国営企業の賃金上昇が抑制されている。工業部門の賃金を他の諸国と比較すると,他の東ヨーロッパ諸国よりは高いが,新たに主要な貿易相手国となった西側諸国よりはかなり低く,ドイツの約1/10の水準となっている。
そのため,西側に対しては労働集約的な製品の価格競争力が高まった。
このような為替レートや,賃金の特性が,貿易品目構造に変化を与えている。85年から92年にかけての貿易品目の変化を貿易相手地域別に比較してみると,①西側との貿易では,輸出入ともに製造業製品のシェアが増加する一方,②旧ソ連・東ヨーロッパとの貿易では,原料,燃料,食品のシェアが増加している。また,③西側との貿易が増加している製造業製品1こついては,輸出の中心品目が機械類等から中間財,消費財へ変化している(第2-2-13図)。このような,貿易品目の変化は,西側市場での競争に直面したポーランドが,為替面,賃金面での特性を活かし,労働集約的な製品や,規格が標準的で付加価値の低い中間財等における比較優位を顕在化させた結果である。比較優位のある品目へと輸出構造を変化させた結果,ポーランドは,輸出先を西側にシフトすることができた。
貿易品目構造の変化は,国内の生産構造,雇用構造の変化にもっながっている。ポーランドでは,計画経済体制の下で人為的に重工業化が図られた結果,既にかなりの程度工業化が進み,逆にサービス部門の成長が遅れていた。そのため,改革後は貿易財部門が拡大する一方で,設立資本が少なくてすむサービス部門が急拡大し,非貿易財部門の生産のシェアが増加している。しがし,工業部門に限ってみてみると,生産に占める重工業のシェアが89年の50%から92年の47%に低下する一方で,輸出競争力の高かった軽工業のシェアが89年の50%から92年の53%に上昇している。雇用におけるシェアにも同様の変化がみられ,貿易構造の変化が国内産業構造にも影響を与えていることがわかる。
また,輸入の自由化が国内経済に与えた効果をみると,89年から91年までは燃料の他,製造業品では消費財の輸入が大きく伸びており,この時期の輸入は主として国民の日常生活の向上に直接寄与した。他方,92年以降は消費財の輸入の伸びが低下する一方で,中間財の輸入が最も大きな伸びを示しており,この時期の輸入は生産回復に貢献した。
ポーランドの外資受入れは76年から開始されたが,流入する外資の量はわずかなものにとどまっていた。しかし,91年の外資法でより外資受入れ体制が整ったこともあり,92年には製造業部門を中心に外資の流入が急増した(第2-2-14図)。先進諸国にとってポーランドは,①将来性のある大規模な国内市場,②安価で優秀な労働力,③低い生産コスト等の点から,投資先としての魅力は高い。
投資国別の累計投資額をみると,他の東ヨーロッパ諸国ではドイツからの投資が多いのに対して,ポーランドではアメリカからの投資が最も多い。これは,食品部門に比較的大規模な投資がみられたことや,在米ポーランド人からの投資が多いことが原因である。
外資の参加する企業がポーランド経済に占めるシェアをみると,売上に占めるシェアに比較して輸出に占めるシェアが大きい。92年の輸出/売上比率も,既存のポーランド企業が8.3%であるのに対し,外資の参加する企業は12.4%と相対的に高く,輸出志向が強い(第2-2-14図)。また,90年から93年にかけて民営化された企業のうち,20%近くが合弁企業となっており,外資が民営化で果たす役割も大きい。
東ヨーロッパ諸国が西側との新しい貿易関係を構築できた背景には,改革開始当初に,西側諸国が,旧共産圏向け貿易数量規制を撤廃するなど,東ヨーロッパの輸出に対して市場を開放してきたこともあった。東ヨーロッパ諸国はその後も西側との関係強化の姿勢を強め,91年12月には欧州連合協定に調印し,EUとの間で相互に貿易障壁の段階的な撤廃を行うことを取り決めた。また94年4月には,ハンガリーとポーランドが欧州連合(EU;European Union)への正式な加盟申請を行った。
一方,東ヨーロッパが競争力を持つ鉄鋼,繊維等は,西側の多くの国で保護の対象になっており,西側諸国は,東ヨーロッパからの輸入品にアンチダンピング課税を適用するなど保護主義的な姿勢もみせている。欧州連合協定もEU側で東ヨーロッパからの輸入の拡大に対する懸念が高まったために批准が遅れ,94年2月にようやく全面発効した。また,東ヨーロッパ諸国は,西側との貿易関係を深めた結果,西側諸国の景気の影響を強く受けるようになった。92年から93年にかけては,EUの不況もあってEU向け輸出は伸び悩み,東ヨーロッパの経済回復を遅らせる要因となった。
そのため,西側以外の諸国との関係強化も目指されており,東ヨーロッパ域内では,93年3月にポーランド,ハンガリー,チェコの3国の間で中欧自由貿易協定が発効し,域内の関税の引下げが行われている。現在のところ,域内貿易は比較的小規模ではあるが,旧ソ連諸国との関係回復も含めて,今後はEU以外の諸国との間の多角的な貿易関係の構築が期待される。
これまでみてきたように,内向きの経済政策から外向きの経済政策へと転換した国々では,市場メカニズムに沿って産業構造や輸出構造が変化し,輸出の拡大に支えられて成長が加速した。先進国経済の減速,地域経済統合の進展,保護主義の台頭といった貿易環境の変化の下で,①外向きの経済政策は途上国にとって依然として望ましい経済政策であろうか。また,②今後,外向きの経済政策を採用するにあたって,途上国政府はどういう役割を果たすべきなのだろうか。
外向きの経済政策の下で成長を遂げた新興経済は,少数の成功例にすぎず,その輸出が世界貿易に占める比率は依然として小さい。今後他の多くの途上国が外向きの経済政策を採用し,輸出志向を強めるとしたら,果たして,これまでと同様にそれら諸国の輸出を吸収できるだけの十分な市場が存在するのかという懸念が生じる。したがって,外向きの経済政策が今後とも有効であるためには,①途上国の輸出市場が存在するとともに,②その市場が途上国に対して開かれていなければならない。
戦後の世界貿易は世界経済の成長を上回るスピードで拡大してきており,世界経済は開放度を高めつつ,貿易の拡大とともに成長してきた(第2-2-15図)。世界銀行の見通しによれば,世界貿易は1992~2002年の期間に実質で年率5.8%の伸びとなり,引き続き同期間のG7の成長率同2.7%,途上国の成長率同4.7%を上回って拡大する。
世界貿易の拡大を,途上国の輸出先の動向からみると,先進国向け輸出のシェアが徐々に低下する一方,途上国間の貿易(いわゆる南々貿易)の比率は高はっている(第2-2-16図)。特に,アジア域内の貿易の拡大は顕著であり,アジア途上国の途上国向け輸出はアジア途上国の輸出全体の44.9%(92年)を占めている。このことは,途上国が他の途上国にとって新たな輸出市場となっていることを意味しており,途上国の外向きの経済政策への転換は,輸出市場を拡大し,外向きの経済政策の有効性を一層高めることになる。
次に,先進国の輸出入動向をみると,まず,先進国の途上国からの輸入の先進国のGDPに対する比率は,70年以降,80年代初まで急速に高まり,その後低下した(第2-2-17図)。これは,石油価格の高騰・下落が影響しているものとみられ,そうした要因を除けば,途上国からの輸入規模は長期的には高まっているものと考えられる。そこで,特に外向きの経済政策の成否と密接な関連をもつ製造業品に注目してみよう。主要先進国(北アメリカ,EC,日本)の途上国からの製造業品輸入が主要先進国の全製造業品消費に占める比率は,80年の2.4%から88年の3.1%へと高まっている(世界銀行“Global Economic Prospects and the Developing Countries1992”)。ただし,その規模は,これら主要先進国の経済規模に比べ,また,一部の製品の途上国からの輸入が先進国の消費の2割程度を占めるに至っていることからしても,全体としては小さいものにとどまっている。また,世界銀行は,仮に80年から88年にかけて,これら主要先進国が韓国からの輸入と同じ速いペースで全途上国からの製造業品輸入を急速に拡大したとしても,88年の主要先進国の全製品消費に占める途上国製品の輸入シェアは僅かに0.6%高い3.7%に高まるにすぎないと試算している。つまり,今後外向きの経済政策をとろうとする途上国の輸出が大幅に増加したとしても,それによって増える先進国の輸入量の拡大は限界的なものにとどまるとみられることから,先進国市場は途上国からの輸入を吸収する余力をもっていると考えられる。なお,先進国のなかには,雇用の確保,賃金水準の低下の恐れから,途上国からの輸入を抑えようとする動きもみられる。しかし,先進国の輸入動向をみると,水平分業や企業内分業の進展を反映して先進国からの輸入の伸びが大きく,長期的には途上国からの輸入のシェアはむしろ低下している(前掲第2-2-16図)。
一方,先進国の輸出先をみると,途上国への輸出のシェアが低下し,逆に先進国への輸出のシェアは高まっている。しかし,外向きの経済政策をとったアジアへの先進国からの輸出については,着実にそのシェアを伸ばしており,新興経済は先進国の輸出市場としてもその重要性が高まっている。先進国の輸出の拡大が先進国の成長と輸入の拡大につながれば,先進国の経済・貿易規模は途上国に比べ圧倒的に大きいため,途上国の輸出市場は一層拡大することになる。
以上のことから,今後多くの途上国が外向きの経済政策を採用して輸出拡大を図っても十分な輸出市場が確保されていると結論づけることができる。
途上国の輸出市場は存在しているが,それは途上国に開放されたものでなければならない。①GATTのもとでの市場開放への努力や,②地域経済統合のもとでの貿易障壁の削減が,市場開放を促進し,外向きの経済政策をとる途上国にとっても開かれた市場を提供することが期待される。
ガット(GATT;General Agreement on Tariffs and Trade,関税及び貿易に関する一般協定)は,度重なるラウンドを通じて関税率の引下げ等の多くの成果をあげ,世界貿易の拡大に貢献してきた。94年4月に終結したウルグアイ・ラウンドでは,モノの関税引下げのみならず,サービス貿易や知的所有権といった広範な分野をカバーする新しいルール作りが行われた。
地域経済統合については,域内の貿易・投資の活性化により域内の所得水準が高まれば,新たな貿易・投資機会を生み,域外国の貿易・投資の拡大が期待できるとの見方がある。なお,地域経済協定はメンバー国を拡大していく動きがあるが,このような動きがグローバルな貿易・投資の自由化につながっていくとの考え方がある。他方,地域経済協定締結による貿易・投資の自由化が域内メンバー国を優遇する結果,排他的な経済ブロックとなって,世界貿易の拡大を阻害するとの見方もある。したがって,地域経済統合の強化が,地域経済を活性化し,世界的な貿易の拡大にも資するためには,GATTの下の諸規定に基づき,どの地域協定も域外国に対して協定締結前より障壁を高めることはできないとの原則が遵守され,地域経済統合が多角的自由貿易体制に即したものにならなければならない。
上記のような開かれた市場への動きが確固とし・たものとなり,途上国の外向きの経済政策の採用にとって望ましい環境が持続することが望まれる。
途上国にとって,先進国向け輸出は引き続き高いシェアを占めており,先進国市場は途上国の輸出市場として依然重要である。途上国が外向きの経済政策をとる上で,今後とも先進国市場が開放されていることが不可欠である。しかし,先進国の中には,途上国の不公正貿易を理由に,途上国の輸出品に対してダンピング防止税や相殺関税を適用するなど,保護主義的な動きを強める国もみられる。
また,GATTにおいて特別扱いされてきた途上国の立場にも変化が起きつつある。従来,途上国はGATTの例外規定を援用して,GATTのルールの適用除外を求め,先進国経済の開放の恩・恵を享受してきた。しかし,GATTの対象分野がモノの貿易からサービス貿易等の広範な分野へと拡大し,かつ,より一般的な貿易ルールが設定されるようになるとともに,途上国がこれまでのように例外措置の適用を求めることは次第に困難になってきている。
途上国は今後一層,国際的な貿易ルールへの協調を求められよう。
これまでみてきた点をまとめると,以下の点が指摘できる。
第一に,途上国の輸出市場は,広く存在しており,保護主義的な動きはみられるものの今後とも開かれていることが期待されるため,途上国の外向きの経済政策は依然として有効性をもっている。
第二に,しかしながら,貿易環境の変化により,途上国が輸出振興のために補助金供与や税の優遇等の介入主義的な政策をとる余地はこれまでに比べてより小さくなってきている。途上国は,GATT/WTOを中心として国際的なルール作りに積極的に参加し,そのルールに従って輸出を行うことを通じて,輸出相手国での市場アクセスを確保する必要がある。こうした環境のもとでは,介入主義的な輸出振興政策は,従来にも増してより制約をうけることになる。
したがって第三に,外向きの経済政策をとろうとする途上国にとっては,貿易や外資導入を活性化するための基礎的条件や制度の整備を図ることが,政府の役割として一層重要となる。輸出の障害となるような輸入代替生産のための強い保護支援策の放棄,通関サービスの改善や関税引下げ等の自由貿易の一層の推進などの面で,途上国政府が果たすべき役割は大きい。