平成6年

年次世界経済報告

自由な貿易・投資がつなぐ先進国と新興経済

平成6年12月16日

経済企画庁


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第2章 経済自由化で活性化する新興経済

第1節 新興経済の登場

1 活性化する新興経済

新興経済の好調な経済パフォーマンスを比較してみると,成長率の高まり,輸出の拡大,投資率の上昇,生産性の向上といった共通の特徴がみられる。

(高まる成長率)

新興経済の実質経済成長率の推移をみると,東アジア成長経済は70年代,80年代を通じて高い成長率を維持しており,90年代に入ってからも,先進国経済が停滞するなかで高成長が続いている。一方,中南米諸国は,80年代においては,債務危機を契機として成長率が落ち込み,「失われた10年」と呼ばれる深刻な経済の停滞を経験した。しかし,90年代に入ってからは,ブラジルを除いて成長率が高まっている。ブラジルを除く中南米経済は,83年から89年にかけては年平均1%の成長にとどまったのに対して,90年から93年にかけて年平均3.5%の成長を記録した。87年以来低迷していたブラジルも93年には5.0%の成長となった。また,80年代半ば以降経済改革に取り組んだベトナムとインドは,90年代初頭には,従来強い貿易関係を持っていたコメコン体制の崩壊によるショックを受けたものの,92年以降順調な成長経路にある。東ヨーロッパ諸国でも,90年代初頭の急進的な市場経済移行政策による混乱が収束するとともに,改革を着実に進めたいくつかの国でその成果が現れつつあり,例えばポーランドでは92年以降プラス成長を記録している(第2-1-2図)。

(拡大する輸出)

東アジア成長経済の持続的成長を支えた要因の一つは,優れた輸出パフォーマンスであった。アジアNIEsは,70年代以降急速に輸出を拡大した。またASEAN諸国の輸出は,70年代に好調に拡大したあと,80年代前半は世界同時不況の中で伸びが鈍化したものの,80年代半ば以降,輸出志向型の直接投資に支えられて,再び高い伸びを示した。また70年代末に対外開放政策に転換した中国でも,80年代以降高い輸出の伸びを記録している。

東アジア成長経済以外の新興経済においても,その経済パフォーマンスの好転には,輸出の増加が寄与している。中南米諸国の輸出は70年代から80年代の前半にかけて停滞したが,gO年代後半以降,ASEAN諸国に匹敵する高い伸びを示している。一方,インド,ポーランドなどでは,東側経済の停滞やコメコン崩壊の影響で,東側への輪出は減少したが,輸出先を西側ヘシフトすることに成功した結果,80年代後半以降輸出が拡大してきている(第2-1-3図)。


世界銀行のレポート『東アジアの奇跡』「なぜ東アジア成長経済は急速な経済成長を遂げることができたのか」というテーマは,アジアNIEsとASEANが高成長を続けるにつれて,関心の度合いを高めている。93年に発表された世界銀行の『東アジアの奇跡一経済成長と公共政策』は,このテーマに取り組み,他の途上国政府がとるべき公共政策は何かを検討している。

『東アジアの奇跡』で分析対象とされたのは,日本,韓国,台湾,香港,シンガポール,インドネシア,タイ,マレイシアの8カ国・地域(レポートではHPAEs:High-PerformingAsianEconomiesと称されている)である。これらの諸国・地域は共通して,①高成長の持続,②輸出の急増,③高い投資率と貯蓄率,④生産性の急速な向上等を実現してきた。

このようなHPAEsの成功は,有能な行政機構の存在と,多様で適切な公共政策の実施に起因する。まず評価されているのは,①マクロ経済の安定化,②人材育成,③効率的な金融制度の創設,④価格の李みの抑制,⑤外国技術の導入等の基礎的政策の実施により,経済成長のための基盤整備を行ったことである。例えば人的資本の蓄積の面では,HPAEsは初等教育と中等教育を重視し,公共支出を初等・中等教育部門へ重点的に分配してきた。この政策は低所得者層への広範な教育普及と,より公平な所得分配の実現とに大いに貢献した。

さらにHPAEsのいくつかの国・地域では,①特定産業の振興,②ゆるやかな金融抑圧,③輸出振興戦略など選択的な政策介入もみられた。輸出振興戦略の中には成長にプラスに作用したものもあったが,選択的な政策介入は失敗するケースが多かった。結局,HPAEsの政府が,マクロ経済の安定化,人材育成,インフラ整備,価格の歪みの抑制等の基礎的な条件整備を行ったことが,HPAEsの物的資本の高い蓄積と効率的な資源配分,急速な生産性の向上とを可能にした,とするのが世界銀行の見方である。


(高まる投資率と生産性)

東アジア成長経済の高成長の特徴として,生産性の伸びが高いことがこれまでも指摘されている。それでは,新興経済の経済成長のうち,どの程度が生産要素投入の増加によるものであり,どの程度が生産性の伸びによるものであろうか。

ここでは,生産要素の投入については物的投資(すなわち資本ストツクの増加,I)に限定し,物的投資以外の成長率の相違を説明する要因として,限界資本生産比率(ICOR;Incremental Capita1 Output Ratio)をみてみよう。ICORは一定の追加的生産(ΔY)を実現するために必要な追加的資本ストツクの増加(物的投資)の大きさ(すなわちI/ΔY)であり,投資の生産性が高ければICORは低くなる。東アジア成長経済の代表例としてASEAN諸国,それに続く新興経済の代表例として中南米諸国をとりあげ,成長率(ΔY/Y)と投資率(I/Y)の年代毎の推移を比較する。成長率を横軸に,投資率を縦軸にとると,原点からの傾きがICOR((I/ΔY)=(I/Y)/(ΔY/Y))に等しい。したがって,原点からの傾きが小さいほどICORは低く;投資の生産性は高い(第2-1-4図)。

まず,投資率について比較してみると,70年代においては,チリが20%を下回っているのを除いて,いずれの国も25%前後の投資率を達成しており,ASEAN諸国と中南米諸国の間で大きな差はなかった。しかし,80年代以降,比較的経済パフォーマンスの良好であったインドネシア,タイ,マレイシア,メキシコ,チリの投資率が上昇しているのに対して,経済パフオーマンスの劣っていたフィリピン,ブラジル,アルゼンチンでは,逆に投資率が低下している。その結果,各国の投資率の間には大きな差が生じている。また,第2-1-4図では比較の対象としなかった新興経済のうち,中国では80年代半ばから,またベトナムでも90年代に入って投資率の高まりがみられる。しかし,90年代に入って成長を開始したポーランドでは,90年以降,投資率が低迷している。

次に,ICOR(原点からの傾き)の推移を比較することによって,投資の生産性をみてみよう。まず,全体の特徴としては,相対的に成長の鈍化した80年代に,投資の生産性が低下している。国毎の特徴をみると,ASEAN諸国のうちインドネシア,タイ,マレイシアは,70年代以降一貫して高い投資の生産性を維持しているが,投資率の上昇とともに投資の生産性は低下してきている。

また,中南米諸国のうち,メキシコ,チリ,アルゼンチンの投資の生産性は80年代には低下したものの,90年代に入って急速に上昇している。他方,90年代に入ってからも経済の停滞の続いたフィリピン,ブラジルでは,80年代から90年代にかけてさらに投資の生産性が低下した。

このように,東アジア成長経済では,高い投資水準による資本蓄積の進展,高い生産性の伸び,輸出の拡大の間の好循環が生じ,高成長を持続してきた。

東アジア成長経済以外の新興経済においても,投資率の高まり,生産性の上昇,輸出の拡大がみられ,成長率が高まっている。次項では,新興経済にこうした変化が生じるようになった要因として,新興経済の経済政策の変化を検討する。

2 新興経済の経済パフォーマンス改善の政策的要因

東アジア成長経済が長期にわたり高成長を持続した要因として,①マクロ経済の安定を保ちつつ,②市場メカニズムを重視した経済政策をとったことがしばしば指摘される。東アジア成長経済以外の新興経済の経済パフォーマンスが改善した要因としても,これら諸国がマクロ経済の安定化と経済構造調整に取り組み,インフレの収束や市場メカニズムの導入に多大な成果をあげてきたことが重要である。

(1) 市場重視型の経済政策への転換

(途上国の経済政策の変化)

70年代から80年代にかけて,世界的な経済自由化の流れが定着するなかで,途上国の経済政策も,それまでの政府介入による保護主義的な経済政策から,市場メカニズムを重視した経済政策へと大きく転換した。

70年代頃まで,ほとんどの途上国では,輸入代替によって工業化を進めたため,輸入制限,高関税,外資規制(直接投資や証券投資等に関する規制)といった保護主義的な政策がとられてきた。また,しぱしば政府が積極的に対外借入を行い,国営企業を設立し,保護・育成することによって工業化を図る政策がとられてきた。しかし,政府による規制や介入は,逆に産業の効率化を妨げ,輸出の不振を招く結果となった。80年代に入って高金利と一次産品価格の下落が生じると,利払いの増大と対外不均衡の拡大から債務危機に陥る国が相次いだ。そのため,債務危機の原因となった保護主義的な経済政策を改め,経済活動に対する種々の規制を撤廃し,市場メカニズムを有効に機能させる必要があるとの認識が高まった。

累積債務問題と高率のインフレに直面した途上国は,当面の経済危機を克服するために,まず財政赤字の削減,マネーサプライの抑制,為替レートの切り下げなどのマクロ安定化政策によって,インフレの抑制と国際収支困難の解決を図ることが求められた。一方,中長期的に持続可能な成長を実現するためには,経済への政府介入を除去し,資源の適切な配分を促す効率的な経済システムの構築が必要であり,ぞのための経済構造調整が要請された。構造調整政策の手段としては,マクロ経済運営の規律を確立するための税制改革,補助金の削減,公共部門の縮小などとともに,市場メカニズムの活用を図るための金利自由化,貿易自由化,外資規制の緩和,民営化,価格自由化などの一連の経済自由化政策が実施された(第2-1-5図)。新興経済では,70年代にアジアNIEsがいち早く政策転換に成功したのに続き,80年代半ば以降,ASEANや中南米でもこうした動きが本格化した。

(計画経済諸国の市場経済化)

東ヨーロッパ,中国,ベトナム等の市場経済移行国も,マクロ経済の安定化を図りつつ,計画経済から市場経済へと経済システムの転換を図ってきた。

計画経済の下では,国営企業への産業の集中,硬直的な価格体系,労働力の非流動性等,過度の政府介入によって経済の非効率性が増大し,政府の経済政策は次第に行きづまるようになった。計画経済のもたらした失敗は,過度の政府介入の失敗という点で,途上国における保護主義的な経済政策の失敗と共通点を持っている。そこで,市場経済移行国も,計画経済からの脱却を目指し,国営企業の民営化,価格の自由化等の市場経済化を進め,市場メカニズムを重視した経済政策への転換を図るようになった。

(2) 安定化したマクロ経済

(インフレ抑制の重要性)

価格メカニズムの働きによって効率的な資源配分を図ろうとする構造調整政策が成功するための前提条件として,インフレを抑制し,価格メカニズムが機能する環境を整備する必要がある。高率のインフレは,為替レートの過大評価やマイナスの実質金利などを生じ,資源配分を歪め,経済成長をはばむ。また,投資がインフレヘツジを目的として不動産に向かったり,投機を目的として金融資産に向かったり,また海外に逃避したりする。その結果,長期の生産性向上のための投資,あるいは研究開発や人的資本形成のための投資が十分に行われず,長期的な成長ポテンシャルを引き下げてしまう。

一般に,成長率の低い国ほど,インフレ率が高く変動も激しい。例えば,IMFの分析(World Economic Outlook,94年5月)によれば,84年から93年において,相対的に高成長を遂げた42の途上国では,インフレ率の中位値が6.7%,標準偏差が0.5となっているのに対して,相対的に低成長にとどまった42の途上国のインフレ率の中位値は10.7%,標準偏差は0.8となっており,高率で変動の激しいインフレが成長に悪影響を及ぼしていることを示している。

(収束したインフレ)

東アジア成長経済に続く形で80年代後半以降台頭した新興経済の多くは財政赤字の拡大と中央銀行による赤字ファイナンスを主因として,80年代に高率のインフレを経験したが,90年代に入ってその収束に成功した。

消費者物価上昇率の推移をみると,フィリピン,ベトナムを除くアジアでは,80年代以降総じてインフレの制御に成功してきた。一方,チリを除く中南米諸国では,80年代後半に急激なインフレの高進がみられた。また,東ヨーロッパ諸国も90年代初頭に高率のインフレを経験しており,例えばポーランドの90年のインフレ率は年率600パーセントを上回った。

しかし,90年代に入ると,80年代に高率のインフレを経験した国々においてもインフレが鎮静化している。例えば,メキシコやベトナムでは,93年のインフレ率は一桁台に低下してきている(第2-1-6表)。また,ブラジルでも,94年7月に新通貨レアルを導入し,消費者物価上昇率(月間)は6月の50.8%から9月には0.8%まで急速に低下した。

(削減された財政赤字)

新興経済においてインフレが収束した要因としては,緊縮的なマクロ安定化政策とともに財政部門の構造調整が実施され,歳出削減や徴税基盤の強化などが図られた結果,財政赤字の構造的要因が取り除かれたことが,最も重要である。

新興経済の財政赤字の規模を,中央政府の財政赤字の対名目GDP比で比較してみると,80年代以降物価の安定していた韓国,シンガポール等の国については,財政赤字の規模が相対的に小さく,90年代に入ってからも大きな不均衡を抱えることはなかった。一方,高率のインフレを経験したメキシコ,ベトナム等の国では,80年代においては財政赤字の規模が相対的に大きかったが,90年代に入って,財政ポジションに顕著な改善がみられる(前掲第2-1-6表)。

財政赤字の削減とインフレの関係については,インフレの収束に成功したメキシコと,失敗したプラジル(94年7月まで)の経験が興味深い。80年代後半以降,両国では,物価凍結や為替・レートの固定化などを手段とする,似通ったマクロ安定化政策がとられてきた。しかし,メキシコでは財政赤字削滅に成功し,92年には財政収支が黒字となったのに対し,ブラジルでは,財政収支改善のための政策措置が不十分であったために,91年に一度低下した財政赤字の対名目GDP比は92年に再び上昇した。その結果,メキシコではインフレの収束に成功したが,ブラジルでは92年,93年と再びインフレが高進した(第2-1-7図)。なお,プラジルではその後,財政均衡を目指すとともに,米ドルに価値をリンクした新通貨が94年7月に導入され,高率のインフレが急速に収束に向かった。今後,物価の安定が定着するためには,財政赤字削減のための抜本的改革が継続されなければならない。

(貨幣増発に依存しない財政運営)

財政赤字がマクロ経済に及ぼす影響は,そのファイナンスの方法によっても異なる。例えば,マレイシアやインドでは財政赤字が大きかったにもかかわらず,物価は落ち着いていた。

財政赤字が中央銀行の貨幣増発によってファイナンスされる場合には,インフレを生じる。物価の安定していた東アジア成長経済と,高率のインフレを経験した中南米諸国とポーランドの貨幣増発による歳入(インフレ税)の対名目GDP比を比較すると,中南米諸国やポーランドでは,インフレ税への依存度が極めて大きい(第2-1-8図)。

メキシコ,ブラジル,マレイシアの財政赤字の対名目GDP比,インフレ税及びインフレ率の推移をみると,メキシコやブラジルではこれらの変数の間に相関がみられ,財政赤字を貨幣の増発でファイナンスした結果,高率のインフレを招いたことがわかる。逆に,マレイシアでは,財政赤字の規模は大きいものの,そのファイナンスをインフレ税に依存しなかったために,インフレを回避することができた(前掲第2-1-7図)。

90年代に入ってからのインフレ税の動向をみると,インフレの抑制に成功したメキシコやアルゼンチンでは,インフレ税のGDP比が低下してきている。このように,新興経済においては,財政赤字が削減されるとともに,中央銀行によるファイナンスに依存していた体質からの脱却が進み,インフレの抑制に成功したのである(前掲第2-1-8図)。

本節では,マクロ経済の安定化を概観したが,2節以下では新興経済が活性化している政策的な要因として,構造調整の進展をとりあげる。特に,対外面と金融面での構造調整の効果を検討する。両分野の構造調整は,最近の新興経済の特色となっている輸出の成長,投資率の上昇と生産性向上をもたらした主要な政策的要因であると考えられる。


インフレ税とはどんな税?

各国の税制のなかに,インフレ税などという税目を見つけることはできない。

インフレ税とは,一体どんな税金なのだろうか?政府は,所得税などの税収入で,公共事業や社会保障等に必要な支出をまかなっているが,支出が収入を上回った場合には財政赤字を生じる。財政赤字を生じた場合,政府は,①公債を発行して民間部門から資金を借り入れるか,②通貨を増発するかのいずれかによって,財政赤字をファイナンスしなければならない。

貨幣の増発は,中央銀行が公債を引き受けるか,あるいは政府に直接融資することによって行われる。

公債は政府の国民に対する借金であるから,政府は将来,税収入か通貨増発によって公債を返済しなければならない。結局,現在行われる政府の支出は,現在または将来において,税金を徴収するか通貨を増発するかによってまかなわれている。

租税は国民の所得の一部を強制的に政府に移転するものであり,税負担とも呼ばれるように国民の負担となることは容易にわかる。しかし,通貨の増発が国民にどのような負担をかけるかは理解しにくい。それは次のようなメカニズムで生じる。

通貨の増発はインフレを引き起こす。インフレは,貨幣の実質価値を低下させるから,貨幣を保有する国民の実質購買力は減少してしまう。実は,通貨の増発によって政府が実質的に増加できる政府支出は,この国民の実質購買力の低下に等しい。つまり,通貨の増発によって財政赤字をファイナンスすると,インフレを通じた貨幣の実質購買力の低下という形で,通常の租税と同様,国民の所得の一部が強制的に政府に移転されてしまう。そこで,この国民の実質購買力の低下をインフレ税と呼ぶのである。インフレ税とは,貨幣を保有することに対する税金だと考えることもできる。

このように,インフレ税とは経済分析上の概念であり,実際の税制上存在するものではない。