平成4年
年次世界経済報告
世界経済の新たな協調と秩序に向けて
経済企画庁
第3章 市場経済移行国の経済改革と世界経済への融合
1976年に南北統一を果たしたベトナムは,中央集権的な社会主義経済体制を基礎とした工業化路線を進めようと,それまで自由主義経済体制にあった南への経済統制を強めていった。しかし,この政策は失敗に終わり,80年代初には経済政策の変更を余儀なくされるとともに,同半ばにかけては,財政赤字の拡大とインフレの高進は深刻な問題となった。
このような状況のなかで,86年12月共産党第6回党大会において市場経済システムの導入を柱とするドイモイ(経済刷新)が表明された。その後この政策が実施に移され,一定の成果を上げつつあるが,いまだに残されている課題も少なくない。
以下では,ドイモイ政策を導入するにいたる経済状況を概観したあと,新政策の内容とその成果を整理するとともに,改革が不徹底に終わっている分野やさらに克服すべき課題等を検討する。
南北統一後の76年から80年にかけての第2次5カ年計画において,政府はソ連型の経済政策にならって,農業部門から低価格の原材料・生産財を工業部門へ投入し,重工業化を図ることを試みた。目標として,生産国民所得(実質ベース,以下同じ)の成長率を13.0~14.0%,工業部門の成長率を16.0~18.0%,農業部門の成長率を8.O~10.0%とかかげた。しかし,南への中央集権的な社会主義経済の急速な導入は経済全般の停滞を招き,この間の実績は,生産国民所得成長率が0.4%,工業が0.6%,農業が0.9%と惨憺たる結果に終わった。
81年,このような結果を踏まえ,いくつかの改革が行われることとなった。
まず農業部門においては,農業協同組合からのノルマに基づく労働点数制から,生産物の量を農家が農業協同組合と契約を結ぶ生産物請負制へ移行した。
農家はこの契約量を上回る部分については自由に農作物を処分できるようになった。このため,農家の生産へのインセンティブが働くようになり,また,81年に政府が米の買上価格を一挙に5倍に引き上げたことも効を奏し,米の生産量は,80年の1,165万トンから85年には1,589万トンへと増加した。
工業部門においても,81年に国営企業に対し生産活動の裁量的な余地を拡大することが試みられた。具体的には,企業が自らの判断でコスト管理を行うことを促すため,資材調達や従業員の採否,販売価格の設定等についての規制を一部緩和し,企業管理者に対し経営面での責任と自覚を促そうとした。しかし,限られた範囲での自由化であり,企業経営は基本的には社会主義経済体制の枠組みの中で行われたに過ぎなかった。また,85年には,国庫補助金を財源として市場価格よりも低い価格で労働者に提供されていた生活必需品の支給を廃止した。このため,賃金の引上げが不可避となった。
しかし,何よりも同時に国営企業保護のために行われていた市場価格と国家が定めた固定価格とのかい離を補填するための価格差補助金は国家財政の赤字を拡大させた。85年の財政赤字の規模は対GDP比で17.1%に達していた。この赤字の約6割を中央銀行からの借入れにより補填したため通貨供給量の急激な増加をもたらした。更にドン切り下げによる輸入物価の上昇も加わり,消費者物価上昇率は,前述した85年の物価,賃金の改革による物価上昇もあいまって,85年に84%の上昇の後,86年には700%を超えるハイパー・インフレを招き経済は危機的状況に陥った。
ドイモイ導入時の86年について,ベトナムの産業構造を生産国民所得に占める分野別のシェアでみると,農業が46%,工業が25%,商業が19%となっている。同じく就業構造をみると農業従事者が73%を占め,工業従事者は11%で,農業に大きなウエイトをもつ産業,就業構造となっている(第3-4-1図)。
また,1人当たりの国民所得は200ドルといった低水準にある。
81年から85年の成長率は政府目標の4.5~5.0%を上回る6.4%の成長を示していたが,財政赤字の拡大と急激な物価の上昇が深刻な問題となっていた。
このような危機感の中で,86年12月共産党第6回党大会が開催された。そこで抜本的な経済改革の必要性が強調され,経済の刷新を意味するドイモイが表明された。ドイモイでは,①通貨膨張の抑制,②物価高の鎮静,③生活難の解消,④財政赤字の縮小の4つの減少がうたわれ,これらの目標を実現するため,米を中心とした食料の増産,それまでの重工業中心から消費財を中心とした軽工業部門の重視,輸出の奨励,外国企業への門戸開放,市場経済システムの導入といった新たな経済政策が採択された。この後,政府の計画は指令的なものからより誘導的な性格のものへ変わるとともに,具体的な改革も87年以降積極的に実施に移されることとなった。
以下では,ドイモイの考えの下に採られてきた種々の経済改革を,(1)価格自由化,(2)マクロ安定化政策と財政及び金融制度,(3)国営企業改革,(4)農業改革,(5)対外政策の各分野に整理して,その成果を概観する。
公定価格を市場価格化する一連の自由化政策が87年から89年にかけて実施された。この結果,89年には,ほとんどの商品について政府による統制が解除された。現在,政府による統制が行われているのは,電力,水道,運輸,通信,セメント,鉄鋼のみで,これらの価格も生産コストを反映するような水準に設定されている。加えて,肥料や石油といった基礎的な生産財は国際価格を反映するようになっている。しかし,それでも,一部の国営企業は,独占もしくは寡占状態にあり厳しい市場原理の洗礼を受けることが少なく,より競争的な市場環境が必要とされている。とりわけ,他の産業部門へ与える影響の大きい商業,輸送部門については新規参入を導くような改革が必要である。他の市場移行国と同じように,価格の自由化と引き締め策が同時に採られたにもかかわらず,当初の抑圧されたインフレの解除に伴い,物価上昇は88年には約400%を記録した。
ドイモイ以降のマクロ経済政策の目標は,成長よりも86年に775%にも達したハイパー・インフレの克服に置かれた。このハイパー・インフレは前述したように,主に財政赤字の増大に起因するものであった。国家財政においては,賃金・給与の支払いが急増したことや国営企業に対する価格差補助金が増加したこと等から歳出が増大し,歳出額の対GDP比はドイモイ直前の85年には38%に達した(第3-4-1表)。一方,歳入は,85年には対GDP比で21%にとどまっており,財政赤字は160億ドン,対GDP比で17%に達した。
この巨額に達した財政赤字を解消するため歳出の抑制が図られているにもかかわらず,歳入基盤が依然として弱く,財政赤字問題は依然として解決されていない。まず,歳出面では,88年には対GDP比7.3%に達していた補助金の整理に取り組み,89年には国営企業に対する補助金の他,食料を補助するための消費者調整補助金や国内価格と国際価格のギャップを埋めるための輸出補助金を廃止した。併せて,省庁間の統廃合による行政の簡素化も図られた。このような補助金の廃止等にもかかわらず,賃金支払いや利払い等の経常的支出は趨勢的に上昇しており,そのしわよせが資本支出のより大きな削減となって現れている。
一方,歳入面では,後述する国営企業改革により国営企業からの上納金である移転収入が減少する中,税収の拡大を図る努力がなされ,87年に売上税,利潤税(法人税),物品税,免許税(石油等の天然資源のロイアリティ等)の税率の引き上げと課税基準の強化が行われた。しかし,国営企業のパフォーマンスの悪化等を背景に歳入の対GDP比率は85年の21%から90年には16%に減少している。88年度の税収構造をみると,非農業部門からの税収が40%を占め,農業部門から30%,輸出入税が30%を占めた。非農業部門の中では,売上税が17%,利潤税が8%,物品税が5%となっている。80年代後半の歳入構造は国営企業からの移転収入に依存する割合が85年の79%から90年には34%へと減少する一方,税収に依存する割合が同期間に16%から32%へと増加しており安定的な歳入構造を目指している。
この結果,財政赤字は一時の危機的状況を脱し90年には対GDP比5.7%に低下し改善の方向にある。
一方,金融面では,預金金利が物価上昇率を下回り実質金利はマイナスになっていたため,89年には余剰資金を吸収するため金利が月利6%から12%(年利約20Oから390%)に引き上げられた。これに伴い通貨供給量の前年比伸び率は86年の358%から90年には48%に低下した。こうした引き締め政策により700%を超えていた消費者物価上昇率は90年には60%台へと一応の収束をみた(第3-4-2図)。
金融制度をみると,銀行組織の再編成が行われた。ベトナムの銀行組織はベトナム国立銀行,貿易決済や輸出入信用の供与を行う外国為替銀行,インフラ整備のための資本予算の執行を行う投資建設銀行から成っていた。88年7月には,新たに農業開発金融に責任を持つ農業開発銀行と商工業部門に資金を貸し付ける商工業銀行という2つの銀行が設立されるとともに,ベトナム国立銀行の中にあった商業銀行機能を分離した。更に,90年には銀行法が制定され,ベトナム国立銀行には従来からの発券業務の他,最,後の貸し手として通貨,金融のコントロールという中央銀行本来の役割を担せることとなり,ほぼ同じ時期に上記4銀行の支払準備率制度も確立された。また,外国銀行の支店開設が認可されるようになり,92年7月現在,タイ・バンコク銀行やフランス貿易銀行等6つの銀行の支店が開設もしくは開設が認可されている。
しかし,制度の上では金融制度の整備が行われてきたとはいえ,資金の不足のもとで,政府あるいは地方政府を通じての国営企業への資金供給が続けられており,また,金融機関に対する監督体制も不十分である。
ドイモイ以降,国営企業を対象に市場経済システムの導入を柱とする改革が行われた。エネルギー等の基幹物資を生産する企業を除き,各企業は資材の調達及び製品の販売を自らの責任で行うこととなった。すなわち,企業は契約の締結と遵守が義務づけられ,必要な原材料等の調達先を自由に選び交渉により価格を決定ずるとともに,製品の販売においても同様に,交渉により価格を決定することとなった。この他,資金は商工業銀行から調達し,従業員の採用,賃金,販売,設備投資等の決定も自主的に行えるようになった。法的拘束力を持つ国家からの目標値も税金と上納利潤の納付のみとなった。しかしながら,価格差補助金が廃止されたことにより,国営企業のうち,採算ベースにあるのは2割程度といわれ経営状態は必ずしも芳しくない。倒産法はないが,現在,重要な基幹産業であるかどうかや国庫に上納金をおさめられるかどうかを基準に整理が進んでおり,製造業における国営企業数は,87年の3,157社から91年には2,512社へ減少した。今後も不採算部門の国営企業の整理を進める計画ではあるが,民営化に対しては慎重であり,92年に入り株式会社化が実験的にスタートした程度である。
こうした改革により,国営企業の製造業生産額に占めるシェアは80年の60.2%から85年には56.5%へ低下した後,ほぼ同レベルで推移してきた。しかし,89年には厳しい引き締め政策が採られたことや旧ソ連からの輸入原材料が減少したことの影響がむしろ零細な企業が多い非国営部門に現れ,基幹産業を抱える国営企業のシェアはむしろこのところ増加している。また,消費財の生産額に占めるシェアも主な担い手である非国営企業の不振からこのところ低下している(第3-4-3図)。
ベトナムは,先にみたように農業部門が国民所得の約5割,外貨獲得の59%を占め,就業人口の72%が農業に従事する農村社会である。農民の所得が増大し,生活水準が改善されることが経済改革の成否を握っている。
前述した81年の生産物請負制の導入等により,米の生産は回復していたが,87年には米の生産は前年の1,600万トンから1,510万トンヘ再び減少した。これは当初5年間は据え置くこととなっていた割当量を契約期間終了前に引き上げることが多かったためとみられる。このため,農家の自主性や創意工夫を活かすため,88年以降国家に低価格で生産物を引き渡す制度に代え,生産量に応じた農業税の支払いへと変更するとともに,土地の利用権を5年から15年に延長し,譲渡権や相続権も認めることとなった。また,土地の割当方法も人数に応じて割り当てる他,優秀な農家には優先的に割り当てることとして生産規模の拡大を図ることとした。こうした改革が効を奏し,米の生産は,89年には約1,900万トンを超え国内消費を賄う他,140万トンの輸出を達成し主要な輸出品の一つとなった。また,1人当たりの農作物の生産量(米換算)は,87年の281kgから313kgへと増加した。
ドイモイ前においては,西側との経済関係は極めて限られたものであったが,最近では外向きの経済発展を目指しており,対外面でも幾つかの重要な改革が行われている。
ア.貿易政策
外国貿易は,従来国家管理の下に置かれていた。経済5カ年計画の一部として外国貿易計画を定め,これを達成するために輸出入割当や許可制度が設けられていた。また,国内価格が国際価格を上回る場合には輸出支援のための補助金が支給されていた。
ドイモイ以降は,貿易の自由化は進展しており,まず輸入面では西側諸国との貿易で奢侈品や国内の重要な供給品目であるセメント,自転車,衣料品等を除いて割当は廃止された。輸出面では旧コメコン諸国との間で一部の農産物を除き割当は行われていない。貿易許可についても迅速化,簡素化が図られ輸出を許可された企業数は87年の80社から89年には150社へ増加した。輸出補助金もドン貨の切り下げに伴い廃止された。89年には関税法の改正が行われ,輸出については,主要輸出品である石油,石炭,水産加工品等は3~5%(一般税率,以下同じ)で最も低い税率となっている。輸入品では,化学肥料等はO~5%,建設資材等はO~10%の低い税率が適用され,乗用車等は40~60%,アルコール,たばこ類には100~200%の関税が適用されている。
イ.直接投資政策
旧ソ連からの援助が先細りしていく中,これを補うためにも西側諸国からの投資の導入が重要になっている。88年1月に「外国投資法」を制定し海外からの直接投資の受け入れのための制度の整備を行った。この中で,100%外国資本出資の投資が認められるとともに,非国有化の保証や海外送金の自由が認められた。また,89年には海外直接投資を管理する国家協力投資委員会も設置された。88年以降ベトナムへの直接投資は順調に増加しており,88年の3.6億ドルから91年には11.9億ドルへと増加している(認可ベース,全投資額ベース)。88年からの累計で国別にみると台湾,香港等のNIEs諸国が上位に位置しており,周辺アジア諸国との関係が深化しつつあることをうかがわせる(後掲第4-1-17図参照)。また,投資先の分野としては,豊富な森林,水産資源を活用する農林水産加工,観光・サービス部門が各々25%のシェアを占め,石油開発が18%とこれに続いている。
また,ホーチミン市を始めとして輸出志向の直接投資を誘致するため輸出加工区の設置が計画されている。ここでは,輸出入税,法人税の減免等の優遇措置により輸出の促進,雇用の創出が図られることとなっている。
しかし,電力を始め,道路,港湾等のインフラ面での整備が遅れていることや商業活動のための基本的ルールを定めた法律の整備が不十分という問題が残っている。
ウ.為替政策
外国資本の導入といった対外開放政策を進めるに当たっては,貿易,送金等複数の公定レートを一本化するとともに,過大評価されている公定レートと市場レート(ヤミ・レート)との均衡を図ることが不可避である。88年の市場レートは約5,000ドン/ドルで,公定レート(貿易用)の900ドン/ドルと約5.5倍の開きがあった。このため89年には公定レートそのものを一本化するとともに,水準を数回にわたって切り下げ,市場レートの4,382ドン/ドルに対し公定レートは4,047ドン/ドルでそのかい離率は8%程度に縮まった。90年も市場レートの5,683ドン/ドルに対し公定レートは5,263ドン/ドルでほぼ均衡している。
一方,輸出等で獲得した外貨は,外貨預金から自由に引き出せる。しかし,外貨が極端に不足している現状では,ドン貨のドルへの交換は困難であり,ドン貨の対外交換性は回復していない。
86年のドイモイの表明後,種々の施策が実施に移された。その中には期待した成果を上げたものもあれば,所期の目標を必ずしも達成できていないものもある。
ドイモイ以降の経済成長を生産国民所得,農業及び工業の成長率でみると,86年から90年の平均成長率は生産国民所得が3.9%,農業が3.5%,工業が6.2%であった。81年から85年の生産国民所得の成長率が6.4%であったことに比べると成長テンポはむしろ鈍化した。これは農業が,農業改革により88年,89年と生産は拡大した後,90年,91年と旧ソビエトからの肥料や農薬の輸入の減少から低調であったことや,工業も89年以降の引き締め政策や原材料の輸入の減少から生産が停滞しているためである(第3-4-4図)。
ドイモイ以降の改革で成果として挙げられるのは,第1に,経済を破綻に陥れかけていたハイパー・インフレの収束である。86年に700%を超えていたインフレは厳しい財政,金融政策により89年には35%まで鎮静化した。第2に,財政赤字が縮小傾向にあることである。85年に対GDP比で17.1%に達した財政赤字は90年には依然高水準ながら5.7%にまで低下し,ある程度の成果を収めた。第3に,農業生産の回復が挙げられる。ドイモイ以前においても,集団農場制を見直すことにより一時的な生産の回復がみられたが,さらに農家の生産意欲を高めるべく規制緩和を図ったことにより,食糧生産は増大し最近では米を輸出できるようにまでなった。また,農家が自由市場で農産物を販売できるようになったため,市場のニーズを把握するようになり,米に特化していた農業生産は,他の作物の生産でも増加し,徐々に多様化している。第4に,貿易赤字が縮小したことである。西側諸国(ドル建)と旧コメコン諸国(ルーブル建)をあわせた貿易赤字額は,88年には旧コメコン諸国を中心に14.36億ドルに達したが,90年には約4億ドルへと縮小した(ベトナム政府の1ドル=1ルーブルの計算に基づく)。西側諸国と旧コメコン諸国との貿易の推移をみると,西側諸国との貿易は輸出入とも順調に増加し,輸出入合計で86年の7億6千万ドルから90年には20億7千万ドルヘ拡大した。旧コメコン諸国との間では貿易赤字が88年には約13億ルーブルにも達したため,輸入抑制を行い,貿易赤字額は,90年には9億ルーブルと減少したが,貿易規模も伸び悩んでおり,輸出入合計では86年の22億ルーブルから90年の27億ルーブルへと西側諸国と比べると拡大幅は小さい(第3-4-5図)。この結果,ベトナムの貿易に占める西側諸国の占める割合は増加しており,89年のIMFのクロスレート推計1ドル2.55ルーブルを使い同年のシェアを計算してみると,輸出の約75%,輸入の約60%が西側諸国との貿易となっている。このうち,国別にみると,日本との貿易額が最も多く輸出入合計で約5億ドルと全体の25%を占め,以下,シンガポール,香港が続き,周辺アジア諸国との関係が強化されつつある(付表3-8)。
以上のように改革は一応の成果を収めつつあるが,いまだに克服しなければならない課題や改革の過程において生じた新たな問題もある。
第1に,国営企業の改革の遅れである。先にみたように国営企業については市場経済システムの導入による企業の自主権の拡大を図るとともに,補助金も削減された。しかし,いまだにその多くは市場経済の意味を理解するに至っておらず,経営が採算ベースにあるのは全体の2割程度といわれ,優遇金利等により政府からの事実上の補助は続いている模様である。88年以降不採算の国営企業を整理しているが,一層の改革が必要な分野である。
第2に一旦鎮静化しつつあったインフレの再燃である。89年には35%まで低下した消費者物価上昇率が90年,91年には各々67%の上昇を示した。これは,旧ソ連からの援助の激減により輸入生産財が不足したことによる供給面での制約もあるが,国営企業に対する優遇金利等のため財政赤字の縮小が予定通りには進んでいないためとみられる。さらに旧ソ連からの援助が減少しているため財政赤字の補填は国内借入に依存する傾向が強まっている。91年度予算では赤字の87%を主に中央銀行による国内借入で補填することとしており,この点からもインフレ圧力が強まる恐れがある。国営企業の合理化を進めることにより一層の歳出削減を図るとともに,歳入基盤の確立を図り財政赤字の縮小に努めなければならない。
第3にインフラの整備が急務である。とりわけ電力不足はこのところの生産停滞の一因にもなっている。農業面での水資源開発も重要である。また,貯蓄不足の中での資本投資は外国からの投資に依存しなければならないが,インフラの不備は増加している直接投資のネックにもなりかねない。
第4に非効率的な国営企業では,多くの余剰労働力を抱えているとみられる。現在進められている国営企業の整理に伴い,大量の余剰労働力が顕在化する恐れがある。また,カンボジアからの帰還兵,東欧諸国からの出稼ぎ労働者の帰国等により,失業が増大する可能性も高い。適切な職業訓練の実施等による市場のニーズに合った人的資源の開発を行うとともに,自由な労働移動の保障や情報の整備及び市場メカニズムに基づいた賃金決定等を行うことにより人的資源の適切な配置を図ることが必要となるであろう。
次に改革の過程において生じた問題として,南北間での経済格差が顕在化している。海外からの直接投資は,経営のノウハウ等経済活動の基盤が整備されているホーチミン市を中心とした南にその8割が集中している。また,農業生産においても南の穀倉地帯であるメコンデルタでは農業協同組合に参加する農家の割合は7%程度と北のソンコイデルタの97%に比べ低く,個人農家の割合が高い。一人当たりの農業生産物もメコンデルタでは631kg(89年)とソンコイデルタのほぼ2倍の水準にあり,南北間の所得格差は拡大しているとみられる。
以上みてきたように,86年末にドイモイを表明して以来,ほぼ5年が経過した。この間,国営企業の改革を始めとして残されている課題も少なくないが,価格統制の撤廃等市場経済の導入が進められた。また,金利引き上げや歳出削減等の引き締め政策によりハイパー・インフレを収束させる等,マクロの安定化の面においては一応の成果を収めることができた。
政府は,次のステップとして91年6月の第7回共産党大会で2000年までの経済・社会発展戦略を採択した。この中で,2000年までに生産を90年の2倍に,輸出を5倍に増やす目標を設定した。生産を2倍に増やすためには,今後生産国民所得の成長率は7%以上を確保しなければならないが,この目標を達成するため,引き続き一層の改革を進めるとしている。
また,国内における一層の市場経済化と一体となって,対外的な開放政策を進めることは,今後ベトナムが国際経済の枠組みの中に組み込まれていくことを意味するであろう。この点,西側諸国からの直接投資は増加しており,経済協力も徐々に進展してきている。アメリカとの間では,88年以来,ベトナムが行方不明アメリカ人の捜索に積極的に協力していることを受けて,アメリカも92年に入り対ベトナム禁輸措置を一部解除した。今後,段階的な関係改善が図られていくであろう。