平成4年
年次世界経済報告
世界経済の新たな協調と秩序に向けて
経済企画庁
第3章 市場経済移行国の経済改革と世界経済への融合
これまでの4つの節で取り上げた国は,中国,ベトナムではなお社会主義国としての政治・経済体制の枠組みを維持しているものの,この両国も含めどの国も現在,市場経済への移行と世界経済への融合という大きな時代の変化の中にある。今回は取り上げなかった北朝鮮やモンゴル,キューバでもやや遅れはあるものの,同じ道を歩もうとしている。
これらの国の改革の歩みをみると,中国では本文で指摘したような問題点を抱えながらも,極めて好調な成長を遂げてきた。世界経済への融合という点でも,中国の周辺地域は世界で最もダイナミックな地域であり,これらの地域との関係は深まっている。ベトナムでは,ドイモイが始まって間がないこともあり,改革の効果がまだ十分に表れていないが,経済の状況は改革前と比べるとインフレなどに改善がみられ,投資,貿易の拡大を通じ,世界経済への融合もかなりのピッチで進んでいる。この両国の最も大きな課題は,政治改革を経済改革といかにして調和させていくかにあると言えよう。
一方の中・東欧諸国,旧ソ連では,ポーランド等中欧の国に明るい兆しが見えてきているが,全体としてなお大きな困難が続いている。特にロシアを含む旧ソ連では,92年に入り改革が本格化したが,予想以上の経済の悪化が続き,改革の推進そのものにも不安定性が増している。
このように経済の現状には明暗が出てきているが,これにはそれぞれの国の置かれている状況に幾つかの点で違いがあることを指摘しておく必要がある。
第1に,計画経済を採用するに当たっての歴史的な経緯やその後の過程また経済の発展段階にはそれぞれ違いがあるということである。世界で最初の社会主義国となったソ連は,ネップの時期に自由主義的な経済改革を採用した時期が僅かにあるが,スターリン時代に徹底した計画経済体制が作り上げられ,それが基本的にはゴルバチョフ政権の始まる前まで残された。この間約60年近くになる。その他の国が社会主義国化したのは第2次世界大戦の後のことであり,それもソ連の影響に因るところが大きい。これらの国では旧ユーゴスラビアを別にすれば,ソ連型の計画経済化が行われたが,結局はうまくいかず,それぞれの異なった道を歩んだ。例えば,中国では49年の中華人民共和国成立後,ソ連型の計画経済化が進められようとした時期もあったが,中ソ対立もあって独自の農村中心の計画化が進められた。しがし,文化大革命のような政治的混乱が生じ,結局はそれも失敗に終わった。この間でも農村では,自留地を中心に市場経済とも言える経済活動が残されていた。中・東欧でも,市場経済の歴史を持っていただけに,国民の自由な経済活動への憧れは強く,ハンガリーでは68年頃より改革は始まっている。チェコ・スロバキアでもいわゆる「プラハの春」に象徴されるように,既に社会の根底には市場経済への息吹があったといえる。更に,ポーランドでも80年代に入ると連帯によって労組の自主管理に基づいた経済運営が採られている。
第2には,改革を開始する前後における,政府による経済の管理の状況にも違いがある。経済改革の目標は市場経済の導入にあり,そのためには経済の管理を直接的なものから間接的なものへ,また中央における集権化から分権化の方向に変えていく必要がある。しかし,その場合でも経済が大きな混乱に陥らないように,秩序立てて行う必要がある。中国の場合,こうした過程はゆっくりとではあるが,ある程度秩序立てて実施されてきた。しがし,旧ソ連あるいはロシアの場合,ペレストロイカの過程で,市場経済化への十分な準備が整わず,またそのための整合的な政策が採られてこなかった。更にはこれにソ連の解体や旧共和国間関係の悪化が重なり,92年1月の改革開始時点においては既に,経済が円滑に機能するための枠組みや管理の仕組みがかなり崩れていた。
改革が開始されてからも,政治的な混乱もあって必ずしも秩序だった改革が行われているとは言えない。中・東欧諸国の場合も,これに近い状況が見られるが,その程度はロシアほど深刻ではない。
第3には,それぞれの国の置かれている国際的な環境にも違いがある。ソ連,中・東欧地域においては,ドイツ統一が行われ東ドイツとの関係がなくなり,ソ連と中・東欧を結びつけていたコメコン体制も91年に崩壊した。分業構造を前提にしていた互いの経済関係が崩れ,相互に深刻な悪影響を及ぼすに至っている。ベトナムでもコメコン崩壊の影響を受け,旧ソ連からの経済援助は停止し,財政赤字の原因になっている。これに対し中国では,近隣諸国の目ざましい経済発展やその持っている華僑のネットワークもあって,対外開放政策を活用しつつ比較的恵まれた国際環境を享受している。
このように市場経済への移行国の経済状況やそのための条件は,かなり異なっていることは確かであり,中国,ベトナムは比較的恵まれた立場にある。しかし,この両国でも程度の違いはあるが,他の国と同じような問題も抱えている。これらの点を,経済の需給面およびその接点としての市場という面などがら見ると,次のような課題あるいは問題点が指摘できる。
まず,経済の需給面からみると,どの国においても,それまでの計画経済の下で価格が低い水準に抑えられてきたため,超過需要の状況に置かれてきた。
価格の自由化の後,それまでの押さえつけられていたインフレはオープン・インフレに変わり,これに対しては財政・金融政策の引締めによって安定化政策が採られてきたが,完全にインフレ抑制に成功している国はまだない。中国の症状は比較的軽いが,ロシア等の旧ソ連では,ハイパー・インフレの状況にある。これは,供給サイドの問題が大きいが,需要面でも財政の赤字の継続にみられるように需要圧力がなお強いことを示している。
また,供給面をみると,ロシアに典型的に表れているように,産業構造はその国の比較優位とは無関係な構造になっており,しかも,特定の製品は極めて独占的な企業によって生産が行われている。このため,需要の変化や価格の変化が供給面への反応を十分に引き起こしていない。また,対外的な面においても,供給構造は,比較優位を反映していないため,競争力のある産業を見つけることが困難になっている。中国の場合,郷鎮企業の育成により,比較優位のある産業の育成にかなり成功しているが,中・東欧諸国においては漸くその変化の兆しが現れてきたに過ぎない。ロシアにおいては,現在のところ石油だけが期待の持てる産業といえる。
第3に,こうした需給を調整する場としての様々な市場や流通がまだ多くの国で未発達である。流通市場に欠けるため,ロスが極めて大きいだけでなく,部品・原材料等のボトル・ネックが生じ,生産に悪影響を及ぼしている。また,金融市場の未整備は,金融政策の有効性を損なうとともに,資金の適切な配分も出来にくくしている。更に,労働市場の面でも自由な労働の移動ができず,企業経営に過度の負担を強いることになりやすい。
こうした問題に加え,やや観点は違うが市場の最も重要な主体としての企業や企業家が育っていないということも,共通して抱えている問題点である。労働者においても,新しい経済環境への適応の準備が十分に出来ていない面がある。特に,国営企業はこれまで「ソフトな予算制約」の下にあり,市場での競争にも慣れ親しんでいない。
市場経済への移行国が抱えている問題は,どれ一つとっても困難な課題ばかりである。しかし,これまで行ってきた努力が実のあるものとなるように,改革を更に深化させる必要がある。その場合,上で述べたようなこれまで遅れがちであった様々な市場経済の環境面の整備を,-これまでの改革の過程で学んだ教訓も踏まえながら,一層促進する必要があろう。
第1は,インフレの抑制を含めた経済の安定化を持続的なものにするためには,いずれの国においても依然高水準の財政赤字の削減を図ることが重要だが,そのためには歳出面の見直しとともに,歳入基盤の弱さを是正することが必要である。計画経済の下で重視されてきたのは物の計画であり,財政を含めた金融面はどちらかといえば計算上必要とされていたに過ぎない。政府の支出は国営企業からの上納金によって賄われ,赤字分は中央銀行によって帳簿上ファイナンスされてきた。しかし,市場経済化にともない,国営企業からの収入というこれまでの歳入基盤がなくなり,新たな収入源を必要としている。それとともに,企業等から租税を徴収できる体制を整えていく必要がある。今後,国営企業の民営化が進むと考えられるが,その前に税体系や徴税機構について,十分な準備と体制の整備が必要である。
第2に,金融政策が有効に働くための環境整備という視点から,金融機関の秩序の確立ということが重要である。各国の通貨に対する国民の信頼は,インフレの下で大きく損なわれている。こうした信頼を取り戻すためにはインフレの抑制を図るとともに,それを通じ実質金利がプラスとなるような金融政策の運営が必要である。これは企業に対しても,安易な借入れを自重させ,経営の健全化にもつながることになる。こうした金融政策の適切な運営とともに,商業銀行の健全化も同時に進めることが必要である。これまでのところ金融秩序の整備は十分でなく,中央銀行もこれらの金融機関を監督できる体制になっておらず,また商業銀行についても融資先の企業の審査等,銀行としての役割を十分に果たしていないとみられる。
第3には,市場経済が有効に機能するための条件として,新たな企業の参入を促進し,独占的な国営企業の場合は,分割を推進するとともに独占禁止法の整備や実効的な運用を行うことが必要である。ただし,分割や法整備には長期を要するため,過渡的な価格管理が必要となる場合もあろう。更に,極力貿易の自由化を行い,競争を促進するとともに,国内の価格体系を国際的なものに近づけることが望ましい。ただし,あまりに急速な貿易の自由化は国内に及ぼす影響も大きいため,国内産業の比較優位も考慮しながら進める必要があろう。
最後に,国営企業は出来るだけ早く民営化を行うことが望ましいが,バウチャー方式などによりそれが進められようとしている。だが,できればその前にも経営に対する権限と責任を明確化するとともに,経営へのインセンティブを高め,企業の経営を監視できる工夫を作ることも重要である。そして,一方では倒産という手段によって,不採算企業の整理を行うことも必要である。
超大国のアメリカとソ連の対立という「冷戦」の終焉は,当初は世界に大きな期待を与えた。しかし,計画経済から市場経済への移行という出来事は,人類にとり未知の経験であることや,現在西側経済が景気調整下の構造問題を抱えていることもあって,当初あった楽観的な見かたはやや後退し,少なくとも短期的には西側にとっても大きなコストになる懸念もある。特に,旧ソ連の現状に対じては,厳しい見方をせざるを得ない状況となっており,円滑な移行の完了までにはかなりの時間がかかることも予想させる。ともあれ,この市場経済化と世界経済への融合というこれらの地域が抱えている問題は,それがうまく行かない場合は世界経済全体にとっても大きな悪影響を受ける可能性があり,その安定化は現在の世界経済にとっても最も重要な課題となっている。
こうした市場経済化に対し先進諸国や国際機関が適切な支援を行うべきことは言うまでもないし,既に多くの支援が行われている。また,援助の効率を良くするための調整も援助国の国際会議等によって行われつつある。しかし,一方で支援を効果的に活用できる体制が,まだロシア等では十分に整っていない面がある。
支援の内容については,旧ソ連,中・東欧諸国が現在抱えている問題は,構造面においていかに適切な改革を行うかにあり,そのためには市場経済国の経験を役立てることが必要であり,様々な技術,ノウ・ハウを含めた技術的な支援が不可欠である。また,これらの地域の貿易や投資が拡大するような,環境の改善を図ることも重要である。しかし,こうした支援も改革のための自助努力があってはじめて意味のあるものとなることを忘れてはならない。