平成4年
年次世界経済報告
世界経済の新たな協調と秩序に向けて
経済企画庁
第2章 景気調整下の先進国の構造問題
一般に,財政赤字の問題点としては,①高金利による民間投資のクラウディング・アウトが生産性向上を阻害し,中長期的な経済成長を阻害すること,②民間貯蓄が不十分な状態では経常収支・貿易収支赤字の一因となり,対外負債となって将来の世代に対して負担を残すこと等の問題が指摘されている。
このことから,以前よりアメリカの財政赤字削減の必要性が指摘されているが,現在のところ解消の兆しが顕著には見られない。第2次世界大戦後,アメリカの財政は基調として赤字であった。特に60年代以降は社会保障政策が強化されたことに伴って赤字基調が定着していったが,アメリカの経済規模と比較した場合,その赤字額が大きなものになってきたのは70年代後半からであり,特に80年代のレーガン政権において,急速に拡大し,現在では持続的に財政赤字が生じる構造になっている。
以下,80年代以降のアメリカの財政赤字の状況を政策・制度面から概観し,ついで,財政赤字が構造的に定着した原因を歳入面,歳出面から考察し,更に,歳出面での重大な要因である医療費の増大について,その背景にあるアメリカの医療制度の問題も含めて考察する。最後に最近の状況と今後の見通しについて簡単に述べる。
81年1月に発足したレーガン政権は高インフレと生産性の低下によって経済パフォーマンスが悪化していたアメリカ経済を建て直すため,所得滅税,投資滅税によりサプライサイドの増強をはかる「経済再生計画」を発表した。いわゆるレーガノミックスと呼ばれる一連の経済政策である。その根幹は「小さな政府」を目指すことにあり,減税,歳出抑制,政府規制の緩和,マネーサプライ重視のインフレ抑制的金融政策の4つを柱としていた。
レーガン政権は,民間部門に労働,投資のインセンティブを与えることによって経済を活性化し,税収を増大させるという,サプライサイド経済学の考え方に基づいて,減税と歳出抑制を財政政策の基本とした。81年包括財政調整法(OmnibusBudgetReconciliationActof1981)により歳出面の抑制をはかり,81年経済再建租税法(EconomicRecoveryTaxActof1981)により滅税を行った。この税制改革においては,個人所得税の限界税率の引下げといった個人所得税滅税,加速度償却・投資税額控除といった投資滅税を行った。また,個人所得税の税率適用所得区分をインフレに連動させる制度(タックス・インデクセーション)を85年より開始することを決定した。
また,83年には社会保障法を改正した。この最大の目的は,社会保障税の増税や給付の引下げ等によって,社会保障財政の長期的な健全性を確立することにあった。具体的には高額所得者の年金に対する課税,支給額に関する物価調整の半年間の繰り延べ,給付開始年齢の段階的引上げ,税率引上げの繰上げ実施等が行われた。85年度以降,歳入の対GDP比がやや上向きだしたのは,この社会保障税の増税によるところが大きい。
更に,86年に税制改革法(TaxReformActof1986)が成立しているが,これは,税率の簡素化,投資減税の廃止等の各種優遇措置の廃止・縮小を行っており,資源配分の歪みを是正し,課税基盤を拡げるという,「公正・簡素・成長」を理念とした長期的な税制構造の変革を目指したものであり,税収面では中立的であるとされていた。
このように,小さな政府を目指したレーガン政権は,当初は経済成長の加速に伴う税収増によって84年度に財政収支が均衡するとの見通しをもっていたが,実際には,財政赤字は大幅に増加した。この理由としては,当初の税収の見通しが楽観的であったのに加えて,81年7月から82年11月までの景気後退の影響もあり,歳入が伸び悩んだことがあげられる。さらに,税収の伸びに比べて,①医療費等の社会保障関連の費用が趨勢的に増大したこと,②「強いアメリカ」を標傍したことや旧ソ連のアフガニスタン侵攻による東西緊張等に起因して,国防支出が増大したこと,③財政赤字の累積に伴って利払いが増大したこと等,歳出抑制にあまり成功しなかった点もあげられる。
このような財政赤字の拡大に危機感をもった議会では,85年財政収支均衡法(Balanced Budget and Emergency Deficit ControI Act of1985),通称「グラム・ラドマン・ホリングス法(GRH法)」が超党派で成立した。この法律では,91年度までに財政収支を均衡させることを目的としており,各年度ごとに財政赤字の目標が設定され,目標を担保する手段として,一律歳出削減(Sequesーtration)が導入された。これは,年度当初の収支見通し策定の段階で赤字見込み額が目標額を100億ドル以上こえた場合は一律歳出削減を発動し,自動的に歳出を削減するという仕組みであった。しかしながら,大統領に対する歳出削減額の勧告権限が立法府の監督下にある会計検査院に付与されていたため,最高裁において,この手続きは三権分立に反し,違憲であるとの判断が示され,その効力は停止された。
更に,86年度の財政赤字額が目標額を大幅に上回り,目標額が有名無実化したことから,87年にGRH法は修正された(修正GRH法)。修正GRH法では,財政収支を均衡させる年度を93年度と2年間先送りするとともに,歳出削滅額の勧告権限を行政管理予算局(OMB)に付与するという形で,一律歳出削減を復活させたが,財政赤字の目標額自体はGRH法に比べて緩和された。また,GRH法,修正GRH法に共通する制度的問題点として,一律歳出削減は年度当初の収支見通しの段階で赤字が目標額を越えた場合のみ適用されるため,実際の赤字実績に対する縛りにならないということがあった。そのため,修正GRH法は,88,89年度は一定の効果をあげたが,90年度には財政赤字は大幅に目標額を超過した(付表2-2)。
そのため,91年度予算については,行政府と議会の間で「予算サミット」が設置されて赤字削減策について論議されたが,税制において共和党がキャピタル・ゲイン減税を,民主党が高所得者層に対する増税を主張したことや,メディケア等の義務的支出,国防費の削滅について対立したことによって,予算審議は膠着状態となった。更に,91年度予算の赤字は目標額から大きく上回ると見積もられた結果,一律歳出削滅を発動した場合の影響が大きくなりすぎるとの危機感が生じたため,新たな財政赤字削減策の必要性が論議された。その結果,90年11月に90年包括財政調整法(Omnibus Budget Reconci1iation Act of1990)が成立した。90年包括財政調整法においては,所得税,社会保障税関連の課税強化,ガソリン税,たばこ税,アルコール税の引き上げ等による歳入増加策(5年間で総額1,466億ドル)と,国防費,メディケア,農業補助金等の削減と利払いの減少による大幅な歳出削減策(同3,497億ドル)により,91年度から95年度までの5年間で総額4,963億ドルの赤字削減を図った。また,同法の一部として成立した予算執行法においては,再度GRH法を修正するとともに,予算編成手続きを改正した。
予算執行法においては,95年度までの新たな財政赤字目標額を設定するとともに,新たな財政赤字削減措置を規定した(付表2-3)。同法の特徴としては,以下の点があげられる。
①社会保障基金をGRH法上の財政赤字目標額の計算から除外した。アメリカの主要な公的年金制度である老齢遺族年金及び障害年金は社会保障基金によって運営されている。83年の社会保障法の改正により,その長期的な財政の健全性が確立されており,社会保障基金の収支は85年度以降,急速に黒字化している。今後は,今世紀末から21世紀初頭にかけて支出を上回る収入超過が継続し,基金の積み立て額は2010~30年頃にピークに達し,その後は支出が収入を上回るため,21世紀半ばには基金がなくなるとの見通しになっている。社会保障基金を財政赤字目標額の計算から除外した理由は,当面は黒字が続く同基金を財政赤字の目標額に算入することで財政赤字のトータルを一見小さく見せかけ,このことが財政赤字削減の圧力を弱めているとの批判をうけたものであった。
②従来の一律歳出削減に加え,裁量的支出については,91~93年度には国防費,国際関係費,国内費のカテゴリーごとに支出上限を設定して,各カテゴリ―ごとに一律歳出削減(Mini-Sequester)を発動することとし,94,95年度は裁量的支出の総額に上限額を設定した。更に,仮に年度途中に新たに裁量的支出が発生した場合でも,再び一律歳出削滅を発動するか,もしくは翌年度の上限額を削るといった措置が講じられている。
③関連法の改正をして,義務的支出を新設・追加する場合には,他の項目の支出を削減するか,または増税等により収入を増加させて,支出増加分を相殺することが義務づけられた(いわゆるPay-as-you-go方式)。
このように,予算執行法は修正GRH法に比べて,財政赤字削減の手段が強化されているが,以下のような問題点もある。①赤字目標額が95年度においても830億ドル(同法成立時)となっており,その後の目標が示されていない。
②経済的及び技術的見積り等に基づいて,赤字目標額が毎年改定される。③大統領と議会が緊急的な支出であると認めた場合は一律歳出削減の対象とならない。4義務的支出に関し,法改正を伴わない外生的な要因による赤字増大に対しては何ら削減措置がとれない(例えば,失業の増大により失業保険支出が増大した場合等)。⑤預金保険に関する収支は不確定要因が多いが,Pay-as-you-go方式が適用されないため,結果として現在の見通しより赤字が拡大する可能性がある。
アメリカの財政赤字は92年度で2,902億ドルと巨大な額になっている。その歳出をみると国防費,社会保障費,純利子のウエートが大きいが,近年はメディケア,メディケイド等の医療関係の費用の伸びが高いことが注目される(第2-2-1表)。また,赤字が巨額であることから,投資的な経費である非国防実物資本投資支出の割合が低下してきていることも特徴の一つであり,アメリカの長期的な経済成長の制約要因になる可能性がある(第2-2-2表)。
財政赤字の要因としては,歳入・歳出の構造面から見ると以下の点があげられる。
①81年の税制改革の減税措置がアメリカの租税構造に与えた影響は大きく,80年代のいくつかの増税措置によっても相殺しきれていない(第2-2-3表)。歳入の構造を対GDP比でみると,社会保障税は増加しているものの,税収の4割強を占める個人所得税はピーク時の水準には戻っておらず,また,法人税も70年代の水準より低いものとなっている(第2-2-1図)。税収が伸び悩む要因としては次の点があげられる。1)86年の税制改正で税率区分が簡素化され,累進性が緩和された。2)タックス・インデクセーションの導入により,ブラケット・クリープ(累進課税制において,インフレにより名目所得が増大すると,より高い税率区分に入り,実質的な税負担が増大すること)が緩和された。現在では,70年代までにみられた趨勢的な実質的増収が見込めない状態になっている。
②社会保障関連の費用が増大している。後述するように,特に医療関連の費用の増大が財政収支の悪化の大きな要因となっている。例えば,メデイケアとメディケイドを合計した支出の対GDP比は82年度の2.1%から92年度は3.3%に上昇している。
③80年代の財政赤字の連続により,連邦政府の累積債務が増大し,また,それに伴う高金利の状況から,利払いが急激に増大している。例えば,92年度では純利子は1,994億ドルとなっている。今後も累積債務残高は依然として高水準で推移すると考えられるため,利払い費の減少は見込めない(第2-2-2図)。
④国防費が80年代に急激に増大し,対歳出比では87年度をピークに減少に転じたものの,92年度で2,982億ドルと依然その水準は高い。現在のアメリカにおいては,国防関連産業が経済に与える影響は大きく,多くの雇用を生み出している面があるため,急激な削減には相当の痛みが伴う。また,その性格上,先行きにけ多くの不確定要因がある。そのため,国防費は今後緩やかに滅少していくものと考えられるが,財政赤字の減少に対して急激に寄与するとは考えにくい。
また,制度・手続き上の要因としては,次の点があげられる。
①財政収支の見通しの中で,歳入の見積もりは経済成長率に大きく影響するが,経済成長率は高めに想定される場合が多い(第2-2-3図)。その結果,歳入が過大に見積もられ,歳入実績が見積もりを下回る可能性もある。また,経済成長率の実績が見通しより低いために失業保険費用の増大等が生じること等から,支出が見通しより更に増大する可能性もある。実際に,歳入と歳出の実績と見通しを80年代において比較してみると,歳入は高く見積もられがちであり,歳出は低く見積もられがちであることがわかる(第2-2-4図)。
②財政赤字削減の制度にも前述したような問題がある。すなわち,GRH法,修正GRH法においては一律歳出削減が実際の赤字実績に対する縛りにならなかった。この点は,予算執行法では裁量的支出の一律歳出削減の手続きの強化や義務的支出のPay-as-you-go方式の導入で改善されてはいる。しかし,一律歳出削減の制度自体に問題点もある。例えば,92年度においては裁量的支出の各カテゴリーの支出上限と赤字目標額が上方に改定されたこともあり,各カテゴリー毎の一律歳出削減と全体の一律歳出削減はともに発動されなかった。
このように,現行制度においては赤字削減に対する取組み姿勢がやや弱まってしまう面もある。また,義務的支出についても,外生的な要因による既存の義務的支出の増大を抑制することはできない。義務的支出の増大が財政赤字増大の最大の要因となっている現在,その抑制の方策が求められている。
今日の主要先進国においては高齢化,医療の高度化等により医療費が増大する傾向にあり,アメリカもその例外ではない。いわゆる「医療費の爆発」は,オイル・ショック以降の安定成長期に入った主要先進国においては共通の問題となっている。特に,アメリカでは医療費の増大が大きく,90年には6,662億ドル(対GDP比12.1%)となっており,そのうち公的支出は42.4%となっている(第2-2-5図)。医療費の高騰の結果,メディケア,メディケイド等の財政の医療費関連支出が急激に増大しており,連邦政府はもとより,州,地方の各政府の財政を圧迫している要因の1つとなっている。例えば,93年度の予算教書によれば,現行のトレンドで推移すれば2000年には対GDP比で16.4%にも達すると想定されている。
医療費の国際比較は,各国で医療費の定義が異なっており,単純には比べられないが,OECDのデータで比較してみると,アメリカは,一人当たりの医療費は各国に比べかなり高いことがわかる(第2-2-6図)。また,極端に公的支出額の割合が低いこともわかる(第2-2-7図)。
アメリカにおいて医療費が増大する原因としては,アメりカ医療財政庁の分析によれば,価格の上昇が大きな要因と考えられており,人口構造の影響は比較的緩やかなものとなっており,また,価格,人口構造以外の要因も相当程度あることが示されている(付表2-4)。アメリカは他のOECD諸国と比べて,消費者物価上昇率が極端に高いとはいえないことから,医療費増大の原因は医療価格自体の上昇によるものが大きいと考えられる。実際,アメリカの医療価格の伸びを調べてみると,一般の消費者物価上昇率に比して,医療価格,特に,医療サービスの価格の上昇が際立っているのがわかる(第2-2-8図)。
このような医療価格の高騰の背景には,アメリカにおける医療の高度化といった要因が考えられるが,更に,アメリカ固有の事情として,医療サービスの供給体制に問題があると指摘されている。すなわち,①アメリカにおいては伝統的に医療サービスの需給を市場に委ねる傾向にあるが,医者と患者の間では圧倒的に医者のほうが有利であることから,基本的には医療費用の決定権は医者にあり,更に,患者は医療保険により医療費を払うことが多く,この2つが相まって,当事者に費用を節約するインセンティブが働きにくい。その結果,モラル面や利益面から過剰に治療を行いがちである。更に,アメリカは訴訟社会といった側面があり,高額の請求をされる医療過誤の訴訟に対応するために,治療・検査を過剰に行うといった側面がある。更に,医療過誤訴訟の賠償額は莫大なものとなるため,対医療過誤訴訟の損害保険料も高額になっており,これが,医療費にはねかえるという悪循環も見られる。②医療保険制度が民間主導型であり,また,アメリカは地方分権の傾向が強いため,医療保険制度が多様であり,保険金申請の形式等が統一されておらず,医療費支払いの事務経費が膨大なものになっている。また,保険者が医療行為の適切性を審査をすることが実施され始めており,これも,事務経費を増加させる要因となっている。
このような医療価格の高騰に対して,各種の抑制策が考案され始めている。
例えば,メディケア(パートA)においては,従来の出来高払いに代えて,症例別に標準的な医療費を決め,定額を病院に支払うPPS(Prospective Payment System)方式が導入されている。また,医療供給者と保険者が共同でリスクを負うことにより,質を落とすことなく適切な費用で医療サービスを供給して医療費を抑制する,いわゆるマネージド・ケアという方式が普及し始めており,代表的なものとしては,HMO(Health Maintenance Organization)とPPO(Preferred Provider′s Organization)がある。HMOは,定額の保険料を払えば,指定された医療機関において包括的な医療サービスが現物給付される医療保険である。保険者と医療供給者が同一であるため,医療費抑制のインセンティブが働く。PPOは被保険者の医療機関選択の範囲をある程度制限するかわりに,医療機関は医療費を割引する医療保険である。これにより,医療機関は一定数の患者を確保でき,保険者は医療費支払い額を抑制することができ,その結果,加入者の保険料は安くなるという仕組みになっている。マネージド・ケア方式は急速に成長しており,91年には5~6千万人程度が加入しているといわれる。また,医療を受ける前に,事前に保険者の審査を受け,医療機関の行う医療が費用対効果の面で適切であるかを判断する方式も普及し始めている。しかし,いずれも決定打となりえていないのが現状である。
アメリカの医療保険制度の最大の特徴は,民間主導型であるということである。公的医療保険制度としては65歳以上を対象にしたメデイケアがある。この制度は,入院費用を賄う入院保険(パートA)と主に診療費用を賄う補足的医療保険(パートB)で構成されている。入院保険は雇用者と被雇用者から徴収する社会保障税によって運営されており,補足的医療保険は加入者からの保険料と連邦からの補助金によって運営されている。他の公的な医療制度としては,低所得層に対する公的医療扶助であるメディケイドがある。メデイケイドは直接的には州政府が行っている事業であり,連邦政府は給付基準等のある程度の条件を定め,補助金を出しているが,その運用は州政府に委ねられている。このため,州ごとに相違がみられ,その制度は多様なものとなっている。
メデイケイドはメデイケアと重複して受給は可能であるが,制度間で調整が行われる。
91年において,メディケアの対象は国民の13.1%,メディケイドは10.7%とされており,重複等を考慮すると,何らかの公的医療保障を受けているのは人口の2割程度であるといわれている。その他は民間保険等で医療保障を受けているが,その一方で人口の十数%程度が医療保障の範囲外に置かれているといわれている(第2-2-9図)。民間の医療保険は,主に事業主が従業員の福利厚生のために加入しているということが多く,その結果,失業者や小規模企業の従業員が医療保障の範囲外に置かれやすい。また,人種的にみれば,黒人,ヒスパニック系が範囲外に置かれている割合が高い。そのため,現在,医療保障の範囲を広げる方策が要請されており,その一環として公的援助の増大という事態も想定しうる。例えば,90年のシカゴ大の世論調査によれば,「仮に税負担が増えても,政府はより医療に関して支出すべきだ」との意見に回答者の約7割が賛成している。
また,現在の医療費の増大に伴う医療保険料の高騰が企業経営を圧迫し,その費用が製品価格に反映することにより,国際競争力の面でアメリカ企業に悪影響を及ぼしているめではないかという懸念も持たれている。例えば,92年にコンファレンス・ボードが行った企業経営者に対するアンケートによれば,「今後5年間で医療保険費用の負担を合理的水準に抑え込める」と答えたのは1/4強しかいなかったとの結果がでている。
アメリカの医療をめぐる問題は,医療の供給体制に対してどこまで公的部門が関与すべきかという点を中心に議論が進められており,特に,医療保険制度のあり方に重点が置かれている。医療保障の範囲を広げる方法については活発に議論がなされているが,大まかに,次の3つのタイプに分類される。①公的医療保険で国民皆保険制を導入する。②事業主に対して,従業者に民間保険を提供するか公的な保険を購入するかの選択を義務づけて国民皆保険制を導入する(いわゆるPlayorPay方式)。③現在のように民間医療保険を基本に据え,医療保険購入に対する税制上の優遇措置を充実するとともに,公的な医療保障の効率化を図る。アメリカ政府が92年2月に発表した「包括的医療改革案」は③の考え方に沿ったものである。ただし,①~③のいずれの制度にしても一長一短があるとされ,議論の収束は見られていない。
以上のように,軍事費は趨勢的には縮小するものの,利払い費はなお大きな割合を占めていて容易に縮小する気配はなく,更に,医療費等の社会保障費が今後急速に増大すると考えられるため,歳出の伸びを抑制するのはかなり困難であると考えられる。そのため,財政赤字はここ当分急激に縮小することはないと考えられる。
実際,連邦政府の財政赤字は92年度で2,902億ドル(対GDP比4.9%)と91年度の2,695億ドル(同4.8%)から,207億ドル拡大した。92年度の財政赤字は92年2月の見通し時の3,997億ドルからは大幅に縮小しているが,これは,預金保険関連収支において,関連法案の成立が遅れたため,一般財政から整理信託公社(RTC)への追加支出が認められず,その結果,RTCが活動できなかったため,赤字が後年度に先送りされたことによる。
また,OMBが92年7月に発表した見通しにおいても,議会予算局(CBO)が92年8月に発表した見通しにおいても,今後数年は財政赤字は依然として高水準であることが示されている。
一向に改善しない財政赤字のこのような状況をうけて,92年春頃より,アメリカ議会・政府においては財政赤字削減策とそれに関する憲法修正の論議が高まった。例えば,ダーマンOMB長官は,5月において,憲法に財政均衡化を義務づける修正条項を付け加える提案を行い,財政均衡計画を示した。この計画は93年度予算教書の提案を詳細化したもので,義務的支出の伸びを(受給人口の伸び+消費者物価上昇率+α)に抑制することにより,増税することなしに98年度には財政収支を均衡させるというものであったが,経済成長率を高目に設定しすぎているとか,歳出の見通しが過少すぎるとの批判を浴びた。また,5月26日には下院予算委員会において,増税と義務的支出削減を組み合わせた財政赤字削滅案がパネッタ委員長より提出された。この2つの提案は,増税の有無という点で大きな対立点があるものの,既存の義務的支出そのものを削減・抑制することが最も重要であるという点で両者とも一致している。これらを受けて,6月11日に下院本会議において,財政均衡化憲法修正決議案の採決が行われたが,賛成票が憲法修正に必要な2/3にわずかに達せず,決議案は否決された。
92年11月3日に大統領選挙が行われ,12年ぶりの民主党政権であるクリントン政権が誕生することになった。クリントン次期大統領が政策綱領として掲げた「国民最優先戦略(PuttingPeopleFirst)」によれば,インフラや研究開発等への投資の促進,海外市場の開放,外国企業や富裕者層への課税強化と中間者層の税負担軽滅,教育・労働訓練の充実,医療制度の改革,政府機関の改革等を推進するとしている。財政政策では,4年間で2,195憶ドルの新たな投資(支出増大,税負担の軽減)を行う一方,2,947億ドルの新たな貯蓄(支出削減,税負担の増加)を行い,96年度には財政赤字を1,410億ドルと現在の半分にするとしている。また,医療に関しては,医療費の抑制を掲げるとともに,医療保障の範囲を国民全体に広げるとしている。財政赤字の削減と医療の問題は現在の米国にとって極めて重要な課題であり,実効性のある解決策が着実に推進されることが望まれている。
70年代に財政赤字幅を拡大させたヨーロッパ各国では,80年代に入り,インフレ抑制を目指したマクロ経済運営の下に財政構造の変革が行われ,一部の国を除いて財政赤字の縮滅がみられた。
その多くが支出の削滅,支出構造の改善や税制改革といった手法を採っている。これは,従来までの経済活動に対する積極的な政府の介入や福祉国家としての支出の増加など,いわゆる「大きな政府」としての政府の役割が経済のパフォーマンスを悪化させていたという反省に基づくものであり,財政赤字削減が政策の基本的スタンスとされてきたのである。
この結果,西ヨーロッパ諸国,特にEC加盟国の対名目GDP比でみた財政赤字額(一般政府ベース)は,82年には5。3%であったものが,その後縮小傾向を続け,89年には,折からの景気拡大に伴う収入増等も手伝って2.8%まで縮小した。
しかし,90年代に入り各国における財政赤字は再び拡大の兆しをみせている(第2-2-10図)。主要国の状況をみると,イギリス,フランスでは,それぞれ景気後退及び景気滅速による税収の伸び悩みと雇用情勢の悪化に伴う失業給付支出の急増などから,91年には赤字幅を拡大させている。特にイギリスでは,長引く景気低迷の影響は大きく,87年度以降90年度まで黒字を続けていた財政収支は91年度に赤字に転じた後,95年度までは対名目GDP比で2~4%(一般政府ベース,民営化収益を含む)で推移するものと見込まれている。一方ドイツでは,90年10月のドイツ統一に伴い旧東独地域の再建の負担が加わったことから,連邦政府の財政赤字は90年に拡大した。湾岸戦争に伴う歳出増もあり,91年7月には所得税,法人税,鉱油税等の増税を実施したが,統一コストの増大から91年の財政赤字は前年を更に上回っている。イタリアでは,巨額の財政赤字は深刻な問題となっており,対名目GDP比でみた財政赤字(一般政府ベース)は,高水準ながら80年代末にはやや低下したが,90年代に入ると再び増加し91年には10.7%となった。92年に入ってからも政府の当初見通しを大きく上回って推移している。
ここでは,まず80年代以降ヨーロッパ主要国で採られた財政政策を検討した後,今後の財政赤字の見通しについて考察することとする。
第2-2-11図は,各国の対名目GDP比でみた財政赤字の当該期間内における変化幅とその変動要因を示したものである(OECD推計)。図に示す循環的要因とは,不況に伴う税収減等の収入滅や失業給付等の支出増といった景気に伴って変化する財政赤字を示している。一方,構造的要因とは,循環要因では説明のできない部分を示している。
まず,80年代をみると,総じて各国では80年代後半に財政収支の改善がなされたことがみてとれる。特にドイツでは80年代前半にすでに構造的要因による改善が循環的要因によるマイナス幅を上回ったことから財政収支は改善しており,財政赤字縮減の取組みが早かったことがわかる。イギリスでも80年代前半から緊縮的な財政政策が採られたことを反映して,構造的要因はプラスに働いているが,景気低迷の影響が大きく,80年代前半の財政収支の変動幅はややマイナスとなっている。一方,フランスでは80年代前半の財政赤字は循環的要因によってのみ悪化したが,イタリアでは,循環的要因の悪化に加え,支出が依然拡張的であったなど構造的要因が改善されなかったために財政赤字は拡大している。
80年代後半は,財政収支の改善には各国とも景気拡大を背景として循環的要因が大きくプラスに寄与していると共に,財政再建努力を反映して構造的要因がプラスに働いていることが特徴的である。なお,イタリアでは,構造的改善は極めて小幅なものに止まっている。
次に90年以降に目を転じると,総じて財政収支が悪化している。統一の負担により,ドイツでは構造的要因が大きくマイナスになっている。その他の国では,景気停滞期においても政策スタンスに大きな変化は見られないが,主に循環的要因によって財政収支バランスが悪化していることがみてとれる。このように,90年代に入ると,ドイツを除き各国では主に循環的要因により各国の財政収支は悪化をみせているが,これに合わせて,構造面での改善が80年代後半にみられた程進展していない。
以上のように,80年代を通して各国で採られた財政赤字削減の取組みは,結果として80年代後半にみられるような財政収支の改善に繋がっているが,国によりその態様は様々である。対名目GDP比でみた財政収支の改善の要因を,歳出と歳入に分解してみてみよう(第2-2-12図)。70年代においては,各国ともに歳入の上昇を歳出の上昇が上回っており,財政収支は一様に悪化の方向に向かっているが,80年代には,各国とも収支が改善していることがみてとれる。しかし,これからも80年代における各国の取組みは様々であったことがわかる。ドイツ,イギリスでは歳入が70年代とは逆に財政収支に対してマイナスに寄与しているものの,歳出の低下幅がそれを上回り,財政収支は改善されている。フランスでは,歳入,歳出ともに低下はしていないが,上昇幅が著しく抑制されており,また,歳出の抑制幅の方が歳入の低下幅より大きかったためにこれも財政収支を改善に向かわせる結果となっている。一方,イタリアでは,歳出の上昇には70年代と比べ変化がみられないが,歳入が大きく上昇したために,結果として財政収支は改善している。以下では80年代から現在まで各国で採られた財政赤字削減の取組みについてみてみることとする。
ドイツでは,財政赤字は2度のオイルショック後に拡大しているが,建設公債の原則が連邦基本法に規定されていることから,いずれの場合も「財政構造改善法」(注1)等強力な財政収支改善策が採られることにより,2~3年のうちに財政赤字を建設公債原則の範囲内に収めることに成功している。80年代の財政再建に関連して重視されたのは,財政赤字による民間投資のクラウド・アウトを防ぐといった点であり,社会保障関係支出や補助金の構造的拡大が財政赤字を拡大させ,ドイツ経済のパフォーマンスを悪化させたとの認識のもと,社会保障分野も含めた厳しい支出削減が行われた。また,収入面でも付加価値税率め引き上げ,政府保有株式の売却等を行い財政赤字の削減が図られている。このため連邦政府の財政赤字(純借入)の対名目GNP比は,85年1.2%,86年1.2%にまで低下することとなった。なお,87年以降も支出の伸びを名目GNP上昇率以下に抑制しつつも,国内石炭業保護のための補助金の増加,中小企業向け低利融資特別枠の設定等などの支出が増加したことから,財政赤字はやや拡大の方向にあった。また,勤労意欲増進といった対内的要請及び国際的不均衡の解消といった対外的要請にもこたえるという観点から,所得税,法人税等の減税が行われ収入が減少したことも財政赤字の拡大に影響を与えたと言える。88年には,連銀納付金の減少等特殊要因もあり,財政赤字は対名目GNP比で,1.7%にまで拡大した。90年以降は,ドイツ統一による旧東独地域再建のための財政支援の必要性が生じたことから,連邦政府の財政赤字額は急激に増加している。詳細については前章で触れたとおりであり,中期財政計画を策定し,一時的な増税や各種補助金の削減により赤字縮小の努力が行われているが93年までは対名目GNP比で2%前後の赤字が続くものとみられている。
70年代前半に黒字を続けていたフランスでは,第1次オイルショック後財政収支が悪化し,75年には7年振りに赤字に転じた。その後,インフレ抑制を主眼としたバール・プラン(注2)の実施等により金融,財政政策は引き締め気味に運営されたが,第2次オイルショック後の景気後退に対し景気対策の観点から一時的に赤字拡大を承認した。とはいえ,70年代を通してみると先進国のなかでは財政赤字は低い水準にあった。しかし,81年に登場したミッテラン大統領は,景気の低迷に対し雇用創出,投資の拡大等を目標として,積極的な財政運営を展開したことから,財政支出は拡大し,赤字幅も急速に拡大した。しかし,この積極的財政運営はインフレの高騰,国際収支の悪化,通貨危機を引き起こし,結局意図したほどの景気拡大に繋がらなかったために,82年6月の賃金・物価凍結措置を手始めに,緊縮型スタンスに転じた。内容としては,支出の抑制,富の分配の公平化,税制の簡素化を目標とし,財政赤字額を名目GDPの3%以内に抑制するものであり,社会保障関係費の抑制,補助金の簡素化,高額所得者に対する増税などが含まれている。この結果,86年には,財政赤字は対名目GDP比で3%以下となり,その後も低下を続け90年には1.4%と,EC加盟国のなかでも財政赤字に関し最も経済パフォーマンスの良好な国の一つとなった。なお,80年代央以降は,緊縮的なスタンスを堅持しつつも国際競争力強化のための産業振興と雇用増大を政策運営の優先課題としており,支出面では,産業助成,研究開発,雇用対策に重点配分がなされる一方で,収入面では,社会的公平確保のための所得税制の見直し,企業の財務体質強化のための滅税などが盛り込まれている。91年の財政赤字は,税収の伸び悩み,雇用の悪化に伴う失業給付の急増等から,対名目GDP比で2.0%に拡大している。
イギリスでは,79年のサッチャー政権の誕生とともに引き締め的な財政再建策が講じられた。これは,イギリス経済再建の鍵は従来からの総需要管理政策によるものではなく,サプライサイドにあり,個人のインセンティブの強化,政府の役割の縮小,公共部門の赤字削減による民間部門の活動の拡大などを基本戦略とするものであった。このため「中期財政金融戦略」が策定され,この枠組みのなかで,インフレ率を中期的に引き下げるために,マネーサプライが厳しく管理されるとともに,一貫して,公共部門の赤字額の圧縮等の措置が採られた。支出面では,中央政府公務員の削滅,国有企業に対する国庫助成の圧縮,公営住宅の売却及び住宅支出の削減,国民医療事業における受益者負担の強化などがなされ,収入面では,所得税制の簡素化と減税,個別間接税の引き上げ,付加価値税の課税対象の拡大を行うことにより,所得税から消費税へのシフトを図っている。この結果,80年度には対名目GDP比で5%台を記録していた財政赤字(公共部門借入所要額)は縮小を続け,87年度以降は,景気拡大による税収の伸びに加え,民営化による純収益が好調であったことから,黒字に転じ,88年度には対名目GDP比で3%の財政黒字となった。しかし,90年以降は折からの景気後退により,社会保障関係費の支出が増加したこと,税収が伸び悩みを見せはじめたことに加え,民営化事業がほぼ一巡したこと,国民保健サービス,公共交通,教育関連等において追加的支出の必要性が生じてきていることなどから,再び財政収支は悪化してきている。91年度は対名目GDP比で2%台の赤字に転じた後,景気低迷の長期化に伴い,92~95年度まで゛は,同2~4%台の赤字となるものとみられている。
イタリアでは,以前から拡張的財政政策が行われていたが,第1次オイルショック後に財政赤字が対名目GDP比で10%(一般政府ベース)を超えて以降,おおむね10%前後で推移してきた。こうした巨額の財政赤字の削減は主要課題とされてきた。これまでの財政赤字削減策をみると,おおむね支出面では,社会保障関係費,国民健康保険等の伸びの抑制が,収入面では,電気,ガス等の公共料金の引き上げによる収入増が計画されたが,政権交替が相次ぐ中で実効性を伴ったものとはなっていないのが現状である。88年には「財政再建5が年計画」が策定され,付加価値税率,所得税率の見直し,国有財産の売却,脱税摘発の強化,年金不正受給摘発の強化,各種補助金の削減,官公庁の統廃合等が盛り込まれたのに引き続き,91年には中期的財政赤字削滅計画が決定され,92年以降3か年の財政赤字削減目標が示されているが,いずれも達成が困難な状況にある。その要因としては,予算決定に係る手続き的な問題や政治的な問題の他に,これまでの政府累積債務が大きく,そのため利払い費が歳出の大きな部分を占めていることにある(90年の利払い対歳出比率21.8%,OECD推計)。
以上のように各国では70年代に積み上がった財政赤字に対処し,80年代を通して財政再建の様々な取組みを行ってきたが,ここではその傾向を収入,支出の両面から整理するとともに,今後の見通しについて検討することとする。
収入面をみると,その中心をなす税制においては,80年代を通して,労働のインセンティブを高めるための所得税の減税と税制の簡素化,これに伴う間接税の引き上げと課税ベースの拡大が中心とされ,税収全体としてはほぼ中立的であったが,課税の対象が所得から消費へとシフトしている点が特徴的である(付表2-5)。
所得税制については,主に,最高税率の引き下げ,限界税率の段階数を減らし税体系を簡略化する,課税最低限の物価スライド等の改正が実施されてきている。特にイギリスでは,79年以降,それ以前には11段階であった税率の段階数を順次簡素化してきており,現在では2段階にまでになっている。また,ドイツでは,88年より累進課税の税率曲線を段階的に緩やかにし,90年からは直線に変えて,その累進性を緩和している(付表2-6)。
一方,間接税については,直接税の負担軽減等に伴って,イギリス等で80年代を通してその依存が高まった。
なお,ECにおいては,市場統合に向け,付加価値税等の税制の調和(付加価値税の標準税率を最低15%とすること等)を図っているところである。
80年代には各国で財政規模の抑制がなされ,支出は収入の伸びを下回る形で縮減又は抑制されてきたが,90年代に入りその動きにもやや足踏みがみられる。またその一方で,ECの経済・通貨統合は各国の財政赤字の規模についても厳格な基準を示している。このような状況において,ヨーロッパ各国は今後も80年代にみられたような支出の削減を中心とした財政赤字の縮減を行うことが可能であろうか。
まず,ヨーロッパ主要国の支出規模(一般政府ベース)をみてみると,以上でみてきた4か国平均の対名目GDP比は89年で約47%(41.2~51.5%,なおEC平均では約48%)と,アメリカの36.1%,日本の31.5%と比較しても大きな規模である。支出に占める各項目の内訳をみると,人件費を中心とした政府消費関係支出,社会保障関係支出がともに43%,利払いが11%,補助金が4%となっている。日・米と比較すると,アメリカに対しては社会保障関係支出と補助金で,日本に対しては政府消費支出と補助金でそれぞれ支出割合が上回っている(第2-2-4表)。
以下では主要な項目についてそれぞれみてみることとする。
① 人件費
第2-2-5表は,各国における公務員の賃金上昇率と公務員数の推移を示したものであるが,まず賃金上昇率をみると,フランス,イギリスにおいては,70年代央以降横ばい,ドイツでは80年代以降減少,イタリアでは80年代前半に低下したものの後半は上昇していることがわかる。また,民間の賃金上昇水準と比較するといずれの国においても1~3%程度下回っており,総じて各国とも財政赤字削減の取組みの早い段階から(70年代後半以降)人件費の抑制を行ってきたことが伺える。
一方,公的部門の雇用者数をみると,雇用者数の年平均伸び率は,ドイツ,フランス,イギリスでは70年代前半の3%台から70年代後半以降は1%台の伸びに抑えられているが,イギリス以外では全雇用者に占める比率が上昇している(イギリスでは,80年代以降伸び率はマイナスとなっている。)。
なお,イタリアにおいては,人件費並びに公的部門雇用者数の抑制に対する取組みがやや遅れていることが伺える。
92年に入り,イギリスの公的諮問委員会は来年度の公務員のベース・アップを24%(かつてからの積み残し分を積算したもの)と答申したが,政府は折からの景気後退と財政赤字拡大の見通しからこれを退けている。今後も財政赤字削滅の観点から人件費の抑制は続くものと思われるが,長期間の抑制が続いたことなどから,今後賃上げ圧力は高まるものと思われる。また,公的部門への有資格者の採用が困難になってきており,これによる公的サービス部門の質の低下が問題とされている国もある。この点からも70年代後半以降採られてきた賃金抑制の継続は難しくなるものと思われる。しかしながら,各国の総雇用者に占める公的部門雇用者数の割合は,90年で,フランス22.8%,イギリス19.6%,イタリア17.4%,ドイツ15.6%と,日本の8.1%,アメリカの15.5%と比較しても高い水準にあり,行政サービスの簡素化を通して,雇用者数の抑制の観点からの人件費抑制の道は残されていると考えられる。
② 教育,医療,社会保障関係支出
教育関係費については,出生率の低下の影響から,80年代には就学該当年齢人口の減少が生じたために対名目GDP比はやや低下したものの,教育の質の向上が求められたことなどから,逆に生徒一人当たり支出は増加している。なお,70年代後半以降生徒一人当たり支出額が減少しているイギリスでは,義務教育における質の向上が急務であるとされている(第2-2-6表)。
90年代においても,引き続き就学該当年齢人口の緩やかな減少が見込まれ,支出の縮減に寄与するものと思われるが,一方で,高まりつつある職業訓練教育の充実,教育の質の向上等の要請から支出の増加も予想され,支出の大幅な削減は困難であると考えられる。
医療については,医療保険の主な対象となる65歳以上の老齢者依存人口比率の上昇が,80年代には70年代と比べ緩やか若しくは減少したこと,また,この時期,各国で医療支出の増加を抑えるために各種の医療保険制度改革が行われたことから,医療関係支出の公的医療保険制度加入者一人当たり支出額の伸びは,70年代の年平均5~7%から80年代には同1~3%台に抑制されている。総支出額においても極めて緩やかな増加に止まっている。しかしながら,90年代に入ると,イギリスを除いて65歳以上の老齢者依存人口比率の上昇が予想されており(第2-2-13図),支出圧力が高まるものと考えられる。
社会保障関係支出については,80年代には,依存人口比率の低下,生活水準の安定などから給付額の伸び率は総じて鈍化又は低下している。特に,疾病給付,妊婦給付,生活給付額は減少している。その反面で,寡婦手当,児童手当などの家族給付や老齢者給付は,伸び率は鈍化したものの,増加を続けている。また,失業給付の伸びは80年代を通してみると低下しているものの,80年代後半以降は景気停滞に伴う失業者の増加から,再び増加傾向にある(第2-2-7表)。
90年代においては,景気の回復力が弱いことから失業関連支出は当面増加を続けるものと考えられる。老齢者給付については,老齢者人口の増加が予想されていることから増加圧力は高まるものと考えられている。また,離婚の高い水準及び女性の労働力市場進出の増加傾向は続くものと予想されており,家族給付等の増加圧力も高まるものと考えられ,社会保障に係る各種給付の伸びは総じて高まるものと思われる。
③ 補助金
補助金支出の79年と90年における対名目GDP比率をみると,サッチャー政権下で国営企業等の民営化が進められたイギリスでは半減している。その他の国でも支出比率は低下しているものの,日本,アメリカとの比較では未だ約2倍から3倍の規模となっている(第2-2-14表)。
補助金は一般的に国有企業に対するものと特定の産業,地域に対するものに分かれるが,国有企業に対する補助金は,市場メカニズムの導入等の観点から国有企業の民営化を通じて削減される気運が高まってきている。イタリアでは,92年に入り,緊急財政赤字削減措置により産業復興公社,炭化水素公社等の4大国営企業が株式会社化され,今後順次株式が民間に売却される運びとなった。ドイツにおいても,統一のコストを抱えるなかで,懸案であった国鉄,電気通信事業の民営化が決定されている。その他各国とも,国営企業の株式会社化,持ち株の売却等の民営化措置への取組みを続ける予定であり,今後,各国の財政赤字削減にプラスに寄与するものとみられる。
一方,各国による各種産業に対する補助金の削減は,ECの市場統合の効率化の観点からも重要課題として位置づけられており,取組みが求められているところである。しかしながら,構造不況業種等に対する補助金のウェイトが大きく,削減には時間がかかるものと思われる(付表2-7)。
④ 利払い
ドイツ,フランス,イタリアでは,80年代を通して緊縮型の財政運営がなされたものの,政府債務残高は増加したため,利払い費も増加している(第2-2-14図)。ドイツ,フランスでは,79年における利払い費は,対名目GDP比で1%台であったが,90年には3%程度に上昇している。イタリアでは,5%台であったものが90年には約10%と倍増している(第2-2-4表)。支出総額に占める割合も20%となっており,支出の削減が政策の最優先課題とされている今日において,支出の自由度を狭める最大の要因となっている。一方で,統一の影響によるドイツの財政赤字の急増は,ヨーロッパ各国における中・長期的な金利の高止まりを引き起こしており,各国の利払い費の増加圧力は続くものと考えられる。
90年代に入り各国においては,再び財政赤字拡大の兆しがみられる。ドイツ統一といった特殊要因から財政赤字を拡大させているドイツのケースを除き,これには循環的要因が大きく寄与していると考えられるが,これに伴い,80年代に各国で採られた構造面からの財政改革の取組みは現在足踏み状態にある。
しかしその一方で,ヨーロッパ諸国,特にEC加盟国には経済・通貨統合に向けて昨年マーストリヒトで合意されたクライテリアを達成しなければならないといった至上課題が課せられている。そのためにも財政の構造的変革,特に支出構造の変革を続けていく必要がある。
イタリアでは,92年に入ってからも財政赤字は政府の見通しを大幅に上回って推移しており,7月に成立したアマート新政権はこれに対処すべく次々と財政赤字削減策を打ち出している。
7月には,92年の財政赤字を30兆リラ削減する緊急赤字削減措置を実施した後,9月には,総額93兆リラにのぼる財政赤字削減を盛り込んだ93年度予算法案を閣議決定した。内容は,年金・医療制度改革を中心とした43兆5千億リラの支出削減,国営企業の株式売却による民営化収入7兆リラの他,企業資産への特別課税や自動車税の引き上げなどの増税により42兆5千億リラの収入増を予定している。また,合わせて政府は議会に対し,3年間に限り議会の承認なしに経済政策を特別に立法化できる「非常経済大権」を求めている。
92年上半期のイタリアの財政赤字は約74兆リラと,前年同期の58兆リラを大幅に上回っており,30兆リラの緊急赤字削減措置にもかかわらず年間で約150兆リラに達するとみられており,今後も強力な財政赤字削減の取組みが必要とされるとともに,かなりの困難が予想される。
以上みてきたように,今後の各国財政は,老齢者人口の増加,失業者の長期化等に伴う社会保障関連支出の拡大や利払い費の増加などにより,支出拡大圧力の高まりが予想される。また,支出削減に寄与すると期待されている国防費の削減もまだ緒についたばかりで早急な効果は期待できない状況である。しかしながら,日・米と比較するにヨーロッパ諸国は大きな支出規模を有しているなど,国家介入の度合いは未だ強いものがあり,補助金の削減,福祉の見直し,行政サービスの簡素化を通じて「小さな政府」を実現してゆく余地はあると考えられる。そのためにも,有効なマクロ経済政策を維持しつつ,政策の優先順位を明確にし,柔軟性のある財政政策を維持してゆくことが重要である。