平成4年

年次世界経済報告

世界経済の新たな協調と秩序に向けて

経済企画庁


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]

第2章 景気調整下の先進国の構造問題

第3節 アメリカの経常収支構造

1980年代後半には,アメリカ経済の構造的な問題とされていた巨額の経常収支赤字は着実に縮小してきた。しかし,91年下期以降は,赤字縮小傾向に歯止めがかかったように見える。

以下では,80年代後半のアメリカの経常収支赤字の縮小が,アメリカの国際競争力の回復によるものかどうかを分析し,再び赤字が拡大する懸念はないか,また赤字縮小傾向を定着させるための課題は何かを検討する。

1 経常収支

(縮小した経常収支赤字)

80年代以降のアメリカの経常収支赤字の動向をみると,赤字は80年代前半に大きく拡大したのち,88年以降縮小してきており,91年上半期には,湾岸危機に関する各国からの拠出金の受入れという特殊要因もあって,収支は黒字に転じた(第2-3-1図)。しかし,91年第3四半期以降,経常収支は再び赤字が続き,92年第2四半期には赤字が大きく拡大し,88年から91年半ばまで続いた赤字縮小傾向に歯止めがかかっている。

88年から91年半ばまでの経常収支の内訳をみると,赤字の縮小に最も寄与しているのは,貿易収支赤字の縮小である。また,サービス収支も,旅行関連収支が89年以降黒字に転じたこと,特許権関連収支黒字が拡大したこと等により,黒字幅が拡大している(付図2-4)。

以下では,88年以降の経常収支赤字縮小の主な要因である貿易収支赤字の縮小について分析することにより,この経常収支赤字縮小傾向が,持続的なものであるかどうかを検討する。

2 貿易収支

(貿易収支変動の主因である輸出入数量の動向)

80年代のアメリカの名目貿易収支動向をみると,83年以降,輸入の急速な伸びを主因に貿易収支赤字は拡大したが,88年以降は,輸出も急速に伸びたこと等から,年々貿易収支赤字は縮小してきた(付図2-5)。

そこで,80年代以降の貿易収支赤字の変動要因をみるために,輸出入をそれぞれの数量要因と価格要因(輸出入価格の変動による名目輸出入額の変化)とに分けてみると,80年代後半の貿易赤字が80年代前半に比べて大幅に縮小したのは,輸出数量の増加が大きくなったことと,輸入数量の増加に歯止めがかかったことによることがわかる(第2-3-2図)。このように,80年代のアメリカの貿易収支の変動の主因は,輸出入の数量要因である。

そこで以下では,輸出入数量の変動要因をみるために,実質ベースの輸出関数と輸入関数を推計して分析する。

① 実質輸出

80年代のアメリカの実質ベースの輸出関数を推計してみると,80年代後半の輸出の伸びのかなりの部分は,所得要因(海外の需要)によって説明されることがわかる(第2-3-3図)。一方で,ドル安等の相対価格要因の輸出の増加に対する寄与は比較的小さいが,86年から88年までは輸出の増加にやや寄与している。

このように,輸出の伸びをもたらした要因のうち,所得要因が大きいことから,この時期の輸出の大幅な増加は,海外の需要の堅調な増加によってもたらされた部分が大きいと考えられる。一方で,相対価格要因が小さいことから,80年代後半の輸出の増加の要因としては,ドル安等の相対価格の低下による部分は小さいと判断できる。したがって,今後,米国をとりまく世界経済が堅調に成長しない場合には,輸出が伸び悩み,貿易収支赤字が縮小しない可能性もあると考えられる。

② 実質輸入

80年代のアメリカの実質ベースの輸入関数を推計してみると,80年代前半の実質輸入の大幅な増加は,主に所得要因(アメリカの内需の増加)によるものであることがわかる(第2-3-4図)。この背景としては,80年代前半の大幅な減税及び歳出拡大等による内需の拡大が考えられる。一方で,ドル高等の相対価格要因の輸入の増加に対する寄与は比較的小さい。

また,80年代後半の輸入の伸びの鈍化の理由は,米国経済の成長率の鈍化等による所得要因の縮小及びドル安等による相対価格(国内価格に対する輸入価格の比率)の上昇の双方によるものである。なお,90年以降は,景気後退によって所得要因がさらに小さくなっているが,相対価格要因は再び輸入の増加にプラスの寄与を示すようになった。

以上のように,輸入面においても所得要因が比較的大きいこと,及び80年代後半のドル安等による米国の相対価格の上昇の効果も無くなったことから,今後,米国経済が堅調に成長する場合には,輸入がそれに応じて増加し,貿易収支赤字を拡大させる要因となるものとみられる。

さらに注目すべきは,このところ実質輸入の伸びが実質GDPの伸びを上回って推移していることである。アメリカの実質GDPと実質輸入の伸び率を前年同期比で比較してみると,89年以降,90年後半から91年前半までの景気後退期を除いて,GDPの伸び率を輸入の伸び率が上回っており,このような輸入の大きな伸びがこのところの貿易収支赤字の拡大の要因となっている(第2-3-5図)。またこのような実質GDPの伸びを上回る実質輸入の伸びは実質輸入の所得弾力性がこのところ高まっていることにも反映されている(第2-3-6図)。そこで,次では,このような輸入の増加の要因をみるために,財別の貿易動向をみることにする。

(資本財輸入の増加)

80年代の実質ベースの貿易収支を財別にみると,80年代前半に全体の貿易収支と同様にすべての財で貿易収支は悪化し,87年以降に改善傾向を示した(第2-3-7図)。

87年以降について,輸出面をみると,特に資本財の輸出の増加が大きく,産業用原材料の輸出の増加がそれに続いている。一方,輸入面では,資本財だけが堅調に増加している。

さらに,この資本財輸入の増加の内訳をみると,増加の多くがコンピュータ,周辺機器及び部品の輸入の増加によるものである(第2-3-8図)。このようなコンピュータ等の輸入の増加の背景としては,第1章第1節1(1)でも言及した,情報化関連機器の設備投資の急速な増加があげられる。アメリカの80年代の実質設備投資を項目別にみると,構築物,産業機器および輸送機器はほぼ横ばい,ないしは微増にとどまっているのに対し,情報化関連機器では一貫して増加している(第2-3-9図)。特に90年以降の景気後退の時期にも堅調に増加していることは特徴的である。また,情報化関連機器の設備投資の伸びをコンピュータ・周辺機器及び部品の輸入の伸びと比較すると,輸入の伸びが設備投資の伸びを上回っており,情報化関連機器において,輸入に対する依存度の高まりがみられる(第2-3-10図)。

(アジアからの輸入の増加)

地域別の貿易収支も,おおむね各地域とも80年代前半に貿易収支が悪化し,88年以降に改善している(付図2-6)。

さらに,資本財の貿易を地域別にみると,輸出はヨーロッパ向けが増加する一方で,輸入では,日本を含むアジア地域からの輸入が増加している(第2-3-11図)。特に,資本財のうちの事務機器及び自動情報処理機器については,さらにこの傾向が顕著となる(第2-3-12図)。

事務機器及び自動情報処理機器の貿易のこのような傾向の背景としては,以下の二点があげられる。第一に,日本やアメリカの企業がコンピュータ等の生産拠点を生産コストの安いNIEsやアセアン等へ移し,そのためアジアからの輸入が増加した。第二に,アメリカの企業は,アジアの製品との競争の厳しい量産・汎用品等(パソコン,周辺機器等)の低収益分野では,撤退するか,あるいは海外からのOEM調達や部品調達への依存を高める一方で,大型・中型品等の高収益分野へ特化を進めたため,アメリカ製品の高付加価値化が進展した。

これらの結果,ヨーロッパ向けの高付加価値製品を中心とした輸出が増加するとともに,アジア地域からの低付加価値製品を中心とした輸入も増加した。

しかし,ヨーロッパ向け輸出の増加を,アジア地域からの輸入の増加が上回って推移したため,コンピュータ関連の貿易収支は悪化し,このことがアメリカの貿易収支赤字縮小のペースを鈍らせる一因となっている。

3 今後の動向

これまでの分析からわかるように,総じて米国の貿易収支赤字の改善は,米国をとりまく世界経済が堅調であったことと,一時的なドル安によるものであり,生産性上昇率の向上等を背景とした米国企業の価格競争力の回復によるものであるとは考えにくい。今後,海外の需要の動向のみに依存しないで長期的に輸出の伸びを確保するためには,価格競争力をさらに高める必要があると言えよう。

ここでは,アメリカの製造業の価格競争力の動向を分析するとともに,貯蓄投資バランス(ISバランス)面の問題点を指摘し,ミクロ面,マクロ面の両面における経常収支赤字削減のための課題を検討する。

(1) 価格競争力

(単位労働コスト上昇率の動向)

アメリカの製造業の単位労働コスト上昇率をみると,80年代を通じて低下しており,特に87年以降,その傾向が顕著である。しかし,他の先進国でもおおむね上昇率は低下していることを考慮にいれると,アメリカの製造業の国際的な価格競争力が特に改善しているとはいえない(第2-3-13-①図)。

また,単位労働コスト上昇率を,生産性上昇率と労働コストの上昇率とに分解してみると,米国の製造業の単位労働コストが70年代以降急速に低下してきたのは,生産性の上昇によるところよりも,労働コストの上昇率の鈍化によるところが大きいことがわかる(第2-3-13-②,③図)。このことを反映して,87年以降の製造業の実質賃金水準は低下してきている(第2-3-14図)。

したがって,今後,実質賃金を上昇させつつ,単位労働コスト上昇率を低く抑えるためには,生産性上昇率をさらに高める必要がある。すなわち,生活水準の向上を伴った価格競争力の改善のためには,生産性上昇率の向上が不可欠であるといえる。

(製品の高付加価値化の進展)

上でみたように,80年代のアメリカの製造業の生産性上昇率は,他の主要先進国に比べると低かったが,それでも70年代よりはやや上昇率は高まった。この生産性上昇率の向上をもたらしたのは,高収益分野への積極的な投資や低収益,不採算分野からの撤退等のリストラクチャリングである。この結果,アメリカの製造業は,航空機や大型コンピュータ等の高付加価値品においては,依然として高い競争力を維持している。

このような低収益分野から高収益分野への生産資源のシフトは,国際分業の観点からも経済合理性を有しているものの,反面,①雇用者数の抑制,②製品の供給力及び国際競争力の低下等の弊害をもたらした。そして,低収益分野での供給力や競争力の低下は,上でみたように資本財の輸入を増加させる一因となり,貿易赤字の改善のテンポを鈍らせている。

今後,このような弊害をもたらさずに,アメリカの製造業の生産性上昇率をさらに高めるためには,高収益分野での生産性を高めるとともに,低収益分野においても生産性を高め,競争力を維持してゆくことが必要であろう。

(生産性向上のための課題)

上でみたように,アメリカの生活水準の向上を伴いつつ,価格競争力を改善するためには,アメリカの製造業の生産性上昇率をさらに高める必要がある。

今後,アメリカの製造業の生産性上昇率を高めるための方策としては,①資本装備率(労働者一人当たりの資本ストック)を高める,②技術水準を高める,③労働力の質を高める,等が考えられる。具体的には,①民間設備投資の増大,②社会資本の整備,③研究開発支出の増大,④教育水準の向上等が求められる。以下では,これらの点について問題点を指摘する。

第一に,アメリカの製造業の生産性上昇率が他の先進国に比べて低い理由としては,資本蓄積のペースが鈍くなってきており,設備投資が他の主要国と比べて不活発であることが指摘できる。アメリカの資本装備率の伸び率をみると,第一次石油危機を境に大きく低下したが,87年以降はさらに低下している(第2-3-15図)。また,主要国の名目民間設備投資の名目GDP比をみると,アメリカは他の主要国と比べて低い(前掲第1-1-9図)。さらに特徴的なことは,80年代後半には日本を始めとする他の主要国が軒並み民間投資比率を向上させているなかにあって,アメリカだけが経常収支不均衡を縮小しつつ民間投資比率を低下させていることである。アメリカで設備投資が不活発な理由としては,資本コストの高さと短期的な経営姿勢の問題が指摘されている。今後,より活発に設備投資が行われるためには,貯蓄増強による資本コストの低下や,長期的視野に立った経営が必要である。

第二に,アメリカでは財政赤字の拡大から社会資本整備が停滞しており,80年代後半の連邦政府による資本支出は実質ベースで増加していない。さらに,過去に整備された社会資本の減耗分が増加していることから,これを差し引いた純投資額は絶対額が減少している(第2-3-1表)。社会資本の不足は長期的な成長にとって制約要因となることが予想され,財政赤字下での社会資本整備のための財源面での工夫が求められる。

第三に,アメリカでは,研究開発に対する支出が停滞している。研究費(国防研究費を除く)の対GNP比率は,70年代には日本と同程度であったが,80年代には日本との格差は拡大し,80年代の後半には研究費の対GNP比率は低下傾向をたどった(第2-3-16図)。生産性の向上のためには,技術進歩の源泉である研究開発に対する支出が増加する必要があろう。

第四に,アメリカでは高学歴化が進む一方で,初等・中等レベルにおける学力の低下が問題となっている。この背景としては,教師の質の低さ,不適切な学校規律,幼児期対策の貧弱さ,学習意欲を阻害する家庭環境等が指摘されている。国全体としての生産性上昇率の向上のためには,国民全体の労働力の質の向上が必要であり,特に初等・中等レベルにおける教育水準の向上が求められる。

(2) ISバランス

ISバランスの面からみると,経常収支赤字額は,国内の貯蓄不足額(アメリカの場合は,一般政府の財政赤字額一民間貯蓄超過額)に等しい。したがって,経常収支赤字の縮小のためには,民間貯蓄の増強及び財政赤字の削減が求められる。

しかし,アメリカの家計貯蓄率は80年代に低下し,依然低水準にある。一方,上でみたように,80年代にアメリカの民間投資比率は低下しており,80年代後半の経常収支不均衡の縮小は競争力の強化を伴ったものとはいえない(第2-3-2表)。また,連邦財政赤字は,87年度以降縮小傾向をたどったが,90年度以降,再び拡大傾向にある。今後,アメリカの経常収支赤字が縮小するためには,製品の価格競争力の向上等のミクロ面での努力とともに,財政赤字削減や家計貯蓄増強等のマクロ面における努力も必要となろう。財政赤字削減については本章第2節1で強調したが,家計貯蓄増強については,利子所得への軽減課税やホーム・エクイティ・ローン利子の所得控除の縮小等,税制面における見直しが検討されるべきである。