平成3年

年次世界経済報告 資料編

経済企画庁


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]

II 1990~91年の主要国の政策動向

第10章 台  湾

2. 金融政策

91年,政府は,物価の安定,民間投資の不振を背景に金融緩和の方針をとっている。また,80年代からの金融制度改革も,証券市場の国際化,民間銀行の設立等さらなる進展をみせている。

(1)金融緩和

91年7月,公定歩合が0.375%引き下げられ7.375%となった。中央銀行は,引下げの背景として,①民間投資の回復が鈍い(1~3月期前年同期比4.7%滅,4~6月期同2.8%増),②貿易黒字の拡大,米国との金利差の拡大による資金流入,外国機関投資家による延券投資の増加等に伴う台湾元の上昇,③消費者物価が目標内(前年比5%)に収まっている点を挙げている。しかし,金利引下げ後も台湾元は上昇を続けたため,中央銀行は9月に2回,11月に1回各々引下げを実施し,また92年1月にも0.375%引き下げ,公定歩合は5.875%に低下した。

(金利引上げの推移)

(2)金融自由化の動向

(証券市場の開放の進展)

90年12月,行政院は外国機関投資家の台湾証券市場への参入を認めた。従来は,証券投資信託を通じた間接的な投資,台湾に支店を有する保険会社が保険法の規制の下でおこなう営業資金等の投資流用については認められていた。

投資家の条件,投資資金限度額等については以下の通りである。

91年1月,台湾での外国証券の取引が認められることとなった。これにより,各投資家は外国証券受託取引取扱業者を通じ,ニューヨーク,ロンドン,東京の3市場に上場されている証券等について取引を行うことができることとなった。

また,同月に「証券会社管理規則」,「証券会社設置基準」の改正が行われた。この中では外国証券会社の駐在員事務所設置に関する規定が新たに設けられている。これにより,外国証券会社は支店の他に駐在員事務所を設置することが可能となった。

しかし,外国機関投資家に対する規制が厳しいため,外国資金の参入状況は振るわない。例えば外国機関投資家による投資総額(台湾当局への申請が不要な資金限度額)は25億ドルとなっているが,北米,欧州,アジアの3地域で各々8億ドル程度までと割り当てられており,それ以上の投資については台湾当局の審査,許可が必要とされている。

(外貨管理の自由化)

91年3月,法人・個人一人あたりの為替送金限度額(年間,累積額)が改定され,対内向け送金の受入れ限度額は200万ドルがら300万ドルヘ,対外送金の限度額は500万ドルから300万ドルへとなった。対内向け送金の受入れ額については,87年からの金融自由化の動きに沿って引上げられたが,対外送金については,89年からの資金の対外流出に歯止めをかけるための措置として引下げられることとなった。

(外貨送金限度額の推移)

(民間商業銀行15行の新設許可)

89年の「銀行法」の部分改正により,民間銀行の設立が認められることとなった。これにより,90年4月より新銀行の設立申請の受付が開始し,期日の10月までに19行が申請を行った。この結果,91年6月に新たに15の民間商業銀行の設立が許可された()。これらの新銀行のほとんどは92年1月より営業を開始する。

第2回めの銀行設立申請は,91年10月に締め切られ,安泰銀行1行が申請を済ませている。

(新銀行の概要)

(先物外貨取引の再開)

91年11月,外貨の先物取引が再度導入されることとなった。外貨の先物取引は87年10月に一度導入されているが,導入後ただちに外貨市場で大量のドルが売られ,台湾元が急騰した。この結果,各銀行の売買した先物為替の引受による中央銀行の為替差損が200億元と急増したため,外貨先物取引は導入2日後に中止となった。今回の導入では,各銀行の対外負債残高を基に取引限度額を定める等,規制が設けられている。

(3)台北市の金融センター化の方針

91年6月末に開催された全国金融会議の開幕式の中で,謝森中・中央銀行総裁は,中央銀行,財政部が共同で台北をアジアの金融センターに発展させるための措置を推進するとの方針を示した。概要については下の通りである。


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]