平成3年

年次世界経済報告 資料編

経済企画庁


[前節] [目次] [年次リスト]

II 1990~91年の主要国の政策動向

第7章 ソ  連

3. 連邦崩壊期(8月クーデター~91年末)

新連邦条約最終案は連邦の崩壊を意味すると考えた保守派は調印前日の8月19日,最後の巻き返しを図ってクーデターを実行した。ゴルバチョフ大統領が健康上の理由で職務遂行が不可能になったとして,ヤナーエフ副大統領が大統領代行に就任,国家非常事態委員会を設立し,同日午前4時からソ連の一部地域に6か月間の非常事態を敷いてこの間,全権を国家非常事態委員会に移行することを宣言した。これに対し,エリツィン・ロシア共和国大統領は,国家非常事態委員会は非合法であり,同委員会の決定に従う者はロシア共和国の法律によって罰せられるとの大統領令を発し,クーデター派を支持しないよう共和国民に訴えた。21日にはクーデター失敗が明確となり,復帰したゴルバチョフ大統領は24日,ソ連共産党中央委員会書記長の辞任を表明し,同中央委の解散を勧告した。

クーデターの混乱を契機に,各共和国は相次いで独立を宣言した。バルト3国では,90年3月に完全独立を宣言していたリトアニアを除き,移行期間を設けた条件付きの独立を宣言していたエストニア,ラトビアがそれぞれ8月20日,21日に完全独立を宣言した。ウクライナは24日に独立を宣言(12月1日の共和国国民投票で最終決定),白ロシアは25日,モルドバは27日,アゼルバイジャンは30日,ウズベク,キノレギスは31日,タジクは9月9日,アルメニアは9月23日,トルクメンは10月27日,カザフは12月16日に独立を宣言した。

ソ連人民代議員大会は9月2日,連邦の新たな統治機関として,①国家評議会(連邦大統領及び各共和国元首で構成),②共和国間経済委員会(経済政策の調整を行う),③最高会議(連邦会議と新設される共和国会議の2院制)を規定する暫定国家機構法を採択した。国家評議会の初会合が9月6日に開かれ,エストニア,ラトビア,リトアニアのバルト3国の完全独立が承認された。これにより,1939年の独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づいて翌40年にソ連に併合されたバルト3国は,51年ぶりに独立を回復した。

各共和国は9月以降,自国の経済資源を戦略的に利用するため,物資の「囲い込み」に乗り出した。まずグルジアは9月58,共和国からの食料,工業製品,建材,木材及びあらゆる種類の原材料の持出しを全面的に禁止した。続いてモルドバは7日,ウクライナとの国境を中心に税関29か所を新設し,それ以外の経路での輸出を禁止した。更にウクライナは8日,共和国内で生産された農産物について,輸出協定に基づくもの以外の共和国外への持出しを全面的に禁止した。

ゴルバチョフ大統領は9月25日,大統領の政治諮問会議を新設し,ヤコブレフ,シェワルナゼ,ポポフ,サプチャク,ペトラコフ等の有力改革派メンバー9人を任命した。

完全独立したバルト3国を除く12共和国は10月1日,経済共同体条約の締結に合意した共同声明を発表した。しかし各共和国の立場の違いもあって18日,ウクライナ等4共和国を除く8共和国によって調印がなされた。その後ウクライナとモルドバも11月6日に調印を行った。

ソ連は10月5日,IMFと特別提携関係を締結した。これによりソ連は,I MFから,融資は受けられないものの,経済政策や経済改革プログラム策定についての知的支援を受けることが可能となった。更に16日,ヤブリンスキー国民経済運営委員会副議長はIMF・世界銀行に対し「全体主義の遺産を克服するソ連経済」と題する報告書を提出し,91年のソ連経済をGNP13%減,工業生産9%減,農業生産10~11%減等と予測,深刻化する経済危機の状況を報告した。

エリツィン・ロシア共和国大統領は10月28日,共和国人民代議員大会で,価格自由化,農地売買,国営企業の分割民営化等の急進的な市場経済移行を目指す改革案を提示した。同時に連邦省庁への財政支出を停止し,連邦外務省を10分の1に削減する意向を表明した。他方エリツィン大統領は11月8日,ロシア共和国内にあって完全独立を目指すイスラム系のチェチェン・イングーシ自治共和国(共和国への昇格を宣言済)に対し非常事態を宣言する大統領令を布告し,連邦及び共和国の内務省治安部隊を投入した。しかしロシア共和国最高会議は11日,同大統領令を否決し,非常事態宣言は撤回された。多民族から成るロシア共和国のエリツィン大統領も,連邦のゴルバチョフ大統領が苦しんだ民族問題という困難な問題に直面している。

ウクライナ共和国では12月1日に独立を問う国民投票が実施され,独立賛成票が90.3%となった。ロシア共和国のエリツィン大統領は3日,ウクライナの独立を正式に承認する声明を発表,12共和国による主権国家連邦の形成を目指すゴルバチョフ大統領の構想は宙に浮いた。ウクライナ共和国最高会議は5日,正式に独立を宣言し,クラフチュク・共和国最高会議議長が正式に初代大統領に就任した。同大統領は,独自通貨を発行し,土地を農民の所有とし,市場経済を目指すことを表明した。

ロシアのエリツィン大統領,ウクライナのクラフチュク大統領,ベラルーシのシュシケビッチ最高会議議長は12月8日,「独立国家共同休」(注3)創設協定に調印し,1922年の連邦条約で成立したソビエト社会主義共和国連邦の消滅を宣言した。独立したバルト3国と政治的混乱が続くグルジアを除いた11共和国の指導者は12月21日,カザフ共和国の首都アルマアタで会談し,スラブ系3国が調印・批准した「独立国家共同体」創設協定に他の8共和国も平等な共同体創設国として加わることで合意し,8共和国は協定に調印した。

ゴルバチョフ・ソ連大統領は12月25日のクリスマスの夜,正式に大統領辞任を発表した。ソ連最高会議は翌26日,ソ連の消滅を確認する宣言を採択した(ソ連の正式な消滅は,残る8共和国の独立国家共同体創設協定の批准が出揃った時点となる)。ロシア共和国は,国連におけるソ連の安全保障理事会常任理事国の地位を継承し,ソ連の連邦資産の大半を接収した。なお,ロシア共和国は25 日,正式国名をこれまでのロシアソビエト社会主義連邦共和国がら「ロシア連邦」に変更した。


[前節] [目次] [年次リスト]