平成3年
年次世界経済白書 本編
再編進む世界経済,高まる資金需要
経済企画庁
第4章 市場経済の拡大と再編
EC統合は,正念場を迎えつつある。92年末を期限とする域内市場統合が,大詰めを迎えているほか,経済・通貨統合,政治統合についても現実性,具体性を帯びた議論が展開されるなか,各国の利害対立がより鮮明になっている。
また,東欧諸国の民主化と市場経済への移行は,統合の進め方に大きな影響を及ぼし始めている。本節では,まず,これまでの統合の経緯と現在抱えている問題点を指摘したあと,経済パフォーマンスの収れん,競争促進のための環境整備,域外国との関係の3つの視野から,現状を分析するとともに,将来の展望についても言及する。
EC統合は,統合の質的内容を深める「深化」と加盟国を増やす「拡大」の両面において問題点が明確になりつつある。「深化」の面では,まず92年末を期限とする域内非関税障壁等の撤廃について,人の移動,検疫,金融,税制調和などの分野で各国の合意が遅れている。また経済・通貨統合については,インフレ等の経済パフォーマンスの収れんの重要性が認識されてきており,第3段階(単一通貨の発行)移行の際に,パフォーマンスの収れんのみられない国々の参加を事実上遅らせるという考えが,現実的な案として浮上している。統合の最終段階とされる政治統合については,外交,防衛政策の一元化やEC議会の権限強化をめぐる対立のほか,湾岸危機での対応における足並みの乱れなどから難しさが再認識されるようになっている。一方,「拡大」につながり得る動きとしては,EFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)とのEEA(欧州経済領域)設立交渉は,91年10月に最終的な合意が成立したが,これは一部の諸国間の対立から,交渉期限を延長した末にようやく合意に至ったものである。また市場経済への移行を進める東欧諸国との間では,欧州協定(連合協定(注3))締結交渉を行っているところであるが,その中で,農畜産物や鉄鋼の市場開放を求める声が強まっており,これまでのように「深化」を優先しつつ,「拡大」の要請への対応を迫られている (第4-4-1表)。
① 市場統合(非関税障壁等の撤廃)
人,物,サービス,資本の移動の完全自由化を目標とする市場統合は,期限(92年末)まであと1年となった。「域内市場統合白書」(85年6月)で示された非関税障壁等282項目の撤廃状況をみると,91年5月末現在で,EC閣僚理事会の採択が済んだものは全体の3分の2(193項目)である。残り(89項目)の中には人の移動,金融に関する項目が多く含まれており,審議の難航が予想される。
② 経済・通貨統合
経済・通貨統合の第1段階は,90年7月にスタートし,現在,ポルトガル,ギリシャを除く加盟国のERM(ECにおける為替レート・メカニズム)への参加が実現している。
第2段階以降に関して現在,争点となっていることは,主に①欧州中央銀行の創設時期と権限,②第3段階(単一通貨の発行)への移行方式である。とりわけ第3段階への移行を先発組と後発組とに分ける2スピード方式が浮上したのは,東西ドイツの通貨統合(90年7月)の教訓から,経済パフォーマンスの収れんの重要性が改めて認識されたからである。91年9月の政府間会議では,議長国オランダが,①94年1月に「欧州通貨協議会」を設置する,②97年以降,各国の経済状態をみて6か国以上が条件を満たしていれば,その国々の中で第3段階に移行することを決定し,,実際に移行することができるという2スピード方式を提案したが,後発組となる可能性の高いイタリアなど南欧諸国の強い反発を招いた。このため,その後開かれた非公式蔵相会議ではベルギーなどの修正意見を加味し,①先に第3段階に移行して単一通貨ECUを発行する国の数を7~8か国以上とする,②第3段階に移行する際の条件には,政治的配慮の余地を残す,③移行時期については,EC首脳会議での全会一致をもって決定する,という線で調整が図られているといわれている。しかし,イギリスは経済・通貨統合への参加は強制されるべきではないとの立場を堅持している。また,欧州中央銀行の権限については,金融政策の権限を,欧州中央銀行に一元化すべきとするドイツなどと,EC蔵相理事会や,各国政府による協議を重視すべきとするフランスなどとの隔たりが大きく,合意に達していない(第4-4-2表)。
一方,ECの単一通貨の有力候補とされるECUの役割は着実に増してきている。特にECU建て債券市場はかなりの発展をみせている。1990年末のユーロ債券市場におけるECU建て債券の発行残高は576億ECU(約785億ドル)にのぼり,ユーロ市場での起債総額に占めるECU建て債券のシェアは87年の5.3%から90年には11.0%と,マルク建てを上回った。こうした背景には,ECUの通貨としての安定性,経済・通貨統合をにらんだECU市場育成についての主導権争い等からEC加盟国政府が積極的に起債を進めたことがあげられる。最近では,国際機関や民間企業,東欧諸国政府による起債も増えてきており,ECUは着実に存在価値を高めている。
③ 政治統合
ECは発足当初から政治統合を最終的に目指しており,経済統合が一定の成果を収めた後で,具体的に議論をする方針であった。しかし,ドイツ統一によリドイツが強大化し,EC統合に対して消極的になるのではないかという懸念が生じた。このような状況の下で,90年4月,仏・独共同宣言が出され,93年1月以降,市場統合と並行して政治統合についても議論をしていくことになった。政治統合の形態についてはEC委員会やドイツ,イタリアは,外交政策,防衛政策を一元化し,各国はそれに従う,いわゆる連邦制を望んでいる。しかし,イギリス,フランスは,そのような連邦制は国家主権を大きく侵害するとして反対している。また,湾岸危機への対応の際に各国の足並みが乱れたことも,政治統合の難しさを再認識させることになった。
一方,ECの各機関の権限についても見直しの動きがある。現在,欧州議会議貝は各国の国民による直接選挙で選出されているにもかかわらず,欧州議会は立法権をもっていない。そこで民主化を進める観点から,立法権を閣僚理事会から徐々に欧州議会に委譲していく方向で検討されている。
現在,EC加盟国は12か国である。1957年に6か国が参加しEECとして発足して以来,1973年のイギリス,デンマーク,アイルランド,1981年のギリシャ,1986年のスペイン,ポルトガルの加盟を経て,EC市場は拡大してきた。
1984年にはEFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)との間でEEA(欧州経済領域)創設の提案が出され,93年1月の創設をめどに交渉が進められてきており,漁業権などをめぐる一部の諸国間の対立から合意が遅れていたが,91年10月,最終的な合意が成立した。また,EFTA諸国のなかでも,オーストリア,スウェーデンは独自にEC加盟を申請している。さらに,89年秋以降の東欧諸国の民主化の中で,経済貿易協力協定や連合協定という形で東欧諸国がEC経済圏に参入しようとしている。91年8月のソ連の政情変化の後は,バルト3国もECとの連合協定を求めるようになっている。
このように,ECどの経済的結び付きの強化を求める国が増えている一方,ECはこれまで,市場統合が完成する1992年末までECべの新規加盟を認めない方針をとっていた。EC統合を実効あるものとするために,「拡大」よりも「深化」を優先させるとの考えからである。しかし,東欧諸国の民主化と市場経済への移行が進展する中で,「拡大」の要請への対応に迫られている。ECにとって東欧諸国の市場経済への移行がうまくいかず,東欧諸国の政治,経済の安定が崩れ,経済難民が流入するような事態は避けなければならない。そのためには,農業などの分野でEC内の反対論が強いものの,今後は東欧諸国をEC市場に受け入れてゆく必要がある。こうした事情があることから,ECはこれまで以上に拡大に対し積極的に取り組んでゆく必要がある。
このような拡大への方向性は,統合の深化の進め方にも影響を及ぼすものと考えられる。すなわち,EC各国の経済パフォーマンスの収れんはなかなか進んでおらず,加えてパフォーマンスの異なる国々がEC加盟予備軍として存在している。こうした状況の下では,統合の深化を進めるにあたり,パフォーマンスの収れんした国々からまず始めるという慎重な方式が,より現実性を帯びつつあるとみられる。
EC各国の経済パフォーマンスを収れんさせることは,経済・通貨統合を第三段階に移行させるための前提条件として不可欠であると強調されている。ここで,経済パフォーマンスが収れんするということは,インフレ率や財政赤字などが各国間でよく似た数値(注4)に収束するようになることである。
79年のEMS(欧州通貨制度)発足以降,EC域内の為替の安定が図られ,各国の経済パフォーマンスはそれなりに収れんしてきたと言える。しかし,90年に入り,湾岸危機やドイツの統一を背景とした情勢の変化は,EC各国の経済動向に影響を及ぼし,・各国間で経済パフォーマンスの差が拡大した。加えて,収れんが進んだグループと,未だ不十分であるグループとの乗離が,このところ明らかになってきた。現在の収れん状況に危機感をもったEC委員会は,本年7月,各国政府に対し経済パフォーマンスを改善するための自国経済の中期調整計画(具体的な経済・財政プログラム)を,91年10月末までに提出するよう求め,併せて加盟国間での経済の相互監視を強化することを提案した。また,91年9月の政府間会議では,経済・通貨統合の最終目標である単一通貨の発行に向け,経済パフォーマンスの収れんした国々から第三段階へ移行してゆく案が提案された。以下では,経済パフォーマンスの内,特にインフレと財政赤字におけるEC各国の収れん状況を概観し,今後のECの経済・通貨統合の進展について検討することとする。
まず,EC各国におけるインフレの収れん状況をみてみる。79年のEMS発足時よりERMの縮小変動幅(2.25%)に参加しでいる7か国(ドイツ,フランス,オランダ,ベルギー,ルクセンブルグ,デンマーク,アイルランド)においては,インフレ率の収れんが顕著に表れている。これらの国におけるインフレ率の差は,80年代初めの10%台から順調に縮小してきており,87年5.5%,89年2.2%の後,90年には1.3%となっている。これは,ドイツがインフレ抑制を優先する引締め的な金融政策を堅持したことに加え,他のERMの縮小変動幅採用国が,ERM内の最強通貨であるドイツ・マルクに対し,所定の変動幅を維持する必要性もあって引締め的な金融政策の運営を行ってきた結果といえる。EC委員会は,これらの国における90年までのインフレ率の収れん状況は,経済・通貨統合を第三段階に移行させるために必要な条件を満たしていると評価している。
一方,ERM発足当初より参加していたものの,90年まで拡大変動幅(6%)を採用していたイタリアと,遅れてERMに参加し,拡大変動幅を採用しているスペイン(89年6月参加)については,いずれも依然収れんの程度は十分でない。イタリアでは,インフレ率は80年代初には20%台であったが,その後低下を続け80年代中頃には6%台となったものの,その後ほぼ横ばいで推移しており,低下が見られない。スペインのインフレ率はERMに参加して以降,低下傾向をみせているが,依然高水準にある。イギリス(90年10月ERM参加,拡大変動幅採用)のインフレ率は90年に高まりをみせていたが,ERMに参加してからは著しく低下しており,91年中頃には4%台を記録した。このため,経済条件で見る限・リインフレ率の面では,イギリスは,ERMの縮小変動幅の採用,また,経済・通貨統合の第三段階への移行の条件が整いつつあると評価できる。イタリア,スペイン,イギリスの3国のインフレ率の平均は,90年には6%台であり,当初から縮小変動幅を採用してきた7か国の約2倍となっている。なお,ERMに未だ参加していないギリシャ,ポルトガルに到っては,10%超のインフレを続けており,ERMへの参加は難しい状況である (第4-4-1図)。
インフレ率を収れんさせるうえで,特に顕著な成果を挙げたのはフランスであるが,その過程で,失業問題の継続というコストを払っている。フランスでは,インフレ率は80年台初頭に10%を超える高い値を記録したが,その後は順調に低下している。これは,82年から一種の所得政策を中心としたインフレ抑制策が採られたためである。とりわけ賃金の物価スライドからの脱却は特徴的である。賃金交渉方式については,企業収益と支払い賃金総額との関連を明示する総額交渉方式が導入されるなど賃金抑制には一定の成果がみられている (第4-4-2図)。しかしながら一方でドイツの高金利がERMを通じて波及し,引締め的な金融政策を余儀なくされていることもあり,国内景気が伸び悩むなか,失業率は上昇を続けるなどインフレ抑制の高い代償を払っている(第4-4-3図)。
なお,91年7月に示されたEC委員会の報告書のなかでは,スペイン,イタリア,イギリスについてはインフレ率の収れんが不十分とされ,ギリシャ,ポルトガルについては強力な調整が必要であるとされている。
次に,12か国の財政赤字の大きさをみると,80年代初め以降,89年まで縮小傾向がみられるものの,90年には再び大幅に拡大している。EC委員会では,91年にはさらに拡大傾向が続くものと予想している (第4-4-4図)。89年に黒字であったのは,ドイツ,イギリス,ルクセンブルグであるが,90年にはルクセンブルグのみとなった。また,このところ財政赤字の増加を示しているのは,ドイツ,スペイン,イギリスである。ドイツでは,旧東独地域再建のために財政負担が増加しており,91年も財政赤字が大幅に拡大するものと予想されている。ドイツ政府は92年以降3年間にわたる補助金の削減計画を発表するなど,財政赤字の縮減に向けて積極的な姿勢をみせている。
他方,EMS加盟国のなかでは,イタリアが恒常的に深刻な財政赤字をかかえており,一向に縮小の兆しがみられない。対GDP比でみた財政赤字の状況は,フローでは約10%,残高では100%にも達している。年間の利払い費も8~10%程度であり,財政赤字のほとんどは累積赤字をファイナンスするために生じていると言っても過言ではない。イタリア財政の問題点としては,従来から,公務員給与,年金・医療費などの義務的経費の支出が高いことや,税徴収の非能率性等が指摘されているが,これらに加え,主に国営企業等に対する巨額な補助金が問題となっている。イタリアでは,多くの企業が国営化されるか,またはその傘下に入っており,国の手厚い保護を受けている。政府の国営企業等への補助金は財政赤字の約25%となっている (第4-4-3表)。財政赤字を縮減する観点から,国営企業の民営化は重要であるが,政府と国営企業との密接な関係や労働組合の強い圧力などから思うように進んでいない。イタリア政府は91年5月,財政赤字の縮減を主眼として92年度以降3年間にわたる歳出の削減と増収を図る計画を定めた。
EC委員会の報告書では,ベルギー,デンマーク,アイルランド,オランダ,ポルトガルは財政赤字の縮減が不十分であるとし,ギリシャ,イタリアは強力な調整が必要であるとしている。財政政策における収れんはいまだ立ち遅れていると言えよう。
EC加盟各国の経済・通貨統合に向けての考え方は,消極論に立つイギリスを除くと,フランスを代表とする積極論(まず欧州中央銀行を設立し,その後で経済パフォーマンスの収れんを図る)とドイツを代表とする慎重論(まず経済パフォーマンスの収れんを確保した上で欧州中央銀行を設立する。)の2つに大別することができる。とりわけ慎重論の考え方は,EC加盟国間で経済パフォーマンスの差が明らかになってきている現状を背景としている。91年9月の政府間会議で提案された経済・通貨統合の最終段階への移行案もこの慎重論に基づいたものといえる。経済パフォーマンスの収れんが充分であるとはいえない状況で,積極論に立って早急な経済・通貨統合を行えば,経済運営上,多くの問題を生じる可能性がある。例えば,財政政策についての基本的なスタンスの差が大きいなかで経済・通貨統合を行うと,域内各国間で経済動向に大きな差を生じた場合に,マクロ的政策手段により経済調整を図ることが困難となる。一方,慎重論に立って,経済パフォーマンスの収れんがなされた国がら経済・通貨統合に移行すれば,経済・通貨統合,に当初から移行できなかった国にとっては,統合のメリットが十分享受できず,経済・通貨統合に移行した国との経済格差がより拡大し,経済・通貨統合への参加が一層困難となることが懸念される。経済・通貨統合の今後の進め方については,現状では慎重論が支配的である。なお,上記の政府間会議での提案内容は,基本的にはこの慎重論をペースとしているものの,南欧諸国(イタリア,スペインなど)から反発が出ている。このため,その後開かれた非公式蔵相理事会では,経済・通貨統合の第三段階へ移行する国については,経済パフォーマンスの収れんに関する条件を機械的に適用するのではなく,政治的配慮を加えることもありうるといった調整が図られているといわれている。
ECの市場統合は,自由な競争を妨げているいくつもの規制を取り払い,また,国ごとに異なった制度を統一することによって,市場機能を強化し,ひとつの広大な経済圏を作り上げようという試みである。しかし,そのための調整作業は,各国の利害の衝突から難航しているものも少なくない。ここでは,①非関税障壁等の撤廃状況,②国家補助金,③独占禁止政策(M&A規制),①民営化の進展状況,の4つの観点から,市場統合に関する問題点を整理する。
85年の域内統合白書に示された282項目の非関税障壁等については,193項目(68%)がEC閣僚理事会での採択を終え,各国での審議に進んでいる(91年5月末現在)。この193項目のなかで91年末までに発効させることを目標としている179項目について,主要4ヵ国(仏・英・独・伊)の国内審議の進展状況をみてみよう (第4-4-4表)。
最も審議が進んでいるのはフランス(まだ審議途中の項目数18)である。ついで,イギリス(同22),ドイツ(同27)と続き,イタリア(同73)は,EC12カ国のなかで一番遅れている。次に,項目別にみると,4ヵ国ともに審議中のものが残っている項目は4つに絞られている。ひとつは,国境における検疫である。このなかで,食肉の域内流通時の検疫制度がドイツ,イギリス,イタリアで審議途中になっている。2つめは,食品関係の安全基準,に関する項目である。具体的には,プラスチック製容器(英・独・伊),食品添加物(同),冷凍食品(仏・独・伊)の安全基準などが,それぞれの国で審議途中にある。3つめは,職業資格に関する項目で,特に,薬局開業免許の相互承認についての審議がイタリアで進んでいない。4つめは,証券取引に関する項目で,大規模な持株会社の株式取得情報の公開について,イギリス・ドイツ・イタリアで未だ審議中である。
このように,市場統合には,多岐にわたる細かい利害調整作業がともなう。
国の数が多いためなおさらである。その点からすれば,これまでの各国の努力は,十分に評価に値しよう。しかし,市場統合を1年後に控え,調整の難航している部分がひときわ目立つようになってきた。上の例で見ても,安全性(検疫,食品関係の安全基準)と,産業政策(職業資格,証券)に関わる問題だけに,今後ともその調整は容易ではないと考えられる。このほか税制面では,付加価値税率について政治的合意をみた(標準税率15%以上等)。これは,財政的観点からみると,ドイツ,スペイン,ルクセンブルクの3ヵ国では,現行税率が15%未満のため,税率を引き上げる必要がある一方,税収にはプラスに働く。しかし,将来,標準税率の上限が設定されるとすれば,税収に占める付加価値税率の割合が高く,かつその上限税率が現行税率を下回った国では,税率変更にともなうかなりの税収減を補うため,代替財源を捜すか,歳出を削減しなければならない。加えて,EC閣僚理事会で採択の済んでいない項目が89項目あり,そのなかに人の移動や金融に関連する項目が多数含まれている。こうした状況からみて,域内統合白書通りの統一市場を完成するためには,参加各国になお一層の努力が必要とされよう。
市場統合により,EC経済を活性化するためには,公正な企業間競争が保証されていることが前提である。しかし,EC諸国ではこれまで,補助金による産業保護政策が,公正な競争を妨げ,構造転換を遅らせてきた面がある。このためEC委員会には,加盟国の補助金の内容を審査し,地域援助,産業の構造転換支援などのケースを除き,補助金の支給中止などを求める権限が与えられている。
国家補助金の内容を,4大国についてみると(第4-4-5図),ドイツ,7ランス,イタリアで,石炭業,鉄道業への補助金支出が目立っている。これらの補助金は,産業の構造転換を阻み,財政赤字を慢性化させる原因ともなってきた。またこの3ヵ国では,農・漁業への支出も大きく,特にイタリアはイギリスの4倍の水準である。また4ヵ国とも製造業への補助金が大きいが,これを国別に81年と88年とで比較してみよう(第4-4-6図)。イギリスでは,この間,サッチャー政権の民営化政策により補助金は約30%減少している。フランスでも,84年のファビウス内閣による産業政策の転換とともに補助金の削減が進められ,この間,フラン建てで16%.(ピークの84年比24%)減少している。ドイツでも,ECU建てでは大きく(57%)増加しているが,マルク建てではわずか(8%)の増加にすぎない。またドイツの補助金額の43%は西ベルリン向けの援助であり,これを除くと,イギリス並みの水準である。一方イタリアは,金額が最も大きく,しかも増加傾向にある。補助金のうち47%を占める南部地域向けの援助を除いても,88年でイギリスの1.5倍,フランスを若干上目るほどの大きさであり,財政赤字の元凶となっている。
以上のように,ヨーロッパ主要国の国家補助金についてみると,イギリス,フランス,ドイツでは,抑制に努めており,EC統合の理念からみて望ましい。
しかし,イタリアでは相変わらず大きく,EC最大の財政赤字を削減するうえからも,今後ともかなりの努力が必要である。また,フランスでは,クレッソン内閣発足以来,国有企業に対する補助金支出などの産業保護政策が強められつつあり,懸念される。EC委員会の強力なリーダーシップが望まれるところである。
最近,ECを舞台にした国際的なM&Aが活発化している。件数で見ると,91年上半期に成約した世界の国際的M&Aのうち,52%がEC企業によるものである。国別では,イギリス,フランス,ドイツが多い。またEC周辺でも増えており,ECにEFTAを加えると,世界の国際的M&Aの2/3が,ヨーロッパ企業によるものとなっている (第4-4-5表)。
自由で公正な競争市場を実現するには,独占を排除する必要がある。こうしたM&Aの増加は,企業の競争力強化戦略に基づくものであるが,市場支配に結びつく可能性もある。そこで,M&Aが,①当該企業およびその関係会社の全世界での連結売上金額の合計が50億ECU(約8,000億円)超,②当該企業のEC域内での売上金額が2億5,000万ECU(約400億円)超,③当該企業のそれぞれの同一加盟国における売上金額が,EC域内における売上金額の2/3以下である,のすべてを満たす場合,EC委員会に対して,事前に審査する権限が与えられている。審査の結果,そのM&Aが市場における支配的地位の形成につながると判断した場合には,EC委員会は,計画の変更,中止を通告することができる。加盟国は,EC委員会が承認し,ないM&Aを認可することはできないことになっており,この措置は,事実上強制力をもっている。しかし,「支配的地位」の定義が必ずしも明確でなく,不透明さを残していることは問題である。ハイテク分野などでは,市場でのシェアは相当程度高まると予想されるが,適度な競争相手が存在する,などの理由で,M&Aが承認されているケースがみられる。これは,EC委員会が,化学,コンピュータ,電気通信,自動車,航空機などの分野で,例外的な運用を認めているからである。EC委員会は,「これらの分野では,国際競争が激しいうえに,技術革新のスピードが速いため,独占には結びつきにくく,またR&D費用がかさむことから,効率化を進めるうえでM&Aによる規模の利益追求が欠かせない」と説明している。企業の競争力,すなわち安価で高品質の製品を開発・生産する能力は,複数企業間の競争によってはじめて実現されるものである。ハイテク部門におけるM&A規制の例外規定が,域外企業を差別することによって,EC企業の競争力を強化するという目的に使われることのないよう,今後とも慎重で公正な運用が望まれる (第4-4-6表)。
EC主要国では,近年,国営企業の民営化が進展している。これには一般的に2つの目的がある。ひとつは,競争原理を導入することで,各企業の経営効率化を図り,競争力を高めることである。もうひとつは,補助金などの政府支出を減らし,国が保有している株式を売却することで,財政赤字の削減を進めることである。
民営化に最も積極的なのはイギリスである。79年に発足したサッチャー政権は,経済活性化のため公企業の民営化をおし進め,その範囲はガス,水道などの公益部門にまで及んでいる。
ドイツでも,コール政権発足(82年)以降,民営化が連邦レベルで逐次進められてきている。特に90年10月のドイツ統一にともなって財政赤字が拡大したために,民営化の重要度は,一層高まっている。
一方フランスでは,81年に発足したミッテラン政権が「国有化法」を成立させ(82年),金融部門の約90%(預金高),製造業部門の約30%(売上高)を国有化した。しかし,86年にシラク保守連立内閣が誕生すると,保革共存体制のもと,公共部門を除き一部の民営化が進められた。その後88年に再び社仝党(ロカール)内閣が発足し,民営化については,現状凍結方針が打ち出されたが,91年に入り,ロカール,クレッソン両内閣において,政府が過半数を保有するという条件付きながら,国営企業株式の民間への売却を認める方針が発表された。これは,主に売却収入を当該企業の投資に振り向け,雇用を創出するのがねらいであるが,こうした政策転換の背景には,EC統合をはじめとする世界的な市場経済化への流れのなかで,競争力を強化しようという企図があるものとみられ,注目を集めている。
イタリアでは,独特の国家持株制度の存在から,民営化は,少数の例を除いてほとんど進んでおらず,依然として国営企業への政府支出は大きい。しかし,最近になって,EC経済通貨統合(EMU)を進めるうえから,財政赤字問題がクローズ・アップされてきている。政府は,財政赤字の削減を強く図る方針であり,91年3月,公営企業・国家持株会社民営化法案を議会に提出したが,議会,財界の反対が根強く,審議は難航している (第4-4-7表)。
域外国との関係は,欧州諸国との関係と,非欧州諸国との関係とに分けて考えることができる。欧州諸国との関係については,すでに「1統合の深化と拡大」で簡単に述べたが,ここではさらに議論を進めて,欧州全体の構造がどう動いてきているかについても述べる。
東欧諸国の民主化と市場経済への移行が進展するなかで,東欧諸国の経済改革の成功には,ECの協力が不可欠であるとの認識が,徐々に広まりつつあり,「拡大」の進展を求める声が高まってきている。経済改革の比較的進んでいるポーランド,チェコ・スロバキア,ハンガリーは,ECとの連合協定交渉を続けるなかで,農畜産物,繊維製品,鉄鋼の市場開放を強く求めている。また,ルーマニア,ユーゴ・スラビア,ブルガリア,アルバニアでは,経済改革の立ち遅れや,民族対立による政治的混乱,民主化の遅れなどがみられるものの,ECとの経済関係を強めることにより,経済の安定化を図ろうとしている。他方で,東欧諸国の政治的,経済的安定が崩れれば,難民がEC加盟国へ流入するのではないかという懸念はすでに現実のものとなってきている。
こうした情勢の変化を受けて,EC内部でもアンドリーセン副委員長(対外関係担当)が「深化」優先方針の見直しを提案する(91年9月)など,対応を急ぐべきとの意見が聞かれるようになってきている。バルト3国が連合協定締結への希望を表明したことは,これに拍車をかけることになった。しかし,農畜産物の市場開放に対するフランスの反対や,鉄鋼の輸入制限緩和に対するスペイン,ポルトガルの反対などから,ECとしては,今のところ一部品目の段階的な輸入自由化のスケジュールを示すにとどまっている。
一方,EFTAとのEEA(欧州経済領域)創設交渉は,93年1月の条約発効を目標に交渉が重ねられ,漁業権などをめぐる一部の諸国間の対立により交渉が長引いていたが,91年10月,最終的な合意が成立した。EFTA諸国の中には,独自にECに接近する国も現れており,オーストリア,スウェーデンがEC加盟を単独で申請したほか,ノルウェー,フィンランドも自国通貨をECUにリンクさせ,EC志向を鮮明にしている。またEFTA諸国の輸出に占めるECの割合は,フィンランドを除いて50%を超えており,今後ECとの経済的関係がさらに深まることは確実である。
以上のように,北欧,東欧諸国はECへの接近を急速に強め始めており,ECが「深化」にこだわるあまり,「拡大」への対応を遅らせることは,,もはや許されなくなりつつある。ECは現在,東欧に関しては,東欧支援国会議(G24),欧州復興開発銀行(EBRD)を中心に,援助を進めていく方針を変えていないが,今後は,東欧諸国をEC経済に組み入れていくことを,「深化」と並行して検討してゆく必要があろう (第4-4-8表)。
こうした経済的な結びつきの濃淡を踏まえ,ヨーロッパを鳥瞰してみると,ECを中心とする,経済領域が,おおよそ同心円の構造を成していると考えられる。つまり,ECのまわりにEFTA諸国,東欧諸国がそれぞれ次第に大きな円を描いて存在している構造である。さらにEC内部でも分化がみられる。EC経済・通貨統合の第3段階(単一通貨の発行)に最初に移行するとみられるフランス,ドイツ,デンマーク,べルギーオランダ,ルクセンブルクや,イギリス,イタリアのグループをECの中核とすると,移行が遅れる可能性のあるスペイン,アイルランド,ポルトガル,ギリシャのグループは,その外縁と言えるだろう。ECは,こうした同心円の構造を持ちつつ,現在進行している情勢変化を受けて,今後,より広大なEC経済圏としてまとまってゆく方向に進むことになろう。
また,このほかにも多様な利害関係から,独自のグループを形成する動きがみられる。人の完全な自由移動を取り決めたシェンゲン条約グループ(ドイツ,フランスなど5ヵ国)のほか,アドリア諸国グループ(イタリア,ハンガリーチェコ・スロバキアなど5ヵ国),ギリシャ正教圏グループ(ギリシャ,ブルガリア,ルーマニア,ユーゴスラビア・セルビア共和国)などがその例である。一方,安全保障面についても,いくつかのグループが層を成して存在している。すなわち西欧同盟(WEU9ヵ国)を軸として,北大西洋条約機構(2NATO16ヵ国)が存在し,さらに,ソ連,東欧を含んだ全欧州安全保障協力会議(CSCE34ヵ国)がそれらを取り囲む形となっている。
このようにヨーロッパは,EC統合の進展や,東欧の変革に伴い,さまざまな性格を持つグループが重なり合う,多重構造を示すようになっている。このため,今後のEC統合の進め方については,こうした多重構造を前提として,大きな構想の下できめ細かく検討する必要がある。
日本,アメリカなど,非欧州諸国との関係も重要である。ECの市場統合の目的は,域内の国境と,それに付随する種々の規制を撤廃することによって,ECレベルでの競争を促進し,効率性と規模の経済性を追求することにある。
しかし,このことが,域外企業を締め出すことにつながるとすれば,それは経済ブロック化の弊害そのものであり,世界経済の発展にとって好ましくない。
EC委員会は,88年10月に発表した通商政策のなかで,93年以降,EC加盟国ごとの輸入数量制限は,税関チェックの廃止とともに撤廃するが,品目によっては,ECレベルの制限措置で代替するという方針を明らかにしている。しかし,輸入制限や,アンチ・ダンピング課税,ローカルコンテンツなどにより,域内企業を域外企業との競争から隔離することは,域内企業による寡占の弊害をもたらし,市場統合の理念を著しくゆがめる恐れがある。こうした動きは,域外企業のみならず,EC経済の活性化にとっても,マイナスとなる可能性がある。
ECの市場統合に対しては,それが世界経済の発展につながるよう,期待が集まっている。この期待を実現するためには,世界の農産物貿易をゆがめるような政策を改めることが必要である。ECの共通農業政策では,域内農業を保護するため,域内農産物を高く買い上げた結果,過剰生産をもたらしたが,この余剰農産物を補助金により安く輸出しているため,世界の農産物貿易に大きなゆがみをもたらしている。このほかすでに見たように,こうした域内農業保護政策により,東欧諸国のECへの接近が困難になっており,またアメリカとも貿易摩擦を生んでいる。今後,ECが統合を進める過程で,域外企業に対する貿易上の種々の制限を撤廃するとともに,世界貿易をゆがめる政策を改めていくことが望まれる。