平成3年
年次世界経済白書 本編
再編進む世界経済,高まる資金需要
経済企画庁
第1章 世界経済の現局面とその特徴
東西両ドイツの統一から1年経ったドイツでは,東独地域の再建が精力的に進められている。こうした東独地域の再建に伴い,東独地域では経済の各分野で急速な構造調整の必要に迫られる一方,東独地域向けの財政支出の増加によリドイツの財政赤字は大幅に拡大している。また,ドイツ統一を機に,ドイツの輸入が大幅に拡大するなど,周辺国経済にも大きな影響を及ぼしている。そこで,ここでは東独地域の再建にあたっての問題点を整理するとともに,ドイツの財政赤字の拡大が欧州をはじめ世界経済に及ぼす影響について考察することとする。
東独地域は,90年7月1日の経済統合,10月3日の国家統一により西側の政治・経済体制に組み込まれることになった。統一によって西独地域と同じ豊かな生活が享受できると期待していた東独市民を待っていたのは,生産の低下や失業をはじめとする新たな経済困難であった。ここでは東独経済の経済構造上の特徴,市場経済に移行する際の問題点について触れた後,建設活動の活発化や投資の進展など経済活動の安定化へ向けた最近の動きや,今後東独経済が西独経済にキャッチ・アップしていくに際して克服していくべき課題について整理する。また,東独地域再建に際して巨額の資金需要が発生し,財政負担が増大している現状と見通しについて触れ,財政赤字のファイナンスとともに資金の有効活用の必要性について論じることにする。
東独地域の経済は従来,中央政府による政治的統制を受けた中央指令型の経済であった。ここでは,東独経済を特徴付けていた企業構造,就業構造,貿易構造について概観する。
東独の企業は,1950年以降,コンビナートと呼ばれる国営の組織に,関連産業が垂直的に統合されるとともに,同一産業内の企業が水平的にも統合された。この結果,寡占化と国営部門の比率の上昇が並行して進んだ (第1-3-1表)。コンビナートの産出高のシェアは,1950年の55.3%から70年に85.0%,88年には95.7%と高まり,国営企業の割合は他の東欧諸国と比べて極めて高くなった。コンビナートの数は,89年に221に達しており,このうち中央政府の管理下に126,地方政府の管理下に95存在した。国営部門の比率を業種別にみると,88年には工業,運輸の各部門がほぼ100%,農業,建設業,商業は90%が国有となっている。企業構造を規模別にみると,西独地域では中小企業のシェアが高い(従業員100人以下の企業数は全体の87%)のに対して,東独地域では,中小企業はほとんど存在していない(同19%)。またコンビナートの経営は,中央政府の管理下にある場合は,政府の11人の工業大臣のうちの1人に,また地方政府の管理下にある場合は地区の経済評議会に委ねられていた。コンビナートの生産計画に従い各企業が生産を行ったことから,企業による自発的な経営能力は低いままに抑えられた。
次に,就業構造については,東独地域の労働市場は西独地域と比較して,技術訓練を受けた労働者の比率が高いのに対し,経営能力のある人材が極めて少ないことが指摘される。また東独経済は,西独経済と同様に第2次産業の就業比率が高く(89年時点で,東独地域:44.1%,西独地域:39.7%),農業の就業比率も10.0%と高かった(西独地域は3.9%)。これは農業と工業が自給自足の方針に従い,拡大,強化されたことによる。その反面,サービス業は非生産的であるという社会主義的なイデオロギーの下で発展が阻害されていたこと等により9.3%と低く留まった(西独地域は18.0%)。
また貿易構造については,東独の貿易額は東西ドイツ間貿易を除いたベースで89年に約400億ドルであり,世界貿易の0.7%のシェアを占めるにすぎなかった。東独の輸出のうち,コメコン諸国への輸出は全体の約60%を占め,そのうちソ連向けが半分であった。東独はコメコン諸国のなかではソ連に次いで第2位の輸出国であった。東独はコメコン諸国に対して工業製品を輸出し,特にソ連に対しては製造した機械の70%,船舶の90%を輸出する一方,主として原材料やエネルギー製品を輸入するなど,ソ連に対する依存度が高かった。しかし東独の工業製品は品質・価格の両面で西側諸国製品との輸出競争力に乏しく,西側諸国との貿易では,主としてソ連から輸入した石油等の原材料や労働集約的な財を輸出する一方,ハイテク機器や消費財を輸入していた。コメコン貿易の解体によって,東独地域は主要な輸出先を失うことになり,生産の大幅な縮小など大きな打撃を被った。
東独地域は,計画経済から市場経済への移行に際して,他の東欧諸国とは異なる厳しい環境下におかれた。すなわち,統一により,通貨を含め西独地域と経済的に完全に一体化されたことに加え,通貨の交換比率が1対1に設定されたことである(注12)。経済的に未熟な東独地域で,東独の経済実勢を上回る1対1という高い為替レートが適用されたため,東独地域では大幅に通貨が切り上がることとなり,以下のような各種の問題が生じた。
第一に,賃金コスト上昇による生産の低下と失業の増大である。賃金は西独マルクと1対1の比率で交換されたため,東独地域の名目賃金の水準は西独地域の約40%程度に一気に上昇した。東独地域の生産性が西独地域の3分の1程度にとどまる一方,賃金だけが西独マルク建てで上昇したため,生産コストは大幅に上昇し,製品は市場での競争力を失った。第二に,通貨の切り上げによる輸出の減少と輸入の拡大である。通貨の切り上げにより輸出が大幅に低下する一方,輸入は東独市民の購買力が高まったことを背景に拡大した。東独地域の輸出は,90年には300億マルク程度であったが,91年には100億マルクにも達しないものとみられている。こうした生産や輸出の落ち込みの結果,大量の失業者と操短労働者が発生することになった。このような弊害が生じる一方で,通貨の交換比率が高かったことから,東独地域の対外的な購買力は大幅に高まった。その結果,西独地域からの豊富な財の供給を受けること等が可能となった。こうした状況の下,物価は安定的に推移した。
東独地域経済は,90年7月の経済統合以来,生産,受注,小売等で大幅な減少を続け,雇用面でも失業の急増を強いられてきた。しかし91年に入ってからは,公共投資の進展などにより建設活動が活発化し,経済の悪化に底打ちの兆しが現れてきている。
建設受注は91年春以降好調に推移しており,91年4~6月期に前期比72%増となった後,7月は前月比15%増,8月は同31%増と引き続き増加した。IFO経済研究所による建設業景気見通し調査の結果(91年6月末)でも,今後の生産性や経営状況について経営者の約40%が「向上する」と回答しており,総じて楽観的な見方が強い。雇用面についても,民営化の進展により,製造業を中心とする旧国営企業から解雇された労働力の吸収が新規の企業で行われている他,西側諸国からの観光客の流入によってレストラン,ホテルなどのサービス産業が発展し,雇用吸収が進んでいるとみられる。
このほか,西独地域等から東独地域向けの投資も増加している。IFO経済研究所によれば,西独企業の東独地域への投資額は,90年70億マルクの後,91年200億マルク,92年240億マルクと増加するものと見込まれている。東独企業に対するM&Aも91年に入り進展がみられ,90年下半期の104件から,91年上半期には360件へと大幅に増加した。買収企業を地域別にみると,90年下半期には,全体のうち89件が西独企業(全体の86%)との合弁・合併であり,外国企業はわずかに13件(うちフランスが4件,アメリカ・スイスが各々3件)にとどまっていた,しかし91年上半期には,西独企業が267件へ増加する(シェアは全体の74%へ低下)とともに,外国企業による買収が進み,91年8月末には外国企業によるM&Aは全体で156件と大きく増加した。国別の内訳ではフランスが47件で最も多いが,スイス,オーストリア,アメリカの企業による企業買収も進んでいる。
このように西側の資本と技術が東独地域に導入されることで,民間レベルでの経済的な一体化が進み,経済活動は徐々に回復に向っていくものとみられる。
なお,東独地域での投資を促進するために,ECの基金等を活用した「地域経済構造改善策」(毎年52億マルク)が実施されている。さらに個別企業に対する投資促進策としては,動産購入に対する投資控除,投資補助,利子補給の3つがある(これら3つの合計でEC規制の補助金に対する上限35%までの優遇措置を講じることができる)。
今後,東独地域が経済基盤を強化し,発展していくためには,まず第一に旧東独国営企業の民営化を推進するとともに,中小企業の育成に努めることが必要である。民営化を進めるに際しては,生産設備の老朽化や技術の遅れなど東独地域の工場の実態が予想以上に悪いことが判明したことから,当初は工場の閉鎖が経済再建の近道であると考えられた,しかし大量の失業の発生を背景に雇用の確保を求める東独労働者や基幹産業の倒産を回避しようとする州政府で不満が高まったため,現在では労働者の雇用保障に配慮しながら,民営化を進める方向にある。旧国営企業の民営化を行うために90年6月に設立された東独信託庁(トロイハント・アンシュタルト)は,91年8月末までに旧国営企業9,000社のうち3,378社を民営化した。民営化にともなう売却益は125億マルクで,41万人以上の雇用が確保されたとされている。今後も引き続き企業売却を進めるとともに,買い手がつかない企業については信託庁自身が再建を行うことも必要であろう。
第二に,賃金決定の適正化が必要である。先に述べたように,東独地域の賃金は,東独マルクが西独マルクと1対1の比率で交換されたため,西独地域の約40%程度に上昇した。さらに金属・電気機械,建設等での賃上げ交渉では,西独地域の60~75%程度の賃金水準の獲得が実現している (第1-3-2表)が,これによる労働コストの上昇は東独の労働市場の魅力を低下させ,西側企業の進出を抑制する。なお金属・電気機械では,94年までに西独地域と同水準の賃金を獲得することが目指されている。また,東独地域でば雇用創出プログラムにより企業への財政援助を行い,失業者や操短労働者の再雇用が進んでいるが,この援助策は企業が自立しない限り財政をひっ迫させる持続的な要因となる。
第三に,インフラの整備が必要である。OECDによれば,東独地域の資本ストックを全て新しく入れ換えるには,西独地域の実質GNP(90年)2兆4,000億マルクと同程度の資金が必要とみられている。インフラ整備のための財政支出は,91年には約500億マルクが見込まれている。電話等通信インフラの面では,東独地域の電話回線は89年に1,000人当たり106回線で,西独地域の同462回線の約4分の1と極めて少ないため,ビジネスの障害となっている。このためドイツ・ブンデス・テレコムは91年に約50万回線の敷設を計画している。また東独地域の道路は,1,000Km2たりの交通網の密度が1,150Kmと西独地域の約2,000Kmに比べて小さく,しかも老朽化が進んでいる。これらに加え,鉄道網の整備や学校,病院,老人ホーム等の公共施設の建設も重要である。また東独地域への企業進出を阻んでいる要因として,環境問題がある。褐炭の使用による大気汚染や水銀等による河川の汚濁には深刻なものがある。インフラ整備は,東独地域の経済復興の基礎となるため,今後も積極的な取り組みが期待される。
東独地域には,91年に1,650億マルクの公的資金が西独地域から流入するとみられているが,これは東独地域の名目GNPの約75%に相当している。
連邦政府の予算では(第1-3-3表),東独地域への財政支援を含む関連支出として,91年930億マルク,92年1,090億マルク,93年1,050億マルク,94年1,130億マルクが予定されている。このような東独地域への支援額がドイツの歳出総額に占める割合は,91年22.7%,92年25.8%と歳出総額の約4分の1に達する。このような東独地域への支援は財政赤字の大幅な拡大要因となった。
予算の枠外では,統一後の東独地域再建に際し,当初90年下期から94年末までの東独の財政赤字の3分の2をファイナンスする手段として,「ドイツ統一基金」が創設された(90年5月)。同基金の資金調達については,94年までの総額1,150億マルクのうち200億マルクを連邦政府が拠出し,950億マルクは連邦と州で半額ずつ資本市場で債券を発行して調達するとされた。東独地域の資金需要が予想以上に高かったため,91年以降は連邦政府向けの支出分も東独5州に配分されることになった(付表1-16)。
このように東独地域の再建に伴う財政負担は大きく,財政赤字の拡大を招くことになった。連邦政府の純借入れは,ドイツ統一にともなう東独地域への財政支援,ソ連軍撤退費用等により89年の192億マルクから90年には467億マルクへ拡大した。今後については,91年に664億マルクと大きく増加した後は縮小し,95年には251億マルクが見込まれている。また公的部門(連邦政府,州政府,市町村)の純借入れは,91年に1,132億マルク(連邦鉄道等を,含めて約2,000億マルクとの試算もある)に達した後,92年には960億マルクに縮小するとみられているものの,なお高水準である。このように東独地域の再建に向けて,連邦等公的部門は多額の資金援助を行っている。
財政赤字の拡大に対して,政府は増税と歳出削減措置を講じている。増税については,91年7月,所得税・法人税への7.5%の付加税(1年限り),鉱油税の引上げ等を実施した(増税額は91年174億マルク,92年267億マルクの計441億マルク)。この増税措置は,湾岸での戦闘や中東欧の市場経済への移行等の世界的な情勢変化に伴う支出増に加え,追加的な歳出削減が困難であることなどから実施されたもので,東独地域の経済再建を直接の目的として行ったものではないとされている。しかし東独地域再建に伴う大幅な支出増が増税実施の背景の一つになったことは否定できない。
さらに税制調和に関するEC内の政治的合意を受け,付加価値税(VAT)の増税も行われることになり,93年1月から,税率は従来の14%から15%に引き上げられる予定である。また西独地域の国営企業の民営化を進めることも歳入増を図るために有効であろう。ドイツの電気・通信事業を管轄しているドイチェ・テレコムは,政府保有株の49%を売却した場合,少なくとも150億マルクの売却益が見込めるとされており,統一コストが高まるなかで有望な資金源として注目されている。
歳出削減の面では補助金等の削減が求められ,91年7月にドイツ連立与党で合意がなされた。これは中期財政計画の一環として行われるもので,ベルリンへの補助金の削減,西独地域の雇用創出プログラムに対する補助金の削減,石炭補助金の削減等を内容としており,これにより92年97.5億マルク,93年116.7億マルク,94年119.1億マルクの補助金等の削減が行われることになった(92~94年の3年間で総額333億マルク)。
東独地域の再建にコストがかさみ,財政赤字が大きく拡大するような状況の下では,財政資金の有効活用に努める必要がある。こうした観点から,再建の見込みのない企業に対する赤字補填については問題があるとの指摘もなされている。また組合側の高い賃上げ要求に応えること等により経営内容が悪化した企業に対して,政府が赤字補填を行って倒産を防ぎ,雇用を維持するような仕組みは企業の経営合理化に向けての努力を阻害する懸念がある。企業に対するこうした一般的な赤字補填よりも,雇用者に対する直接的な所得補償のほうが企業の自立的な経営を促す意味で経済効率的には望ましいとの議論もある。
一方,インフラの整備等,企業活力の向上につながる投資的支出については積極的に行っていくことが必要であるとみられる。OECDによれば,東独地域での91年の公共投資は約400億マルク,民間投資は200~300億マルクが見込まれている。公共投資が呼び水となって民間企業が進出しやすい環境が整備され,民間投資が活発化することが期待される。こうした観点から,学校,病院等の公共施設や住宅建設の支援,道路の整備,電話等通信網の整備などインフラの整備に資金を振り向けていくことが中長期的な経済基盤の強化につながっていくと考えられる。
ドイツでは,90年7月の通貨統合により旧東独地域向けの消費や投資の需要が急速に高まり,ドイツ国内の供給力を上回ったことから輸入が増大した。このため,周辺諸国では,ドイツ向け輸出の大幅な増加という恩恵を受けた。他方,統一ブームを背景とする金融の引締まりは,ECのERM(為替レート・メカニズム)を通じて他のERM参加国の金利の高止まりをもたらしており,周辺国経済にマイナスの影響を及ぼしているとも考えられる。ここでは,このようなドイツ統一による周辺諸国経済への影響を,ドイツの輸入拡大による影響と金利上昇による影響に分けて分析する。
ドイツでは,90年後半から輸入が大幅に拡大し,貿易収支の黒字幅も大きく縮小している。ドイツでは,他の国と比べて輸入依存度が高いこと,国内の稼働率が高く供給面で制約が存在していたことから,国内での需要の高まりは輸入の拡大に結びつきやすい状態にあった。ドイツの輸入依存度(90年)は37%と,日本の18%,アメリカの16%と比べて極めて高い水準にあり,製造業稼働率についても88年の86.7%から89年89.1%,90年89.7%と高まっていた。このため,ドイツ国内での需要の増加は,大幅な輸入の拡大をもたらし,周辺国経済に影響を及ぼしやすくなっている。そこで,通貨統合以降のドイツの輸入動向をみると,90年後半の統一ドイツの輸入は,前年同期の西ドイツの輸入と比べ,405億マルク増(15.7%増)となり,91年前半においても同622億マルク増(23.8%増)と大幅に増加した。これに伴い,90年の統一ドイツの貿易収支は,89年の西ドイツにおける1,346億マルクの黒字からl,053億マルクの黒字へと縮小した。さらに91年1~6月期には61億マルクに大きく縮小した(5,6月には赤字となった)。
こうしたドイツの輸入拡大の影響は,周辺EC諸国でとりわけ大きなものとなっている。そこで,まずドイツ経済のEC域内に占める大きさをみると,90年においてドイツ経済はEC12ヵ国のGNPの約25%,輸入額の25.1%,輸出額の30.5%を占め,それぞれEC域内で最大の規模を占めている。次に,ドイツの貿易額に占める主要な貿易相手国のシェア(90年)をみると,輸入においてはフランスが11.8%,オランダが10.2%,イタリアが9.4%を占め,輸出においてはフランスが13.0%,イタリアが9.3%,イギリスが8.5%を占めている。なお,EC・EFTA諸国との取引はドイツの輸入の65.6%,輸出の70.9%を占めている(第1-3-1図)。このように,ドイツー経済は周辺諸国と密接な関係を持つヨーロッパの大国であり,ドイツ経済がこれらの国に及ぼす影響は極めて大きいと言える。
そこで,ドイツの輸入の国別動向をみると,90年後半以降,EC,EFTA,日本等ほとんどの地域から輸入が急速に増加している(第1-3-2図)。なかでも,EC,EFTA諸国からの輸入の増加が目立っており,アメリカ,日本といった域外国からの輸入増加の程度は,相対的に小さなものにとどまっている。こうしたドイツの輸入拡大が,各国の経済成長にどのように寄与したかを試算してみよう。90年第4四半期における各国のGNPの前年同期比増加率に対するドイツ向け輸出拡大の寄与度を計算すると,ベルギー,オランダ,オーストリア,デンマークといった地理的に隣接している国においてとりわけ寄与度が高くなっている。これは,これらの国のGNP額が相対的に小さいこともあるが,農産物,雑貨,嗜好品等の消費財の輸出がドイツ向けに大幅に増加したことを反映していると考えられる。また,GNPへの寄与度は小さいものの,フランス,イタリアについても,ドイツへの輸出増加額自体は大きなものであり,自動車を中心としたドイツベの製品輸出の増加は,国内景気の下支え要因となっている。
ドイツでは,統合による資金需要の高まりに対する期待から,長期金利が89年末以降急速に上昇した。ドイツの長期金利は,90年初めにはアメリカの長期金利を上回り,高水準で推移した。その後,91年に入り若干低下したが,依然高水準にある。短期金利も,ドイツ連銀の金融引締めの姿勢を反映して,89年は上昇を続けた。その後90年秋以降,統一プームによる景気過熱が明らかになるにつれ,連銀の引締めの姿勢も強まり,短期金利も強含みとなった。このようなドイツの金利の上昇は,金融,資本市場を通じて世界の金利にも影響するようになっている。特に,西欧諸国では,ドイツの高金利が波及しやすくなっている (第1-3-3図)。これは,多くの西欧諸国の通貨が,ドイツ・マルクと直接あるいは間接にリンクしているからである。ギリシア,ポルトガルを除くEC10ヵ国の通貨は,ERMを通じてマルクと相当程度リンクしている他,北欧3ヵ国はECU(ECの共通通貨単位)を通じて間接的にマルクにリンクし,オーストリアは事実上マルクにリンクしている。また,ポルトガルとギリシアについても,通貨統合の議論が本格化するなかで,自国通貨をECUに連動させるようになっている。
このようにドイツの高金利は,周辺西欧諸国の金利水準を引き上げることによってこれら諸国の経済成長を抑制する要因として働いたとも考えられる。特に,90年以降,景気が減速した国では,金融の緩和が十分に行えず,金融政策の運営に対し大きな制約となっているとも考えられる。
また,ドイツの金利上昇により,マルクをはじめとする欧州通貨は,米ドル等の域外通貨に対して増価したため,欧州製品の域外での価格競争力が低下した。一例として,フランスの輸出動向をフランス全体の輸出に占める各国向け輸出のシェアでみてみると,アメリカへの輸出は,フランの対ドルレートが上昇したこと,アメリカの景気が減速したことを反映して89年から90年央にかけて減少している(第1-3-4図)。一方,フランスのドイツ向け輸出のシェアはその間に大きく増加しており,アメリカ向け輸出の減少を補う形となっている。
90年以降,ドイツにおいては,東独地域を再建するために財政支出を大幅に拡大させる一方,金融面ではインフレ圧力を抑制するために厳しい引き締め政策が採用されている。こうした,拡張的な財政政策と緊縮的な金融政策のポリシーミックスは,財政赤字の拡大,金利の上昇,マルク高,経常収支の悪化をもたらしている。このように,90年以降のドイツ経済は,80年代前半のレーガン政権下におけるアメリカ経済と類似の様相を示している。そこで,ここでは両者を比較することにより,ドイツにおける財政赤字の拡大と経常収支の悪化が,アメリカの場合のような長期的な構造問題となり,世界経済に大きな影響を及ぼす可能性について検討する。
90年以降のドイツと80年代前半におけるアメリカの財政赤字の拡大規模をGNP比で比較すると,ドイツの場合は,当初の財政赤字の大きさ及びその後の財政赤字の拡大幅ともにアメリカの場合よりも小さなものにとどまっている。しかし,財政赤字の急激な拡大はドイツのマクロ・バランスを大きく変化させ,経常収支黒字の大幅な縮小をもたらしている。
ドイツ連邦政府の赤字(純借入れ)は,ドイツ統一により89年度の192億マルク(GNP比△0.9%)から90年度には467億マルク(GNP比△1.9%)へと拡大した(第1-3-5図)。また,今後については,91年度の連邦政府赤字(純借入れ)は,ドイツ大蔵省によれば664億マルク(GNP比△2.6%)に達すると見込まれており,92年度以降は縮小するとみられている。一方,80年代のアメリカの連邦政府赤字は,81年度の789億ドル(GNP比△2.6%)からGNP比でのピーク年である83年度には2,077億ドル(GNP比Δ6.1%)に達している。このように,ドイツの財政赤字の経済に対する相対的な規模は,アメリカの半分以下にとどまっている。
他方,ドイツの経常収支の動向をみると,89年は1,076億マルクの黒字(西独地域,GNP比4.8%)であったが,90年には774億マルクの黒字(統一ドイツ,GNP比3.2%)となり,黒字幅は302億マルク減少した。また,91年に入ってからも1-6月で201億マルクの赤字となり,前年同期の西ドイツと比べ経常収支は約670億マルク悪化している。このように,ドイツでは,統一効果により経常収支は大幅に悪化した。一方,80年代前半のアメリカでは,経常収支は,81年の69億ドルの黒字(GNP比0.2%)から85年には1,223億ドルの赤字(GNP比3.1%)へと約1,300億ドル悪化した。両国における経常収支の悪化幅をGNP比で比較すると,ドイツでは,90年上半期がら91年上半期までの経常収支の変化の大きさは,GNP比で5.5%ポイントの悪化となっており,アメリカの81年から85年にかけての3.3%ポイントの悪化を上回っている。
ドイツの財政赤字の拡大の程度はアメリカの半分程度であるが,経常収支の悪化の程度ではドイツがアメリカを上回っている。しかし,このようなドイツにおける財政赤字の拡大と経常収支の悪化が構造的な問題となる可能性は,アメリカの場合と比べ相対的には小さいと考えられる。詳しい理由は以下に述べるが,基本的にはドイツの方が経済構造,経済政策の両面でアメリカよりも安定度が高く,マクロ的なショックに対してそれを吸収するだけの弾力性があるためである。この結果,ドイツ経済の状況が世界経済に及ぼす攪乱的影響も小さくなるものと考えられる。
(ア)家計の貯蓄率の相違
統一以前の西ドイツでは,家計貯蓄率は比較的高い水準にあり,経常収支は大幅な黒字であった。また,統一後においても家計貯蓄率の水準は安定的に推移している。このため,ドイツの経常収支の悪化は,主にドイツ統一による財政赤字の拡大を背景としているものと考えられる。これに対し,80年代前半におけるアメリカの場合には,経常収支の悪化は財政赤字の拡大とともに家計貯蓄率が大幅に低下したことを背景としている。
財政赤字が大幅に拡大する以前の経常収支をみると,西ドイツで89年1,076億マルクの黒字(GNP比4.8%)であったのに対し,アメリカでは81年69億ドルの黒字(GNP比0.2%)とほぼ均衡状態にあった (第1-3-6図)。また,家計貯蓄率の水準も米,独では大きく異なっていた。ドイツの家計貯蓄率は89年13.5%,90年14.7%と高水準にあるのに対し,アメリカの場合は,80年7.1%,81年7.5%とほぼドイツの半分程度の水準であった。
さらに,より重要なことは,財政赤字の拡大過程における家計貯蓄率の動きの相違である。米国においては,財政赤字の拡大とともに,家計貯蓄率は81年の7.5%から85年には4.4%まで低下した。これは,消費者ローンに有利であった所得税制を背景として金融機関が家計向けのローンを増大させたこと等により消費者ローンが急増し,消費の加速が生じたためである。このように,アメリカでは財政部門の赤字の拡大と家計部門の貯蓄の減少という両面から経常収支が悪化したため,対外バランスの不均衡は大幅かつ継続的なものとなっている。一方,ドイツにおいては,財政赤字は拡大したが,家計貯蓄率は両ドイツ統一後も安定的に推移している。これは,西独地域では消費者ローンが急増するという事態は生じなかったこと,東独地域では統一後も将来に対する不安から高い貯蓄を維持していること等によるものである。したがってドイツの経常収支の悪化は,一時的にはかなりの規模に達するものの,財政赤字が縮小すればそれに応じて是正されていく可能性が高いと考えられる。
(イ)財政赤字の持続性
財政赤字が拡大した中身をみると,アメリカでは減税という継続性の高い減収要因が強く働いているのに対し,ドイツでは歳出増のかなりの部分は一時的なものにとどまる可能性がある。
アメリカにおいては,81年の税制改革により個人所得,法人所得等の減税が行われた結果,連邦政府の歳入の所得弾力性は低下した。このような税制改革は,国防費や社会保障費の増大と相まってアメリカの財政赤字を継続的なものにしていると考えられる。一方,ドイツでは,財政赤字の拡大は主に東独地域への財政支援により生じており,一時的な性格が強い。また,中長期的には,東独地域における生産が回復し,雇用環境が改善してくるに従い財政負担は軽減されるため,アメリカのような長期にわたる大幅な財政赤字が継続する可能性は小さいといえる。税制面においても,91年7月より所得税,法人税の付加税や鉱油税の引上げ等の増税措置を行っている。しかも,こうした増税措置は,国民の間におけるドイツ統一による負担増の意識を高めているとみられ,財政赤字拡大への歯止めともなり得るものである。
(ウ)為替要因
80年代前半のアメリカでは,高金利を背景としたドルの独歩高により世界中から輸入が著増し,輸出が停滞した。一方,統一ドイツでは,主要な貿易相手国がマルクとリンクしているため,マルクの独歩高という事態は生じておらず,為替面から対外不均衡が加速的に拡大するという効果は比較的小さなものにとどまっている。
80年代中頃までのアメリカにおいては,経常収支の大幅な赤字にもかかわらず,他の主要国との金利差が大きかったため,ドルがアメリカの金融・資本市場に還流し,85年にいたるまでのかなりの期間に渡ってドル高が維持された(第1-3-7図)。しかし,このメカニズムがアメリカ経済の輸入の拡大を加速し,経常収支の赤字幅を更に大きくする要因となった。
一方,ドイツの場合,ERMを通じて主要な欧州通貨はマルクとリンクしているため,欧州通貨のマルクに対するレートは安定的に推移している。しかも,ドイツの輸入相手国のほとんど(貿易ウェイトで65%)の国はこれら欧州諸国であるため,貿易面での為替の影響は小さなものとなっている。また,現時点におけるドイツと日本,アメリカとの金利差は,80年代前半と比べると比較的な小さなものにとどまっている。このような金利面での相違が背景にあるこども手伝って,マルクはドルや円に対して,当時のドル高ほど急激には切り上がっていない (第1-3-8図)。このため,為替要因によって輸入が加速される可能性は比較的小さく,経常収支の悪化は主として国内需要の拡大によってもたらされている面が大きいと考えられる。
以上のマクロ政策についての議論は,主に総需要に焦点を当てたものであるが,供給サイドからみてもアメリカとドイツでは相違点がある。80年代前半のアメリカでは,財政赤字の拡大が供給能力の強化にはつながらなかったのに対し,ドイツでは,財政赤字の拡大は東独地域の復興のための資金となっており,中長期的にはドイツの潜在成長力の強化につながるものであると言える。
80年代前半のアメリカでは,国防費の増大と所得減税による消費の拡大が生ずる一方,高金利を背景としたドル高の下で,製造業の海外移転が促進され,国内産業の空洞化が進展した。このように,アメリカの財政・金融政策は,必ずしも当初意図されたような供給サイドの強化にはつながらなかった。
ドイツの場合についても,東独地域への財政支援の多くが不採算企業の赤字補填や失業給付に充てられる状態が今後も長く続くならば,やはりアメリカと同様,巨額の財政赤字が恒常化する危険がある。しかし,最近では東独地域の雇用環境にも底打ちの兆しがみられる。また,東独地域への投資資金は,公的資金だけでなく民間資金も増大している。こうした投資がやがてインフラの整備や企業設備の増強に結びつき,供給力の増加となって顕在化してくるならば,ドイツの潜在成長力は一段と強化されると考えられる。