平成3年
年次世界経済白書 本編
再編進む世界経済,高まる資金需要
経済企画庁
第1章 世界経済の現局面とその特徴
第1節でみたように,82年11月から景気の拡大が続いていたアメリカ経済は,89年に入って拡大のテンポが減速し,90年7月に戦後9回目の景気後退に入った。第2節では,先の議論を踏まえて,以下の4点について分析を行う。
1では今回の景気後退の特徴を挙げるとともに,景気回復力が弱いことの根拠について検討を行う。2では80年代に生じた構造的問題点を取り上げ,この問題が90年代に持ちこされていることを述べる。3では金融部門の脆弱性について,その状況及び背景について分析を行うとともに,現在議論されている制度改革について概観することとする。4では北東部と五大湖周辺地域を取り上げ,地域により経済状況にぱらつきがあることを述べる。
今回の景気後退が終わった時期については,NBER(全米経済研究所)による判定を待つ必要があるが,個人消費,生産,雇用が4~6月期に上向き始めたこと,景気一致指数が゛4月から3か月連続して上昇していること等から,ここでは暫定的に4~6月期が景気の谷であるとする。
今回の90年第3四半期から91年第2四半期にかけての景気後退は,戦後の平均に比べ,比較的短期間でかつ浅いものとなった(第1-2-1表)。これは,①88年春以降の金融引き締めによりインフレ懸念が鎮静化し,金融緩和を行う環境が整っていたこと,②在庫管理技術の進歩,経済のサービス化の進展により大幅な在庫の積み上がりが生じなかったこと,③輸出が好調を維持したこと,④五大湖周辺地域では景気拡大が続くなど成長を維持する地域があったことなどによる。ここでは,以上の点について,検討を行うこととする。
80年代後半は輸出がドル安を背景に増加したことに加え,金融政策が84年秋以降緩和基調にあったこと等から民間設備投資が増加を示し,87年か,ら88年にかけて実質成長率は高まりをみせた。こうした中,需給は逼迫し,インフレ懸念が高まったことから,金融当局は88年春以降金融引締めに転じた。食料・エネルギーを除く物価上昇率(いわゆるコア・インフレ率)は,88年から89年第1四半期にかけて製品需給の逼迫,賃金上昇率の高まり等により一時高まりをみせた。しかし,金融引締めの効果等により実質成長率は89年前年比2.5%増,90年同1.0%増と減速し,景気過熱によるインフレ懸念は鎮静化した。
一方,90年8月のイラクのクウェイト侵攻により一時的にエネルギー価格の上昇がみられたものの,91年2月に湾岸での戦闘が終結してからはインフレ懸念は速やかに鎮静化した。この背景としては,以下の点が指摘できる。第一に,サウジアラビアなど他の産油国の生産増により,石油製品の需給逼迫懸念が薄れたことである。第二に,総労働時間(労働投入量)の削減が弾力的に行われたために,労働生産性が景気後退期間中にもかかわらず上昇し,これが単位労働コストの上昇を抑制したことである(第1-2-2表)。特に今回は,製造業では経済が拡大過程にあった89年第2四半期から,それまでの生産鈍化を受けて雇用の削減が行われていたこと,さらに,流通業,金融業等をはじめとするサービス業でかなりの雇用の削減が行われたことが寄与している。第三に,製品の輸入が大幅に増大し,輸入製品と国産品との競争が激化していく中で,労使関係の変化等もあって,名目賃金の上昇率が低く抑制されたことである。 第1-2-1図は,80年代中頃から急速に製品輸入が増加する中で,賃金上昇率は物価上昇率を下回って推移していることを示している。
一般的には景気の成熟から後退の初期の段階では,企業が予想する以上のペースで出荷が減少するため在庫の積み上がりが生じる。また,景気が回復に転じると企業の予想以上に出荷が増大するためしばらくは在庫の取り崩しが進むが,次第に生産が出荷の増加に追いつき,再び在庫は積み増しに転じる。しがし,今回は,景気の後退が始まる前には在庫残高は横ばいで推移しており,景気後退が始まった90年7~9月期に一時的に積み増しが生じたものの,その後は取り崩しに転じるなど,在庫調整は早期に行われたので,後退期における過度の積み増しは生じなかった(第1-2-2図)。こうした在庫の早い調整は,特に製造業および小売業の段階で明瞭にみられた。この要因としては流通段階や生産現場における在庫管理技術の進歩,サービス化の進展,需要側の購入計画の公開等が挙げられる。更に,今回の場合は,いわゆるグロース・リセッションの過程が長く,出荷の伸び率が89年から比較的長期にわたって低下傾向にあったために,景気が後退する前に在庫の水準を調整する期間が十分あったことも要因として挙げられる。
89年以降,成長率の鈍化がみられる中で,輸出は比較的堅調に推移した。こうした輸出の堅調な伸びは,第一に,86年以降のドル安等を反映して価格競争力を維持していること,第二に,日本,ドイツ,メキシコなどアメリカの貿易相手国がアメリカと比較して相対的に高い成長率を維持したこと等が背景となっている。前者については,ドル安による効果とともに,労働生産性が上昇した点も考慮する必要がある。90年の労働生産性上昇率をみると,アメリカは前年比2.5%と,景気拡大局面にあった日本(同3.7%),ドイツ(同3.4%),イタリア(同3.2%)には及ばないものの,フランス(同1.1%),イギリス(同0.8%)を上回っている。一方,アメリカの時間当たりの雇用費用の上昇率は他国に比べ低いことから,単位労働コストの上昇率は低い水準となっている。
このようなコスト面での比較優位を背景にアメリカの輸出企業は製品価格を抑制しながら輸出のシェア拡大を目指したのである。輸出動向を地域別にみると,日本向けの輸出が航空機等の資本財を中心に増加傾向にあるのに加え,西ヨーロッパ向けでは消費財,航空機やコンピュータ機器菱の資本財及び工業用原材料の輸出が,また,メキシコ向けでは自動車部品の輸出が増加している。
今回の景気後退期では,北東部から南東部にかけての大西洋岸で,特に景気後退の影響が深刻であったものの,ロッキー山脈周辺,南西部などの内陸部では,そもそも景気後退に陥らなかった。また,前回の景気後退期に,最も厳しい打撃を受けた五大湖周辺地域でも,今回は比較的打撃は軽かった。このように,景気後退の影響が軽かった地域がいくつかあったことも,米国全体としての景気後退を比較的浅いものとした(なお,地方経済の詳細な説明は,4で述べる。)。
今回の回復期には牽引役として力強い成長を期待できる需要項目は少なく,景気回復は緩やかなものに止まることが予想される。ここでは,回復力が弱いと考えられる要因について①消費,②設備投資,③不動産,④在庫投資,⑤輸出,⑥財政政策,⑦金融政策の観点から検討を行っていくこととする。
まず,過去の景気回復期においてどの需要項目がリード役となったかをみてみよう。 第1-2-3図は,景気の谷から1年後のGNP成長率の需要項目別寄与度を示したものである。これによると,谷から1年後の間に個人消費,在庫投資が大幅に伸びていることがわかる,。その他,住宅投資も比較的堅調に伸びている。一方,純輸出(輸出ー輸入)は回復期には必ず輸入が増大するのでGNP成長率にはマイナスの要因になっていることも特徴的である。
まず,個人消費の今後の動向について,①所得等のフロー面,②債務残高等のストック面から検討する。
フロー面についてみると,消費の動向は主として所得動向に依存しているが,今回の回復期にはマクロの所得の伸びはあまり期待できない。理由として以下の点が指摘できる。①既に述べたように海外からの製品輸入の増大等を背景に,1人当たり名目賃金上昇率が抑制されたこと等から,84年以降は実質賃金が日本,ドイツとは逆に,アメリカでは減少を続けていること(第1-2-4図),②財政赤字の是正策の一環として,連邦,州,地方の税金力引き上げられることから,労働者の可処分所得が伸び悩む可能性が高いこと,③公務員のレイオフに加え,サービス産業で,80年代のような雇用者数の大幅な増加が期待できないこと等である。一方,所得の伸びが見込めなくとも80年代のように貯蓄率を引き下げることにより,消費を拡大する可能性も考えられるが,最近の貯蓄率の動向をみると,貯蓄率は3%台の低水準にある。このため,今後,景気が回復する過程で貯蓄率を更に引き下げて消費を増加させる可能性は少ないものと考えられる。
次に,ストック面についてみても,消費を押し上げる可能性は少ないと見込まれる。理由としては次の3つが挙げられる。第一は,借入に依存しながら消費を増加させてきたことから,消費者信用残高の対家計可処分所得比が83年以降急速に上昇していることである。住宅抵当貸付に対する利払いも考慮すると利払い費の家計可処分所得に対する比率は急速に高まっていると考えられる。第二は,80年代の過剰な債務増から個人破産申告件数が近年急速に上昇していることである(第1-2-5図)。第三は,住宅価格がこのところ頭打ちとなっていることから,家計の借入能力が伸び悩んでいることである。これら3つの要因を考慮すると,家計部門が所得の伸び以上のペースで債務を拡大して消費を増やすとは考えにくく,今後暫くの間は,貯蓄率を更に引き下げるよりも,債務の返済あるいは資産の蓄積を図る可能性が高いと考えられる。
89年以降,企業収益が弱含むにつれ,設備投資の上昇率も鈍化傾向にある。
内訳をみると,情報化関連投資が比較的堅調に推移している一方,機械設備投資で減少傾向にある。今後の設備投資の動向については,機械設備に対する投資は,輸出が堅調に推移していることから,ある程度の伸びが期待できるが,その反面,消費の回復力が弱いと見込まれることから,緩やかな回復テンポにとどまる可能性が高い。また,オフィスビルやショッピングセンターなど構築物に対する設備投資は,空室率が高いため当面はストック調整が続くと考えられる。
80年代には商業用オフィスビル及び住宅に対する投資が急増した。特に,商業用オフィスビルは供給が需要を大きく上回って推移したことから,空き室率は80年の4.6%から90年6月末には18.5%の水準に高まった。また,ショッピング・センター等の流通用構築物の空き室率も80年の9.2%から90年6月には11.2%まで緩やかに上昇しており,不動産不況は広範囲にわたって深刻なものとなっている。一方,住宅用不動産も,87年には供給過剰となり,賃貸住宅の空き家率は81年第4四半期の5.0%から87年第3四半期には8.1%の水準にまで上昇した。このように商業用,住宅用不動産における空室率,空き家率が高まっている。このため,景気回復の初期に不動産に対する需要が増加しても,直ちに投資の増加には結びつきにくい。なぜ,このように不動産に対する過剰投資が生じたかについては,2で述べる。
ただし,持ち家住宅に関してはそもそも空き家率は1%強と低いため,投資が増加する可能性は高く,現に,持ち家住宅の比率が高い一戸建て住宅投資は91年4月から増加に転じている。
今回の景気後退期には,在庫管理技術の発達等により,在庫の積み上がりはあまりみられず,特に製造及び小売り段階で素早い調整が行われたのは既にみたとおりである。従って,景気が回復に転じた場合でも,在庫の積み増しは最終需要の拡大にほぼ見合ったペースで行われる可能性が高く,それなりに景気の牽引力になると考えられる。しかし,その反面,かつての回復期のように大幅な在庫投資が景気をリードするような事態は見込めないと考えられる。
輸出については,最近,ドル(実効レート)が下落してきたこと,ドイツ,日本などで景気が減速を始めたものの,カナダ,イギリスなど景気後退に陥っていた国において明るい兆しが出始めていること等から,堅調な伸びは期待できる。一方,輸入については,国内が不況になれば減少するが,景気が回復すると総需要の増加率以上の速さで増加する傾向が根強く残っているとみられる。このため,純輸出(輸出ー輸入)は,景気の回復に伴って減少傾向となり,経済成長に対してマイナスの要因になる可能性が高いと考えられる。
連邦政府の91年度の財政収支は,2,687億ドルの赤字となり,年初の赤字見通しを下回ったものの,90年度の2,205億ドルより赤字幅は拡大するとともに,これまでの最高額だった86年度の2,212億ドルを大きく上回った。赤字拡大の主な要因は,歳出面では社会保障関連支出,利払い費及び預金保険費用等の増加,歳入面では景気後退に伴う税収の伸び悩みである。また92年度も,預金保険費用の増加等により,さらに赤字は拡大する見込みである。財政赤字拡大への対応策としては90年11月,包括財政調整法が制定され,歳出の拡大に歯止めをかけるとともに,中期的な赤字削減の道筋が示された。同法によれば景気の好・不況による赤字の増減は許容されることから,景気の自動安定化装置(ビルトイン・スタビライザー)はある程度は働く余地があるものの,積極的な財政政策の発動の余地はなく,今後中期的に歳出を抑制し赤字を削減していくプログラムとなっている。従って,財政面からの景気テコ入れの効果は限られたものとなり,積極的な財政支出は行えない状況にある(ただし,議会及び大統領が緊急性が高いと認めた場合には財政支出を行えるようになっている)。このような財政面の制約があることも景気回復力が弱いことの原因の一つとなっている。
また,連邦財政だけでなく,州・地方の財政収支も悪化している (第1-2-6図)。91年7月から始まった92年度予算において,州・地方全体で約500億ドル程度の財源不足が見込まれた。多くの州・都市では,92年度予算の審議は難航し,9つの州で新財政年度(91年7月~92年6月)の開始までに予算の成立が間に合わず,暫定予算を組むこととなった。なかでも,143億ドルという全米でもっとも大きな財源不足額を抱えたカリフォルニア州では,16日遅れで予算が成立し,73億ドルの増税,大幅な人員削減などで不足額を埋め合わせることとなった。
このような財政難の要因としては,歳入面では景気後退の影響を受けて税収が予想を下回っていること,連邦からの補助金が抑えられていること,また,歳出面では医療扶助等の社会保障関連支出,公教育および犯罪者の服役・矯正施設に関する支出が増加していることが挙げられる (第1-2-7図)。
連邦財政と異なり,一般に州・地方の財政赤字の繰り越しは,法律で禁じちれているため,税収の予想外の落ち込みなどにより財政赤字が予想される場合には,①税金・手数料の引き上げ,②公務員のレイオフやその他の支出削減,③積み立て金の取り崩し,などの措置がとられる。これらの措置のうち,積立金の取り崩し以外は景気にマイナスの影響を及ぼす。このため,州・地方の財政収支の悪化は,連邦の財政収支の悪化に比べるとより直接的に景気回復の足かせになるものとみられる。
今回の景気後退に際して,インフレ懸念と景気後退を両睨みしながら,金融当局は政策金利であるフェデラル・ファンド・レートの誘導水準の小刻みな変更,公定歩合の引下げ,預金準備率の変更などを組み合わせて,金融の緩和に努めてきた。しかし,金利の低下が進んでも商業銀行による貸出は依然として低下傾向にあり,マネー・サプライ(M2)の伸びも低い水準に止まるなど,金融緩和の効果は金融当局の期待どおりには現れていない。このような貸出の伸び悩みは景気後退期に通常みられるものであるが,今回は特に景気後退入りする以前からすでに貸出が伸び悩みはじめていたこと,また,銀行倒産件数が景気拡大期の84年から急速な増加を続けていることなどは,これまでの景気後退期にみられた状況とは異なるものであると言える。ここでは,金融機関の貸出低下の背景とその影響,更にマネー・サプライの伸びが低水準にとどまっていることの原因について述べる。
第1-2-8図は,非金融法人部門の債務残高(銀行借入れや社債発行など債務合計の残高)と商業銀行からの借入残高の伸び率を示したものであるが,これによると商業銀行からの借入残高の伸び率は89年以降急速に低下し,91年には借入残高が減少している。これは,借入に対する需要が減退しているだけでなく,後で分析するように金融機関の経営が悪化していることやBIS規制の存在により,貸出態度が厳しくなってきていること(いわゆる貸し渋り)を反映している。FRB(連邦準備銀行)のアンケート調査によると,事業向け貸付の貸出基準を90年の春頃から強化している銀行が増えており,最近では貸出基準をさらに強化している銀行は少なくなってきているものの貸出基準を緩和している銀行も僅かなものに止まっている。こうした貸出基準の強化は,金融当局による銀行の調達金利の引下げに対して貸出金利がなかなか下がりにくいことにもあらわれている。特に,貸出規模の小さい中小企業に対して,金融機関は担保額を引き上げたり,利鞘を増やしたりして,貸出を引き締めていることから,中小企業には金融緩和の効果があまり浸透していないものと考えられる。一方,同図をみると,非金融部門の債務残高は増加を続けていることがわかる。これは,大企業などはたとえ商業銀行の貸出態度が厳しくなっても,社債,コマーシャル・ペーパー(CP)などを発行して,直接,資本市場から低コストの資金調達を増やしており,中小企業に比べるとその影響は小さいことを示唆している。
貸し渋りの中で生じている貸出金利の下げ止まりは家計部門にも影響を及ぼしている。クレジット・カードや自動車ローンの金利は依然として高い水準で推移しており,貸出基準の引き締め及び貸出金利の非弾力性は,金融政策の効果の浸透を阻害し,景気の回復力を弱める方向に働いているものと考えられる。
次に,長期金利の推移をみると,短期金利は金融緩和とともに低下傾向にあるものの,長期金利は概ね横ばいで推移している。この背景には,財政赤字の拡大により国債が大量に発行されるという国内要因がある一方,統一を果たしたドイツがインフレを抑えるために金融を引締めていることが国際金融・資本市場を通じて大きく影響しているとみられる。このような長期金利の下げ止まりは,民間の設備投資や住宅投資を阻害するものと考えられる。
金融機関の貸し渋りは,このところのマネー・サプライの伸び率の低下にも現れている。マネー・サプライは,流動性の高いMlでは高い伸びを示しているのに対し,M2は90年後半以降伸び率が低下している。このように流動性の高いMlの伸びが高まっているのは,これまでの金融緩和により,市中に流通現金が供給されたことに加え,金利が低下してきたために,現預金を保有する機会費用が下がったこと,経済の先行き不透明感や金融機関に対する信用の低下を背景として予備的動機が高まったことから現金保有の需要が増加したこと等によるものと考えられる。他方で,M2の伸びが低いのは,景気後退を背景に借り手側の資金需要が減少していることもあるが,貸し手側の貸し渋りに加え,銀行部門及び家計部門が,マネー・サプライの概念には含まれない流動性の低い社債,政府保証債,投資信託等へ資金をシフトさせているなど,金融機関の信用創造機能が低下していることによるとみられる。このような資金のシフトが生じている要因としては,銀行部門については,BIS規制の下で,銀行は,リスクの高い貸出を抑制して,国債,政府保証債,社債などリスクの少ない資産に資金を運用していること,家計部門については,金利が下がるなが,利回りが高い資産へ資金がシフトしていること,があげられる。
以上みたように,今回の景気回復は力強さに欠けると見込まれる。こうした景気回復の弱さは,家計の債務増加,過剰な不動産投資及び大幅な財政赤字など80年代の景気拡大における歪みが背景となっている。今回の景気後退はこうした構造的問題を解決するには,浅く,短いものであった。従って,゛今後の景気回復過程は,この80年代の負の遺産を抱えながら進むこととなろう。以下においては,この負の遺産について,もう少し立ち入って実態を明らかにしたい
既に述べたように,80年代の景気拡大は,平和時としては戦後最長の景気拡大となった。この景気拡大は,81年に始まったレーガノミックス以降の一連の経済政策によって支えられたものである。しかし,80年代の経済政策はアメリカ経済に長期の景気拡大をもたらすとともに,大きな弊害を将来の世代に残すことにもなった。そのような問題点として,大幅な経常収支の赤字継続に伴う対外債務の累増も重要であるが,ここでは景気への影響という観点から整理する。第一に家計の行き過ぎた消費による高水準の債務,第二に企業買収ブームの中で増大した企業の債務,第三に不動産部門への過剰投資,第四に金融機関の経営悪化,第五に巨額の財政赤字をあげることができる。これらは80年代の景気拡大の負の遺産として,90年代に引継がれ成長の足かせとなっていくものと思われる。なお,金融機関の経営悪化については,3で取り扱うこととする。
80年代は家計部門で債務が急速に増大した。消費者信用残高の伸びは83年後半から85年にかけて急速に上昇しており,それに伴い消費者信用残高の対家計可処分所得比も上昇した (第1-2-9図)。その後,86年以降は消費者信用残高の伸びは鈍化傾向にあるが,消費者信用残高の対家計可処分所得比は高水準で推移している。このように80年代に急速に債務が増加した背景として,まず第一に住宅,耐久消費財など高額の消費をする際に,金融機関からの借入が容易になったことが挙げられる。第一住宅を購入する場合の頭金の必要額は80年代は低下傾向にあり,住宅価格に対する頭金の比率は80年には20.5%であったのに対し,88年には14.6%にまで低下しているほか,借入の際に必要な担保の額も低下してきている。これらは,家計部門の借入能力を高め,金融機関からの借入を積極的に行わせる背景となった。第二に,住宅価格の上昇が挙げられる。住宅価格の上昇は,家計部門の担保能力を高めることを通じて,消費者信用及びモーゲージ・ローンの借入額の増大に寄与した。第三に,住宅ローン,消費者ローンなど全てのローンに対する利払いが所得控除の対象として認められていたことから,借入に対するインセンティヴが働いたことが指摘できる。但し,86年の税制改革によりモーゲージ・ローン以外の消費者ローン等の利払いの控除が段階的に認められなくなったことから,消費目的の借入れのかなりの部分は,消費者ローンから,引き続き利払い控除が認められるホーム・エクイティ・ローン(住宅を担保に入れて借入れを行う消費者ローンで,モーゲージ・ローンの一種)にシフトした。第四に,住宅ローン及び自動車ローンの証券化を通じて,融資側の資金の固定化が軽減されたことや,金融自由化を背景に,金融機関の貸出競争が激しくなったこと等により,銀行,ノン・パンクをはじめ各機関が積極的に貸出を行ったこと等が挙げられる。
以上,家計の債務増大の背景をみてきたが,これらは相当程度,制度・政策的要因ともいえるものである。つまり,過度に消費促進的な税制及び金融部門における制度的要因が,家計部門に過大な債務を抱えさせ,消費の増大をもたらした。第1-2-10図は,GNPに占める家計消費比率の長期的推移をみたものであるが,この図から80年代に家計の消費者信用残高が増大するにつれ,消費比率が上昇しており,80年代の景気拡大が消費に偏ったものであったことがわかる。この消費に偏った経済成長が家計部門に過大な債務を残したのである。
我が国の消費者信用残高の対可処分所得比も80年代に急速に上昇しており,89年末には20.1%とアメリカとほぼ同じ大きさに達している。しかし,我が国の場合は,短期かつ金利負担の少ない信用の増加が多く,消費者利払い(モーゲージ・ローンに対する利払いは含まれない)の対可処分所得比を日米で比較すると,アメリカでは2%強で推移しているのに対し,我が国では0.5%程度で推移している (第1-2-11図)。このことから,アメリカの方が我が国よりも債務の負担感が重いものと考えられる。
企業の債務残高も80年代には急速な高まりをみせた。企業の債務残高の総資産に占める比率は, 第1-2-12図にみるように,82年以降急増し歴史的にも高い水準となっている。80年代には,M&A(Mergers&Acquisition,企業買収・合併)が一件当たりの規模及び件数ともに未曾有の高まりをみせた。買収先企業の資産を担保とする資金調達に依存したLBO(Leveraged buyouts)と呼ばれる買収が盛んに行われるようになったことも,企業の債務を増加させることに繋がった。一方,M&Aが活発化するにつれ,企業はM&Aに対する防御策として金融機関からの借入及び社債の発行により資金を調達し,自社株を資本市場から買い戻す行動にでたことも,企業の債務を増加させた。なお,80年代半ば以降においては,ジャンク・ボンドのようなリスクの高い社債に対しても,資金が容易に集まったことも企業の債務増大に拍車をかけたと考えられる。
企業の債務比率は高まっているものの,その水準は日本,西欧諸国と比較して低いことから,それほど重要な問題ではないとする見方もある。しかし,アメリカの企業の資産構成は実物資産から金融資産にシフトする一方,民間設備投資の対GNP比の長期的推移をみると(第1-2-12図),80年代は投資比率が低下している。この事実から,企業の債務比率の上昇が必ずしも将来の企業収益の増加には結び付かず,競争力の強化に役立っていないことがわかる。また,キャッシュ・フローに対する利払い比率の高まりは,景気の変動に対する企業体質を脆弱化することに繋がる。事実,企業の倒産件数をみると80年代半ばには景気拡大期にも関わらず増大している。更に,企業の債務負担の増加は,金利変動型債務が増加していることから,金利の上昇に対して企業財務が敏感に反応し,金融当局による金利引上げの影響をまともに受けることとなる。
1980年代には過剰な不動産投資が行わたことから,空き家率及び空室率が上昇した。ここでは,まず,こうした過剰な不動産投資が行われた背景について検討を行う。次に,過去においても不動産については中期的循環がみられたが今回の循環が過去の循環とどのような点において相違があるのか,また,相違があるとしたらその原因は何かについて検討することとする。
商業用オフィスビルについてみると,83年から85年にかけて都市部におけるオフィス需要が高まりをみせたことから,オフィスビルの建設投資が積極的に行われた(第1-2-13図)。しかし,86年以降は建設投資の増加傾向に頭打ちがみられ,90年にかけてほぼ横ばいで推移している。一方,活発な建設活動の結果,オフィスの供給量は大幅に増加したために,空き室率は,80年には4.6%であったが90年6月には18.5%にまで上昇した。このようにして,オフィスビルは大幅な供給超過となった。
このような過剰な商業用不動産投資が行われた背景としては,需要面では,80年代の景気拡大及び産業構造の変化に伴い,都市でのオフィス需要が増加し-たことがあげられる。さらに税制面の要因としては,①81年の税制改革により不動産の加速度償却が認められたこと(但し,こうした優遇税制は86年の税制改革により改められた),②不動産開発等共同事業への資本参加については,その事業から生じた損失は他の所得から控除できるという節税が可能であったことから,共同事業への資本参加が増えたこと(但し,この節税効果は86年の改正で制限が加えられた)等があげられる。また,空室率が上昇し,80年代後半には,供給過剰感が不動産市場に存在したにもかかわらず,86年以降のドル安を背景に不動産に対して日本を始めとする海外からの資金の流入が高まったこと (第1-2-14図)も挙げられる。商業用不動産は,本来,建設に時間を要することから,オフィスに対する需要が減退しても暫くは投資が持続されるものである。しかし,今回は空室率が長期にわたって上昇しているにも関わらず投資が持続的に行われた点が,従来の不動産ブームとは違っていた。その′背景には,既にみたように税制上の優遇措置が行われたことに加え,不動産市場に内外からの豊富な資金流入があったことが挙げられる。
一方,住宅用不動産をみると,83年から86年にかけて住宅需要の増加を背景に全国的なブームがみられた (第1-2-15図)。しかし,その後需要の増加が一巡すると供給過剰になりはじめ,賃貸住宅の空き家率は,87年第3四半期には8.1%の水準にまで上昇した。アメリカでは,70年代前半及び後半にも住宅ブームを経験したが,今回の水準ほどには空き家率の上昇はみられなかった(それぞれのピークは74年6.2%,80年5.4%)。
このように80年代には過去の循環からみても過剰な住宅投資が行われた。この背景としては,需要面では,①1946年~64年の間に生まれたベビー・プーマーの住宅需要が80年代の需要を引き上げたこと,②81年の税制改革で,大幅減税が行われたことに加え,不動産投資の加速度償却が認められ,貸家の建設が・増加したこと,及び③金利が低下傾向にあったこと等が挙げられる。また,供給面では,①80年の金融制度改革法により段階的に預金金利の自由化が行われたこと等を背景に,商業銀行及び貯蓄貸付組合による融資が積極的に行われたこと,②住宅向け不動産貸付の証券化が進展したことにより,資金の貸手側のリスク分散が可能となり,安定的に資金の提供を行えたこと等が挙げられる。
特に,証券化については,オフィスビルなど商業向けモーゲージでは証券化の進展が余りみられないのに対し,住宅向けモーゲージの証券化が進展した。これは,住宅向けモーゲージについては,通常,貸出に際し連邦住宅局等の保証が,更に,証券化の際には連邦機関の保証が付けられるなど,二重の保証が付けられたことによるものと考えられる。このようにして,住宅の供給過剰が続くこととなり,空き家率は8%台まで上昇した。しかしながら,住宅については商業用不動産に比べ相対的に供給が需要に弾力的に反応していることなどから,オフィスビルほどの供給過剰には至っていない。住宅価格の上昇率をみても87年をピークにその後は上昇率の鈍化がみられるもののそれほど大幅な価格水準の下落がみられない。
80年代には,連邦財政の赤字が膨大な規模に膨らんだ。連邦政府の赤字拡大の原因は,歳出が増大する一方で,税収が伸び悩んだことにある。80年代の連邦政府の歳出と税収の伸び率をGNPの伸び率と対比して弾性値を求めると,歳出は1.07となっているのに対し,税収(社会保険料を含む)は0.96となっている。歳出の増加の主な要因としては,①医療保険,年金など社会保障のための移転支出の増加,②レーガン政権による国防費の増加,③利払い費の増加などが挙げられる。さらに,④90年以降は貯蓄金融機関の整理・清算費用の増加が新たな要因として加わっている。歳入の伸び悩みの要因としては,レーガン政権による81年の大幅な減税により,所得税,法人税の収入の伸び率が低下していることが考えられる。
一方,80年代後半には,州・地方の財政収支も悪化してきている。その原因は,80年代後半には歳入の伸び率が低下してきたのに対し,歳出の伸び率が80年代前半の勢いを維持していることである(第1-2-16図)。歳入の伸び悩みの要因としては,81年の包括的財政調整法(Omnibus Budget ReconciliaーtionActof1981)によって,連邦財政から州・地方財政への補助金が抑制されるようになったことが挙げられる。州・地方財政の歳入に占める連邦補助金の比率は80年の22.7%から90年には16.4%へ低下してきている(第1-2-17図)。
図)。同法によって,補助金の削減と同時に,医療扶助,教育等の権限が連邦政府から州・地方政府に一部移されたが,州・地方政府はこれらの項目についての支出を削減するには至らなかった。例えば,医療扶助については,病院・個人医との診療報酬交渉権限や受給資格要件の決定権限が州に与えられたものの,政治的圧力も大きく,支出を削減するどころが,かえって増加させた州もあった。こうした連邦財政から州・地方財政への負担の移転が,州・地方財政収支の悪化の一因となっている。このほか,所得税等に依存した税収構造が,景気が悪化するなかで,歳入の伸び悩みにつながったと考えられる。
以上みてきた80年代の負の遺産は,今後,景気が回復から拡大の過程に移行してゆくなかで,徐々に解消していくとみられる問題もあれば,政策,制度面での何らかの是正措置がとられなければ根本的な解決につながらない問題もあると考えられる。企業部門の高債務比率,不動産への過剰投資は前者の面が強く,家計部門の低貯蓄率,金融機関の脆弱化,財政赤字の拡大などは後者の面が強いと考えてよいであろう。
現在のアメリカ経済では,銀行の貸出が伸びないこと,いわゆる貸し渋りの問題が大きな注目を集めている。
銀行貸出が伸び悩んでいる原因としては,景気の不振に伴い借入需要が低下しているという需要側の要因ばかりでなく,供給側の要因も働いている。すなわち,不良債権の増加等により収益が悪化し,また,金融機関の倒産件数が増加していることから,金融機関がリスクに敏感になったこと,国際決済銀行(BIS)の自己資本比率規制により新規の融資に対して慎重になったことも影響している。銀行の経営状態の悪化は,優良大企業の銀行離れ,ノンバンク・バンクの参入による競争激化等の金融環境の変化の中で生じたものである。現在のアメリカの金融制度の基礎は1930年代に形成されたものであり,最近の金融環境の変化にそぐわないものとなっていることが次第に明らかとなってきている。このため,アメリカ政府は金融制度を抜本的に見直すこととし,金融改革法案を91年3月議会に提出した。
ここでは,アメリカの銀行をとりまく金融環境の変化と,銀行の対応について述べ,金融制度の抜本的な改革が必要となった背景をみる。金融改革法案の概要についてもとりあげることとする。
アメリカの商業銀行が経営悪化に陥った背景としては,80年代に入ってから預金金利自由化に伴って調達コストが上昇したことに加え,大企業が資金調達面で銀行離れをおこしたこと,ノンバンク・バンクが貸出市場に参入し競争が激化したこと等の構造的変化があげられる。
アメリカでは80年代に預金金利の自由化が本格化するまでは,商業銀行や貯蓄金融機関等の預金金利には上限が設定されていた。このため,銀行はインフレ率の上昇に対して預金金利の柔軟な変更ができず,資金は銀行の貯蓄性預金から,より収益率の高い証券等の資本市場へと移動し,銀行は証券命社との競争上,不利な状況に立っていた。こうした状況を踏まえ80年3月に預金金利の段階的自由化がスタートし,86年3月には要求払い預金に対する付利禁止を除いて預金金利規制が撤廃された。
しかし,預金金利自由化は銀行の資金調達コストを高めることになった。すなわち,資本市場への資金の移動を防ぐために,また銀行間での預金獲得競争に勝つためにも,銀行は預金金利を上げざるを得ず,銀行の資金調達コストは高まった。さらに資金調達コストの上昇に対し,銀行は利鞘を確保するために貸出金利の引上げを余儀無くされたが,貸出金利の上昇は,大企業等の顧客の銀行離れを招くことになった。
80年代に入ってから,アメリカの非金融企業の資金調達において,銀行借入の比率が低下し,長期資金については社債,短期資金についてはコマーシャル・ペーパー(CP)の比率が上昇した。その結果,アメリカの非金融企業の資金調達をGNP比率でみると,銀行借入れは80年代にはほぼ一定であるのに対して,社債は80年代半ばから高まる傾向にあり,後に述べるノンバンク・バンクからの借入及びCPは一貫して上昇している (第1-2-18図)。
社債による資金調達が80年代半ばから高まったのは,企業の買収・合併が活発化する中で,資金の調達を銀行の借り入れよりも,社債,特に格付けの低いジャンク債を主体として行ったためである。ジャンク債の金利は高がったが,銀行借り入れよりも容易に資金調達ができた。発行された社債のうち格付がBaまたはそれ以下のものの比率は1974年20.1%,82年21.7%,89年29.3%と高まっている。このほか,金利が80年代半ばに低下したことも社債による資金調達が増加した重要な要因である。企業は低金利のうちに社債を発行し長期の資金を確保しようとしたものとみられる。このように長期資金における社債へのシフトについては循環的な要素もあると考えられるが,次にみるCPについてば,かなり構造的なシフトと考えられる。
CPによる資金調達は,特に大企業にとって,銀行借入れよりもコストが割安となったため増加した。この背景には,預金金利の面での自由化の影響がある。すなわち,80年代の金利自由化により,自由金利商品による調達が大きなウェイトを占めるようになり銀行の資金調達コストが上がったことから貸出金利が上昇した。一方,信用力の高い大企業は資本市場で直接,CPを発行することにより低いコストでの資金調達が可能となった。大企業に対する短期資金の貸付は,銀行にとって安全で収益の上る分野であっただけに,大企業のCPへのシフトは手痛い打撃となった。
アメリカには,一般に「ノンバンク・バンク」といわれる金融機関が存在する。1987年以前の「銀行持株会社法(BHC法)」では「銀行」の定義を「要求払い預金の受入れを行い,かつ,商業貸付業務を行う金融機関」と定義した。したがって「要求払い預金の受入れ」,または,「商業貸付」のどちらか一方しか行わない金融機関の場合はBHC法上の「銀行」に該当しない。「ノンバンク・バンク」はBHC法上の「銀行」に該当しない金融機関の総称である。「ノンバンク・バンク」は「銀行」に課せられていた業務分野規制および州際業務規制を受けることはなく,「銀行」に比べて自由な活動が可能である(注6)。こうしたノンバンク・バンクの例としては証券会社の金融子会社,自動車メーカーの金融子会社等があるが,その貸付は増加しており,銀行の貸付と競合するようになっている。
大企業の銀行離れ,ノンバンク・バンクの参入の他にも金融面では以下のような構造的な変化があった。
第一に銀行業においては情報化に伴う設備投資,および業務拡大にともなう人員の増加等により,銀行経営のためのコストが上昇した。このため高いリターンの期待できる資金運用方法が必要となった。
第二に情報技術の発達により,金融機関では大量の情報を迅速に処理することが可能となり,規模の経済性が高まった。しかし,銀行は州際業務規制により州を越えた業務が許可されていないために,こうした技術革新のメリットが生かされず,そのような規制のないノンバンク・バンクに対して競争上不利な立場に立つこととなった。
このように銀行はこれまでの収益分野が,CPやノンバンク・バンクによって浸食されていく一方,金利自由化による調達コストの上昇等に直面した。そこで,収益を確保するために銀行は新たな分野への貸付を伸ばした。企業買収(LBO)関連融資,不動産(LAND)関連融資がそれである。ラテン・アメリカを中心とした発展途上国(LDC)向け融資も,国内におけるノンバンク・バンク等との競争圧力に銀行がさらされるなかで盛んに行われた。これらはいずれもハイリスク,ハイリターンの貸付であり,これら分野への貸付を伸ばすことで銀行のリスクに対する脆弱性は増していった。90年11月現在の商業銀行の貸付残高は,LDC向け640億ドル,LBO関連1,900億ドル,不動産7,910億ドルとなっている(米財務省,「金融システムの近代化」(91年2月))。
米銀のラテン・アメリカ向け等の融資は1970年代から80年代初めにかけて急増した。これに伴い米銀の資産に占めるラテン・アメリカ向け貸付のシェアは著しく高まった。当時ラテン・アメリカの信用力は高く,投資収益率が高いと考えられたことや,ユーロ市場で変動金利によるシンジケート・ローンという新たな金融手法が開発されたことにより,これら諸国の政府や政府保証機関に対する中・長期の貸出が大きく伸びた。
しかし,1982年に発生したメキシコの債務危機以降,LDC向け融資の不良資産化が急激に進んだ。87年にはブラジルが利払い停止宣言をし,その後は銀行が債権の一部を事実上,放棄せざるを得ない状態になった。そこで,87年に米銀は大規模な貸倒引当金の積み増しを行ったため,収益は大幅に悪化した (第1-2-19図)。89年にも同様に貸倒引当金の積み増しが行われた。
80年代半ば以降のM&A(企業の吸収・合併)プームの中で,LBO(買収先の資産を担保にした借り入れにより買収を行う)という新しい金融手法が開発され,銀行は積極的にLBO関連融資を行った。この背景には金利が高いこと,貸出額に応じてM&Aの仲介手数料がつき,銀行にとっては有力な収益源になったこと等があげられる。
しかし,88年頃がら金利が上昇し,景気も次第に減速傾向を強めるにつれて企業の業績が悪化した。被買収企業の収益が悪化するなかで,利払負担が増大したことから,LBO関連融資の不良資産化が進んだ。
80年代半ばに不動産に対する投資が高まりを見せ,不動産価格は著しく上昇した。こうした不動産ブームの中で,銀行は不動産向けの融資を大きく拡大し,銀行の総融資額に占める不動産向けの融資の比率は85年の29%から,90年には40%に上昇した。
このように銀行は積極的に不動産関連融資を行ったが,80年代後半に入ると既に不動産投資の過剰が目立ち始め,不動産価格は頭打ち若しくは低下傾向となり,次第に不況感を増していった。しかし,80年代後半にはドル安を背景に,日本をはじめとする海外からの不動産投資が増加した(第1-2-14図参照)。特に日本からの不動産投資の増加は著しく,海外からの対米不動産投資総額に占める日本のシェアは,83年には4.2%であったものが,87年には22.2%,89年37.8%,90年45.8%と急激に上昇した。このように不動産ブームが終わりに近づきつつあった時期に,日本を主体として海外からの不動産投資が急増したことは,不動産不況を長期化させ,深刻化させたものと考えられる。
不動産不況が深刻化するにともない不動産関連融資の不良資産化が進んだ。
LDC向け融資,LBO関連融資がマネーセンター・バンク(厳密な定義は無いがニューヨークに本部を持つ大手11行を指すことが多い)等を中心とした問題であるのに対して,不動産関連融資は銀行の大小を問わずに全米で広がりつつある問題であることから,その影響は大きいといえる。
LDC向け融資,LBO関連融資,不動産関連融資(総称して,「3つのL融資」ともいわれる)が一時期盛んに行われ,その後いずれも不良債権化した背景には,借り手側の問題と同時に,貸し手側である銀行にもいくつかの問題があったものと思われる。
まず,第一に融資リスクに対する認識の甘さがあげられよう。LDC向け融資については,中南米等の資源を有する途上国の成長に対する過大な評価があった。また,借手である政府が債務の返済不能に陥るという事態を想定していなかった。LBO関連融資については,被買収企業の債務の増大への認識が甘かったと考えられる。不動産関連融資についても折からのブームの中で金融機関間での貸出競争が激化し審査が甘くなった可能性がある。
第二に,金融面の技術革新がリスクの過少評価につながった面もあると考えられる。LDC向け融資については変動金利によるシンジケート・ローンという手法が開発された。この手法は,短期の資金を調達して長期の貸出しを行う銀行にとって,金利変動のリスクを小さくする機能があると期待された。また,多数の銀行と協調融資を行うことで,個々の銀行が被るリスクを小さくできると考えられた。LBO関連融資についてはジャンク債が広範に利用された。ジャンク債も融資リスクの分散を可能にするため,銀行のリスクへの認識を甘くさせた可能性がある。不動産関連融資については証券化があげられる。銀行が保有する不動産貸付債権を証券化することにより,銀行は融資資金を流動化できる。また,融資に伴うリスクを証券の購入者に転嫁することができることとなった。
なお,3つのL融資の問題については,日本の金融機関または企業が遅れて参加したことがあげられる。不動産向けの融資と直接投資だけでなく,LBO関連融資やラテン・アメリカ向け等の融資の面でも,ブームが終わりかけようとしていた段階で,日本が資金供給者として参加した。このような動きは,3つのL゛のそれぞれのブームと不況の振幅に影響を及ぼしたとみられる。日本の資金が遅れて参加した背景としては,海外の経済情勢等に対する情報収集,審査能力がまだ不十分であったこと,海外に有望な投資機会を求める資金的余裕が国内にあったこと等があげられる。
資金調達と融資の両面から収益を圧迫された銀行は,リスクの高い資産への運用を増加させていった。こうした状況の下,銀行の収益率は80年代を通じて低下傾向をたどった。また,銀行の倒産件数は80年代に急増し,かつてない高水準に達した。この結果,倒産した銀行に対する預金保険基金からの支払いが増え,預金保険基金が急速に減少した。預金保険がカバーする総資産に対する基金の比率も極めて低くなり,放置すれば信用システムにも影響が及びかねない事態となっている。経営状態が悪化したことにより,リスクに敏感になった銀行は,BISによる自己資本比率規制もあり,新規の貸出しに対して慎重になった。この結果,いわゆる貸し渋りの問題が発生した。連邦準備理事会(FRB)は,90年7月には,銀行の貸し渋りに対応するために金融の緩和措置をとった。銀行の資産構成の変化を見ると,最近,比較的リスクの高い一般のローンの比率が減少し,リスクの低い政府証券の構成比が上昇していることがわかる(第1-2-20図)。また,海外へ融資していた資金を引き上げ,国内に回帰する動きも90年以来目立つようになっている。
このように銀行の経営状態の悪化を反映して,国際的にみたアメリカの銀行の地位が相対的に低下した。資産総額でみると,1983年末には世界の銀行上位20行に米銀は3行入っていたが,90年末には1行しか入っていない。
以上みてきたようなアメリカの金融部門の脆弱性は,必ずしも循環的あるいは一過性のものではなく,背後にある金融制度と密接に結びついて生じた問題である。また,金融部門の脆弱性は先にも述べたように預金保険基金の減少といった問題を引き起こし,最終的には国民の負担増加につながるなど,単に金融部門にとどまらない問題を抱えている。こうしたことから,金融制度の改革は急務となった。
以上のようにアメリカの金融面の脆弱性が明らかになってきたことから,金融制度を抜本的に見直す気運が高まった。アメリカ政府は1991年2月に金融改革案を発表した。
以下では①預金保険制度,②業務分野規制(銀行・証券分離),③州際業務規制に関して改革案の内容を紹介する。
① 預金保険制度の見直し
1930年代に作られた預金保険制度は,その名の通り銀行が経営危機に陥った場合に小口の預金者を保護することにより,信用危機を未然に防ぐ制度である。現在では個人の預金は1口座当たり10万ドルを限度として,独立した政府機関である「連邦預金保険公社(FederalDepositInsuranceCorporation=FDIC)」により保護されている。FDICの保険料率は銀行毎の資産内容や経営状態の違いに応じて細分化されておらず,一律の保険料となっている。したがって銀行はハイリスクの資産運用をしても,預金を集める上で何ら支障はなく,むしろ,預金者に対する最終的な責任を自ら負わずに済むことから,ハイリスクの資産運用に走る行動(モラル・ハザード)をとる可能性がある。
一方,銀行の倒産件数が80年代に急増する中で,FDIC加盟行の総資産残高に対する預金保険基金の比率が急速に低下し,預金保険制度に対する信頼を揺さぶりかねない状況となっている (第1-2-21図)。
このように現在の預金保険制度にはモラル・ハザードの問題と,預金保険基金の減少という2つの問題が存在するため,見直し議論が出てきた。
改革案は大きく分けると,①預金保険による付保の限定,②リスクに応じた預金保険料率の導入,③預金保険基金の拡充策から成っている。
第一の預金保険による付保の限定については以下の通りである。機関投資家の預金に対する付保を限定するとともに,プローカー預金(注7)に対する付保を廃止する。個人預金に関しては2年間の経過期間をおいた後,1金融機関あたり10万ドルに制限する。ただし,将来的には,1預金者あたり10万ドルを限度とする制度に移行させるため,FDICはその可能性について研究を開始する。また,「大きい銀行は倒産させない」という考え方(注8)を排除するため,金融機関の規模によって保険の適用を差別することをやめる。
第二のリスクに応じた預金保険料率の導入については,自己資本比率の水準に基づいて保険料に格差を導入しモラル・ハザードの問題を防ぐ。また,将来的には私的保険による保険料設定も試みる。
第三の預金保険基金の拡充策については,預金保険料の引上げで対応する。
② 業務分野規制の見直し
銀行経営の健全性を確保するために制定された「l933年銀行法」によって,銀行は証券業務についての規制を受けるようになった。その内容は,①債券および株式の引受けの禁止,②銀行が証券業を主として営む会社と系列関係に入ることの禁止等である。しかし,公共債の引受け・ディーリング,私募債発行の斡旋,海外での証券業務等は規制の対象外であったため,銀行はこれらの分野で積極的に証券業務を行っている。
銀行は,手数料収入を強化し収益源の多様化を図るため,新規証券業務への進出を70年代から開始した。その際に銀行は,法律の解釈上進出が可能な分野への進出を試み,裁判を通じてその正当性を確定するといった方法をとった。このような新規業務には,ディスカウント・ブローカレッジ業務(75年開始,88年合法が確定) (注9),フル・サービス・ブローカレッジ業務(86年開始,88年合法が確定)(注10),CP発行斡旋業務(78年開始,87年合法が確定)等がある。
最近,連邦準備理事会(FRB)には上記のようないわば「例外的」な認可から,条件付きながらも広範な証券業務を認める姿勢が見られるようになった。87年,FRBは大手銀行持株会社の証券子会社によるCP,モーゲージ担保証券等の引受けとディーリング業務への進出を認可した。ただし,これら証券の引受けディーリング業務からの収入が当該証券子会社の総収入の5%以内であること等の条件がついている。この認可措置は88年に合法であることが確定した。その後も,89年には証券子会社による社債の引受け・デイーリング業務を認可,90年には株式の引受け・ディーリング業務を認可するなど銀行の証券業務を認める動きが続いた。
このように徐々に,銀行の証券業務に対する規制を緩和する中で,業務分野規制の改革案が発表された。その内容は,ある一定水準以上の自己資本比率を維持している銀行に対して,金融サービス持株会社の設立を認めるというものである。金融サービス持株会社とは現在の銀行持株会社を発展させた概念であり,銀行業務,証券業務,投資信託業務および保険業務に携わる会社を傘下に持つ。ただし,改革案では不動産開発業務,不動産売買業務は認めないとなっている。
③ 州際業務規制の見直し
アメリカでは商業銀行の州を超えた営業は原則的に禁止されており,各州内での支店設置についても各州法の下で各州当局の決定に委ねられている。
このような地理的制限は,市場への参入障壁となるとともに,銀行の営業範囲の地域経済が停滞すれは,銀行は直接その影響を大きく受けるといった弊害を生み出す。
ところで1982年頃から州によっては,州外の銀行持株会社に限って進出を認めるように,州法の改正を行っているところがある。現在では33州で全州からの進出が認められ,13州では隣接州など特定の州に限り参入が認められており,全面的に州外からの参入を禁止しているのは4州にすぎない。このように州法レベルでは徐々に銀行持株会社による州際業務が認められている。
しかし,銀行持株会社方式による州際業務への進出は,支店形態による進出に比べて,銀行にとって著しいコスト増となっており,銀行の競争力の育成を阻害している。例えば,持株会社方式では進出先の州毎に個別の銀行を取得する必要がある。その結果,各銀行毎に取締役会,コンピューターシステムを保有することになる他,各州の監督当局への報告書提出,会計監査の実施や決算書の作成を各銀行毎に行わなければならないなど,極めて効率が悪い。
州際業務規制の改革案では,銀行持株会社に対しては,3年後に銀行業務の完全な全国展開を認めるとなっている。また,国法銀行(注11)に対しては,当該銀行の持株会社が銀行取得を行い得る全ての州において,州外支店の設置を認めるとなっている。
広大な国土をもつアメリカは,地域により経済パフォーマンスに大きなばらつきがみられる。今回の景気後退においても経済パフォーマンスには地域によるばらつきがみられた。最も大きな特徴は,アメリカの北東部のニュー・イングランドと呼ばれる地域において,特に景気後退が深刻であったということである。非農業部門の雇用者数の伸び率をみると,今回の景気後退では北東部,中東部,南東部の減少が目立ち,前回(81年~82年)の後退期に強い打撃を受けた五大湖周辺,平原部の受けた影響は小さかった (第1-2-22図)。
ニュー・イングランドでは80年代のアメリカの景気拡大期の特徴が典型的に現れた。すなわち80年代後半の景気の過熱と不動産ブーム,その後の急速な景気悪化と金融不況という現象がもっとも顕著に現れた。このような現象は,金融業の発達した大都市を抱える中東部や南東部などの大西洋岸へも及んだ。また,自動車などの耐久財製造業を抱える五大湖周辺地域は,前回の景気後退(81年~82年)の際には,ドル高などによる自動車輸出の不振により,全米の中でもっとも打撃を受けた地域であったが,今回の景気後退においては,比較的打撃は軽く,雇用者数の減少率は全米の平均と同程度であった。太平洋沿岸では,景気後退に入ったのは比較的遅かった。しかし,国防費の抑制の影響で国防産業が打撃を受け,91年には,早ばつにより農業が打撃を受けたことに加え,不動産価格の低下がみられるようになり,景気は悪化した。カリフォルニア州では,高い住宅価格や厳しい環境保護規制を避けて企業が州外へ流出した。
一方,ロッキー山脈周辺地域では,比較的低い住宅価格や恵まれた環境を求めて,カリフォルニア州などからの企業の移転もあって,経済活動は活発であった。原油生産地のテキサス州などを含む南西部は,80年代半ばの逆オイル・ショック以降の不動産不況を克服し,今回の景気後退においては,不動産市場の悪化はみられなかった。湾岸戦争の影響による原油価格の上昇もあって,逆オイル・ショック時に比べると好調であった。アメリカ中央の農業地帯の平原部では,農産物価格が堅調であったこと等から,景気後退を逃れた。
以下では,今回の景気後退期にもっとも大きな打撃を受けたニュー・イングランドと,今回の景気後退では比較的軽い打撃を受けるにとどまった五大湖周辺地域についてくわしく述べることにする (図1-2-23図)。
ニュー・イングランドの経済は,80年代前半には,コンピューター産業(中でもミニ・コンピューターと呼ばれるオフィス用中型コンピューター)や軍需産業などハイテク産業の生産増により好況となった。軍需産業については,この地域は,全米のなかでもっとも軍需に依存している地域であり,レーガン政権による国防費拡大の恩恵を得ることができた。さらに金融業も,85~86年のM&Aブーム,株価高の中で,活況を呈した。このような好況を背景に,80年代半ばから不動産ブームが起こり,不動産価格は急騰した。このブームを支えたのは金融機関の不動産向け貸付の増大であった。ニュー・イングランドの銀行は,途上国への融資,農業融資,石油融資により損失を被り,他の有利な貸し付けの機会を探していたが,折りからの不動産ブームに,不動産貸し付けを積極的に行った。
88年以降,ニュー・イングランドは景気後退に入った。この要因としては,まず,製造業が不振に陥ったことがあげられる。コンピューターが高性能になったことから需要がミニ・コンピューターからパーソナル・コンピューターへ移り,ミニ・コンピューター産業は打撃をうけた。また,連邦政府による国防費の抑制も軍需産業に打撃を与えた。さらに景気後退を決定的なものにしたのは,不動産ブームの反転である。90年ごろからは,不動産の超過供給が発生し,不動産価格が下落するとともに,銀行部門で不良資産が増加し,銀行の経営を圧迫した。91年初めには,80年代に積極的に不動産貸し付けを行ってきたバンク・オブ・ニューイングランドが事実上倒産した(米銀史上第三位の巨大な倒産)9このような銀行経営の悪化に対応し,銀行は新規の貸し付けを縮小したため,貸し渋りが起こった。また,コネティカット州のブリッジポート市では91年6月に予算を成立させることができずに破産を申請しているほか,他の州・市でも,歳出カット,増税を行っている。こうした状況の中で,ニュー・イングランドは景気後退からの脱却が遅れている。
五大湖周辺地域は,全米で最も製造業(特に耐久財)の集中している工業地域であり,自動車産業が盛んなデトロイトや,シカゴがその中心都市である。
前回の景気後退期には,原油高や,ドル高による輸出競争力の低下という悪条件もあって,自動車産業は大きな打撃を受けた。この地域では,多くの工場が閉鎖されてレイ・オフが行われ,82年の非農業雇用者数の減少率は全米で最も大きい4.0%となった。
今回の景気後退期において,前回よりも比較的打撃が軽がったが,その要因としては,①前回の後退期以降,産業構造の多様化を進め,製造業への依存度を低下させたこと,②製造業において輸出競争力が高まり,特に資本財の輸出が伸びたこと,③軍需産業への依存度が低いため,近年の国防費の抑制の影響を受けなかったこと,④ニューイングランドでみられたような,金融資本市場の活況を背景とする事務所等に対する不動産ブームがなく,したがって不動産の過剰供給がなかったこと,⑤競争力の高い日本の自動車メーカーが進出し,現地生産を始めたこどなどがあげられる。ニュー・イングランドと対比すると,製造業の競争力強化を図り,地道に生産基盤を強化したことが,五大湖周辺地域の不況への抵抗力を強めたものと考えられる。その意味でアメリカ経済の今後のあり方を教示するものといえる。