平成3年

年次世界経済白書 本編

再編進む世界経済,高まる資金需要

経済企画庁


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第1章 世界経済の現局面とその特徴

第4節 湾岸危機後の石油市場

湾岸危機による石油価格の急騰は,90年後半から91年前半にかけて,世界経済の攪乱要因となったが,その影響は過去2回の石油危機と比べて比較的小さなものにとどまった。ただし,石油市場にはいくつかの特徴的な変化が見られた。以下ではこのような点について検討を加える。

1 今回の石油価格上昇の特徴

90年8月2日に勃発した湾岸危機は,過去2回の石油危機と比べて,価格高騰の期間が短かかったこと等から,世界経済,特に先進工業国に与えた影響は比較的軽微であった。ここでは,今回の石油価格の動きと経済への影響をとりあげる。

(1)原油スポット価格の推移

90年8月2日,イラクがクウェイトに侵攻し,湾岸地域における緊張が一気に高まった。それに伴い,原油価格は急騰し,9月下旬から10月上旬にかけて40ドル台(北海ブレント,1バレルあたり)まで上昇した (第1-4-1図)。その後は湾岸情勢の変化に対応して大幅に変動したが,趨勢としては価格は下降局面に入り,12月上旬には20ドル台後半まで下落し,その後91年1月上旬まではこの水準で推移した。多国籍軍がイラク軍に対して設定した1月15日の撤退期限が近づくにつれて価格は再び上昇し,30ドル程度まで値上がりした。しかし1月17日に武力行使が開始されると,戦闘は短期に終結するという市場の期待感等から価格は20ドル程度にまで急落した。その後は,概ね10ドル台後半から20ドルをやや上回る比較的小幅な変動となった。

過去2回の石油危機では,原油価格は急上昇した後,高値で推移もしくは上昇を続けた (第1-4-2図)。しかし,今回の湾岸危機では,90年8月初めの危機発生と同時に急騰したが,翌91年1月中旬にはほぼ湾岸危機発生前の水準に戻り,価格高騰の期間は短いものとなった。

このように今回の湾岸危機において価格高騰の期間が短いものとなった理由としては,サウジ・アラビアを中心に原油の増産が行われたこと,先進国の原油の備蓄水準が過去の石油危機に比べて高かったこと,景気の不振,暖冬を背景に石油に対する先進国の需要が減退したこと,以下に述べるように,市場による原油価格の決定がなされたこと等があげられる。

(2)製品価格の推移

湾岸危機が勃発すると,石油製品価格も大幅に上昇したが,その上昇幅は原油を上回るものとなった (第1-4-1図)。また,91年1月中旬以降原油価格が急落したにもかかわらず,石油製品価格は高水準で推移した。このように今回の石油危機においては「原油安・製品高」という現象がみられた。

この製品高の背景には,長期にわたる景気拡大の中で世界的に石油精製設備が不足気味であったことがあげられる。世界の石油精製能力は80年代前半は減少傾向にあったが,85年を底として増加に転じている。しかし,85年から89年の4年間の精製能力の伸びは年平均で0.2%と同期間の生産の伸び3.1%に比べてはるかに低く,石油精製設備の不足傾向は強まった。こうした状況があったことに加え湾岸危機の勃発は,世界でも有数の精製能力を有するクウェイトの石油精製施設が操業停止に追い込まれたことから石油製品価格は急騰した。

これらの要因の他に,多国籍軍の湾岸への展開および戦闘によりジェット燃料等の需要が急増したことが,石油製品の不足傾向に拍車をかけた。今回の湾岸危機により,石油精製能力の不足という問題が明らかになったことから,世界的に精製能力増強の必要性が再認識された。

(3)市場による原油価格の決定

(原油価格の決定権の変化)

原油価格の決定権は大まかにみると,次のように移り変わった。1960年代までは欧米を中心とした国際石油資本(メジャー)が価格支配力を持っていた。

1970年代にはOPECという供給国間のカルテルが価格支配力を持った。これに対し,80年代は市場が価格を決める時代となった。ここでは,今回の湾岸危機における原油価格の動きの特徴を,直物と先物の価格動向に注目して,市場での期待が価格を決める上で重要な役割を果たすようになっていることをみる。

(先物市場の動き)

原油価格は,原油市場における多数の市場関係者の期待によって大きく左右されるようになってきている。この点で,過去,メジャーやOPECが価格決定権を持っていた時代とは大きく異なってきている。しかも,市場関係者の価格の先行きに対する期待は,種々の情報により大きく影響を受ける。この結果,原油市場の先行きに関する情報が価格を大きく動かすようになっている。こうした特徴は今回の湾岸危機における先物市場の動きを見るとよく理解できる。先物価格をみると,市場関係者の原油価格の先行きに対する見方が分かる。90年8月2日の湾岸危機勃発前における先物市場は,期近物よりも渡し月が先(例えば6カ月先)の物の方が高かった。これは,多くの市場関係者が,7月下旬のOPEC総会で石油価格の建て直しが合意されたこと,およびイラクの強硬な姿勢が湾岸での緊張を高めつつあるという情報により,原油の先高感を持っていたことを表している (第1-4-3図)。しかし,湾岸危機勃発後,直物の価格が急騰したときには,逆に期近物より渡し月が6カ月先の物の方が3ドル程度安い状態となった。これは市場関係者が,湾岸危機が比較的短期で終結するとの期待を持っていたことを表している。

次に武力行使が開始された前日の先物市場を見ると,期近物は32ドルと高く,6ヵ月先物は24ドルと8ドル安い状態になっていた。しかし翌日の1月17日に武力行使が開始されてからは,直物価格は20ドル程度にまでおよそ10ドル急落した。この時め先物価格は,期近物から渡し月が6ヵ月先の物までほぼ20ドルの水準となっていた。これは市場関係者が,多国籍軍の圧倒的有利との情報が伝えられる中で湾岸危機は速やかに終結し,原油価格もそれに対応して下がるとの期待を持っていたことを表している。危機終了時にはどの程度まで価格が下がるかについての市場関係者の見方が,先物市場を通じてあらかじめ広く知られていたことが,直物価格の速やかな下落につながったものと考えられる。

もし,先物市場が無ければ原油価格の大きな変動はもう少し小幅にどどまっていたかもしれない。しかし,先物市場が存在することによって価格変動にともなうリスクをヘッジすることが可能となっており,また,先物市場で成立する価格は原油価格の先行きに関する情報を,広範囲の人々に迅速に伝えるという重要な役割を果たしたと考えられる。

(4)過去の石油危機との比較

70年代前半における第1回目の石油危機が,長期間にわたる景気拡大と,物価の上昇局面で発生したのに対して,今回の湾岸危機は,世界的な景気減速局面の中で発生した。物価上昇率も,過去2回の石油危機と比較すれば落ち着いた状態にあった。また,原油価格の値上がり状況を比較すると,第1次石油危機の時は約4倍(1バレルあたり3ドル→12ドル)に急騰した後,高値で推移した。また,第2次石油危機の時は上昇幅は約2.4倍(同14ドル→34ドル)となり,約4年間にわたって上昇した。これに対して,今回は上昇幅はピーク時でみると約2.2倍(同16ドル→35ドル)となり,第2次石油危機め時とさほど変わらないものの,上昇期間は半年で,しかもほぼもとの価格水準に戻った。

さらに,GNP一単位当たりの石油消費量をみても今回は第1次危機,第2次危機と,比較して低下している。したがって,今回の湾岸危機では過去2回の危機のような,激しいインフレは回避でき,実質経済成長率の落ち込みも大きなものにはならず,先進国経済に対する影響は小さかった。

しかし,非産油発展途上国は,依然として経済の石油依存度が高いこと,中東地域への輸出が大幅に減少したこと,中東地域への出稼ぎ労働者からの送金が減少したこと等から大きな影響を受けた。

2 産油国経済への影響

湾岸危機による先進国への影響は比較的軽微なものとなり,91年前半でほぼ出尽くしたものとみられる。しかし,湾岸産油国は,武力行使のための費用,周辺国への援助費用,湾岸危機後の復興費用等のため,多額の費用が今後とも必要となる。ここでは,主に資金面から湾岸産油国経済への影響をみてゆくこととする。

(1)クウエイト

クウェイトでは原油の輸出停止により,収入が大幅に減少した (第1-4-1表)。また,原油生産については,イラクの侵攻中に大部分の油田に火が放たれ,生産がストップした。このため,湾岸危機終結後,消火活動は精力的に進められ,11月上旬には終了した。消火した油井についても再度掘削や修理を行わなければならないものが相当数あるといわれており,今後の進捗状況にもよるが,生産が湾岸危機勃発前の日量200万バレル程度にまで戻り,輸出が本格的に再開されるまでにはまだしばらく時間がかかる見込みである。石油製品についても本格的な生産・輸出にはまだしばらく時間がかかるものとみられる。クウェイトにはハイテクで装備された製油所が3ヵ所あり,合計の製油能力は日量約80万バレルであった。しかし湾岸危機発生と同時に操業を停止したのに加えて,イラク軍の攻撃により大きな被害を受けた。91年8月末にはクウェイト最大の製油所であるアハマディ製油所が操業を再開したが,当面は日量17万バレルの操業にとどまる模様である。

このように,原油・石油製品の生産・輸出が本格化するには時間がかかるため,今後も収入面では厳しい状態が続くものと考えられる。

支出面では,主に戦後の復興費用等が重点となるとみられる。復興費用は,200~300億ドルという見方が多い。このように収入面が厳しい状況である反面,復興費用等の膨大な資金需要が発生することから,クウェイトは多額の資金調達に乗り出すと見込まれている。

クウェイトの復興には資金面での問題に加えて,労働力不足という問題が存在する。湾岸危機が発生する前のクウェイトの人口は約200万人であったが,そのうちクウェイト人は約70万人にすぎなかった。残りの約130万人は他のアラブ諸国やアジアからの外国人労働者であり,湾岸危機発生と同時に,クウェイト人と同様に外国人もクウェイト国外に逃避した。湾岸危機終結後,クウェイト政府は,外国人の再入国を制限することにより,クウェイトの人口を湾岸危機前の200万人から130万人程度に削減し,クウエイト人の比率を60%程度に高める構想を固めたとされる。外国人はクウェイトの社会・経済を多方面で担っていたが,入国制限によりクウェイトの労働力は不足し,復興にも影響が出るものと考えられる。さらに政治面での安定化を図る上で,湾岸危機発生以前から課題とされていた民主化にも積極的に取り組む必要がある。

(2)イラク

イラクでは原油の輸出停止により,収入が大幅に減少した (第1-4-1表)。

原油の生産設備については,クウェイトほど大きな被害は出ていない模様である。国連はイラクの生産能力を日量145.5万バレルと推定しており,湾岸危機勃発前の半分程庫の量の生産が可能であると言われている。91年8月には国連が食料・医療品の購入という人道的理由のために16億ドル相当(日量約50万バレルで約6ヵ月間)の石油売却を承認した。しかし,経済制裁が依然続いているため,本格的な原油輸出再開までにはまだ時間がかかるものとみられる。

一方,支出面では湾岸危機に際しての戦闘のための費用および戦後の復興費用等が必要となり,さらには賠償金を支払う必要があるため,巨額の資金が必要とみられる。その規模はCIAの推計(91年6月)によれば総額で300億ドルに上るとみられている。

このようなことから,イラクの本格的な経済復興は,当面困難な状況にあるとみられる。

(3)サウジ・アラビアに対する影響

収入面では,原油価格の上昇および原油の増産により石油収入が大幅に増加した (第1-4-1表)。

反面,支出面においても湾岸における武力行使のための費用,多国籍軍への支援費用,軍備拡張費用,周辺国への援助費用等により増加し,大規模な資金需要が発生したものとみられる。このうち,武力行使のための費用,多国籍軍への支援費用,周辺国への援助費用は,一時的な支出であるが,軍備拡張費用については将来にわたる継続的な支出となる恐れがあると考えられる。

資金需要の規模については総額で500億ドルを上回るともいわれている。90年のサウジ・アラビアの石油収入が394億ドルであることから,これは同国にとってかなり大きな負担であることは否定できない。このためサウジ・アラビアは湾岸危機終結後,2度にわたって合計70億ドルの借入計画を発表した。

(4)産油国の資金需要

湾岸危機では原油価格の高騰期間が短かったこともあり,産油国の資産の積み上がりは短期で終わったものとみられる。多額の対外資産を保有し,これまでは,世界の金融市場に対する資金の供給者であったサウジ・アラビア,クウェイトの両国が多額の資金調達に乗り出せば,国際金融市場に少なからぬ影響を与えると予想される。

3 湾岸危機後の石油需給

(1)OPECの生産動向

湾岸危機勃発により,イラクとクウェイトの両国分を合わせて日量400万バレル以上の原油が石油市場から事実上消失することとなった。このため,OPECの原油生産量(IEAによる)は,90年7月日量2,320万バレルから8月同1,990万バレルへと大幅に減少した。

しかし,OPECは90年8月下旬の閣僚監視委員会で必要に応じて自主的に増産をすることを表明し,OPECの生産量は90年9月日量2,250万バレル,90年第4四半期同2,310万バレルと回復した。

91年3月中旬に開催されたOPEC閣僚監視委員会において,OPECの91年第2四半期の生産上限を日量2,230万バレルとし,小幅減産をすることが合意された(91年3月OPEC生産量は日量2,320万バレル)。さらに,6月上旬のOPEC総会において,91年第3四半期もこの上限を維持することが合意された。OPECの91年第2四半期における原油生産の実績は日量2,260万バレルに減少した。

しかしその後は,サウジ・アラビアの増産により7月日量2,330万バレル,8月同2,360万バレルと増産傾向にあった。9月下旬のOPEC閣僚監視委員会では,OPECの91年第4四半期の生産上限を日量2,365万バレルに引き上げることが合意され,現行の生産水準をほぼ追認する形となった。

(2)湾岸危機終結後のOPEC体制

ところで湾岸危機を契機としてOPECが増産体制に入った際に,サウジ・アラビアは大幅な増産をし,OPECでのシェアを拡大した。サウジ・アラビアの生産量をみると,90年7月日量530万バレル,8月550万バレルの後,9月750万バレル,12月には830万バレルとピークを迎えた。その後,91年3月のOPEC閣僚監視委員会の合意を受け,4,5月は700万バレル台となったものの,6月以降は再び800万バレル以上の生産を行なっている。

この増産により,サウジ・アラビアの影響力は増大し,OPEC内での石油需要拡大を目指す「穏健派」の発言権が強まった。これは,91年3月上旬のOPEC閣僚委員会における合意に顕著に現れている。1月中旬に原油価格が急落して以来,OPEC原油のバスケット価格は1バレル21ドルの最低参考価格を3~5ドル下回る状態が続いており,アルジェリア,リビア等は大幅な減産による価格建て直しを主張した。しかしサウジ・アラビアは大幅な減産には反対し,結局,生産上限は日量2,230万バレルと小幅な減産にとどまった。

サウジ・アラビアが大幅減産に反対した理由は,湾岸危機の最中に拡大した自国のシェアを維持し,さらには石油需要を拡大することに力を入れているためである。大幅な減産により急激に価格が上昇することは,石油需要の減退を招くことにもなりサウジ・アラビアにとっては好ましくはない。さらに,サウジ・アラビアは先に述べたように今後,膨大な資金を必要としている。この資金を確保するためにも,湾岸危機での増産により拡大したシェアを維持し,高水準の生産を続けたいという意図があるものと考えられる。

(3)原油供給面でのOPEC依存度の高まり

過去の原油生産の動向をみると,OPECの原油生産は85年を底として増加基調にある一方で,非OPECの生産量は頭打ちの状態となっている。その結果,世界の原油生産に占めるOPECのシェアは85年を底として上昇基調にある。したがって,供給面におけるOPECへの依存度は高まりつつあり,今回の湾岸危機においてはそれがより顕著になった(第1-4-4図)。

非OPECの生産動向をみると,世界最大の産油国であるソ連は,石油生産設備の老朽化が進む中で油井に水を注入する「水攻法」をとるなどかなり無理な生産を続けている。さらに,新規の投資が進んでいないこと,国内の政情が不安定であること等から原油は減産傾向にあり,輸入国になる可能性も一部で言われている。北海も今後,大幅な増産を見込めないことは,今回の湾岸危機における増産幅が日量50万バレル程度にとどまり,サウジ・アラビアの同300万バレルにはとうてい及ばなかったことからも明らかである。アメリカについても,零細油田が多いこと,新規の開発は地理的,経済的にも困難が予想されること,環境問題への関心の高まりから開発そのものに対する反対が予想されること等から,大幅な増産を見込めないと思われる。一方,原油の確認埋蔵量をみると,OPECは1990年末現在で全世界の76.6%と圧倒的なシェアを誇っている (第1-4-5図)。

以上のように,非OPECの生産量が伸び悩むなかでOPECのシェアは今後も上昇することが予想され,供給面でのOPEC依存度はますます上昇するものと考えられる。

(4)OPECの原油増産計画

将来,OPECへの供給依存度が高まると予想される中で,OPECの原油の生産量は充分であろうか。

OPECの原油生産の稼働率をみると83年から上昇傾向にあり,OPECの生産余力は減少する傾向にある (第1-4-6図)。

需要面をみると,91年後半からは米国をはじめとした世界経済の成長が回復する見込みであり,世界の石油需要は再び増加するものと思われる。特に,経済の急速な成長が続いているアジア地域においては石油需要の高い伸びが続いており,今後もこのような傾向は続くものと思われる (第1-4-7図)。国連は,中・長期的な需要動向について90年代を通じて世界の石油需要は毎年2%,日量約130万バレルの増加,世界銀行はOPEC原油に対する需要は毎年同100万バレルの増加になると予測している。

このようにOPECの稼働率が既に高い水準にあること,今後もOPECに対する需要が増大を続けることを考えると,OPECの生産能力を拡張することは不可欠なものと思われる。

ここでOPEC主要国の増産計画をみると,サウジ・アラビアは94年までに生産能力を日量1,000万バレルとすることを目標とし,今やOPEC第2の生産国となったイランは93年までに同500万バレルを目標とすることを明らかにしている。

OPEC全体の生産能力については,スブロトOPEC事務局長が現在の生産能力の日量2,800万バレルから,95年までに同3,300万~3,400万バレルの生産能力が必要であると述べている。同時に生産能力の拡張のためには,西側先進国の資金及び技術面での協力が不可欠であるとしている。

このように,湾岸危機後の復興という比較的短期的な資金需要に加え,長期的にも原油増産のために巨額の資金が必要である。今後は,産油国と消費国である先進国との間で資金と,技術面での協力関係がますます重要性を増していくと考えられる。

(5)産油国と消費国の関係の変化

(産油国と消費国の対話)

91年5月末に,イランの主催により同国のイスファハンで開かれた「産油国・消費国対話会議」には,双方から石油会社,政府関係者らおよそ400人が参加した。このような大規模な産油国と消費国の対話会議はこれが初めてであった。また,同年7月初旬にもパリでフランス・ベネズエラの共催により対話会議が開催された。石油価格は市場メカニズムにより決定され,産消対話により人為的に価格の安定化を図ることはできないが,産消対話により相互の協調が進み,市場の透明性が増大すればその意義は大きい。

(産油国の下流部門への進出)

近年,サウジ・アラビアをはじめとした産油国は,石油の精製や販売等のいわゆる下流部門へ進出しようとする動きを活発化している。サウジ・アラビアを例にとってみると,91年5月に日本の大手石油会社と合弁の石油精製事業についてのフィージビリティ・スタディの開始を発表した他,韓国,フランス等と湾岸危機終結後に合弁の石油精製事業計画を発表している。

このように,サウジ・アラビアが下流部門への進出に積極的な基本的な理由としては,原油の長期・安定的な供給先を確保することにより,収入の安定化を図りたいという意図があるものと思われる。

このように,湾岸危機後も続いている産油国の下流部門への進出といった現象から見ても,産油国と消費国との協調がより進みつつあるといえよう。

(6)今後の課題

今回の湾岸危機を通じて,供給面におけるOPECの重要性が再確認されるとともに,石油供給の不安定さが改めて明らかになった。しかし,OPECの中で,圧倒的な埋蔵量を誇り,増産によりシェアを拡大したサウジ・アラビアの影響力が増したことにより,OPECの体制は安定性を増したといえよう。これは,世界の石油情勢の安定化にも資すると考えられる。しかし,将来の世界の石油需給を考えると幾つかの不安定要因があることも否定できない。供給面では,OPECへの依存度が高まる反面,OPECの生産能力が必ずしも充分ではないこと,世界一の生産量を誇るソ連では政治的混乱もあり,しばらくは増産が見込めないだけでなく,純輸入国に転ずる可能性もあること等があげられる。

需要面では,91年後半から予想される景気回復により需要が再び増加すること,特にアジア地域は中長期的にも高い伸びが予想されること等があげられる。

したがって,将来,石油需給の逼迫を避けるためには,省エネ,石油生産施設の拡張,代替エネルギーの開発等,需給両面での対応が不可欠であり,先進国の資金,技術,人材の面での役割はますます大きなものとなろう。