平成2年

年次世界経済報告 各国編

経済企画庁


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I 1989~90年の主要国経済

第4章 ドイツ:西の景気拡大,東の生産縮小

6. 経済政策

ドイツが統一されたことで,金融制度・政策については,西ドイツの金融制度を東ドイツに導入し,ドイツ連邦銀行が東独地域を含めたドイツ全体の金融政策を運営し,責任を負うことになった。財政制度については,原則として西ドイツの現行法が全て東独地域に適用されることになった。

(1)財政政策:債券発行や歳出カットによる東独地域再建のための財政負担の軽減

86年,88年に続く第3段階の「90年税制改革法」により,90年1月から所得税の最高税率と最低税率の引き下げ,累進税率の直線化等の措置がとられ,ネットで233億マルクの減税が実施された。これにより実質可処分所得の増加を通じ,個人消費の活発化に寄与した。

ドイツ統一の動きにともない東独地域再建のための財政支援の必要性が生じたことから,連邦政府は予算の枠内・枠外で支援を行った。

予算の枠外では,「ドイツ統一基金」(90年下期から94年までに総額1,150億マルク)が東独の財政赤字の3分の2を補填する措置として創設され,1,150億マルクのうち200億マルクは西独連邦政府支出で,950億マルクは連邦と州が半額ずつ資本市場で調達して賄うとされた。年別の支出計画は,90年220億マルク,91年350億マルク,92年280億マルク,93年200億マルク,94年100億マルクとなっている。

予算の枠内では,90年度の第1次補正予算(2月)で58.1億マルク,第2次補正予算(5月)で47.5億マルク(東独市民の失業保険に20億マルク,年金保険に7.5億マルク,ドイツ統一基金への拠出に20億マルク),第3次補正予算(10月)で177億マルク(社会保障給付に89億マルク,東独地域振興に31億マルク,東独家賃・公共料金補助に23億マルク等)がそれぞれ東独地域支援として決定されるなど期を経るにつれて増大している。91年度連邦政府予算案(90年7月)では,東独地域支援として総額90億マルク(失業・年金保険30億マルク,ドイツ統一基金への拠出に40億マルク,統一債の利払い・元本償還に10億マルク等)が計上された。

こうした支出増の結果,90年度の統一ドイツの純借入れは,第2次補正後の西独予算の310億マルク,90年下期東独予算の100億マルク,第3次補正予算の258億マルクの合計668億マルクに達するとみられる。90年11月初にはドイツ連銀が,91年の公的部門の借入れは1,400~1,500億マルク,GNP比で4.5~5%の規模に達するとし,財政赤字の拡大を警告した。これを受けて,11月中旬にドイツ大蔵省が発表した「91年連邦政府予算案および92~94年中期財政計画に関するガイドラインン」では,①91年中に350億マルクの歳出カットを行い,連邦政府の赤字幅を700億マルク以内に抑制することにより,公共部門全体の赤字を1,400憶マルク以内に抑える,②92~94年についても歳出削減努力を継続し,94年時点で連邦政府の赤字を300億マルク程度に縮小させる等の基本方針を明確にした。

第4-3表 ドイツの連邦政府財政の概要

このような公的部門の資金需要は,89年の60億マルクから90年に1,170億マルク,91年に1,400憶マルクに達するとみられており,ドイツの債券市場(発行残高・額面で90年9月末1兆3,684億マルク)と比べてかなりの規模になることから,今後相当の金利上昇圧力が発生するものとみんれる。

(2)金融政策:引き締めスタンスの継続

金融政策(よ88年半ばまで緩和のスタンスをとっていたが,その後は景気の好調やインフレ懸念を背景に数度にわたり政策金利が引き上げられるなど,引き締め基調を続けている(第4-13図)。

公定歩合は,89年初にマルク安,個別消費税の引き上げ・導入,原油価格の上昇等から1月に4.0%へ引き上げられたことを皮切りに,4月,6月,10月と相次いで引き上げられて6.0%となったが,その後は据え置かれたままになっている(90年12月現在)。また90年11月初,ドイツ連銀は東独側銀行の急激な準備預金積み上げで崩れた市場金利とロンバート・レート(債券担保貸付金利)のバランスを修正するとしてロンバート・レートを8.5%に引き上げた。この引き上げには東独地域再建のための財政赤字の拡大に対する警告という意図があるものとみられている。

マネーサプライは,89年にM3(流通現金+要求払い預金+4年未満の定期預金+法定解約告知期間〔3か月〕付貯蓄預金)の増加目標値が約5%とされ,目標は達成された(実績:4.7%)。90年のM3増加目標は,4~6%(89年10~12月期対比年率)とされた。金利水準が依然高いこと,M3に含まれない長期の銀行預金・金融債の増加等により,M3の伸びは90年半ばに低い伸びとなっが,その後は短期預金の増加等により再び目標値の上限付近に戻した。90年7月には通貨同盟が発効したことで,東独地域に西独マルクが導入された。

これにより7月のドイツ全体のM3は,6月の西ドイツ単独分に比べて15%増加した。なお91年のM3目標増加率は,90年と同様4~6%(前年10~12月期対比年率)とされた。

(3)対外政策:対ソ支援の強化と湾岸危機への対応

ドイツが統一を達成できた要因の一つとして,ソ連のゴルバチョフ大統領の新思考外交等対外環境の変化があげられる。このため,ソ連からの援助の要請に対しても積極的に対応している。例えば,90年6月末の50億マルクの対ソ連政府保証融資,9月にばソ連軍撤退に関する費用として150億マルク(30億マルクの無利子融資を含む)の資金供与等の決定が行われた。これらの資金援助に加え,11月上旬には独ソ善隣友好条約が締結され,独ソ関係の緊密化が図られた。さらに11月19日のCSCE首脳会議では,ゲンシャー外相が統一ドイツの兵力(陸海空軍)の上限を3~4年以内に37万人に削減する(現在,東西ドイツ合わせて53万人)との声明を発表した。こうした軍備削減により国防費は,今後大きく縮小するとみられる。

90年8月初の湾岸危機による石油価格の上昇をうけて,西ドイツでもフランスと同様に国家による価格統制を行うべきであるとの要求が野党を中心に高まった。これに対して西独経済省は,前2度の石油危機の時と同様に石油関連企業に対して便乗値上げの自粛を呼び掛けたが,政府としての価格統制は行わなかった。

(4)統一ドイツ選挙の結果

90年12月2日こ実施された統一後初の連邦議会選挙では,ドイツ統一早期実現を達成したCDU/CSU(キリスト教民主/社会同盟),FDP(自由民主党)の連立政権が約55%の得票で勝利した。1932年以来58年振りに行われた統一総選挙は,ドイツ統一問題の評価を問う場としての意味をもっていたが,投票率は77.8%と史上最低であり,ドイツが解決すべき諸懸案事項に対する有権者の反応は比較的冷めていた。

保守政党の得票状況を前回(87年総選挙時)と比べると,コール首相率いるCDU(キリスト教民主同盟:党首コール首相)が微増,ドイツ南部のバイエルン地方を基盤とする保守系のCSU(キリスト教社会同盟:党首ワイゲル蔵相)がやや後退,法人税減税を主張したFDP(自由民主党:党首ラムズドルフ)は大きく議席を伸ばした。CDUの勝利は,ドイツ早期統一を強力に推進し,選挙後の増税の可能性を否定するコール首相への信任と考えられる。また統一実現に際し,優れた外交手腕を発揮したゲンシャー外相の存在がFDPの勝利の一因になったと考え此れる。一方,野党第1党のSPD(社会民主党)は,統一に関して独自の立場を打ち出せなかったことが敗因につながった。首相候補のラフォンテーヌSPD副党首はコール首相の統一方式を批判し,7月の通貨同盟を時期尚早としたため西独マルクの導入による早期経済再建を期待する東独市民に支持されず,さらに統一コストのファイナンスとして富裕税の導入をかかげたことが西独地域で票を伸ばせなかった一因であると考えられる。

また「5%条項」の適用方法については,当初全ドイツで5%の得票が議席獲得の要件とされたが,選挙の機会均等の原則から小政党も議席が獲得できるように配慮され,最終的に西独地域,東独地域のいずれかで5%を得票することが議席獲得の要件とされた。しかし,環境保護は保守から革新まですべての党の主張となり,小政党の緑の党(左派)は独自性を失い惨敗した。

総じて,CDU/CSU,FDPなどの保守中道がさらに勢力を伸ばし,SPDがやや議席を減少させ,緑の党(左派)や共和党(右派)が敗退する結果となった。


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